はてなキーワード: 中学生とは
近所に一人暮らしをしているおばさんがいる。以前は割と普通で見かけたら挨拶などもしていたのだがここ数年ぐらいで性格が変わり(メンタルの病気とかかもしれない)「怖い」と感じる出来事が多くなった。
増田に書いてもどうにもならないのはわかってるんだがちょっと書かせて欲しい。
・家の前を通ると追いかけられる
もちろん公道である。家の前を通る時に遭遇でもすると何かぶつぶつ言いながら追いかけられる。恐怖。弟がちょうど芝刈がまを使って芝を刈っていた時に遭遇して、鎌を持ったまま追いかけられたという出来事があってからはその家の前は通らないようになった。
・すれ違うと文句を言い捨てられる
生活圏が同じなので道路で会うことはある。いつも見えない何かにぶつぶつ文句をいっているのだが高確率ですれ違うときに文句を言われる(大抵支離滅裂な内容)。
深夜に自転車を漕いでる時に遭遇したときは本気で怖かった。それからハンズフリーで通話してる人に少し恐怖を覚えるようになった。
・深夜、早朝の奇声
大抵見えない何かに怒っている。子供が可哀想とかゴミが汚いとか。ほとんど言いがかりだし気にしていないが普通に怖い。
あとは登下校中の中学生に怒鳴り続けるとか。最近さらに奇声の頻度が上がった気がする。近所トラブルで警察が来てるのも何度か見た事があるが実害があったわけじゃないので解決にはなっていない。うちは賃貸で引っ越す予定があるのでまだマシだが持ち家で近所がこんな感じだったらどうすればいいんだろう。隣人ガチャ大事。
増田(35)の5つ上の姉(40)は軽度の発達障害なのではないかと思うようになった。
ただの書きなぐりでオチもなにもない。姉との関係に強いストレスを感じているのでここに吐き出す。
両親:ともに67歳。父は定年後、地域のボランティアをしながらまったり生活、母は専業主婦。
姉は知的レベルが高くなく、人とのコミュニケーションにおいて問題を起こしやすいのである。
・思春期~青年期:他人をけなすことで自分の優位性を保とうとする
・成人期以降:他人から指摘を受けると「攻撃」とみなして怒り出す
コロナで家にいる時間が増えて、姉の人となりをいままでよりもよく見るようになってきたが、
・気に食わないことがあると家族相手でも人間関係にヒビが入るような暴言を平気で言う
姉は子供の頃は親が勉強しろと言わなくても自発的に勉強机に向かっていたが、
成績は決して上位ではなく、よくて中の上くらい。
父の意向で中学受験をするもあえなく失敗、その後、高校受験は普通の高校に合格する。
姉は文系科目、現代文、古文、漢文、日本史、世界史は一切ダメ、
数学と化学は人並みくらいにできていた。あ、英語もできなかったな。
勉強机に向かってる時間は人の2倍、3倍あっても、成績はそれに応じなかった。
増田は勉強しろって言ってもなにもやらないけど、姉ちゃんは言わないでもやるから偉い、
そういう表現をよくされていたが、子どもながらに、なんでそんなに勉強してるのに成績が
そこそこでしかないのか疑問でならなかった。
そんな姉は大学受験を志すが、ごく一部の理系科目でしか得点がとれないので、
いくつか受けて、受かったのは1校だけ。いくつ受かろうが通えるのも1校しかないが、
それでも、F欄大学をあそこまで落ち続けるのはなぜなのだろうと疑問だった。
姉の大学生活の話はたいてい自分よりも成績が悪い人や留年してる人を
自分より下の人を探してバカにするのが日課なのかと思うくらいに。
就職に際しては、希望する職種があって、それを中学の卒業文集にも書いていて、
父親も知っていたことから本人の意向を確認し、仕事のコネを使って、
ところが、姉はその顔合わせをバックレるのである。
職場の方が約束の時間になっても姉が来ず、携帯もつながらないので、
事故にあったりしていないか心配になって自宅に電話がかかってきた。
