はてなキーワード: 核兵器とは
アメリカと中国がもし本気で戦争したら、中国は開戦後6時間以内に首都始めとした主要都市を核兵器で焼き払われて終わりだけど。
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アメリカと中国がもし本気で戦争したら、中国は開戦後6時間以内に首都始めとした主要都市を核兵器で焼き払われて終わりだけど。
勿論中国も核兵器で反撃(もしくは先制攻撃)はできるが、現状だと中国はアメリカ本土の重要な拠点や主要都市を攻撃する力がほとんどない。ロスアンゼルスくらいは焼き払えるか・・・というところ。
アメリカが中国本土に上陸して進撃し、北京を陥落させて全土を占領・・・なんてことはできないが、現状だと中国はマリアナ諸島に上陸することすらできない。
なのでアメリカと中国が本気で戦ったら、元増田の想定のように中国の方から仕掛けたら、という場合、どうやってもアメリカの一方的勝利にしかならない。
「マイナンバー簡易書留の発送作業は、10月はおろか、年内に発送できれば御の字」という状況らしい。
日本郵政史上、いや郵政省時代まで遡っても、「全世帯、5000万通の簡易書留発送」というボリュームは「全く未体験」で、
通常であれば「バイト君を雇って配達」となるが、誤配達・不正のリスクがある。
年内にマイナンバー通知が届かない一方、年明けには「勤務先は従業員のマイナンバーを全て把握しなきゃならない」という義務がやってくる。
「そもそも日本郵便からマイナンバー簡易書留が待てど暮らせどやってこないから、マイナンバーを知らせられない!」と
マイナンバー簡易書留通知が年内に間に合わず、他方で法人の従業員マイナンバー年明け把握義務を先延ばしする措置を取らなかったら、
2.マイナンバーを預かる中小企業から個人情報が漏洩するリスクだが、
「中小企業が倒産した場合、マイナンバーを正規に廃棄して倒産する」なんてことは殆ど期待されず、
抑止力ってのはお互いがお互いを何度でもいくらでも全殺しに出来るという状態でこそ機能すると思うんだけど。
片方が半殺ししか出来なかったら一方は「よーし先制攻撃すれば半殺しよりもっと軽く済むだろうし先に全殺しだー」ってなってもおかしくないよね?
核分裂を継続して行うことで熱を発生させて、水を沸かしてタービンを回すなどで利用するのが原子炉。
核燃料や中性子が一定量以上になると核分裂の頻度が爆発的に増加するという連鎖反応がおきる。一瞬ですべての燃料が分裂し、膨大なエネルギーになる(これが核兵器)
中性子を吸収する材質の制御棒で中性子の数を制御して核分裂の頻度を一定に保つことで爆発しないようにしている。
制御棒を抜いていくと核分裂が増加し、発熱が増える。核分裂の頻度が一定に保たれている状態が臨界状態。運転中の原子炉は臨界状態にある。
制御棒を挿入すると核分裂が停止し、分裂による発熱がなくなる。余熱が取り去られて水温が100度を下回った状態が冷温停止状態。
なので停止中でも冷却しないと加熱が進んで溶けてしまう。
核分裂の増加を制御せずに放置すると連鎖反応がおきて核兵器と同種の爆発がおきる。
チェルノブイリはこれ。
福島原発はこれではない。
自棄になって開戦したが、自棄になったまま滅ぶことはなかった国だからね。
あと、仮想戦記は考えている人が一番納得をして、その上楽しいのさ。
運搬も重いからな~。
まあ、特攻兵器としてもいいんやろけど、結局、一緒に行く部隊が全滅しちゃうのよね。
打ち落とされたり、沈められたりはいいけど鹵獲されちゃうと最悪。
これだとサヨクの論理としては「専守防衛が守られるなら抑止力の強化は構わない」という話になるのだが、それはいいのだろうか。
それこそ専守防衛を維持するために徴兵制を続けているスイスのように単独で自衛のためにあらゆる努力を払う(それならばそれとして筋は通っている。受け入れられるかは別にして)とか、極論すれば専守防衛のためである限りは北朝鮮のように核兵器の所有だって問題ないということになるだろう。
「最初の一撃をできるだけ出さないけど、ちらつかせたい」という論の立て方もある。というか、最初の一撃を出すかどうかとそれをちらつかせるかどうかは全く別の話だろう。
つまり専守防衛と抑止力強化は違うベクトルの話であって、それを1軸上に置いて議論するのは少し無理がある。
今回の安保法制においては抑止力強化を同盟国支援という手段を用いているため、専守防衛と相反するのではないかという懸念するのは理解できる。
具体的には、アメリカの戦争に巻き込まれるのではないかというのが大きな心配だろう。
それについてはなんとも言えないというのが正直なところではないか。
