はてなキーワード: 週休2日とは
0になる前の話ですね
途中から勝手に0を謳いだしたのは中央政府であって、中国の厚労省に当たる省庁や医療従事者、民間ではないです
政府にコロナ対策には情報操作させない手を出さないように主張してた中国の官僚も最近表に出てないのでは(粛清された?
海鮮市場だかで一番最初に気付いて感染して亡くなった眼科医もSNSでは追悼されてますが、中央政府はノーコメント
真面目な話、中国のIT系はドッグイヤーどころか、日本の3倍は速度が速いぐらい目まぐるしく変化してる
中国も法律では週休2日、1日8時間労働に法的に定められているのに、
いや源泉徴収票が必要な手続きがあって、探してるうちに過去十数年分の源泉徴収票が集まったのでなんとなくまとめた。
年 | 額面(万円) | 控除後(万円) | 備考 |
---|---|---|---|
H18 | 280 | 180 | 会社員になった(なのでこの年は4-12月分のみ) |
H19 | 470 | 320 | |
H20 | リーマンショックの年。源泉徴収票は見つからず | ||
H21 | 420 | 280 | リーマンショックをまともに食らって収入ダウン。会社傾く |
H22 | 400 | 260 | たしかこの頃、週休3日制になってた(その分給与が下がってた)気が |
H23 | 420 | 280 | 3.11の年 |
H24 | 450 | 300 | 週休2日に戻ったが、H19の給与水準まで戻らず |
H25 | 450 | 310 | 世間的には景気上向き感だけど給与は据え置き |
H26 | 460 | 320 | 給与は相変わらずだし、消費税が8%になる前に転職 |
H27 | 540 | 380 | これが…昇給というものなのか… |
H28 | 源泉徴収票が見つからず | ||
H29 | 830 | 630 | ふえぇ、おちんぎんいっぱいだよう |
H30 | 840 | 640 | |
R1 | 840 | 640 |
かんそう
子供の頃の夢は「普通の人」だった。いろいろコンプレックスあったしね。
それから夢なんて忘れて、周りに流されながらもやりたいことをやってたら、いつの間にか大学を卒業してサラリーマン。無名の上場企業で週休2日、手取り20万くらいの20代後半。割とステレオタイプな普通の人になれたと思う。
この間、会社の同期と飲んでいたら「普通な人」という称号をいただいた。言われた瞬間に、そういえばかつての将来の夢だったことを思い出した。夢が叶ったと認識しても嬉しさは込み上げなかった。
俺の友達はみんな個性的でとがってて、たしかに普通って感じじゃない。でも、みんな俺なんかより圧倒的に魅力的なんだよ。他の人にないものを持ってるのは確かなんだよ。
みんな自分の人生の主人公になってるのに、俺はその機会を逃していたことに今更気づかされた。
普通ってのは市民Aみたいなモブキャラなんだよ。将来の夢にしちゃいけないな。夢が叶わなかったことなんかより、夢が叶ったのに嬉しくないことの方が辛いぜ。
みんな夢は大きくもてよ。
「プログラミングスクールってどう思いますか」への、個人的な回答メモ。
など、プログラミング未経験の方によるこの質問から始まって、独学の方法についての意見交換が始まる展開を何度か見ている
初心者なのに数十万かけてスクールに通おうとしている人が多かったのが意外だったので、個人的な考えを長文でまとめたものである。
「リモート研修中にクビになった法政大の〜」という記事を見て、既視感があったので増田に貼る。
昨今のコロナ以前に書いたので、コミュニティの利用方法は若干今の現実と即してないと思う。
この文章は、ある程度の本音と持論を語るために、あえて冗長な長い文章の形式をとっている。
なぜならば世間一般の「エンジニアのなりかた」といった類の文章は「わかりやすさ」に重きを置きすぎていると考えているためだ。
わかりやすい文章は、読み手をコントロールする文章である。そして、インターネットに落ちている「読み手をコントロールする文章」は、何かを売りつけるための文章にすぎない。
あと、無料で読める長い文章すら読み飛ばす人が、実務レベルの学習をやるとは思えない(クソ偏見)
それと、ネット上で「プログラミングを学んでエンジニアになりたい」っていう人はだいたいウェブエンジニア(コーダー)志望なので、それを前提に書いている。
この文章ではこんな人を想定している
「20代前半~30代前半で就職経験(非正規雇用込)はあり。現在も仕事はしている。労働時間はまちまち。週休2日で、月の半分の土曜日は出勤。平日の労働時間・出勤時間・家事労働を除いた自由な時間は1時間半程度」
