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はてなキーワード: 食わず嫌いとは

2021-10-03

初期美味しんぼトンカツ大王ばかり持ち上げすぎ

食わず嫌いの偏食の旦那さんの話もよかったじゃん。

 

そういえば、煎餅屋の人は煎餅屋の印象が後半でなくなったよね。ただの隣人になっちゃった

2021-10-01

オライリーってつよつよエンジニアのための本しかないんだと思ってたんだが、普通人間が読める面白いやつも出してるんだな。食わず嫌いしてたわ

2021-09-27

HIPHOPシーンが知らぬ間にめちゃくちゃ面白くなってた

HIPHOPというかフリースタイルとかMCバトルに限った話。

まだ見始めて3日の超浅瀬人間なので、細かな分類とかよくわからないので間違ってたらご愛嬌

きっかけは相席食堂に出てきた呂布カルマという人に興味が湧いたこと。

正直な話、ラップHIPHOPもそれまで一切興味がなく、むしろ日本語ラップは無理やり踏みに来る韻がダジャレしか感じられずむしろ見下しているくらいのつもりだった。

そもそもメジャーシーンに出てくるHIPHOP大人の手で汚されまくってて、感謝しすぎだしオーケストラで泣かせようとしすぎだしそんないいヤツのほうがむしろ信用できるわけないしって感じだったせいもある。

実際、ほとんどが女性問題を起こして自らを台無しにしていくようなやつらばっかりだったしね。あとひとつあとひとつ言いながらどんだけ手を出してんだよって思うと草しか生えてこない。

