はてなキーワード: うつ状態とは
この記事を書くキッカケになったのは、こちらの方が書かれた記事を読んでから。
http://anond.hatelabo.jp/20130517213002
そしてこの記事を書いた目的は、自分がアフィリエイトに携わった約10年間の軌跡を記すことと、
読みづらい文章ですが、興味があれば読んでみてください。
私がアフィリエイトに出会ったのは今から約11年前、当時はブログやSNSなんて媒体はメジャーではなく
個人が情報発信するには、ホームページ作成と呼ばれる特殊な技術を持った一部の人間だけが、それを
許されていた時代です。
当時の私は、どこにでもいる中小零細企業の正社員で、Webの知識など皆無、当然
ホームページを作成する技術や知識すら持ち合わせていませんでした。
しかしそのアフィリエイトの存在を知ってから約1年後、当時勤めていた会社の部長と折り合いが悪くなってから
「こんな会社やめて、もっと大きく成功してやる!」そんな漠然と、フワッとした
野心、野望、甘え、現実逃避を当時25歳位の私は抱いていました。
そしてその当時、常に私の心の奥底にあったのが、アフィリエイトの存在でした。
たいした資本を必要とせず、個人で月収50万、実力次第では月収100万も夢ではない。
「ひょっとしたら、俺にも出来るかも。」
「もし俺にも出来たら、俺の人生は大きく変わって、ビッグに成功できるかも!」
そんな甘ったるい思考を持っていた事を今でも覚えています。
部長との折り合いが悪くなって、すぐ私は当時勤めていた会社を退職し、
派遣社員として、工場勤務の職を得て新しいスタートを切ることになります。
もちろん、その工場の仕事がしたかったから働き始めた訳でなく、
アフィリエイトで稼ぎ独立して成功していく為の、とりあえずの日銭稼ぎの仕事と
割り切って仕事をしていました。
当然、当時はアフィリエイト報酬は月に1000円も稼げていませんが、とにかく勉強し、
ホームページビルダーと呼ばれるソフトを使い、何とかサイトを完成させるまでの
スキルを身につけることができました。
しかし、そのスキルとアフィリエイトで稼ぐスキルはまるで別物。
サイトを作り上げるスキルは日々上達しても、ASP(アフィリエイト・サービス・プロバイダ)の
それでも、絶対にアフィリエイトで生計を立てる。
絶対にこれで人生を変えてやる!
そんな、狂った思考を持ち続け突っ走っていました。
当時まだ26歳だったと思います。
昼間は工場で働きながら、そして空いた時間はすべてアフィリエイトで金を
稼ぐ為だけに注ぎました。
そして今でこそ分かるのですが、私は当時働いていた職場での人間関係を積極的に築こうと
しませんでした。
なぜなら、私の心のどこかで、この仕事はそのうち辞める仕事、俺はお前達とは違う。
そういった思考を持ち続けていたので、私は意識的に人との関係を避けるようになったのだ思います。
もし仮にココでアフィリエイトに挫折していたら、まだ人生の選択肢は多く残されていたのですが、
不幸にもアフィリエイト報酬が右肩上がりになってしまいました。
厳密に言うとアフィリエイトではなく、アドセンス報酬だったのですが、月に30万以上を
稼ぐ月が続いてしまいました。
私の交友関係が狭まるのと比例して、今まで稼いだことのないようなカネを稼げるようになりました。
当時28~29歳位の話です。
アドセンスで稼ぎ続ける日々はそう長くはありませんでした。
当時のアドセンスは、クリックさせさえすれば、ある程度の報酬が見込めましたが、
それが通用しなくなったのです。
アドセンス報酬はガタ落ち、アフィリエイト報酬もほとんどありませんでした。
当時、私は個人事業主としてアパートの一室でアフィリエイト事業をしていたのですが、
アドセンス報酬に頼って生計を立てていたので、報酬が減ることはイコール、死を意味します。
「何とかしないと。どうにかしないと。」
心は不安と焦りで一杯でした。
ココで真剣に自分の人生を考えればよかったのに、やはり私の当時の思考は偏っていたので、アルバイトを再開し
その金と少ないアドセンス報酬で生計をたて、今度はアフィリエイト報酬目的でサイトを作り続けていました。
もう気付かなければいけないのに。
しかし当時の私はまだそこまで考えられない短絡的で無計画な男でした。
そして何とかして、この業界で生きていく。
それが、俺の道。
まともに、働いて微々たる金を稼ぐなんて、俺には出来ない。俺には無理。
そんな人生まっぴら御免。
こういった思考を持ち続けていたのです。
当時私が30歳位の話です。
アルバイトをしながら、アフィリエイトで何とか生計を立てる日々は続きます。
しかし、状況は好転し、ネット上ではPPC広告を使いアフィリエイト報酬を得る手法が流行り、
広告費30万突込みアフィリエイト報酬60万~70万程、月に稼ぐことに成功します。
驚くほど稼げる。簡単に稼げる。
凄すぎる世界でした。
日に5万以上のアフィリエイト報酬を得るのも珍しくなく、私は有頂天になりました。
昼間は好きな所へドライブに出かけ、好きな所へ旅行へ行き、日々の生活が怠惰になっていました。
朝は起きたい時に起き、仕事!?(アフィリエイト)は気が向いた時にやり、寝たい時に寝る。
嫌なことは一切しない。
煩わしい人間関係とは無縁。身の丈以上の金を稼いで自由に生きていました。
きっと私の心は気づいていたのだと思います。
足がしっかり地についていないことを。
しかし、私の思考はそれを否定する。
そんな事はない。
コレが俺の道。コレがコレが......。
当時私は31歳~32歳だったと思います。
私は主にサイトアフィリエイトに力を注ぎ、安定して50万~80万程度の報酬を
稼ぐことに成功していました。
金を稼げているうちは、まだ心は安定しているのですが、やはり常に不安があり、
次へのステップ(商売)を考えていたのですが、一歩が踏み出せない。
なぜなら、私にそういったアドバイスをしてくれる同僚、友人、先輩もいませんでしたし、
どこか、何となく金を稼いできた。
そんな自分に自信が持てなかったのかもしれません。
例えば大工の見習いが地道に頑張り、一人前になり工務店を構える、
そういった背景が私にはなかったのだと思います。
ただ何となく、感覚的にアフィリエイトに取り組み、そして金を稼いでいたのだと思います。
成功する為に金を稼ぐ。
私の成功は金を稼ぐこと?
