はてなキーワード: ストレートとは
例えばペイペイや楽天のようにタレントに派手な格好や着ぐるみ着せたり、
それに対してVisaの、なんとストレートでさわやかなCMだこと。
Pixel携帯のプロモーションなんて、Googleがあほみたいにお金かけて
春の美しいイメージをバックに、Google製品がある新生活をイメージさせる、それだけ。
かぎりなく上品で、十分に購買欲がわく。
地方や田舎をステレオタイプな雑イメージで語ることに疑問を覚えない人間はまだまだいると思っている。
くせ毛や栗毛色「地毛証明」都立高の4割 生徒に届け出求める | 教育 | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210225/k10012885111000.html
toro-chan 地方なら分かるけど、東京都??すれ違う人が日本人じゃないことなど何も珍しくない東京で、髪の色なんてまだ気にするのか。。
AKIMOTO ごめんこういうの地方の話だと思いこんでた
「地方なら分かるけど」っていうのはあんまりにも雑すぎじゃないすかね?
東京がそうであるように地方もまた多種多様な地域や人間の集合体なわけなんだがそこの多様性には気付けなかったのかな?
そもそもこういう「東京か、東京以外か。」みたいな雑な世界観いい加減やめような。
そんな0と1で語れるぐらい単純な世界ならいいけど現実は違うし、地方の中にも様々なルーツを持った人々が暮らす地域は存在する。地毛証明書みたいなクソ校則のない学校だってある。
東京でこんなこと起きるはずがないって思うのは勝手だがそこで地方を丸ごと下げるのはおかしいだろ。
発言者が東京出身だろうと地方のどこか出身だろうとその考えが雑であることに変わりはねえからな。
これも「地方なら分かるけど」と同じ。
こういう時にわざわざ地方や田舎を引き合いに出すのは「田舎とその住民=都会より劣る存在」という認識があるからなのよな。
「都会にも前時代的な問題は存在する」という認識なのではなく「東京も前時代的な田舎程度の存在でしかない」というのは一体何なんだよ。
俺は別に田舎が都会より全面的に優れているとかそういうことを主張したいわけじゃない。田舎という属性をわざわざ悪い例として引き合いに出すことが差別じゃなくて何なのかって話だからな。
人種や性別で括って馬鹿にしたりステレオタイプで語って良くないのと本来は同じことなんだが、田舎という属性をステレオタイプでもって貶すことに鈍感な人間が未だに多すぎるんだよ。
現に大都会で起きていることに対してやれ田舎みたいだなんだと言うのは、クソみたいな性格の男に対して「女の腐ったみたいな性格だな」とか抜かすのと同じだろ。
そもそも田舎だろうが都会だろうがどっちも共通のろくでもない面はあるんだよ。
slimebeth これ教育ムラ的には90年代頃までの全員問答無用黒染強制を経て「地毛が茶色の子まで黒染強制はさすがに酷なのでは」で始まった合理的で進歩的な誇らしい制度なんだよな…
こういうのを「ムラ」とか表現するのも俺は嫌いだわ。
前時代的で後進的で保守的でみたいな例えとしてわざわざ「村」と表現することな。
他にも東京でなんかあると「日本も所詮は大きな村なんだよな」的なこと言うやつが湧いたりするけどそれも違うだろと。
大都会の学校でも企業でも政権中枢でもアレな事例はいくらでもあるってのに、そういう事例にいつまでも「村」という表現を使う人間はある種の偏見があることは自覚してくれ。
みんな大好き森喜朗くんとお仲間たちによる男だらけの閉鎖的な「会議」が最近まで堂々まかり通っていた場所も大都会だからな。
別に俺は都会下げの村アゲアゲしたいわけじゃなくて、残念ながらいずれも等しくクソみたいな事は起きるって言いたいだけなんだから勘違いしないでよね。
人種や性別や国籍等々を根拠とした差別偏見はやめようねって風潮になりつつあるのに対して、地方や田舎(あるいは特定地域)へのド直球なステレオタイプ語りの差別性に関してはまだまだ意識されづらいのが実情だろう。だってそれはまだ差別というカテゴリーに含まれてはいないから。
