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2018-12-12

anond:20181212165526

???無能を含む全男性」ってことか?

障害者就労予算があるだろ?

障害もないが漠然能力が低い層は、だから自助努力モテ結婚という全く同じルートがあるぞ

やりたくなくても全女性が自我を殺して無償でやってたんだゾ

2018-12-10

恋愛以外でも自己肯定感は得られるだろうとはいわれるけど

片想いしてる相手からLINEとんできたりいいねされたらそれだけでその日一日ウキウキだし

無視されたかなって気になってるとずっと漠然メンタル不調だったりするんですよね。

創作物を褒められるのだってその片想い相手から褒められるのが一番一番うれしいし、その人から褒められない限りは他の友達や知らない人から沢山ほめられても、申し訳ないけどどこか物足りない気持ちが拭えない。

思春期じゃなく三十代になってもこうなんだから恋愛抜きで満足した自己実現ってできるのかしらって思うわ。

自分人生を生きている感じがしない。

別に誰かの言いなりになっていたり理不尽なことを強要されているとかじゃないんだけど。

ふと「この肉体は借り物」だな、という感覚に襲われる時がある。

最近はそろそろこの肉体返さないといけないんじゃないかとさえ思う。

年齢特有漠然とした不安なのか、いい年して中二病なのか、はたまたうつ病と思っていたけど

anond:20181206142440

を読んでなんかしっくりきた。

漠然とした辛さ

つらい。

最初に書いておく。自分鬱病である

病院でもきちんと診断された鬱病だ。

きっかけはありふれた理由だったので割愛する。

無職でもう三年経ってしまった。寛解は遠い。

この後の文章ちゃんとした文章になっていなくてきっと見るに堪えないと思う。

自分にはもう考える能力もない。頭が痛い。つらい。死にたい死ねない。



この冬という寒さには毎度鬱をリセットされている気がする。

どんなによくなっても、自分には生きることを許されていないんじゃないかな。

無職だが実家があり、親は優しくおんぶに抱っこ。時折バイトをして過ごしている。

そして冬になればバイトを辞め、鬱を悪化させては自分と親の貯金を食い潰して春を待っている。

身体はぶくぶくと太り、髪は白髪がちらほら出てきた。

自分老いた。

三年もの無職でもう人間にはなれないのだと強く実感した。

例えば今窓を開けて飛び降りれば打ち所が悪ければ死ねるかもしれない。

でも出来ないんだ。

だって痛いのは嫌だからね。

でも生きていると日々「親の金を食い潰しているな」と感じる。

引きこもって誰にも会わなければいいのかもしれないけれど自分は外が大好きで、でも一人じゃ起き上がるのもついか介護してもらっている。

バカみたいだな。無職で外が好きなら働けば良いのに。

働くことを思うと苦しい。

正社員にはもう戻れないだろう。

フリーターとして生きていくんだ。

実家があって良かったね、恵まれているね。親が許してくれるから、親が援助してくれるから

ああ死にたい

自分は自立したい。

一人の人間として、大人として、生きたい。

なのになんで今無職なんだ。

なんで今泣きながら文章を打ってるんだ。

死にたい

でもヘタレから眠ってそのまま死にたい

睡眠導入剤を多く飲めばまかり間違って中毒になってぽっくり逝けないだろうか?

でも頭はきちんと処方通りの量だけを手に取って飲み込む。

なにもできない、なににもなれない、自分は昔の稼ぎで買ったパソコンで、ちっぽけな承認欲求を満たすために色んな創作をしている。

かに「すごいね」「とても良いね」って言われたい。

でもさ、「すごいね」とか言われると「死にたい」って思うんだよ。

本当に自分は好きじゃないのに、承認欲求を満たされたくて作ってごめんなさい。

でも、好きなんだよ。作ることも、承認されることも。

死にたい

この日本でこんなバカみたいなこと考えて鬱こじらせてる自分でも、復帰できるのかな。

未来にも希望がない。過去は消したい。現在死にたい

これをここまで読んでくれた誰かへ。

ありがとう

自分はこれを書いたことでまた明日から寛解に向けて努力する人間」の顔ができます

寛解なんて、出来ないのにね。

健康身体が恨めしいや。心だけじゃなくて身体も不健康ならこんなに悩まなかったのに。

2018-12-09

anond:20181208233617

そんな相手事情も考えないでいられる人は、両親が五体満足で支援必要性のない人だからそもそも同じ土俵にいないし気にしなくていいと思う

ただこれからも親との二人暮らし生活を送ることに漠然とした不安があるなら、条件のあうパートナーを探してもいいんじゃない

2018-12-06

anond:20181206084601

子どもが「ケーキ屋さんになりたい」って言った時に素直に応援できる親がどれだけいるのか。

んなもん普通幼児しか言わないし、幼児マジレスしてもなあ

お受験親ならもっと勉強必要職業誘導したがるかもしれないけど、それだと「普通OLになれ」「見合いしろ」なんて絶対に言わないだろうし

(言うのは「医者になれ」とかだろ?)

