はてなキーワード: 核兵器とは
シン・ゴジラにおけるゴジラが原発の暗喩であることは一目瞭然だし、皇室がオミットされているのも事実だ。
そのうえで、
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49324
54年の『ゴジラ』が、観客に核兵器の恐怖を植えつけたほどは、多分、反原発の世論形成に直結するものではないだろう。
分かる人には分かる、という程度の暗喩だ。
このように、「描かれていない」点をあげていけばいくつもあるが、それはないものねだりというものなので、そのことで批判する気はない。
いま挙げた要素を入れればいい映画になるわけでもないだろうし、だいたい作り手は何が抜けているか分かっていて、あえて、削っているのだろう。
これだけ予防線が張られているのに、
ブクマカは「何でも原発に結びつけるサヨクガー」みたいな捻りのない反応をしていてバッカじゃねえのって感じ。
それと「いかなる媒体でもネタバレがあるなら警告して当然」という態度も腐女子の学級会みたいでバカバカしい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/gendai.ismedia.jp/articles/-/49324
本作も庵野作品らしく、元ネタからテーマを考えると分かりやすい。以下、元ネタと目される作品・事件との比較から本作のテーマを考える。
http://anond.hatelabo.jp/20160731121447
『シン・ゴジラ』は『日本のいちばん長い日』から多大な影響を受けている。激しいカット割りは岡本喜八作品の特徴そのものであるし、日本が重大な危機に直面した際に、どう対応するのかということを題材としている点でも同一である。
しかし、そこで描かれるテーマは異なる。『日本のいちばん長い日』はポツダム宣言受諾を目前に、原爆を2発落とされておきながら、なお利権争いを続ける官僚・政治家の醜悪さが描かれる。そこでは官僚・政治家が一丸となって事態に対処するという姿勢は見られず、最終的な解決は天皇が”ただ独りで”下した「御聖断」によってつけられる。
他方、『シン・ゴジラ』では、責任逃れのために策謀を凝らす政治家・官僚が現れたりはするものの、官僚・政治家・科学者(+ドイツ・中国・米軍)が”一丸となって”ゴジラの問題に対処する。そこには、どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる、というポジティブなメッセージがある。
『シン・ゴジラ』のストーリー展開は『エヴァ/ヱヴァ』におけるラミエル戦とそっくりである。すなわち、『エヴァ/ヱヴァ』においては使徒ラミエルを倒すために全国の発電所および送電車が動員され、日本国が一丸となって協力する姿が描かれる。『シン・ゴジラ』においてはゴジラを倒すために全国のプラントおよび化学工場が動員される。
『エヴァ/ヱヴァ』においては、こうした戦いを通じて主人公シンジ君が生きる意味を見出す過程が描かれる。父に捨てられた経験から生きる意味を見失っていたシンジ君は、エヴァに乗って世界を救うことが自分の使命であると自覚していくのだ。
しかし、シンジ君はその後、使徒レリエルとの戦いの過程で、自分が乗っているエヴァがとんでもない化け物であることに気付きはじめ、続くバルディエル戦で親友トウジに重傷を負わせる(漫画版では殺害)に至って、生きる意味を完全に見失う。
そこで描かれるのは「みんなで協力して事態に対処したところでそれらは全く無意味である」というかなりニヒリスティックな結論である。
他方、『シン・ゴジラ』においてはこうしたひねくれたストーリー展開はないため、「みんなが一丸となって協力すれば危機を乗り切れる」というポジティブな結論になっている。
『シン・ゴジラ』においては初代ゴジラをリスペクトすることが明言され、ゴジラのデザインやストーリーに初代ゴジラの影響があることがしばしばインタビューなどで語られている。
『ゴジラ』のテーマの1つは、当時問題となっていた第五福竜丸事件を背景とする、反核兵器の思想である。ゴジラは水爆実験の影響で出現し、東京でゴジラがまき散らした放射線は罪のない児童にまで及んだという描写からこれがうかがえる。
他方、『シン・ゴジラ』でも核及び原子力問題がテーマとされている。ゴジラは海中に投棄された核廃棄物を喰らったことで東京に出現し、原子力エネルギーによって動いている。
しかし、『シン・ゴジラ』ではこの問題に対する姿勢はもう少し複雑なものとなっている。
