はてなキーワード: モスクとは
【追記】
トラックバックありがとう。誰か読んでくれると思ってなかったので返信遅くなりました、すみません。
死にたいと思ったことは、これまでは全くありません。
「恥ずかし〜死にてえ〜」みたいに冗談で言うことはあっても、実際に人生を終わらせたい、終わらせようと思ったことは
どんなにつらくても悲しくてもなかったです。
それだけに、この心情の変化に自分自身危機感を抱いたという感じです。
*****
いま過労で鬱になって休職中で、ふっと「面倒だしそろそろ人生終わらせてもいいのかな」と思う瞬間がある。
そういう時のストッパーにしたいので、今死ぬべきではない理由を自分勝手にいろいろ書いてみる。
■基本編
・そもそも生きていること自体がレアなんだから、わざわざ自分で命を絶つ必要はない。
■他人と比べて編
・自分の人生なんだから他人と比べてどうこうという話ではないけど、
病気とか不慮の事故とか経済的理由とか寿命とか、のっぴきならない理由で明日生きられない人がごまんといる。
・自分の年齢で亡くなった人の報道をきくと、「ああまだ若いのに」とすごく思う。
ということは、やっぱりまだ死ぬには早いんだと思う。
■家族編
・いま死んだら多分、夫はすごく悲しむと思う。もしかしたら同じように鬱になるかも。
・同様の理由で、実家の人たちにも多大なショックを与えるからやめておくべき。
特に母はちょっとおかしくなってしまうかもしれない。両親が健在なうちはやばい。
・なんだかんだ、お金の負担もかなり掛けるはず。それもやだなあ。
・家族が自殺したってなるといろいろ世間的な引け目も感じさせそう。それもやだ。
・夫側の親御さんも悲しむだろうな。申し訳ない。
・まだ結婚記念日を祝ったことがない!祝いたい。
・旦那の誕生日にケーキを焼きたい。今年は買うつもりだけどいつか。
・産むのも育てるのもすごい大変みたいだけど、やっぱり子供も欲しい。
・とりあえず、大事な人ともっと一緒にいる時間を持っておきたい。バカな話をして盛り上がったりしたい。
■仕事編
・得意分野の中でもまだまだ成長の余地はあると思う。去年まで未熟だった部分を乗り越えるという体験をもっとしたい。
・そもそも働いたことのない分野がいっぱいあるから、将来のパートとかでもなんでもやってみたい。
・休職したきっかけになったことを言った人のほうが長生きするの悔しい。元気になってもっと成長して見返したい。
■食べたいもの編
・築地の食べ歩きをしたことがないから、してみたい。特に玉子焼きは食べたい。
・流行りがだいぶ過ぎたけど、一度ちゃんとハワイアンパンケーキを食べてみたい。
・芋きんつば食べたい。
・中華街で食べ歩きしたい。蒸したての中華まんとか、角煮がはさんであるやつとか食べたい。
・クラフトビールの飲み比べとかしてみたい。
・都内の美味しいベーグル屋さんに行きたい。有名店制覇したい。
・めちゃくちゃお腹が空いた状態で、コンビニの味付け卵を食べたい。
・おしゃれして旦那とちょっと良い店のコースを食べたりしたい。あるいはホテルのラウンジとかで甘いお酒を飲みたい。
■行きたいところ編
・巣鴨と帝釈天は行きたいと思いつつまだ行けてないからちゃんと行きたい。
・ハワイにもう一回くらい行っておきたい。アイスのお店に行きたいし、前回ガーリックシュリンプを食べられなかったから、美味しいお店を調べて行きたい。
・足湯も行きたい。
・昔行ったヨーロッパにもう一度行きたい。今度は夫と行きたい。
・パリ行きてえ〜
・箱根に行ってみたい。「はこね」って書いた饅頭買いたい。小田急のロマンスカーで行きたい。旦那と。
・沖縄行きたい。前回は随分昔だから、大人になった今行きたい。楽しそう。
・水着買ったのにまだ1回しか着てない!もう一回くらい着ておくかな...
・東急プラザ銀座とか新宿NEWOMANとか、話題になったスポット全然行けてないから一度は行っておきたい。
・池袋かなんかにある、雲みたいなシートのプラネタリウムに行ってみたい。
・一人カラオケやってみたい。
・肩甲骨ほぐしに行きたい。
・もう一回タイ古式マッサージに行きたい。
・代々木上原あたりにあるモスクが一体どうなってるのか知りたい。いっつも気になってる。
■その他やり残してること編
・銀のエンゼルが溜まってるのにまだ応募してない!
