はてなキーワード: 抗癌剤とは
離れた実家に暮らすお母さんが、癌になったらしい。3回目。
1度目は8年くらいまえに大腸がん。親が死ぬかもって初めて思ってすごく悲しかった。
それ以降、親はいつ死ぬかわからないと思って、たくさん帰ったり、たくさん写真を撮ったり、喜ぶことを出来る限りしてみた。
2年前にまた肺がんになった。リンパにも転移していた。今度は場所的に手術ができないかもとか言っていた気がするけど、手術か抗癌剤治療かで、また完治した。
この時私は結婚したばかりで、やらないつもりだった結婚式を母の希望でこじんまりやることにした。
自分が離婚するときはすごくお母さんに心配もかけて、おとなになって初めて喧嘩もして、お母さんから「うまく言えなくてごめんね」ってメールが来たのを覚えてる。
それでもまた前向きに、元気になったと思っていて、通院もずっと定期的にしていたけどまた癌が見つかったらしい。
しかも全然私知らなくて、地元にいる姉と何気なくLINEしていたら「そういえば聞いた?」という感じで聞かされた。
今回は、もう完全に手術できないくらい多数肺に転移していて、今日から抗癌剤治療が始まったらしい。
なんで私に言ってくれなかったんだろう、と言ったら、姉が「離れてるし、お母さんもまだ整理がついていないんだと思うよ」と言ってた。
自分もまだ頭の整理がついてない。ビールも飲んじゃってたし。整理もなにも無いんだけど。
泣けてきた。髪は抜けるって。
まじで自分が死ぬかもっていう病気を3回やるって身体的な症状0でも精神的に相当つらいと思うんだけど、加えて手術とか、抗癌剤治療とか、いろいろあって、それでもなんか前向きらしいという情報を聞くと、自分ももっと頑張って、何かできることすべてやらないとなと思う。
全く知らない人だし不謹慎かもしれないが物凄くうらやましい。普通はこんなスパッとタヒなないから。ダラダラ抗癌剤続いてジワジワ弱るし、指先が頻繁に出血するし指先の皮膚が薄くなって玉ねぎ刻むだけで指が痛い、大腸弱ってるのかロペミン飲んでも下痢を繰り返すし、抗癌剤の副作用で禿げるとかは序の口で、顔に吹き出物が大量に出て日に何回もステロイド塗ったり枚挙に暇がない。転移した肝臓が夜ジワリと重かったり、先生が転移や部位の拡大について説明が減ってきたり、まあ耐えられなくなった時に動けたら電車に飛び込むかもしれん。あんまり迷惑かけたくないから飛び降りる方面で考えてはいる。耐えられない時点でもう動けるわけ無いか。本当に羨ましい。
素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。
幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。
乳がんは罹る人も多い病気。負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。
でも全然カンタンではなかった。
家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。
判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。
手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。
いろんな後悔が今も心に残っている。
こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。
興味があったら読んでみて下さい。
ほんの些細なこと。
10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。
その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。
それから1ヶ月が経った頃、
朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。
違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。
ピンク色の東京タワー、ピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。
ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。
夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。
大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安にかられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。
しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。
人間、不安なときは都合のいい方の考えに飛びついてしまうものだ。
私は、
と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。
翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。
考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。
今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。
一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がんを検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったから検討がつかない。
よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。
そういって若い女性の医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。
その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。
診断は
違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。
乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常の生活に戻った。
「大丈夫でしょう」という自分の安易な判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。
それから2年、私はしこりのことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。
日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日。
その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。
夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。
暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。
