はてなキーワード: SFとは
ダンジョンが出来て3年。いきなり世界ランク1位になった俺は、会社を辞めてゆるゆると生きてます。
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総合化学メーカーの素材研究部に勤める上司に恵まれない俺は、オリンピックに向けて建設中の現場で、いきなり世界ランク1位に登録されてしまう。
あり得そうな世界であり得ない力を持たされた主人公が、世界の趨勢になるべく関わらず生きていこうとする、緩い(彼の希望)物語。
なお、この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等はどんなに似ていようとも架空であり、実在のものとは関係ありません。
内容は他のなろう小説と違ってSFチックというか、リアリティが少しあると思う。
ネタバレだけど言いたいことがあるのでここに書く。
本当に久々に、元気のいいSFを読んだ。
あとがきにあるとおり、バリントン・J・ベイリーを彷彿とさせるバカSF(←褒めてる)で、3千万人を使ったノイマン型計算機(ディスプレイにはプログレスバー付き!)なんて最高だ。
それぐらいのリアリティレベルと知った上で、無粋を承知で書く。
三体人は自分の惑星の境遇にあそこまで絶望しているのに、なぜ播種船を出さなかったのかがわからない!
自前でコールドスリープ可能(自力乾燥によるミイラ化!)で、文化レベルが高い上に自覚的に全体主義を採用していて、技術レベルも恒星間航行が可能。
挙句に生まれ落ちた惑星は解決不能の3体問題を抱えて将来がないことを科学的に分析した上で理解している。
ここまで宇宙を旅して他の惑星に移住するしかない知性体が、なぜSETIなんて確率の低い方法に時間とエネルギーを投資しているのか。
陽子を宇宙艦隊を作れるほどのエネルギーで改造して遊んでいる間に、さっさと10光年以内の可能性のある惑星に脱水体にした同胞1万人を船に詰めて送り込めよ!!
と、思ったのが納得のいかない点。
文革からの流れで真面目小説かと思ってたけど、バカSF(←褒めてる。ワイドスクリーン・バロック!)であることを思い出す流れが最高だった。
続編が楽しみ!!
僕は仕事を片付けスーパー銭湯でじっくりとサウナを楽しみ、ふろ上がりの食事をとっていた。食堂の大画面テレビにサマーウォーズが映し出されていた。新幹線に乗って田舎へ向かうシーンで、冒険が始まるワクワク感が高まって仕事で嫌なことも忘れて画面にくぎ付けになっていた。そういえば今日放送だっけと思って、御飯を一気に書き込み自転車を飛ばして自宅に帰ってテレビをつけた。
テレビを見ながら気持ちはほぼ10年前の夏に戻っていた。ああ、確かサマーウォーズを見たのは大学のときで、先輩がDVDをもってきて見たんじゃなかったか。サマーウォーズがすごく面白いと感じるのは、人生で一番楽しい時を過ごした思い出の一部だからだよなと納得。思い出補正というか、おじさんがこれまで過去の作品を過大評価していた原理を理解してしまったことがうれしいやら悲しいやら。
大学生の若造から立派なおじさんになっていたので、SF設定とかはちょっと無粋な突っ込みをしたくなってしまう。スパコンを使ってゲームするのはこいつら計算量でバトルしているからなのか? 放熱計算を考えたら氷で空冷はキツいのではとか、いったいOSは何を使っているのだろうとか考えてしまう。だけど、これだけ夢のあるSFを10年前に描けたのはすごい。
理系大学生だったら一度は自宅にスパコンのある生活を夢想して、OSがlinuxだと知って落胆するよね。
この手の映画で唯一不満なのは、ちょっと主人公は数学の難しさを難しさと感じさせないところ。スラスラと問題を解いて解決するよりも、計算ミスに足をすくわれたり、解き方に悩み尽くしたその先でひらめいたり、というシーンはあったのだろうか。問題を解決する醍醐味っていうのはその挫折と絶望と再挑戦にあると思うんだよね。主人公は「あきらめちゃだめ、数学の問題と同じ」みたいなことをいうわけだけど、彼が悩みに悩みぬいて解決できたシーンがあればもっと盛り上がるのではないかと思う。
ちなみに、僕が一番好きなシーンはラストの花札バトルでなつき先輩が変身するところ。花札は全然わからないし変身もバトルに全然関係ないんだけど、手に汗握ってみちゃう。
そして、一般の方もどうぞ的なアニメに見せかけてしっかり僕のようなキモオタも喜ばせてくれるところがすごくいいと思う。
昨今売れているアニメはSFというかテクノロジーよりも「不思議」ばかりが全面に出ている気がする(何の作品を指しているかは皆さんのご想像次第)ので(?)、面白いアニメ映画があったら教えてください。
AIRのサマー編とかキャラデザとか固有名詞変えて新海誠のガワつけたらぜってーヒットするだろ
あとなんだ、くろすちゃんねるもいけるか
いやちげーのか?