まず、①原子力で動くゴジラの破壊力はすさまじく、東京は一瞬で火の海にされてしまう。他方、②ゴジラがまき散らす放射線による被害は小さいとされ、③ゴジラのエネルギー源の研究を進めれば現行の原子力発電よりもより安全でクリーンなエネルギーを調達することができることも示唆される。作中ではこのゴジラの2面性を評して「ゴジラは神の化身にして、人類に福音をもたらすもの」とも言われる。
しかし他方で、④国連安保理による核兵器投下はきわめて否定的に描かれる。
ここには、「核兵器の使用には断固として反対するが、原子力の活用については現実的に考えなくてはならない」というメッセージがうかがえる。
以上の検討から、『シン・ゴジラ』のテーマは、「どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる」ということと、「核兵器の使用には断固として反対するが、原子力の活用については現実的に考えなくてはならない」という点にある。
◇「私は好きにした。君らも好きにしろ。」は岡本喜八監督から庵野監督へのメッセージ(牧吾郎の写真に岡本喜八監督の写真を採用したのはこのせい)。「この国で好きを通すのは難しい」はこれに対する庵野監督の回答。現代における作品作りの難しさを言っている。
これを踏まえてラストの「そろそろ好きにしたらどうでしょうか」を聞くと趣深い。すなわち、『シン・ゴジラ』は、色々な制約(予算やオールドファンの批判)で自分の好きに映画を作れない監督が、それでも俺は好きな映画を作るんだ!という映画である。結局、TV版の『新世紀エヴァンゲリオン』のラストと同様、フェリーニの『8 1/2』と同じ結論になる。
◇ラスト、血液凝固剤を流し込むシーンは、一見バカバカしいと思ってしまうが、福島第一原発にコンクリートを流し込むという形で実際にやったこと。
◇ラスト、ゴジラは死には至らず、凍結されるにとどまるが、これは同じく凍結状態にある福島第一原発を模している。今後も対処を続けないと、とんでもないことになるよ、という暗喩か。
(1) 孤独な男(シンジ・牧吾郎)が、強大な力(13号機・ゴジラ)を手にして事件を引き起こす。
(2) 危機に対応するのが現実主義的な集団(ゴジラ討滅のために核の使用も辞さない人類・エヴァ殲滅のために初号機を主機として使用するヴィレ)である。
すなわち、両者ともに、危機に対する現実主義的な対応を描いている。トーンの明暗を分けたのは、視点を孤独な男(シンジ)サイドに置くか、現実主義的な集団(日本政府)に置くか、の違い。
妻を放射線で亡くしたことで反原発思想になった結果、日本の学界を追放されてアメリカへ。
国民の生活や命よりカネを優先して原発開発を続ける日本に報復するために、核エネルギーで動くゴジラを出現させた。
その結果、①多数の東京都民が疎開により生活拠点を奪われ、②いつ復活して再び惨禍をもたらすか分からない凍結ゴジラが都のど真ん中に鎮座してしまった。
あまり映画は見ないし、映画批評なども出来るような人間ではないのですが、
大学で多少「核のイメージ」の歴史について勉強したことで、「ゴジラ」について関心を持ちました。
そんな折に、ちょうどシン・ゴジラが公開されると聞き、せっかくなので、見てみることにしました。
ゴジラに血液凝固剤を流し込み、ゴジラを凍結させることに成功させました。
また、ゴジラの放出した放射能の半減期は2~3年程度だったため、除染もスムーズにいきそうだと希望が湧いてきたときのことです。
主人公・矢口が語ったセリフは「我々はゴジラと共生するしかないんだ。」だったのです。
これは、ゴジラ第1作目(1954)の古生物学者山根の「水爆実験が今後も行われるなら、またゴジラが現れるかもしれない。」というセリフと比較すべきでしょう。
1954年版のゴジラは、おそらく「反核」のメッセージが強いものだったと言えます。明らかに第五福竜丸事件で被害にあったような、水爆実験などを批判しています。
一方、今回の「シン・ゴジラ」を反核映画と捉えることは難しいでしょう。(少なくとも最後のセリフからは。)
「核と共生せざるを得ない」ということがメッセージなわけですから。
確かに、現実を考えると、核(ゴジラ)と我々の生活は切っても切り離せません。
ほとんど稼働していないとはいえ、原発は残っていますし、放射性廃棄物もたくさん残っている。
冷戦は終わって、おそらく核戦争の危険はないといえども、今もアメリカなどは大量の核兵器を持っている。
「反核」の想いを抱えている方々であっても、核が0になる世界を作り上げることは出来ないということはわかっていると思います。
小池百合子が日本会議会長らと「東京に核ミサイル配備」をぶちあげていた! 小池は「東京のトランプ」になる?
