はてなキーワード: キリスト教徒とは
戦車の車輪の下にある塵より少なくていい、 美しいオダリスクで武装したハーレムが、私の剣を汚さない錆止めが欲しかったんだ。
お前の拳ほどの大きさの、真っ赤な金塊が欲しかった。
そしてあの権利を横取りする汚い連中を、犬に食わせてやるんだ!
男爵に立ち向かいランスを折って、俺の女に手を出してみろと挑んでみたかった。
それも涼しい朝の当直の時間に、千マイルの道のりを飛んできたアホウドリの翼がゆっくりと傾く音以外のどんな動きも見られない…
ストリセンデとポイクテスメを見たかったし、ホームズに "ゲームは進行中だ! "と揺り起こされたかった。
ミシシッピ川をいかだで下り、ブリッジウォーター伯爵や消えた王子と一緒に暴徒から逃れることもしたかった。
プレスター・ジョンとエクスカリバーを手に、静かな湖に浮かぶ月光の腕に抱かれたかった。
ユリシーズやサモトラケのトロスと一緒に航海し、いつも午後のような土地で蓮を食べたかったのだ。
子供のころのようなロマンチックな感覚や不思議な感覚を取り戻したかった。
今のようなみすぼらしい、汚い、ひどい世の中ではなく、彼らが約束してくれたような世界になることを願ったんだ。
ロバート・A・ハインライン著『栄光の道』より抜粋
補足説明
ロックの卵:ロック鳥とは『東方見聞録』や『千夜一夜物語』に登場する伝説の巨大な鳥だが、英語的に「Roc's egg」といえば、お話だけで実在しない、信じられない物を指す
バルスーム:エドガー・ライス・バローズが創作した架空の火星世界
ストリセンデとポイクテスメ:ジェイムズ・ブランチ・キャベルの創作に登場する架空の城と国
プレスター・ジョン:中世ヨーロッパの十字軍時代に生まれた伝説、東方にあるという幻のキリスト教徒の王国
いつも午後のような土地で蓮を食べ:叙事詩『オデュッセイア』の一説、食べる事により世のすべての苦痛を忘れるという「ロートスの実」の伝説
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
それらの連中がリベラルを自称してる印象はないけどな。俺はリベラルだけど
どちらかというと、連中を気に食わない輩が「リベラル」というレッテルを貼って回ってる感じだな
共産党(共産主義者)。そもそも共産主義じゃ駄目ってことで出てきたのがリベラルだし
フェミニストは、昔はリベラルと軌を一にしていたけど、今はもう違う
リベラルから見たら、そろそろフェミニズムを脱却して反セクシズムに移ってくれないかと思うんだが
LGBTQ活動家は、まあ、リベラルだと思うけどね、今のところは
生活保護受給者とその支援者。受給者はともかく、支援者はリベラルだろうね。あんまり見かけないけど
■ 聖書って正しいんかな
聖書ってよく分かんないですよね。
聖書のおかしさは、元増田が指摘する点以外に、他の箇所に矛盾する主張が平気で登場するというところにあります。
違うページを開いてみるとこんな主張が出てきます。
聖書が婚前交渉に否定的であることと考え併せると、上で 「生めよ。増えよ。」 と言っていたことと矛盾するように思えます。
また、元増田が 「まあわかる」 としている 「唯一神」 の主張についても、
神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。」(創世記 1-26)
という記述があり、神が自身のことを 「われわれ」 と呼ぶので 「唯一神じゃなかったの!?」 という疑問が出てきます。
この辺をどう考えるか、真理っていったい何なのか、という点についてキリスト教徒は千年以上議論しておりまして、19世紀にヘーゲルという哲学者が 「弁証法」 という言葉を使って何とかまとめ上げた(と私は思っています)。
ただそんなに難しい哲学の議論を参照しなくても、これを考えるヒントが日本のことわざにあります。
というのも、ことわざにも矛盾しているように見える主張がたくさんあるからです。
「好きこそ物の上手なれ」 ←→ 「下手の横好き」
「善は急げ」 ←→ 「急がば回れ」
ここで例えば外国人から、上記のことわざを引き合いに出して、 「日本のことわざって正しいの?」 と聞かれたらどう思うでしょうか。
いない。
居たとしたらそもそも最初から概念の定義?に当てはまる人ではない。種類が違う。
「迷信である」の言い換えとして宗教とか呼んでるんじゃなくて、
そういう前提で、例えばなんだけど、
「昔から経験なキリスト教徒だったけど、今は無神論者の人いる?」とかさ。
「親がキリスト教徒なんだけど、イスラム教に改宗させたい。でも話が通じない」とかさ。
当たり前だよね。ヒトは言葉で信仰を捨てることはありません。なんなら拷問受けても死ぬまでそのままです。
お前はただただ、家族は他人に詐欺商法しかけたり、逆に自分が高額すぎる無駄遣いしたりしないように、それだけを注意するしかない。
俺の理解は、「ヴィーガンは菜食主義が正しいという仮定の上で生きてるから、その仮定に沿って世の中に菜食主義を広める方が当たり前である。だが仮定が絶対に正しいと証明されているわけではない」ってことと近い。
「ある人が正義の原理に基づいた規範的主張をする」ってのは、「ある人が○○が正義だという『仮定』の上で議論を進める」ってのと近い。
そんで、議論での『仮定』ってのは、『とりあえず設定する前提』ってのと近い。