なぜその仕事をして金を稼ぐのか?
もちろんココまで全て自分が撒いた種ですので誰にも文句は言えません。
ただただ自分の考えの甘さに恥ずかしいだけです。
そして2012年グーグルのアップデートが入り、全ては転落へと向かいます。
当時私が35歳の話です。
アフィリエイト報酬は急降下、何とかしなければ、何かしなければ。。。。
もう関わりたくない。二度とこんなモノに自分の人生を預けたくない。
そんな強い想いがあります。
厳しいとは分かっているが、就職し自分の人生を再起動させるしかない。
分かっています。どの選択肢を選んでも厳しい。死ぬほど厳しい。
でもココでもう一度頑張らないと、私には未来はない。
そしてWeb系(デザイナー、CSSやHTMLコーディング)の仕事に応募。
イラストレーターやフォトショップ、プログラムなどが組める訳ではありません。
もちろん、簡単なホームページは作れますが、私自身が自分をWebデザイナーではないことを自覚しています。
しかし、とにかく何かしなければ。
職を転々としていると指摘され、一つ一つ、退職理由を突っ込まれる。
みな若い....。
今まで煩わしい人間関係を嫌がっていた自分が、一から自分の居場所を築くことが
面接官が一通り施設を案内してくれた後、優しく私にこう言いました。
「現時点であなたを正社員として雇うのは厳しい。ただ、うちにはキャリアアップ制度が
あるから、アルバイトとして2年もしくは3年働いてもらい、あなたがうちに貢献できる人材なら、
正社員の道もあるよ。でもだからと言って、かならず正社員として雇用するとは断言できない。」と。
そして、もう一つ見せ付けられた事実。
思考や外見、その他色々なことが堅くなって柔軟性が無くなって来ていること。
心療内科にいくと、うつの症状が出ていますね。と言われ薬を処方される。
しかし、悪いことばかりではありません。
アフィリエイト報酬が0円になったかと言うと、そうではなく、まだ月に7万~10万程度は
見込めるということ。(二度とこの報酬に頼る生き方はしませんが)
もう一つ、過去の職場で取得した工場系や運送系で使える資格を保有していること。
焦ってはいけない。でも急がなければいけない。
自分をしっかり見つめ直し、どうのように今後生きていくか、どの業界でプロになるのか、
それを考えて考えて考え抜いて答えを出そうと思います。
コレまでの約10年間、よくココまでデタラメに生きてこれたと思います。
それまでも、かなりデタラメに生きてきたので(職歴転々)、ある意味私の人生自体がギャンブルのように
なっていました。
しかし今回、自分が自信を失うという一件があり、自分を見つめ直す良いキッカケになりました。
まだ36歳で自分自身の性格、適正なども含め、言葉では言い表せない色々な事に気付けて良かったと思っています。
そして何より、前向きに地道に頑張っていく決意が出来ました。
大切なことは、自分が何をしたいのか。もしくは、どんな風に生きたいのか。
何なら出来るのか。何なら社会に貢献できるのか。
そしてその道でプロを目指すということ。
"金を稼ぐと言うことは、その道のプロになると言うことだ。"
以上。
通りがかりの医療職です。
うつ病と診断がつくかまではわからないけど、うつ状態ではありそうですね。無理は禁物です。
まぁ相談しなくてもいいのですが、その方が親切ではありますね。
上司が何も知らなかったとなると、その上司が後々周囲から責められる可能性も否定できません。
それから、上司が今の状態を知れば、普通の上司ならもしかしたら休職かも…?くらい考えるはず。
いきなり診断書を突きつけるより、やはり親切ではあります。
ただ、気力をつかうので、診断書をもらう前に相談するという行程をはさむのが辛ければ、なくても大丈夫です。
病院に行きましょう。
家からあまり遠くなく、HPがあって、院長の学歴くらいは書いてあるところだと外れが少ないかも。
大学病院は、個人病院より外れが少ないと思いますが待たされます。
診察では、経過、症状を伝えた上で、仕事を休みたいと言いましょう。
主治医は患者の味方なので、そう言えば、大抵は診断書に「自宅療養が必要」とかって書いてくれます。
あとは診断書が上司から総務へ届き、ぽんぽんとスムーズに療養に入れるはずです。
ちゃんとした会社で健康保険組合に入っていれば、仕事を休んでいる間も基本給の6〜7割はもらえるはずです。
たぶん、あなたから聞かなくても総務から説明があるとは思いますが…。
お大事にしてください。
ブラック企業とは、一般的には、低賃金、長時間労働など社員に過酷な負担を強いる企業の総称をいいます。
WikiPediaによると、
とか、
解釈によっては、どんな企業もブラック企業に当てはめる事ができてしまうかもしれません。
また、「ブラック企業はブラック消費者が作り出した」という、いかにも企業側に責任が無いような意見もあります。
しかし、英語圏では、スウェットショップ(Sweatshop)と呼ばれている他、中国語圏では血汗向上とも呼ばれており、ブラック企業問題を抱えているのは日本だけではありません。
社会問題にもかかわらず、なかなか問題の本質が見えてこないのは、この「定義の曖昧さ」にあるのではないでしょうか?