http://lite-ra.com/2016/07/post-2438.html
昨日、本サイトは東京都知事候補の小池百合子氏の本質が“極右ヘイト政治家”であることを、多くの実例を交えて紹介した。だが、彼女の“危険性”はヘイトスピーチを放置し、歴史修正主義を邁進しているだけにとどまらない。
小池氏が知事なったら、東京に核ミサイルを配備されるかもしれない──。どう考えても悪い冗談としか思えないが、これは小池氏自身が過去に語っていたことだ。小池氏は極右のお仲間と一緒に、なんと、“東京に核ミサイルを配備しよう”と得意げに計画していたのである。
2003年、保守論壇誌「Voice」(PHP研究所)3月号所収の田久保忠衛、西岡力両氏との鼎談記事でのことだ。田久保氏といえば現在、日本最大の極右カルト団体「日本会議」の会長を務めるタカ派言論人。また西岡氏は「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)の会長であり“対北強硬路線”“反北朝鮮”の世論と日本の軍事力増強を扇動する右派論客だ。
タイトルは「日本有事 三つのシナリオ」。内容は小池氏、西岡氏、田久保氏の3名がそれぞれ議題を提示して討論するという企画なのだが、くだんの“東京核ミサイル配備”は田久保氏の「日米同盟か、核武装か」なる問題提起から始まり、北朝鮮の核保有と日米安保がメインテーマになっている。
そして、このなかで堂々と「東京に核ミサイルを」なる小見出しまでつけて、西岡氏が「アメリカがほんとうに利己主義的になれば、彼らはアメリカまで届くテポドンだけはストップさせるが、日本を狙うノドンは放置するでしょう」とぶつと、これに応じた小池氏はこう言い放つのだ。
「軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真悟氏だけです。わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安部晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった。このあたりで、現実的議論ができるような国会にしないといけません」
http://lite-ra.com/2016/07/post-2438_3.html
ちなみに、アメリカではドナルド・トランプ氏がまさにそういった扇情的なポピュリズムの手法で大統領一歩手前まで駆け上がっているが、そんなトランプ氏を小池氏はこのように論じている。
「トランプに関しては、読めないことが多い。もし大統領に当選したら、どのような行動を取るのか。どの人種的・宗教的マイノリティーや外国に対して、最も侮蔑的に振る舞うのか」
「アメリカの共和党員は、そしてアメリカ国民全体はよく理解すべきだ。トランプ流の大衆扇動劇場と化した大統領戦は、世界の安定を、ことによると平和をも脅かしかねない(「ニューズウィーク日本版」16年7月5日号/CCCメディアハウス)
宿題やってくる、って親に言い訳しながら、友達の家で燃えろ!!プロ野球をやっていた話はまあどうでもいい。
ソ連は子供の目にはまだまだ健在で、「核兵器」という強力な兵器を持った大きな2つの国が同盟国を従えて睨み合っているというのは本当に恐ろしい状況に思えたし、その恐怖心は映画館だったか公民館だったかも忘れたしまった「どこか」で見た『風が吹くとき』という静かな映画で強く増幅された。
だから2つの大きな国のバランスが崩れるとき、きっとなにか大きな戦争が―やがて知る言葉で言えば国家総力戦が―起きるのは間違いないだろうと思っていたし、最悪の場合それが人類の生存に大きな影響を与えるような核戦争になるのかもしれないと思っていた。
それはいわば、幼稚園の頃から繰り返し避難訓練をさせられていた「東海地震」と同程度にはやがて絶対にくる大破局に過ぎなかったのだ。