「今の仕事には将来性が無いし、このままだとダメだと思っている。貯金はしているので、それを使ってプログラミングスクールに通って転職したい」
「パソコンスキルはゆっくりとしたブラインドタッチで日報を打ったりはできる。自宅にもノートパソコンは持っているけど、週末にyoutubeを見るくらい」
「エンジニアのイメージは、ウェブページを作ったりデザインをしたりする人、という認識」
「まだプログラミングの勉強は始めていない。何からやったらいいか分からないし、時間も無いから間違った効率の悪い勉強方法は避けたい」
オープンチャットの相談を見ていたり、自分の周囲を見ていてもこういう人が多い気がした。
気持ちは正直なところすごく分かる。
学校を卒業してから、仕事とは関わりのない異業種について勉強することはわりと大変だ。
資格勉強ならば、体系的にまとまった書籍や試験範囲があるので、書籍をとっかかりとして勉強しやすいだろう。しかし、「就職」を前提としたプログラミングの勉強だと、たちまちにハードルがあがる。
言うなれば、週末に趣味でやるレベルではなく、「実務レベル」という到達目標があり、なおかつ肝心な「実務」について一切想像ができない。周りにエンジニアはおらず相談ができない。
そうするとどうなるか。
「プログラミングスクール 比較」「プログラミング 始め方」で検索するとブログとスクールのオススメがたくさんヒットする。しかも、今なら入学金が半額だったりする。
そんなことを考えている人を想定している。
「エンジニアになりたいけど、プログラミングはやったことがない」という人にオススメのサービスがある。
それが、Progate
である。
Progateでは、ウェブサイトやウェブサービスで使うプログラミング言語を、わかりやすいスライドとゲーム感覚で習得することができるサービスである。
なぜ、プログラミングスクールを検討する人にProgateがいいのか。
なぜならば、Progateはtwitterなどのアカウントを持っていれば、5分後には学習スタートできるサービスだからである。
あなたがプログラミングを一切学んだことがないならば、スクールの情報を知るよりも前に、「自分が学ぼうとしているものがどんなものか」を知ることがもっとも重要である。
Progateは、「自分が学ぼうとしているものが何か分からない人」に特化したサービスであり、なおかつ学んだあとに「自分には何が足りないか」を考える足がかりになるサービスである。
個人的な偏見だが、こんな駄文を読んだり名前の知らない人に相談したりプログラミングスクールの紹介をするアフィリエイトブログを読んでいる時間で、Progateに登録してHTMLの基礎を学ぶほうがはるかに有益だ。
何度でも言うが、エンジニアになるための勉強が、今から5分後には無料で始められるのだ。今から5分後には、あなたはHTMLって何?っていう段階から、一歩踏み出して、5分前のあなたが知らない、ウェブエンジニアの基礎の基礎の基礎を知ることができる。
ならば、なぜやらないんだろう?やらない理由を探して、あれこれ迷って時間を浪費したあげく、「自分は将来のことを考えている」と自己満足したいだけではないのか?
こんな安っぽい挑発に乗っかるのは癪かもしれないが、まず行動をしてみてほしい。行動をする習慣と、行動を通じて頭を使う習慣を身につけてほしい。
実際のところ、Progateが無料っていうのはウソで、全てのレッスンをちゃんとやろうとすると月額980円がかかる。しかし、半年で80万円のプログラミングスクールに比べれば遥かに良心的な価格である。そして、前章で想定したような余暇に余裕が無い人でも、Progateならばスキマ時間で1か月もあれば1周することができるはずである。
費用対効果が悪い。胡散臭い。就職が保証されているわけではない。
以上。
・メンターがつく
・講師がつく
といった点が考えられる。プログラミング学習で挫折しがちなところをサポートしてもらえる面や、お金を払った分の覚悟が生まれるのは良い点だろう。
個人的な偏見だがプログラミングスクールも、通ったものの挫折する人はかなり多いのではないだろうか。
プログラミングスクールを修了した人が、プログラマーではなくスクールの講師やメンターになる、というのもよく聞く話である。もちろん、そういうスクールに通って、あなたがプログラマーになれないとは言えない。でも恐らく、その環境はあなたが望む「実務レベル」を身に着けられる環境とも言い切れない。
