はてなキーワード: 憂鬱とは
高校3年の秋に母が突然亡くなってから困ったことの一つが、着物のことがわからないということだ。
まずは成人式。周りが前撮りの話をし始めたところで話題について行けなくなった。
十三参り(ローカル行事)の時に母がさらにその母からもらったという着物をお直しをして着た記憶があったのだが、その着物がどこにあるのかももし見つかってもどうすればいいかもわからなかった。結局実家から飛行機の距離で一人暮らししていることもあり着物は見つからず、わざわざレンタルするのもなと思い成人式には参加しなかった。同窓会には自分でドレスを買って参加したが、周りが成人式で着物を着た楽しそうな写真やスタジオで撮ってもらった美しい写真をアップしているのを見てひどくうらやましくなった。
父も母も兄弟はおらず、ほかの親戚とも疎遠で自分に着物のことを教えてくれる人はいなかった。母の友人などにわざわざ連絡を取るのも億劫だった。
次にコロナ禍で暇になった大学の友人たちが着付け教室に通い出した。みんな下宿だったが、実家から着物や帯などを送ってもらって楽しんでいた。メルカリで着物グッズを見ている時間が増えた。花火大会や何かの待ち合わせにいくと自分以外の友人が着物を着ていることがあり、疎外感を覚えた。これは単に私がハブられていただけなのかもしれない。
まだ卒業式は先だが、浪人したため、元高校同期の子たちはもう卒業式を見据えて着物を準備している。正直その写真を見るのもつらい。彼女たちはめんどくさがるそぶりを見せているが、親に頼めば着物を着れることが恵まれていることだと自覚してほしい。友人はお前の分も自分の親に頼んでやると言ってくれるが、なぜ私が自分の親を頼れないのか、逆にコンプレックスを刺激することをわかっていない。
でも本当はレンタルでも何でもやりようがあるのはわかっている。成人式なんてスーツで出れば良かったのもわかっているし、なんなら独学で着付けを学んだりほかの趣味に使っているバイト代を着物に使ってみても良かったのもわかっている。
このままだと自分の遺影がなくなるので卒業式はなんとか着物で出たいなと思っている。けれどもこれから結婚式などで何回も同じような思いをするのかと思うと憂鬱だ。
妻と別れたいと思っている。
結婚する前は、ちょっとしたすれ違いはお互いに寄り添うもの、と自分は勝手に考えていた。
しかし現実は違い、妻は一切折れず、自分が常に折れるようになってしまった。
怖いのは、妻はこれを無意識に、あるいは自覚的に行っているところである。
聞かなければなかったのと一緒、とでも思っているのだろうか。
あるいは何も思っていないのだろうか。
結婚した当初は、
妻と本気で向き合いたいと思い、
妻はそれをのらりくらりと避けた。
次の日にはなかったことになっている。
それが何度も続き、自分は妻と向き合うことをやめた。
妻と一緒にいると、
それとも妻がずれているのか、
わからなくなってくる。
これから妻と一生一緒にいるのは、
おそらく無理だなと感じている自分がいる。
その意味で、一番の失敗は、
すれ違いがあるとはいえ、
年齢的にもそろそろというところではあったので、
少ない機会で見事に授かった。
子のことは夫婦共々とても愛している。
ただ、だからこそ、
おそらく今後は子のことでも揉めるのであろう。
それとも一生この生活を送るのだろうか。
もし運良く妻と別れることができたとして、
子供はどうするのだろうか。
わからない。
標題の通り鬱病患者なんだが、諸事情あってとんでもねぇ汚部屋の片付けを強いられている。
大体4年くらいかけて形成されているのでそれなりに強固であり、DPZかなんかのライターさんで汚部屋で有名な人よりちょっと酷いくらいである。
鬱の方は2日に1回は布団から出られない感じだ。
鬱病と片付けの相性は言うまでもなく最悪だが、事情があるので致し方ない。
私の場合はかなり特殊なケースだと思うけれど、後進の役に立つかもしれないのでここにまとめることにする。
1日目 ダンボール
1日目はとにかくダンボールをつぶした。