私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。
夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。
とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」
との回答。
しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。
「乳がんの専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見を採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。
まずは触診。先生の無表情さが不安を掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。
終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます。検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。
もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。
これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分が乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。
この一週間は今まで感じたことのない長さだった。
加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。
診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。
先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。
何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。
我を取り戻した私は、
「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。
結論は手術。
私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。
女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘を選択した。
医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。
まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。
ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。
次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。
母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。
と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。
親の前ではやはり自分は子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。
仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。
私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。
仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると
という反応。
特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。
更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。
中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。
私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベルの男性と結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。
昔から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那の愚痴。家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。
由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。
由美にも率直に
と伝えた。
ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。
するとA子は
と言い放った。
彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。
死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。
ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。
私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。
これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。
家族の不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブな感情を抱えながら私は手術に挑む。
スケジュールが出た。
手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘を選択したために術前の化学療法はなし。
手術2日前から入院となった。前日からは食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。
手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由はリンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。
乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。
でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。
翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。
わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。
術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。
7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。
そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。
左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分の身体から目を背けたくなる時期もあった。
でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。
気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。
期間は3週間を1クールとして、8クール、複数の抗がん剤を組み合わせての実施。
抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。
抗がん剤治療は想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気と貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。
覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。
2クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。
3クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。
それにしてもケアグッズも高い。
あまり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がんは治療以外にかかる金銭的負担も大きい。
4クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。
いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。
こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。
楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。
抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。
化学療法を無事に終えた私は最後の治療、放射線治療に入ることになる。
放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的な負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。
放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。
ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。
手術をしてから約半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。
毎日毎日通った病院。乳がんを発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。
検査のときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。
お陰で私は現実と向き合い、治療の目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう。
そう言えればどれだけ幸せだろうか。
一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。
こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。
そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活を改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。
乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。
幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。
ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のときは帽子を被るようにしている。
左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。
胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友の言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。
以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事と抗酸化作用の高い食品をメインにしている。
そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活のリズムを整える意味で意外と気に入っている。
家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事も積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。
夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。
先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。
親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。
こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。
でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。
どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。
乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。
もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・
早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスクも存在しない状態で治療が終わっていたと思う。
親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。
10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がんを自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。
