はてなキーワード: オープンとは
量が多すぎて途中で切れてたみたいなので分割
高い頻度でイベントを開催したい気持ちは分かるけど、人が全然集まってないじゃん。宣伝も頻繁に行われてるわけじゃなさそうだし、そりゃ人が来ないのも当然だよ。
主催者として『定期的にイベントを行いたい』って気持ちは分かるけども、だったら開催頻度を今の半分とか1/4とか年1回とかにすりゃいいじゃん。
まともに開催できる人数が集まると思える頻度でやればいいのに、なんで高い頻度でイベント開催してんだよ。
公式サイトもやる気なさすぎだろ。トラブルを防止したいって気持ちは分かるけど、注意文が多すぎる。来訪者として見たときに警告文ばかりで知りたい情報が全然ないじゃん。
人が来ないからイベントがまともに開催できず、結果的に『割と定期的にやってるけど人がいないから微妙』みたいな扱いのイベントになってんじゃん。
過去の開催報告でも「人がいないなー」ってのが丸わかりだし、気軽に参加しようと思ってた人は「人が少ないからイマイチっぽいな……」って辞めちゃうじゃん。悪循環だろ。
その手のイベントが好きな人は宣伝しなくても来るんだから、まずは一見さんや初心者さんが来るハードルをグッと下げるのが重要だろうが。内輪向けにやりたいんだったら、オープンなイベント形式じゃなくて知り合いだけ呼んでこじんまりとやれよ。
開催頻度を下げて、あちこちで宣伝し、ライト層でも『試しに行ってみようかな』と思わせる構造にする。それが先決でしょ。
厄介な人が来る可能性も高くなるけど、今はそれ以前の段階じゃん。警告文とかルールとかをガチガチに決める前に、毎回まともに開催できることを目指せよ。
まぁ、俺はそのイベントと関係ないポジションだから面と向かっては言わんけど。あまりにも残念な感じだったのでここに殴り書きした。
は、私には簡単なおさらい程度にしか見えなかったんだけど、ブコメを見るとそうではない。
神は細部に宿るとは言ったものだが、しかしその細部が理解されなければただのオナニーである。
そして、それは企業が提供する作品としては「無駄な」ものとなってしまうだろう。もちろん、作品としては素晴らしいが。
工業製品として、そういった細部へのコダワリはいつ不要なものと切り捨てられても不思議ではない。
どうしてお前らゲーム買ってるくせにBGMを聴きこまないの?スシのバランみたいなものだと思ってるわけ?
聴き込めばわかるよね?バカじゃないんだから。オープンエアーだからってBGMが空気みたい、主役にならなくてしっかり仕事やってるじゃないかってか、クソが。
そのくせサントラは買いたがるよね。ほんとわけわかんない。
できればいつ何者とするのかをオープンにして欲しいけど、金とか自分の裁量で男買うくらいは何とも。
風俗に限らず自分で素人引っ掛けるなり、いろいろ楽しんでくれて構わない。
たった今の出来事です。
千代田区の某駅前の某書店にて、小学生がむさぼるようにエロ本読んでました。
エロ本かよって言われるかもしれませんが、あのへんのグラビアとかセミヌードはあのくらいの年頃の少年には充分エロ本と言っていいでしょう。
子どもに性的な興味があることは否めません。私も何かの拍子で目にしたグラビアやエロ漫画をドキドキして読んだ覚えがあります。
性的な関心を持つことは、生物なら真っ当な発達でしょう。健全です。
痴漢を含む性暴力やセクハラは、境界線を一方的に犯すということなのです。
さて、本屋でエロ本を手当たり次第読んでいた少年。性がプライバシーであることも他者との境界線の概念も知らずに生きてますから、平気でエロをむさぼります。商品というのに手荒に扱うあたり、本能が抑制できてませんね。
ぶっちゃけ、子どもの手の届くところにそんな本置くんじゃねーよ、というのが結論です。
コンビニにも、新聞広告にも、電車の中吊りにも、ソフトなエロは溢れてます。
私たち大人にとっては大したことないグラビアも、子どもにとってはスゲー刺激なわけです。
本能のまま、他者の目も聞かせず、他者の持ち物を汚して性に耽ってるんです。
少年の性衝動をどうすれば良いのか、正直わかりません。もしあれが自分の子どもだったら、どう躾ればよいのだろう。
そもそも悪気あるわけではないしね。
私は性的興味や関心を否定しているのではありません。できればゾーニングして欲しいと思います。
物理的に目の届かない高さに陳列するとか。
今そこでやり合っても結局は誰も得しないよ。
倒閣するとか、しないとか、そういう話しは後回しで良いと思ってる。
今、大事なのは諸々の話しを、まるっと残らず全部オープンにして
一刻も早くアカン箇所をツブして行く事だと思う。
ありとあらゆるインチキやごまかしを白日の下に晒すべきだと思っている。
結果として野党からアカン奴が出て来るんなら、そいつにも責任取らせようよ。
なんか利害関係あるヤツいるの?少なくともそんなヤツは増田にいないだろ?