……まさか30年経って世界が死者が100人に満たない暴力に怯えて見せるようになると思わなかった。思わなかったよ。
大人になるって、長く生きるって悪くないとは思う。ただ、1度決めた覚悟を、世界を価値観を変えてすべて反故にされてしまうとはどういうことなのか。
30年後、どこで何をしてるんだろう。どんな未来が現実になってるのだろう。世界は絶対に毎日進化してるって思うし、わたしはテクノロジーのちからを超超超信じてるけれども、総力戦に行けなかった、冷戦に取り残されたという気持ちはいつまでも消えずに残っていくのだと思う。
国政も地方行政もその荒廃ぶりは目にあまり、容赦の限度を超えている。とは言え代案なく感嘆するばかりでは、現実の世界は微動だにするはずもない。
この窮地から脱するため、憲法改正により大政奉還を実現し、天皇を国家君主として戴き、内閣総理大臣は摂政として天皇を輔弼し、さらに都道府県知事も県令として国家君主天皇を輔弼することを提案する。
天皇は総理大臣を含む内閣、国会議員、公選首長、地方議会議員の罷免権を持ち、また国会決議に対する拒否権を持つ。また現憲法に定める国事行為は、内閣の助言と承認を要することなく、衆議院解散を含め、国家君主として行うことができる。
これ以外は基本的に現行の仕組みを踏襲する。私は法律の専門家でないが、大筋は憲法改正だけでも実現可能なのではないか。
現総理も、元都知事も、国会や委員会や記者会見で大喜利をやっているその言葉を、もし国家君主であり罷免権を持つ天皇の前に出ることになったとすれば、はたして正々堂々と言えるのか?ということである。この歯止めがあるだけで、凡そすべての日本人にとっては核兵器なみの抑止力になるのではないか。
私は右翼ではないし、皇居の一般参賀にも行ったことはないが、一般に報じられる天皇の言動と姿は、日本国民統合の象徴というにふさわしく、この大政奉還案は相当多数の国民の支持を得られるのではないか。
どうしたら天皇に喜んでもらえるか、こうしたら天皇は悲しむのではないか、というきわめて明解な価値基準を内閣、国会議員、公選首長、地方議会議員が持つだけで、日本の行き詰った現実世界を大きく変えられるのではないか。
広島にオバマが来てやたら盛り上がっているけど、広島県民の私が思うのはぶっちゃけ政治的なアピールに過ぎないよねってオバマはノーベル平和賞もらってるけどそれに見合うような働きをしたのかっていうと疑問が残る。とりあえず大統領の任期が終わるまでにそれっぽいことをしたいから、急遽広島に来て、県警に迷惑をかけて、平和について考えてますよっていうアピールを行っているに過ぎないでしょう。
これに反応しているオバマ大統領に原爆について知ってもらって、核兵器をなくそうなんて言う被爆者は馬鹿なんじゃないかなって、そんなこと思ってるわけないじゃないオバマが、だいたい核兵器をなくそうっていう奴らは頭がお花畑だと思うんですよ。確かに世界に情報を発信して、核兵器をなくそうって気持ちは理解できないわけでもない。それでもそれを実現するための具体的な案が一切ない。ただ核兵器はひどいよ、怖いよっていうだけ。それだけ、私は広島県民だったので小学校から中学校まで平和学習をいつもやらされていたが、被爆者の話を聞かされるのだが、原爆は怖いよ、戦争はいけないことだよというだけ「じゃあどうやって原爆をなくすの?」とか「なんで戦争が起きたのか」とか「本当に戦争が間違っていたのか」と疑問を問うことは許されなかった。ただ妄信的に戦争はいけないこと核兵器はいけないことだと教えられ、そのことを強要される。事実私が中学生のころ「戦争をなくしたいのならもっとちゃんと考えるべきだ」と感想文に書いたら被爆者の気持ちを考えろだとか、もっと場にあった感想文を書けと言われた。
それって間違っていないか?場に合った感想文ってなんだよ。「戦争はひどいと思った」「核兵器は絶対になくさないといけない」とかいうバカみたいな言葉の羅列を書き続けるのが、正しい平和学習だとでもいうのか?
