高校までの数学、物理、化学は役に立つし、英語が読み書きできないと本当につらい
でも、最近の中国では、英語はあんまり勉強せんでええで、という話になってる?らしく、
どうせ自動翻訳がやる、バンバン名著は中国語訳されるし国もバックアップする、
どうせ中国が世界征服したら英語より中国語の方が世界の共通語になるから、
みたいな話らしい
あと、ちゃんと日本語で思考できないと英語やっても無駄と同じで、
ちゃんと中国語で思考できないのに英語やっても国語力、読解力がなければ無駄、
ということでもあるのだろう
本当に要領がいい人はこだわりがなく、卒なく何でもこなすものである
寧ろ、学校の勉強ができない人の方がこだわりがある、ということの方が多いように思う
学校の勉強ができない人は、〜はできるが、学校の勉強はできない、とか、
なんかよくわからんが、自分は学校の勉強ができない、と思い込んでいる節がある
小手先のテクニックだけでも行けるところまで行けるのに、先入観があるからか気が付かないのである
安野モヨコ氏が庵野氏がズッキーニとか知らない食べ物を食べないとテレビで語っていたと思うのだけど、
こだわりが強いと、こだわっていることには強いが、
自分は学校の勉強ができない、と思っている人は、まずそれが思い込みでないか疑ってみることである
もしかしたら他人に、親に、教師にそう思い込まされてるのかもしれないし、
ちょっとでも疑問に思うことがあるとそこで止まってしまう、というのがある
というか、自分にもこの毛がある
要領のいい人は、その疑問をとりあえず飛ばして、これはこういうものだ、と理解するのではなく納得するに近い形でスルーする
スルーしないと先に進めない
なんかよー分からんが、えらい人がこれでオッケー言ってるんだからオッケーなんや、
と思って、細かい疑問は飛ばし、それを定着させる練習問題を多くこなすとか、とにかく先に進めることである
しかし、要領のいい「だけ」の人は、この自分で考えて疑問に思う、ということに無頓着であるため、
社会に出てから意外なことでトラブルを起こしてしまうこともあるように思う
上述のように、えらい人が言ってるのだから間違いない、というのが実際は罠であることが社会では往々にしてあるため、
要領がいい「だけ」の人は何の疑問も持たずにそれを信じ、結果としてトラブルに繋がってしまうのである
まず、いわゆる受験勉強、試験を突破するためには要領が良くなければ駄目である
学校の勉強を真面目に学問として考えすぎてしまうと、試験を突破できない
試験を突破するのは要領であり、テクニックの面が強いからである
しかし、要領がいい「だけ」の人には学問、学術的な思考ができないのである
そうでありながらも、詰め込み教育で英語や数式に慣れていなければ、学問や学術にも支障が出てしまう
詰め込み教育を否定しすぎても、結果的には学問や学術ができない人を生み出してしまうだけである
どうしても学校の勉強が自分はできない、苦手だと思う人は、ここまで述べてきたことを逆に考えるならば、
寧ろ何か学校の勉強以外にこだわりがあったり、特技がある可能性があるかもしれない
しかし、そのフィルターにはじかれたとしても、それはマイナスなことだけではないはずである
自分に向かないということが分かるだけでも、人生は前進したと考えるべきである
「学校の勉強なんて社会に出て役に立つの?」 馬鹿には役に立たないが 賢い奴は役出させることができる