おそらく、チャットなどでに質問される方の多くは、自分のエンジニア・デザイナーとしての働き方が、まだ明確に見えていない方だと思う。何をどれだけ勉強して、いつまでにどのレベルに達しなければならないか。そこがつかめていないはずだ。
そんな状態でプログラミングスクールにお金を出すのは、危険ではないかと思っている。自分が習得すべき課題を知らないまま、他人に自分の人生の手綱を預けてしまうことになりかねない。
学校というのは、「自分が何を習得したいか、どうなっていたいか、何を勉強しているのか」をある程度把握して、その目標との軌道修正のために利用する場所であって、教わる場所ではない。カルチャースクールに通うならともかく、転職を前提にした学習において、上述の点が曖昧なままにスクールを利用するのはメリット以上にリスクが大きい。
っていうか、スクールに通う数十万があるならば、その予算で乾燥機付きの洗濯機や食器洗い乾燥機を購入して、家事の効率化を試みる方がいいのではないか。
そのほうが、学習時間や睡眠時間を捻出できるため、仮にプログラミングの学習に挫折しても、生活の質は向上する。
Progateでいくつかの言語での学習が終わった段階で、なんとなく「自分が何をやらなきゃいけないのか」が見えてくるはずである。
仮に見えてこなくても、Progateをもう一度やってみるのはあまりオススメしない。
そこで、見方を変えるために、書籍にとりかかってみるのがいいと思う。
特に、Progateでは、実際にコードを書くためのエディターや、プログラミングに使う各種ツール・言語などのインストールをする「環境構築」を学ぶことができない。
多くの入門者向け書籍の場合、まずは序章で環境構築やおすすめのエディタの紹介がある。ここで、一度環境構築を経験してみるのがいいと思う。
選び方としては、
・予算内(2000円~3000円くらい)
・最近に発売されたもの(2017年~2019年)、あるいは改訂が入ってるもの
・「書籍名 正誤表」で検索して、内容の誤りが修正されているもの
でどうだろうか。
できれば、大型書店に足を運んで、手を取って比較してみてほしい。(コロナだから今はできないけど)
おそらく、Progateを始める前に書籍から始めようとしたものの、「どれがいいかわからない」「初心者なのに、専門書のコーナーにいるのが恥ずかしい」
となっていた人でも、この段階ならば何かしらの選ぶ基準ができているはずだ。
例えば、Progateで分かりにくいと思ってたところがなんとなく理解できる本だったり、もっと詳しく知りたい内容が載っていたり、作ってみたいデザインのサイトが載っている本が見つかるはずだ。
もし、近くにプログラミング書籍が売っているような書店が無い場合は、Amazonに頼ろう。こればかりは仕方がない部分でもある。もし、タブレット端末を持っているならば、
Amazonのkindle unlimitedに登録すると、月額1000円くらいで電子書籍の読み放題コンテンツを利用することができる。読み放題に登録されているのはいささか古いものが多いが、それでも限られた予算内でいろんな本を比較しながら進められる点で、メリットがある。
N予備校はニコニコ動画を提供する「ドワンゴ」が提供する学習サービスである。
https://www.nnn.ed.nico/pages/programming/
このN予備校には「WEBプログラミングコース」というプログラミングコースがあり、これがわりと本格的な内容だと定評がある。
メリットとして、
が挙げられる。Progateと違って、講師に質問できるのがN予備校の大きな強みだ。
でもお高いんでしょう?って思った方もいるかもしれない。
だが、なんとN予備校は月額1080円である。しかも、コロナ下の今では、無料である。
しかも、プログラミングだけではなくPhotoshopやillustratorといったAdobeソフトの学習コースなども受けられる。
ただしデメリットもいくつかある
といった点があげられるだろう。
N予備校を勧めるのに「何を学べるのか」を具体的に書かない点には、難しくてとっつきにくい内容が多く、初学者に説明しにくいからというのが挙げられる。
(ちなみに、チャットbotアプリとか、掲示板アプリを作ったりできます)
実際、N予備校の生放送を見ると、回を重ねるごとに挫折者が増えていく。
料金が安いにも関わらずサポートが手厚いのは、おそらく、黙って挫折する人が多すぎてサポートの手間が少ないのではないだろうか。
ここまでやって、それでもプログラミングスクールに通いたい人には、スクールを利用するための明確な課題意識があるはずだ。