乳がんは女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。
今年から研修医になって実際の医療現場の渦の中にいると不思議に思うことがいくつもある
自分が経験した科が内科だからかもしれないが毎日パソコンを弄っているだけで患者が治っていくのである
外来で経過を見ていた患者が肺炎を起こし呼吸困難になったので入院した
私は取り敢えず点滴のための静脈路確保のため患者さんに針を刺した
針を刺したら逆血が来たので静脈と針先が繋がったことが確認できたら否や、ナースさんは「あとはやっておきます」
といって交代してくれた
その間に私は電子カルテで「オーダー」を出す
呼吸困難なので酸素マスクの指示を入れる。 発熱があるので一応血にばい菌がないか「血液培養」を取る。培養を取れたことを確認しだい「抗生剤を食塩水に混ぜて点滴に入れて下さい」と指示を入れる。
その後、他の患者さんの作業があって入院患者さんの元を離れたのだが、その数十分後に入院患者さんの病室へ戻ると
もう綺麗に点滴装置が設置されてバッチリ抗生剤が入っていて、バッチリ酸素マスクを吸った患者さんがいる。ナースステーションには培養ボトルにバッチリ血液が取れている。
私がやったことは最初に針を刺したのとパソコンで指示しただけである。それなのに患者さんのもとには様々な器具が装着され次の日にはすっかり患者さんは元気になっていた。
実はこの時、私は点滴装置のつなげ方も、抗生剤を食塩水に溶かす方法も、食塩水の点滴バッグを点滴装置に繋げる方法も、酸素マスクの付け方も、血液培養の方法も知らなかったのである。
ここまで酷い研修医は私くらいかもしれないが、実際ナースさんが優秀で救急医療の経験がないと、医者のほうが実際の器具扱いを知らないというのはままある現象ではないかと思う。
勿論指示を出したのは自分であるが、自分はパソコンの前でカチカチしているだけで患者さんがみるみる治療され元気になっていくのだからなんとも不思議で新鮮な経験だった。
よく「医療ミス」や「患者取り違え」が話題になるが、本当にそういうリスクの高いことをやっているなあと実感する
一度ナースさんがやってくれている朝の採血を代わりにやらせてもらったことがあるが
ナースさんたちは一人で5~10人の患者さんの採血を担当するのだ
「その程度でミスするなよ」と思うかもしれないが、現場はそう簡単ではない
血液検査はその項目ごとに採血管の種類があるため、患者さんの病気によっては一人につき7本も8本も採血管に血をいれなければならない状況もままある
効率よく採血しようものなら自分の手元には30~50本もの採血管があり、それらに一本も患者の取り違えミスも無く入れなければならない
私も気づけたから良かったもの、別の患者さんの採血管に別の人の患者さんの血を入れてしまったことがある(幸い外のラベルを張り変えるだけで解決できたが)
採血程度なら良いがこれが抗がん剤なら大変な問題だ。 患者や量を間違えたら命を奪う可能性だって十分にある
勿論、医者側も毎日この抗癌剤をこの患者さんに入れます というのをナースと一緒に確認する。するはするが
実際に抗がん剤を点滴バッグにいれ、それを患者さんに入れる部分を目で見て確認しているわけではない(それを患者全員分しているほど暇でもないし)
そう考えるとナースさんの責任というか、日々やってくれていることの難易度と凄さを改めて実感する
大変失礼かもしれないがナースさんは治療に関してはそこまで大学で勉強していないはずで、抗がん剤の種類や内容(ある意味、危険さやおっかなさ)も完全には把握していないだろう
にも関わらず、そんな危険なものの「投与」という超重要で取り違えたら大変なことになる高リスクな部分を確実に遂行してくれていあるのだ。
勿論投与の相手や内容を間違えれば、患者さんの命があぶないし、そんなミスをしでかしたナースもドクターも「医療者人生が終わる」自体だ。
そんなヤバイことをやってのけてくれている。 それも一人で何人分も。 なんと恐ろしい作業なことか
こんなヤバイことを分担しているのだからさぞかし信頼関係があるのか と言われるとそうでもない
ナースさんたちは医者の名前や性格を把握して毎日こちらのオーダーもチェックしてくれているように思う
しかし、大変申し訳無いが多分、多くの医者はナースさんの名前を全員分把握してはいない
リーダー格は覚えているが、ナースさんは医者の三倍近く居ることもあり(医者は1日じゅう患者の担当をするが、ナースは日中、夕、夜間の3交代制のため)中々覚えきれない
そして自分の患者がどのナースさんが担当してくれているかも余り把握していない どんな人材が薬の投与などのおっかない作業をやっているか把握しようとすらしない
そんな信頼関係で「患者と医療者両者の命がけ」の治療は分担され、成立しているのである
医者は一般的なサラリーマンとは異なり、働く場所が固定せず転々とする例が多い
(それは、病院毎に入院患者さんの病気の内容が違ったり、所属医局の病院ごとの人員運営だったりといろいろな理由があるのだが)
その為、日々の診療も実は知り合って数日の医者同士で行われたりする
性格やプライベートや経歴もお互いよくわからない状態のままでも、分担作業を平然とこなすのである
勿論、誰かが失態を犯せばチーム全員で責任を負わねばならない。にも関わらず 案外ケロッと任せてしまうのだ
そうしないと時間内に治療が回らないとは言え凄い信頼関係(?)だなと思う
病院経営として仕方ないとは言えこれだけ危険な作業を希薄な信頼関係で成立させている現状は私にとって非常に奇異に感じるものであった
普通、サラリーマンならずっとその会社で生きるため、そして年を取り昇進をすれば多少は楽になるから
若いときに苦労をする。上司も若い人材がその先会社を支えてくれるように一生懸命に指導をする。
有名な病院に居る若手医師は「ずっとここで最前線で働きたい」という人はそこまで多くなく
「ここは勉強になるけどキツいから若い内だけでいい、修行だけ積めたら他に居場所を探す」という考えの人も多い
(それは有名病院ほど帝大出身の医者じゃないと昇進できなかったりと幾つか理由はあるにはあるのだが)
ずっとそこに居たいわけでもないに彼らは本当に一生懸命に働いている
そして指導者もある程度彼らが一生自分の手足として働いてくれはしないことを知りつつも、一生懸命指導する
離れて暮らす両親の話。
親父が癌だ。今は食道癌。
最初の癌は15年前。白血病。抗がん剤→骨髄移植で一応元気になった。
次は皮膚癌。発症は顔のほっぺた。小さかったのと初期に見つかったので薄皮一枚削った。
次は今も闘病中だが食道癌。見つかった時はステージ3。皮膚がんはたまたま見つけやすいとこだったから医者が気づいたわけだが、白血病で毎月検査しているからかあんまり他の癌に注意してなかった模様。まぁアホな親で困る。一度治療を終えたが、再発が見つかった。また抗がん剤が待っている。
食道癌は喉に出来たこともあり、切ろうと思っても声帯ごととる大手術になる。最初の白血病の時にだいぶ体力を失っていたこともあり、手術に耐えれる体力が無いと医者に判断され、抗癌剤と放射線治療のみ。