それはメジャーに限ったことじゃなくて、薬物問題とか暴力沙汰とか聞こえてくると、純粋音楽として楽しめないよなって思うってしまうのもある。

なので要するに、どれだけサジェストされようとも開くなんてことは絶対になかったので全くもってノーマークだった。

相席食堂に出てきたときラッパーなら見なくてもいいかなと別のことを始めようとしたら、まずその風貌の独特さに引っかかってしまった。

ラッパーといえばあごひげ、ガテン系、フードかぶってダブダズボン定番R指定さんを見たときも、メジャー向けにちょっと小綺麗にしてきたねくらいに思っていた。

ところが出てきた呂布カルマはどこからどう見ても下っ端のチンピラ

吹けば飛びそうなひょろい感じで、服装と顔ばっかりがいかつい30年前の小岩チンピラみたいだった。

なにそれ。今どきのHIPHOPどうなってるの?というのが最初の印象。

実際にロケが始まってみると、大吾さんが「お人よしオールバック」と表現するくらい、いい人よりの普通の人。

とにかく終始ポンコツ。肝心のラップ部分すらポンコツ

結局最後までポンコツ

この人のどこがカリスマラッパーなの?という疑問が見れば見るほど湧いてくる。

疑問が湧いてきた以上、とりあえず見てみよう。それで音楽性もポンコツならそれまで。また来世のつもりで検索

youtube適当MCバトルを選んで開いてみる。

先攻はいかにも絵に書いたようなラッパー一生懸命韻を踏んで暴力的な言葉を並べる。会場は沸いているけどやっぱり全然きじゃない。

そして呂布カルマのターン。

いきなり遠くの視点から矢じりのような言葉を飛ばす。そうかと思うと一瞬で懐に入って重い一発を食らわせる。

別に韻を踏むわけじゃないけど、言葉選びと相手との距離感の行き来がめちゃくちゃうまい。

会場も沸く、というより唸る。

その一撃で相手自分立ち位置を完全に見失って、顔を真赤にしてまっすぐ掴みかかるような言葉を返す。それには観客も首を傾げるか失笑

まだ2ターン目、軽く笑って王者の余裕とばかりに相手を諭してから踏み潰すような上から目線言葉選び。圧倒的な火力差を見せつけながら相手の逃げ道は塞がない。

3ターン目、相手に残された手段はそれほど多くない。

玉砕覚悟で突っ込むか、一旦下がって相手の隙を伺うか、煽って失敗を誘うか、負けを認めてパフォーマンスアピールをするか。

選んだのは玉砕。本人には玉砕自覚はないかもしれない。とっくに圏外まで下がっている相手に至近距離攻撃を火力全開で繰り返すも、当然一発も届かない。

それをわかっているのか、心理的距離とは裏腹に相手の眼前至近距離まで顔を近づけて挑発を繰り呂布返すカルマ

相手言葉は全て空振りで終わる。

呂布カルマのターン。

相手のつま先をしっかりと踏みつけるような言葉を選ぶ。

相手はその時はじめて自分の居場所を思い知って、もはや逃げられないことを知る。

猛烈な威圧感を前に、逃げることも攻めることもできず、しかし止めをさすことはせず、独り相撲だったことを観客にも知らしめる。

そこにいる全員が呂布カルマ勝利確信する。

勝敗はバトル後の観客の反応の数で決まる。

先攻の名前が呼ばれると、ちらほらと手が挙がるのみ。呂布カルマ名前が呼ばれると全員と思えるほどの手が挙がる。確信事実に変わる。

なんだこりゃすげー面白い

今のHIPHOPってこんなに面白いの?とサジェストに出てきた見知らぬラッパー同士のバトルを見る。

そしたら全然違う。

そこには今までのイメージ通り、韻を踏むことばっかりに一生懸命で、肝心の勝負のものベタ足の殴り合い。

学生同士の喧嘩みたいな、距離感も力加減もわからず、ただ全力で殴り合ってるだけの野蛮な戦い。

面白みよりも不快感のほうが何倍も強く、2つ3つも見たら絶えられずにリタイヤ

それで呂布カルマたまたまだったのかと思ってまた別のバトルを見る。

やはり抜群に心理戦面白い。この展開の速さの中、あの手この手相手翻弄して、気がつけば相手の体力は残っていない。

どうやら呂布カルマという人間だけ別次元だということがわかる。

いわゆる総合格闘とか、もしくは対戦格闘ゲームとか好きな人絶対にはまる。

とにかく心理的駆け引きが抜群にうまい

営業妨害かもしれないけど、見た目はこんななのに、めちゃくちゃ真面目でめちゃくちゃ勉強してないとこうはならないはず。

要するに、今まで喧嘩自慢がノールールで殴り合いをしていた世界だったのに、総合格闘のプロが殴り込んできてしまったような感じ。

ベタ足の殴り合いで一番つええやつ決めてた世界に、立ち技寝技関節技なんでも使えるやつが出てきたらそりゃつええわ。

ここからは推測でしかないのだけど、こうしたシーンの変化が起こった一番の理由は、おそらくHIPHOPというものが先人の努力によってやっとそこまで一般からだと思う。

過去、何回かの少ない記憶で見たMCバトルは、勝敗プロベテラン投票で決めていた。

まり、どれだけHIPHOPラップスキルが優れているか勝負の決め手となっていたために、盛り上がりと勝敗の結果が異なることも多々あった。

しかし、今回見たMCバトルは、全てバトル後の観客の挙手の多さで勝敗が決まっていた。

それはつまりHIPHOPラップの専門的なスキル以上に、とにかく盛り上がったほうが勝ちなのだ

ある意味で真面目にHIPHOPを続けてきた人間からしてみれば望まない世界かもしれない。

もちろん呂布カルマラッパーとしてのスキルの高さは十分に感じられる。

韻を多用しないのはスタイルと言えばそれまでだが、それよりも、戦略性や言葉選びや比喩センスが見た限りではずば抜けて高かった。

これはあれだよ。芸人スキルだ。

実際に芸人をやりながらラッパーもやっている人間も多いらしいが、ここに来てシンパシーの高さが注目されているのだと思う。

彼の経歴をしっかり調べたわけじゃないけど、ここまで言葉を数多く自由に操れるのは、少なくともある程度しっかりした学歴か、教育を受けていないと無理。

たまたま見た目のいかつさがハマっただけで、おそらく人格は相席食堂で言われた通りめちゃくちゃ真面目でお人よしなのだと思う。

そうした作られたキャラからこそ、バトルで過剰に熱くならないし、冷静に相手を追い込めるのだと思うと、ラッパーには本当の意味で敵だよな。

彼がこのまま活躍しつつければ、MCバトルはもっと一般化して、HIPHOPシーンはカルト化と二極化していくんじゃないかな。

少なくとも、すでに分断が始まってることは確か。

なんて思っていくつか動画を見てたら、輪入道って人がこれまたやばいってことに気づいた。

多分、天才はこっち。液体みたいにどこでも入り込んでいって、そこからいきなり火力ぶちかますタイプ。もちろん経歴は一切しらないけど、HIPHOPとしての純度は呂布カルマ比300%くらい高い。

これはもう揃っちゃったわけですよ。条件が。

HIPHOPシーンは今でも十分メジャーだけど、こっから一気に大衆化する超新星爆発直前にあるなってこと。

もともと好きな人が望んだ形とは程遠いかもしれないけど、TVショーとしてこの上ない条件が揃ってしまいました。

今のうちに注目しておいて、アーリーアダプター、ギリでイノベーター語るのもありだと思います

食わず嫌いせず、一度見ておいたほうがいいです。呂布カルマ。顔とHIPHOP以外、まじで普通の人だから

並み居るガチの悪ガキ押さえつけて、それが天下取ってる状況が面白くなくて、何が面白いと言えます

2021-09-24

女は全員タンポン使え

2019年、買ってよかったものランキング第1位、タンポン

マジでタンポンが大好きと言っては語弊があるが、タンポンのない生理は考えられない

食わず嫌いタンポン使用してない女がいたら、ぜひ使用してほしい

とくに、とくに短い休み時間なんかじゃ気軽にナプキンを換えられない、でも動いたり走ったり立ったり座ったりしなきゃいけない環境にいる若い女の子(意外と使ってたらごめん)

タンポンのいいところ、その一、かさばらない。

ふつうポーチナプキンなんか入れたらボワボワになってしまうが、タンポンはスティック状なので場所に困らない。

その二、風呂に入る時が圧倒的に楽。

これは楽。楽すぎる。風呂に入る直前に新しいタンポンに変える。そうすればふつう時間ならば脱衣所にパンツさえ置いて置けば「耐えられる」。今までの、風呂から上がる時に延々と流れ出る血を洗い続けて上がるタイミングを逃し続けた日々は何だったのか?