「地方なら分かるけど」「どこの田舎やねん」っていうのも「生まれつき黒髪ストレートじゃない人間は問題がある」みたいな差別と根本的にはなんも変わんねえのよ。差別を非難しつつ結局は同じことをやらかしている。
地方や田舎ならその程度だよねっていう属性偏見語りが、地毛証明書とかいう属性差別の権化みたいなものと地続きであることはせめて覚えといてくれ。
○○に過剰反応するところがやっぱ○○だよな
ワークマンとかそんな感じのを店舗のホームページを制作するのを何件かやったけどドメイン取得のタイミングで
「○○-man.comがいいです」って言われた時に「やめたほうが…」っていうの緊張する。
最初の方に「○○man-clean.com」(掃除屋)みたいなドメインになったので基本そういう方向で提案するんだけど「HPのアドレスが短いほうがいい」理論を展開されると取らざるを得ない。
1件は自分が「○○マン コムより○○マン-なんたらコムのほうがなにやってるかわかるからいいですよ」とわざと「ドット」を抜いて連呼してると気付いてくれたのか「確かになんたらってつけたほうがいいね」とすんなり引いてくれた。
厄介なのは自分が思うように店舗をブランディングしたい人が相手だとこれがもう大変。打ち合わせの場で「ま○こになるから…」なんてストレートに言えればいいんだけど…。
100円の飯食ってるかもしれんうだつの上がらんやつ相手に1500円のランチ指定するような配慮の無さだから、友達が居なくなるのは当然よな
お前がジャブ打たれてると思ってる中相手はストレートやアッパー食らってんだよ
で述べた議論は簡潔にしてあって実際にはもっと長いけど、概ねそんな感じの議論だったのは事実だ。
しかし、そのフェミニストさんとしたかった議論はほんとはそうではなかった。
多分、もし、その件で議論していたらこんな感じになったはずだ。実際にはしていないので妄想である。
時はちょうど、宇崎ちゃん炎上を起こしていた真っ最中だった・・・・
俺は言った。あなたが言うような、現実の女性を意識して描くべきであり、男性が求めるような女性を描くのはおかしいというのは、表現の自由を異常なほど束縛するので、どう考えても間違いである。
すると彼女は言った。読者は男性だけではないし、その先生の漫画はとても面白く、私も大好きだったが、どうしてもその女性像はあり得ないとしか思えないので、意見を述べただけです。
俺は言った。仮にそうだとしても、直接作者にそれを言うのはおかしいと思わないか? それを聞いた作者は、自分の作品を否定されたような気持ちになり、女性差別などする気は全くないのに、嫌な気持ちになるだけだ。
彼女は言った。でもそれは女性差別です。現実には考え難い描き方は、現実の女性を無視しており、それは読者に悪い影響を与えるからです。先生にはそんな作品を書いて欲しくなかったので、出来れば聞いて欲しかった、それだけです。
俺は言った。読者に悪い影響だというならば、暴力シーンや犯罪シーンなど世の中の漫画には溢れかえっているじゃないか。そんなことを言い出したら、あれもこれも描けなくなってしまう。表現の自由を完全に侵害しているので、それは言うべきではない。
彼女は言った。一読者の気持ちとして先生に伝えただけであり、そんな表現をやめてくださいと言っているのではありません。でも、私も一読者です、自分の思ったことを表明することの何がいけないのでしょうか? 私にも言論の自由があります。
俺は言った。確かにあなたにも言論の自由はあるが、あなたの言論もまた、漫画がそうであるように、一つの影響を与えることになる。俺はそのことを言っているのであって、先生は実際、あなたの意見を聞いて今後の表現を萎縮させる可能性だってある。それが果たしていいことなの?
彼女は言った。でも、読者やあるいは一般市民、みんなの意見でこの世の中は成り立っています。私がこうだと思ったことを言えないような世の中こそ、それこそ言論の自由の侵害ではないのですか?