抗癌剤治療の副作用は凄まじい。巷では副作用が少ない抗癌剤がとか、科学の進化がとか色々言っているけど、親父は白血病の頃から数えて10回以上抗癌剤治療を行っているわけで、傍からみててもう限界に近い。一回一回痩せていくその姿はとても痛々しい。元々痩せ型〜普通くらいの体型のくせに、体重は15kg前後落ちた。髪の毛が再生するのは最初のうちだけで、骨髄移植後はなかなか生え揃ってくれず、陰毛みたいな白髪がうっすら生えてくるだけだ。カツラをつけるって言っても、留める毛すら揃わない。大手保険会社の部長を勤めたイケメンの姿はもうない。
抗がん剤治療を乗り越えるには、それなりに体力が必要。手術する体力が無いと言われた親父は、本当なら10日で退院できる抗がん剤治療でも1ヶ月半くらい軽く入院してる。色んな病気を併発するからだ。白血病の時は肝臓にウイルスがどうとかで1年以上入院した。前回の食道癌の時は肺炎になり、元々肺気腫気味だったけど悪化した。おかげで現在は5分も歩けないし力仕事なんてできない。
また、これだけ抗がん剤うてば、口の中も荒れ放題になる。もともと虫歯一つない歯だったのに、今では奥歯はほとんどない。入れ歯は抗がん剤後には合わなくなり、調整してもまた治療したら微妙に合わなくなり。次の抗がん剤を間近に控えて、現在は痛くて使わなくなってる。
味覚も狂う。最初の抗がん剤治療後(骨髄移植前)は、何を食べてもまずく感じるなか、唯一ラーメンだけが美味しかったらしく、街中のラーメン屋を片っ端から食べ尽くしたらしい。骨髄移植後は割と味覚も戻り、美味しいものを美味しく感じれる生活を送っていたが、食道癌になってからは何を食べても美味しく感じないらしい。喉に引っかかるから飲み込むのも辛いとかなんとか。
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おかんは熱心な宗教家でもあり、エセ科学とか大好きだ。もともとそんな人なわけだが、抗がん剤治療で日々弱っていく親父を見るとなんとかしたいという一心から、様々なエセ科学を調べる。俺自身、身近な友人を抗がん剤の治療関連死(まだ元気だったけど治療開始後一週間で亡くなった)とかあったので、抗がん剤を心から信じているわけじゃないし、おかんの気持ちはよく分かる。
んで、最近は食事療法的なよくわからんやつにご執心だ。体にいい食べ物、悪い食べ物に分類してあれはダメだ、これはダメだっていうやつ。これは良さそうに見えて本当は良くないとか色々ある。興味本位で色々聞いてみたら、おかんに入れ知恵している先生的な人曰く、坊さんの精進料理的なものしか本当に体にいい食べ物はないらしい。肉もダメ、野菜も大半ダメ、魚もほとんどダメ。なんだそれ。
とはいっても夫婦で食べる料理はそんなに極端に変わっていない。あからさまに体に悪そうな食べ物(ファストフード的なやつとかポテチとかそういう系)は元々食べないし、別に我が家の食卓でそんなに大幅な変化はない模様。二人とも元々同郷の農家だし、昔ながらの食い物ばかりな感じ。
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生きることはとどのつまり食べること。病人だって美味いと思えるものをしこたま食べれば体力も少しは戻ってくるだろうさ。少なくとも運動もできない体になった以上、食う以上に大切なことは思い浮かばない。
おかんにはそのことを話した。抗がん剤治療を信じない、食事療法で内側から治すという考え方は大事だと思うけど、病気を倒す体力や元気を身につけるには、体に良い悪い食事よりも親父が食べる事に喜びを感じる方が遥かに大事って。俺はさすがスピリチュアルなおかんに育てられただけあって、スピリチュアルに伝える技術はいくらでもある。割と簡単に納得してくれた。ちょろい。
問題は本人。つまり親父だ。何食べても美味しいとは思ってくれない。そもそも奥歯がなくても食べやすくて美味しいものなんて俺にはなかなか思い浮かばない。刺し身と鍋は比較的いけるっぽいけどあまり楽しんでくれない。クソ。
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最近一つわかったことがある。
親父はおかんと二人の時より、俺がいた時の方が美味しいと感じるらしく、俺の嫁がいる時の方がもっと美味しく感じる模様。同様に姉家族が孫を連れて帰って一緒に食べる時などとても美味しい模様。
前回俺が嫁と一緒に帰った時に4人で外食したわけだが、その時に食べた鍋焼きうどんがとても美味しく気に入ったらしい。で、後日一人で食べに行ったみたいなんだけど、全然美味くなかったとかなんとか。
姉には子どもがいるが、俺にはまだいない。俺がガキつれて帰った方がご飯は美味しく感じるのだろうか。たぶんそうなんだろうな。
確かに孫と囲む食卓だったら、何食っても美味いだろうな。
贅沢な親父め。クソ。
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あれだけ弱っていて、かつ自分の死期が比較的近いと考えている人間が、あと何回抗がん剤治療を乗り越えられるのか、あと何年生きられるのか。
出来るだけ美味しいご飯を食べさせてやりたいなと思うところです。
うちの親父も七年前くらいに三年生存確率50%とかいわれてたうえにリンパに転移してたからほんと覚悟してたけど今も生きてるわ。
まぁ二年前に大腸に新しいガンが見つかったんだけどさっくり切って(本人曰く前にリンパまで転移した時より手術も手術後も楽だったらしい)まだ生きてる。転移してなけりゃ五年生存確率が20%くらいだったかな?
ただうちの家系は難病指定の病気があって、抗癌剤とか放射線治療がきっかけでそっちがでてきちゃって二年生存確率50%だってさ。治療法もないので今度は本気で覚悟しなきゃならんが、しかし二年後もうちの親父は生きている気がしなくもない。とりあえずガンは治療法もあるし着れば結構な確率で生存できるのでガンって言ってくれたほうが家族としては気が楽なのだが、ガンになった人が知り合いにいないと重く受け止めてしまうのかなーと思う。昔は家をうるくらい大変だったらしいからねぇ
多分反対だと思う。
あ、抗癌剤使わなければ死亡する17日前まで仕事できるんだ。もし自分ががんになったら抗癌剤は使わないでおこう。
と思った。
それでも抗癌剤で髪が抜けて吐き気に襲われて苦しみ抜いて…というより、トータルで苦しむ量が少ないように思えた。
なお数年前、少しだけご縁のある目上のかたも末期がんになり、回復の見込み無しと判断されたあと民間療法に嵌った。
周囲の人達は「騙されている!」と民間療法を辞めさせようとしたけれど、本人も効果が無い事はわかっていると言っていた。
ただただ、気持ちが少しでも楽になると。
もちろん、治療が可能な時点で効かない民間療法に行ってしまうのは問題だ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4105393057
代替医療:主流派の医師の大半が受け入れていない治療法(この本の中での定義)。
ホメオパシー※1とか鍼とかハーブとかその他得体の知れない代替医療は数あれど、それらを冷静に論じた研究は意外に少ない。盲目的に信じ込むか、逆に根拠のないたわごとだから皆殺しにすべきとか、ヒステリックな物言いは割とあるのだけど。
この本では、医薬品では実際に行われている二重盲検法を同様に用いて、代替医療各々は効果があるのか、何にどれくらいの効果があるのかというところを冷静に検証している。第一章では、経験ではなく根拠に基づいて医学を発展させてきた歴史を大まかに説明している。二重盲検法について知っている人でも医学史として楽しめること請け合い。壊血病の対策をいち早く発見できたイギリスの躍進とか激アツ。