将来の職業現実的に考えなければならない年齢(中高生以上?)になっても「ケーキ屋さん」って言ってるなら

反対する前に職業教育見直した方が良いと思うけど

ガチパティシエになりたい、その大変さもリスクも分かってる、なる為に必要な事も分かってるしその為の努力もしてる、ってなら別だけど

中高生漠然幼児レベルで「ケーキ屋さん」って言ってる子だったらちょっと

2018-12-05

三次元

オナニーを覚えた頃から二次元でばかり抜いてるから三次元オカズにすることが滅多にない。

今までの比率を平均するなら、二次元三次元=40:1ぐらいか

ここ2年程二次元しか抜いてなかったんだけど、一昨日本当に久しぶりに三次元で抜いたら

イった瞬間に得も言われぬ後味の悪さがあって、漠然と「三次元無理だな…」という感情が溢れた。

量も少ないし。

世の男性は、一般的には三次元女性を愛するのだろうけれど、

今まで三次元で意中の女性なんて出来たことがなかった。

恋愛というものがよくわからない。

生身の女性に劣情を抱くのが難しい。

彼氏彼女関係になっている人達を見て羨ましがる人がいるけれど、

二次元しか関心を持てない人間からしたら、何故羨ましくなるのかがよくわからない。

様々な娯楽がある現代、そんな関係になれるなんて良いことだな、微笑ましいな、程度に思うことはある。

同様に彼氏彼女を欲しがる人もよくわからない。

欲しいと思ったことがない。

20代半ば。50代ぐらいには、焦り始めているのだろうか。

キリの良い年齢になったら人生終えようと思いながら生きてる

前にキリが良い年になる前もずっと漠然とそう思ってて

結局その時は「あぁこれからどうしよう…この年まで生きると思わなかったなぁ」なんて思って

結局色々あってだらだら生きてるけど

去年心の支柱がバキバキバキッとそれぞれ別のことなのに一気に3本くらい折れちゃって身体も壊して、そこに追い打ちかけられる事がいくつかあってから

あぁもういっか

クズが生きてるだけで申し訳ないもんな

って思うようになった

あんなに好きだったオタク趣味もどうせあと数年で死ぬんだから処分も大変だしと思って買わなくなってしまった


環境変えて少しマシになったばっかだからあと数年くらいはもうちょい頑張れるかなぁ

色々助けてくれた人達申し訳ないなぁ

でも今そばにいてくれてる猫が死んだら多分もう無理だからそうなったら追いかけるんだ

なんて思いながらあと数年までもう少し生きてる

2018-12-04

anond:20181204065148

横やけど。

にぎやかな商店街に必ず美味しい総菜屋があったり京都に仕出し料理屋が多いのって、都会というかダウンタウンに見られる風景で、家族全員が家業に携わっていて忙しい家が集まってる「まちなか全体で助け合いサービス」。

逆に、家庭料理主婦手作りってのも、昭和の一時期の高度成長期時代ベッドタウン風景、もしくは多世代世帯が当たり前の農家田舎町ならではだったり。

漠然とした私見だけど、カーチャン手作りした惣菜にこだわる人って出自田舎の人が多い感じがする。そういう風に育ってきてるから家事外注が馴染みがないんかなーとか。町の感じと、食事をどこまで外注化するのかというのは連動する。

そういう意味では昨今の共働きが当たり前、単身者比率が高い日本じゃむしろ惣菜買ってきて並べるのがちょうどいいと言えるかもね。

2018-12-03

anond:20181203174920

子供のころから、なんだかよくわからん時系列だなぁと漠然と思っていて、

いろんな時代を切り取って書いているのかと思ったら、ちゃんと交互になっていたとは驚きです。

今手元に無いので分からないけど、そのサイト説明は割と正しい気がします。

2018-12-01

漠然とした不安

から漠然とした不安を感じることが多くて困る。

一週間に一回くらい、靄がかかったように何か不安になって不眠・食欲不振・倦怠感に襲われる。

時間お金自分がやりたいこと、ある程度満ちた生活になっても

頭の中のもやもやが取れることは一切ない。

他の人は感じてないの?

靄がかかったような曖昧不安

2018-11-30

脇の下からその日食べたもの臭いがする

脇の下からその日食べたもの臭いがする。

今日サイゼリアの小さなパン

昨日は桃みたいな甘い臭い

玉ねぎ食べた時は玉ねぎ臭いがするので大事仕事の前なんかは玉ねぎは食べない。

触ってみて初めてうっすらとパンのような臭いがするな、とわかるレベル。友人や恋人はそんな臭いしないよ、と言ってくれるけれど、彼らは私に気を使っているだけで、実は公害レベル悪臭なのではなかろうかと思うと夜も眠れないし、風呂に入った時も身体のどの箇所よりも脇を丁寧に洗う。臭いハゲは早めに指摘してくれた方がよっぽど親切だ。

自意識過剰すぎるかもしれないが、ワキガ人間自分ワキガであることに気づけないというし、私も実はワキガなのではないだろうか、という漠然とした不安けが今日も頭の中に蔓延している。

今まで生きてきてワキガ人間出会たことがないのだが、もしかして、私もワキガなのだろうか。

皆さんの脇の下はどんな臭いしますか。臭いがする時点で異常なのでしょうか。

とりあえず、風呂に入れば朝食を食べるまでは石鹸匂いに保たれる。風呂に入ってから翌朝起きるまでのこの時間が今生きていて一番幸せ時間である

私は、6年働いたNTT退職した。

私は、2012年にマスタ卒業生の新しい卒業生によってNTT研究センターに入り、それは6年の間世話の下にあった。

それは、研究センターで同じ年、より優れ、ジュニア、およびボスに恵まれて、私は本と主題を読み、勉強されて、パワーが完全に節約されて、外での祝福で、また場所で外部の発表によって組み立てない経験をすることが可能であった。