・・・・とま、多分こんな感じの議論になって平行線をずっと辿ったろう。俺は「表現の自由」はひどく脆いものなので、彼女の意見には全く賛同できないが、とは言え、彼女の意見を完全に誤っていると見なす事はできない。
俺が言いたいのは、どっちが正しいかではなく、ネットでは特にフェミニストに対する偏見がものすごいことになっているので、偏見を持つのはできたらやめるべきではないかって事。
滅多にいないが、ストレートに議論というか、意見交換を真面目にできる人は存在する。どうしても感情的になりがちで、罵詈雑言、お前が悪い、みたいな言説が飛び交いがちだが、全く聞く耳を持たないという態度もどうかと思うのだ。
それは無論、フェミストにおいても同じではある。俺も、何人ものツイフェミに議論をふっかけたが、まともに議論できたのはこのたった一人しかいなかった。議論ができたとしても、その例外を除いて、お互いが自説の殻に閉じこもってしまうため、罵詈雑言誹謗中傷になり不毛なだけだった。
しかしながら、それはアンチ側とて同じであり、逆の立場に回っても景色が変わった事はない。
フェミニストにも色々ある。極端な反出生主義からアンチと見分けがつかないフェミニストまでいる。十把一絡げにはできないが、青織のような似非ディベートではなく、真面目に意見交換もできると思うぞ。
私の好きなカプ(以下AB)で活躍している絵師(Zさん)が同人誌を出した。
それがまじでやばい。
というかZさんがまじでやばい。
二次創作しないでくれ。
ZさんはABでは古参の絵師で一昔前の絵感が否めないけどすっごい人気がある人だ。
フォロワーも余裕で4桁。
何故そんなに人気があったかというとAB界隈はZさん以外あまり絵の上手い人がいなかったから。
でも原作でABの絡みが多くなってくると徐々に描く人が増えて来てZさんよりも上手い人がいっぱい出てきた。
Zさんは一次でも漫画を描いているらしいんだけど「私一次でも活躍してるんですよ」マウントがすごい上に、性格もちょっと強めなのでそれも相まって人気がみるみる低迷していってしまった。
フォロワーは相変わらずの4桁だけどファボやリプの数は目に見えて減っている。
残った親しいフォロワーはみんなZさんの信者みたいな人達ばかり。
他の人がどんどんABの本を出していっても二次で本を出した事が無いZさんは支部にちらほらイラストをアップするだけだった。
他の人気絵師の本が虎で特集を組まれたりそれが話題に上がると目に見えて不機嫌になったり人を下げたりして見るに耐えないとはこの事だなと思っていた。
そんなZさんがとうとう待望のABの同人誌を出す事になった。
進捗をアップしては「全然作業終わらない〜><」みたいな構ってツイートを散々してとうとう完成した本。
何部刷ったのかは当然知らないけど虎でも支部でも即完売したらしい。
もうZさんの浮かれようといったらなかった。
「『私が買ったから他の方が買えなかったんですよね、すみません』ってDMも頂いたんですけど全て私の落ち度です(涙)」
とかそんなツイートばっかり。
まぁ嬉しいんだろうな再販もするんだろうな、と思っていたら数日後に目を疑うツイートをしていた。
「近い内に再販しますが、受注生産を考えています。在庫を抱えたくないので受注制です。それが完売したら支部と虎で電子書籍販売を考えています。」
もう本当にやめてくれ〜とひっくり返ってしまった。
受注生産、電子書籍、頒布じゃなくて販売、と同人禁止事項のロイヤルストレートフラッシュかよと鼻血が出そうになってしまった。
でもそんな事Zさんに言えない。
何故ならZさんはご自身で考えた事が絶対間違えていないと思っているし自分に意見するやつはどんなに丁寧な言葉で諭しても全員敵だから。
以前AB界隈がZさんを中心に回っていた頃同人グッズを受注生産しようとした事があった。
当時からZさんの言う事、やる事はぜった〜い!みたいな風潮があった(そもそも同人初めてみたいな人がABには多い)けれど勇気を出して同人経験者のフォロワーがそれを注意した。
その時は不貞腐れながらもやめたんだけど当然注意したフォロワーの事はその後無視され界隈から去った。
そんな経験がありながらも結局何が駄目なのか分かっていないみたいなZさんに私はもう呆れてしまって物も言えない。
私がZさんに無視されたり怒られたりする覚悟で注意すれば良いんだろうけどまだABで活動したい私としては余計な争いは避けたい。
私知ってるわ!
私気付いちゃったの。
それを教えてあげるね!
普通のままだとぜんぜんいい音しないけど
ほっくほくのほくの28乗ぐらいに茹で上げると、
皮がはち切れんばかりのみちみちのパンパンになって、
久保田利伸さんも思わずにっこり微笑むようなグッドサウンドでプリン!って音が鳴るの!
でね、
何か肉っ気が無いのも寂しいから
その時思い出したの!
ってもうどう聞いても久保田利伸さんと聞くと久保田とシノブって2人隠れていることを隠しきれないように、
思わずシャウエッセン!シャウエッセン!ってはしゃいでしまったの。
でスープが出来上がりました!
べ、別に料理番組みたいに時間短縮で差し替えで言ってるんじゃないんだかんね!
やっぱりそう言った概念の持ち合わせがあるとないとでは
で話しを戻すわね。
早速できあがった私特製!
その久保田利伸さんも思わずにっこり微笑むようなグッドサウンドでプリン!って鳴るの。
でも
よくよく考えてみたら
己の肉を己の腸に詰めて喰ってやるぞって鬼畜な食べ物じゃないかしら?