数えて無いけどたぶん20個はあったと思う。
この時点で視界が若干スッキリするし、歩行しやすくなるので片付けの効果を実感できる。
ただかなりの重労働であり、ここは可能であれば健康な人にやってもらうといいと思う。
写真を撮って家族に自慢したらまだまだ序の口と言われ、まずは褒めろとキレておいた。
2日目
朝起きた時から腕が重く、動けなかった。
夕方若干人間性を取り戻したので、クロッキー帳(大人向けの自由帳みたいなもの)に間取りと散らかり具合を書き、一日作業したら一日休む方針で計画を立てた。
そういえばと小型の安物掃除機を発掘し、明日から使うことにした。
3日目(今日)
朝から気合いを入れてゴム手袋と電池を買いに行ったら疲れて午前中は寝た。
午後から作業である。ヘッドホンで激しめの曲を聞きながらゴム手袋を装着する。
前提として私は黒いゴミ袋を使っているので、センシティブなものも放り込むことが出来る。
とりあえずトイレのドアが閉まるように詰まっていたゴミを取り除く。数年ぶりに個室が復活した。
まずは玄関のタタキからである。靴置きがぶっ壊れていたのでとりあえず養生テープで補修し、脇に避けておく。
ペットボトルはラベルとふたを除いて別の透明な袋に入れていく。
捨て方に迷うもの(テンション上がった時買ったクソデカネックレスなど)は大きめの紙袋にいれておく。
必要だがあるべき場所が違うものは別の大きめの紙袋に入れ、後で分別することにする。
タタキがあらかた終わったら掃除機をざっとかけ、靴おきを戻してレギュラーの靴を置いておく。
レギュラーじゃない靴や傘、シューズケア用品は下駄箱に入れる。
玄関前の床もちょっときれいにして、トイレのドアがスムーズに開くようにする。
トイレである。トイレットペーパーの芯など比較的捨てやすいゴミが多いのでポンポン袋に入れていくだけで済む。
なんか水のペットボトルの空のやつが6本くらいあってびびる。なんで?
トイレの中も当然やばいくらい汚いのでサンポール先輩を散布ししばらく置いて流し、落ちなかった汚れは使い捨てのブラシを使い擦り落とす。
成果:ゴミ袋4
今になってであるが、ホコリがすごい出るのでマスク必須である。私はKF94のものを使っている。
手を洗ってお茶を入れ、朝買っておいたセブンイレブンの冷凍大学いもを食べながらいただいた。
…と言うと優雅だが、実際は小太りの人間がベッドに胡座をかいて片手にナルゲンの1リットルボトル、片手に箸を突き刺した大学いもの袋を持って声にならないうめき声をあげている感じである。
食べ終わったら、無理みが天元突破したので電気を消しお布団に入ってフラストレーションの解消のためこの文章を書いている。
ここまで読んでくれてありがとう。
多分続きます。
去年ぐらいから丁寧な生活を始めた。もともと生活習慣は良くなかったのだけど、在宅勤務の影響で終わった生活を送るようになってから自律神経が乱れに乱れた。
勤務時間の直前に起きてそのまま机に向かう。空腹を感じたらuber系のサービスでマックとか特盛の牛丼とかを食べて血糖値を爆上げする。これを3回繰り返す。
勤務時間が終わればそのままゲームしたりyoutubeみたり彼女と通話したりする。もちろん残業することもあった。その時もう一回uberで小腹を満たす。
夜遅くまで起きて、以上の事を繰り返す。睡眠時間は5~6時間くらい。
そういう生活を1年くらい送っていたらブクブク太っていき、胸焼けや不眠などの不調が出始め、これはまずいと思い生活習慣を変えることを決意した。
朝は早めに起きてヨーグルトとか納豆とかを食べる。朝日を浴びながら30分くらい散歩をする。帰ってきたら軽く掃除したり手軽な家事をする。
頭が冴えた状態で仕事を始め、昼食は鶏むね肉を茹でたものと野菜サラダ。最近はドレッシングも自分で作るようになった。
炭水化物を急激にとらないので眠くなりにくく、眠気と戦う労力がごっそりと減る。
勤務時間が終わればもう一度掃除や家事を行う。晩御飯は少し手の混んだ自炊をする。レパートリーが増えてきて嬉しい。