どうもありがとう

あなたが、会社の中のNTTで私がしていたことについて言うことができる何かがすべて出力される。従って、私はここで意図的に触れない。

NTT研究センターについて。

NTTセンター客観的研究するのを見る時には、それが、それがどうであるであるかが説明されている。

とにかく、それは人に恵まれている。彼は採用の拡大のために、高価なものも持ち、グーズベリーエリート神秘的なパワーによって可能性を確かめて、豊富学生入力から雇用される。すばらしい男が同じ年を見て、あなたが、見て、理解する必要はない時に表情のためここにある時および私が話す 私は 納得できる能力を持っている。ボスは観察エリアの失敗のほとんどどの話も聞かず、私だけが言った時には、それはいつもよいボスに恵まれていた。おお、私が見回った時には、私は永久に他を中傷し続けて、また毒を散乱させる声の大きい人があった…。

研究予算機器豊富であること(国 相対的 で)少量、会社、私が危険を冒す時に、驚いた市場価格である製品の中、研究のために雷が鳴り、私は倒れて、あなたは、それらに、他のものが外に行くことができない研究をさせることができる。, また、外でソフトウェア開発パワーに注文をし、個人によりされえないパワーを示すことが、操作上の契約によって可能である の、持っている that 必要 時。

それは研究のために普通である 考え方のその2語の言葉 また、「そして、どのようにするかがそれによってするか 利益お金 ?」によってonにおいて目が密接に疑われる 。それが柔軟で、一般に私が企業研究を言う時 NTT研究センター場合のもの 「私は、どのように得るかを考えていないけれども、それは、これを持つこのフィールドの中で最も速く世界であるかもしれない。」 。「一番上の学究的なミーティングは通過する。」 壊れ、金格言が、すべて (それはまた、部門依存する。)直ちに気にする 自由から 勉強できて 重労働重要性を理解している感謝している組織 ことなしでのあなたが、フラッシュするための何かを求めることができる時 。もしたとえ「私達は未来を5年遅くしている。」と言い続けているセクションがありさえしてもあなたが望むならば。1年、未来4年遅れ「作られている」、それが変わらないことが美しいこととして その間中 毎年 、およびそれ 通った。

例えば、また、もちろん、結果、様々、主題ビジネス製品としてのもの判断が見られる 重要寄与 そのような形(イベントおよび技術的な訴えによってプラットフォームに行く)による活動は、また、寄与と思われる。

私は、いつも、最初はいつも私がめざす結果を見るだけではなく、研究は、その注意も、そのプロセスによって外に出て、考慮する副産物に変える暖かな組織である

合法意識が少し高くそんなにであることとスタッフがきついと感じていること、およびもの by which even 夜遅く FURETTSUの開発のまわりの残業zanmaiのための保持される労働 次に軽い すでにおとぎ話世界について話すために来る でさえ。今すぐすぐ私がそのような話に出会うケースを全然持ちさえしない。完全な状況が全然ない時には、深夜勤はまた起こらず、たとえそれが起こっても、遅い夜勤手当は堅く支払われる。数倍、もしあなたが、時々労働組合をうろつくことを好んでいて 中の驚きによる職場 22時 ならば、夜遅くツトムを静かにしている人がないかどうかにかかわらず確認し、私に参加しすぎるけれども、私は偶然そのような場所で一度も出席しない。もしまた、もちろん、物が可能ではなく 錆バランス 、, 後で支払いがグルーピー から により検出されて、支払われる でするならば that 。もしそれらが最近はであったならば、私達は、また、週末および仕事メール答え)においてそれが会社システム接続されることが、「休日仕事」とみなされているべきである仮定し 少し実行された 、それは過去の年間の数のレコード比較された、そして、それは会社の中で大幅に再考されて、私はトラブル似の意味によって重大な経験を持っていたけれども、これは、合法意識が作り上げられうる仕事でもある。

研究員のほとんどは柔軟な作動時間システムであり、私が、結果、私がオフィスに来る時間を見さえする時について尋ねない、たとえそして、残業説示がまたすたれなくあり続けていても、そして、1番目の平均的な勤務時間が大きい7.5時間より低く、最もよいものは、それが問題ではないことである。私も持ち、それらは朝に弱く、基本的に、1人の人がプロジェクトであり、毎月の残業は、出席夕食時計外の近くで正午にマイナスの40時間についてであった、しかし、その原因を全然作らなかった給料カット全然持たない。

店頭売りの本と主題は、また、基本的に、研究環境として読み、それは、静かに読むために、場所によって並みはずれて、また祝福する(入手可能な部屋)。コンピュータが、予算においてあなたが望むのと同じくらい多く強い何かも供給できて、私が住んでいた コアi7 8700+64GBメモリー+2 GTX 1080+30インチディスプレイ としてLinuxを贅沢な環境に含めている。

お金についての承認と不賛成があるけれども、悪くない支払いは支払われる。きちんと働く時に、日本大学院大学卒業した同じ世代の平均的な給料が超過であること、および賃貸あなたにおける生活により補助金も借りられたかもしれない時。課長クラスに昇る時には、年間収入10,000,000超過はZARAにおいて出る。従って、貧しい教授よりそれが理学部の上昇ルートとして祝福したといわれていることができる。仕事はもちろん容易ではないようである

