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iPhone製造工場従業員寮の「150人以上が食中毒で入院」「1部屋に30人が詰め込まれる」など劣悪な環境が報告される
https://gigazine.net/news/20220104-indian-iphone-foxconn-plant-bad-conditions/
関連記事にも同種のどんだけAppleがやばいか伝わる記事がたくさんあるし、疎い奴じゃなければ何度かは耳に入ってたはずだよな
俺自身は2017年頃か、batterygateが問題になってた頃まさにその問題にイライラしててあいぽん6からAndroid(Xiaomi Mi 6)に移ったわ
それくらいの時期からAmazonも使わなくなったな、Facebookも元々ろくに使ってはいなかったけどやからして退会ムーブメント起きてたよな#deletefacebookだっけ
2021夏、世間はコロナで医療崩壊の真っただ中、私はコロナとは全く関係ない理由で死にかけて入院した。
半年経って当時の日記を発掘したので、正月休みで暇な今せっかくなので当時の日記を日記を増田に供養する。
経緯を言うと、膀胱炎を放置していたために、血中に細菌が侵入し、敗血症性ショックになり、生死の境をさまよったのである。
コロナワクチン接種とタイミングが重なってしまったため、副反応だと思って放置してしまい、大分大変なことになってしまいました。
本当に処置が一歩遅かったら私は死んでいた。
膀胱炎は、大腸菌などの細菌が尿道から膀胱に感染することで起こる。女性に多い病気で、自覚症状は排尿時の痛み、残尿感、頻尿、尿の白濁、陰部のかゆみなど。
おしっこをがまんしすぎたり、疲れて抵抗力が弱まったり、不衛生な陰部の環境だったりなどで発症する。
そして膀胱炎は放っておくと菌が尿管から腎臓に上がり、腎盂腎炎を発症する。すると発熱や下腹部の痛みが起こる。
さらに放置すると血中から大腸菌が全身を回り、全身の臓器が機能不全を起こし、血圧が低下し、ショック症状を起こす。これが敗血症性ショックである。
膀胱炎は放っておくと死ぬので放置せずすぐに病院に行け、は界隈の常識らしいですね。私知りませんでした。
今回身をもって実感しました。
8/13 (金)
膀胱炎の自覚症状。一般的に言われる自覚症状のオンパレードで、これは明らかに膀胱炎ですな、といった感じ。
3年前くらいにも一度膀胱炎にかかっており、その時は病院で抗生物質をもらったらすぐに治った。
もう一回くらいかかったことがあるような気がする。その時は市販薬で治ったはず。いつかは覚えていない。
この時期友人の家に入り浸りまくっていたので、まあそのへんとかで疲れがたまって不衛生になっていたのかな…、そういえば恥ずかしくてあんまりトイレ借りて無かったな・・・、と考える。
という訳で市販薬(腎仙散)を飲み始める。病院に行ってもよかったのだが、前述のとおり友人の家に入り浸っていたので、出先で病院を予約するのが面倒で、「市販薬で治るでしょ」とごまかしていた。
この後も友人の家に入り浸る生活。8/15と8/19しか実家に帰っていない。それも終電近くに洗濯物を取りに帰っただけである。
8/19 (木)
あまりにも薬か効かないのでボーコレンに変更する。まだ少し効く
8/20 (金)
発熱はなし。
思い返せばこの日の夜下腹部痛があり、今思えば腎臓が痛かったのかもしれない。
腎盂腎炎になると逆におしっこが出なくなるので、排尿時の痛みはあったが、排尿の頻度が下がったのでこのあたりから膀胱炎のことを忘れはじめ、薬を飲むのを忘れ始める。
8/21 (土)
夜23時頃、直前まで何も無かったのだが、突如猛烈な寒気に襲われ、体が勝手にガタガタ震え出し、熱を測ると41.7°Cを記録。人間ってこんな体温出せるんだな。
8/22 (日)
翌日になると熱は37.4°Cまで下がっている。友人のワクチン接種に付き合う。
帰りがけあたりから熱が上がっている感覚がする。帰って熱を測ると38.8°C。
最大で40°C台まで上がった。
ただ薬を飲むと熱が37°C台に下がった。
8/23(月)
この日から頭痛と嘔吐の症状が出てきて一気にしんどさが上がる。
頭を動かすたびにガンガンとなる頭痛がするので起き上がりたくないし水も飲みたくない。
水を飲んでも胃液を吐いてしまう。水分補給が出来ないのがしんどい。