スポーツ観戦じゃないんだからさ。子供染みた騒ぎはちょっと我慢しときなさいよ。
たったそんだけのコトが望みであって、何党の誰がどうなろうが、
そんなのイチ主権者としては、知った事では無いんだよ。
東京藝術大学の学生生活は本当に病むから気をつけた方がいいを読んで思うところがあったので書きます。
百数十万人の同い年に生まれた子供のうち、3000人くらいしか入れない大学です。
そこに入るには、日本でトップクラスの学力を要するといわれています。
芸術よりも、お勉強の道を選ぶ人は多いので、まあ、入学するには最難関の大学の一つですね。
東大に入ると、せっかく東大に入ったのに自信がなくなるのは、当たり前です。
なんせ、駿台模試とか東大オープンとかで、自分の点数(440点満点で220点くらい)から見ると理解困難な点数(330点とか)を取っていた秀才がリアルに目の前にいるのです。
人の学力をけなすような低劣な人格だったらまだ溜飲が下がるってもんですが、そういうのに限っていいやつなんだな。
そういう秀才を目の前にして、ひがんで屈折してしまう自分の、人格的な弱さと、その根底にある学力の弱さに涙した東大一年生は何百人もいるはずです。
誰もそんな恥ずかしいことは口にしませんが、そうやって自分のせいで人間不信になって、大学に来れなくなったり第二外国語をさぼって放校になる駒場生は何十人もいます。
それでも、学力という、偏差値という唯一の物差しを信じて人生18年生きてきた東大生は、病むほどに勉強します。
だって進振りがあるんだもん。教養の平均点を偏差値に置き換え、平均点の優劣で人生が決まると思って勉強します。
病むほどに点数は上がります。病むほど勉強しないと、同級生の秀才たちには太刀打ちできないのです。
東北の某県で無敵を知られた秀才君も、九州で男子を蹴散らし英語無敵を謳われた彼女も、ここではただの一東大生。
そんなレベルは、男女御三家(武蔵を除く)やツッコマには掃いて捨てるほどいるのです。
田舎から出てきた東大生は、東京というものに強い憧れを抱いていたんですね。
クリームがいっぱいに乗ったパンケーキ、お洒落なブティックとかドラマで見る東京の恋愛に、ただ漠然といいなぁ素敵だなぁと胸にトキメキを馳せておりました。
実験し大教室に通う毎日と、倒しても倒しても出てくる自分より賢い同級生の前にひれ伏す毎日を過ごします。
東京という街は、そういうところなんですよね。
実際、東京大学に対しても大きな憧れを抱いていました。その理由はやはり「日本トップの国立大学だから」というのがあったと思います
そういう理由で大学にきてしまったので、憧れの理想と現実の差に心を痛めました。
日本トップの授業があるわけでは無いし、合格したからと言って自分の学力が日本のトップになるわけでは無かったからです。
大切なのは、自分が将来何になりたいかであって、東大は通過点でしかないということを身にしみて感じています。
この年になるといろいろなものを見てきました。
キラキラしていた秀才が、国家公務員試験を上位で合格し、某省で組織防衛に身も心もさいなまれ、書類の書き換えの何が悪いと言い放つ姿も。
誰もがかなわないと思った研究者が、研究に疲れ果てたタイミングで引っ掛かった男に身も心も搾取され、売春でその彼に貢ぐようになってしまった姿も。
勉強ができたから、当然のように理学部物理学科に進学しあるいは司法試験に受かったのに、それらの職が本来求める対人調整能力がなかったがゆえに、人生で唯一得意な受験勉強で食ってくために予備校講師になった姿も。
18歳の時に知り合ったキラキラした秀才が、そういう風にして、堕ちていく姿をたくさん見てきた。
きっと彼らも、キラキラして見えたけど、東大にいた四年間に何か病むことがあって、そうして社会に出たときに、単に幸せを追求することができなくて、不幸せになっていったんだと思う。
上には上がいる。
そして、一つの物差しで「上」を計ろうと思うと、全体として自分が如何にあれば幸せになれたのかということが分からなくなってしまうのだと思う。