NTTと呼ばれるパブリシティ価値は、また強く、私は自己紹介についてトラブルに遭っていない。なぜなら、国だけでなく外国の国でさえ、まわりで、ビジネス関係する日本および深い国におおよそ通じているかである。それが親世代から見た時には、「私の子孫はNTTのために働く。」と言うことが、数度まで強力で、それは、また、それがそう歓迎したこと議論するために、彼らがtheに何かであらせると伝えていた、私は、もちろん議論するための何かを持っている。)

NTT研究センターで、義務を、そのような感覚によって、打ち明け話を持つ同じフィールド必要自身ほとんどと人に提案することが可能である、そして、私は、私が、大きく勉強し、名前アカデミックに吠えさせたい人の代わりをしたい就職先を推奨する。それは奇妙に高い拡大を持ち、それは研究プレゼンテーションによってインタビューである。従って、化学によって落ちる物もあるかもしれない、しかし、私は、新しい卒業生がすべての人々であると思う 試験を受けている記念であり、あなたに入ってほしい 。入力座席手書きはまた不要である。従って、私はアレルギー手書きに救われる。

私がNTTを辞任したという2つの理由

いつ なぜするか あなた 言う 私 そのような祝福された環境からそれを辞任する ?

1.支払いの成長率は厳しい。

時間平均が、7番目の年の間入口で6,530,000円の私の年間収入会社員の支払いとして最初に書かれたこととしての数値として注意を引き付けることができるよりうまく、上に暖めることの多くをけなすために(すべてを含むボーナス使用料補助金)。それは、それがよく、私が、ライフのためにそれがここから熱心に上がるかどうかを一方では言う時に私が管理プロモーションとして小さいゲートを通り抜けない限り8,000,000円であるかどうかにかかわらず、私がラインについてぐらつき続けていることである

そして、決して、すべてのものが、人を等しく管理する仕事もの by which にすることができた後に、私は考えることができないたとえ傍観者観点でそれが見られていても、マネジャー仕事自身のための楽しみのように思われなかった。

会社トレーニングしているライフ計画にそのような年間収入予想価値に出席する時に金融計画であるような講演者からNTTの状況を考慮する間、もし「もしそれが30,000,000円を越えるプロパティであるならばあなたアパートを買い ライフ 、まったく厳しくなるならば、従って、私は、that."の下の見積りをするために勧めて、私はアドバイスを静かに受け取った。数度 ても 自身 それほど高価ではない than that もちろん 家に住んでいる に満足ゆくように生きていることができることに、, それがすることができなかった で合意した後に小さい家を建てるライフにおいて夢を見なさい。長距離の整流をする ファミリーによってそこに生きている東京限界 。もちろん、すでに、そのような選択をした数千人の人々が、大都市圏にもいて、それらを全然けなさな意図全然ないけれども、またライフにより良い条件によって住んでいる多くの人々がいる。

ライフ計画1を達成するために、現在収入固執して以来、考慮する 悔いだけの老齢と会うためになる危険自覚は保持されている。

TOまたはもしそれについて話しているならば、ニュースは適時に、すぐに外に出て、NTT研究センターが取り扱い改良に努力をするように思われる。

私は見て、NTT側は苦く、彼らは、才能で、GAFAにより侵害されているNTTであると思うようであるGoogleアップルFacebookアマゾン)。

サワダ大統領は、研究において人的資源の足止め計画としてそれを特別ものとして認めさせていたプロフェッショナル人的資源に高価な報酬を与えるために、会計年度19に賃金制度の程度が改良されると断言した。215,060円大学卒業はマスタのコース仕上げであり、上述の会社研究開発仕事初任給は、237,870円である

これはもちろん歓迎されるけれども、この調子では 根本的な解決策に来ないthat which 下問題である

2.内部の社会絶望しなさい

リストの1番目に近づく絶望が、セキュリティ環境であり、NTTが、日本ICTテクノロジーが前提として導かれる観点であるので、たとえ私が誤りをし、犯しても、私が、セキュリティ紛争を引き起こす理由に行かないという決定がある。私が特にオリンピックについて言う時に、私が金パートナーでもある および。

大規模なセキュリティ出来事が起こった時には、損害額の見積りは無形の損害を物質的に測定し、知られず、数千億のユニットが登られるかどうかも知らない。また、もちろんの実行されたセキュリティ方針A be何か厳密なガード そのスケールの損害を避ける 、および思われない計画が果たし 理由においてとりわけ次々に与える 、それは、会社の中で、 管理ゾーン(の「全体の研究オリンピックセキュリティ方針理由のためのRAREに停止するかもしれない」 Ote-machiを呼んだ。に従っておよびたとえ実際、それがそうであっても、どうぞ私 驚かない でささやいてください。

研究員は、しばしば、NTT研究センター研究員が販売会社とひどくそれぞれ使うコンピュータも調整し、供給し、研究員は、設立されて、助けなしで例外なしの手によって供給したコンピュータセキュリティセットアップシリーズをする必要がある、そして、私は決めて、リテラシーのためのあるの一日中それには静かにかかる(私は、NTT研究センターの人々の多くが、「 1日に終わらないDARO w」とTSUKKOMIを、これが書かれる時に入れていると思う。)またさらに 人 低い理由でもない研究員によっていつもLinux動作に入ることは見て ように 私および供給マシン会社Windowsまたはシステムとの関係独立して進み VM 、それはMacだけから使われうる、そう、増加にてほしくなりなさい。会社システム更新および労働環境での再考は繰り返されて、それは見て、それは現進歩的form.のため残酷ポジションに完全に変わる