エロゲーの皮かぶったただのギャルゲーが実は映画クオリティだったってことか
すげーぜエロゲー
シャリンのうにとかやったらはっきょうして みんな死ぬんじゃねーのか
ファッションは20年でひとまわりする?とかいうけどエロゲーみたいな構造もそうなのかもしれん
それすら昔のSFとかをパロってたりもすんだけどやっぱりガワって大事だと思うわけよ
単に有名人擬人化とかって話じゃなくてさ、一時期はやったマンガでわかるシリーズみてーなもん
スタートボタンを押してください ゲームSF傑作選 (創元SF文庫)所収。
30ページの短編。
すき家でワンオペにいそしむ男が強盗にあって殺されるが、直後その強盗になっていることに気づく。
その後もさまざまな人物に殺され、近くにいた人間になっている=リスポーンする中で最後にとった行動とは・・・・
という感じ。
All You Need Is Killのダメ男バージョンの焼き直しって感じで、最後どう落とすかが気になったけど、
そう来るか―って感じだった
期待以上ではなかったけど、まあ期待以下でもなかったかなあ
それ以外にも11この短編が入ってるけどそれは読んでない。
桜坂洋以外はみんな新進気鋭のガイジン作家らしい。後書きによると
パラパラとめくった限りでは翻訳SFにありがちなよみにクサはなさそうで読んでみたくなった
翻訳ものの読みにクサの原因のひとつはフォントサイズにあると思う
それがこの本ではな感じられなくて、普通の日本の小説くらいのフォントサイズと余白で読みやすかった
あとはこれがSFじゃないっていうそもそもの話もまああるんだろうな
翻訳者にもよるのか?
見に行ったんですよ、安倍ちゃん。北海道と大津で抗議の声を挙げたら警察が法的根拠なしで強制排除したってやつを見て。
権力の横暴を肌で感じられるチャンス(?)だと思って行ったんだよね。
そしたら目の前の道路を安倍ちゃんが乗った車が入っていくんだけど、その車の両サイドをSPが走って護衛してんの。
え、この人達どこから走ってんの? 街宣車は謎の安いSF用BGM流して「我らが安倍首相です!」とか煽ってるわけ。
すっげーわかりやすくて安っぽい権力者っぷりに感動したわけ。うわー日本だなみたいな。
実は見に行くの3回目くらいなんだけど、なんか以前よりも現場はやや白けてた。
カウンターサイドもそれほど組織だって来ているわけじゃなくて、数十名の集まりが一個あって、あとは個人個人が声出してるだけみたいな。
毎回あの配られている日の丸(あの日の丸を配るのは公選法違反じゃないの?)も、以前みたいに貰ってくれる人が減ったんだろうなーと。
でも熱い人はいるんだなと思ったのは、ソロ参戦(?)の男性が「安倍辞めろ!安倍辞めろ!」って一人でコールしてんの。
そしたら前の方で日の丸持った男性が「うるせーな黙っておぉ!」とか反撃してんの。
赤い服着た自民党のスタッフと思しき男性が「選挙妨害は止めてください!」って制しようとしてるんだけど、無茶はできないから目の前に立って腕を真上に上げるだけ。
そしたら40代くらいの女性がその男性に対して「選挙妨害はやめてください!!!」って言いながら体を当てに行って顔近づけてんの。
うわこえー、と思ったんだけど、なんかこの男性を一人にしちゃいけないと思って俺も叫んでみたんだよね。
うわー、ババアが俺の方にも来たwwwww
あのね、正直に言うとメチャ怖かったです。足震えたもん。
マニュアルなのかどうかは分からないけど、抗議の声に対抗するロジックとしては「演説を聞き取りにくくする行為は選挙妨害」で統一したんだろうね。
基本的にずーっとそれしか言ってなかったもん。そうこうしていると先に辞めろコールしていた男性が誰かに引き落として投げられた。