そしてジムで筋トレをしあとは、 ゲームしたりyoutubeみたりして過ごす。睡眠の一時間前になるとモニターを見るのをやめ、本読んだり彼女と通話したりする。
他にも友人と積極的に会話するようにしたとか塩分をなるだけ控えるようにしたとか、細かな工夫は色々ある。
その結果体重は在宅勤務前の体重よりも下になったし、色々あった不調は収まったり軽減されたりした。
ここからが本題なんだけど、丁寧な生活を始めてしばらくしてから結婚をしたいという意欲が一切なくなった。何なら結婚したくないとさえ思うようになった。
昔は明確に結婚したいという意思があったし、彼女とはコロナが収まってからタイミングの良い時に結婚したいねとも話していた。
今はその気持ちが一切なくて、何のために結婚をするのかよく分からない状態にいる。
自分にとって結婚は未熟な自分が一人前の人間になるための物という認識だった。
ところが自分で自分を満足させられるという経験をしたことで、結婚に何かを求める必要がなくなった。
漠然とした欠乏感や不安感が取り払われたおかげで現状に非常に満足している感じ。
それ自体は好ましいのだけれど、彼女の方はバリバリ結婚する気なのが問題。
彼女は最近外堀を頑張って埋めているらしく、母親から「あんないい子絶対に逃しちゃだめだからね」みたいなLINEが来たりする。
こういうのも以前は何とも思わなかったんだけど今となってはひたすら重荷でしかない。
結婚する意欲が無くなるだけでなくそれ自体を忌避するようになったのは、結婚という文化には性別による役割を押し付ける側面があるからだと思う。
例えば彼女は俺がプロポーズをすることを熱望している。片膝ついて箱パカされるのが夢らしく、某イケメン俳優がプロポーズした話を少なくとも3回はされた。
でも俺からすると「なんでそんなことしなきゃいけないの?」って感じで、一方的にプロポーズを要求されても困る。
また男女平等が進んだと言っても、何だかんだで女性は男性が経済的な負担を負うことを求めているのでそれも結構憂鬱。
プロポーズとか養うとか、そういう「男性」を押し付けてくる結婚という文化が嫌で仕方がない。
せっかく丁寧な生活で自分の生活を楽しめるようになったのに、「男性」をやらなければいけないのつらすぎる。
彼女は子供も望んでいるので、分かれるとしたら早めに別れたほうがいいんだろうけど別れを切り出すタイミングが分からない。
クリスマス間近のこの時期に別れを切り出すと揉めるのは確実だし、周囲の人間や親からも顰蹙を買うだろう。
かといって彼女のプロポーズの圧を耐えながらクリスマスを過ごすのも気が重い。プロポーズ無かったら絶対に不機嫌になるじゃん...
なんとなく節目を迎えた気がしたので
・既婚子なし
・賃貸 車なし
貯める方法
苦労して貯金したわけでは無いものの給与が低い新卒時代と変わらない生活レベルを維持していたら結構なペースで貯金が溜まった。共働き家庭の金銭的なメリットはかなり大きく感じる。生活費・家賃・年数回の旅行・趣味等を合わせて200万/年程度の出費なので、それ以外をすべて貯金。同程度の給与の同僚が貯金ゼロの生活をしていたりするので、人より趣味にかける金額が低いのかもしれない。
取れる選択肢が増えたので心理的余裕がある。例えば、病気リスクや失業リスクもある程度貯金で対応ができるようになったので、生命保険などに入る必要がなくなった。マンションなどを買う選択肢も将来的にはとりやすいはず。親が病気になってもある程度まとまった金額を出せるという安心感。人より不安感が強めな気がするがようやく安心してきた。
学生時代は学校に合わず不登校の期間も多かった。教師に社会に出て通用しないなどと言われたことも多々あった。しかし死にたくなるほど憂鬱な学生時代を終えてからは、学びにも仕事にも人と関わることにも楽しさを感じるようになった。振り返ると最善でない選択をしてきた人生にも感じるが、ある程度の貯蓄を持ってそこそこ幸せに生きれていることを考えると、過去の自分と支えてくれた大人たちに感謝を伝えたい。