※1:ある物質が持つエネルギーを水に記憶させることで治療薬を作成する。溶液は百万分の一以上に薄められて有効成分の分子が含まれてないかもしれないけど、希釈されればされるほどエネルギーは増幅されるから大丈夫だよ(大丈夫じゃない)。材料は植物、鉱物、生物など様々。ベルリンの壁を材料にしたものもあるよ。
この本の中では、具体的なエピソードは読んで欲しいので省きますが、多くの代替医療は科学的な検証を経てプラセボと同等の効果しかないという結果が繰り返し提示されます。効果があるものも、検証する立場の人が中立じゃなかったり、認知的なバイアスによるものなんじゃないかという検証がなされます。一時的に悪い状態(風邪とか)が平均への回帰でほっといても治ったのを、代替医療を施したせいだと思ってもらう工夫とか。
作中でも、また世の中にも「プラセボでも効果があるのならそれでいいじゃないか」という意見がしばしば出されます。著者はこれに対し、以下のように反論していました。
・プラセボの効果を最大にするために、医師が意図的に患者を騙すことになる
=水平的な立場ではなくなり、患者の自己決定権を阻害する、不誠実な関係を築くことになる
・医師はプラセボ効果を守るために薬効の真実について口をつぐむことになり、医学の進歩がストップする。製薬企業も金のかかる新薬開発を投げ出して砂糖玉販売に終止するようになってしまう
・代替医療自体に害がなかったとしても、代替医療を選択することで主流派の医療を受ける機会損失となり危険
(予防接種を受けさせない親とか)
▼治験でもプラセボ効果が出やすい分野とかはあるそうです。軽度・中等度のうつとか。でも抗癌剤とかだと明らかにプラセボは駄目なことが多いっぽいので、そっち方面までプラセボでもいいんだの民に駆逐されるとやばそうな。▲
などなど。このあたりがヒステリックじゃなくエレガントに書いてあって感じが良かったです。
アメリカでは代替医療の一つであるホメオパシーが、昔から有力者に好きな人が多いとかでFDA(アメリカ食品医薬品局。医薬品の臨床試験とかする。つよいきびしい)の審査抜きでガバガバ売られてたり、イギリスではチャールズ皇太子が代替医療大好きでその効果の程を知らしめるための機関を作って研究者から批判されたりとか、日本とは違う実情があるみたいです。日本でもやってる人はやってるみたいですけど。
巻末には30種類くらいの代替医療の効果のほどが簡略にまとめてあるので、代替医療概論としてもおすすめ。
▼代替医療についてまとめて学ぶのが初めてだったので興味深かった。「多次元DNA手術はチャネリングのテクニックを用いて、DNAレベルで問題のある配列を取り除き、神のような完璧な配列で置き換える治療法です」とか最高にキてる。▲
呪術がその効力を発するには、以上の条件を満たさなくてはいけない。呪術それ単体で存在するのではなく、呪いにかかったと信じる人がいて、それが呪いにかかったからだと信じる社会があって、呪いをかけた人間がいて、はじめて呪術が成立する。呪いにかかったと思わなければ呪いは成立しない。
以前『医療人類学のレッスン』でも書いたんだけど、プラセボあるいは代替医療が効果を発する状況には、似たような構造があると思う。
代替医療を受ける人が居て、それが効果があるものだとする社会が存在して、そのコミュニティでは権威のある施術者が居て。施術者と患者の関係が非水平的(知ってる人と知らない人、授ける人と助けを乞う人)という構造も似ている。実際には何もないのに、なにかあるように見せかけることができるってほんとに魔法のようだと思う。呪術と代替医療とプラセボの類似性が私の中で熱いので、今後も追いかけていきたい。▲
http://anond.hatelabo.jp/20130516114022 の増田です。あれから1年半は経過してたのかと。
母親の胃癌が発覚し、摘出手術を行う予定でしたが…手術でお腹を開けたけど癌の進行が早すぎて摘出不可という結果でした。
この時点で余命数ヶ月も無いと診断されたけど、定期的に抗癌剤の投与を行ったのと、癌細胞の転移が思ったほどでもなかったこともあって先日まで元気に過ごしてました。
ただ、この2か月ほどで食はどんどん細くなり、点滴での抗癌剤投与を拒否するようになり、闘病生活に入る前から比較すると体重がみるみる落ちていき、表情は白くやつれているのを見ると、死期はもうすぐそこなんだなと自覚せざるを得ませんでした。
うちの家族も膵がん(ステージ4)で、放射線治療は出来ない、転移してて手術も無理、抗癌剤も正直効くかどうか分からないし、体力は打ったほうがなくなるスピードが早いとのことで、所謂先進医療なしで発覚から4ヶ月ちょっとで亡くなった。
でも、亡くなる2週間くらい前まで通院しつつも普通に家族みんなで一緒に暮らせたし、一緒に旅行も行けたし、食事制限もほぼなかったからご飯も食べに行ったり出来た。
本人も悩みながらも好きなことして過ごしてたし、結果抗癌剤打たなくて良かったと思うよ。亡くなる時も苦しまないで旅立っていったし、家族としては、実りのある4ヶ月だったな。
勿論、見つかる場所によっては先進医療が有効な場合はあるから、癌になった時、近い物同士でどれだけ実りのある話し合いをするかとか、そうなった時に向けてどういう指針で動くかっていう意思確認は家族同士でしておくとかしておいた方がいいだろうね。
癌が発覚したのは約半年前だった。70歳の誕生日を迎えたばかりのことだった。
発覚した時点ですでにステージ3だった。
誰もが回復に期待した。
しかし、本人がその後の抗癌剤治療をすべて拒否してしまった。意外だった。
母はというと「癌は治せるってテレビでも本でもいってるじゃない」の一点張り。
その後家族仲はどんどん悪くなり、実家に立ち寄る回数も減っていった。
その後はあっという間だった。
ある日突然倒れ、その日のうちに病院で亡くなった。
びっくりするくらい体は痩せこけ、足だけがパンパンに浮腫んでいた。
それでも母は「良くなってると思ったのに…」しか言わなかった。
見た目がこんなにも変化していたというのに、それに気付かなかったのかということに驚くと同時に
それくらいに家族仲は冷えていた。
「癌は治せる!」「医療が人を殺す」「癌で医者にかかるな!」といった本ばかりがずらりと並んでいた。
父も母も、こうして自分達が望む情報しか選別していなかったのだと思うと
たとえ親子の縁を切られたとしても、もっと説得すべきじゃなかったのかという後悔だけが残った。
父も母も、PCをまともに扱う事ができない。
この世代は説得が通じない。
その「反医療」的な価値観は、いつ、何がきっかけで、どこから来たのだろうか…。
何より強くそう感じた。
真面目だけがとりえだった
3歳の時、小児がんにかかった。
よくわからないまま個室に入れられた
手術をしたらしい、それは覚えていない
経過を見るために骨髄注射は何度もした。背中に打つ、とても痛い。まだ覚えている。
打った後は気分も悪くなる。
抗癌剤も打っていた、髪の毛は抜けるし気分は悪くなるしで最悪だった。
目の前に並んでる点を見つめてた記憶がある あの機械はなんだったんだろうか、今思うと不思議な機械だった
家にいる時は卵かけごはんが好きだったが、身体が弱いので生卵は禁止だった
卵かけごはんが食べられないのがとても悲しかったのは覚えている。