当然ながら、家族会議であるが、姉はごめんなさいをするわけでもなく、
就職の世話なんて頼んでない、大学の先生に紹介してもらうことになっているから、
そっちは断ってくれ、などと言うのであった。
父の紹介先のほうが待遇もよく、希望の職種で就職できるのにである。
アカハラなどが横行するようなレベルの大学でもなく、断っても卒業に支障はないのに、
当日何をしてたかも語ることはなかったようで、今も理解できない行動であった。
姉は就職とともに一人暮らしをはじめたが、2年ほどしたところで、
その後は実家に住むことになるが、新たな就職先も2年ほどで辞めてしまう。
理由は職場の上司と反りが合わない、というだけで辞めてくるのである。
2社目を辞めたところで、その当時付き合っていた男との間に子どもができたのを
しかし、旦那となった男は稼ぎが十分でなく、とても無職の姉と子どもを
養えるものではなかった。
両親もデキ婚で苦労をしてきたので、不憫に思ってマンションを買い与えるが、
住み始めてしばらくしてから、姉が自分は一戸建てに住みたいんだ、と文句をいうので、
当然ながら夫婦ゲンカは耐えない。ケンカと言っても姉が一方的に
親族の集まる場でも、自分の旦那はバカだから、が口癖でどうしようもなかった。
これで落ち着いて暮らしていけるかと思ったが、収まるどころかより一層、
別れた旦那がえらいと思うのは、そんな姉に子供の養育費を今も欠かさずに
その後はパートなどにいくも、半年や1年で辞めてくる、2年続けば良いほうだった。
家庭での会話は、パート先の同僚(といっても自分よりも年長の人たち)の
自分がF欄卒を差し置いて、付き合いのある人の子どもが受験する学校のことを
バカにするようなことばかりであった。
父が一度、子どもへの影響を心配して、人様の家のことをそんなに言うもんじゃない、
と叱るも、別に外で言ってるわけじゃないしバカだからいいじゃない、
なんで私が怒られないといけないの、と斜め上のキレ方をした。
姉の子供はというと、そんな姉に甘やかされて育ち、友達親子みたいになっていて、
親がやるように周りの人をけなす言動の多い子どもになってしまっているので
将来が思いやられる。
姉はパート社員のなかで緊急事態宣言から間もなくして、まっさきにクビを切られた。
増田と両親からすれば、普段の振る舞いからして、そりゃそうだろうなと思うほかなかった。
その後、現在に至るまで、ただ家にいて、ネットしてるか酒飲みながら子どもと
制服着てる18過ぎれば凄まじい勢いで己の価値が下がっていくし、警察の手厚い保護がなくなって社会に放り出されるし
超節制して美貌を維持しても社会の法規制やしがらみが昔より遥かにキツすぎて
首から下動かなくなっても生きてる限り俺の勝ちみたいな無敵の金もない底辺同然のDQNみたいなのがチンポしたいために近づいてくるだけで、
本当に金も稼いでて一角の社会的地位があるいい人は周りにそんな人間いるからやばそうって近づかないし、最初からセフレ扱いでしか認識してくれなくなるからな
女詰んでね?まぁ自己責任だけどさ
空手初めてイキった中学生レベルがK-1のヘビー級選手とリングの上で殴り合いして勝てるとでも思ってたのか?完全平等ってそういうことだぞ
最近ずっと食いたいと思ってて、でも時間が合わずに逃してきていた
いまから行けばたぶん食える
でもGoogleマップみたら「コロッケ二個頼んだら明らかに愛想が悪くなった、出てくるのも遅かったしギトギトで気分悪くなった」ってレビューがあってビビってしまった
どうなんだ うまいってレビューも多いんだよな だから味に関しては多分ネガキャンなんだろう
でも肉屋からしてみりゃ安いコロッケだけ頼んでいく客がウザいっていうのはありそう
その場で揚げるってことは商店街で少なくとも5分とか立ち尽くしてないといけないってことでもあり、罪悪感を抱えながらそれをやるのはなかなかきつい!