他の人に聞きたい事
この調子で貯蓄額を増やし続けるのも1つだとは思うが、ある程度の金額がかかろうとも若いうちにやっておいた方が良いこと/良かったと感じることを知りたい。単発・習慣問わず。
今年自社で支給されるのかどうかは知らないが、支給されるにしても非常に憂鬱である。
なぜか自社では賞与支給があるたび、上長から「社長や経営陣に対してお礼の言葉を述べるように」との指示命令が必ず飛ぶ。
なんだそれ教祖に忠誠を強要される宗教か…単純に「気持ち悪い」。
本来、賞与にしても月例の給与にしても、労働の義務を果たした対価として受け取る権利を有するものである。
賞与は業績などの影響を受けるが、支給すると決定したなら、それはやはり労働の義務を果たしたことに対する対価として支給するものであり(現にしっかり「査定」されている)、労働者は受け取る権利を有するものである。
よって、語弊や語感の問題はあるかもしれないが、労働の義務を果たしている限り、受け取ることは「当然(の権利)」である。
同様に、経営側も「はたらく(労働の義務を果たす)のは当然」と考えており、人によってはそう口にしてしまう者もいる。
それと同じだけのことだ。
「いつも朝早くから夜遅くまでお疲れ様、ありがとう!」などと述べる経営陣は誰もいない。
給与賞与は労働者にとってはたらく意義のうちの重要な部分を占めるものであり、経営側にとってはここを確実に抑えてしまいさえすれば優位な状態で事を運ぶことができる。
労働者に対する支配コントロールを強めるための有力な道具の1つであることは間違いない。
逆に、労働者側の立場として、それなりのインセンティブを示されれば多少面倒、不服なことでも遂行することもないとは言い切れない。
ただ、ここまであからさまに平然とやってのけるその神経はやはり気持ち悪さを禁じ得ないし、賞与支給日が近づくにつれ憂鬱になる。
確かに。
過去、このお礼の言葉を狙ってかたまたまかは知らないが述べなかった同僚がいて、以後、徹底した冷遇、パワハラ、セクハラ(同僚は女性)を受け続け、退職に追い込まれた事例もあるからな。
心配してくれた人達、同じ境遇の人達、リアクションありがとう。
いつもニコニコ愛想よく、仕事も全力で取り組むのが気持ちいいに決まってるし、充実するのはわかっているけど
最近は、いじわるババアみたいに不機嫌そうにダラダラ過ごすのが一番楽という結論に落ち着いた。
なんなら30分で終わる仕事に1日かけて、報告は更に翌日に持ち越す。
調べればわかりそう、技術的にはできそうと思っても「難しそうですね、頑張ってください。知らんけど」で会話終了を心掛けている。
なんかね。
パソコン難しいからわからん→自分がわからない事は簡単なはず→簡単な仕事しかできないから非正規、なのか
ゆみちゃん?あいなちゃん?あー!しのぶちゃんだったか!がっはっは!いやもう、ちゃんって年でもないか?失礼失礼!(笑)と、毎回必ず言って来たり
マイクロソフトへの苦情
買ってきたデバイスやPCの初期設定全部やれ、パソコンの事なんだからそっちの仕事でしょ
気が付いた人がやるルールのコピー機の紙の補充やインクの交換は、気が付いた人が私に言うか、気が付かないフリで待つだけ。
新しく導入したソフトの使い方誰もわからんから簡単な手順書を作れ
電話に出るのは女の仕事、面倒な問合せやクレーム・サポートの対応は電話に出た人間の仕事
テレワーク用ソフトのセキュリティが「絶対大丈夫だよな?な?」と何度も確認してきたり
DXでクソ高いソフト導入したから後は簡単でしょ?よろしく頼むわとか(これは全力で逃げた)
うちは50↑のバブル世代以上が全員こうなので、若い世代も弱者に丸投げ文化が育ちつつある。
人生も終盤を意識する年齢になり、今の働き方を考えてなおしてみた。
そしたら思ったのよ。
今更正社員になれたとしても、家も車も家庭も老後資金も手遅れなので吹っ切れた。
いつも不機嫌そうで遠巻きにされていたお局様は正解だった!
私も面倒なお局様になる!
腫れ物に触るように扱われる!