私は、制限が厳しいこれであると思う 別々に、ほとんどすべて 日本大企業が見回る所でどこでも私が自身と似ていたことを議論する何か を持っている 。

そのようなセキュリティ方針自身、する意思、それが釣り合いがとれたこと、状況 that ITリテラシー 十分なけれども である人 下のレベルのこの多く それが本当のパワーを把握し、管理判断をしているより多く への絶望的なもの、私は退職し、それについてとどまり、いくつかの動機であった。

セキュリティ4GBおよびそのような非人道的環境およびここにある証拠に、セクションを押している仕事があっただけでなく、研究センターを除いた位置ソフトウェアを開発するために、メモリー静かがHDDを使った。私がIMADOKIのエンジニアである時にメモリー4GBがブラウザだけにより完全に使い果たされることけれども従って、スワップが食を起こさないこととソフトウェアを送ることとではないこと、および環境起動だけのためそれに贅沢な時間かるという事実メモリーSSDの数万円、排水溝の数百万円のために、彼がMM操作をやめるかどうかにかかわらず、可能性 that 自覚を持つことができない人 がありさえし、方向をけちくさくしている。魅力的ものが、「メモリーが128MBの世界であったので、管理ゾーンアクティブ世代の時のPCは、現在、4GB、およびルートなしで、莫大な容量が、発言発情するのを見るものであるかもしれない。」と言うという事実によって。別の眺めとして、私が見る 私が確信する それは企業似なので、大きいかもしれず、私は来た。

そのような話は、一般に、労使関係の間で最もよさをめざして協議されるべき問題であり、私は労働組合の机を通して適切に不満を言うべきである。そう、日本でさえ、一番上のクラスのため、私がこの効果"を大きい労働組合の机に請願した場所によって無遠慮に拒絶された 私は、ソフトウェアエンジニアだけを非常によく扱う理由に行かなかった。協会が、契約社員 あなた相対的に冷たく扱ったおよび の取り扱い改良を通じて車隊システムによって全体の改良の計画を立てていた 有限な雇用再雇用の人 現在 。もしソフトウェアエンジニア職場改善されたならば、投資と貸付金のための財政資金が少なく、全体は改善できなかった。」もし私が会社利益についてパートナー労働効率依存するというアイデアのすべてが廃棄されるならば通過する理由、およびaのためそれが見たことによってパートナー すべてのメンバー について口論せずに独立イベントとして起こる投資のための財政資金と貸付金を共有する組織の最高の提案、私が見る 私が確信する それは企業似なので、大きいかもしれず、私は来た( 1つの手段方法の2番目の時間)。

さらに、私が様々に言いたいケースがあるけれども、組織理論NTT方法が様々に複雑であることおよび漠然としている愛玩用理論混乱という事実。従って、実際会ういつでさえ私が尋ねたい。

そのような感覚のため、お金、夢、およびプライド(それは個人主体であった。)出発NTT研究センターを失ったkumagi。

Googleでは、今月、変わる宛先が5番目から検索のチームに関与した。それは、次に出力することを予定した。従って、どうぞ注意してください。

2018-11-29

anond:20181129200845

たまに漠然モテたいってやついるけど本命モテないと意味ないどころかむしろ面倒だよな

好きでもないのにとりあえず付き合うとか器用なことができない…

無職童貞アラサーが薬物治療中の中年女性デートしたときの話

特定されたくないので部分部分でフェイクあり

知り合いの紹介で薬物治療中の45歳の女性デートしてきた

相手は一番写真写りの悪い片山さつき体重2.5倍にして薄汚くした感じの中年で、髪はボサボサ、薬のせいなのか肌も目に見えてガサガサだが、喋り方は若い(というか幼い)感じの女性だった。

笑うと前歯が無かった。

控えめに言っても異様な雰囲気を醸し出して、これは流石に無いだろと思ったのだけど

デートに行ったら友人が5000円(無職にとっては大金である)くれる。さら地元開催のグルメイベントチケット二枚進呈するという友人の後押しもあってデートへ行ってきた

俺の初デート相手は45歳の薬物治療中の女性でした

行き先は美術館駅前イベント

俺は無職なので金が無い、おめかしする事もできないので適当オタクくさい格好、しかパンツの膝のところがビリビリに破けてるというおおよそデートとは思えない格好だったが

相手も45歳という年齢には合わない白のワンピースカーディガン童貞なので女性の服の名前は正確には分からない)に変色したキティちゃんワンポイントがついたピンクポシェットという格好だった

正直キツイと思ったが

それでも相手は精一杯おしゃれしてきてくれたのは理解ったので申し訳ない気持ちになった

美術館についてはそれほど語ることもない

ただデートといえば美術館水族館かな、という漠然とした理由で行っただけに過ぎない

ただなんか油絵があって、白黒の水墨画?というのがあって、後は学のない自分にはガラクタしか見えない何かがあった

終始無言でなんとなく金を払って絵のある空間を歩いて

それで終わりだった

その後は地元開催のグルメフェスタに行った

こっちはチケットもらってたので実質タダ飯が食えた

それだけでとても充実した気分だった

相手は前歯が無いのでラーメンを食べるのが難儀そうだった

その後LINE交換して解散した

今日お礼に飯をおごってくれるってメッセージがあった

anond:20181129124106

自分出産した後なら「自分や周りの母親仲間が幸せかどうか」で考えるでしょ。

そういう漠然とした事言う人って、出産するかどうか迷ってる人が大半かと。

2018-11-28

人に求めないこと

漠然と,人に好かれてないとか,一言一言モチベが下がることが多かったのだが・・・

「人に求めない」って,気楽に生きたいなら大事な考えかもしれない.

