友達という関係は個々人によって解釈にけっこうバラつきがあるのだと思う
かつての友人は「友達とはなんでも言える関係」だと悩み愚痴を自分に言ってきた
身体の不調や通院先の不満など、まずは同居の家族にでも言うべきで、少なくとも離れた場所にいる自分に言ってもどうにもならないだろうと思うことも多かった
頼み事も多かった、友人が興味を持ったアイドルのイベントに一人で行ってきてくれないか、という依頼がとにかく迷惑だった、自分は興味無いし行かないと伝えても頼んでくることをやめなかった
ある時、自分の親が癌で入院した その事実を知った日に友人は通話をしてきていつもの愚痴を延々と一方的に伝えた 親が入院したと伝えても一言二言返しただけで、いつもの芸能人の話を続けようとする友人にどうにも我慢がならなくなって諸々ブロックした
以降連絡はとっていない
友達とはなんでも言える関係、たしかにフィクションではそういうキャッチフレーズをよく見かける
でもこの文脈で使われる何でも、は、家庭環境・学校環境・恋愛関係の悩みがメインであって、芸能人のイベントに首都圏住まいのお前が休みとって行ってこい、というようなものではないと思う
また、友人関係というなら悩みや愚痴は相互に言うものだと思う、がかつての友人との場合は向こうの愚痴をただただ聞き励ますばかりだった
先の友人に比べると話は通じるが
この友人は突然不機嫌になり、人を無視しはじめる気難しいところのあるタイプだった
映画や舞台やイベント、流行りの飲食店など連れ立っていく相手として適当な相手がいないから体裁として自分が誘われていたのだろうが、
人間的には合わなかったのだろう
毎回のように不機嫌になり無視されるので、その友人と出かけるのはすっかり苦痛になり、何かと理由を付けて断るようになった
が、あれほど毎度不機嫌になるくせに遊びに誘ってくる友人 何を考えているのか分からないが、とりあえずもうこちらから連絡をすることはやめた
コロナで出かける機会も無くなり、断るにも大義名分ができてホッとしている
オチは『強がり』かいな~