「ある事柄が本当に真実か証明されていないが、とりあえず真実だとした上で議論を進める」ってこと。
ヴィーガンは、菜食主義が正しいという仮定の上で人生を生きている。
資本主義者も資本主義が正しいと仮定して生きてるし、自由主義者も自由が正しいと仮定して生きてるし、キリスト教徒も仏教ともそれぞれの宗教が正しいと仮定して生きてるいる。
人はみな、自分の人生観や価値観や道徳観を持っていて、それが正しいと仮定しているからその考え方をしている。
ある人の価値観はその人にとって正しいのだから、善く生きようとすれば自分の正しい価値観を世界中に広めようとする方が当然だ。
そうしないのは、善く生きようとするのは面倒くさいという怠惰のためか、既に自分の正しいと信じる価値観が世の中に広まってるから行動する必要がないからのどっちかだ。
だから、勤勉なヴィーガンは正しいと信じる菜食主義を広めようとする方が誠実だし、勤勉な肉食主義者は正しいと信じる肉食主義を広めようとする(というかすでに広がってるから守る)方が誠実だし、勤勉な自由主義者は正しいと信じる自由主義を広めようとする方が誠実だ。
他人の生き方に口を出すべきでないという人も、「他人の生き方に口を出すべきでないという生き方」を広めようとしている。
しかし、我々がそれぞれ持っている正しさは仮定でしかないのだから、絶対に正しいというわけではない。
そして神ではない我々には、何が絶対に正しいかを解き明かすことはできない。
延々と議論をして意見をぶつけ合ってその中でちょっとでも正しそうな方向に向かうしかない。
議論対立を厭うのは知的怠惰である。……が、現実的には、宥和や共生というのは知的怠惰からの方が生まれやすいのかもしれない。
今日友人とひょんなことから宗教の話になったのだが、「キリスト教はカルト」と突然言い始めた。
なぜそう思うの?と聞いたら、「彼らは一神教で、他の神を否定するから」ということらしい。
そして、「日本は多神教でいろんな神を受け入れていてクリスマスとか初詣とかやるから寛容」らしい。
しかし、よくよく考えてみよう。日本は確かに様々な「神」は受け入れている。しかし、その教義である「神は一つ」は全く受け入れていない。
果たして、日本で言う所の「神」と、キリスト教徒がたたえる「ゴッド」は同じ意味か?イスラム教徒のいう所の「アッラー」は?意味としてはまったく違ってくるだろう。
この手の「日本は多神教で寛容で、海外は一神教で不寛容だ」という人は、多分「神」と「ゴッド」を同じ重みだと思っているのだろう。
実際は違う。「神」はいくらでもいていいが、「ゴッド」は一つしかいてはいけない。キリスト教徒にとっては、むしろ自分たちの「ゴッド」を勝手に「神」にされるのは冒涜だろう。
まあ、だから日本が悪いという話ではない。ようは「日本教」的なものもキリスト教もイスラム教もそれぞれ相互に成り立つことはできない。
そういう意味でこいつらは全部どっちもどっちである。まあ、悪魔扱いするか「神」扱いするかで日本の方がまだ寛容というのもわからなくないが、
だとしても少なくともキリスト教はカルトと言った友人は「寛容」ではないし、教義を否定しているという時点でおんなじようなものである。
「日本は多神教だから寛容」という主張は、宗教というものをまともに考えたことのない人間の妄言だと思うのだが、増田諸氏、ブクマカ諸氏、いかがだろうか?
踏み絵の禁止は、憲法上、信教の自由(20条)ではなく思想良心の自由(19条)の問題です。ちなみに、内心の自由は絶対的な自由と解されています。
思想・良心の自由が不可侵であることの第二の意味は、国民がいかなる思想を抱いているかについて国家権力が露顕(disclosure)を強制することは許されないこと、すなわち、思想についての沈黙の自由が保証されることである。国家権力は、個人が内心において抱いている思想について、直接または間接に、訊ねることも許されないのである。したがって、たとえば、江戸時代のキリスト教徒の弾圧の際に行われた「踏絵」、あるいは、天皇制の支持・不支持について強制的に行われるアンケート調査など、個人の内心を推知しようとすることは、認められない。
本条(引用者注:憲法19条)が,外界の行動や表現に現れない内心の自由を保障しているにとどまるのであれば,それは,本来,法の及びえない領域であって,サブリミナル(閾下)広告によって人々の行動を操作しようとするような例外的な状況を除くと,本条の保障する自由への侵害が直接に問題となる場面は,それほど多くはないとも考えられる。
本条への違反が独立に問題となりうる場面としては,①思想や信条の告白を強制する場合と,②特定の思想や信条を有することを理由に不利益を課す場合とが考えられる。
ちなみに、芦部142頁によれば思想・良心の自由の保障をあえて明文で規定するのは比較法的に珍しいようです。長谷部194頁によれば歴史的には宗教改革により対立する宗派の共存の必要から信教の自由が近代立憲主義が保障する権利の中核的地位を占めたのだそうですが、わが国では、明治憲法下において、治安維持法の運用に見られるように、特定の思想を反国家的なものとして弾圧するという、内心の自由そのものが侵害される事例が少なくなかった
(芦部143頁)ことから、思想・良心の自由を特に明文で保障する必要が意識されたのでしょう。