本当は半裸で踊りながら料理して腹に火傷するような間抜けなのに
職場で身を守るために、世界が敵みたいなしかめっ面で過ごさなければならない。
属人化しないように気を使ってきたけど
もういろいろ作っちゃうし、使える仕様書もマニュアルも残さない。
【以下追記】
私は時給で働いているので。
金・時間・メンタルの全てを満たす職場を探すのは自分の条件では厳しすぎるので、私は時間を選んだ。
なので管理職含めた誰もが貧乏くじを引かないように、ルーチンワークだけを抱えて忙しい顔をしたがる。
誰も部下の仕事や全容を把握しておらず、トラブルも各自の責任で各自が対応する。
課長に頼まれた仕事の進捗を報告にいくと、そっちで勝手に終わらせたらいいのになんで報告にくるの?という顔をされる。
他企業を知ってるからその感覚で頑張ってたら、便利な使い走りとして浮いてしまったのだと思う。
現在最高位のお局様は二人いるので、牛頭と馬頭のような貫禄がある。
敵に回したくない…という共通認識があるから、部長レベルの人が
「彼女に頼むの怖いからな〜(苦笑)」で仕事を逃げる茶番が成立するんだよね。
事務職の女性達とはうまくやって、彼女らの後継者を目指したい。
仕事以外に自分が所属できる小さい趣味の世界を、できるだけたくさん増やそうと思う。
待遇が上がらないならちょっとずつ仕事の質を下げて、その分他に使いたいね。
Microsoftへの苦情について。
Windows Updateへの苦情がすごく多い。
そろそろサポート切れるから次のバージョンのテストしてねって言うとものすごく嫌がられる。
古いOS使ってても増田さんがサポートしてくれたらいいじゃんとか。
個人でサポート無理だし、リスクを説明してもその時は聞いてくれるけど
私の話は「なんかまたギャーギャー騒いでる」受け止め方しかされないので流される。
それと弊社は、仕事としての開発は未経験かつ大学でPython得意でしたみたいな人たちが
様々な言語で独自に作ったツールがたくさん転がっていて、仕様書もコメントもなければ製作者もわからない。
自分の仕事の範囲で使うならいいけど、それを基幹システムに組み込んでしまっている。
なのでOfficeやOS更新とかで動かなくなるとクレームがくるのです。
20年前に作られたVBAとか、かろうじて見つけた仕様書が30年以上前のCOBOLだったり。
それと彼らはDOSやTeraTermの黒い画面こそが一番偉く、その中でも難解なコードは一番偉いと思っているので
画面系は作った事がないしバカにしてるし簡単にできると思っている。
ユーザ-や事務職員用にどうしても画面が必要になったら制作依頼されるが
結局それを使ってデータ入力するのは私の仕事になったり、使われなかったりもする。
これ割とダメージある。悲しい。
誰にも話せないのでここで吐かせて欲しい。
32歳既婚女。
子供2人いるのにいつまでも自分が幼稚で自活力のない人間だと感じる。
過去の自分の決断に後から後悔してくよくよするところがあるのだが、今色々なことが重なって「そもそも生まれてきたことが間違いだった」と感じてる。
自分の決断に責任を持ちたくないし、人に決めてもらいたいと思ってる。
自分でも性格悪いし幼稚だなぁと思うけど、後から「あのとき私が決めてしまったから」と自責の念に駆られて消えたくなるからできるだけ避けたい。
あとは考えも甘いなぁと感じてる。
今、過去の自分の甘い考えで決断したことに大きな後悔をしていて、周りの大人と比べて自分に足りないところってなんだろうって考えた。
生い立ちを書くと、
幼少期はDVの祖父と、怒ると周りが見えなくなって家中を徘徊する叔母と、怒りっぽい祖母と、母と同居してた。
小学校ではいじめられてて、ストレスによる腹痛で朝起きることが多かったけど
「仮病使うな!」と祖母にキレられ小学校6年間は皆勤賞だった。何にも嬉しくなかった。
母の気に入らない選択をすると不機嫌な態度を表してきて(言葉には出さないけど不機嫌な顔になりため息をつく)、そうするとその場に立っていられないほど目の前が真っ暗になってめまいがしてた。
でも母は病弱だったので自分が支えてあげないといけないと思ってた。
子どもが産まれた後、何故か「これからはあなた(私の子供)が一番可愛い。お母さん(私)は2番目」と順位付けされたり、
第一子出産後に不思議と幼少期を思い出して、母親に「子どものころもっと一緒にいたかったなぁ」と話したら「そんなこと今更言われても仕方ないからあなたの家庭で頑張ったら」と言われ泣いた。
そのあとも突然「あなたは人に厳しいのに自分に甘い」と言われたり、
出産後に一度同窓会があり、母に子供を預けて22時半ごろ帰宅したら
「子ども置いてこんな時間まで出歩いて母親失格!」と言われたこともあった。
それまでは母に言われるがままに「なんて自分はダメなやつなんだろう」と思っていたけれど、
こういうことが積み重なってようやく「そんなに言われるほどなのかな?」と思うようになった。
いとこも親戚も疎遠で他の家庭を見る機会が無かったので、結婚後に夫の姪っ子を見て「小学生ってこんなに明るいんだ」と驚いたこともあった。
母親と離婚した父はデキ婚だったので、なんか私のせいで人生狂わせちゃってごめんねとも思うし、育てられないなら生むなよって怒りでぐちゃぐちゃになる。
いい歳してまだ親のこと言ってて恥ずかしいけどこんな感じ。
上記のことを何度も自分で昇華しようとしたりカウンセリングも行ったけど、未だに許せない自分は幼稚だなぁと思う。
子どもは責任もって育てるけどこんな母親なのに慕ってくれて申し訳ない気持ちになる。
こんな自分でも自分の人生に責任持てる日は来るのかなと思ったり、周りの人たちはどうやって大人になってるのか気になる。
憂鬱な気持ちになったときに過去を思い出して育ちのせいにしてしまう自分と、育ちは関係なく自分がダメ人間なだけなのか分からなくなる。
親にテレビゲームを買ってもらえない家で育ったので、小さい頃にゲームをせずに育ってしまった。友達の家でスマブラやマリカーを少し触る程度で、いわゆるPRGなどのゲームは一切やったことがなかった。
ゲーム好きのパートナーと結婚してから、「どうしてもひとつくらいはゲームやってみてほしい」と言われて、超有名RPGゲームをやってみているんだけど、これがつまらない。その上時間がかかりすぎる。
これは私がダメなのか?世の中の多くの人が面白いと思ってるから続編もいっぱい作られて、有名なんでしょ?