薬を飲むとこれらの症状がマシになるが、2-3時間しか効かないし、6時間空けて飲まなければいけないので薬が効いてない時間が地獄。
熱は薬を飲んでも下がらずにずっと40°C台、最大で41.3°Cまで上がった。
インターネットを参考に薬をバファリンルナiに変えたら効きが上がった。薬が効くと熱は38°C台まで下がった。しかしこれも2-3時間しか効かない。
薬が切れた途端猛烈な寒気に叩き起こされ、震えが止まらなくなり、熱が上昇する。
「なぜ私だけこんなつらい目に合わなければならないのだ…!」との思いが募る。
そろそろ、「ただの副反応じゃないんじゃ…?」と思い市の副反応相談センターに相談したところ、「明日になっても熱が下がらなかったら医療機関へ」とのことだったのでもう一晩様子を見る。
8/24(火)
症状は昨日と変わらない。副反応相談センターにもう一度相談したところ、市の医療機関を紹介してくれる番号を教えてもらう。しかし今は横浜の実家でなく世田谷の友人の家にいるので使えない。
#7119でもいいですよと言われたので、そちらに電話をかける。深呼吸をしなさいと言われる。
友人が最寄りの発熱患者可の病院を探してくれる。家から50 mの距離だが歩ける気がしなかったのでタクシーを呼んでもらう。
病院では栄養剤の点滴をしてもらい、コロナに効く解熱剤(カロナール)を頂く。
今思えばこの医者はヤブだったのでは?発熱が4日も続いているのにPCR検査もしないし、その他検査もしないし、点滴と薬だけ貰って「様子見て」と言われた。
もし血液検査をしてくれていたら、きっと白血球の数値とかがおかしかっただろうから、原因も分かったろうに、、、
ただこちらも、「そういえば膀胱炎でした」と言い忘れたし、もうそんなのすっかり忘れていたし、さすがに医者もそれを聞いたら尿検査と血液検査くらいはやってくれたと思うので、言えればよかった。
あとワクチン接種でめちゃくちゃ忙しそうだったしね。初診の外来患者なんて後回しよね。
吐き止め成分も一緒に点滴してもらった。しかし帰ってポカリを一口飲んだらそっこーで吐いた。嘔吐RTA。吐いたら2時間は飲み食いしないでと言われていたが、しんどすぎてそのまま薬を飲んだ。
カロナールはよく効いた。熱は37°C台まで下がった。これも2-3時間しか効かないが。一緒に処方された吐き止め薬ドンペリドンの眠気誘発効果も高く、薬が効いている間は快適に眠れた。
薬が効いていない間は相変わらず40°C台の発熱と頭痛と嘔吐。
薬が効いている間しかまともに飲み食いが出来ないし、薬が効いている間は強烈に眠いのでまともに飲み食いできないので、要はまともに飲み食いできず、それがしんどかった。
おかゆを買ってきてくれたが、一口食べてギブアップした。ゼリーはすこし食べられたような…?
夜9時、あまりにもしんどさが天元突破したので実家に帰る決断をする。一人で他人のシングルベッドを占領していたのが申し訳なかったのもある。友人に布団で寝て欲しかった…
親に電話して洗いざらい話す。「なぜもっと早く連絡してくれなかったのだ」と親にめちゃくちゃ怒られる。
タクシー(8000円)で帰りたかったがなんとタクシーは発熱患者を乗せられないらしい。
しょうがないので翌日始発の電車に乗って帰ろうという話になる。
(別にコロナじゃなかったからいいけれど、もしコロナだったら電車移動よりまだタクシーの方がウイルスを広げる可能性が低いのだけど、このへんどうにかなりませんかね、えらい人)
私はこの後薬を飲んで寝てからの記憶が無い。次の記憶は木曜か金曜の病院のベッドの上である。以後は伝聞。
8/25(水)
友人のカバンを持ち、友人の靴を履いて、家の扉をガチャガチャして「あれ…?開かないなぁ」とつぶやいていた。
これは薬のオーバードーズによる奇行だと思った彼は、とりあえず私を引きはがした。
すると私は白目を剥いて倒れた。レギュラーの西川のようだったそう。
これは死んだわ、と思った友人は、ひとまず#7119に相談。
すると「それは救急車呼んだ方がいいですね。こちらで救急車を手配します」と言われた。
ほどなくして救急隊がやってきて、私を救急車に連れていく。友人はよく分からなかったそうだが、救急隊曰く当時の私は痙攣していたらしい。
救急車に運ばれ、受け入れ先の病院を探す。しかし医療崩壊ど真ん中の時期だし、夜中だし、高熱なのでコロナ疑いだし、意識不明だから救急病院でなくてはならないし、で受け入れ先が全然見つからない。結局1時間半くらい各所に交渉したそうである。