考えた人って相当鬼よね。
そんなドイヒーな発想する?
己の肉を己の腸に詰めてやるぞ!って令和になっても通じるそんな脅し言葉、
聖飢魔IIの人たちだってせいぜいおまえも蝋人形にしてやろうか!どまりじゃない。
もはや肉塊を挽肉にして腸詰め肉って最強じゃない?
私も言われたらビビるわ。
まあそんなわけで、
シャウエッセンでのハジケっぷりに
不意打ちされて思わずハジケちゃったってわけ。
そんなにハジケるなんて私思ってもいなかったから、
そのブリンって鳴って、
思わず真っ先に思い出したのが久保田利伸さんだったってわけなの。
笑っちゃうわね。
まるでそのシャウエッセン!手放しで喜べるさまは
日産のプロパイロット2.0の半自動運転のスカイラインで渋滞に突っ込んでも手放しで運転できるようなものね。
文字通り手放しだわ。
これで決まりよ!
うふふ。
これ書いてて思ったんだけど、
今度茹でに茹で上げたシャウエッセンサンドやってみたらまた教えるね!
きっと美味しいわよね。
朝はまだちと寒いので熱々のと言うよりはちょっと温めの八代亜紀さんの歌のような温度の
ホッツサーユーにしました。
ストレートだと味気ないので、
梅干しを投入して加えれば、
良い塩梅よ、
なんて。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
コロナ禍になって初めて医者になった一人であり、その流行り病を診ていたものです。
正直もう臨床現場に対してうんざりしつつも二年間の初期研修だけは終わらせないといけないという義務感でのみ、今は仕事しています。
一般の方からすると医者になればいいと思うでしょうが、医学部の大学6年間を卒業し、卒業試験と国家試験の2つを合格して初めて医師免許がもらえます。
またその後2年間は厚生労働省が定めた病院にて2年間の初期研修という見習い、みたいなのをやって初めて医者として自由に働くことができます。
ストレートで行って初期研修が終わるのは26歳~であり今は私ももう20台も後半であります。周囲の非医療職の同期はいろいろなプロジェクトに参加していたり、自分の人生のために努力してます。
そんな中で自分はあまりやりたいことがないためにくいっぱぐれの無い資格を取るために医師免許を取っただけであり、ただただ無味乾燥な仕事をこなしているだけです。
学生時代、医学という勉強は膨大なのですが、様々な科を満遍なく勉強することが実は好きだった私は「総合診療科」か「救急科」を志望していました。
それは大学の実習で田舎の診療所で息が苦しい人から猫にかまれた人までよろず相談的に診ていた先生に憧れていました。
自分もそうなりたいと思いハードな初期研修先を選んだのですが、実際は夜通し来る不要不急の救急要請であったり、家族が意思決定をしていないために98歳の余命いくばくもない人の心臓を夜通し押していたり
全く寝れないまま次の日の労働で看護師さんに「指示がおそい」「使えない」と罵倒されていて、「こっちは昨日の朝7時から今まで働いてるんだけどもな」って思う日々でした。
そんな中コロナの患者も続々と受診されて感染防御をしながら日々重圧に耐えながら臨床をしていくことに疑問をもっています。ワクチンの接種は進み始めていますが、第2第3のコロナ騒ぎが今後新たに出てくることは容易に想像できます。
諸先輩方や同期はみんな真面目であり患者さんが良くなったことを心から喜んでいて、私にも「よかったね」と言ってくれますが私は「それが仕事なんだから当たり前でしょ」としか思えません。
三年目、後期研修にて自分のやりたい科を決める時期が一年目もそろそろ終わるにつれて来ていますが、正直患者さんを診る科や病棟のある科は自分を守れないと思っていて志望をしないことにしました。
周囲の環境は忙しい中で頑張る人が評価されるので、村八分にされる可能性が強くあまり大きく言えない状況です。
ハードな研修先を選んだ自分が悪いのですが、一生懸命働いて少なくともほかの研修医よりかはスキルは得られたと思いますが「この仕事を自分がしなくてもいい」と
思ってしまっているのは疲れて正常な判断が出来ないためなのでしょうか。よろず診療所で憧れていた先生も寝れない夜を何十年も過ごしてあの立ち位置になっていたと考えると私には無理だと思います。
あと一年気が重いです
・あえて「早稲田大学卒です」はわりかし医者のくだけた場での自己紹介の定番。(もちろん実際に早稲田大学卒の医者の場合)