「ストーリーがいいから」と言われる。じゃぁその話小説にしてくれたほうが読みやすくない?どうせテキストを読むならそのほうが早い。
語ってくれるならアニメとかドラマにしてくれたほうが良くない?それですら、ゲーム本編より全然スピーディーなわけだし。
「主人公として体験できるのがいい」と言われる。これはまじで何もわからない。だったら中東とかに旅行行ってみたら良くない?自分で体験できる方が良くない?
そして私自身が絶望的に操作が下手というのもある。敵が出てきたら勝てない。倒し方もわからない。それをネットで調べる?それは何が楽しくて戦ってるの?謎解きが楽しいの?だったらネットで調べたらつまらないんじゃないの?
思ったのだが、こういうのは時間が有り余ってる子供のうちにやっておかないとダメなんだと思う。社会人になってからやろうと思うと、仕事終わって家事をして、寝るまでの間しかできない。1日1時間ずつやるとして、ひと月だいだい30時間。
だけど、こういうRPGって下手な人が30時間でクリアできるようには作られてないんじゃないかな。全然終わる気配がないし、話も進まなすぎて何が面白いのかわからない。
そして、これをノルマ制にしているのがよくない。放っておくとプログラム書いている方が楽しいので、ついついゲームする時間がなくなってしまう。
なのでパートーナーから「今日はn時からやるよ」とスケジュールを組まれているのだが、これが憂鬱でしょうがない。
あと、スマブラやマリカーであればパートナーと一緒にできるので、ある程度盛り上がったりして楽しいんだけど、RPGって二人でやるものじゃないので、一人でこの苦痛に立ち向かわなきゃいけなくて、全然楽しくない。
メールを整理してたら親のブログを見つけてしまった。少し自殺する気が失せたが情緒が安定しない。ブログごときで揺れる自分が嫌になって、気分は最悪だ。
私は3年前以上の記憶は意図的に思い出さないようにしており、親からみた自分自身を読んでもどこか他人事にしか思えない。無邪気に小学生してた頃があったことが信じらないのに、記憶の残骸と部分一致するのが気持ち悪かった。
そして過去の親にも自殺を考えるほどの状況があって、それでも自分のことをちゃんと大切にしてくれていたことが感じ取れて憂鬱だ。親だって人間なんだよなーって実感した。
これがドラマだったら改心して、前向きに生きていくのが正解なんだろうな。親孝行して、看取るまでちゃんと生きなきゃいけない。ベタなトゥルーエンド。絶対に親の介護はしたくないが。
でももう生きることを頑張りたくないから死にたい。死にたいというか消えたい。ありがたいことに世界を恨んでるわけじゃないので、透明人間にしてくれるなら死ななくても済むかもしれない。透明人間になって、隣の晩ごはんでも眺めていたい。何もできなくていいのでテレビ感覚で人の人生を見ていたい。でもなれないので困っている。
「苦しみたくない」がわがままで甘えで、その全部は私の責任だと認めるから『楽に』死にたい。就活したくない、すべての締切が辛い、人と話したくない、ずーっと遊びたい、苦痛を感じたくない、痛いのが嫌だ。この場合の苦痛に一般的に言う「向上するための努力」を含む。
自分より辛い状況で頑張っている人に比べたら全然恵まれているかもしれない。寝床も明日のご飯もあるし、なにしろ親の金で絶賛モラトリアム中だ。ここでちょっと頑張ればなんだかんだやっていけるかもしれない(超楽観主義)。
だが自分にめっちゃくちゃ甘いので無理なもんは無理なのだった。だって安楽的な自殺が成功することに期待しちゃうくらいには甘ったれだ。「言い訳しないで死ね」といわれれば「でもでもだって」、「努力しろ」といわれたら「でもでもだって」と返すのでよろしく。
それでもこの先の自分に期待するよりは自殺の方が確実性が高く、生きていても苦痛なんだろうと思う。局所的な快楽は漠然とした苦痛を超えられない。その根拠なき妄想は十分に自殺の理由になると思う。それに自分でさっさと苦痛を感じる器官を壊す方が楽だし早いのは事実。