勉強が出来過ぎたがゆえに、勉強の物差しで人生は幸せになれると思い込まされる。
そして、自分より勉強ができる数多の秀才に出会ったが故に、もっと上に行きたくて勉強して、結果、勉強への過剰適応で世の中に適応できない若者を量産する。
それが東大。
高校数学ができるかできないかは訓練の問題、つまりいくら練習を積むかの問題だと思っている。
訓練というのは問題を解くトレーニングを想定していて、それは例えば次のような感じ。
教科書レベルの問題から初めて、慣れてきたらチャートみたいな少し難しめの参考書を解いていく。
チャートレベルだと大体は初見では解けないからちょっと考えて分からなければ模範解答を読む。
1つの単元をある程度解いたら一度戻って2週目に入る。2回めからは出来るだけ模範解答を見ないで頑張る。
それでもわからなければ模範解答を見る。これを3,4週やる。
これで大体できるようになる気がする。取り立てて特徴のない方法だし、結構な人が無意識のうちに行っている方法だと思うが、
高校時代に周りでこれぐらいの量をちゃんとやった人は程度の差はあるが皆成績上位だった。
自分より数学ができる人たちの存在に打ちのめされたようだが、何に対して打ちのめされたかが気になる。
それが「テストの成績の差を見て」なのか「そのような人たちの頭の回転の速さ、思考の深さに生で触れて」なのか。
推測になってしまうが恐らく前者なんじゃないのかと思う。塾で生徒が前に出て発表とかはあまり無さそうなので。
ここからは仮定の話になってしまうが元増田が前者に打ちのめされたものだとして話を進める。
授業中寝てばかりいる奴が自分より良い点数をとっているのをみて絶望するのは分かる。
実際そいつは賢いのだろう。しかしそういうやつも全く勉強せずに解けるわけでは無い。
高校数学の内容は数学的にはものすごく古い内容ばかりだが、それでもそこらの秀才が独力で思いつけるような代物ではない。
高校生が2次方程式の解の公式や、三角関数の加法定理を思いつくのはまず無理だ。
要はそういう奴もきっちり勉強はしている。もちろん人よりよっぽど少ない労力で深い理解をしているのだろうが。
ただ実のところ、そのような良くできる奴の存在は大した問題ではない。
高校で学ぶ数学の範囲には明確な制限があり、理解の程度は筆記試験で測られる(最近はそうでない場合も増えてきたが)。
そのテストをある程度解けるようになればいいのであって、すごくできる奴より良い点数をとることは必ずしも要らない。
そしてある程度解けるようになるには訓練を積めばいい。
また筆記試験は満点という天井があるから凄いできる奴と差がつくにしても限界があって凡人には有利だ。
色々書いたが、進路選択がもう終わっているのなら言っても仕方のないことだな。
俺は学部から京大にいて数学の研究をしている大学院生だが、京大に来て本当に良かったと思っている。
最近は自由の学風にも陰りが見えるけれど、研究環境は本当に充実している。
今の試験がどうなっているかはあまり知らないし、高2にはまだ早いかもしれないけど
京大の過去問を解いてみたり京大オープンとかの模試を受けてみるといいと思う。
最初から無理だと決めつけて見もしない人が多いけど京大の問題は案外解ける。
高校にいるときは分かりにくいが、高校なんて卒業したら次の日からもうほぼ無縁の通過点。
大学受験のシステムは単純なんだから自分がどうしたいかで選択したらいい。
もう心が決まっているのなら無視してくれ。
酒は百薬の長!
そしてパワースポット巡りをしたいなと思いながら書いてる
イェーイ!!!
元気だけは空回り!
冒頭だけはサンシャイン感出していくわっ!
サンシャインさんと言えば
そんなことより、
今緊急地震速報的な自信の通知が来て
これ映画館でなったらほんと嫌よね
訓練とは言え、
まあ仕方ないかしら。
未然に分かってたら訓練じゃないし
だから携帯の電源切っとけっつったでしょ!って喧嘩になっちゃうわ。
イェーイ!!!って感じよ。
今日は元気いっぱいそれだけで乗り切りましょう!