警察いるけどスルー。正確には転ばされた男性に対して大丈夫ですか!ってフォローにわざと夢中になって犯人を逃がす連携プレー。
俺が犯人に「おい!」と言ったらババアが「今のは一人で転びました!」ってまだ何も言ってないのに俺に反論してきた。いやお前見てないじゃん。
ハゲ&チビ&デブの50代くらいの男性がそそくさと人ごみを掻き分けて逃げようとしていたんで塞いだら、ババアがそれを更にブロックして逃げ道作りやがった。
「『かも』です!!!」
「やった『かも』しれないなら、なおのこと話聞かないとダメだろ!?」
やべー、話が通じない系の人じゃんw
その後は何を言っても「選挙妨害はやめてください!!!」しか言わないようになっちゃった。データインプットされてないAIの返答かよ。
なんかよく田嶋陽子に代表する左翼系ババアみたいな「キーキー言う議論のできない女」っていうシンボリックなイメージってあるじゃん。
あれってそもそもそのクラスタでも特殊な一部の人間だけだと思うんだけど、別に左翼系に限った話じゃなくて、右翼は右翼で普通にいるんだなと思ったw
実際、女性でも武闘派?は40代以上ばっかりで、若い女性はにっこりしながら日の丸を配布する係やってんの。
武闘派も配布係も人から褒められたくてやってんだろうなと思うとなんだか切なくなるよね。
安倍ちゃんは安倍ちゃんで相変わらず自民党は民主党よりマシです的なことしか言ってなくて、
自民党の何が魅力的なのかは最後まで説明してくれなかった。少なくとも外交については一言も喋ってない。
今の右翼は何かを創造するって能力は全くなく、ただ人から褒められたいということにしか志向が向いてないんだろうなと思った。
それ話が飛躍しすぎじゃない?と思うだろうけど、あの現場に居て思ったのはそういう感じ。テンプレートの言動をみんなでやればOKっていう一体感。
毎回自民党は最後の街宣を秋葉原でやるけど、盛り上がりは回を重ねるたびに下がっていくけど支持者は先鋭化している感じ。
でもああやって転ばされて犯人スルーの瞬間とかを見ちゃうと、次回はもう物見遊山な感覚では行かない方がいいかなと思った。
もしくは弁護士さんが現場にいるとかじゃないと、とてもじゃないが無理。右翼集会を現場で見る遊びはもうこれっきりにしようと思う。
PS 今回も籠池さんが来てました。帰る時に色んな人に励まされてた。
ネタバレあるので、まだ観ていない人は右上の×を押してください。
新海誠監督の最新作『天気の子』を観てきました。「ヤフー映画」の感想とかを見ていると、新海監督が公開前に言ってたように「賛否両論」の様子。……しかし、否定的評価をしている人たちの感想を見てみると、「賛否両論以前の問題」で、人物描写が薄っぺらさを指摘している意見の多いのが印象的だった。
だが、待って欲しい。「人物造形が甘い」とか「人物描写が薄っぺらい」という批判を新海誠にするのはいかがなものか。そもそも、新海作品にこれまで重厚な人物描写などあっただろうか? 薄っぺらくない人物なんて一人としていただろうか?
まず、大ヒット作『君の名は。』で考えてみよう。瀧君も三葉も奥寺先輩も、ラノベ並みの、いや、そういう言い方はラノベに失礼なくらい、ペラペラの薄さだったと思いますよ。三葉の悪口を言ってた同級生たちなんか、当社調べでは0.01mmの薄さで、わが日本が誇るコンドーム会社オカモトが対抗意識を覚えるくらいの薄さじゃないですか。
『秒速5センチメートル』も同じ。主人公(遠野君)は半年前に転校したメンヘラ気味の女の子に会うために、東京から栃木に電車で向かう。しかし、大雪のために途中で電車は大幅に遅延する。その時の主人公(遠野君)のモノローグを皆さん覚えていますか?