・「医療界隈では『早稲田には医学部はない』が常識」なのが大前提。
・もちろん正式な挨拶の場や、公的書類に記すのは基本医学部出た大学の方。医局閥大事。ただ経歴の類では両校併記することになる。
・超高偏差値揃いの医者同士では「早稲田」は低偏差値扱いなので、卑下してる感は少しだけ出る(浅学非才ですのでよろしくお引き回しを…)
・「早稲田大学卒です」はストレートの医学部/国試合格者より、最低でも2年以上回り道してるわけで、苦労してますアピール感もちょっと出る
・「早稲田大学卒です」の一言でジョーク交じりに「私、年齢より経験が浅いんです」という類のエクスキューズを伝えられる
・医理工連携から学際分野の研究医になったとか、人間科学部からスポーツ医、といった早稲田大学での専攻が医者としてもバックボーンになっているOBは、意味があって名乗るかも
・H鳥先生のような、実績も地位もある方が未だ広言しているのは、たぶんただの母校愛
(n=2)
私が高校生の頃、恐れていたものがある。美容院だ。鏡と数十分対面、オシャレな空間……。化粧も服も大好きだけど(出来栄えは置いといて)、美容院は苦手だった。そして一番いけなかったのは、当時の髪形だ。黒髪ひっつめ、前髪なし。前髪が長すぎてもう限界! とかそういう事にはならなかったので、極端な話、ずっと行かなくてもよかった。それでも、私は毛量が多かったし、何より、手入れされてない長髪ははっきり言って汚かった。なので、半年に一回くらい、死ぬ覚悟で美容院に電話し、樹海に行く気持ちで美容院へ行っていた。ちなみに、美容院とは言っているが、私が幼少時代から10年以上通っている1000円カットである。店主が一人でやっている、席が一つしかない店。店内はナチュラル系でまとめられており、テレビではアニメが流されていた。壁にはたくさんの漫画、棚には作りかけのウィッグ。そう、ここは人の髪を切ると同時にコスプレウィッグの制作もやっていた。オシャレ過ぎない個室、アニメの話もできる、そして安い。ここまで聞けばオタクにはさぞ居心地が良いと思うだろう。けどこの店には、致命的な欠点が二つあった。一つめ、電話予約しか受け付けていない。コミュ障は死んでしまう。二つめ、店主の話題が恋愛トークしかない。正直、これが嫌で美容院を変えたといっても過言ではない。当時私は女子校に通っていたので、彼氏だの好きな人だのの前に、男子がいなかった。それなのに、ふられる話題は恋愛ばかりだった。「好きな人いないの?」「女子校なんで」「通学路で素敵な人見かけないの?」「そんなに周り見ないんで」「好きなタイプは?」「えーよくわかんないです」などなど……共学に通っていたら恋愛トークできたのかというとそういう訳ではないが、「女子校だっつってんだろ!」と叫びたくなったことは一度や二度ではない。それに、当時はすっぴんひっつめで通っていたので、「このビジュアルの人間が恋愛トークできると思ってんのか?」などと思っていた。一応言っておくが、カット技術はめちゃくちゃ上手い。
けれど、恋愛トークに嫌気がさした私は、大学一年生のときに美容院を変えた。ここを、美容院Aとする。ホットペッパービューティーで予約した近所の美容院だ。カット2000円、今までの倍である。だがここではひどい目に遭った。店に入った瞬間、「失敗した」と思った。客のおばちゃんがパーマをかけながら、おばちゃん美容師と世間話をしている。明らかに年齢層が違った。それでも、「髪を切るだけだから」と腹をくくった。担当してくれたのは店主だというおじさんで、この人がまあタバコ臭いの何の……しかも下手。左右均等に切れないのか、しきりに左右の髪を手で合わせていたし、「うねりがあって長さが分からない」とストレートアイロンをかけられた。元からストレートだし、私の髪で「うねっている」と言ったらうねっていない人などごくわずかだ。それに、そんな事は他の美容院では一度もされた事はなかったし、今のところでもされていない。この時点で、「下手だな」と見限り、15cm切ってほしいと頼んでいたのを5cmにした。二度と来るかこんな店と誓って帰宅するとビックリ、左右の長さが2cmくらい違っていた。二度と行きたくないがお直しは無料のようだし、三日後くらいに行って直してもらった。