老子でも読んでみるか.

2018-11-26

anond:20181125055531

元増田に触発されて、大学時代自分自殺未遂をしていた頃のことを思い出していた。自殺未遂と言っても、救急車警察のお世話にもならない程度に自殺を企てて失敗して諦めるようなものではあった。とはいえ、今思い返してみると自分人生ではそれなりに重要位置づけにあった出来事だったように感じるので、供養のために当時のことを思い返して書いてみようと思った。

大学の頃はとにかく自分の不甲斐なさ、生きる才能のなさに絶望していた。バイトでも研究室でも上手くいかず失敗ばかりで常に低評価、何をしても上の立場の者を怒らせてしまい下の立場の者からは憐れまれる、同期も含めて誰とも信頼関係を築けない、などで常に悩み苦しんでいた。いつだったか、親に「普通のことが普通にできるようになって欲しい」と言われた。自分も心底そう願っていたのだが、周囲が普通にできていることができないまま、失敗体験ばかりが積み重なっていった。

その社会的に上手くいかない大部分は、今顧みると自分発達障害的な特性に起因していたのだと思う。だが、その頃は発達障害に対する知識量が乏しく、自分発達障害であると疑いもせずに、漠然としつつも強い社会不適合感を感じながら生きていた。

そのうち、何か現実で失敗して大きく自分失望する出来事があったとき自殺を試みるようになった。

ある時は凍死を試みた。当時は北海道に住んでいたので、冬の夜に外で寝ると簡単に凍死できる。酒をコンビニでたくさん買って、酩酊したのちに雪の中で寝ることで死のうとした。だが、いざ酒をしこたま飲んでも「ここで寝たら死ぬ」という本能的な危機意識が強まり意識覚醒するばかりで思うように酩酊することができなかった。結局、1時間半ほど雪中にいたのちに無理だと悟り、冷え切った指をさすりながらフラフラ家に帰った。

ある時はヘリウム自殺を試みた。本当は数百リットル入っている大きなヘリウム缶を購入した方がよかったのだが、実家住まいだったため家に持ち込むのは現実的でなく、結局十数リットルの小型缶を2本買った。ビニール袋を頭から被り、その中にヘリウムを充満させ、呼吸すると酸素不足で意識を失いそのまま死に至るという寸法だ。結果はまあ当たり前だが、ヘリウム絶対量が足りず、意識を失うことすら叶わなかった。「死ねなかった…」と独りごちたとき、例のパーティヘリウムを吸った時の声が高くなる現象が起き、思わず笑ってしまった。一瞬だけ、自殺に失敗した絶望感が紛れた。

他にも非定型首吊りを試みたりと何度か自殺を決行した。だが、いずれも準備不足だったり、途中で怖くなってしまって未遂に終わることを何回か繰り返した。そうしてまた現実に向き合わなければならない絶望感を抱えつつ、辛くて苦しい日常に戻っていった。ただこの自殺失敗は無意味ではなく、いつでも死ねるという選択肢があると自分に言い聞かせることで、現実の辛さから目を背ける逃避行為になっていたと思う。

そうして毎日をやり過ごしていたところで、大学院の研究発表が間近の冬の時期に、これまで数ヶ月かけて実験してきたデータが使い物にならないと判明した。自分のこれまでやってきたことが無為だと感じたときに、なんとか生きようとしていた気力の糸が完全に切れてしまった。この出来事自体が大きい意味を持っていたというよりは、これまでの失敗体験により自分への失望や将来への希望の無さが雪だるま式に積み重なっていって、この出来事で許容値を超えたと言った方が正しいと思う。この先生きていても苦しいだけで希望も何もない、自分は何も成功を収めるすることができない落伍者だという思いがピークに達し、自殺を決行しようと思った。

定型首吊りをしようと、酒を飲んだあと人気のない公園に行き、自分身長以上ある遊具ロープを括り付けた。その後、遊具に昇って首にロープをかけ、足を遊具から踏み外した。頭に血がパンパンに溜まり熱くなるのが分かり、同時に意識に靄が徐々にかかっていった。あと数秒、首に圧力が加わったなら意識を失い、やがて死に至ると強く実感した。そのように感じた瞬間、死が急に身近に思えてきて、一瞬でとてつもない恐怖心が芽生えた。手でロープを掴み首に掛かる圧力を緩めたあと、必死にもがいて首からロープを外し、倒れ込むように雪の上に落ちた。

その後も何回か試したが、同じようにあと数秒で意識を失えるところで首からロープを外し、断念することを繰り返した。あと数秒だけ首に力を込めれば意識を失えたのだが、その一線を越えるのがとてつもなく大きな壁のように感じ、どうしても乗り越えられなかった。結局3回ほど試したのち、無理だと悟って家に帰った。