ガキだったら許してくれるよな多分
ハア〜 自意識過剰すぎるのか
コロッケ……食いてえな……
この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。
私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市の象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。
私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。
そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。
家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段はテレビと新聞と学校の図書室だけだった。町には本屋もなかった。
私は決して学校の勉強から遅れることはなかった。地元の中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまりに偏差値が違いすぎたため、バスや電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。
あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidのポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領のアカウントをフォローした時には、テレビや新聞の世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。
同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強をしたことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間で本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書を立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォンに参考書を自分で朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。
その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学に限定した。仕送りも必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビでしか見れないものだった。運良く私の家はBSを契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画はテレビやYoutubeの予告編でしか見れないものだった。アカデミー賞やカンヌを取るような映画は大抵東京で最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市に限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷のミニシアターでヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生に優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。
私はどうにか大学受験をして東京のとある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。
初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供のときに見ていた日曜日昼の番組で中吊り大賞などというのがあって週刊誌の記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。ときに週刊誌の卑猥なコピーが小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京で最初に印象に残ったことだ。
私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルはインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。
そこである東大と慶応の学生たちと出会ったことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場の従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事や三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井は遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業を渡り歩いているらしかった。全員都内に実家があった。
私は、自分と彼らの家庭環境のあまりの格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族の仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校や大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンドで仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。
他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中学高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校のカリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験の勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校のテキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかりやすく説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。
私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大の過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちから囲まれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語の勉強のために夏休みにカナダに語学留学をさせて、ネイティブな発音などを身に着けさせていた。私は英語の勉強が好きだったが、流暢な発音は馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3でダウンロードした英語のスピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれた環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。
私は自分の人生を激しく呪うことになる。生まれた場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学は別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。
私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。