最近では、企業側が「ブラック企業」の記事を書いた記者を訴えるなど、本当に混沌とした状況です。
バブル崩壊の時期には、「リストラ」の名の元に、数々の非人道的な人員整理が行われ、社会問題になりました。
山一證券倒産の際には、高額所得者への色々な形の「いじめ」が行われたそうです。(幹部を配置換えと称して新入社員の下に配するなど)
住専(住宅金融専門会社)の倒産の際には、営業成績の高かったある個人をスケープゴートとして、社員全員で「ゴキブリ」などと言わせて、いじめぬいていたそうです。
また、人員整理に留まらず、企業同士のいじめとして、「拓殖銀行倒産」のきっかけとなった、コール市場での「総スカン」なんていうのもありました。
金融機関の中小企業に対して行われた「貸しはがし」が社会問題になりました
最近の長く続いているデフレでは、裁判も頻繁に行われたサービス残業問題。
また、昔から定番の、短時間労働、高収入がうたい文句の求人(これは分かりやすいので、気を付ければ引っかからずにすみます)
「規制緩和」の名のもと、非正規雇用形態が広がり、社員や企業同士の「悪徳」が日常化していると考える事ができそうです。
日本は法治国家です。国民は「法」に守られていますので、企業側は安易に「不正」行為をはたらくことはできません。
そこで、「法」に触れないギリギリの線で、個人なり相手企業を攻めてくるわけです。
これが、いうなれば企業の悪徳行為は「いじめ」と言えるのではないでしょうか?
ただ、「いじめ」と聞くと、「いじめられる方にも責任がある」と感じてしまいます。
これは、「いじめ」から子供のイジメを想像してしまうからだと思います。
企業の行うイジメは全く異なります。背景には利害が絡んでおり、明確な目的があるのです。
戦略も伴います。場合によっては興信所や暴力団を使うなど、お金が動きます。
「暴力」と聞くと相手を、叩いたり蹴ったりなど、物理的に力を加える事を想像しがちですが、精神的に相手を追い詰める事だって立派な暴力です。
そもそも暴力というのは、自分だけの都合により、相手を排除したり、相手の力を奪う時に、「相手に加える力」だと思います。殴ったり蹴っ飛ばしたり、暴言を吐いたりなど様々あると思います。
その「力」のうち、直接相手に加える力が、一般的に「暴力」とされていると思いますが、間接的に相手に加える力も「暴力」のはずです。
例えばリストラを考えた場合、相手が働きにくい環境を作り出して、自ら辞職に追い込む事は「暴力」です。
仕事に無関係な作文を何枚も書かせたり、ブライドを傷つけて社内での立場を奪ったり、或いは精神的にうつ状態になるまで追い込む行為、これ等全ては「暴力」なんです。
※相手を精神疾患に追い詰める行為は厳密には「傷害」(刑事罰)になりますが、立件が困難な為この手を使う企業も少なくないハズです。
「暴力」というのは、自分だけの都合で相手を排除したり、力を奪うわけですから、企業が「暴力」を乱用すれば、収益を上げる事が出来るのは、当然の事でしょう。
「暴力」というくくりで考えてみますと、直接的暴力、例えば、コンビニ強盗では、お金を払わずに商品を手に入れる事が出来ます。短期的に見れば、一番効率の良い物資の調達方法です。
間接的な暴力は多少効率が落ちますが、やっている事は同じなのです。
その企業に「暴力」があるという事は、逆に言えば、「安全、安心」が無いという事です。
「安全、安心」がトレードオフになっているのです。その結果、以下の現象が生じるハズです。
「暴力」の元では人は常に緊張状態に置かれ、落ち着くことが出来ません。
こんな環境では人は育ちません。
暴力をふるう両親の元で、ちゃんとした子供が育たないのと同じです。
当たり前ですね。
ただし、「どの人の下に付けば自分は安全なのか?」を絶えず気にして行動しますので、人の上下関係はきっちりします。
ヤクザと同じです。
社内で、地味かもしれませんが「暴力」が行われている事を目の当たりにするわけです。
そんな中では、誰も、一生懸命仕事をしようとか、難しい事を習得しようとかという発想にはなりません。
社内で出来る人がいなければ、派遣を安く使って、やらせればよいわけです。
社内では色々なノウハウも蓄積されません。
そうなると、経営陣は社員たちを追い出して社名を変えてまた会社をやり直すわけです。
技術大国と言われるほど、ものづくりが上手だったり、皆勤勉(識字率がほぼ100%)だったり、「絆」を大切にしたりなどの前提には、「安全、安心」が有ったからだと思います。
うつ病で長年治療しているけど、最近自分は双極性障害II型じゃないのかと思い始めている。
周囲に迷惑かけたりドン引きされたりするような躁転こそないけど、軽躁というのか、何かテンションが上がることが瞬間的にあるから。ただその期間がものすごく短いので、薬が効いていつもよりテンションが上がってるだけなのか、うつが良くなってるってことなのか、単に気分がいいだけなのか、それとも双極性の躁転なのかの見極めがつかない。
心療内科の先生にも相談した。先生には、それは違うと思うと言われたので、とりあえずうつってことで治療中だけれど。先生に会うときはいつもうつ状態だから、先生には分からない可能性もある。
家族にも、いわゆる躁エピソードは見受けられないとも言われている。ただ自分だけがそう思っているってことなのか。
でも誰も見てないところで躁転してまた鬱転してる可能性だってないこともないだろうし…とか思ってずっと不安。
そういう風に思うのは、うつがあまりに治らないから、何か違う病気なんじゃないかって考えることに救いを求めているからっていう風にも思うけど…どうなのだろう。双極性と鬱の薬は違うというし。そういう知識を得たことで、うつが治らない今の状況から目を背けたいだけなのか…?