「ポートフォリオの作成や転職活動を前提に、対面やスカイプで細かくサポートを受けたい」
などなど。
この段階になって、なおかつスクールの料金を払える人ならば、アドバイスは不要だと思う。
プログラミングスクールの問い合わせ窓口や受付で、いやらしい質問をたっぷりとぶつけて、自分にあったものを探すのがいいのではないだろうか。
なお、大都市圏に住んでいる人ならば、この段階でエンジニアの集まりに顔を出してみるといいと思う。(これもコロナでできなくなった)
ここで、自分が通える初心者歓迎のオフ会を探してみるのはどうだろうか。
こういうエンジニアの集まりには実際に異業種から転職した経験がある人や、フリーランスで勉強している人、講師経験のある人が多く参加している。
個人的な経験では、こういう集まりには親切な人が多く相談しやすいと思う。不安を払拭するためなら、一番近道かもしれない。
なんなら、「Progateを始めました!」って段階で足を運んでみてもいいと思う。
以上、おそらくここまで読んでいる人は誰もいないと思うが、個人的な経験を前提にしつつ「おすすめのプログラミングスクールはありますか?」問題について書いてみた。
人によっては、「プログラミングスクールではなく職業訓練校」とアドバイスしたい人もいると思うが、職業訓練校は地域による当たりはずれや、学習者が現在の仕事と併用できない点があるため候補に入れなかった。
(個々の状況に応じた選択肢の一つとして、職業訓練校は大いにありだと思うんだけど、一般論として勧めることができない。補助金があっても離職を伴いますから)
この駄文を通して私が主張したいのは「悩んでいる時間は無駄であり、とりあえず行動して勉強する時間は無駄ではない」というただ一点である。
「とりあえず行動する」とは、リスクを背負ってやみくもに飛び込むことを意味しない。最低限のコストで最低限の学習を行い、自分の向かうべき道筋について自身で仮説を組み立てつつ行動することである。
そのための足掛かりとして、高額な出費を伴うプログラミングスクールではなく、まずProgateを推したい。この際、費用が掛からずに自分でトライアンドエラーができるならば、他の学習方法でも全く構わない。とにかくまずは学習をはじめてほしい。
願わくば、この駄文が誰にも読まれることなく、いま悩んでいる人が「とりあえず行動してみる」と、勉強を始めてくれることを、願ってやまない。
などとおかしな自己紹介になってしまったのには理由がありまして。
というのも、わたしは人生を振り返った時、そのうちの半分は「自らがおかれた環境下で生きることにいっぱいいっぱいだった動物」だったというのを最近になって自覚したタイプの生き物だったからです。
この気付きから過去の記憶のフラッシュバックが止まらなくなり日常生活が滞ってしまった為、こうして書き出すことにしました。ネットの海に流して供養することが目的の記事になります。
友人や知り合いに吐き出せるような話ではないし、読んでいて気分が良くなるものでは決してないのと、あくまで「わたし」の為のごくごく個人的な文章であることを理解された上で読み進めてください。
また、精神的なネグレクトを受けたと感じた側からのお気持ちなどがあるので、そこら辺を見て落ち込みそう/気分を害しそうな人は見ない方がいいと思います。
書こうとしたはいいもののどこから話せばいいのかな……そうだ、きっかけですね!
これを思い返すことになったきっかけは兄を相手に家族の話をしたことだと思います。
わたしは兄と二人兄弟で、小さなころから同じ家で過ごしました。兄もわたしも所謂オタクを趣味にしていて、いつも何かしら共通の話題があり、この日もひょんなことから幼いころに感じていた家族についての話になりました。
この書き方だとあまりそういう風には見えないと思うのですが、兄とわたしが話すとき父についてのシリアスな会話はタブーのようなものでした(少なくともわたしはそう感じていました)。なのでこのときわたしは、もう2人で擦り合わせをする機会はこの先訪れないかもしれないと思い、勇気を出してシリアスな話を切り出しました。
真っ暗な井戸の底のほうまで下ろしたと重い桶を、慎重に引き上げていくような心地でした。
家族を構成するメンバーは祖母、父、母、兄、わたしの5人。祖父もいましたがわたしが幼いころに亡くなった為、「わたしの家族」と聞いてまず頭に浮かぶのはこの面子です。
兄と話していて思い出したのは毎晩の食卓のこと。始まりはいつも概ね穏やかな食事でしたが、時間が進むにつれわたしの緊張感は高まりました。
それはなぜか?