今から振り返るとずいぶんばかばかしい思い込みだけど、「わたしはいつか核攻撃で死ぬ。北朝鮮が核ミサイルを打ち込んでくる。」と怯えていた。祖父が被爆者で、生々しい原爆のことを聞く機会も多かったからだろう。
恥ずかしい話だが、夜も恐ろしくて眠れず、母が隣にいないと寝られなかった。留守番も苦手だった。どうせ死ぬならひとりぼっちで死にたくなかったから。
大人になるにつれて「死ぬときは死ぬんだからw」と考えられるようになり、穏やかな気持ちを取り戻した。思春期の一時的な気の迷いだということで無かったことにしていたのだけれど、最近どうやらこのような囚われに苦しんでいる人はほかにもいるのではないかと思うようになった。
わたしの周りで確認できたのは、菌やウイルスに感染してお腹を下すことを異常に恐れている人。癌になって死ぬことを異常に恐れていて、病院の検査にも行けない人。必ず震災に巻き込まれて死ぬと思い込んでいる人。
日本としては、北朝鮮の核兵器保有は当然認められない、という姿勢で臨んでいるようだ。
ただ、その日本も、既に持っている国に対しては、こんな態度は取っていない。
いつまでも放棄しないのはけしからん、と道義的に非難することはできても、
国際協調に反する核開発は許されないというなら、インドへの対応は大甘と言わざるを得ない。
パキスタンすら、対テロ作戦の拠点になると制裁を引っ込められる有様だ。
また、イスラエルが核を持っているというのは公然の秘密だが、同時にタブーでもあり、
下手に叩くといろんなとこから反撃を食らうことになる。
そうかと思えば、イラクはありもしない大量破壊兵器を保有している、という名目で潰されたし、
イランも印パに比べるとかなり厳しい目を向けられている。
つまり、核兵器保有が認められるかどうかは政治的思惑に左右される部分があり、
・大国が核兵器を保有するのはいいが、小国が自衛と称して核開発をするのはダメ。
・西側寄りであれば黙認されることもあるが、イスラム圏だとかなり厳しい。
などという傾向はあっても、実際にどの程度叩かれるかはフタを開けてみるまでわからない。
では、西側寄りで、今でもそこそこの経済規模のある日本にその権利はあるのだろうか?
北朝鮮がいつまでも開発を止めないからと、韓国が核保有を目指すことは認められるのか?
実際やったとして、果たしてどこまで叩かれるのか?
これもまた予想がつかない。
以下は一般の方向けの解説です。「源しずか」が結婚して「野比しずか」になったとします。
「研究者の名前」=「論文に記載する名前」 です。漫画家や小説家のペンネームと考えるとわかりやすいでしょう。
結婚したしずかちゃんの選択肢は『業績リセットして本名(野比しずか)で再スタート』、『旧姓(源しずか)を無理矢理継続』の2つです。多くの人は後者を選択しています。しかしこの場合、例えば以下のような状況に直面して困ることになります
「源しずか」の申請した科研費を使って「野比しずか」の出張費(航空券代とホテル代)を支払った。しかも「源しずか」は日本に存在しない上、「野比しずか」は研究所に存在しないことがわかった
米国の研究所に出張することになった。入国審査において Invitation letter は「S. Minamoto」、パスポートは「Sizuka Nobi」。さあどうする?
研究者にとってかなり怖い状況です。前者は研究不正の疑いをかけられるかもしれませんし、後者はスパイやテロリストを疑われるかもしれません。
(これはジョークではありません。この辺りは分野によって違うのかもしれませんが、少なくとも僕の分野は非常に厳しいです)
最もセキュリティの厳しいのは米国の研究所です。僕の知っている研究所は
といった流れになります。ここで問題になるのは(2)の入国審査です。
Invitation letter は「S. Minamoto」でパスポートは「Sizuka Nobi」
といった状況になります。偽名と疑われるかもしれません。ただでさえ「お前核兵器開発しているだろ」「してねーよ」で毎度揉めるのにこれ以上のトラブルは避けたい。
以下のPDFに従って必要書類を準備し、通るまで食い下がりましょう。
ここで作った両姓併記のパスポートがほぼ唯一の身分証明書になります。また、以下の回避策でも必要になります。
研究者番号で管理されているからです。かつては揉めたそうですが、先人達の努力により現在ではまずトラブルになりません。大変ありがたい事です。
という部分ですが、上記の両名併記のパスポートを取得していれば、航空券もホテルも「源しずか」で予約する事ができるようになります。