何かもうめんどくさくなってきた。薬やめたい。
大学生のとき、友人が一人うつ状態(だと思う。病院に行っていたが診断名は知らない)になった。
元々孤立しがちなその友人と、行動班などの関係で一緒にいることが多かった私は、成り行きで彼女の話を色々と聞く役になった。
話の内容は主に自虐と周囲の苦手な人への愚痴。堂々巡りで、同じことを何度も繰り返す。思考がそのようになっていたんだろう。
まだ未熟で、うつ病についてもよく知らなかった私は、「気にしすぎ」「クヨクヨするな」というような言葉をかけて、自分が話を聞くのに飽きると適当に会話を打ち切っていた。
今にして思えば最悪の対応だが、そんなやりとりでさえ私には結構な負担で、多少の後ろめたさを感じつつも結局はその友人とは距離を取って疎遠になった。
風の便りでは、その友人も今のところそれなりに何とか暮らしているようだが、もっとましな対応をしてあげられなかったことを、私は少し悔やんでいた。
そして今、別の友人がやはり仕事の負担でうつ状態になっている。
今度はもう少し何とかしたいと思って、相手の話を否定せずに聞いたり休職を勧めたりしているが、事態は全然よくならない。
だからといって無理に職場に押し掛けて友人を連れ帰るわけにも、当然いかない。
結局、友人程度の関係でうつ状態を何とかしようと思うのが、思いあがりだったのだと今更実感している。
相手の人生を全て引き受けられる、家族くらいの関係でようやく何かできるかどうか、なんだろう。
今の友人はもう何か月も、話すと「死にたい」を口にしていて、今にも本当に死んでしまわないか気が気ではない。でも私には実効力のあることは何もできない。
あと私に残された道は、不治の病にかかった人を前にしたときのように、友人の死に備えて覚悟をしておくことだけなんだろうか。辛い。
追記
みなさん、アドバイスありがとうございます。
新型うつ病にも適応障害にも、いわゆる「躁病エピソード」は含まれないからなぁ。
ブコメでも指摘している人がいるけど、うつ病と双極性障害とでは治療方法がまったく異なる。
ものすごくザックリ言うと、うつ病の場合は気持ちを上向きにする治療、双極性障害の場合は気持ちのアップダウンの幅を抑え、気持ちを安定させていく治療。
双極性障害の人に抗うつ剤は逆効果(躁転して、その後反動で酷いうつ状態になったり)の場合があるし、双極性障害の人にうつ病の治療を行なっても良くならなかったりする。
あと双極性障害の人が自殺するのは躁状態って言ってる人もいるけど、「うつ状態が回復しはじめたとき」「躁状態が落ちついてうつになりかけたとき」が一番危ないんじゃなかったかな。
この病気にかかる人はパーソナリティ障害なども併発していることが多いので、青二才という人の特殊な性格はそこから来ているのかもしれない。あとは躁の症状としての、誇大妄想的なものかな。
女性にとって月に1度の生理痛は避けては通れないものであるが、わたしの場合それよりももっと深刻がPMSである。
生理がくる2週間前からイライラとうつ状態、腰痛や頭痛が続く。特にうつの症状があるときは他人に会いたくなくなる上に外に出るのも億劫になる。特に今年の4月からは悪い方に症状が出て、平日はほぼ引きこもっているような有様である。生理が来ても症状は良くならず、余計に症状は悪くなる一方。学校にも行けなくなった。
他人の目が怖い、電話の着信が怖い、外に出られない。学校のカウンセリングも3回ほど行ったが、学校の敷地に入ることすら体が拒否するようになってしまったのでもう行っていない。紹介された精神科の医師のことも信用できずに結局行かなかった。こうしてインターネットの世界に潜り込むことだけが唯一の心の休息になっている。
ここのところあまりに精神的に調子が悪いと感じていたので心療内科に行ってみた。
典型的な鬱症状、ということで抗うつ剤飲みましょう、という流れになった。
安全な薬ですから、というしあまりに薦められるのでじゃぁいっちょ飲んでみるか楽になるなら、と処方してもらった。
そんなにうつ状態であるという自覚はないのだが、とりあえず休みの日の朝に一錠飲んでみた。
サインバルタ、という薬はSNRIというやつで副作用も殆ど無い、と言っていたんだけど昼ごろにはひどい吐き気と眠気に見舞われてぐったり。
15時頃うとうとして目が覚めると、吐き気はおさまったけどいてもたってもいられないぐらいの強烈な不安感に見舞われて悶絶。
16時頃収まったけど、あの強烈な不安感はすごい。あれが続いたら正気を保てる自信がない。
将来の不安とか、日常の不安とか仕事や健康の不安とかが際限なく膨らんであーもうどうしよう・・・もうダメだ、という感じになる。
むしろ抗鬱剤を飲んだほうが調子が悪いのでいったん飲むのをやめた。
心に効く薬はなんだか怖い。睡眠薬はあまり抵抗がないのだけど。
抗うつ剤なしではよくならないんだろうか。運動とか筋トレとかしたらセロトニンがドバドバでて良くなったりしないのか?