直してもらった私は、やはりきちんとした技術、接客のためには金を積まねばならんのかと新たな美容院を探し始める。この頃、ようやく前髪を作ろうとし始め、骨格に合う髪形を提案してくれるところを探していた。そして見つけたのが、美容院B。カット4500円。ここが、今もなお通い詰めているところである。ここがめちゃくちゃいい。恋愛トークしてこないし、技術も接客も申し分ない。それに、提案してもらった前髪が自分でも驚くほど似合っていた。この時はじめて自分を「かわいい」と思えたし、かわいくなったおかげで美容院が怖くなくなった。もっと言えば、自己肯定感が上がった。
ここは、はじめて行ったとき、席に着くなり「後ろめっちゃVの字ですけどどうしたんですか」と聞かれた。Vの字なんて全く身に覚えがなかったが、鏡で見せてもらうと、後ろ髪のシルエットがくっきりとVの字になっていた。「Aでやられたな」と気づきあの時の怒りを思い出したが、Bで無事に直してもらった。かわいい前髪ばかりかAでの損傷も直してもらい、私は「絶対また来よう」と誓った。その後、何だかんだでカラーリングやカットをしに通っている。
鬼滅の遊郭編が炎上してるけど、遊郭が戦場になっているだけでどストレートなR-18描写はない。
性に目覚めていない子供はバトルにしか目が行かないだろうし、知識がある子が見たとしても女性蔑視につながる描写はない。つなげてしまう子はそもそも親の教育が悪い。
フェミニストが放送すんじゃねぇって言ってるけど、「こういう女を売り買いする文化は無くしていけ!」って主張するネタが有ったほうが良いでしょうに。お前らはむしろ賛成側ちゃうんかと。女性蔑視の時代だと思うなら尚更流すべきじゃないの?
全然ジャンル違うけど戦争や黒人差別がストーリーに盛り込まれてる作品もドンドン作られるべき。教訓みたいな要素を入れて広く流してほしい。批判する人は当然多いだろうけど、そういう作品をみて考えを改める人も多いと思うんだよ。
・おねえちゃんがホイホイ部屋に上がり込んだ件→「さっきまで妹に勉強を教えてた」と言っているので、多分おにいちゃんは家に妹がいることをおねえちゃんに伝えてある。だからおねえちゃんは気を抜いて家に上がってしまった。
その話を信用する理由がない。
そして仮に妹がいても大人がいないのには変わらない。
その状況ではフラットな仲の男子の部屋でも普通はいかないけれども
凄まじく嫌っていてその理由が「性格がクソ」という男子に対して警戒せず部屋まで上がり込むのはない。
ちなみにおねえちゃんが二回目家にホイホイ上がり込んだのは、わざとおねえちゃんの方から「(エロいことの)続きをしよう」と言っておにいちゃんを謀ることで家に上がって妹ちゃんを助けるためなのです。
ハア?
元増田が言ってんのは「なぜ兄がお姉ちゃんを家に上げたのか」じゃなくて
「なぜお姉ちゃんはこんな怖い男子の家に単身乗り込めたのか」だろが。
そんなことも混同するバカの分際で何が「ちなみに」「なのです」だ。
・おねえちゃんは精神的につよい?→おにいちゃんに襲われて危うく流されそうになっている。妹ちゃんがいなかったら大変だった。これはおねえちゃんが尻軽って意味ではなくて、普段家で虐待を受けているため、虐げられて搾取されることに悪い意味で慣れてしまっていて抵抗できず加虐を受け入れてしまいがちな性質をしめすと思う。
であるのに何故クローゼットの中と目が合っただけで毅然と断れるのですか。
声を震わせたり荒げたりもせず。
そんなご都合主義なw
普通の人でも難しいのに、普段から暴力におびえさせられてる人間がそんなモチベーションで別の暴力に立ち向かえる?
嫌なこと言ってしまうと、まああり得ないです。
てかなによりそもそも
凄い度胸があって乗り込めたとしても乗り込む理由がねえだろ。
自分も体があざだらけで妹ちゃんが虐待されてるとピンときたなら
外で会ったときにちょっと見せてって服をめくってアザ確認して撮影して親か児童相談所に報告でしまいじゃねえか。
一体何なんだよこの話は。
ねーよ
いい加減にしろ
威力は少なくても、不意打ちすぎて殴られただけで一瞬思考停止してしまうなど。おにいちゃんもまさかおねえちゃんに殴られる展開なんて予想だにしてなかったろうし。殴ることには慣れてても殴られることには慣れてなさそうだし。
お前は一度ぐらい喧嘩とかしてみた方がいーよ
まあすることなく大人になったならそれは何よりだけど、それなら暴力について知った風な口を叩かない方がよろしい
何も鍛えてなくて喧嘩の経験もない女があれをやったらどうなるか?