「たった一分がものすごく長く感じられ、時間ははっきりとした悪意を持って、僕の上をゆっくりと流れていった。」
ごめん。最初『秒速5メンチメートル』を見た時、私はここで腹痛くなるほど笑い転げて、逆に何度もここを再生しましたよ。もうね、ほんとリアル中学二年生でもこんなポエムを呟かないですよ。時間は君に悪意を持つほど暇じゃないと思うんだよね。たんに大雪のために電車が遅延してるだけやん……
未見の方いたら、すみません。この電車の遅延、単なる一つのエピソードじゃなくて、『秒速』のなかでは、物語の要となるようなエピソードなんです。
意味不明自己満SF『雲の向こう、約束の場所』、ジブリを真似た結果盛大にコケた『星を追うこども』。これらも、人物描写は書道半紙なみの薄さです。
『言の葉の庭』も、ストーリーや人物描写の甘さについては微笑せずにはいられません。ユキノ先生がいじめられてる理由とか、いじめてる生徒の描写とか、これ薄っぺらくないと思う人いるの……?
まあ、いるんだと思う。それはそれでいい。私が言いたかったのは、『天気の子』が「薄っぺらい」という理由で批判されるのは不合理だということである。初めっから薄っぺらいし、中二病だし、セカイ系だし、自意識過剰のウィスパーヴォイスがうざいし。そんなこと、分かり切ったことじゃない。それを今更批判したってどうしようもなくない?
というわけで、『天気の子』もただひたすらに薄っぺらいわけです。ストーリーや人物描写の説得力とかには期待したらダメ。リアル中学生でも、もう少し人間に対する洞察力をもった人は五万といる。そのレベルです。主人公はどうやら「神津島」から家出をして「東京」にフェリーでくるわけですが、家出の理由、とくになし。至って普通の家庭で、酷いイジメにあっていたとかでもない。なんとなく嫌だったから、くらいのノリ。いわゆる反抗期? なんとなく盗んだバイクで走りだしたい気分? サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』を持っていたけど、まさかサリンジャーに感化されて?(笑) いや、笑いごとじゃなくて、マジで新海はそのレベルでなんとなく家出をさせてOKだと思っている人なんですよ。
じゃあ、なんでそんな薄っぺら新海作品はこれまで評価されてきたのか? とくに『君の名は。』の歴史的ヒットはなんだったのか? 問題はそこにいたる。
第一に挙げなくてはならないのは、美しい背景描写だろう。カメラレンズを強く意識して、超広角レンズや逆光、望遠などが多用される。しかし、実際のカメラではあんなに綺麗に映ることはない。細かいファンタジックな「嘘」がそこかしこに散りばめられている。ありえそうだけどありえない風景。新海が描き続け、そして観客を魅了しているのは、そうした風景にあるんじゃないのか。もっとも、この美しい風景も、セカイ系の、センチメンタルな自意識過剰の、中二病ポエムではないのか、と反問されるだろうが、それについて私は次のように答えるしかない。「いかにも、その通り」
で、そこから「新海誠=童貞」のような公式がでてくるわけだ。「たぶん新海さんは楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか」(石田衣良)という言葉が出て来る所以であろうが、これについては一言。たしかに新海誠は自意識過剰の中二病ポエマーであるかもしれないが、全ての童貞が自意識過剰の中二病ポエマーであるわけではないし、またその逆もしかりである。童貞に対して失礼である。石田衣良には猛省を促したい。
さて、『君の名は。』ヒットの理由について語るのは当然のことながら難しい。だが、これを見た人の多くが「東日本大震災」を想起したことは無視できるものではないだろう。『君の名は。』は、良くも悪くも「震災芸術」であり、『君の名は。』の賛否両論の根底にあるのも、「震災をなかったことにしてもいいのか」というこの作品についての疑問から生じているだろう。
『君の名は。』には、カタルシス(浄化作用)がある。瀧君と三葉の恋物語以上に、この映画で「主役」となっているのは「彗星」であり「隕石」である。突拍子もないことのように思われるかもしれないが、これは演出上も疑いを得ないことである。このことについては伊藤弘了という人が「恋する彗星──映画『君の名は。』を「線の主題」で読み解く」という卓抜な評論を書いているので一読を勧めたい(http://ecrito.fever.jp/20170123213636)。