休むのがいちばんだとどこ行っても言われるけど、休めるぐらいならうつ状態にならないような気もするし。
Iさんへ。
君には本当によく助けてもらいました。ありがとう。
少し元気ないまのうちに、君にだけは僕が消える経緯を明かしておきます。
この間話した通り、僕は今、所謂うつ状態なのです。所謂「大うつ病」というやつです。
休職することになりましたが、仕事そのものが原因ではないのです。
飲み会に誘われないという、そんなくだらない理由が引き金なのです。
当然、それは引き金でしかなく、ここ10年ほどの、いろんな鬱屈した思いが積もり積もってのことなのです。
仕事中は、あまり気を遣わせたくないし、自分の不幸自慢みたいになるのは嫌なので、これらの話はあまりしたくなかったのですが、
やっぱり一度くらいは吐き出させてください。
10年前、僕は今と同じようなうつ状態になり、半年休みました。当時の上司が原因です。
当時は周りの理解も少なく、復帰には紆余曲折あり、復帰後も周囲に仕事を認めてもらえるようになるまでとにかく頑張ったつもりです。
その後結婚し、その半年後に今度は父が脳梗塞で倒れて半身不随になり、介護を続けています。
続いて祖父が亡くなり、弁護士まで出てくるような相続を父の代わりに対応し、なんとかまとめ上げました。
そして一昨年、早産で子供が生まれ、少し障害があって、その後ミルクの逆流で低酸素脳症になり、先日亡くなりました。
そんなこんなで、自分の中では精一杯頑張ってきたつもりなのです。
いつも僕は飲み会に呼ばれませんでした。
先日の歓送迎会も、その前も、もう数年間、飲み会や遊びの場には呼ばれていません。
だから僕は、ずっとみんなに嫌われていると思っていました。
君に相談したとき、びっくりしていましたね。嫌われてなんかいないと。
君が言ったように、確かに僕は嫌われていたわけではないようです。
空気になっていたのです。
誰も声をかけていないことに気づかない。だけどその場にはいないから、いつしか遊びに行かない奴と思われ、ますます孤立感が深まっていったのです。
これだけ人数いながら、誰も気づいていないのです。僕が断ったわけではないのに、君も含めて全員、誰かが声をかけたけど僕が断ったと信じていたのです。
僕が先日の飲みで、急に泣いてしまったのはこれがショックだったのです。
本当は、君やみんなにもっといろんな悩みを打ち明けたりしたかった。
でも、避けられてると思っていた自分には無理でした。
家族のこと、仕事のこと、全部、一切吐き出すことができずにため込んできた結果、今の状態になっていったのです。
どうして君に、今こんな日記でこんなことを書いているのか。
義父母も、今の役員も、わかってくれません。
役員方は僕が以前休んだとき、辞めろと何度も迫ってきた方たちです。
確かに、その後制度も整え、同じ状態で休んでも復帰できる人たちが増えてきました。だから今は考え方も変わっているかもしれませんが、僕には大きな障害に感じます。
義父母も、僕が再度うつになったと知れば離婚を迫るでしょう。僕も妻にはこれ以上苦労かけたくありません。
ごめんなさい、何を書いているのかわからなくなってきましたね。
それと、こっちが本題かな。
介護職について2年。今年の頭に慣れた店舗から新人つぶしで有名な
基本的な介護技術などは一緒だが、箸のおき方から利用者のお迎えの仕方
などなど、前施設とはまったく違った。
慣れるまで頑張ろう、無理せずまったりやろうと思ってたが甘かった。
そこでは、少しでもお局達が望む行動をしなければ
「話を聞かない」「ちゃんと考えて行動して」
「一つの事に夢中になりすぎて他が見えない」などなど言われる毎日。
もう何をしていいか解らなくなって、恐縮してしまいミスをすれば
などなどのありがたい嫌味。
異動してから毎朝下痢が止まらず、体重が4kg減った。動悸、眩暈、憂鬱感などしょっちゅうで
帰宅しても、とにかく面倒くさい。何もやりたくない状態に。
これはまずいと思い、心療内科に行ったら「軽いうつ状態。休職を勧める」
と言われた。
仕事自体は好きだし、辞めたら前施設の利用者との縁が切れる。
何より励ましてくれる同期や、前施設の同僚達に悪いと思ってしまい
行動に移せない。
いやもう、辞めるのも続けるのも面倒くさいだけなのかもしれない。
ああ本当にどうしたら良いんだろう?
http://anond.hatelabo.jp/20130107183949
ひとり親世帯になった時の親及び末子の年齢 http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/boshi-setai06/02-b02.html
↑シングルマザーになりやすいのは割と子供が小さいときが多い。
理由はいくつかあると思う。
・産後は急激なホルモンバランスの変化があって(特に心配なことがなくても)不安な気持ちになる。
・意外と知らない、あるいはうつ状態になっていても「自分がうつだと認識できない」というママがいる。
・そういう時に旦那に気に入らない点があると、旦那が攻撃対象になる。
・子育て支援の難しさ
・母親が子供に拘束されている間、父親は仕事に拘束されているが、
苦しんでいる母親観点ではとにかく助けて欲しいのに助けてくれないので
フラストレーションが貯まる。
・以前は『里帰り出産』が多かった。
・女性の寿命が長くなったことで、出産した女性でも就業が可能になった。
昔はおばあちゃんが育児を手伝ってくれた。 今はおばあちゃんも働いている。
・という訳で現在では男性に家事育児が求められるようになった。
(この辺は既婚者女性でも30代と50代でだいぶ意識が違うと思われる)
・が、こういった社会背景の変化がアナウンスされる事はなく、「新しいブーム」みたいな形で新しいロールモデルを構築中。
社会的に受け入れられる過渡期。 もう少し社会的な変化をはっきりアナウンスした方が、必要性が理解されやすいと思うんだが。。。
あと個人的には「母親って大変だけど意義あることですよ」とか評価が足りないのかな、という感じもする。
例えば、それまで仕事で評価されて、新商品の開発だったりプレゼンだったり販売だったりで評価されてきた女性でも
オムツ換えの時には赤ちゃんギャン泣きな訳です。超ダメ出しっていうか早くダッコしろ的に泣かれる。
でも、オムツ換えせざるえない。 そういう時って凄いギャップの中で毎日を暮らさないといけない訳なんですが、
仕事での評価と同様に「乳幼児のお世話のようなアンペイドワークが評価されてるか」ってーとされてないと思うのです。
あとまぁ旦那は嫁さんの話を聞いてあげて褒めてあげたほうが良いです。 そこだけは重要なポイント。
https://twitter.com/han_org/status/90374472095371265
でも、夫婦の接触時間は夫婦関係満足度にほとんどなんの影響も与えない。
ベータ係数をみると、夫の情緒的サポートだけが他を圧倒する影響を示している。
https://twitter.com/han_org/status/90367934932856833
土曜日の朝のこと。目が覚めてさて顔を洗おうと思ったら体が動かないのだ。
そのときはただ疲れてるのかな?と思うだけで、ゆっくり寝たら良くなると思ってた。