上で書いた通り、自分にとって自殺は辛い現実から目を背ける唯一無二の手段だった。死ぬという選択肢があると信じ込むことで、どんなに現実で失敗をしたとしても、死ねば救われると信じていた。しかしこの自殺未遂により、ここまで死に接近しても、死という一線を越えることは自分にはできない、死を現実の逃避先にするのは無理だと悟ってしまった。すると、これまでは生きるか死ぬかの狭間でウロウロ迷っていたのが、死ぬことが無理ならこの先も生きていくしかなく、この先どうせ生きていかねばならないのなら、できれば良い人生を生きていきたいという心情に変化した。死ねない絶望が、逆に現実を前向きに生きようとする動機になったのだ。

その後、研究発表は使えそうなデータをそれっぽく見せて、なんとか修了要件を満たすことが出来た。

そして大学卒業して働き始め、自分発達障害であることに疑いを持ち実際に診断が出るなど紆余曲折ありつつ、今のところはなんとか生きている。

今でも猛烈な希死念慮破滅願望が湧き上がることはしょっちゅうあるし、自分社会を上手く渡っていける人間でないことに絶望したりもする。「生きててよかった」とまで自分人生肯定できるまでには、まだ至っていない。だが、自分自殺できない、死を逃避先として選べないということは、確固とした事実として悟ってしまった。また、幸いと言っていいのか、最近は少しずつ発達してきたのだろう、人生を上手くやっていく術を徐々に身につけつつある。まあ、全て上手く実践するまでには全然至っておらず、それなりの頻度で失敗をやらかす。そのたびに湧き上がる強い自責感情消滅願望を色々な方法ごまかしつつ、結局はより良い人生を目指して少しずつやっていくしかないと思い今日もまだ生きている。

この文章を読んで、これは前向きな感情ではなく、死ぬという選択肢が消えたか消極的に生きなければならないと感じているだけではないか?と感じた人もいるような気もする。確かにそうなのかもしれない。ただ、以前は学習性無力感からか、自分人生を良くしようと自分から働きかけようという気すら起こらず、ただ日常の痛みに耐えているだけだった。そのような状況から比べると、自分人生コントロールして良くしようと動く気になった分、以前より間違いなく前向きになったように自分では感じるのだ。(管理が厳しく、親の納得のいく人生を送らないと叱責する親元を離れたことも、大きな要因であるとは思う)

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

こうして今になって文章化して振り返ってみると、この程度の絶望はまあ巷にはありふれているし、救急警察にお世話になっていない程度の大した話でないと自分でも思う。ただ、元増田は「人は簡単死ぬ」という現実悟り、結果として前向きに生きることができるようになったと書いている。一方で、自分は「人は簡単死ねない」という現実に直面し、結果として前向きに生きられるようになったように思う。その対比がなんだか面白くて、このような長文を書いてしまった。

以上、供養です。おわり

漠然とした死にたいという気持ち

ストレス負荷がかかったのか

胸の辺りにぼんやりとした重みを感じる。

それと同時に「死にたいかもしれない」という気持ちが沸いている。

本気で死にたいか?と聞かれたら、NOなんだけれど

でも、何故か、「死にたい」「消えたい」という気持ちがある。

単純に「現状から逃げ去りたい」ということなのかもしれない。

今後、私に待っているのは以下4点。

・他の人と比べられて見下される状況

大勢への謝罪

・得られると思っていた利益マイナスになる現実

食事制限(好きな食べ物一切禁止)

消えたくなるのも、逃げたくなるのも分かってもらえないだろうか。

無駄プライドはある。

あぁ……死んだほうが楽かなぁ……。

時間感覚が溶けていく

「1年あっという間だねー」っていう人いるけど本当にそうなの?

 

俺はもっと漠然となっていく

「あれ?◯◯からまだ3日しか経ってなかったのか」ってこともあるし

「あれ?もう◯月か」ってこともある

 