最初は個室に入っていた、たぶん菌が少なくなるようにした部屋だったはずだ
でも、ある日突然いなくなった
後から聞いた話だけど、亡くなったらしい 癌なんてそんなもんだ
完治するかどうかなんてわからない。。
再発の危険があるので、数ヶ月に一回検査入院をしなければならなかった
その際抗癌剤の点滴をつけっぱなしにする。数ヶ月に一回病院に行くのが嫌だった
激しい運動は禁止されていた、風邪など引いた場合の抵抗力が弱っていたから
たぶん、クスリの治療をしていたから、白血球の数が少なかったんだと思う
小学校に上がっても通院はしていたが、回数は半年に一回、一年に一回と減っていった
三年生になってやっと病院から開放された、もう何をしてもよいと
泳げるようになったのも三年生になってから
ずっと運動してこなかったからなのか、病気になったからかわからないが
体格も、ちょっと小柄だ
なんのせいかはわからない、病気にならなくても元々そうだったかもしれない
みんなとあまり変わらない
なんか色々と病んでて死にたくなる人もいるみたいだけど
生きてなにか取り組んでみたらいいんじゃないかな、なんとなくふとそう思った
大きな本屋の医療の棚に行って、医師向けのがん化学療法の本を見てみるのはどうだろうか。
パラパラめくって、抗癌剤使用時の生存率と不使用時の生存率の差とか、抗癌剤を使った方がいい場合と使わない方がいい場合をどのように区別すべきかについての考え方がくわしめに書かえれている本を買って読むと、医者の判断に納得できるかもしれないし、医者に疑問点を聞くとっかかりができる。
どこまでウェブだけで取れるかしらんが、治験結果は全て公開されてるだろ。
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/chiken/
そりゃ、人間の仕組みのほとんどを理解できてない状態で、たまたま上手く行く例もあっただけの話。
それにネットで嬉々としてでてくるのはそうやって「外れた」ことをして上手くいった!っていいう話なわけで。
普通の話は出てきづらいわけで。
んで、4年で、その後は?抗癌剤打ってれば10年生きられた者が拒否したせいで5年で死ぬかもしれんのだが?
お前の偏った情報源のがよっぽど疑念が生まれるだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20120321165303
「どうやら何かの人工物質が関係しているらしい」という所まで突き詰めた
どうやって???
良い疑問だね。
と、偉そうに書いてるけど、実は俺も増田みたいな疑問を持ったことがあって調べたことがあるんで、良い機会だからその話をちょっとまとめてみるよ。長いけど暇がある時に読んでくだされ。
あ。専門家じゃ無いんでちゃんとした奴に裏をとってください。増田に書いてある事を信じるのが許されるのは小学生までだよねー(AA略
「化学物質」というのは辞書的な意味では全てのものが化学物質であるから、「化学物質過敏症」は全てのものに過敏だと言う意味になってしまうから不適切だ、と言う話は国語の問題、ネーミングの問題なので別の話だという事はまず理解してくれよ。言葉遊びじゃないんで。
ここは「化学物質過敏症」というのが特定の意味を持つ一つ語として扱う。シックハウス症候群やら、有機溶剤を扱う仕事に従事する人間で労災として多く発生する各種神経障害なども十把一絡げに「化学物質過敏症」だと報道されて勘違いされることもあるのが面倒ではあるけれど、「全部おまえにやる」と言われて「全部って言ったら全世界すべてのもんだろ!」と反論するガキみたいな事を言っていてはお話にならないので。
この突き止めたというのは、人工物が無い所にいると症状が出ないが、人工物に囲まれているところにいると症状が出る、と言う程度ですよ。きちんと作用順序が解明されているって話じゃ無いです。
それで除外診断というのは2種類の意味があって
医師によっては前者の立場を取る人がいて、学会などでは前者の立場を取って「化学物質過敏症」という診断は学会として承認しないと言う立場が多い。
前者の立場を取る医師が、それを仮病・詐病だと言っている訳じゃ無い所に注意。つまり「もっと適切に診断が分かれるはずだ」あるいは「別の病気、別々の原因で発生している症状である可能性が高いのに、そのような言い方で総括しては問題がある」という立場というわけだそうな。
医学というのは科学的に理論性前途行われているように思われるが、実はかなり泥臭い分野で統計学が非常に重要な分野だったりする。
作用順序が解明されていないけれども統計的に明らかに効く薬や治療はたくさんあるし、何故発生するか分からないが統計的に明らかに発生しており病名がついているものも結構あるそうな。
その二つが組み合わさり「原因不明で発生する病気があるが、過去の知見からこの薬が効くことが分かっているので処方するが、実は薬が何故効くのか確定した理論がない」と言う病気も実はかなりあるのだとか。(当然すべてがそうだというわけじゃないので注意。原因、作用順序から何からきっちりそろってるのもやっぱり多い)この典型が腰痛と肩こりだそうで、その原因のほとんどが「原因不明」で対策のほとんどが「運動すると直る」「暖めると直る」「微弱電流を通すと直る」という話で実際それで十分なので臨床ではそんなもんで済まされていたりする。この辺りはいろいろと調べると面白いよ。結構目からうろこで医学ってものの敷居が下がること間違いなし。
逆に「何故効くのか」という理屈は先にある一方、統計的にきちんと事例を集めると効かないのが詐欺医療(って言うと最近は怒られるので、代替医療とも言うが大抵は詐欺まがい)やら健康食品やらの特徴だったりするので注意。
たとえば「抗癌剤を売りたいメーカの陰謀で潰されてるだ!」等とググると大量の陰謀論がひっかかる治療用の癌ワクチン、免疫療法などはこの類いで、効く効くと言われているがつい最近も癌ワクチンの開発を進めるベンチャー企業が行ったそれなりの規模の治験で有効性が否定されたりもしている。つまり、盛んに効く理屈が宣伝されているんだけど効かない。あ、子宮頸がん予防のワクチンはここで言う治療用の癌ワクチンとは違いきちんと予防効果が立証されてます。
(みんな大好き高級砂糖玉でおなじみのレメディとかは代替医療とすら言えないほど最近はカルト化が激しいのであえて例にしない)
食中毒を考えて見る。
で、化学物質過敏症というのはせいぜいこの場合の2番目程度でしかないわけだ。これは素朴な民族伝承みたいなのを例に挙げたけれど、実際最先端医療でもやっている事は同じで、
と言うプロセスがほとんどで似てるよね。もちろん手法や機械の発達などはあるわけだけれども、大まかなプロセスは一緒。たとえば集団公害事件などは
ってな事になる。
そこが疑わしいよね。予断じゃないのか。
そもそも人工物質って何なのか、疑問に思わざるを得ない。そう思わない?
予断があるのは間違いないと思う。と言うか本当は適切な病名がつけられるべきなのに、何でもかんでも化学物質過敏症という事にしすぎという議論があって、便利すぎるわけで。医師も人間なので「私化学物質過敏症だと思うんです!」と強く言えば、それを予断として持ってしまって不適切な診断を下してしまうこともあり得るかも知れない。化学物質過敏症を扱う人の中には「化学物質過敏症という概念が広まったことで、潜在的に存在しいていた患者が表に出てきた」と宣伝している人もいるけれども、こんなおおざっぱな概念でそれはねーよと思うし。