疲れてるから寝れば良くなるという思考のもと、ちょっと寝るつもりが目覚めたら18時間もたっていた。
明日こそは家のことをやりたいと思っていたけど、案の定、次の日も体が動かなかった。
誰かに会うのが怖かった。
外に出るのが億劫だった。
月曜日になり、会社に行く準備をする時間になっても、布団から出られなかった。外が怖かった。
ただ仕事に行くのが嫌なわけじゃない。いまの仕事はとても好きで楽しい。ようやく実力が認められ始めてきた時でちょうど軌道にのってきたところ。
それなのに休んでなんかいられないよ。今日出社しなくちゃ回らない仕事がたくさんある。社内にも社外にも迷惑をかけてしまう。
それに、せっかく仕事での成果を認められ始めてきたのに期待を裏切ってしまうことで嫌われちゃうんじゃないかって怖かった。
会社に行きたい。行かなくちゃいけない。嫌われたくない。そんな思いでいっぱいだった。が、体は動かなかない。
明日こそは、と思っていたが火曜日も布団から出ることができなかった。
携帯電話を触るのが怖い。メールの通知、電話の着信が怖い。インターネットに触れるのが怖い。
Twitterからメンションの通知が来れば悪口を言われてるのだろうかと思ってしまう。
Facebookの通知も連絡も全てが怖かった。ログイン時間を見られたら責められるんじゃないかって。
家にいて道路で物音や話し声がしたら誰かが来たんだ、わたしを責め立てに来たんだって思ってしまっていた。
わたしが今、こんなふうになってしまっているのは自分が悪いんだ。何もできない自分が悪いんだ。また迷惑かけてしまった。
存在価値がない。死んだほうがいいのかなって考えては、死ぬ妄想ばかりしていたりして。
それほど精神状態はギリギリで、布団にくるまりながらずっとごめんなさいごめんなさいってつぶやいていた。
結局この一週間で大きな迷惑をかけてしまったことがとてもとても申し訳なかった。
水曜日、このままじゃダメだって思って病院にいこうと考え始める。どこにいけばいいのかな?精神科?心療内科?
手当たり次第評判のいい心療内科を探しまくって、近所の心療内科に問合せた。でも人と電話で話す勇気が出なくて結局予約できたのは夕方だった。
しかし予約時間になっても外に出ることがとても怖くてその日病院に行けなかった。ごめんなさい。そればかりつぶやく。
木曜日も外からの刺激を全てを遮断して布団にくるまっていた。苦しくて寂しくて、哀しくて、怖い。ごめんなさい。
金曜日、この状態のことを初めて友だちに打ち明ける。その友だちの助言もあってその日の夕方、病院に行く事を決めた。
一週間ぶりに外に出てみて人の視線がとても怖かったけどメガネにマスクをして帽子までかぶっていたから誰とも目を合わせないでいられる気がした。
病院はとても混雑していてちゃんと診療してくれるかとても不安でバクバク。落ち着かない様子でずっとソワソワしてたと思う。
名前が呼ばれて、病室に入り、「どうしましたか?」と聞かれてからは自分でもびっくりするほど涙が出て、支離滅裂な言葉たちを堰を切るように話した。
仕事のこと、家庭のこと、いま不安に思っていること、苦しいこと、怖いこと、辛いこと。
号泣しながら話すわたしの言葉をふんふんと聞き取ってくれる。それだけで嬉しかった。
話しながら自分でも整理できてきた。
先週は母が亡くなって3年目、4回忌だったのだ。
そこを堺に自分の中で耐えていた精神的な糸がプツリと切れた。身体がおかしくなった。
月に200〜250時間の労働。膨大なタスクは終着点の見えないものばかり。
頑張らなくちゃいけない、という責任感。家庭のいざこざも相まっていろんなもので心が潰されてしまったと。
診断結果は今すぐ休養をとりなさい、休職しなさい、ということだった。
お薬を処方してもらって、飲むと驚くほど不安がなくなりすっきりとした。お医者さんに洗いざらい話せたのも良かった。心がすっとした。
でも、休職がとてもこわい。こわい。こわい。もう復帰できないんじゃないかっておもうと、すごく怖い。
どうしたらいいんだろう。休みが必要なこともわかる、でも、働きたい。でも、また休むことがあると迷惑をかけてしまう。でも、、、
わたしはもともと明るくて悩みなんてなさそうだね、と言われるタイプの人間だった。
だから今こんなことになっている自分が信じられない。こんなの自分じゃないって受け入れられなかった。
医者に復帰できなくなるのが怖い、と伝えたら冷静な判断がとれていないから今はまず休養しなさいと言われた。
姉に相談してみたらいまは何も考えず休養しなさいと言われた。
友だちに相談してみたら環境を変えよう、あなたが活躍できる場所はそこだけじゃない。人生は長いのよ、とも言われた。
現にお薬を飲んでも外出できていないし、この一週間ロクに水も食べ物も口にしていない。。
誰かに言われたから何をする、のではなくてこのことはちゃんと自分で決断しなくてはいけないと、思う。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。人生の分かれ目かもしれない。
http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei/e/159a617cd144cb588543fe9e9311c862
医者でもないのに診断をするのはどうかと思うけれど、
彼女が俺の身近な人だったら俺はどう判断するかという話で。
この記事とその前後の記事を見て思ったんだけど、
双極性障害の俺から見て同病の可能性が強いんじゃないかなあ、と。
そう考えると彼女のとっている行動に説明が付きやすいんだよね。
なので、ここから下は彼女が双極性障害だったらというフィクションの話。
それに苦しめられて受け入れらない辛さ。
どちらが正しいなんて言い切れないもやもやした思い。
そういう自分が抱えている問題意識にばーーーーって紐付いちゃう。
導火線に火をつけたような速さで頭が回転するわけ。
公平性を保とうという考え方が芽生えてくるから批判しつつ発言の責任を全面的に受けようとする。
世の中のルールって簡単に割り切れないけど、そんなことはおかまいなし。
あらゆるルールを超越した正解を見つけようとチョロQのように壁に反射しながら暴走する。
暴走している急カーブばかりの長い道筋は走ってきた当人には手にとるように理解できるんだけど、
こんな状態で自分の主張が受け入れられるはずがない。
正常時にはそんなことを思っていました。
しかし、残念なことに今は「躁・状・態」なんです。
わかったとしても、頭の回転や観念のほとばしりを止められません。
彼女を説き伏せようなんて思っても無理です。
言っていることがおかしくても頭の働きが抜群に良くなっているので
逆に緻密な論理展開でやり込められる。
これだけの騒ぎを起こしているから、そのダメージは相当なもの。
朝から晩まで涙を流しながら自分の存在意義を否定する日々が続く。
つまり、彼女は自分のしたことに対して勝手に罰を与えるんです。
相当ひどい罪を犯したならともかくも
発言に対する怒りに駆られて何かをする必要は全くない。
この事件で怒りを覚えて彼女に憎しみを持っている人は
火を取り囲んで「もっとふかーく、もっとながーく」と祈りを捧げながら
その様子をニヤニヤしながら眺めていればいいんですよ。
せめてそう思ってなんとか胸をなでおろしましょう。
そう、双極性障害ならね!