少しだけ説明する。「糸守湖」が出来たのは劇中でも語られるように、1200年前にここに隕石が墜落したことにするものだ。瀧君と三葉は三年の時間差を越えて出会いを果たすわけだが、その奥には1200年という長大な時間を経て、同じ彗星が墜落するわけで、あの惨劇を生み出した隕石は、それ自体、隕石の恋物語でもあったというわけだ。瀧君と三葉の悲恋は、その運命を受けいれて、むしろその「運命そのもの」に同化するような形で、自己を超越した恍惚体験へと昇華する。これが、『君の名は。』のインパクトである。伊藤は言う。
観客は人智をはるかに超えたティアマト彗星の壮大な恋物語のうちに自らの似姿を見出し、同時に自己自身を超越する感覚を疑似体験する。これが本作の記録的大ヒットを支えた一因である。
この伊藤の読みは、それ自身、私も正しいと思う。ちょうど隕石が地球を目がけて猛烈ないきおいで突進してくる際に流れるRADWIMPSの「スパークル」の歌詞をここで引用しておこう。
伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする
いわゆる「サビ」の部分がはじめて出て来るのは、隕石墜落のシーンなのである。彗星は隕石と化して「いまだかつてないスピードで君のもとへダイブを」するわけである。観客はかくして、瀧君でも三葉でもなく「隕石」に感情移入をすることになる。それによって、運命を超越した運命とでもいうべきものに同一化し、「自己自身を超越した感覚を疑似感覚」させるのが『君の名は。』である。ちなみに言っておくと、これは何も新しい話ではなく、ギリシア悲劇の古典的なパターンであり、「悲劇」の快楽そのものである。この点についてはニーチェの『悲劇の誕生』を参照して欲しい。
要点のみを記す。1200年前に糸守町に落ちた彗星は偶然の産物である。劇中で墜落する彗星の《片割れ》もまた偶然の産物である。その偶然をしかしながら運命的なものにするのが『君の名は。』のドラマである。隕石は、人間の視点からはどうしようもない《偶然的=運命的》なものであり、それが世界に災厄をもたらす。それは《悲劇》である。ニーチェが述べるように、悲劇とは一方では自身が運命に翻弄され自身の非力さを痛切に認識した上で、他方ではそうした小さな自己を超越し運命そのものに一体化する感覚のあるところに《悲劇》の快楽があるのだとすれば、『君の名は。』における悲劇とは、次のようなものである。(A)それは自己の意志の無力と運命の強調という形で行われるのではなく、(B)確かに一方では自己の意志の無力さを痛感させられるが、星の動きはたんに災厄をもたらす運命だけではなく、同時に強烈な人間的な意志でもあるのであって、運命から逃れていく偶然の力として描かれるのである。ここにおいて、まことに《運命=偶然》という奇跡的な場所での物語が描かれるのであって、その強烈さに私たちは感動をするのである。
震災を《運命=偶然=意志=恋》と化すことにより、現実の震災を美的に昇華してしまうのが『君の名は。』である。『君の名は。』は過去にタイムトラベルすることで「震災をなかったこと」にするだけではなく、上に書いたように、情動レベルで震災というトラウマを「昇華」させて、フロイト流にいうならば「喪の作業」を遂行することを促進するのである。「昇華」とは、「忘却」の別名である。
こうしたところが、『君の名は。』の慧眼な人々に批判される所以であるだろう。
だが、どうだろう。《忘れない》ことが一つの倫理であることは疑わないが、《忘れる》ことも一つの生き方として否定されるものではないのではないか。また、《忘れさせる》ことを描いたものが《覚えられる》ということ自体が、完全な忘却からは救うはずだと私は考えるが、いかがだろうか。
──ライトな語り口で始めたのに、全然そうではなくなった。そして、肝心の『天気の子』にまだまだ辿りつけていない。次回、『天気の子』の内容に踏み込んでいきます。
見てないのもそこそこ
一覧はアニメイトのサイトが便利(https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=5806)
春で面白かったのは いせかる、ぼっち、フルバ、青ちゃん、八十亀、ストパン 好みがわかるね!