これは男でも打てないことがあるけど筋力ない女だとまず打てない
普通の人間が一番力入れやすいのは上から振り下ろす動きだからそういう叩き方になる
体重もない普通の女のパンチで男子高校生がダウンすることなんかない
即座に頭に血を上らせてやり返すだけ
これは男のパンチですらそう
もちろん漫画だから何描いたっていいんだという居直りは有りだよ?
主人公がいきなり問答無用のマジカル暴力を身に付けて自分より強いはずの相手に暴力で簡単にカタ付けちゃうってお話はデキがいいのか?
反論みたいな返しになっちゃったけど増田のように構成や表現がリアルに沿ってるか、整合性がとれているかをそこまで考えて漫画を読むことはそんなになかったので勉強になった。
まぁ自国の古の言葉だから、国民として学ぶべき」とか精神論なのかな。愛国心の育成とかなのかな。
例えば、理系科目は「技術の発展、ひいては国の発展に繋がる」とかで納得。
現代文は「他社とのコミュニケーションのため、論理的思考力を養うため」とかで納得。
では古典は?
「故きを温ねて新しきを知る」はその通りだと思う。
けど、一次情報に各個人がアクセスする必要あるか?翻訳された文で十分じゃないか?
「文化の発展」のためか?
もちろん歌舞伎などの歴史ある文化、和歌集などは誇れる文化だと思うよ。でも義務教育でやるほどなのか?趣味レベルじゃないのか。
古典の代わりに、法律や情報処理のが国民に必要な教養ちゃうんか?
古典を学ぶことは意味がないとは思わないが、学ぶ人数が多すぎると思う。
---
(追記)
・義務教育って書いたけど、高校も含んで。履修する人多いから!
mazmot 国語の教師の中に勘違いしてるのが多いけど、国語科は基本的に英語と同じ語学教育。古文は、現代語を理解する上で役に立つ。ただ、漢文に関してはねえ。 https://mazmot.hatenablog.com/entry/2017/04/06/233342 2021/02/19
確かに現代語を学習するときに、由来や成り立ちとして古文が登場するときあるかも!
素人としては、そんな説明なくてもよいと思うけど、言語学者的には必要という判断なのかな。
B2igwzEE 「理系科目」「社会」というくくりのなかにも義務(+高校)教育に必須かどうかで議論の分かれる要素はあると思うが、なぜ国語だけを細分化して考えるのだろう
大分類でも、理由が共通して記載できるからまとめて書いているんだよ!
下記みたいに個別に書いても同じだよ!
国語を細分化しているのは、物事を理解するためには、階層や項目に分けて問題点を特定していくためだよ!
primedesignworks 現代文の「〜の気持ちを答えよ」の方が余程無駄な時間だと思う。著者は登場人物でないから正解が不明な問題よりも、古文漢文は正確に読めるかの方が多いから楽。ぼくは、古文漢文のお陰で国語の点数が成り立ってた。
「〜の気持ちを答えよ」は「〜の気持ちを文章を基に論理的に推測せよ」と質問しないとだめだよね!
mats3003 お前ら、科学の基礎研究に対する発見に「それは何の役に立つんですか?」というマスコミの質問を小馬鹿にするくせに、学校教育については平気でこういうこと尋ねるんだなwww
どういうこと?
基礎研究に対する「何の役に立つの?」には、「医療分野の新薬の開発に役立つ可能性がある」とか「暗号化のアルゴリズムに応用できる可能性がある」とか説明できるし、しているよね?
そうなんだ!
例えば、数学は「化学や物理などの自然法則を定量化して原理を利用するために使われる」とかみたいな感じで!
takinou0 古典やらないと日本人が過去に考えてきたリソースにアクセスできないからじゃないかな。明治よりも前の話が読めなくなると思う。 誰かに翻訳して貰えばいいじゃん、というのは英語も同じこと言えちゃう。
「古典が必要な理由」じゃなくて「古典が義務教育の対象となっている理由」を知りたいんだよね!
英語は、英語の文献はリアルタイムで増えていて、自身で一次情報にアクセスするメリットがあるよね!
古典は、新たな文献が発見されたとして、量はたかが知れていて、専門家が翻訳すれば足りるよね!
ぜんぜん同じことは言えちゃわないね!
take-it 文法を事細かにやるより、言葉の変化や文化の変遷、逆に変わらない人間の精神を学んだり、長年読みつがれてきたものを読む、原点に当たるという学問的態度こそが、古典の授業で大事だと思う。
「言葉の変化や文化の変遷」:それをまとめた結果を読めばいいんじゃないの?
「逆に変わらない人間の精神を学んだり」:現代文や翻訳文じゃだめなの?