もちろん、生理中は公衆浴場には入らないのがマナーだと思うが、自宅の風呂で湯船に血だまりができたり湯船から上がった瞬間のザバーとともに血がドバーという悲しすぎる事件はかなり防げる。

その三、不快感が少ない。

生理中の何が不快って、血濡れのナプキン、巷では「使用済みオムツ」なんて言われるレベルの「もの」を股間にある程度の時間貼り付けていなければいけないことだが、タンポンを使用することにより、これが圧倒的に減る。

要は栓をしているから、ナプキンが「濡れる」ということがない。いや、普通にある。でもタンポン無しとは比べ物にならないくらい「ない」と言っても過言ではない。

とくに、立ち上がった時の「あーーーー」という感覚、あれがほとんどなくなるというだけで快適と言える。雨に濡れた靴下と靴で、ビジョビジョになっているのを耐える必要はもうない。

その四、漏れない。

圧倒的に漏れない。つたい漏れはする時はするが、そんなにひどい時は、タンポンをしていなければもっと大事故になっていたことは明らかである

私は中学生の時にスカートに染みを作ったことがある。高校生の時にもある。大学の時もある。布団に染みを作ったこともある。タンポンを使いはじめてからは、ちょっとパンツに着いたなくらいで大失敗したことはない。布団の染みは消えないけどまだ使っている。

続いてタンポンのデメリット編。

その一、ちょっと高い。

高くはないが、安くはない。私は生理が重くないという自覚があるが、だいたい一生理10個ほど、約一パック使用している。そうなると、まあ400円くらいだが、もちろんタンポンオンリーでいけるということはなくナプキン使用しているので、それにナプキンが加算される。ナプキン10個くらい。私は20個入り400円くらいのを使用している。そういうわけで、まあ 600円くらいになる。

タンポンを使う前は、20個入りのナプキンを一生理で消費していたので、コストとしてはちょっと上がっている。とは言え、タンポンのおかげでナプキン自体を交換する頻度はかなり減るため、精神衛生上かなり良い。

その二、ちょっと痛い。

タンポンは、要するに膣にインするため、コンディションによっては、まあまあ痛い。

タンポンをもっと使ってほしいからこそ、「痛くないよ!」などと言うつもりはない。

痛いのは主に、量が少ない時と、抜く時である

血がドバドバ出ている時はそれが潤滑油の代わりになるため、スルリと入る。

まりタンポンは、生理がひどい時こそ優しい存在なのである

あとは当たり前だがタンポンが血を吸収しすぎてでかくなると痛いので、それくらいに血がドバっている時は、とにかく、自分を労ろう。

その三、処分に困る。

ナプキンは、交換するナプキンの包装にくるんで丸めてポイーで良い。最近流行りのシンクロフィットは、トイレ流れるので、それこそポイーで良い。(伝聞によりて記す)

タンポンはどうするか?

もちろん、タンポンと同時にナプキンを換える場合ナプキンに包んで捨てればいい。

そうではなく、「ナプキン全然いけるけどタンポン換えてえな~」という時の話である

あくまで、私はソフィのソフトタンポンしか使ったことがないのでそれ基準になるが、交換するタンポンの包装に使用済みのタンポンを「戻す」ということは物理的に不可能である

仕方ないかトイレットペーパーにくるんで捨てるしかないが、経血の着いた面を内側にして丸めることのできるナプキンと違い、使用済みタンポンは「360度明らかな血濡れ」になっている。サニタリーボックスの中でトイレットペーパーがほどけていないことを祈るのみである

その四、交換するのが手間。

というほど手間でもないが、ベリベリ剥いで貼って終了のナプキンより、精神的な負担がある。

前述のとおり、コンディションによっては痛い時もあるしほぼ確で手が血濡れになるし、「職場トイレで蹲踞の姿勢になって膣にモノ入れて何やってんだろう」と思うこともあるが、気にしたら負けである