これ年っていうより季節イベントが少なすぎるんだと思うんだ

学生は季節イベントまみれで、1年毎に環境が変わる

夏休み冬休み春休みがあるから月の感覚も強いだろうし、時間割があるから曜日時間感覚も強いはず

anond:20181126104548

こちらで選別できない漠然とした「女性」と結婚するなんて、KKOでもまずしないはずやが…

2018-11-25

うつ

冬は抑うつ感がすごく出てしま

特に一人でいるとやばい

漠然と死んでしまいたい、消えたいと思うことが増えた

増えたというかだいたいいつもそう思ってる

薬をもらいに行くのがめんどくさくて病院行かなくなってしまったが、ちょっとやばくなる前に行こうかな

2018-11-24

結婚って

アラフォー毒女

いままで結婚願望もなく、それなりに楽しかったけど。最近、ようやく出てきた結婚願望。

年下のいとこが結婚するとか聞くとなんか落ち込む。おめでたいことってわかってるけど。

婚活したことないし、する気もなく。結婚したいなと漠然と思っているだけ。

パートナーぽい人はいることはいるけど、そういう対象じゃないっていうから彼ではないんだろうな。

ずっーと、毒女はいやだな。

結婚育児お金、色々なことが不安になってフリーランスをやめた。独身なのに。

ちょうど1年ほど前、ちょっと自由が欲しいし、色んな会社を見たいなぁと思い、しばらくフリーランスでやっていこうと思って会社をやめた。

結局数ヶ月でフリーランス人生を終了させた。色々なことが不安になってしまって、続けられなかった・・・


とりあえず今は別の会社正社員として雇われて豊かで穏やかな精神で生きている。

どんな不安を感じていたかをつらつらと書こうと思う。

背景

職業ソフトウェアエンジニア。中でも iOS アプリRails であれば市場価値に自信もあったし、きちんと成果は出せるだろうという自負はあった。

裁量労働リモートワークにも慣れていたし、副業をやっていたこともあって、いわゆるオンサイトコミュニケーション以外でも成果を出していたという事実もある。

加えて、ありがたいことに案件のお誘いは有り余っており、結構高単価なものも多かった。


それでも、すぐやめてしまった。

不安

結婚などに関する福利厚生存在しないことへの不安

偶然、フリーランス開始時期頃に恋人が出来たことで調べるきっかけになり、その重要さに打ちのめされてしまった。


特に保育園の基礎指数不安になってしまった。「自営」ではあると思うしそれで通ればいいけれど、「在宅」にカウントされるとその点数は半減。(少なくとも自分のいる自治体は)

そのときになって「あなたは在宅扱いです」と言われたら・・・と色々と考え、結局そのリスクは取る必要がないんじゃないか結論づけた。


また産休や育休といった制度会社保証していることはやはりありがたいし、何より「その道の先輩たちがいて、相談ができる」という環境は非常に魅力的に映った。

時間に関して言えば、フリーランスなら案件を選べば週4勤務もできたけれど、それでもリモートワークやフレックス裁量労働を利用した週5勤務の方が柔軟度は高いと今は感じている。

実際に家庭の事情で週4勤務にしていた人も知っているし、自分も週1で日中に出かけなければいけない期間(曜日不定)があって、そのときフリーランスだったら難しかっただろうと思う。


ちなみにその恋人にはフリーランスを辞める前にフラれた。今思うとあのひとはフリーランス人生を考え直すために召喚されたんじゃないか・・・


収入面での不安

週5勤務。2つの案件を持っていて、1案件税金差し引いても月60万くらいは手元に残るくらいはもらえていたので、フリーランスを始める直前よりも手取りは多かった。

その点だけを見れば十二分に思うかもしれないけれど、この案件がなくなったら収入が5割以上減ることも同時に意味している。例え次の案件が見つかったとしても、当たり前だけど同じ条件になるとは限らないということを考えると不安になってしまった。

余程のことがない限りクビにならない正社員、そういう立場でこの給与を貰えることとは全く違う。1案件依存する形になった分、リスクの高い案件選びをしてしまったのかもしれないな、と今は思う。


案件がなくなることへの不安契約を切られることへの不安

案件があるといっても今だけで、案件生モノ。人が来ようが来まいがいつまでも残るものではないし、人が寄り付かないならそれはそれで危険案件な気もする。


またフリーランス形態正社員に比べて切りやすい。もちろんここで言いたいのは能力か抜きにした単純な手続き難易度の話で、優秀なフリーランスが切られる対象になることはそうそうないと思う。(要求レベルミスマッチがない限り)

こんな考え方を持っているので、もしこの会社お金がなくなってきたときに切られるとしたら・・・という漠然とした不安を抱えてしまった。

また経営に関する情報フリーランスだと入ってこない。もちろん所属期間が圧倒的に短いこともあるのだけど。とりあえず、いつ切られるのか兆候を感じ取れる自信はない。


自分の実力を客観視したり伸ばす機会の一部が損失したのでは、とうっすら感じた

フリーランスになって、優秀な同僚と密なコミュニケーションを取るといったことや新人の面倒を見ることがなくなってしまった。

何気ない会話の中で技術トレンド話題に上がったり、「この実装どうですかね?」というラフ相談が予想以上に豊富情報量というか、自分にとってはすごく有用な機会だったんだなと今では思っている。


加えて、他人に教えるという行為自分の頭の整理、自分の実力の客観視、相対価値認識などができる貴重な機会だったんだな、と改めて思うことになった。


これらの機会を失ったまま今後数年フリーランスとして働いたとして、いざ正社員に戻ろうとしたときにどこかで拾ってもらえるんだろうか、

そのときiOS はあるんだろうか、Rails はあるんだろうか、自分の使ってる技術はあるんだろうか・・・と考え始めたら、不安不安でたまらなくなってしまった。


でも不安ときに食べるシュークリームは最高に美味しかった。セブンイレブンシュークリームは美味しい。


自分の考え方がそもそもフリーランスに向いてないのではないかと思った

ここまでに書いたことを見れば分かる通り、という感じではあるのだけど。

色々書いたけれど、フリーランスで食っている人のことはすごく尊敬しているし、自分の考えや他人の考えが良いとか悪いとか、そういうことは全く思っていない。

ただ考え方の根本からし自分には向いてないんじゃないかと思い、それで悩むくらいならもう戻ろう・・・と思っただけ。


一人で生きていくとか、短期的な将来だけ見てればもう少し不安は少なかっただろうなと今では思う。

それでもとりあえず自分正社員の方が向いているし、精神的にも楽だし、やめたよかったと感じている。

2018-11-22

anond:20181122181432

コンセンサス存在しないなら俺とおまえがこうやって「こういうものセクハラと呼ばれていて違反するとひどいことになる」という漠然とした前提をもとに会話することもできないはずだが。

俺とおまえが夕方河原で殴り合ってボロボロになって草むらに倒れ込んでどちらからともなく笑いが出てきて「やるじゃねえか」「おまえこそ」でマブダチになるのも法によらない解決だぞ。

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