答えは「父と祖母の怒鳴りあいがいつ始まるかわからないから」です。
間に母が入り両者を宥めるところまでが1セットの物騒なコミュニケーションは、晩ご飯の時間中にどんなきっかけで始まるか、どのくらい続くか、何回起きるかなどわからない尽くしのハリケーンみたいな現象でした。
簡単な喜怒哀楽にうっすらとした自我をふりかけただけの「小さなわたし」にとって、父と祖母が行う激しい親子のコミュニケーションは「こわいこと」として分類されたんだと思います。それがほぼ毎日続くうち「一日の終わりに起こるうんざりすること」にもなったのは自然な流れだったんじゃないかな。繰り返し体験するうちにその特殊なコミュニケーションに巻き込まれるのも、火種になるのも嫌で、食卓の上で誰かに会話を振られても可もなく不可もない答えを返していたし、誰かの琴線にふれてしまわないよう、割とつねに気を張っていました。
自分の食事が終わるとすぐに「ごちそうさま」と言って食器を下げて、兄と一緒に別の部屋へ退散しました。まあ古い家だったので別の部屋へ逃げても怒鳴り声が聞こえてくるわけですけれども。
なぜにこにこと笑っている父や祖母が、一瞬で鬼の形相になってしまうのか。
「それはそういったコミュニケーションの形なんだよ。二人はちゃんと仲が良いから大丈夫、心配いらないよ。」
などとハグしてもらったり、教えてもらうきっかけもないまま体験する毎夜の嵐は、わたしの心を大変疲れさせたのではないでしょうか。(ないでしょうかってなんだよって自分でも思うんですが……そのころにあったであろう学校行事や友人とのこまかい記憶などがうすぼんやりとしか残っていない為「ないでしょうか」としか言いようがない……)
また怒鳴りあいのコミュニケーションは祖母と父の間だけではなく、父と母の間でも行われていました。父母の特殊コミュニケーションの日程は決まって土曜日曜祝日開催。つまり顔を合わせて長く話すようなことがあると、口論としてヒートアップしていったわけです。
小学校から帰ったら夜ご飯と共に家族が口論。土日祝日は両親の口論がランダム勃発、のちに夜ご飯でタイフーン上陸。
以後、このうんざりするようなタイムスケジュールはわたしが高校を卒業してから少しするまで延々、ずっと毎日、十数年続いていきます。
またここまで読んでうっすらとお気づきの方もいるかと思いますが、これはコミュニケーション値が大変低い家族の中でなるべくしてなり、起こるべくして起きた地獄でしかない日々の思い出を吐き出す記事でもあります。この先も気をつけてください。
そうなんですこの家族、全員が全員ともコミュニケーション数値がおそろしいほど低かった。
ここでいうコミュニケーション値が低いというのは「人との関わり方が上手くない」ということで、人に頼る方法での問題解決能力が著しく低いことを指します。
別の言い方をすると「感情を消化させることが不得意」であったり「困ったことは大体自分一人で解決しようとすること」にあたるのですが。なんとこの家族の祖母、父、母の3人が3人とも「本当に困った時は家族に相談せず自分一人で決断するタイプの人間」だったのです。
少なくとも小さい子供の前で困ったときに「困ったな~」と息抜きにでも呟くような人間がいませんでした。口下手なので子供の前でふざけることとか本当になーんにもしないの。かっこいい大人の背中を見て育てってか?え?口から言語を扱ってから言え!バーカバーカ!
失礼、話が逸れました。
それで、そんな大人の姿を見て育った「わたし」という子供はどうなったのか?
「家庭内で困ったことがあっても家族に相談してはいけないんだ」とすっかり思い込んでしまいました。
するとどうでしょう。自分が困ったときにどうしたらいいのかわからなくなり、解決の糸口がガチでわからず、何かあると問題には触れず解決を先送りにし、心に不安とわだかまりを抱えたまま癒しを時間に任せて過ごしていくことばかりを覚えていったのでした。
~おしまい~
……いやもちろんおしまいなんてことはなく、「わたし」の人生はそこで終わらず続いていったので、普通に人との接し方がよくわからない人型の喋る動物が大きくなっていっただけなんですが。(なんですかこれ、言葉にするとめちゃくちゃ怖いな……)
途中でなんとかならなかったのか?という問いには「残念ながら……」という回答しか差し上げられないんです。本当に。残念ながら。
そもそもなぜなんとかならなかったのか。
それは「わたしの自我が形成される期間中、親への信頼なくなったこと」が多分大きく関係しています。
わたしの両親は共働きで、週休2日の週5勤務。母は帰宅したら少し休憩をしてご飯作りを始め、父は帰ってきたら風呂に入ってご飯の前の晩酌をする。まさにひと昔の夫婦って感じでした。
これだけ書いたら「なんだ、普通の家族じゃん」って感じなんですが。ここに「夫婦はどちらも自分一人の時間がないとしんじゃうタイプの人間で、作業や趣味や息抜きも一人で没頭したいタイプ」、「なお2人は仕事でクタクタに疲れたコミュ障」という特性が加わると、どうなると思いますか?
結果をお伝えすると、2人の隙を見ては今日の出来事や楽しかったこと、悩み事などを話そうとしていた幼いわたしが、見えないシールドにはじき返されて転ぶばかりになりました。あと癇癪持ちの酔っ払い相手(酔った時に話したことは覚えていないタイプ)にする真剣な悩み相談ほど、面倒で参考にならないものはないですよね…。(遠い目)
また、このインターバルにも思える時間を逃すともうだめです。チャンスはありません。最初の方に書いた、いつ雷が落ちるかな?ドキドキ☆晩ご飯タイム()になってしまう為、まともにお話しできるような時間はおしまいです。解散!