私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴を武器にこの後は一流企業に就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京や大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間はそもそもいらないのだと。だから勉強する環境も手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。
私が大学を卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣が大学試験について「地方の学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府の本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ。地方は土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである。高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。
また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネットと地方で使うインターネットはまるで別物である。インターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCのプログラミングというものの存在を私の田舎で認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供はプログラミング教室などに通って小さいころからそういうものの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報の存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態でインターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場の人間の発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供に奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親から生まれた子供だけである。田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。
私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎ものを必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語の勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。
とにかく必死だった。帰る場所も必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金で奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金を自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去と日本が課した呪縛から逃れられていない。
こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かに読まれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定のいいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。
追記1
めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。
高校には社長の息子とか医者がゴロゴロいたでしょって話について。
同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子はもっと都会の私立の学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方は公立の方がレベルが高いので。
同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。
友達は床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。
でもみんなよく勉強してました。
同級生は殆どは地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebookで検索したときにインターネット系の大手で働いている人はいました。
追記2
追記を書きました。
https://min.togetter.com/JIILDiR
これ読んだけど、このおっさんは強いなーって思った。40年も一人で、コンプレックス煮詰めてるのに自暴自棄にならず、「わたしたちの生きる権利を奪わないでください」とまで言ってる。俺だったら「殺してください」って書くと思う。お願いしますこのどうしようもない人生をできるだけ苦痛の無い方法で終わらせてください。建築資材に潰されたり、寝てる間に心停止とかの、社会的に綺麗な方法で殺してください。お願いしますフェミニストさん。お互いwin-winじゃないですか?世の中から不快の根源がなくなり、相手にされない悲しみもなくなる。どう考えてもいいことしかない。フェミニストがほんとに嫌いなのは宇崎ちゃんのポスターじゃなくてそれでシコってる俺ら。
わかるよ。それは悪くない。俺もヴァイオレットエヴァーガーデン見れなかったもん。オタク大好きな属性しか入ってないから。美少女、軍人、孤児、無感情。あーね。俺が好きな設定だわ。それを見て感動してる俺を想像して無理だった。
自分語りさせてもらうと、中学生から肌がやべー汚さで、大学生になった今はまぁ落ち着いてきたけど、それでも普通よりは数倍汚い。大学は理系入って、周りに女がいないのは楽だけど、気づいたら友達がみんな彼女持ちで、「喫煙者とキスするとくさいよ」とか「彼女いたらいたでめんどくさいよ」とか、そういうことを当たり前に話してんだよな。そういう時は話がなるべく膨らまないように、息をひそめることしかできなくて、自分が罪を隠してる気になる。罪なんだろうな。
文系が楽とかいうつもりはないけど、理系なので結構レポートとか課題あって、「これ解いてなんの意味があるの・・・?」としか思えなくなってきた。友達はいい奴らなんだけど、みんな遊んでるから課題やる優先度低くて、結局おれが見せる。別に嫌じゃないけど、飲み会してるから見せてってメッセージくると疎外感感じる。
たまにする外出で視線は大体女しか見てない。おっさんと一緒。めちゃくちゃよくわかるわ。女の胸しか見れないの。あと女と話すチャンスもないから、たまに話すとワンチャンとか思ってしまう。それがまたきもいんだろうな。
そういう感じで童貞コンプこじらせて、冒頭のリンク読んで、俺のどうしようもなさに落胆した。真贋はわからない、童貞だから。俺が絶対手に入らないものを当たり前に持ってる奴いるのが、許せないとかじゃなくて、どうしてこんなになっちゃったんだろう。悪いことはしてないんだけどなぁ。
こんなに童貞童貞言って普通の人はどう思うんだろうね。彼女居るのが良いことではないよとか言うのかな。うるせーよ。そういうことを言える奴が俺にかける言葉はねーよ。きも、はよ死ねやって思ってくれると嬉しいです。
親に心療内科に無理矢理連れて行かれ、自律神経失調と言われた。
肋間神経痛とパニック障害は今でも忘れた頃に突然やってくる。
どうしたらいいか教えてほしい。
年齢は30手前ギリギリ、性別は男で、正社員ではあるけど大して収入はない。
結婚願望はゼロ超えてマイナスだけれども、今後の人生を考えると結婚するのは今の時期がラストチャンスなのかもしれない。
ただ、女性に性的欲求がない。別に男性にもない。中学生の頃から全く興味がなくて、未だにアダルトビデオすら借りたことも見たこともないし、これから見るつもりもない。