どこかは伏せるけど有名なところね。
最近絶望感とか気落ちが半端なくて、かといって衝動的に泣きそうになるのも飽きてきてた。
少し体動かしてるとまだいいんだけどね。
もうこの先ないのかと思って絶望感がいっぱいなの。
こんな状態に自分がならないように頑張ってきたけど、もう限界とか初めて思った。
いい加減よくならないかな、これってうつ状態だよな、と思ってGoogleで「うつ 良くなる」で検索したら
今回行ったメンクリが出てきた。うは、俺とうとうこの年にしてメンクリデビュー。
待合室とか個室になってるのかと思ったけど、ふつーの待合室っぽい空間にソファーがオシャレというか、人と目が合わないように配置されていた。そうそうメンクリまでのビル内の塗装もなんか気持ちいい感じの森の絵が壁いっぱいに描かれてた。
予約して行ったから初診の患者さんには絵を描いてもらってます、って白い紙と鉛筆渡された。
ここで気づいたけど絵心ナッシン。子供の頃あんなに好きだったのに今見たら全然絵って描けないのな。
へったくそな絵を描いて受付のお姉さんに渡した。
周りの患者さん見ると、まあ気弱そうな人とかおかしな恰好した人が来てるのかと思いきや
メンクリに対して偏見があったんだろうけど、風邪で内科に行くのと微塵にも変わらない雰囲気。
ただし患者同士は目を合わせない。みたいな。
異常なまでに人当たりよさげというか、商売人のようなうさくさげな医師が座ってて
こいつがマスクしてるのにぼそぼそと話してるから何を話してるのかわからない。
メンクリの医師って位だから初対面で安心感とかあるもんなのかと思ったけど普通に考えてもそんな事なくて、
普通に淡々と状況を話して、治療方針は投薬だけじゃなくて投薬+カウンセリングにすることにした。
カウンセリングがマッサージ屋並みにたけえwwいい商売ww とか思ったのは内緒。
カウンセリングメインで治って行きたかったけど、投薬でよくなる人もいるのは知ってたのでお守り程度の薬も頂くことにした。
最初常薬出されかけたけど、常薬飲む程自分がセーブできていないつもりはなかったので
頓服の処方を希望。頓服も最初中度に強いのを出されそうになったんだけど、出来る限り弱いにして出してもらった。
とりあえず話は通じてるようでよかった。
副作用(眩暈。意識混濁)とか超怖いのでもらった薬は休みになる昨日の夜就寝前まで飲まなかったけど
昨日飲んで今朝目が覚めて世界が随分変わってた。
記録代わりに箇条書きしていく。
・ 睡眠時間が大体3時間から4時間で目が覚めてたのが8時間寝られた。テラ寝坊www
・ 朝起きた時のどうしようもない不安感とか絶望感というのが無いのが久しぶり過ぎて、これがふつうだったのとか忘れてた。
・ 朝の動きが遅いのはあまり変わらないんだけど、気持ちがいいからいつもよりも動けちゃう、ウハ。みたいな。
・ 朝食が気持ち悪くていつも野菜齧ってそれで一杯、って感じだったんだけど、今日はパンに目玉焼きにカリカリベーコンに味噌汁までつけてしまった。
・ 首の凝りというか、首を回したときの違和感があったんだけどそれが随分軽くなった。これって心理的なものだったのか。
・ 首に伴って目の周りの筋肉も元気になったみたいで、目がいつもよりも大きく開いている気がする。
・ 頭の左側が軽い。どう表現すればいいのかわからないけど血が滞ってたのが一気にそっちに流れ込んでいるというか。
・ 呼吸がしやすい。鼻の奥の方が重力で落ちてて呼吸がしづらい感じがずっとあったんだけど、昨日までの呼吸は何だったのって位
息するのが楽。
・ 物事するのが億劫だったんだけど、てきぱき動けてる。
新しい事があった時、今の状態をどこかに書き留めておこうかな、って思っていつもそのまま忘れちゃうんだけど
すくなくとも増田を開いて書き出す位にやる気が出てる。(普段はEvernoteに書くのも億劫。ひどい。)
・ とにかく頭がクリア。普段うつっぽくなる前から集中するためには少し作業して2,30分位経った後に頭の中が動いている感じがするけど、
そんなエンジン温めるような時間なしで、最初から集中状態がデフォルト。
でもいい事ばかりじゃなくて
・ 食後少ししてから眠さがぶり返してきた。⇒強めのコーヒー飲んで15分位寝たら、さっぱり収まったけど。
・ ちょっと視界が落ち着かない感じはある。。かも。
という感じ。今これ書いているので投薬後12時間。いつになったら効果がなくなるのかは不明。
結局何が言いたいかっていうと、
うつだの、気落ちしてる状態だの、そのうち良くなる、と思ってほったらかしにしてたんだけど、
薬を飲んで、たまたまその薬が体に合ったから一日でこんなに劇的によくなってる。
うつとか気づく前、億劫に感じるより前は、健康に動けてたし考えられてたし、何より楽しかったかを思い出した。
少々の疲れはしょうがないけど、本当に体が疲れてるのか心が疲れてるかのジャッジが出来てなくて、
体は元気なのに心が元気じゃなかったせいでもったいない時間の使い方しちゃってたなと。
薬に頼らない生活にしたいけど、今日の自分だけ省みてると行ってよかったなって思ってる。
また辛抱堪らなくなったら飲むけど、暫く大丈夫そう。
気分変調症と診断されました.