熱は42°C、血圧60、意識不明重体の私の横で受け入れ先の病院が見つからない中ひたすら待つ友人…。不安だったろうよ…。ごめんね…。
最終的に、最初に断られた病院に無理やり病床を開けてもらったらしく(他の人を一般病棟に無理やり移したらしい)、そこで受け入れてもらうことになった。コロナの為病院には同居家族以外の侵入不可だそうで、友人はその場で救急車から追い出された。申し訳ない…。
病院到着が午前4時。両親がタクシーで病院にかけつける。コロナ疑いなので、両親も別室に隔離され、沢山の同意書にサインをさせられる。
点滴をする同意書、点滴のために喉に管を通す同意書、けいれんを抑えるために麻酔を打つ同意書、けいれんがひどくなった時に体を縛り付ける同意書、などなど。
最初は医者も原因が分からず、とりあえず白血球の数値が異常に高いことが分かったので、適当に抗生剤を打っていたらしい。
培養検査の結果、とある種類の大腸菌が原因だということがわかり、おそらく膀胱炎が悪化し、腎盂腎炎になり、血中にも大腸菌が侵入して、臓器が機能不全を起こした、敗血症性ショックだろうということが分かった。
原因が分かってしまえばあとは早いので、それ用の抗生物質を点滴し、あとは回復を待つのみである。
8/26(木)
私は意識を取り戻し、「スマホが欲しい」と言ったそうだが、何一つ覚えていない。けいれんを抑えるために麻酔を打っていたそうだし、意識朦朧だったのではないだろうか。金曜日あたりまでの記憶は私は曖昧である。主治医と1回話したはずなのだがうっっっっすらとしか覚えていない。
そのまま2週間くらい入院ですね、と言われる。コロナの為面会謝絶で、必要なものは母に届けてもらい受付経由で受け取る。
両手と首に点滴が通っているので、私はひたすら気をつけの姿勢で寝ることしかできない。暇。うつ伏せで寝られないのがストレス。
あと食欲が全くわかず、病院食が食べられない。「これだけは飲んで」と言われた栄養飲料(そんなに美味しくない)と、たまに出るフルーツくらいしか食べられない。なので栄養剤の点滴も外せない。
とはいえ意識は取り戻したので近いうちに一般病棟への移動が決まる。
8/27(金)
この日から元気にLINEをしている。この日か翌日に一般病棟に移った気がする。
8/28(土)
この日あたりから食欲を取り戻し、病院食が完食できるようになる。
8/29(日)
8/30(月)
食事が完食できているようなので、と栄養剤の点滴が外される。これで点滴が朝晩3時間ずつの抗生剤だけになり、夜うつ伏せで寝られるようになる。超ハッピー。
8/31(火)
抗生剤だけなら飲み薬にして退院しよっか、とのことで急遽翌日の退院が決まる。急いで両親各所に連絡する。
9/1(水)
退院。声はカッスカスで、支えが無いとまっすぐ歩けない。10日くらい臥せっていると筋力その他が大分落ちるのだなと理解した。
私が入院していた間、私が死ぬんじゃないか、と毎日家の中はお通夜状態だったらしく、大分ご迷惑をかけてしまった。非常に申し訳ない。
あのまま友人が朝まで様子を見る決断をしていたら私は本当に死んでいた。そしたら原因にワクチンは全く関係ないがワクチン副反応で死んだ人扱いされただろう。
繰り返すが、今回得た教訓は、膀胱炎は市販薬で誤魔化さずに、病院で抗生物質を貰うべきだということである。
それから2021年の医療崩壊はやはりひどかったですね。治療にあたってくれた医療関係者方、そして各所でたゆまぬ努力を続けてくださっている各医療関係者様方に感謝します。
2021年冬は少し落ち着いていましたが、冬休みにかけてじわじわ感染者が増えてきていますね。また当時のような惨状になると医療機関がまた悲鳴を上げてしまいます。我々は基本的な感染対策を怠らず、淡々と過ごしたいですね。
あとそれから友人に本当に感謝。私の看病をしてくれ、救急車を呼んでくれ、救急車でも意識のない私に声をかけてくれていたらしい。本当にありがとう。あなたは私の命の恩人です。もし我々の縁が切れることがあったとしても、その事実は変わらず、私は一生あなたに感謝して生きていきます。
それから家族にも本当に感謝。だいぶ心労をかけてしまいました。楽しく労働することで恩返しするね!
ちなみに、「あんな経験をしたんだから、ちょっとくらい失敗しても「死ぬよりまし」とか思えるようになりなよ」と友人によく言われる。
確かに今日記を読み返して、「本当に死ななくてよかった」との思いを新たにしました。生きていることに感謝ですね。明日から新学期なので頑張らねば!