アフガンでのドイツのように、平和維持活動と言いつつ遠方の地で実質的な戦死者が出るのは否定できない。(実質的な、というのはカンボジアでの文民警官の件があるため)
それを是とするか非とするかは、どちらの立場をとるにせよ、越えることのできない大きな壁であるように見える。
が、結局のところ、どれだけ他国に関わるのかという話に過ぎない。
反対派の人たちは現状のままでいい、というのであれば南シナ海での中国の行動を容認するのか、それとも周辺諸国への監視船などの供与で深入りを避けて解決を待つのか、それとも遠回り航路をとれば問題ないとして関わり合い自体を避けるのか、どのように考えているのだろうか。
被爆の実態を国内外に伝え続けた半生だった。元原爆資料館長の高橋昭博さんが2日、亡くなった。「原爆犠牲者の声なき声を後世に伝えるのが生き残った者の責務」。最後に取材した3月、言葉は途切れ途切れながら強い意志を感じさせた。病が進み証言活動が困難になっても、核兵器廃絶への執念が衰えることはなかった。
あの日、爆心地から1.4キロで被爆し、生死をさまよった。戦後、広島市役所に勤めながら被爆者運動に心血を注いだ。
原爆被害の非道を訴える一方、対話を重んじた。1980年、原爆投下機エノラ・ゲイの元機長ポール・チベッツ氏に米国で面会。「いまさら恨みつらみを言うつもりはない」と握手を求め、文通につなげた。「核兵器なき世界」を唱え就任したオバマ米大統領には広島訪問を要請する書簡を何度も送った。
オバマ大統領が被爆地を訪問する際に謝罪するべきかと問うたことがある。高橋さんは「謝罪というハードルを突き付けるばかりでは廃絶へ進まない。ずっと同じ場所にとどまるのは未来志向ではない」と答えた。
だが、別れ際に「昔は謝罪するべきだと思った。本当は今でも原爆を落としたアメリカが憎いですよ」と苦渋の表情も浮かべた。長年、核兵器廃絶を訴えた理想と非人道兵器による惨劇を忘れられない内面との葛藤を垣間見た思いがした。
長年苦しんだ末にたどり着いた「和解」の訴えは重く、高橋さんが目指したゴールははるか遠い。その遺志をどう引き継ぐのか、被爆地に問われている。(金崎由美)
(2011年11月3日朝刊掲載)
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20111104131802632_ja
まあ複雑ってことで
「戦争に巻き込まれる」という言葉の意味によるんじゃないかな。
日本は独力で国防できないのでどこかの国に味方になってもらう必要がある。その国にもまた敵もあれば味方もある。
どこの国に味方になってもらっても、その国の戦争に巻き込まれることはありえる。
メリット・デメリットを比較して一番有利な相手がアメリカだという判断を日本はしてきた。
Q2. アメリカに守ってもらうだけじゃなくって、もっと協力するのが恩義~みたいな話があるけど、
基地を置いたり予算を分けたり、後方支援することで恩は返してるんじゃないの?ていうかどこまで協力しなきゃならないものなの?
恩義というのは変な言葉だと思うが、現状の法律だと、日本を守るために米兵が死に、しかも自衛隊が反撃できないとかそういう場合がありえる。見殺しね。要するに。
基地とか、予算とか、後方支援とかは結局、金の問題でしょ。金で血や命を掛けてもらうのは、米国もデモクラシーの国なので無理。
じゃあ、どこまで?ってところだが、これは難しい問いだね。
あまりにも日本にとってのデメリットが大きくなってきたら、日本が自前で核武装したりするかもしれない。
それは米国にとっても望ましくないので、米国も無法なことは要求しづらい。
だから日本国民が「自分の国は自分で守る!米国の助けなぞいらん。自衛隊は100万人だ核も持つ」とかいい始めたら、むしろ米国の要求は下がるかもしれない。
自主防衛の方が安くつく(血も金も含めた総合評価として)としたら、日米安保などいらないので、それが理論的な上限になると思うけど、そこに近いところまでいってしまったらほとんど同盟の意味をなしていないと思う。
それはその隣国に聞こう。
「ありませんよー」と答えると思う。
それを信じて、彼らが攻めてこない前提で備えをしないのは正しいことだろうか?
Q5. 戦争に全面的に反対している国を攻めたりしたら、戦争に反対している全世界の人から非難を受けることになるだろうし、
経済制裁とかを加えられる可能性なんかもあるんじゃない?
安保法制ができても、自衛隊は最小限の武力しか持てないし、日本が戦争に反対し続けることは変わらない。
Q6. 歴史的に、本当に小さな出来事が戦争に発展することってあったじゃない?