サンドイッチの挟まないやつはサンドせずイッチと言うと思いきや、
知らなかったわ。
ピーマンの肉詰めって言うより、
ピーマンに肉詰めって感じよね。
正にその通り!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
元増田に書かれてない点をいくつか
・作者ページに単行本販売や作者ツイッターアカ等のリンクがあるのが良い!
・サイトのデザインが小綺麗で清潔感があってスッキリしてて良い!アダルト関連でありがちなゴチャゴチャで下品な感じはない
・ブラウザのURLバーとかを隠すための全画面モード等の気の利く機能や実装が良い!
・モザイクが濃い!せっかくのインターネット書籍でその上出版社自家製なんだからもう少し薄くて良いんじゃないの?
・未読既読周りが閲覧履歴だけしかない。雑誌ベースなんだから前回抜いたところから未読を消化したいのに前回どこまで読んだか分からなくなる
・雑誌がメインなのに雑誌一覧ページにアクセスし辛いし使い辛い
・このサービスだけで色んな主要雑誌とか読めるのは良いけど囲い込みとか大丈夫?
・電子単行本をここで買いたい。 DRMフリーpdfダウンロード権とkomifloリーダー閲覧権を一つのセットとして買えたら最高
・未読既読関連の充実化
・(将来的な話になるだろうが)OSSのような形かなんらかの形でオープンにして他のアダルト漫画雑誌や一般漫画雑誌も参画できるようにしてほしい
私はそれなりに生理が重い。
比較したことがないから分からないが、大体2回に1回のペースで重たい生理痛がくる。
2日目は大抵地獄だ。
あ、生理痛きた、と最初は優しめで少し辛いかな、まぁ我慢できるかな、くらい。
下腹部がズキズキ痛い。便秘なのか生理痛なのか頭の中が混乱してくる。ひたすらお腹が痛い、腰が重い、もう辛い、とりあえず横になりたいしか考えられなくなる。
それがまだ室内で座っていられる状況ならまだいい。
外出中で座れる場所のないところなら、もう、足は震え始め、フラフラし、精神的にもやられる。
座れない、横になれない、でもお腹は痛い。早く薬飲みたい。
これらは鎮痛剤で大体よくなる。
薬を飲んで1時間ほどすれば、笑って話せるくらいには回復する。それでも薬を飲むことで、頭はぼうっとし、体の動きが鈍くなる。
生理痛がなくても、何かが出ている感覚を常に感じるのだ。あ、今個体が出たとか、うわっなんか止まらないとか、ひたすら気持ち悪い。自分の意思に関係なく経血は出ていくからだ。
ただドロドロ漏れていくだけならまだマシだが、次はパンツに漏れてないか、スカート、ズボンにまで達してないか、そういった心配もしていなくてはいけない。
中にはタンポンをすればいい、という人もいる。
高校の時にプールの授業があった。もともと水泳は苦手だったが、たまたま生理と被らず、それなりに快適にプールに入れていた。それでも一度生理と被ってしまった。サボりをなくすために、私の学校では一度プールの授業を休むたびに補講と称して昼休みか放課後に25m×4を泳ぐことになっていた。
私は、わざわざ水泳のない日に水着を持っていくめんどくささや昼休みに入るとなると慌ただしくなることは目に見えていること、放課後に補講となると部活に出られなくなること、それらを考えてタンポンをつけて入ることにした。