クレーム歓迎、以下順不同
https://earofrice.hatenablog.com/entry/20190811/1565450856
荒ぶる季節の乙女どもよ。
とはいえ絵のレベルは高いし、展開も面白いっちゃ面白い…ので脚本も含めて物好きにオススメ
うちの娘の為ならば、俺はもしかしたら魔王も倒せるかもしれない。
絵が00年代のアニメって感じ、森で拾った魔人の子を可愛がる話
萌え豚するには他でもいい
安定性はピカイチか
かつて神だった獣たちへ
1話で合う合わないハッキリ出る
暴走する遺伝子組み換え部下をしばいて婚約者を殺した奴を追うぞ!っていう
彼方のアストラ
絵はちゃんと綺麗、話もそこそこ
1期のあのまま
要は冴えカノ的なハーレム
絵がフワフワしてる
2話の最後が綺麗かつ次へ次へ繋がってて好き
結構面白いんだけどファンタジーの造語がわかりにくくて勿体無い
しっかり見たい人にはオススメできる
ソウナンですか?
暑いならまずはブレザーとかカーディガン脱げば?とか思っちゃいけないやつ
jk4人が無人島で生き延びようとするやつ
まーた不穏オブ不穏だよ
異世界転生モノなんだけど…親同伴で親が美人で巨乳で息子大好きで強いっていう
もし見るなら無心で見よう
手品先輩
もうねこういうのが大好き
アホなギャグアニメとしてこれはかなりいいんじゃないでしょうか
いつもの
転生ばっかの中でいいSF
こっちがジャンプでやってるらしい
なんだこれ…?
BEM
そしてそこそこ面白い
金かかってんな〜って感じ
まちカドまぞく
萌え豚的に100点満点
こういうのが溢れてた時期もあったね
ダンスシーンでウネウネ動く
ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 -魔眼蒐集列車 Grace note-
面白い、しかしFateを見てないから細かいところがわからない
2話はFate本筋からの導入?だったからなんもわからんかった
異世界チート魔術師
オーバーロード*転スラ÷0って書いちゃいけないのはわかるけど見るだけ損だぞ
キャロルアンドチューズデイ
ようじょが見たいならこれ
深夜に見ると腹減るやつ
映画まで見て自分の中で完結してしまっていて忘れてたけど再放送してるんだった
1話をそもそも見ないと話の根幹がわからなくなるのでなんとかして1話から追って欲しい
ギャルゲーっぽいっちゃギャルゲーだけど正妻の麻衣さんが強すぎる、あとopも良き
年末まで待てなかったので
思ったことがある オタサーの姫について書かれているものに出てくる男についてだ
オタサーの姫の囲いの騎士ってブサメン・・・いわゆるキモオタに書かれることが多い
とある漫画では1人だけイケメンがいてそいつとの関係を姫が勘違いしてって流れがある
だが実は、顔面偏差値的には中の中か中の中の上なんだけどキモオタの中にいるから相対的にかっこよく見える奴がいるんだ
世の中はイケメンとブサメンだけでできてるわけじゃないってこった
でな、外で彼氏を作れるほどの顔面偏差値のないオタサーの姫は、そいつを本命にするんだよ
オタクで童貞の主人公は冴えない高校時代を過ごしたが、大学でSF研究会に入るとキモオタばかりに囲まれて相対的に自分がかっこいいほうだったとことを知り、紅一点でオタサーの姫になっているヒロインに本命扱いされちやほやされながらもオタクライフを満喫するって話が読みたいと思ったんだよ
話題につられて珍しく三体というSFを読んでみたが作品を名乗るのもおこがましい愚書悪書だったので騙されて買わされた鬱憤を晴らすべくいかに愚劣にして悪辣か書き並べる。購入を検討している人に端的に警告するとハリウッド映画によくある知的弱者を喜ばせるための頭の悪い定型表現が嫌いな人は拒絶反応が出るだろう。また実際の人類の理論及び種族的進歩を顧みず作者の浅薄で無知蒙昧な妄想から逆に進歩をを後退させており極めて愚劣にして悪辣である。買ってはいけない。以下解説。