以上です。皆様も体にはお気をつけて、、、。
今年、32歳腐女子になったので何か書いてみたくて独りで紅白を見ながらこれを書いている。
そんな土地で私は生まれ、進学・就職し、今もこの街に住んでいる。
就職し実家を出た頃から、同人イベントにサークル参加し本を作るようになった。
初めて行ったイベントで、同じ作品やCPが好きな人たちと実際に会って喋ることができて、本当に感動した。楽しかった。
学生時代、それなりに部活をしたり、サークルに入ってみたり、人と関わるように頑張ってきたが、いつでも楽しくなかったのだ。オタクであることは隠していたので、とにかく話題に困った。
田舎だからだろうか。「漫画は読むよ、ナルト読んだことあるし」「アニメは見るよ、ワンピース面白いよね」という程度の人は周りにいたが、イラストや漫画を描く、二次創作を読む、まして書くようなひとは皆無だった。オタクの友達が、もっと言うなら腐女子の友達が心から欲しかった。
そんな人生を送ってきたので、初めて参加した同人イベントのアフターは心底楽しかった。初めて飲み会で「まだ帰りたくないな」と思った。
(つまり、それまではどんな飲み会でも、いつでも「早く帰りたい」と思っていた。友人だけの集まりでも、だ。みんな私を仲間に入れて誘ってくれる、紛れもないいい人たちなのだが、いかんせん私とは好きなものや興味のあるものが違ったのだ)
本を出すのも勿論楽しかったのだが、何よりアフターが楽しかった。地方住みながら年に5~6回は参加して毎回新刊を出していた。一回のイベントで、ペーパーとは別に複数冊出すこともよくあった。
イベント前日に上京してフォロワーさんたちと遊び、イベント当日ももちろんアフター。次に参加するイベントや、出す本のネタのことを話して、スケブを描きあったりして、終電まで遊んで、夜はホテルで厳選戦利品を読みながらお疲れ様ツイート。楽しかった。本当に。心から。
東京は地元に無いものが沢山ある。街はギラギラキラキラしている。そんなところで、美味しいものを食べて、好きなものの話を、同じものが好きな人たちと語り合う。たまらなく楽しかった。
幸いなことに、発刊した本はそれなりに手にとってもらえたので、本の印刷代と交通費はギリギリ賄えていた(宿代やイベント参加費などの雑費がはみ出るくらい)。なので趣味として、金銭面では無理なく続けられた。続けられてしまった。
収入が無くなっては困るので勿論仕事は変わらず続けたが、それ以外。
例えば職場の飲み会、イベント、地元の友人からの誘い、親戚付き合い、そういうものは可能な限り避けて、原稿をするか、アニメを見るか、フォロワーさんとスカイプで萌え語りするようになった。だってリアルは同人イベントよりつまらなかったから。
あの頃の感覚として、私のリアル、つまり同人イベントに参加していない日常の時間は「同人イベントまでやり過ごすだけの時間」になっていた。
イベントから帰る飛行機の中で、次のイベントは8月か、はやく8月にならないかなあ、と考えている。
同人イベントがメインパートで、地元での日常は一刻も早く過ぎてほしい繋ぎパート。そういう感覚。
職場ではすっかり付き合いの悪い人間となり、歓送迎会とかの大きな飲み会以外ははじめから誘われなくなった。
地元の友人ともみるみる疎遠になっていった。ちょうどメールからラインへの過渡期だったのだが、私はそんなこんなでグループラインはおろか、ラインの連絡先交換もあまりしていなかった。
私が知らないうちに友人たちはどんどん結婚したり出産したりしていた。私以外はちゃんとお祝いしてたらしい。ごめんなさい。
わくわくしていたし、充実していた。
差し入れでいただいた東京のお洒落なお茶を飲みながら原稿したりアニメ見たりするのが至福の時間だった。
喪女ゆえ結婚は縁が無さそうだけど、仕事はあるし家もあるし同人友達がたくさんいて毎日楽しい。私はこういう生き方でいいんだ、と思っていた。
そしてコロナ媧がやってきた。
感染者数が落ち着いた時期に開催されても、アフターなんてする雰囲気じゃないし、勿論するべきでもない。
何より上京してコロナを持ち帰ったらと思うと、とても参加はできなかった。
別に二次創作はイベントが無くたってできる。家にいればアニメも見られるし漫画も読める。
でも、人と会うことは無くなった。
素直に寂しい。
いつもクリスマスに開催されるオンリーイベントに参加して、アフターでみんなとケーキ食べていたけど、今年は家でコンビニのケーキを食べた。
一方で、アフターしていたみんなは、コロナ媧でも誰かしらとは会ったり話したりご飯を食べたりしているようだった。
つまりリアルの(同人と関係ない)ごく身近な友達とか、家族とか、配偶者とか、職場の繋がりとか、そういうものである。
みんなは同人以外にも繋がりを持って、居場所を持って、日常というリアルパートも真面目にこなしてきたのだ。おそらく。
私にはそれがない。
私は孤独だ。
同人イベントが無くなれば、私は誰とも会うことはないのだ。共にご飯を食べるひとは誰もいない。
今年、ちょっと病気が見つかって入院・手術したのだが、仮にコロナ媧でなかったとしても、私の見舞いに来るひとはいなかっただろう。入退院時に付き添ってくれたのは、唯一残った「リアル」の繋がり、両親だった。
仕事の細かい悩みとか、最近気になり出した老後の不安とかも同人友達にはなかなか話せない。
そういうことなのだ。
よく仕事以外にも、趣味などの居場所を作りましょう、と言う話を聞く。
私はそういう話を聞くたび、「私には全く関係ないな、仕事以外無いひとはかわいそうだな」とか思っていた。趣味が充実していたから。
むしろ同人なんていうのは、よく考えれば仕事より脆い繋がりだ。ジャンル移動とか、急な解釈違いや冷め、地雷とか、諸々あるのだから。
もちろんきっかけは同人で、そこから生涯の親友になるケースもあるんだろうけど、それはよくある話、というわけじゃない気がする。