初めてタンポンをつけることになって、まぁ簡単に入るだろうと思っていた。それでも、自分で膣の中に異物を入れる感覚やタンポンの容器と自分の指が真っ赤に染まるのをこの目で見なくてはいけないこと、本当に入ってるのかよくわからないし、変なものが入ってて何となく気持ち悪いなど、不快と不安でいっぱいだった。説明書には長時間入れてるとショックで死ぬこともある(詳しいことは覚えていない。検索もしたくない。)と書かれていて、焦りも生まれた。正しく使わないといけない、と無駄に緊張した。それから4本ほど無駄にして捨てたのも覚えている。なかなか入れられない自分に苛立ち涙も出てきた。
最初は慣れないとか、うまく入ったら違和感はないなど説明書には書いてあったが、私のことは私にしかわからない。誰がこれは違和感がない状態だとか判断してくれるのか。どうしてこんな思いまでして泳ぎたくもないプールに入らなくてはいけないのかと本当に辛かった。
プールに入って、試験を受けて、そのあとは自由時間になった。タンポンに気を取られていた私は先生に言って、自由時間の時点で着替え始めた。今日生理でこれ以上プールに入っていたくない、とか何とか言った覚えがある。
早く抜きたいと思って、トイレで抜こうとした。思ったより吸ってしまっていて、スムーズに出てこない。まぁどう出てくるのが正解なのか知らないが。
このまま紐が抜けずに中に残ってしまったら死ぬのかとか思いながら、きつめに引っ張るとずるっと出てきた。その感覚が気持ち悪くて気持ち悪くて忘れられない。自分の経血で真っ赤になったものが出てくるのだ。抜けた安心感と気持ち悪さで、あまり清潔感のないタイル張りのプールの更衣室のトイレで1人で泣いた。
この文章を書いている今も、その時の辛さや気持ち悪さを思い出して涙が止まらない。
もちろんタンポンを有効に使えている人が多くいるのは分かっているが、私にとってはどうしても無理なのだ。私があれは無理だと言ってるのだから、それ以下も以上もない。私のことは私にしか分からないのだから黙ってろとしか言えない。
使いたくないものは使いたくない。
話がずれたが、生理の時に辛いことはまだある。ゆっくり眠れないことだ。
寝るときは夜用で大きめのナプキンをつける。それでもオムツを履くわけではないから、寝返りをしたら当然漏れる可能性は上がる。うつ伏せになんて寝てしまった日は終わりだ。パンツの前側が真っ赤になってることは請け合いだ。
生理の日、特に2日目は仰向けになって、不安な日はバスタオルをひいて、寝返り打ちませんように。シーツ汚しませんように。と思いながら寝る。
これが大体28日おきにくる。
5日くらい続く。
終わったと思えばまた28日後にこの辛い日々がやってくる。
結局何が言いたいかと言うと、もっと生理に対して寛容になってくれ、ということだ。自分の知らない痛みに対して親身になれとは言わない。私も私よりも重い症状の人の気持ちはわからない。
それでも、少しだけ自分に置き換えて考えてみてほしい。
大体1ヶ月に1回、目がくらみ、足が震えるほどの腹痛に襲われる。トイレに行って治るものじゃなく、薬を飲まなければならない。その薬を飲むと体が重くなって思うように動かない。
常にどろどろ何か出ている感覚があり、寝るときですら心休まらない。
生理の重い女性が会社休んだり、学校休んだり、デートをキャンセルしたり、遊びに行くのを朝になってドタキャンしたりすることに対して何も言わないでほしい。
生理を言い訳にするなとか、ピル飲んでずらせとか言わないでほしい。
とりあえずもっとオープンに休みたい。言いふらしたいとかじゃなくて、もっとみんなに理解してほしい。触れちゃいけないことじゃない。男は知らなくていいことじゃない。本当に生理だから休むって言うことは恥ずかしいこと?はしたないこと?こんなに辛くて不安なのに?