それでおわりなんだが、私のシミュレーションの中では、自分が自殺してもそんなに影響ないかなと思っている。実際、親以外に連絡先持ってないから連絡しようがない。
スペアリブを焼いた。正確に言うと昨日焼いて、今日はその残りを食べた。その幸福度があまりに高くてこれはどこかに記しておかねばなるまいと思ったので、この日記を書いている。
そもそもスペアリブを調理しようなんて普段なら思わなかった。見るからに面倒臭そうだし、分厚い肉もでかい骨も、どうして良いかよくわからないからだ。しかしたまたま好きな料理人YouTuber城二郎(https://www.youtube.com/channel/UCP2gnyy_-ToZeIDw6qeI6HA)のレシピを見ていてスペアリブという食べ物のことを思い出したので買ってみた。ジップロックに入れて、醤油とみりんと蜂蜜と、すりおろしたニンニクと生姜、あと白ワインとマスタードを適当にかけ、揉みまくって30分くらい漬けてフライパンで焼いた。付け合わせは薄切りにしたニンニクとジャガイモとチョリソー。このあたりは城二郎氏のレシピ参考である。最後、スペアリブに火を通すところだけ少し火加減に迷ったけれど、白ワインと水で蒸したらなんとかなったような気がする。多分。
そしてこれがとんでもなく美味しかった。びっくりした。スペアリブってこんなに甘いのか。
なんというか、脂身がものすごく甘くて、肉質もやわらかい。骨を持って噛みちぎるこの爽快感。骨の限界まで肉を剥がしながら、そういえば太宰治の「斜陽」に「お母さま」が肉に直接かぶりついても可愛くて貴族っぽい、みたいな記述があったようななかったような、みたいなどうでもいいことを思い出した。あれはスペアリブだったんだろうか。わからないが美味い。
ここにさらに、宝酒造の焼酎ハイボールレモンを開ける。極楽である。
昨今のコロナ対策による自粛で、私が住むトーキョー帝都ライフは暗澹の日々が続いている。残業後の豚骨ラーメンもも深夜喫茶もレイトショーも取り上げられ、だいぶ憂鬱になっていた私の心をしかし、スペアリブと宝酒造が救ってくれた。大袈裟ではない。だからこそ今この文章を書いている。ありがとう城二郎。ありがとうスペアリブ。ありがとう宝酒造。
===
12月になったら死にたいという気持ちで匿名ダイアリーを開いたら、9月の日記の下書きが出てきた。スペアリブを焼いた日、私幸せだったんだな。
今年の1月に入籍をした。が、旦那の両親が高齢で両家遠方に住んでるから、コロナだからとかなんとか言い訳をして、まだ両家顔合わせをしてない。
とうとうしびれを切らした母が「両家挨拶しないのか?」と電話をかけてきた。当たり前だと思う。だけど顔合わせが憂鬱で仕方なく、重い腰が上がらない。嫌だという気持ちが勝って憂鬱だ。
いろいろ理由はあって、自分の両親を両親だと紹介するのがいやで仕方がない。私と両親、ひいては弟や妹と関係がよくない。半分くらいは私がぶち壊した。
うちはいわゆる機能不全家族に該当するんじゃないかなと思ってる。両親は私が幼い頃、ある日を境に事務的なやりとりしかしなくなった。両親のことは両親にしかわからないけど、たぶん口論になって父が母に馬乗りになって首を締めたあの日から、あの人たちは夫婦じゃなくなったんだろうなと推察している。
この喧嘩からすぐに、父は逃げるように単身赴任に行った。私をはじめとして3人の年子を抱えた母は、ワンオペ育児でストレスマッハだったため、その解消として父の悪口を言いまくった。私は幼稚園とかそこらだったので、善悪の区別がつかずに母と一緒になって父の悪口を言った。そして父の居場所は家庭内になくなった。もともと口数が少ない父だったが余計に話さなくなった。コミュニケーションがなくなり、母はますます父の悪口を言うようになった。