最近はコロナの感染者数も減ってきて、同人イベントも活気を取り戻しつつある。冬コミもめでたく開催された。私も来年は参加したいな、と思っている。アフターが難しくてもイベント参加はしたい。推しCPが、絵を描くのが、二次創作が、本を作るのが好きなのは本当だから。
でも、(縁起でもないが)また別の疫病が流行るとか、災害とか、世界には何があるかわからない。
そもそも私が同人を、アニメを、漫画を、ずっと変わらず楽しめる保証もない。
同人以外を捨てる生き方はやめたほうがよさそうだな、と私は思った。
だから来年は(書いているうちに、もう今年になってしまったが)リアルの日常も、もう少し真面目にこなしてみようと思う。大事にしようと思う。
少なくとも、結婚おめでとうと言えてない地元の友達にはラインを送ろう。年賀状ラインを兼ねて。お詫びも添えて。許されるならお祝いもしたいけど、今さらって感じかな。ラインギフトとかなら相手も気軽に受け取れるのかな。
職場では人数分散して新年会すると言ってたから、それも誘ってもらえたなら参加してみよう。今さら参加してきたらみんな引くかな。少なくとも手術入院のとき休暇とか色々便宜をはかってくれた上司、私がいない分フォローしてくれたみんなには丁寧にお礼を言おう。
という、これまでの振り返りと今年の抱負であった。
おわり
とある無料エッセイマンガのレビューをみたらけっこう叩かれてた
平均評価は5点満点で2ちょい
たしかに読んでてもやる感覚はあったが、何に苛立ったのかよく分からずだった
低評価レビューで圧倒的によく見る表現が「主人公が妊婦様すぎて好きになれない」というもの
言われてみれば確かに、という感じで腑に落ちた
入院した妊婦主人公にわざわざ一人で面会にくる夫の浮気相手の若い女が、テンプレこれでもか的に悪い顔で笑う様子とか
倒れて入院した実の娘の話を聞かずに夫の肩を持つ実母とか、主人公も母親に夫の浮気のことを話そうともせず涙ぐみながら悔しい顔をする、とか
友達という関係は個々人によって解釈にけっこうバラつきがあるのだと思う
かつての友人は「友達とはなんでも言える関係」だと悩み愚痴を自分に言ってきた
身体の不調や通院先の不満など、まずは同居の家族にでも言うべきで、少なくとも離れた場所にいる自分に言ってもどうにもならないだろうと思うことも多かった
頼み事も多かった、友人が興味を持ったアイドルのイベントに一人で行ってきてくれないか、という依頼がとにかく迷惑だった、自分は興味無いし行かないと伝えても頼んでくることをやめなかった
ある時、自分の親が癌で入院した その事実を知った日に友人は通話をしてきていつもの愚痴を延々と一方的に伝えた 親が入院したと伝えても一言二言返しただけで、いつもの芸能人の話を続けようとする友人にどうにも我慢がならなくなって諸々ブロックした
以降連絡はとっていない
友達とはなんでも言える関係、たしかにフィクションではそういうキャッチフレーズをよく見かける
でもこの文脈で使われる何でも、は、家庭環境・学校環境・恋愛関係の悩みがメインであって、芸能人のイベントに首都圏住まいのお前が休みとって行ってこい、というようなものではないと思う
また、友人関係というなら悩みや愚痴は相互に言うものだと思う、がかつての友人との場合は向こうの愚痴をただただ聞き励ますばかりだった
先の友人に比べると話は通じるが
この友人は突然不機嫌になり、人を無視しはじめる気難しいところのあるタイプだった
映画や舞台やイベント、流行りの飲食店など連れ立っていく相手として適当な相手がいないから体裁として自分が誘われていたのだろうが、
人間的には合わなかったのだろう
毎回のように不機嫌になり無視されるので、その友人と出かけるのはすっかり苦痛になり、何かと理由を付けて断るようになった
が、あれほど毎度不機嫌になるくせに遊びに誘ってくる友人 何を考えているのか分からないが、とりあえずもうこちらから連絡をすることはやめた
コロナで出かける機会も無くなり、断るにも大義名分ができてホッとしている
彼は少なくとも家族にも仕事にも奉仕的であったし、人に共感する心も持っていた。動物好きであったし、妻さえ許せば犬も猫も飼ったことだろう。
一方、その妻はプロテスタントのキリスト教の信者だと言うしそれは事実だが、玄関に野良猫でも見かけようものなら憎々しげに睨みつけ、ヤカンの熱湯を掛けようとするような女だった。
妻は会話をしていても決して人と目をあわせようとはせず、人の儀礼的な問いにも答えようとせず、在らぬ方向に目を向けながら、どう見ても先祖はチンパンジーだろうとしか見えない醜悪な、あざ笑うかのような下卑た笑いを見せるのだ。人には情報は一切渡さないというかのように。
そういうことであるから、もし彼がその妻と円満に離婚しようとすれば、その妻は弁護士でも雇って彼の非を論い、何らかの被害を針小棒大に言いつのり、少しでも多くの金を彼から引き剥がしてやろうとしたに違いない。彼のほうは自分がそのような妻を選んでしまったことには気づいており、しかし子供の立場などを慮って離婚を言い出さなかったにすぎない。そして妻はそのことが腹立たしくて堪らずに、なおさら彼をなじるのだ。
事実、彼が死んだあと、その妻は雇った弁護士に子供の悪口を吹き込みながら遺産を争っている。
彼の死に不審な点が多すぎるとしても、警察は金融会社の幹部である妻、意に沿わぬ者を追い込むためにはバラマキ屋にもなる妻を調査しようとはしないことだろう。
事実、ある警察署の刑事はありえない交通事故報告をしたし、彼を入院させた病院はあやうく彼を餓死させるところだったのだ。また司法職員というものは、保険会社の職員を、ある意味人々に施しを与える公務員であるかのように扱うのである。
徳というものを一切持ち合わせておらず、法に抜け道さえあれば他人に対し邪悪な奸計を被せることを全く躊躇しない、軽いゲームをするかのように、この上もなく汚い当て付けや責任回避をして少しでも気に食わない人間にストレスを与える、そうした人間がその自由を謳歌しているわけだ。