まず職位名だが本国と出先では同じ職位名でも実際の機能は結構違う。これは出先機関は基本的に本国の指示を実行することがまず求められるのと、大抵は営業拠点であるので売上・利益というゴールが最大の関心事になるためと思われる。
Assistant - 契約社員 / Associate - 新入りレベル / Senior - 新入りレベルではない人、または、何年かはいる人 / Lead - 現場リーダー / Manager - とりまとめ担当者、または係長〜課長 / Director - 課長〜部長 / Vice President - 部長〜本部長 / Executive Vice President - 本部長〜執行役員 / Senior Executive Vice President - 取締役(CXO) / President - 社長(CEO)
Specialist - 担当者。専門家という意味は特に含まない / Architect - 作業担当者。設計という意味は特に含まない / Engineer - 作業担当者。開発という意味は特に含まない
Sales - 営業段階で動く人 / Services - 利用段階で動く人 / Engineering - 開発段階で動く人
なので、たとえばService Architectは「サービス設計をする人」ではなく「導入支援担当者」で、Engineering Architectは「開発物の設計をするアーキテクト」となる。
面倒なのがManagerで、一般名詞として使うときは「管理者」だが、Product ManagerなどXXX Managerと使うときは管理者ではなく「XXXまわりのとりまとめ担当者」といった意味の役職になる。
これらは一例で、会社によってどういう修飾語を付けるかは結構違う。ただ言えるのは、日本の会社に比べてインフレした名前をつけるというか、実際の役務以上にカッコイイ響きにしている感がある。「Senior Architect」とか言われたらおおっと思ってしまうが、「新入りではない作業担当者」と読み替えたら普通である。
意思決定については、VP-Director-Managerのラインでは、VPが意思決定を行い、Directorは部門間調整を行いながらManagerを支援し、Managerがスタッフ管理をする形になる。日本でも同じではと思うかもしれないが、中央集権度が違う。
Managerが一番現場と上層部の意思決定の板ばさみとなっているのは洋の東西を問わないようで、しかも中央集権度が高いため中間では判断できずメールの転送リレーになってしまうこともしばしば。実務上の判断よりも、メッセージのルーティングが最大の機能になる。これを「オープンな組織とコミュニケーションスタイル」と呼ぶのか「ヒラメ族による調整」というのかは地域によって違うようだ。
このあたりは本国か出先機関かがおそらく影響しており、叩き上げが多かったりコミュニケーション密度が高くなる本国内であればManagerへも権限委譲しやすいが、人の出入りが激しい出先機関では難しいと思われる。
また、これは組織構造に加えて組織の大きさが影響していると思われるが、数値での目標管理がしっかりしている。全く異なる地域・文化の社員を管理・比較しなくてはならないので、個別状況を勘案することは基本的に無理。したがって数量換算できる指標で管理するのが原則となる。これは成果主義ではなく、数値主義と言える。例えばSalesであれば獲得顧客数・売上・利益、Serviceであれば売上稼働時間といった指標になる。
再び本国と出先機関の違いに戻ると、出先機関は基本的に在籍年数が少ない。いわゆる日本での典型的な外資系イメージがこれであろう。これは出先機関はとにかく売上・利益を本国にもたらすことが最優先なのが理由と見ている。先の数値管理に加えて現場での自由度の低さもあり、プレッシャーの大きさだけでなくストレスレベルも高い。
そしてそんな短期間で回転してゆく社員を個別の非数値的状況を勘案しつつ管理することは難しいので、数値管理がますますなされてゆくという傾向がある。ここはかつて流行った数値的経営管理の影響も大きそうである。KPIをどんどん定義して、その数値によって判断するのが論理的に正しい、という傾向がある。
一応、数値だけではまずいということで、それを補うために数値外の評価制度がある。しかしこれも360度評価が主流となり上長が指揮下のスタッフを自らの責任で評価するものではなくなっているため、全員がある意味「世間による評価」を意識する必要があり、これはこれで大変である。日本の「空気」みたいなものだが、結局管理せずに管理したいと処理を分散していくと同じ様なものになるのが面白い。
そんな状況のため出先機関では常時人が不足している。しかし育成機能はなく、本国要求は現地状況と関係なくどんどん出てくる。そうなると短期間でやめるにしても給与レベルは高いですよ、という形にして集めざるを得ない。備兵みたいなものである。しかしそうなると会社としても元は取らなくてはいけないので目標管理が更に厳しくなる。
この構造では商売が軟調になると、社員はストレスばかり大きくなるので一気に離散する。また、社員としても元々長年居られると思っていないので、軟調以前に他社のでもより強い商材が登場すればそれに乗って転職してしまう。こうして転職が激しい構造が生まれ、維持される。
企業の興亡が激しいのもこういう人的資本の急激な集散が要因になっていると思うが、こういうダイナミックな状況で法人が滅ぶのはいいとしても個人は死ぬわけにはいかないので大変である。この構造を「状況に適応し迅速に新しいバランスに至るよい仕組み」とみなすか「過敏に状況を揺らし個人や社会を不安定化させる仕組み」とみなすか、難しいところだ。「経済効率の追求が世界人類を総体ではより豊かにした」vs「経済効率の追求が個人の生活を破壊した」みたいな話。
何が言いたいわけでもないが、結局どの組織も置かれた状況に適応しているだけで、どちらがいいというものでもない。地の利と時の運に恵まれ業績のいい企業・産業・地域では余裕があるため、その余裕が反映して「理想的なワークスタイル例」としてもてはやされるが、それが自社・自分に適しているかは全然別の話になる。