はてなキーワード: 大卒とは
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新卒採用:
雇用問題がひとつのテーマだというのはあながち外れてもいなそう。
陽菜が詐称していた年齢18歳、そして実際の年齢16歳は、それぞれ高校卒業と中学卒業の年齢だ。
不景気による就職難のときに、大卒以上に求人倍率が悪化したのは高卒や中卒だ。
また、夏美さんは「御社が第一志望です!」と叫んでいたが、これは大卒の就職難の象徴だろう。
副業:
本作は副業の話でもある。
須賀が帆高に月給3000円しか出していないということに対して、夏美が「そりゃバイトもするわ」と批難するシーンもあった。
時勢としても副業解禁というターニングポイントが反映されたのかもしれない。
コト消費:
ミレニアル世代の特徴とされるのが、デジタル機器やSNSの活用、そしてモノの所有よりも体験やつながりを重視するという点だ。
服は古着やファストファッションで、他のことにお金を使いたいという傾向があるとされるが、作中で最初の依頼はフリーマーケットだった。
シェアリングエコノミーをイメージさせる面もある。
また、作中の他の依頼も、運動会、コスプレ、花火、お盆の送り火、といったイベント事で、コト消費なのだといえる。
神津島:
この島が選ばれた理由としては、神木隆之介の神と新津誠の津を合わせた島名だったから説、都道府県的に東京都だったから説、キリシタン女性が島流しにされた逸話が残っているから説、などがある。
ここでもうひとつ付け加えたいのが、日本労働組合総連合会、略称:連合の会長、神津里季生からという説だ。
昔、田舎の公立小学校(といっても地方中枢都市クラスの住宅地だが)にいたことがある。
そこで授業参観で理科の授業をやることになったのだが、俺は当時からちょっと浮いていて、
まあありていに言えば「少し変な奴」認定を受けていた。
そんな俺だったが、理科・社会の授業はほとんど授業は真面目に聞いていなかったがなぜか成績はよかった。
俺は張り切って親にいいところを見せたくて、
先生の「シリンダーを押し込むと、スポンジが外に飛び出ました。なぜですか?」という質問に手を挙げて、
「シリンダーが押し込まれたので内圧が上がり、外圧より高くなったからです」と、元気よく答えた。
どうやらここは、授業で習った通りに『シリンダーの中の空気が押し込まれたから』と答えるべきだったらしい。
俺はなぜ笑われているのかわからなかった。小学生である同級生が、俺のことを笑うのはまだわかる。
だが、授業参観に来ている親のほとんども「何を言っているんだこの子は、バカなんだな」という顔で笑っているのだ!
なぜ笑うのか、まったく分らなかったが、結果としてその日から俺は「少し変な奴」から「バカ」に保護者公認で格下げされ、
いじめを受けることになった。
今ならなぜ笑われたかわかる。保護者のほとんども俺が言っていることが何となく理解できなかったのだ。
少数の仲のよかった(彼らも異分子扱いだった)友達は笑わなかった。その親もだ。
後で知ったが、仲の良かった友達の親は、大学職員、行政書士、パチンコ"メーカー"勤務など、
対してあざけりの表情をしていたのは───まあ、土地柄から察されるだろう。
もうすでに地元の"おな小"、"おな中"コミュニティとは10年縁切りだ。
大学の時は「大卒以外は人間とは思ってはいけない」などという傲慢な考えにとらわれたこともあった。
社会に出て、高卒でも俺より知識も技能もあるおじさんに揉まれて、
一概に括れるものではないということも分かった。
だが、たまに。
ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。
静かな入り江から小さな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。
最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去やホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。
ただの個人の経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。
確かに「東京の人間が想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会が再生産されているということ。
名古屋まで電車で1時間半以上、文化的な施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。
2軒の本屋は万引きの被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。
1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らしの年寄りが趣味でやっている畳屋と宝くじ屋しか無かった。
街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。
高卒で一度も町から出たことのない母親は、漁師を相手にする場末のスナックで働いて自分を育てた。
同じ町で漁師をしていた父親はフィリピンパブで出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親と離婚した。
それより前には「キミの父親は不倫をしているんだ」と小学校の同級生の母親から聞かされた。
相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんなデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。
最後に父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。
その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。
こんな家庭環境は、東京の自分が属するコミュニティでは聞かない。
なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。
親が大卒の同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元の中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。
自分は博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。
あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体を忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面で通底していた。
さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親・父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。
親世代の職業は漁業か水産加工、町工場、自動車修理で、小中学校教諭や公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。
スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風で茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。
町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。
クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件で家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。
そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックかフィリピンパブ、ギャンブル、セックスくらいしか聞いた限り思いつかない。
確かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間で同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。
ギャンブルはパチンコか電話で投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元の暴力団が元締めをする高校野球賭博も流行っていた。
暴力団は偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車にスウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである。
まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分の身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力、ギャンブルだった。
そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会をフラクタル図形のように構成していた。
小学校の頃には駄菓子屋やコンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。
暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。
そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在を排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。
小学6年生のとき、教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。
メガネは弱いものの象徴で、勉強や議論をするような人間は排除の対象だった。
文革かって感じ。
反対に、野球が上手いか、足が早いか、ケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。
動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思の合意は感情とその時の雰囲気で決まっていた。
そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除の対象となる。
真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。
授業中には廊下を自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族や野良犬があらわれる。
トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。
教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。
一方で登校している生徒にとっては、校則はフーコーのパノプティコンも真っ青な規律を自動化させるもので、髪型は男子は坊主、女子は肩まで。
他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。
校則を破らなくても、目立てば排除の対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。
そして積極的に学んだり考えることが嘲笑の対象であったので、そこでもやはりセックスをしたことがあるかとか、バイクの知識があるかとか、そういう分かりやすい尺度でヒエラルキーが構成されていた。
授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語を発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分の地元も同じだった。
テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベルの勉強に対する姿勢で、将来は男子は工業高校、女子は商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。
ここまでは自分がライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。
はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。
さて、経緯は知らないが、自分は幼稚園の頃にIQテストを受けた。
そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親はコメントをもらったらしい。
大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分を都内か海外の全寮制の学校に小学生のうちから預けようとした。
だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。
当時のことはよく覚えていて、理由は友達と離れたくなかったから。
その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。
小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫や島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。
早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員の時間、図書室でひたすら本を読んだ。
そのうちに、自分が生活する社会と根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会が存在することを知った。
哲学や思想系の本はもちろんのこと、西洋美術の画集や建築の写真集に心を揺さぶられたし、マーラーのCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。
めちゃイケを好むふりをして、自分は加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。
そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方の公立トップ校だった。
他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由でものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。
入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会、社会階層に自分は組み込まれたと自覚した。
同級生の親の職業は、医者、弁護士、会計士、大企業の社員ばかりだった。
誕生日には名古屋のデパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。
彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォードに留学中とかそんな話も当たり前にあった。
幼い頃からピアノやバイオリン、書道、バレエ、スイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。
彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアルの人間とできたことだった。
そして何より彼らは、自身の解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。
もちろん性やギャンブル、暴力、ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体を享受するだけでなく、思考の対象としても話題を取り上げることががあった。
高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。
今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。
なぜなら、受動的に与えられたその社会が自分のすべてだったから。
母親が母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。
自分はたまたま、自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。
なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから。
自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。
パチンコの新台や、友達の奥さんが不倫をして旦那が相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。
もちろん、そういった社会(自分が経験したような)を否定する理由はどこにもない。
ただ、自分が故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会に適応しきった人々である。
有り体にいえば、将来の選択肢の存在すら意識できないのが自分の体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのものが封建的に否定される強い構造を伴っている。
だからこそ、自分の田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。
もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会が存在することを予期している人も稀にはいることだろう。
幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身を好転させるにはあまりにも遅い場合が大半であると自分は思う。
そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。
母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。
一方で、開成や筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的に自分が望んだ社会を享受してその上に今も生活を営んでいる。
それは誰でもそうであるように、最後の最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである。
自分は依拠すべき地域(地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである。
通勤時間もそこまで長くなく電車で変な奴に会うこともなかった。
新居に引っ越してもそこまで変わりなかったのだけれど
電車で入口付近で半ドア分占領して立ち、人が乗ろうとしても一切退かなかったり
「座りたいんですけど!!」とヒステリックに叫びだすババアが居たり。
遅い人が居たのか追い抜かそうとインベーダーゲームみたいにこちらの通る道全て塞いだり。
こちらをガン見してきて目を合わせようとするとわざとらしく目を反らす奴がいたり
会社を目指すときに「どうしても端を歩きたい奴」に出くわしたりした。
イラついたことが記録されていて、昔だったら揮発性メモリだったから直ぐに忘れたが
今は「過去もこんなことあったな」と潜在意識で掘り返し一層イラついているのかもしれない。
怒りの持続時間も、前だったら3分だったとして今は10分はイライラモヤモヤしてる。
怒りを爆発させると、迷惑をかけてきたクズと一緒になるからしたくない。
でも、どうしても、怒りが発散されない。持続する。
つらい。
10年前電子回路系の学科の高専を卒業して中小のIT企業に入社した
入社時点ではサーバー?Linux?SSH?なにそれ?といった状態でしたが配属されたのはネットワークインフラとサーバの面倒を見る部署
物理的なサーバのキッティングからOSとかapacheのインストール、データセンタへのラッキングとかスイッチの設定とかを主にやっていました
作業は主に手順書取りに全部手作業で、運用中にアラートが飛んできたら目視確認して対応するといったことをずっとやっていました
そのうち自動化とか監視の外部委託とかそういう感じに手作業で行うことがどんどん減っていき作業量はそれほどなくなってきていました
そうしていたら部署の移動の打診が
主に営業と作戦をねってお客さんに提案しに行ったりとか、運輸中のお客さんの御用聞きを技術側の視点からやってほしいとのこと
正直営業さんと話すのもお客さんと話すのも苦痛でしか無いので10年のITエンジニアのキャリアがあれば転職できるだろう、まだ30代前半だし
と思いたち有給も全部消化して退職して転職活動をすることにしてみた
増田にいる本当のITエンジニアの方々ならおわかりかと思うが自分がやってきたことはただのオペレータでしかなかった
面接で聞かれるのは開発経験の有無とマネジメント経験の有無ばかりでどれも経験がない
周りの大卒の友人よりも少し早く就職して収入があったこともあり就業後野球実は遊びまくっていた
それでも自分はインフラ・サーバエンジニアとして10年のキャリアがあると謎の自信をもっていたため転職なんてすぐ決まると思っていた