ワンポイントアドバイスとして、意外と便器に座ったままか、直立でタンポンを「横」に入れたほうが、うまくいきやすい。

パッケージには「膝を軽くまげて……」みたいな絵が描いてあるが、リラックスして奥まで入れることが第一である

と、いうわけで、タンポンを敬遠している人がいればぜひ使用してみてほしい。

最近は、シンクロフィットやら経血カップやらが流行っているが、私はタンポンをお勧めする。

理由タンポンが好きだから

しかしたらシンクロフィットがモノスゴク良いかもしれないが、それを試してみるかと思うこともないくらい、タンポンに心酔している。

タンポンに心酔しているとか言うと完全にキモ・女だが、これは生理が悪いのであって、タンポンは悪くないし私も悪くない。

タンポンで上げるクオリティ・オブ・ライフ

2021-09-23

anond:20210922213336

若いのに慧眼だな。素晴らしい。

聖書というのは、宗教書というよりは総合文学の書であって、これを基に、その人がどう人生を生きるか考えるきっかけにする、みたいなコンテンツなんだと思う。

聖書というのは、なんかもういろいろと今の社会を先取りしているのだ。いや違う、普遍的というやつだ。

どんな時代でも共通する大事なことを、ひとつひとつ、じっくりとしっかりと述べている。

聖書に限らず、読み継がれてる古典ってのは必ず文学的かつ普遍的だよね。

罪と罰』は(犯人の頭の中で無理矢理自己正当化された取るに足らない理由があるにせよ)大義理由なき無差別殺人の話だし、

『変身』は精神疾患と思われるものが原因で引きこもりになった当事者そいつに振り回された周囲の人間たちの葛藤と末路、

車輪の下』はtwitterはてなでも一時期盛んに議論されてた文化資本実家の太さ格差階層移動の難しさの話。

これらは聖書に比べれば経過した年数は遥かに少ないにせよ、百年以上経過した現在でも同種の問題が我々の前に横たわってる。

それにプラス物語のものや使われてる技法も単純に面白くて、『罪と罰』には刑事コロンボ古畑任三郎元ネタ的な変人が出てくるし、

『変身』は不条理シュール系のコメディとしても存分に楽しめる、『車輪の下』はBL系の嚆矢みたいな描写前触れなくさらりと出てくる。

やっぱ百年以上読み継がれてる作品は凄いなぁ、って唸っちゃうね。食わず嫌いせずに現代日本人も古典読もうぜ!って常々思ってる。

スマホタブレット青空文庫Kindle Unlimited使えば、いつでもどこでも無料or無料に近い低価格帯で無尽蔵に読めるからな。

2021-09-21

anond:20210921160402

楽しいに決まってるだろ

食わず嫌いは良くないぞ

おまえも実際にやってみてつまらなかったらその時に文句を言え

2021-07-18

パスタペペロンチーノとかバジルソースとかの塩系が好きで、自宅で食べるのもどちらかだった

が、ちょっとしたきっかけで蟹トマトクリームソースレトルト買ってきた

食べてみたらうまい、すごくうまい

蟹の滋味とでもいうのかコクがあってうまい

食わず嫌いで損した

2021-07-13

ただの愚痴

人類ディズニーリゾート大好きだと思うなよ。テーマパークで楽しめない人間もいるってわかれよ。

ディズニー行きたいっていうのを大前提にして予定聞いてくるなよ。

ディズニー行きたいのはみんなの総意的なスタンスで来られて、断るに断れずディズニーへ行くことになってしまった。

こういう時に限ってチケット争奪戦に勝ってしまうし。売り切れろ…って念じてたのになぁ…

ディズニーリゾートに興味が無いのっておかしことなのか?

ディズニーに詳しくないから興味わかないだけなのかな。

てかチケット8000円ってなんだよ。高ぇよ。

当日のレストラン勝手に決まっていたけど、メニュー見て驚愕した。なんで昼飯に5000円も出さなきゃいけないんだよ。

多分自分金銭的余裕があればもうちょっと寛容でいられたんだろうな。

でもやっぱり楽しみ方がわからない。

写真撮ったりするのが楽しいのかな。

ほぼ行ったことないか食わず嫌いしてるだけなのかな。

モチベ無さすぎてお金出す気になれない。そもそもお金もないけど。

チケット取っちゃってるから今更無理とか言えないし。

友達のことを責める気は全然ないんだけど、私がディズニー行きたくない人間であることを知ってほしかった。めちゃくちゃ言いづらいからこの先もきっと言えないけど。

しんどいわ。

2021-07-06

うっせえわ歌ってるひとアホみたいな流行り方と厨二臭い歌詞とか断片情報で嫌いだったけど

普通に好きな感じの声質してたから今更めっちゃ聴いてる やっぱり食わず嫌いは良くないな

2021-07-01

怪獣8号』がはてなブックマークで人気なのがよくわからない

人気が出る漫画には必ず理由があると思っているので、『怪獣8号』という作品が売れること自体意味不明と言っているわけじゃない。

実際、この漫画に関する評価理由として、推測できるところもいくつかある。ただ、はてなブックマークでも特に人気っぽいのが「?」という感じだ。はてブの層とは作品趣味が近いと勝手に思っていた(世間一般として高評価であるのが、はてブ一定層にも普通に響いている、という可能性もあるが、個人的な印象では、はてなブックマークでとりわけ高く評価されているように見える)。

悪口ばっかり書くことになって申し訳ないが、別に個人主観なので勢いで言ってしまうと、俺はまず、自分に与えられた力に対する主人公姿勢が気に入らねえな、と思った(ただ、第1話最近の話を読んだだけなので、その間で描かれたメッセージ機微をごっそり取りこぼしているのかもしれない。その点で、この文章そもそも批評としてのテイをなさない)。

何かのきっかけで、世間的に忌避されている強大な力を手に入れる主人公、というテーマは色んな作品で描かれていて(『デビルマン』『進撃の巨人』『東京喰種』)、俺は、こうした作品は、これまで自分が属してきた価値観の相対化、もしくは破壊へと、展開していかざるを得ないと思っている。

別に、必ずそうする決まりがあるわけないのだが、巨大な力が、しかも敵側からもたらされるという体験の前に、個人人格理念がそれまでのかたちを保っていられるわけがないと思っているので、どんな作品必然的既存の善し悪しの崩壊ありき、これを通過せざるを得ず、そこから何を描くが各々の見せ所だと考えている。

怪獣8号』における力は、どうも、単にニュートラルに強大な決定力という感じで、怪獣を処理する側が怪獣になってしまったというジレンマも当然ゼロではないんだろうけど、どうもそんなに要点が置かれて描かれていないように見える。俺はそういう話だったら興味ないのだが、はてブでは人気っぽいので、くどいがちょっと驚いている。

あとは主人公がややおっさんなところか。

少年漫画としては珍しいな、と思ったけど、「少年」漫画といいつつ読者層はなんだか高齢化しているっぽいので(鬼滅でいくらか下がったんでしょうか)、その辺も時勢的にあざといというか、「おっさん活躍してる話だったらそんな餌に食いつかないで青年誌読むぜ」と誰にも得のない反発を覚えてしまい、はてなブックマークのみんなもそうだろ? と思って後ろを振り向いたら誰もいないという、なんだよ、みんな普通にあいうの好きなのかよ、という。まあこれは俺の独り相撲しかないんだけども。

作品で何を描こうが自由だし、売れそうな要素やメッセージを盛り込んで話を作るなんてのは当然のことだ。繰り返しになるが、人気が出る漫画には必ず理由があると思っていて、俺の推測が当たっているにせよ外れているにせよ(全話読んでもいないけれども)、売れる作品ちゃんと読者の何かしらの需要を打ち抜いたのだから、何の問題もない。

ただ単純に、はてブには俺と同じへそ曲がりが多いと思っていたから、「与えられた力のせいで人生が決定的に狂うわけでもなく何となくどうにかなっていて、俺らおっさんむけに狙い澄まされたみたいな内容を荒川弘の絵で描かれておもしれえか?」と思って無視していたらけっこうみんな読んでいるので、なんとなく居心地が悪い。