その代わり、個人的な趣向はものすごく冒涜的で(現実で絶対に実現できないものなので犯罪とかにはなりようにないのだが)、誰かに公にすることは絶対にしたくない。
一度学生時代に彼女を持ったことはあるけど、全く相手にできず、信頼もできずに別れた。
友人も殆どいないし、会社でも人脈はほぼ無いし、能力も乏しい。健康さも弱い。今後なにかで躓いたらそのまま死ぬまで真っ逆さまだと思う。
数少ない知人は、だからこそ結婚するべきだと、結婚すると人間が変わると言ってくる。
同じようなことを言って上司に無理やり風俗に連れ歩かれたときは全くそういう気分にならず、ただ吐きそうになっただけだったけれど、結婚は人を変えてくれるのだろうか?
誰とも交流せずに人が変わることはないとは思うのだけれども、それを人に期待して、騙して結婚するなんてあまりにも失礼なんじゃないか。
でも、こんな感じのウジウジした人間は、結婚でもしてなければそのうち仕事クビになってずるずる金を失って病気になって40代くらいで野垂れ死ぬのだろうな。
はてなでは無職中年男の自分語りが大バズを記録し、Twitterでは中年童貞によるイケメン中学生との思い出話が大盛り上がりだ
実は、こうした現象がそのうち発生するであろうことは俺は予想していた
年々パートナーがいない孤独な中年男性が増加していることは、統計上明らかになっていた
一方で、メディア上では中年童貞男性に対しては、嘲笑混じりの侮蔑的な切り取り方がちらほらと見られるぐらいだった
当事者の悲惨な、身を焦がすような痛みに寄り添ったメディア表現は、ここ日本ではほとんど皆無だったと言っても良い
明らかにマイノリティとは言えないほどの潜在勢力を持ちながら、当事者同士は世間からの迫害と嘲笑に怯えて、ひっそりと暮らしている
誰かが声を上げるのをみんなが待ち望んでいる状態だったのだ
今回のネット記事のバズりだけでなく、今後も中年童貞男性の声はメディア上でどんどん勢力をましていくだろう
ちなみに、この点で言うとやはり欧米人は偉くて、日本人はアホなのだ
フランスのミシェルウエルベックなど既に10年以上前から中年童貞男性の苦境を扱っているし、
近年大ヒットしたアメリカのジョーカーも同様の点に目をつけている。
日本のメディア作家は頭が鈍くて目が曇っているので、現実が見えておらず、だからくだらない作品しか作れないのだという確信をますます強くした。
似たような子供だったと思っているけど実際にお前の子供のことは知らない素人の意見、程度に全く当てにせずに聞いて欲しいんだが……。
結局のところ、ギフテッドだとしても、エジソンやジョブスになることじゃなくて、生活費が稼げて友達が作れる人間になることが大事だ。
そうするためには、確かにお前の言うように、授業のときは授業できるようになるべきだ。
誤学習を排除して全部うまくやるとか、社会との軋轢を全部無くしてあげるとか、そんなの無理だと思う。むしろ社会と上手くやれないって前提で、それなりに上手くやる方法を学ぶしかないんだから。ああ、あれは誤学習だったんだなあ、って中学生ぐらいになってからでも分かるならそれでいいわ。
先生方がいまやろうとしてるのは、その準備なんじゃないかね。ちょっと叱られたぐらいで、自分に価値がないとか思われたら困るわけで、そのならないためにはまず自己肯定感、っていうか、肯定された経験だよね。
どうせ貴方の子供は、これから死ぬほど怒られていくんで、いまから完璧なトレーニングが出来るようにしたいとか、考えなくていいと思う。
俺もわりかし苦労したけど、まあどうにか食べてるよ今は。
終わった後の罪悪感が凄いんだよな
最近のAVはちゃんと「これは合意の上で~フィクションで~」みたいなテロップ流れるけど罪悪感が拭いされない
プレイの種類に節操がないのでたぶん俺は酷い目にあってる女性が性癖なんだと思う
普通に女の子殺されたりするけど漫画はフィクションのキャラクターで生身の肉体と人格を有してないから罪悪感は特にないんだよな
結局3次には及ばない
俺の元父親が凄いDVする人だったんだけど子供の転から間近で母親殴られたり風呂桶沈められたりするとこ見てきた影響だったりするのかもしれないと責任を転嫁したくなる
でもそしたら俺の性癖って母親が殴られるとこ見て目覚めたってことになるから気持ち悪くて嫌だわ
自分は現在とある旧帝大に通う3年生だ。しかしオレは編入してこの大学に入ったのだ・・・
しかしなぜだかいまだに学歴コンプレックスが治らない。もうすでに旧帝大の学生なのだ。自他ともに認める高学歴なのだ。
高校の友達と比べても自分より上の大学に通っている人は10人いない。
それでもなぜかダメなのだ。いまだに劣等感に度々さいなまれる。
県内でも有数の進学校で常に成績上位だった自分がなぜこんなに偏差値が低い大学にいるのだろうか・・。大学に落ちた日からずっと思っている。
そもそもこの大学に入ってしまったのは自分が理系を選択してしまったからだ。
自分はもともと英語や国語、地理が得意だった・・。それにもかかわらず「ドラゴン桜」で理系がよいといわれ理系に進んでしまった
高校2年生の頃は順調だった。常に成績はTOP20で余裕で入っていた。ところが3年生の夏になってからおかしくなり始めた。どうやっても物理と数学Ⅲが攻略できない・・。常に勉強しているのに成績が上がらなくなってしまった。ついにはそのまま文転することもなく受験を迎えて落ちてしまった。
何度理系に進んだことを後悔したかはわからない・・。文系だったら普通に旧帝大に現役で行けただろう。それなのに理系に入ってしまったせいでこんな地方の帝偏差値の大学に行くしかなくなってしまった。自分には勉強しかない。
高学歴でないのは絶対に許せないことなのだ。異常なまでに学歴へ執着した。
自分よりも成績が悪かったやつが自分よりも高学歴な大学に行っている。自分は浪人が許されなかった・・。
そんな気持ちとは裏腹になぜかこの大学では 友達は多かった、勉強もよく出来たから非常に頼られた・・・
でもダメだったのだ。あまりにも自分が行けたであろう大学よりも低すぎた。理系で多少就職が有利なのかもしれない。大学は社会に出たら関係ないかもしれない悔やむこと自体時間の無駄 十分に頭ではわかっていた
でもどうしても納得がいかないのだ。自分が低学歴であることが納得いかないのだ。文系だったらはるかに高学歴な大学に行くことが出来たのだった。そう思い大学がスタートしてからはずっと仮面浪人か編入することしかやってこなかった。
編入が許されても常に自分の学歴にイライラしていた。中学生のとき自分より成績が悪かったやつが・・ はるかに高学歴になっている。
その後なんとか勉強を続けて見事旧帝大に編入学することができた。
最初はコンプも消えていた。でも今3年生になってあることに気づいた。自分は編入以外に何もやっていない。車の免許さえ取っていない。旅行にも行けなかった
何かスキルを身に着けようにもなにもない。気づけばもう就職だった。
俺の大学生活はどこにいった・・? このまま就職して卒業したら思い出は何が残るんだ・・? 俺の人生何だったのかな・・
しかも自分が編入したとはいえ結局自分が地方大学にいたという経歴は残るのだ。
いまだに自分が京大に行けなかったことにはくやしさが残る。編入して旧帝大に在籍しているにも関わらずいまだに なぜ○○大学に行ったんだ・・ という気持ちがずっとある。高校に合格を報告に行ったがなぜかむなしい。現役で受かることが大事なのだ。自分に低学歴の時間があることが許せないのだ。
最近副業を頑張っている。副業を頑張って収入を自動化すればまた再受験が出来るからだ。まだ2万円ほどしか自動で入ってこないがあと少し頑張れば20万円程度まで自動化できるのだ。
そうしているとまたふと疑問に思う。またその大学に入ったことで何があるのだろうか・・。
Twitterの編入界隈を見てももやもや思う。やっぱり自分たちは負け組なのだ。一般で俺は入りたいのだ。またもう一度挑戦したいのだ。
「ゆきぽよ(23)は「このご時世、マスクするのが当たり前じゃないですか?それなのに、『マスクを付けるルールを聞こうとしただけ』とか、中学生みたいなことを言って。なんかちょっとダッサいな、堀江さんが」」
だとよ
いいのか?