12/29。今日は休暇予定だったが自宅で休みと偽り働いている。今日は土日出勤の振替休日の予定だった。平均して残業時間は40時間前後、一番やばい時で70時間弱。死ぬほどの残業時間じゃないし、振替休日が取れるなら休日出勤もしょうがないし、徹夜勤務が連日続いても翌日昼間は休めているから問題ない。
それでも自分は周りの人間より体力が無く、胆力も無いみたいで周りの人のように働けない。ストレスが溜まり、たまの休日はお仕事がんばる系映画を見ながら泣いてストレス発散し、平日夜は一人で休んだ方がいいのにストレス発散のために同僚と深夜まで飲みに行ってしまう。今週またスマホ無くした。ずっと楽しみにしていたクリスマスは24時間近く勤務した後に6時間寝た後、恋人と会った挙句にささいなことで恋人に泣きながら激怒してしまった。普段仕事の愚痴を言いながら泣く私の背中を撫で続けてくれる優しい恋人なのに。
これまでも何度か仕事で体調を崩し、休職したことがある。なんとか復帰して、仕事は元々好きだし周りから期待されているのも感じるので、がむしゃらに働くが、疲れる。非常に疲れる。所属部署の事業は拡大の一途を辿っており、毎月人が増えているが、全く追いついていない。来年の年末も同じことを思っているか入院しているかのどちらかだと思う。上司や同僚との人間関係も良く、待遇にも満足していて、仕事内容にも文句は無いが、とにかく業務量が多い。感覚、8〜23時で働いても終わらない。今日もまた終わらない仕事の関係者にイラつかれている。もう無理です。
早く帰って寝たいし、記憶無くすほど酒を飲むのをやめたいし、土日休日に会社携帯のチャットに怯える生活もやめたい。でもこんな悩み贅沢だから仕事をやめられない。でも限界かも。幸せじゃない。
今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。
そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。
経緯をはてぶにでも簡単に書き残しておくことで、誰か必要な人に届けば良いと思う。
私はかなり重度の希死念慮の持ち主だ。
元来、基本的に薄っすら死にたい気持ちを抱えて暮らしてきた。健常の人には中々理解されないことだが、「生きているだけで苦痛」なのだ。
学生時代も挫折の連続でそれはそれなりに辛いこともあったけれど、普通のサラリーマンとなり受験や就活といった目下の目標を見失った後は気を紛らわすようなものもさして見当たらず、ずっと「一体、何のために生きているんだろうか?」という気持ちに苛まれてきた。
趣味でも、仕事でも、誰か大事な人の為に生きなければいけないでも、何でもいい。生きる苦痛を贖うだけの理由が必要だった。
そして特に趣味はない。そういうものを探す努力もしてみたが、見つからなかった。元々無能の社会不適合なので、立身出世を夢見て仕事にまい進することも出来なかった。婚活をしてみたけれど、お恥ずかしいことに誰にも愛されることは無かった。
誰にも求められず、自分さえ何のために生きているかわからないまま東京で過ごす日々は着実に心を擦り減らしていった。
婚活で出会う女に金を遣っているうちに貯金の残高もなくなり、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはカネが必要なのだと思った。そして、はやりの言葉でいえばFIREをしたいと熱望するようになった。
リスキーな投機を繰り返し、あっという間に2千万円という多額の債務を抱えてクビが回らなくなった。
首を吊った。失敗した。縄が切れたからだ。次はもっと丈夫な縄でやろうと誓った。
いずれにしても、「実行できた」。希死念慮を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「オレは本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんだ!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた私は、破産手続きをすることにした。
法テラスに連絡して弁護士と破産手続きを進め、裁判所から「お前の破産を認める」という通知が来たのは2019年も半ばに差し掛かった頃で、私は30歳になっていた。
「破産」という言葉の強さに、「これが不幸の底だったら良いな」と少し楽観的に思っていた私だったが、そこから坂道を転がり落ちるように不幸が立て続けに起こった。
職場で上司に暴力を振るわれ警察沙汰になったり、身内が亡くなったり、別の身内がニュースになるような事件の当事者になったり、海外で車にひかれ、その勢いでインフルエンザに罹り入院したりした。短い期間に事故って負傷したり損害を負ったことも一度や二度ではない。
もちろん仕事がうまく行くようなことはないし、婚活をしたって破産者で更に未だ債務のある人間を愛する異性なんているはずもなかった。
そうして鬱々としているうちに、そういう態度に愛想の尽きた友人たちの多くは私の下を去り、余計に孤独を深くした。
もう何をやってもこの人生は上手く行かないと悟り、いい加減に死んだ方が良いと思った私は、前回の失敗を活かしAmazonで丈夫な大型犬用のリードを購入した。
そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事な親友だ。
それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。
結局、思うところあった私はその申し出を断った。その代わり、友人の自死を看取ることを約束した。
看取る。つまり友人が自死に失敗したときには、私が殺すということだ。