何が言いたいかというと、「お前は大きな思い違いをしているし、そもそも全話読んでいないのでは話にならないから、今から買って読め」というならそう言ってほしい。面白い漫画が好きなので、食わず嫌いで(ひと口はかじったけど)損しているなら、いまからちゃんと読もうと思う。

2021-06-28

非モテの男は一人に絞ろうとするからモテなくなる

非モテの女は追いかけてくる人を食わず嫌いしてるからモテない

2021-06-13

私がVtuberを見なくなった理由

私はVtuberを見ない。

なぜ見ないかをVファンの皆さんに聞いて考えてもらいたい。

私は食わず嫌いをしているわけではないということをまず認識してほしい。

いわゆる四天王と呼ばれていたVがいてにじさんじ一期生が台頭してきたくらいまでは私も視聴者の一人だった。

見ていた理由は単純に技術的に面白く、かわいいと思ったかである

でははぜ見なくなったかというと、圧倒的商業を感じるようになってしまたかである

初期の段階では皆、どのように収益化するか、そもそも金になるのか暗中模索しており、様々な工夫をしてそれぞれの色を出して競争していたと思う。

例えば、歌がうまいのであれば生放送でそれを披露したり、ゾンビアポカリプスなどの世界観を売りにしているような方もいた。

この時代特に印象に残っていたのはときのそらのファンが急増して困惑している動画である

https://www.youtube.com/watch?v=32tN4LlSut4

この反応が初々しくて正直可愛いと思った。

ある意味AV女優の初出演のような初々しさがある。

しかし、1度金が稼げるとわかるとその初々しさは抹消されるのである。慣れは動物に備わった基本性質である

AV女優も2作目からはS○Xの演技がこなれてくるのである

ちなみに私は別にAV女優の初出演好きではない…

おそらく鈍感な人はこの違いに気が付かずに離れずに見続けただろう。

この圧倒的商業感を特に顕著に感じたのが電脳少女シロ氏である

彼女は当時サイコパスというキャラで売っていた。

しかし、1度そのキャラが受けるとあからさまにキャラを演じだしたのである

特に残念だったのがDOOMというゴア表現のきついゲームの実況動画を出したときである

おそらく彼女DOOMというゲームを知らず、事務所からグロ表現が多くサイコパスキャラを活かせるだろうとやらされたものだろう。

私はこの動画を見てものすごいやらされている感を感じ取ってしまった。

それ以外にもPUBGなどのおそらく普段やっていないがキャラの維持のために演じている様子をみて正直興ざめししまった。

たまに現れる天然のサイコパス面白いのであって、作り出され、虚飾にまみれたサイコパスキャラを見たいのではないのである

ただ、キャラでもいいという人は満足なのだろう。そこが冷める人と見続ける人の違いではないかと思う。

ときのそらに関しても、それから投げ銭があっても当然のように名前を呼ぶだけで、初々しさはなくなってしまった(当たり前だが)

また、そこからにじさんじが台頭すると、投げ銭文化が定着し、配信最中投げ銭があったとき名前を呼ぶという配信スタイルが定着する。

しかし考えてみてほしい、本当に心のそこから彼らは感謝しているか?

おそらくしている、しかし彼らは視聴者のことをお金をくれる客だとしか考えていないと思う。客を楽しませ、金を落とさせる、ショービジネス。これがVがキャバクラと言われる所以である

特に、後発で出てきたVはすでに儲かる道筋が見えているのである

あとはやるだけである

おそらく私と同じで同時期にVを見なくなった人は多いのではないかと思っている。

現在彼らのファンほとんどが黎明期が終わりにじさんじ2期以降が出現し、サブカルに造詣が深い層以外の一般市民にVという存在が知れ渡った後で知った人が多いだろう。

これらの人たちは四天王が台頭しだした黎明期Vtuberを見ていない人でこの初々しさを知らずに、かわいいい声で配信して投げ銭を受け取る存在しか知らないので違和感なくVという存在を受け入れることができるのである

この間、Vではなく、収益化をしていない方のApex配信で同じチームにVがいた。

同様にVも配信していたので私も彼女配信を訪れたのである

彼女視聴者が少ない所謂底辺Vtuberだったが、この共演をきっかけに視聴者が増えていった。

しかしそこにあったのはゲームをしながらスパチャへの感謝を述べる彼女の姿だった。

面白い話もせず、ゲームもさほどうまくなく、ただゲームを喋りながらやる、そしてスパチャには忘れずに感謝を述べる。

私はこれを見て「スパチャ読み上げボット」という命名をしてしまった。

正直このコンテンツ面白さがわからない。

一概にすべてがスパチャ読み上げボットではないと思うが、面白配信をしている人でもほぼ100%収益化を有効にしているのである

やはり、面白配信がみたいのであってスパチャの読み上げを見たいわけではない。

よって、面白配信をしていてかつスパチャも読み上げない配信を見るのである

まとめると、

Vを見なくなった理由は、ある時期から圧倒的商業感を感じるようになり、それまでの初々しさを感じられなくなったこ

現在進行形で見ていないのは、スパチャ読み上げという文化を取り入れており、配信中に本題のコンテンツを楽しめなくなったかである。(これはVだけではなく一般配信者にしても同様である)

PS. スパチャ読み上げ配信を見ていてナイスパ(ナイススーパーチャット)という他人投げ銭視聴者感謝するという意味コメントを見かけることがあるが、あれをどういった感情入力しているのかを当事者に教えていただきたい。

2021-06-05

クリームシチューライスかい異文化

行儀悪いから人前ではやらないけど実はやってるって人多いの?そもそも行儀悪いんだその行為ご飯味噌汁かけるみたいな感じ?