「原点に当たるという学問的態度」:英語を修得したほうが効果大きいよね!
caps_lock 巨人の肩の上ではないのかも知れないけど、文学や社会でも我々は積み重ねられてきた何かの上に立っている。その何かを学ぶのは義務教育としてそう的外れではないのではないかと思う。
「その何かを学ぶのは義務教育としてそう的外れではないのではないかと思う。」この理由を説明してほしいんだよね!
つまり「古典を学ぶ」→「●●●という作用がある」→「義務教育として必要」って説明してほしいんだ!
about42 漢文を知って英語見直すわかるぞ感がある。こちらは語学にしろだとしても、現代語訳だけで原典を読める技術を与えなくていいって、有史以来から品行方正でとプロパガンダきてもファクトチェックもできへんぞ?
「漢文を知って英語見直すわかるぞ感がある」:ストレートに英語を勉強したほうが効果大きいよね!英語を修得するために、その補助のために古典を義務教育としているの?
私(40代後半自営業、既婚、子有)的にはすごく「刺さる」映画だった。
偶然を含む特別な出会いがあり、好きな音楽や映画が一緒で、同じスニーカーを履いてたりする
ってことで「私はあなたで、あなたは私じゃん、私達特別じゃん」ってなり、お互いのことを
知っていく過程において、自らの映し鏡としての存在を相手に求める恋愛初期の楽しい日々が
続いていきます。
一緒に暮らすようになり、社会人になり、彼と彼女が一番大切にしていたカルチャー達は
彼らになんの力も与えてくれない(お金を稼ぐ力とならない)中で、彼らにとっての
アイデンティティでもあった、自分達は他の人達とはちょっと違うんだという自負がゆらいでいく。
日々の生活の中で、燃えるような恋愛感情は変質していき、日常の存在としてのパートナーと
なっていき、そして・・という映画でした。
素晴らしい映画だと思いますので、ぜひいろんな方に観て欲しいです。
私は、ラグビーだのアメフトだの基本運動部の人でしたが、サブカルが大好きで
宝島(昔あったサブカル雑誌)を読んで、そんなサブカルに詳しい(好きではなく詳しい)
ことが自分にとってのアイデンティティであり、そんな気持ちを共有できる相手を求めていました。
たくさん本を読んで,映画や舞台を観て、その中から得られるものを、人生にとって大切なもの
として生きていきたいなって思っていました。(〜27歳)
27歳に、大学在学中からやっていた商売がうまくいかなくなり、お金がなくなってきて
アルバイトをするようになったのですが、その時に、当たり前ですが、趣味程度のサブカルは
何も私を助けてはくれないし、少し環境が変わると、それを摂取する時間もお金もなくなり
結婚を考えていた女の子とも別れました。(と、純愛的に書いてますが、10年間くらい同時並行
で3人くらいの子と年単位で付き合っていてカップル喫茶やハプニングバー遊びが好きなただれた
生活だったのでお金が続いていたとしても振られていた可能性は高いですが。)
50歳近くになり、仕事と生活に直接結びつかない小説や映画に触れる機会は極端に減りました。
映画館で映画観たのは、ストレートアウタコンプトン(米のヒップホップスターの伝記的映画)
シンゴジラ、マッドマックス怒りのデスロード、桐島部活やめるってよ くらいです、
映画秘宝寄りですね。
昨年秋に出会い系サイトを通じて彼女(40代前半)ができましたが、メールのやりとりが
はじまってから実際に会うまでの1ヶ月ずっと、若いときと同じことをやってました。
お互いの本棚を写真にとって送りあって「その本、前に読んだ。」「その本読みたいと思ってた」
「私達、趣味が合うよね」どんな映画好き?どんな音楽を聴くの?とやりとりし続けることで
その人のことを知ろうとしていましたし、短歌を語り合ったりしている時には、お互い
「私達って他の人達とはちょっと違うよね。」って部分もあったと思います。
1ヶ月の文通の後、会ったのですが、カフェでもずっとそんなカルチャー話をしていました。
でも3度目のデートでホテルに行ってからは、肌が合ったこともあって、会ってる時間ほとんど
ずっとホテルのベッドです。10月後半くらいから今にいたるまで会っている間の会話はあえぎ声くらいです。
映画劇中と私の過去において、カルチャーが生活するお金に無力であったのと同様に、非日常の愉しさを
求める関係性においては、カルチャーはセックスには遠く及ばないってことを何度目かのホテルの後に
考えたりしました。
会ってないときは、Slackでいまだに読んだ本を紹介しあってます。下手な短歌を送り合ったり