当時は本気で父が悪だと思いこんでたのだけど、今では本当かどうか定かではない。大人になった今でも、理由のない生理的な嫌悪感が勝って私は父の顔を直視することができない。
心のどこかで母に嫌われたらひとりになってしまうと怯えていた私は、徹底的に母の味方になろうと努力した。父を徹底的に嫌った。誕生日や週末など各種家族イベントに父親がいなくても、あんなのいなくてもいいよとか平気で言ってた。本当は寂しかったけど我慢した。
父にも母にも素直に甘えられなかった結果、順当に反抗期を迎えた。詳しくは忘れてしまったけど何気ない母の一言でプチンとキレてしまい、一切口をきかなくなった。イライラを暴力という形で妹たちにぶつけたりした。家の中の空気は最悪になった。反抗期の終わりは妹に馬乗りになって首を締めたとき。さすがに、これは自分がやばいと思って、妹たちとの接触も避けるようになった。
そんなことをしているものだから、私も家の中で居場所がなくなった。いろいろあって大学受験も失敗して、1年浪人したけど最終的に精神的に参って勉強机に向かえなくなったので働きに出た。2年くらい働いた後専門学校に入学し、手に職をつけて、家出同然で遠方に逃げた。そこで今の夫と出会い、入籍を機に両親と連絡を取るようになった。
たぶん父や母に素直に怒りや寂しさをぶつけてたら、こんなよくわからないことにならなかったと今は思ってる。
でも祖母に「お母さんは、お父さんがいなくても一人でがんばってたんだから」とか「一人で大変なんだから」と常々言われていて自分が長女だったことも手伝って、母ががんばってるんだからと我慢してたら、母に向かって気持ちを話そうとすると声がでなくなってしまうようになってよくわからない方に拗れた。素直な気持ちを話そうとすると声が詰まるのは今も治らない。
母は当時、子どもを育てるために父と婚姻関係を継続しているんだろうと今ならわかるけど、子供のときはそれが辛かったし、反抗期はそれが理解するとこを拒んだ。育ててもらって感謝はしている。なので贅沢な悩みかもしれないけれど、父や母の人生を犠牲にしてまで不自由なく育ちたくなかった。
会話もしないで、ほんとにこの人達夫婦なんだろうか?そんなに嫌いなら、いっそ離婚してくれればいいのにと思ってた。自分がいなかったらこの人たちはもっと楽しい生活を送ってたんじゃないかと、子供の頃は自分を責めた。
どうしてほかの家の両親は仲良しなのに、うちの両親は仲がよくないんだろう?と、ほかの家が羨ましくて仕方がなかった。小さい頃は、二人の間を取り持ったり変な気を回して空回りしたりと余計な努力をしていた。
大人になったら多少なりとも分別はつく。私は「いい夫婦、よき両親」の理想を押し付けているだけだった。うちはうちで、よそはよそ、ないものねだり、どこの家でも多少なりとも問題はあって、DVとか殺人とか世の中のニュースを見ていると「うちってまあ酷い事件に比べたら平和だったよね」って思う。会話がなくても金銭的に困ったことはなかった。
理屈ではわかっているけど、心が追いつかない。当時のことを思い出すと、さみしいとか悲しいとかいう感情が湧いてくる。
今度両親を「両親」として二人並べて紹介するんだと思うと、気持ちがぐちゃぐちゃして胸が苦しくなる。夫の両親はとても仲良しなので余計に惨めになる。羨ましさも入ってるので、そこでさらに自己嫌悪を覚える。
5ちゃんとかの壮絶修羅場スレと比べれば人生超絶イージーモードだと思います。贅沢な悩みだよって。だけど両親に連絡取れるようになるまでにはかなりの時間を要したし、母に「お前が家出をされてとても苦しんだ」と言われた時は軽く憎悪を覚えた。黙って家を出て連絡を絶ったのは事実なので何も言わないし、これからも言うつもりもないけど。
まあ夫もやろうかと言ってくれてるので、ちゃんと顔合わせはやると思います。
両親を繋ぐことが出来ず、家族の関係を拗らせてしまった私の罪は重いよなと、本当に無能な子供でごめんなさいと、ずっとずっと思っています。