気分変調症ってのは,うつと同じ症状だけど軽症で,日常生活は送れるんだけど投薬が必要で,本人的にはつらい症状.抑うつ状態が2年以上続く感じです.
だから,体がしんどい,眠いんじゃなくてしんどくて朝起きられない,気分が沈みがちっていう人がいたら,体質だからって諦めずにとりあえず内科と心療内科に行くことをおすすめします.
それを前提として,私が実行している,こういう状態から脱出するために行っていることを書いてみます.
一週間ほど続けているけど,割と快調.
まず,そもそも気力が戻ってこないと何も行動できないので,薬の力を頼ってます.
1. サインバルタ 抗うつ剤です.効用についてはググってほしいけどうつ状態を治していく薬。
3. 補中益気湯 胃腸の働きをよくして、元気をつける漢方薬。
元気になるために行うこととしては
http://www.utu-naoru.com/cat141/post_31.html
を参考にしました.
箇条書きにすると,
1. 朝5時〜7時の間に起きて朝日を浴び,身支度,食事を済ませる。その後は一日中寝てても良い。
3. ものづくりをする.
元気がないと,これらをするのもすごく大変です.
なので,私は抗うつ剤に加え,元気の出る漢方,補中益気湯を出してもらいました.これは,栄養ドリンクみたいな感じで,飲むと動けるぐらいの元気が出てきます.
<朝7時に起きるためにやっていること>
次に,朝起きたいけど,私は寝付きが悪い上に睡眠が浅く,いくら寝ても一日中体がだるいです.
最後に,自分のキャパシティーを超えて仕事(私は大学院生なので研究)をすると疲れて次の日から3日ぐらいは非常に体調がわるくなるので,研究時間を極端に減らすことにしました.あと,生活リズムを整えるために早く帰る.
大学院生からは信じられないと思いますが,9時から5時の8時間です.昼食も挟みます.
博士課程なので,こんなんじゃ学位とれないんじゃないかと思われるでしょう.
この際学位がとれなくてもいいやって思ってるのですが,実は文部科学省のデータによると,大学院生が自分の(論文を書くための)研究に費やしている時間は週6日に換算すると実際8時間なんだそうです.それ以外の時間は自分の研究以外の仕事なんだそうです.雑用とか,他の人の手伝いとか,後輩の指導とか.
私は非常に恵まれていて,自分の研究さえやっていればOKなので,1日8時間やることにしました.
夜23時には寝て,7時に起きます.
これはそのまんまですけど、バナナはジュースにして飲んでます.
牛乳はたくさん飲むとお腹を壊すので,幼児用の牛乳パック買ってきてそれを飲んでます.少ないので飲みやすい.
ニンニクは,ひとかけをスライスにして,油で揚げて塩振って食べてます.
<ものづくり>
何かものを作ることはうつにはとてもいいんだそうです.達成感でドーパミンがどーのこーのだったかな.
http://www.origami-club.com/unit/polyhedron1/index.html
ここを参考に多面体を作りまくってます。
他にも手芸をしてみようかなとか,本棚作ってみようかなとか色々考えるだけで楽しいです.
9時5時の生活はできない人が多いので結構無理があるかもしれないですけど,抑うつ状態で悩んでる人は参考にしてみてください.
強制労働で馴染む以外ないからなるべくそれが普通であると思ってきたけど最近やっぱりおかしいと思う
・毎晩終電まで働いているのに残業代は月20時間までしか申請してはいけないという部内ルール
・最低でも月に二度は自主的に休日出勤
・三年間で年休を使ったのは外部研修があった1日と姉の結婚式の1日の合計2日
・定時で帰れたのは研修期間だった最初の4ヶ月、9時に帰れたのはその後の半年間、その後ずっと終電帰り
・引継ぎメールに「終わってなかったらぶっころす」とか書いてある
・冗談なのか本気なのかは分からないけど、上司がことあるごとに「死ね」と言ってくる
・自分より上は管理作業のみ、自分より下は案件作業のみ、自分は後輩担当の案件以外の案件と全ての雑用という仕事割り振り
・上司の評定のため、仕事が終わらなくて取れなかった夏休みが管理上消化したことになっている
独立系のブラック企業にはよくあることだって言われそうだけど、大手の100%持ち株子会社。
他の部署では9時まで残ったら遅いほう、休日出勤は賃金支給対象らしい。
大炎上プロジェクトなのかと思いきや、そういうわけではないらしい。
挙げた例の後半になればなるほど、早く辞めさせたくてやってるのかと思う
でも「ぶっころす」は私宛じゃないし、「死ね」は満遍なく誰にでも言っている言葉
ただし上司はそういわれた大抵の人との関係がある程度良好である。
しかし「少なくとも私との間には信頼関係がない」と私は思っている。
どこの会社にも「使えないヤツを自主的に辞めさせる」ための担当があるっていうけど、本当ならそれがここなんだろう。
ある程度は成功している。おかげさまで、うつ状態で薬漬けですから。
ただし辞めたところで何のスキルもないから転職できないだろうという予測を立てるだけの冷静さと、
医者からの休職を勧める言葉があるので、耐え切れなくなったら長期で休職する予定
耐え切れなくなったらそのまま会社のビルから飛び降りて死にそうな気もするけど。
ちなみに自社ビルからの飛び降り自殺は過去に4件。実際何人が死んだのかは分からないけど。
まあただの愚痴です。昨日で13連勤。
このまま24時間眠り続けられそうなほど疲れてる。