結果は上記の通りで全滅、どうしようもない
University of the People (以下UoPeople) というアメリカの大学/大学院について書く。
私は昨日履修継続を諦めたのだけれど、驚きと感謝と、次の時代へのわくわくを込めて、誰かの役に立ちますように。
正式に登録された教育機関で、卒業すれば大卒、院卒を名乗れる。設立されてまだ間もないけれど有名大学や大手企業と提携していて、良い成績を修めれば良いキャリアにつながる道もありそう。
ただし入学審査や各単位での試験料はかかり、入学卒業までに20~30万程度(学士と修士で異なり、奨学金もある)。
英検準1級(学士修士共通)、TOEFL(PBT)500/530、またはTOEFL(IBT)61/71、その他耳慣れない英語資格が入学に必要。いずれも持っていない場合は英語の講義を受けて一定以上の成績を取ることで資格に代えることができる。授業はすべて英語で、課題のほとんどが読み書き(聞く/話すはほぼない)。
入学のための事務手数料にUSD100程度を払えばとりあえず始められる。入試はなく、英語力の証明→選択したコースの授業→最初の2科目で一定以上の成績を修める→この時期までに高校/大学の卒業証明書や推薦状を提出→本入学→卒業、という流れ。
でも仕事を辞める踏ん切りもつかない、入試や面接の準備をするのも気が重い、続けられるかわからないのにお金をかけたくない、ということで、小さく始めてみた。社会人5年か6年目。
残業は均して月50時間、波があり忙しい時期は毎日終電、ひどいと朝帰り、休日出勤が1週間くらい続く。ときどき出張あり。
授業はMoodleと呼ばれる大学のポータルサイトで行われ、基本的に1週間単位で以下の課題がある。木曜始まりで、その週が始まるまで課題にアクセスできず、締め切りを過ぎたら提出もできない。
指定された文献を読む。文量は週によってまちまち。多い週で100ページくらい。文献はWEBページだったり、大学のポータルサイトからアクセスできるデータベース上のPDFだったり(全て無料)。
掲示板のようなものがあり、指定された議題について投稿→投稿するとクラスメイトの投稿が読めるようになり、最低3人にコメント+評価をする。
指定されたテーマについてレポート。「参考文献のページを含まずA4で2~3枚」と指定されることが多かった(行間を開けるよう指定されるので実質紙1枚と少し)。「参考文献を最低2つ用いること」等の指定が入ることもあり、どうかと思いつつ私は日本語の文献を引いていたが、それについて指摘が入ることは特になかった。
翌週、クラスメート3名のレポートを読み、指定の項目について10点満点で評価する。クラスメイトからの評価もクラスメイトへの評価も成績算出の材料になる。
これもレポート。Writing assignmentより「あなたはどう思うか」「あなたの職場の~について説明しなさい」など、個人的なことがテーマになる。これはInstructorと呼ばれるその講義を担当する講師から評価される。
期末にはクラスメイトと合同でレポートを書くなどの課題もあった。
個人的にはReading assignmentが一番しんどかった。英文は比較的平易なもので一文一文は読めるのだけれど、全体としての構成や要点を掴むのに時間がかかり、身になっていると思えなかった。日本語で読んだら大したことないのに、日本語で勉強したい、としばしば思った。最終的に履修を断念した理由もこれが大きく、PDFファイルごとGoogle翻訳にかけたり一度wordに変換して翻訳したり(PDFだと各行に改行が入っている扱いになりうまく翻訳できない。でも結局やっぱり自然な日本語にはならない)、他の課題で使用される英語のキーワードが和訳のどの語に相当するのか探すなどの学習と関係のないことに時間を割かなければならず時間が足りなかった。「一講義あたり週に最低15時間必要」というのが大学の公式見解で、私の場合は20時間は必要だった。これはどこまで真面目にやるかにももちろん依るのだけれど、「適当にやってほどほどのクオリティを保つ」というのは母国語だからできることだとも思う。
クラスメイトやインストラクターはみんな感じよく前向きなコメントをくれた。「世界中の人に学習の機会を」というのが大学のコンセプトで特に途上国の人にフォーカスしているけれど(実際イラクやシリア、ナイジェリア、モロッコ等のクラスメイトがいた)、MBAに限っていえば非英語圏の人から徐々にいなくなっていき、最初の講義が終わるころには半分以上がアメリカ人だった。(グループ課題もアメリカ人と非アメリカ人で分かれていた。おそらくネイティブの議論のスピードや参考文献の量に非ネイティブは付いていけないだろうという的確な配慮。)
最初の講義はなんとか食らいつき悪くない成績で修了し、次の講義は海外出張と忙しさの波でドロップ、その次の学期まで待って今また始めたけれど、資料を読み切れない。英文で問題なく読解、記述できる人には良い大学だと思う。(私にはそんな余裕なかったけれど)質問すれば答えてくれるし、追加の文献も与えてくれる。英語力があがるか時間ができるかしたらぜひ再開したい。
ついに車に興味あって持っている若者(しかも10代の高校生)が復活したかと注目されているけど、私なんか中1で数検2級とったからね。もっというと10歳上の高山さんなんて
「高校時代の同級生に高校時代に学校に隠れてIT系の資格とか難しい漢検とか取った人間とかいくらでもいる」
っていっているくらいだし。
大学進学率も勉強できる人もそこそこいるプレッシャー世代ですらこれ程凄まじいから、大卒率が馬鹿みたいに高いゆとり世代なんかもっとすごいんじゃないの?
ただ、高校生ですごい資格とか取ったって言っているけど、免許はちょっとね……。せめて英検1級とか数検1級とかだったら良かったんじゃないかなと思う。
例えば、5chのレスバトルなどで「自分の年収は1000万円である」と証明したかったとする。
しかし、普通にそう書いても信じてもらえるわけがないし、所得証明などの画像を貼るのもリスクがある。
そのようなときに、確実に内容を保証してくれるようなシステムがあったら、大変便利ではないだろうか。
利用者はあらかじめ証明会社に登録しておく。その際、年収いくら、○○大卒、日本国籍など、ネットの匿名投稿で今後証明したい内容に関する書類を全て提出しておく。
証明してほしい内容が生じた際は、それを書いたレスのIDを、自分のアカウントから証明会社に示す。
証明会社はそのIDが本人の物と確認するため、特定のパスワードを発行し、それを書いたレスをするよう指示する。
そのレスが確認されたら証明会社はすぐに、自社のサイトに「このスレのID:xxxxxは、○○であることが確実です」と表示する。
問題は最初の登録時に証明会社に個人情報を送ることへの抵抗感だろう。最初は「国籍」「性別」「居住地」くらいならお手軽ではないだろうか。ネットではそのようなことでもすぐバトルやレッテル貼りが発生する。
証明会社はパスワードを常時発行しておく→証明したい内容を含む投稿にそのパスを含める→証明申請、にすればもっとスムーズだ。
追記2
誤解があったかもしれないが、想定した使い方は、その証明内容を使って自分の主張に箔をつけるとかではない。
証明内容自体を否定することで、主張まで否定してくる人(5chに非常に多い)に対する防衛策として考えていた。
ただ、前者の使い方もできてしまうのは確かだ。