大きな戦争に発展するには大きな背景が必要で小さな事件はきっかけにすぎない。
そもそも「一緒に戦いに行く」というのはどういう状況?そんな議論は安保法制に含まれていないと思うのだけど。
どんな問いでも「ありえないの」ということを言うならば前提に矛盾しないかぎりどんなことだってありえることになる。
そういう事態をさける一番確実な方法は、自主防衛だろうね。自衛隊を100万人(で足りるかどうかしらんけど)にして核兵器で武装してどことも同盟もしない。
8.6秒バズーカーというお笑いコンビが反日思想をもとに結成されている、という都市伝説は今や多くの人が知っているものだろう。
知らない人は下記リンク先を参照して欲しい。
http://akipy.sakura.ne.jp/wp/archives/100
で、ここからが私の言いたいこと。
8.6秒バズーカーというグループが、反日思想を根っこに抱えているのかどうか、正直わからない。
彼らがすべてキャラ設定し、ネタを作り、それをテレビが偶然持ち上げた……というのは考えにくい。
しかし、たとえばこういうことは考えられる。
今、日本ではナショナリズムが大きな「トレンド」になっているから、
それをいくつも刺激するキャラ設定をそなえたコンセプトのお笑いコンビを作り上げる。
テレビで持ち上げると同時に、裏で「彼らにはこんな都市伝説がある」という噂を流せば、「話題」になるに違いない、
といったような……。
ただし、私が問題とするのは以下のことだ。
国家には、国民が共有するメモリアルデーというものがあり、独特の意味を持つ数字の組み合わせがある。
数字自体に意味はもちろん無いが、ある日付が国民にとって特別な意味があるために、
日本だと、最近では311がそうだし、226という数字も有名だ。
アメリカだと911だとか76や74(独立記念日)という数字がそれに当たるだろうし、
そして「8.6」
唯一の被爆国として、二度と紛争解決の手段として、核兵器を使わせてはならないという決意を、
私が小中学校の頃には、教師からかなり熱心に、核兵器の非人道性について教えられた……。
たとえば「8.6秒バズーカー」に取材をした文春記者とか、よしもとに電凸した人などは、なぜこう諭さなかったのか。
「君たちがそれを意識してコンビ名を考えたのかどうかは、わからないよ。
でもさ、日本人だったら、誰もが原爆の惨禍を忘れてはならないのは、きみたちも分かるよね?
あの悲劇を伝えるための努力を、私達は70年間、8.6という日付とともに行ってきたんだ。
ところが君たちは、50m走をその秒数で走ったという理由で、単なる偶然(と信じてるよ)で、
コンビ名をつけたというが、ほとんどの日本人はその数字から原爆投下日を想起するし、
『バズーカー』という爆発や兵器を意味する言葉をそのあとに続ければ、その想起は決定的になる。
それをお笑いに利用するのは不謹慎だとか、 多くの人を不愉快にするだろうと、君たちは考えなかったのか?」
と。
よしもとの中には誰一人、私達日本人が尊重すべき、語り継ぐべき原爆投下を想起させるコンビ名をつけたグループについて、
「やめておけ」
と注意できる大人はいなかったのだろうか?
よしもとが「威力業務妨害での告訴など検討している」そうだが、
裏設定の事実はどうあれ、彼らの名前が結果的に、日本人の当然共有すべき記憶を嘲笑している罪があることを、
自覚していないとは言わせない。
上層部の人間が、8.6という数字が原爆記念日であることを知らないはずがないからだ。
本来ならば、「8.6秒バズーカー」とういお笑いコンビが取り上げられた時点で、革新勢力が、
「原爆記念日を想起させ、笑いものにする極めて悪質なコンビ名だ。
そのうえ、原爆を透過したアメリカ人を象徴するサングラスをつけるなど、ナショナリズムを刺激するために、
として、よしもとに抗議の声を上げるべきじゃなかったのか。
ところが、実際に声を上げたのはむしろ保守勢力の方であり、彼らはエモーショナルに反応して、
「彼らは反日だ」
という抗議の声をネットで上げている。
裏でどういうキャラ設定があったのか、これから表に出ることは決して無いだろうが、
8.6という数字とそのあとの言葉によって、原爆投下を誰もがイメージすることは事実じゃないか。
保守勢力にとっては日本国の敗北を決定づけた屈辱の記憶であり、
革新勢力にとっては核兵器の非人道性を浮き彫りにした悲劇の記憶だ。
なぜ、革新勢力からは、「8.6秒バズーカー」を叩く声が聞こえないのか?
それとも、70年を過ぎて、もはや私達日本人にとっては、原爆記念日ははるか遠くのこととなり、
その日付とともに原爆の惨禍を語り継ぐという義務さえも、忘れ去られようとしているのか?