アメリカ、欧州、ロシア、アラブ諸国、などなど、世界中がこの世から消し去りたいと思う人類共通の敵ISISに対する解決策を作った。
この解決策は、極めて少ない費用で済み、持続的な効果をもたらし、かつ象徴的な影響力も持つ。なにより、ISISの版図を完全に消し去ることができる。
核兵器は、ISIS支配地域の周縁から、くまなく、すきまなく、徹底的に打ち込むことだ。
地下トンネルに潜りこんでいようと、山岳地帯に逃げ込んでいようと、絶対に逃れられないように、徹底して絨毯核爆撃を加える。
すべての面積において、震度9以上の地震が起きる程度に、緻密に計算して、順序よく打ち込むのだ。
そして、ISIS支配地域を、この世の真なるグラウンド・ゼロにするのだ。誰も住まない、地上の空白地、暗黒大陸を作り出すのだ。
現在当該地域に住む非戦闘員の生命に対する人道的配慮として、アメリカ以下の核保有国は、前もって絨毯核爆撃の対象地域を指定する。
そして、1年間の猶予を与え、すべての非戦闘員に当該地域からの退去を命ずる。
当該地域とイラクやトルコ、イランその他の地域の境界には厳重なる兵力を配置し、すべての境界によってもれなくくまなく銃器狩りをする。
つまり、退去者が保持する兵器をすべて、境界において放棄させる。
そして、周辺国は、来るべき神の裁きに備えるべく退去してきた非戦闘員を難民として暫定的にかくまう。
核の使用にあたっては、イランやイスラエルが安全保障上の懸念を示すだろうが、それは監視手法の技術的解決策によって払拭できるだろう。
そして、来るべき日がくる。
遺跡を含め、ISIS支配地域だったところに残るべきもの、そのすべてへの懐古を胸に、そのすべてを灰塵に帰せしめるのだ。
そして、その空白の大地に、東西南北の境界から、事前に合意された領土区分に沿って、しかるべき人種と、しかるべき非戦闘員が、入植する。
すべては無であるが、彼らは神の裁きの後の新大陸に、新たなる文明を築いていくだろう。
その他の世界各国に散らばったISISは、象徴的領土に対する近代文明の決意と、その神的意味を前に、テロルによるイスラム世界再興を断念せざるをえなくなるだろう。
我々近代文明は、すでに、ISISに敗北しつつある。通常兵器による爆撃は、何も解決しない。
ロシアが地上軍を送り込んだところで、第二のチェチェンとなるだけである。
近代文明がISISに勝つには、核兵器による絶対的=神的力の誇示こそが必要である。
そして、その神的意思の前に勝つ「民」こそが、神の創出した大地に最もふさわしい存在であることを示すことが、必要なのである。
(「天皇要らなくね?」という人に向けて書いているので、適切でない表現には目を瞑ってほしいと思う)
これはエリザベス女王が席を譲った話があるからであって、別に上下関係を明確にされてる訳ではない。
しかし、少なからずそれぐらい世界的に見ても敬意を払わなければならない人物であるという事だ。
これは他国の首相などが握手をしている画像を探せば色々と参考になるものが出てくるだろう。
トラックバックの日記を書いた人(anond:20151031195623)は知らないかもしれないが、
エリザベス女王は、イギリスではなく、EU全体を統べる女王だ。
その女王が席を譲る人物とはどれほどのパゥワーを持っているのだろうか。
天皇がどれほどの外交力を発揮するかというのは説明するまでもない。
核兵器で武装するよりも遥かにコストパフォーマンスの良い外交カード、それもジョーカー。それが天皇だ。
天皇というシステムがこの日本に無かったら外交がどう変わるだろう。
少し考えると「あ~、いや……あ~、影響あるかもな~~」と思ってもらえれば幸いだ。
それだけの人物であるからこそ英才教育は必要だし、そういう旨を含めると、天皇は「模範的国民の象徴」であると捉えるのが正しいだろう。
仮に国民の8割が万引きをした事があれば天皇も万引きを経験するべきか?といえば当然NOだ。天皇は模範的でなければならない。
そして、天皇は毎日ステーキを食べているわけでもないし、敷地の中に寿司屋や料亭があるわけでもない。
環境こそそこそこに整っているものの、衣食住に関してはむしろ都内の一戸建ての家庭よりは貧しいかもしれない。
そんな天皇をわざわざ軽んじて「もっと貧しい生活をしろ」だの「税金の無駄遣い」だの言うのは良くないというか、
ただ卑屈になっているだけなのでは? と思ってしまう。
全く政治や天皇に興味がない人も「へー、天皇ってツエーんだな」とでも解釈してくれれば割と好感が持てるのではないか。
そうやって国民から支持を集める、世界に通用する日本のジョーカーが天皇だ。