しかし「診断の結果、一括で怪しいとされる物質が極力出てこないようにコントロールされた場所だと症状がでないが、通常の場所にいると症状が出る」ということが一定数存在する事は事実であり、それらを便宜的に「化学物質過敏症」と呼ぶ必要はある。統計的に症状があることは明らかなので。そう言う意味で本当はもっと違う適切なネーミングがされるべきなのかもしれないけど。
だからできるけ、ここから症状が出る物質を一つずつ入れたり出したりするとかして実験をしたり情報を集めたりして、この大ざっぱな括りに含まれるものを除外していかないといけない。もちろん、そこにはブラセポ効果的なものを含む影響も確認する必要があって、ブラセポ効果によって大方の症状が治まるのであればそれは神経性やら心因症(決して詐病という意味では無い)だという診断も含めて行わなければならない。つまり「詳細がわかってねーからこう呼んでるんであって、詳細がわからねーからこう呼ぶなってのはねーよ」と言う訳である。
いろいろ面倒なんだよねこの辺り。
まぁ一つだけ言える事は「化学物質過敏症を煽りまくって荒稼ぎする悪徳医師モドキやら、詐欺師共はさっさと捕まれ」という事に尽きるわけですけどね。こう言う多種多様なものをひとくくりにしたようなものはそう言う輩が沸きやすいので。
日本の現代医学は癌患者に対し抗癌剤での延命治療が主なのはなぜで
しょうか?他国では代替医療による食事療法や温熱療法がメインに変わ
りつつある原因は1985年アメリカの国立癌研究所(NCI)のデヴィタ所
長は米会議で抗癌剤は10人に1人は腫瘍が縮むが癌細胞は自らの遺伝子
を変化させ抗癌剤を無力化してしまう反抗癌剤遺伝子(ADG:アンチドラ
ッグジーン)の発見を報告。また、1988年にはNCIの数千ページの
報告書「癌の病因学」で「抗癌剤は強力な発癌物質であり投与すると他
臓器に新たな癌を発生させる」と公表した。今までの常識を覆すこの発
表は製薬会社に多大な損害を与えるとして、口外してはならないという
戒厳令が敷かれました。抗癌剤は0.1gで7万円、延命治療を施せば何百
万の費用がかかり癌患者は正に病院の為の金脈にすらなっており、また
今日抗癌剤を信じ、熱意と努力を持った医師と患者が犠牲になっている
のです。
NATROMです。
「ホメオパシー信じて死ぬのと同じだよねこれ。」には大きな問題があると考えます。治癒切除不可能の膵癌に対する治療を拒否するのは、「ホメオパシー信じて死ぬのと同じ」ではありません。標準的とされる治療は抗癌剤です。効果はありますが、治癒には至りません。転移性膵がんに対する化学療法の効果はこんな感じです。
http://www.gsic.jp/cancer/cc_12/acd/img/02.gif
他にジェムザール+TS-1とかいろいろありますが、劇的に生存期間を延ばすものはまだないはずです(膵がんは微妙に専門外ですので、詳しい方がいらっしゃれば補足をしてくださればうれしいです)。数ヶ月の生存期間を延長させる効果です。私なら、それでも抗癌剤治療を受けます。その数ヶ月でやれることあるじゃん。でも、副作用やらとの兼ね合いで、抗癌剤治療をしないという選択も十分理解できます。たとえば、悪性リンパ腫(こちらは「治癒」する可能性が見込める)の化学療法や、治癒切除可能な固形癌の手術を拒否するのとは、意味が異なります(まあこれも十分な説明を受けてそういう選択するのもアリだとは思いますが)。
まあそんなわけで「ホメオパシー信じて死ぬのと同じだよねこれ。」に対する批判には一定の妥当性があると考えます。ただ、ブクマ含めて、ちょっと気になったことがいくつか。
「まもなく死ぬとわかってる末期のがん患者に抗がん剤を投与する意味」→生存期間が延びたり、QOLが改善したりします。数ヶ月ぐらいだと「それほど意味ねーな」と思う人がいるのは理解できます。でも、たとえば、大腸癌の化学療法はすごく進歩していて、数年ぐらい伸びます。もしかしたらそのうち「治せないけど進行を止める」ことぐらいはできるようになるかもしれませんよ。
「抗がん剤治療だと入院必須」→入院が必要な抗がん剤もありますが、外来で可能な抗がん剤もあります。膵癌に対する抗癌剤であるジェムザールは外来でできます。TS-1も内服ですので外来でできます。
「(抗がん剤は)早期で転移が少ない状態では有効でも進行したがんについては非常に難しい」→早期で転移が少ない状態ではあまり抗癌剤治療はしません。外科切除後に、再発予防で使うことはあります(術後補助化学療法)。
「まず副作用がひどい(事が多い) 本人もつらいし、まわりもつらい」→治療の目的にもよりますが、副作用がきつければ用量を減らしたりします。よほどのヤブでない限り「早く死にたい」という患者さんにムリヤリ使ったりしません。また、ジェムザールはわりと副作用は少ない方です。
「費用面でもバンバン出費がかさむ」→保険適応になっていれば高額療養費制度でなんとかなります。でも、最近では抗癌剤治療が進歩して生存期間が延びたので、費用が問題になる場合はあります。
今 敏監督の選択に対する的外れな揶揄に対する批判には深く同意します。「自由度を高めるのは悪いことではない」という増田さんの意見に賛同します。ただ、「つらい副作用」をあまり強調されると、必要な治療を回避してしまう人がいないとも限りません。
他にも、癌の進行による症状悪化を、副作用だと誤認して、「抗癌剤の副作用が酷い」と仰られる方もおられます。
抗癌剤治療はすごく進歩していますので、ご自分やご家族が抗癌剤を受けるかどうかの選択を迫られたら、専門家によく聞いてから判断してください。
この記事に賛同しているy_arimもアニメライター(記事書く方)
いやだからさ、
基本的に、転移した膵がんはまず助かる余地がないです
NATROM 遠隔転移ありの膵癌だったら、抗癌剤拒否は理解できる。私だったら、抗癌剤治療受けるけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/ssig33/20100825/1282722071
ひとまずそれなりに現場のことを知っていると思しい20100825225519の増田氏(この増田ってのは馴染めないんだが仕方ない)と専門家のNATROM氏が
「このケースは、スタンダード治療である抗癌剤使用さえ、もはやその是非を考えていいくらいの重症」だと考えてるってことだから。
前者の2人が医療ライターだってんならまだともかく、シナリオライターだのアニメライターだの、それとこちらとどっちに「判断材料」が多いと思うのさ。
http://anond.hatelabo.jp/20070526155456
どちらかというと、効く薬は危険な薬であり、安全な薬は効かない薬でもある。
漢方は、基本安全側にあると思う。現代医薬は効く側。
たしかに漢方は長い年月をかけて、安全性を確かめてきた。しかし、現代医薬と比べれば、効くかどうかはあまり確かめられていないと思うのだ。
現代医薬も、処方箋のいる薬といらない薬があるけれど、いらない薬は漢方の側に近いね。というか、漢方を使ってる薬も多いし。
モルヒネや抗癌剤の様に、体を痛めても使う薬と、ハーブの様に薬効なんてないに等しいような物まで。
それと、使われてきた歴史、さらに体の重篤度を勘案して、適切なものを選べれば一番だけれど、問題は多過ぎるんだよね。
だから、あきらめと切捨てが肝心。