そして「何よりもただただ話を聞いてほしかったわたし」はこのころの経験から、そういった方面での親への信頼をじわじわと減らしていきました。もともとの内向的な性格と、両親からいつ発せられるかわからない大きな声への苦手意識ゆえに、その不満を爆発させるような機会もなかった為だと思われます。我が子からのそういった信頼値がマイナスに傾いているなんて事実、両親は知らずに生きていることでしょう。わたしも今更そのころのことを知らせて、改めて地獄を見る気はまったく以てありません。
ちなみに、わたしは小さなころから「手のかからない」と評されてきたタイプなのですが、実情は「親への信頼度の低さゆえに何も話さなくなった子供」になります。
忘れられない話なのでついでにここに書きますが、高校性のころ三者面談で割と信頼していた担任が
「おたくのお子さんのように子供を育てるにはどうしたらいいですか?」
と父を持ち上げたとき
「いやあ、放っておいただけですよ。」
と照れ臭そうに答えた映像がいまだ焼き付いて離れないんですね。「心の底からやめたほうがいい。」と思ったけど、そのときにはもう心の開き方がよくわからない動物になっていたので(あと不意打ちのショックで)、そのことを担任には伝えられなかったことが心残りでならないです。
(他にも、親がわたしが子供のころの「手がかからなかったエピソード」を良き思い出のように話すのを聞く機会があると、心が荒れ狂って獣のようなかたちになってしまうんだよなあ。いつか本物の虎にならないよう注意します。)
あとこの記事を書くきっかけとして兄との対話がありましたが、兄曰く
ということだったので擦り合わせのようなものはかないませんでした。ちょっと残念でしたね。
こんな環境の下でグレる気力もなくしたわたしが、体だけはすくすくと立派に育ち、高校生くらいになった時の話でしょうか。
父が仕事で体調を崩し、自宅で過ごすことが多くなっていたころです。
いつものように休日を家で過ごしていた両親とわたしが昼食を食べていたとき。わたしにとって衝撃的な事件が起きました。
と言ったのです。
…………h、?は?
ハァ????????????????????????????????(フォントサイズ最大)(太字)(赤色)
と、そのときは思わず内心ではバチクソにブチ切れる若者になってしまいました。その後「えへへ…(照れ)///」みたいな態度を返した母に対してもです。
突然のことに(非常に残念ながら)体は驚き固まり動かず。突然見せつけられるリアルな夫婦の惚気(十数年間生きていて初めての!)とのにテンションの差でしにそうになりながら、息をするのがやっとだったわたしは、心の底から思いました。
その後わたしの遅めでささやかな反抗期「挨拶や会話を振られてもちゃんと返さない(面倒な人間を相手にぶつかり合うのが面倒になっている為こうなりました)」が発動されることとなりました。
また、今思い返してみればという話ではありますが。
わたしの両親は「限りなくマイペースで自分のペースが保てないとストレスを溜め爆発する」、「一人の時間がないとしんでしまうタイプ」、「作業や趣味や息抜きも一人で没頭したい人間」、「疲れるとコミュニケーションの余裕がなくなる(もともとのコミュニケーション許容量が多くない)」という属性のほか、
という隠れ属性を持っていたわけですね!すごい!
もっと早くに知らせてほしかったな~~~~~~~~~~泣きそう!!!!!!!!!!!!!(もう泣いてる)
幼い子供の前で十数年!ガチシリアスな雰囲気で怒鳴りあい時に片方と見ていた子供が不安で泣くようなギスギスした特殊コミュニケーションが?!痴話喧嘩だったなんてことあるか?!?!?!?!?!?!!!知るか~~~~~~~~い!!!!!!!も~帰らせていただきますわ~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!(実家が住む家)(秒で顔合わす)
ハァ……ハァ……
冒頭に書いた通りですが、最近になってやっと比較的ちゃんと人間としての心が正しく揺れ動くようになったので、これが「怒り」であり「悲しみ」だというのを”理解”して”発露”してしまいましたね。フフッ ウッカリウッカリ☆(棒読み)
そんなこんなでややダウナー気味の反抗期を迎え、両親との溝を更に深めたわたしですが、更なる問題が発生します。
私が大学に入ってすぐのころ、父が亡くなりました。
大病の末の結果なので、家族として心の準備はできていたと思っていたのですが、それでも誰かがいなくなるのは悲しいですね。