私も自殺をしくじった人間だ。自殺の恐ろしいところは、死それ自体ではない。失敗して、欠損した心身で生き残ってしまうことだ。
少しでも苦しまずにいけるよう、寄り添っていたいと思った。何があっても味方でいると誓った友人が君にはいて、クソみたいな人生だったかもしれないが、孤独ではなかったと思っていて欲しかった。
そして友人は死んだ。ホテルの一室で首を括った。傍らには私がいた。
私は、服役することを覚悟していた。調べる限りにおいて、類似の事件はみんな実刑になっていたからだ。
しかしそうはならなかった。友人が書き残した遺書に、しきりに私のことを庇うような言葉が書かれていたからだ。遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた。
そして遺書には、友人の大事な人に私がメッセージを届ける役目を託すという旨が書かれていた。
警察から解放された私は、確固たる希死念慮を携えて、友人に託された遺書に書かれた内容を遂げていった。遺族や友人に会い、顛末を伝えた。
会うのを拒んだ人もいたし、友人の死で心が落ち着くのに時間を要した人もいたが、おおよそ「これ以上はもうできないな」というところまで遂げるのに、半年以上の月日を要した。
私は友人にとって特別な存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。
ここから先にあるのは、更に苦しく孤独な未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。
もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。
職場から逃げ出し、仕事を放り出した私は、ブログにこれまでのことの経緯を書き残した。ずっと書きたいと思っていた小説も書き上げた。それはほとんど誰にも読まれることはなかったけれど、別にそれで良かった。
そしてバイクを買って、旅に出た。行きたかった場所を見尽くし、この国の何処を探しても希望の無いことを確認して、そして、友人と同じホテルの一室で、ドアノブに首をかけて一人で死のうと思った。
不幸中の幸いなことに、破産してから特に散財していなかったお陰で手元にはいくばくかのカネが貯まっていた。コロナ禍のお陰でホテルも安かった。
東京から一旦新潟に出て、冬の日本海を南下し、九州を一周し沖縄へ行った。東北を抜け、北海道を反時計回りに一周し、小樽のフェリーに乗って新潟に戻り、東京へ帰って来た。
大雨の日も雪の日も、風の日も氷点下の日も、宿が見付からない日もあった。凍った道も崩壊した険道も通ってきた。スリップして転ぶことも凍傷で手足が紫に腫れる日も、腱鞘炎や捻挫で痛みに堪えて走った日もあった。だが、東京で死んだように生きるよりずっとマシだった。とにかく前に進み、少しでも多くの景色を見て、希望が無いことを確認しようとした。
そうして全ての都道府県を見て回り、日本を一周し終わったのは、今年2021年の春頃だ。
数か月にわたる旅の間、SNSにその模様を呟いていると、当地に住むフォロワーの人たちが声をかけてくれて物資を提供してくれたり、ご飯を奢ってくれたり、宿をとってくれたりした。
本当に有難いことだったが、それでも今後に希望を見出すようなことは無かった。
多くの人は「生きて欲しい」と言ってくれたけれど、だからといって彼らが私の人生に責任を負うこともなければ、依然として私は孤独だった。
日本中を探し回っても希望が落ちていなかったように、今後そういう類のものが現れることは無いだろう。それを確認し尽くした、と思った。
旅の間見たどんな絶景も私の心を埋めることはなかった。景色は、しょせん景色でしかなかった。
旅が終わって数日もしないある日、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。
私は彼女のことを何度も見たことがあった。ひときわ美しく、人前に立つ仕事をしている人だった。
彼女は、「あなたのファンです」と言った。ブログも、Twitterも、配信も、全部追っていて、そして旅が終わる頃になって、私の生活を追えなくなるのがイヤになってしまったらしい。そして彼女は、「私は、あなたの人生に責任を負う覚悟があります」と言った。
だが、私はブサイク陰キャコミュ障無職借金破産非モテ希死念慮の役満人間である。彼女のような聡明で美しい女が、私のことを好きになるはずはない。分かり切っていた。
しかしまあ、騙されても奪わるもののない私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。
だからといって希死念慮がすぐに消えるわけもなく、「自分はきっとこれからも生きていけるのだろう。妻と一緒なら乗り越えていけるのだろう」と思うのにはそれなりの紆余曲折と妻の説得があった。だが結局、女に拾われて節操なく生きることになってしまったことに変わりはない。
人生は塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで死ぬのを延期していた」ということだ。
私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、死ぬのを何度も延期した。
死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。仕事を放り投げて旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。Twitterやキャスをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。
そうして何度も何度も死を僅かずつ、ほんの少しずつ延期していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。