食わず嫌いだけどクリームシチュー牛乳を多量に入れるから牛乳ご飯イメージがついてオエッとなる。見た目が牛乳的なのもある

ドリアみたいなもんと言われればたしかに…でも焼くのと焼いてないのじゃ全然違わない?卵を生で食べる国は一部だけ…

2021-05-29

男に限らず、失恋って一度プライドがズタズタになるんですよ。

一方で、恋人がいると「自分はうまくやってる側にいる」という愉悦があるんです。

同人誌NTR他人失恋話や武勇伝を聞くから「ずたずたになる側」になって傷つくのを避けられるんですよ。

でも、音声は本気でズタズタにされる

から最初NTRというジャンル食わず嫌いしてたのよね。

男でも女でも失恋は辛いのに、失恋する人をわざわざ描くのは悪意を感じるなぁ…と。

ただ、マンガイラストNTR作品失恋する側に感情移入しないどころか、自分間男側として読めるとこがあって愉悦すらあるから意外と読めちゃうのよ

そういう意味ではぼくは真の寝取られ好きではないんです。

真の寝取られ好きな人

女の子自分よりも業が深い

自分より先に成長して置いていく

自分より優れたオスを選ぶ

という状況を歓迎できる人なんです。

音声の寝取られはそこに特化するからこそ、感情さぶられるし、ガチ

世の中面白いのは、自分が傷つくような「寝取られ側」になって

女の子がよりエロく完成していく」

のが大好きな性癖の人っているんですよね。

あとは、もっとこじらせてて「盛大に勘違いして調子乗ってる女」が大好きな人っているんです。

からエロ世界って深いんですけどね



まーた自分理解できないもの勝手に決めつけて語ってんのか。

2021-05-28

カタカナファンタジーが苦手である

 昔から個人的に、日本語カタカナ英語で「ファンタジー」という言葉を当てられてカテゴリ分類される作品(小説映画漫画など)の大半が苦手である。良い悪い、正しい正しくないではなく、あくま個人的な好みの話である。もしも、これらを好きな人が気を悪くされたら、先に謝りますすみません

 日本語で言う時に「ファンタジー」よりも「幻想」という硬めの言葉を当てられる作品は嫌いではない。国内作家で例を挙げれば、山尾悠子とか。

 海外SF周辺の作家作品だと、クリストファー・プリーストの『魔法』や『奇術師』は好きであるものすごく古いが、子供の頃に読んだH.G.ウエルズの短編魔法を売る店』も好きであるSF作家視点から魔法(のような技術体系)が存在する世界」を描いたような作品、例えばハインラインの『魔法株式会社』や、霊魂テクノロジーが実現した未来世界を描いたロバートシェクリー『不死販売株式会社』のような佳作も好きだ。ここまで読めばお分かりのように、どちらかと言えば私はSF寄りの人間である

 日本を含めて世界的に『ハリー・ポッターシリーズや『指輪物語(LoTR)』シリーズ劇場映画としてヒットした頃に「食わず嫌いも良くないな」と思い、これらの映画を観に行ったり原作に挑戦したりした。結果を言えば、結局だめだった。私は、これらを少しも楽しめなかった。『ナルニア国物語』も駄目だった。SF映画ジャンルに含められるが実質的には「剣と魔法世界」のようなものと言ってもよい『スター・ウォーズシリーズも、旧EP4以外のシリーズ作品は全く楽しめなかった。こんな感じだから当然ではあるが、家庭用ゲームの『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などにも手を出していない。

 「剣と魔法系統の娯楽作品の全てを無条件に嫌いかと言えば、そういう訳でもない。子供の頃にテレビビデオで観た『アルゴ探検隊冒険』や『タイタンの戦い(オリジナル版)』といったレイ・ハリーハウゼン作品は、昔も今も大好きである

 『ハリー・ポッター』などが苦手に感じるのには、別の理由も有る。たとえば、ドラえもんの「うつつマクラ」で、余りにも都合が良すぎる夢(文武両道の大天才モテモテで、教師にも親にも級友にもチヤホヤされる世界)に、のび太が興醒めしていたようなものだと言えば、理解してもらえるだろうか?学期末の成績を発表する場で、校長が「勝ったのは…スリリン!……じゃありません!大逆転でグリフィンドールの勝ち!」とか言って、バラエティ番組の「結果発表ー!」みたいな真似をしてスリリンの生徒たちを糠喜びさせたのは非道い。校長あんな依怙贔屓をするような人間からスリリンの生徒たちも性格が歪んでしまったのではないだろうか。あの校長は、教育者として失格だと思う。スリリンの生徒たちは、腐ったミカンなんかじゃない!こんなハリー・ポッターがヒットしたということは「なろう系作品」を好む人間が、日本と同様に海外でも少なくないということなのだろう。どうも私は「なろう系作品」が苦手だ。そういえば、上で挙げた『アルゴ探検隊の大冒険』や『タイタンの戦い』は、ハリウッド作品としてアレンジされているとはいえギリシア神話英雄譚がベースであり、依怙贔屓どころか、むしろ主人公理不尽な試練が課せられる物語なので、その点がツボなのかもしれない。

 LoTRが苦手なのは正義の側のキャラクター白人ベースの美しい造形または愛嬌の有る造形ばかりで、悪の側は醜悪な造形ばかりというのが、どうしても興醒めしダメだった。ルッキズム。それに、LoTRの悪の側の造形は、白人から見た有色人種イメージが入り込んでいる気がする。ルッキズム。それはそれとして、第一部で地下に消えたガンダルフが、続編で生きていたと判明し、杖一本を手に巨大な怪物相手にガキーン!ガキーン!と肉弾戦をしていたところは、正直に言うと大爆笑した。