そうだとしたらそれは悲劇だ。
記憶が風化した時に、同じ過ちは繰り返される。
日本の加害者責任の声が強まると同時に、日本人に原爆の惨禍を訴えにくい風潮が生じているのも気になる。
今では日本人の加害責任について原爆の語り部が触れないと、責め立てられるために、
http://blog.livedoor.jp/hiroshimashimins/archives/51089543.html
ふと考えると、革新勢力が原爆の悲劇について以前ほど語らなくなった。
明らかに、日本人の加害者責任を追求することへシフトしている。
それが、革新勢力が「8.6秒バズーカー」を叩かないことに象徴されているのかもしれない。
その結果、再び核兵器の惨禍が繰り返されることに繋がるのかもしれない。
いずれ世界が再び同じ過ちを繰り返した時に、
「唯一の被爆国である日本では、数十年の時がたち、核兵器の惨禍の記憶が薄れ、語り継ぐ情熱が失われた。
原爆投下日と兵器名を組み合わせた名前のお笑いコンビが人気を博しながら、
被害者団体から公に抗議の声が挙げられることがなかったのは、その象徴と言える。
結果的に、世界からも核兵器の惨禍の記憶が薄れ、世界は再び、同じ過ちを繰り返すに至った」
と、記録されることになるのかもしれない。
じゃあ、障害者手帳持たなければいいじゃん?はい、お前健常者。
別に健常者が楽しく暮らしているかどうかについては何も言っていない。健常者がやる気になれば障害者を皆殺しに出来るという事実そのものを怖がっているわけ。
どういうこと?障害者でも寝たきりとかでない限り簡単に人殺せるだろ?何言ってんの?
それとも、健常者は当然俺の手助けしろよ、障害者様なんだから、って話か?
核兵器と同じだよ。いくら信頼できる同盟国でも、相手が大量に核を持っていて、こちらがいつでも滅ぼせる状態にあったら、おびえるだろ?いくら同盟国が裏切ることが政治的にあり得なさそうでも。
はい???いつどこでどうやったら障害者をすぐに滅ぼせるんだ?お前が人殺すのと健常者が殺すのと何が違うんだ?
は?逆にお前みたいな基地外がその辺にいる健常者、ってか障害者も含めて殺したりしない、ってお前、保証出来るの?そっちのがよっぽど確率たけーだろ、アホか。
出来ないでしょ。健常者だろうが障害者だろうが、そういう奴が出てこない事は保証できない。だから、我々はおびえないといけないわけ。
障害者の定義は簡単だよ。障害者手帳を持ったことがあるかどうかで判断すれば良い。
障害者手帳を持っていた記録があるものは障害者。障害者手帳を持った記録のないものは健常者。これでいい?
別に健常者が楽しく暮らしているかどうかについては何も言っていない。健常者がやる気になれば障害者を皆殺しに出来るという事実そのものを怖がっているわけ。
核兵器と同じだよ。いくら信頼できる同盟国でも、相手が大量に核を持っていて、こちらがいつでも滅ぼせる状態にあったら、おびえるだろ?いくら同盟国が裏切ることが政治的にあり得なさそうでも。
障害者のおかれた立場というのは、それと同じなんだよ。いくらあり得なさそうでも、国は誰が障害者手帳を持ったことがあるか、全部記録を持っている。その記録を使って、障害者手帳を持っていたことがある人間を全て殺そうとする人間が出てくるかもしれない。表立ってやる確率は低いが、名簿を横流しする不届きな健常者の公務員がいるかもしれない。横流しされた名簿を誰か狂った奴が使うかもしれない。そういう奴が絶対にいないって、お前保証できるの?
出来ないでしょ。健常者だろうが障害者だろうが、そういう奴が出てこない事は保証できない。だから、我々はおびえないといけないわけ。
駅の飛び込み自殺防止にブルーライトを設置してる駅があるけど、そんなのいらない。
我々が、他の人が自殺しないようにしっかりと見張ればいいだけ。
防止柵もいらない。国民が全員自殺しないように心を強く持てばいいだけ。
そうすればいいのに、やれ研究だ、やれ人間の本能に訴えかけるだ、とか、そんなの税金の無駄遣いでしかない。
妨害電波を発して携帯電話を通話禁止にする機械があるけど、そんなのいらない。
我々が、モラルに従って携帯電話をOFFにすればいだけである。
そうしなければいけない人間が恥ずかしい、というかモラルを守れない奴は人間以下だ。
生きてる価値はない。
我々は本能で生きてるわけではない。
理性が存在する。
生まれながらに、人は殺してはならない、友達を大切ににする、もう二度と戦争をしないなどとインプットされた理性が備わっている。
それを何だ。
物理的に携帯電話を使えなくするとか、この色は心を落ち着かせるとか、
核兵器を持ってるから戦争は起こりえないだと?理性を大切にすればもともと人間は戦争しないようになっているのに、愚かだ。
嘆かわしい。