そして妻の人生もまた尋常なものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして友人の死と、私がその死に向かい合っていたことが、パズルのピースのように奇跡的に当てはまり、ネットの海から掬い上げられた。
自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。
妻は、私が友人のことを悼み続けることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと無能者扱いされると思うけれど、きっと大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。
だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは毛頭ない。
一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
私は、自分が友人にしたことを後悔していない。友人のことは救えなかったし、最期に孤独にしなくて良かったと今でも思っている。
だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。
明日はマックの新商品が出るから今日はとりあえず生き抜くだとか、私みたいにお金と体力が尽きるまで放浪してみるのも悪くない。映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。
その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。
そしてあなたの大切な誰かが自分の前から去ろうとしているときは、遠慮がちに手を差し伸べてみて欲しいと思う。
オリンピック、というかスポーツ観戦が好きで、自分は何にも頑張れない人間だけど、テレビの向こうの選手は人生かけて一瞬に挑んでて、それを心から応援していた。地球の反対で開催されたリオオリンピックも、時間的には微妙な時間だったけど、4時とか5時に起きて試合見たりしてた。
それくらいオリンピックが好きなんだから、もちろん東京で行われるのなんて決まった瞬間からすごく楽しみだったし、チケットも破産覚悟で申し込みまくった。まあパラも含めて全滅だったんだけど。
直接観れなくても、本当に楽しみにしてたけどコロナがねぇ。選手には本当にかわいそうだと思ったけど、オリンピックによって感染が拡大して、自分がかかったり、ましてや知り合い死んだらやだったから、やってほしいけど反対派だった。
みんな忘れてるかもだけど、あの時はデルタ株のピークだったんだよ。死にかけても入院もできないかもしれない時期だった。正直海外の人ってニュースとか見る限り日本人よりマスクとかの意識低いし、普通に考えて海外(日本)に行ってずっとホテルと会場なんていうつまらない日々を送るなんてできる人少ないと思っててから、コロナがあるから中止になると思ってた。
結論、自分には五輪のせいでどれくらい拡大したか、人が死んだかわからないし、結局テレビで泣いて喜んで楽しんでしまったけど、でも開催前は本当に反対派だった。(矛盾してるように思われるかもだけど、やるなら楽しむしかないって人、意外と多いのでは?)
でも今はオミクロン流行ってるけど前ほど反対とは思えないなぁ。日本選手団が帰ってくるとかにさえ気をつけて、日本人が観戦に行かなければいいよ。
北京では拡大しちゃうかもだから、その点ではやめたほうがいいとは思うけど、自分と家族も友達も住んでる東京のときよりかは本当にどうでもいい。
神戸市西区の精神科病院「神出病院」で、看護助手や看護師が複数の入院患者に虐待を繰り返していたとされる事件。身体拘束も認められる精神科病院では、患者は弱い立場に置かれかねない。法律の不備を指摘する声もある。
神戸市西区の精神科病院「神出(かんで)病院」で元看護助手らが入院患者を虐待 https://www.asahi.com/articles/ASN3S3JSKN3RPTIL02G.html
認知症患者の裸を撮影、看護師「面白がってやった」 高知市の病院 | 高知新聞 https://www.kochinews.co.jp/article/detail/444792
恐ろしい。絶対に入りたくない。
米ファイザーは14日、開発中の新型コロナウイルス経口治療薬「パクスロビド」について、重症化リスクのある患者の入院や死亡の予防で約90%有効であることを示す最終分析を発表した。さらに、急速に感染が拡大しているオミクロン変異株に対しても効果がある可能性が示されたと明らかにした。先月に公表した入院と死亡のリスクが89%低下したとする臨床試験(治験)での中間結果を裏付ける内容となった。最終分析によると、約2200人の成人を対象とした実験で、パクスロビドを投与されたグループで死者は出なかった一方、プラセボ(偽薬)を投与されたグループでは12人が死亡した。
一次創作で小説を書いていて数年経つのだが、周りに病気や障害を持つ人が沢山いてビックリしている。Twitterのプロフィールを覗くと、自分の抱えるハンデをズラっと書き並べているやつの多いこと多いこと。
動かなくても、指一本で楽しめる趣味だからかな、とも思うんだけれど、ガチで健常者が見当たらない。プロフには書いていなくてもADHDを自称していたり、久しぶりにタイムラインを見たら元気そうだったフォロワーが入院していたりする。これなんなの?小説界隈だけ?
自分は自分を健常者だと思ってこれまで生きてきたのだけれど、朱に交われば赤くなるという感じで、もしかしたら自分もどこかに欠陥があるからこそ、小説書きの道に足を踏み入れてしまったんじゃないのか、と不安になる時がたまにある。