 こんな感じでカタカナファンタジー作品の大半が私は苦手であるが、例外的に楽しめて大好きだった作品が、先ごろ惜しくも亡くなられた三浦建太郎の『ベルセルクである

 外形的には、人知を超越する異形の存在怪物魔法などが存在する世界舞台にした物語という意味で、同じカタカナ英語ファンタジーという単語が当てられていた作品ではある。しかし、私個人にとっては、ハリー・ポッターLoTRと天と地の違いが有るように思えた。もちろん、私にとっては『ベルセルク』の方が「天」であるハリー・ポッターLoTRファンの人には、重ね重ねすみません。繰り返しますが、個人の好みの話です。

 ゴットハンド名前(スラン、ユービックヴォークト)や、黄金時代篇の敵の武将名前(ボスコーン)からは、作者の原体験SF作品が有ったことは想像に難くない。だからベルセルク物語世界では「魔法のような人知を超えた事象存在する/起きるならば、その根源となるエネルギーは何処から齎されるのか」「その代償に払う犠牲は何か」といった理(ことわり、ロジック)を、作者は考えていたと思う。上でも書いたように、SF作家SF視点から魔法存在する世界舞台にした物語」を書くケースはしばしばあったので、SF好きの三浦建太郎もそれらの影響を受けていたことと推測される。ゴッドハンドの1人として転生する直前、深淵に降ったグリフィスが「ヒトの作りし神」に出会って対話を交わす場面(※単行本未収録)は、あれも「この物語世界がどのような理(ロジック)で動いているか」を読者に示すものだったと言える。

 少し脱線するが、理(ことわり、ロジック)と言えば、ハリー・ポッターのような作品を読んだり見たりしていると「あんな大きな学校が有って、そこから大勢卒業生たちが魔法使いになって世に送り出されて、就職先は確保できるのだろうか?」とか「石を投げれば魔法使いに当たるぐらい、たくさんの魔法使いがいる世界では、そもそも魔法使いの存在価値は有るのだろうか?」とか考えてしまう。モンティ・パイソンコントスーパーマンだらけの世界で大活躍するスーパーヒーロー!我らが『自転車修理マン』!」みたいになったりしないのだろうか?捻くれたSF好きである私は、おそらく「物語のような『不思議世界』が存在していて、それが自分のいる現実世界と地続きであって欲しい」という願望が強いのだろう。だから不思議世界を成り立たせるロジックを求めてしまうのだと思う。ちなみに、驚異の世界を成り立たせるような、もっともらしい理屈を付けてくれるハードSFは大好きである

 話を戻すと、『ベルセルク』の物語魔法や異形のモノが存在する世界で展開されるが、主人公ガッツ自身は、魔法による恩恵を受けていない時期の方が長かった(パックの翅の鱗粉で傷を治癒する描写とか有ったけれど)。ベヘリットによりゴッドハンド召喚され、鷹の団メンバーたちが使徒たちへの贄として捧げられた悲劇を考えれば、ベルセルク物語における魔法人知を超えた異形の怪物ほとんどは、主人公に困難を与える原因として存在したと言っても過言ではない。そんな中でガッツは、鍛錬で身につけた能力人間の業で作れる武器だけを頼りに、使徒という異形の怪物たちを相手に、文字通り満身創痍になって半死半生になりながら、ギリギリで死線を掻い潜る闘いを繰り広げていた。リッケルト、鍛冶のゴドー養女エリカの親子、パックなど少数の例外を除けば、長い間ガッツの闘いは孤立無援だった。これでは読者も、応援したくなるというものである

 それとは対照的に、地下牢で長期間に渡る拷問を受けたものの、ベヘリットを使ってゴッドハンド召喚し、彼らの1人フェムトとなり、受肉して自分王国ファルコニアも手に入れた新生グリフィスは、謂わば「うつつマクラドリーム状態を実現した、ハンサム野比のび太である。まさに、なろう系の究極形。しかも、ノスフェラトゥ・ゾッドを筆頭に使徒たちを配下に従えているのだから主人公との戦力差は圧倒的であり、まさに天と地の差である

 こういう丁寧な前フリがあればこそ、近年の主人公を取り巻く状況に変化(イシドロファルネーゼセルピコなどの新たな仲間の誕生、髑髏の騎士魔女による魔法サポート)を生じさせたことにも、説得力が生まれた。最初からガッツに心強い仲間がいて、魔法によるサポートも受けられるような状態物語が始まっていたとしたら、私のようなカタカナファンタジーの大半が苦手な人間は「ハイハイ、どうせ魔法でチョチョイのチョイと助かるんでしょ」と興醒めして終わっただろうし、多くの熱狂的なファンも生まれなかったことだろう。

 長い長い時を経てキャスカ正気を取り戻したことは、主人公ガッツにとっても読者にとっても喜ばしいことだった。しかし、それでグリフィスに対するガッツの闘いに終止符が打たれた訳ではなかった。新たな仲間や魔法的なサポートを得たとはいえ、これから先もガッツは、強大なグリフィスに対して、苦しく不利な闘いを挑むことになるのは確実だった。そういう骨太物語を、作者は描いてくれる。長期間休載は読者としては辛いけれど、長く待つだけの甲斐が有る作品を描いてくれる。これまでと同様に、これから先も、そうであろう。そう思っていた。鷹の団メンバーが、グリフィスの夢の実現を信じていたように。