などと心から人間味のある言葉が出てくればよかったのですが、そんなことはなく。ただただ日々感じていたひとつ大きなプレッシャーから解放された自分の心を、不思議な目で眺めるわたしがいるだけの生活になりました。
特に大きく日常が変わることはなく、このまま過ごしていくと思っていました。しかしそのときわたしは気づいてしまった。
「あれ?もしかしてこの先もずっと生きなくちゃいけないのか……????」
そう、そこでわたしは「自分の人生に真剣に向き合うということをおろそかにしていた」ことに気づいてしまいました。
「家でプレッシャーを放ち続ける父母祖母のご機嫌を伺いその日その日を生きること(解放されるのは外出時と寝る時)」に人生の大半を費やしてきたわたしはどうも「自立する」、「新しいことに挑戦する」、「ペットを飼いたいと交渉する」など、両親との長めの話し合いが発生する場を悉く避けて通ってきたようです。本当に、ここまでまったくの無自覚でした。
まあ気づいたところで急に何かに目覚めるわけでもなく、まずもって気力がないので出来るわけでもありませんでしたが。「このままじゃいけない気がする」という漠然とした焦りから、映画や漫画、アニメなどの創作物に対し、心新たに触れるようになりました。(もともと漫画やアニメなどは好きで小さいころから見ていたんですが、日常からの逃避先がそこだった為か、内容を覚えていたりいなかったりするんですよね……記憶がない状態で楽しむアニメと漫画、めちゃくちゃ面白いよ!ヤッタネ☆)
その後なんやかんやで就職できて、何年か社会人を経験し、先輩や同僚にもまれたり気の合うゆかいなオタク友達との出会いがあったお陰で、やっと「人語を話すけど意思の疎通がはかれない人型の動物」から「たどたどしいがやろうと思えばなんとか意志の疎通がはかれる人型の動物」にクラスチェンジできました。
こんなクソ重いありがとうを直接伝えることは憚られるので、ここで叫ぶことをお許しください。
特にゆかいなオタク野郎のみんな~~有難うな~~~!!!これからも仲良くしてくれるよう頑張るよ~~~~!!!!!
相変わらず親に似てコミュニケーション容量が低いままではあるけど、それも含めてなんとかやってます。(しかしここまで来るのがあまりに長かったので、これまでに大変なご迷惑をお掛けした人のことを思うと、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にすみません。もうこんな(わたしを始めとした)人間未満みたいなものに出会わないようにと祈っております。日々が穏やかで良いものでありますように。)
自分では上記にある辺りの激しめの感情はとっくに昇華されたものだと思っていたのですが、疲れて余裕がないときにバラエティなどを見て笑っている母をみると無性に苛立ち、シリアスに泣き出したくなってしまうときがあります。ちょっと危険だなぁと思っています。一種のボーダーラインだと思ってそういう時は寝て回復に努めるのですけれども。
この文章を書きながら全然昇華されてなくて自分でも笑ってしまいましたし、いつか本当に追い詰められた時に有事を引き起こしてしまうようなぼんやりとした予感があります。お金が貯まったらちゃんと離れて暮らそうと思います。お互いの為にもね。
また未だに「健康な精神状態で運営された家族という団体」への憧れは強くあるようで。
誰かが手掛けた創作物でキャラクターが心通わせる表現にふれると、あまりに眩しく尊く感じ涙を流したり、TLで健全なコミュニケーションが成立し、信頼関係が成り立ったご家族のアカウントを見かけると「本当に実在し(ていてくれ)たんだ」と感動してしまいます。なんか、アレだ……太陽の光に当たってぼんやりと、あたたかく眩しいなと感じるような瞬間に似ています。存在していてくれて本当に有難うございます。わたしが勝手に救われています。
繰り返しますがこの文章は、それなりに情緒が育ちその当時の感情の言語化、過去の振り返りおよび分析ができるようになってきた「わたし」が、その気づきとともに過去の自分の感情に圧し潰され、溢れだす記憶に涙が止まらなくなり、座り込んでしまった「わたし」のための個人主観の記事です。
今何かに苦しんでる「あなた」を追い詰めるためのものではないので、もしもここまで読んでちょっと苦しくなっちゃった人は、とりあえず体をあたたかくしてゆっくり休んでほしい。休んで。寝て忘れてね。どうぞお大事に。
ときどき思い出に苦しめられつつ、寝ずに一気にこれを打ったので、ところどころぐちゃぐちゃな文章になっていると思うのですが、ここまでお付き合いいただき本当に有難うございました!