 私を含めたファンの願望は、もう叶わない。三浦建太郎自身ペンによる物語の続きを、我々が読むことが出来る機会は、永遠に喪われてしまった。

 このまま未完で終わらせるのか。構想のメモなどを元に、誰か脚本家作画者を代筆に立てて遺志を継ぐのか。今後どうなるのかは、未定だという。どちらが良いのか、私には分からない。

 人は誰しも、別れを告げる時には詩人になるのだと、誰かが言った。しかし、ご覧のとおり私には詩才は無い。こんなに心乱れたままで、長々と駄文を書き連ねた挙げ句、偉大なる作家が彼の代表作の中に残した印象的なフレーズ引用するぐらいしか出来ない。

 「風が、旅の終わりを告げていた」と。

2021-05-10

anond:20210509220012

自爆レスじゃん

その味噌嫌いも1回たべてみてほしい、食わず嫌いから、っていう押し付けでアソートおすすめしてるのかな

2021-05-08

anond:20210507155515

見た目から脳で予測した味への合致具合で旨さを決めている

まりこれこそが

 人人人人人

食わず嫌い

 YYYYY

2021-05-05

anond:20210504195928

内容について触れてないから読んだ上で嫌いなのか食わず嫌いなのかわからん

anond:20210505103243

そう言うのを食わず嫌いって言うんだよ

戦後貧しい村で捕虜になった米兵ごぼう汁食わされて木の根食わすのは虐待だ!捕虜の扱いを定めた条約違反してる!って強者論理振りかざしたよな

おまえの言ってることそれだから

全体みりゃ言えねえだろ

2021-04-10

学校勉強なんて社会に出て役に立つの

理系はそのまま役に立つことが多い

電子回路機械設計情報工学バイオ、物性は当然、

高校までの数学物理化学は役に立つし、英語が読み書きできないと本当につらい

でも、最近中国では、英語あんまり勉強せんでええで、という話になってる?らしく、

どうせ自動翻訳がやる、バンバン名著は中国語訳されるし国もバックアップする、

英語なんて敵国語頑張るより本業研究を頑張って、

どうせ中国世界征服したら英語より中国語の方が世界共通語になるから

みたいな話らしい

あと、ちゃん日本語思考できないと英語やっても無駄と同じで、

ちゃん中国語で思考できないのに英語やっても国語力、読解力がなければ無駄

ということでもあるのだろう

本当に要領がいい人は大抵は学校勉強もできる

本当に要領がいい人はこだわりがなく、卒なく何でもこなものである

寧ろ、学校勉強ができない人の方がこだわりがある、ということの方が多いように思う

学校勉強ができない人は、〜はできるが、学校勉強はできない、とか、

なんかよくわからんが、自分学校勉強ができない、と思い込んでいる節がある

実はそう思い込まない、自分先入観を持たなければ、

小手先テクニックだけでも行けるところまで行けるのに、先入観があるからか気が付かないのである

食わず嫌いみたいなものもあるのかもしれない

安野モヨコ氏が庵野氏がズッキーニとか知らない食べ物を食べないとテレビで語っていたと思うのだけど、

庵野氏もこだわりが強いタイプに思える

こだわりが強いと、こだわっていることには強いが、

社会性が落ちてしまったり、要領が悪くなってしまうように思う

自分学校勉強ができない、と思っている人は、まずそれが思い込みでないか疑ってみることである

しかしたら他人に、親に、教師にそう思い込まされてるのかもしれないし、

自分自身に自分頭が悪いと思い込まされてるかも知れない

自己暗示学習性無力感みたいなものでもある

こだわりで学校勉強ができなくなるパターンとして、

ちょっとでも疑問に思うことがあるとそこで止まってしまう、というのがある

というか、自分にもこの毛がある

要領のいい人は、その疑問をとりあえず飛ばして、これはこういうものだ、と理解するのではなく納得するに近い形でスルーする

スルーしないと先に進めない

なんかよー分からんが、えらい人がこれでオッケー言ってるんだからオッケーなんや

と思って、細かい疑問は飛ばし、それを定着させる練習問題を多くこなすとか、とにかく先に進めることである

しかし、要領のいい「だけ」の人は、この自分で考えて疑問に思う、ということに無頓着であるため、

社会に出てから意外なことでトラブルを起こしてしまうこともあるように思う

上述のように、えらい人が言ってるのだから間違いない、というのが実際は罠であることが社会では往々にしてあるため、

要領がいい「だけ」の人は何の疑問も持たずにそれを信じ、結果としてトラブルに繋がってしまうのである

まり、これはバランス問題であって、

まず、いわゆる受験勉強試験突破するためには要領が良くなければ駄目である

学校勉強を真面目に学問として考えすぎてしまうと、試験突破できない

試験突破するのは要領であり、テクニックの面が強いかである

しかし、要領がいい「だけ」の人には学問学術的な思考ができないのである

そうでありながらも、詰め込み教育英語や数式に慣れていなければ、学問学術にも支障が出てしま

詰め込み教育否定しすぎても、結果的には学問学術ができない人を生み出してしまうだけである

から、これも結局はバランス問題しかない

どうしても学校勉強自分はできない、苦手だと思う人は、ここまで述べてきたことを逆に考えるならば、

寧ろ何か学校勉強以外にこだわりがあったり、特技がある可能性があるかもしれない

学校というのは単なる人生フィルターであって、

しかし、そのフィルターにはじかれたとしても、それはマイナスなことだけではないはずである

自分に向かないということが分かるだけでも、人生前進したと考えるべきである

向かないことより向いてることで自分他人に役立つことに専念するべきである

苦手なことに専念させようとする他人、もしくは自分自身が間違っているのである

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