こんなところまで読んでくれたあなたにも、ちょっと良いことがあるといいですね。
それでは。
そろそろ忘れそうなので思い出として記録しておく。
大学で建築を学んでいる人、未経験でゼネコンに行こうとしている人に見てもらえたらと思う。あと同じような経験をした人にも。。。
もう5年ほど前になるが、私は大学を卒業して中堅ゼネコンに施工管理で就職した。結局のところ一年立たずに辞めてしまったが、こういう会社も有るんだということで話を聞いてほしい。いや、かつてゼネコンに就職していた友人の話を聞く限りこういう会社ばかりかもしれない。
まず生活について、
転勤ばかりであった。改築現場や新人ということもあり僅か1年足らずの間に3現場ほど経験した。中堅ゼネコンということで全国に支店があった。首都圏、関東圏であれば現場が近いが、地方であったので現場ごとに県が違い引っ越しを余儀なくされた。ちなみに1週間ほど前にはじめて知らされる。。。
最初の現場は大現場であったので同期と2人の配属であった。経費の関係かルームシェアをされられたが、性格が悪く最悪であった。思い出したくないので割愛。
仕事について、
建築が出来ていくのは一種の快感を覚えるが、仕事自体は特に面白くもなんともない。私のいた会社では、まず掃除、墨出し、朝礼の司会、職人の手伝い、施工写真の撮影、業務日誌や行政への書類作成、施工図の作成などを行った。最初の現場では、上司がいろいろと仕事を教えてくれたのでそれなりに楽しかった記憶がある。
2番目と最後の現場の上司(同じ人)は仕事を教えてくれなかった。質問をしてもお前はこんな事もできないのかと馬鹿にされ、教えてくれなかった。
仕事のやりやすさについては、良くも悪くも当たる上司次第。ゼネコンの場合、会社が大きくとも現場は個人プレー。当たる上司の運ゲー
私の知る限りでは同期の1人は半年で辞め、1人はメンタルをやられた。わが友もしかり。
そんな環境なので生き残った人は、まぁ変な人か極度に優しい人しかいない。
休みについて、
会社の規則によると完全週休2日生で祝日も休み、120ちょいの休みであった。がもちろん日曜以外の休日はサービス出勤。実質60-70日程度。
まぁ現場の職人が日給制なので土、祝は来たがるから当たり前。そもそも同じ職場で働いてる人で月給と日給がいるのが構造上の欠陥。どうしようもない。
ちなみに事務職は暦通りで定時退社だったので事務での就職はおすすめできる。
8-17時までが就業時間だが、定時で帰れたのは最初の1ヶ月ぐらい。徐々に夜10時頃がデフォルトに変わってきた。月から土まで毎日8-22ぐらいのイメージで働いていた。たまに20時終わり。たまに徹夜。
結果、少ない月で100時間。多い月で200時間程度は残業していた。
給与について
労働条件の書類を見せてもらった覚えはないがみなし残業制とか裁量労働制にいつのまにかされていた。
月3万円程度の固定残業代だけ支払われた。あと祝日だと何千円か手当がつくが、なぜか手当だけである。
結果、労働時間から時給計算するとコンビニバイトのほうがだいぶ良い。
パワハラとか、
当時は問題視していなかったが今思えばパワハラ的発言はたくさんあった。記憶に残っているものだと、お前は駄目だから早く辞めろ(入社数日で20人クラスの上長に)とか、早く帰れないのはお前が仕事できないからだとか。。。
まぁ我が友のはなしだと殴られたとかもあったのでノーカンか?
ともあれ今の会社では、パワハラ的発言1回も聞いたことがないので本当に転職してよかった。
その他、
無駄に管理職が多かった。ある部署では半分以上が部長とか。どうせ残業代払わないんだからどうでもいいと思うのだが?
因みにいままで書いた内容はある程度覚悟していて私自身はそれで辞めるつもりはなかった。
まぁ、数億の中では数百万如き浮かせて手抜き工事をしているのは建設業では大したことではないのかもしれない。しかし、私には響いた。
私のなかでそれまでなんとか耐えてきたメンタルが、崩れさってしまった。それに協力していた自分がとても汚らわしいものに思えた。
死のうと思ったが無理だった。
思い出すのは昔にもうやめた。
もう少しは頑張って生きていけそう。
最近とつげき東北というやつがTwitterで炎上?している。
それで彼を見始めたけれどまあ言い訳の酷いこと酷いこと。
昔は三番目の帝国大と言われていたようだが、いまは昔。
かつての光ファイバーをはじめとする功績は見る影もなし。
今は自殺者をもみ消すだけの哀れな大学、それが堕落した東北大である。
うちの会社にも東北大出身の奴らがいるが、ことごとく使えない。
同じことを何度も聞き返すのはまだしも、渡した仕事がいつのまにか消えている。
「◯◯は?」と聞かないと報連相すらしやしない。
挙句こっちへくる資料が軒並みクソ。もうね、君本当に修論やら資料作ってきた?って言いたくなる。
あげく休みだけはしっかりとる。週休2日だけど申し訳ないから1日出ますとかないの?
国公大とは比べるべくもないし。
GMARCHやら大東亜帝国とかのネームバリューある他の私大の方がよっぽど仕事するし熱意に溢れてる。
うちの会社の学生応募も、東北大だけで弾くかもとぼやいていたくらい。