・30代、40代、50代の自分を経験してないからしておきたい。
おばちゃんになると肝が座って人生楽しいらしいから、それを体感したい。
・まだ人生において「これで満足!」という感覚を得たことがない気がする。そういうのちゃんとしたい。
・仏教的な意味での「人間らしく生きる」っていうのがイマイチ腹落ちしてないから、その辺整理したい。
というか、「これが人間らしく生きるってことか〜」って思ってみたい。
・新しい靴が欲しい。
・MA-1っていうの着てみたい。できるうちに流行りの格好しておきたい。
・高い基礎化粧品使って、やっぱ高いのは違うな〜って実感してみたい。
・ジョジョはもう一回くらい読み返しておきたい。
・ウシジマくんの続き読みたい。
*****
ざっと思い浮かぶだけでもこんな感じか。
出迎えてくれた師範代は柔らかな物腰だったが、どんな正しくなさも見逃さない鋭い眼光をしていた。
道場生はやはり女性が多く男性はモテなさそうな奴が3人いるだけだった。
またネイティブアメリカンやアフリカンアメリカンもいた(「黒人もいるんですね」と言ったら師範代に棍棒で小突かれた)
最初に見せてもらった組み手は、受け手の男性が「女は産む機械」と叫び四方八方から袋だたきにされるものだった。
受け手はガードすることを許されずウレタン製の棍棒で攻撃されても蔑視発言を続けなくてはいけないそうだ。
正直、受けるのは生身の人間じゃなくてサンドバッグでも使えば良いのにと思ったが「痛みを知らないと、痛みとか何も考えない人間になってしまう」らしい。
次の組み手は1対1で行う正々堂々としたもので、受け手の男性が「アイヌ死ね」とつぶやくと後ろから後頭部を叩くもので
一撃で仕留めないと反撃される危険な戦術らしく、熟練の者のみ使用できるそうだ。
一通り組み手が終わると神棚に一礼する。
アザーン(اذان adhān)は、イスラム教における礼拝(サラート)への呼び掛けのこと。
ユダヤ教のラッパ、キリスト教の鐘と同じような役割をしているが、肉声で行われることに特徴がある。
「神は偉大なり」という意の句「アッラーフ・アクバル」の四度の繰り返しから始まる。
イスラム教国旅行記ではしばしばアザーンを指して「一日5回モスクから流れるコーランの朗誦」といった記述が見られるが、
アザーンは礼拝への呼び掛けであって、コーランの朗誦ではない。
イスラム教ではアザーンと一緒に音楽を流すことは禁じられている。
そもそも、イスラム教正統派は、教義上、音楽を官能的快楽をもたらすハラームとして容認してはいないからである。
聖典の読誦であるキラーアやアザーン等の詩歌は、音楽的な要素を加えられても音楽では無い物として扱われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%B3
赤ずきんちゃんは、金髪の美少女でした。「将来、プロムに誘うならあの子だよな」村のにきび面の男の子たちはそう話し合ったものです。
やがて、平和な村に不穏な噂が流れてきました。なんと、狼団のテロリストが村に潜伏している可能性があるというのです。「愛国者法に基づいて山狩りをしよう」村長がそう呼びかけると、村人たちは松明と銃を手にテロリストを探し回りました。実のところ愛国者法は延長期限切れになって2015年の6月に失効していたのですが、そもそも愛国者法がどんな法律か知らなかった村人にはそんなの関係ありませんでした。
やがて、テロリストが潜んでいそうな場所が見つかりました。赤ずきんちゃんのおばあさんの家です。やはり愛国者法に基づいて仕掛けられていた盗聴器から、「モスクがどうたら」という会話が聞こえてきたのです。もしかしたら「モスクワ」と言ったのかもしれませんが、警察署長は自信たっぷりに「証拠は揃った、揃いすぎるほどな!」と断言しました。村人たちの中には「盗聴でわかったのなら山狩りは必要なかったじゃん」と思った人もいましたが空気を読んで文句を言わないことにしました。
警察署長が「さる筋から派遣されたスペシャリストだ」と勿体ぶって村人に紹介したのはほっそりとした少女でした。目深にかぶった白いフードからは見事なプラチナブロンド。そのあいだからは氷のように美しく澄んだ青い瞳が覗いていました。「彼女、すげーイカすな。なんのスペシャリストなんだろうな」村のにきび面の男の子はポルノめいた妄想で股間を膨らませながらそう話し合いました。
村の外れにある深い森、その奥へ奥へと白い少女が歩いていきます。やがて廃屋のならぶ集落が見えてきました。ここは開拓時代に栄えていた宿場町だったのですが鉄道が普及するとともに廃れ、ずいぶん昔から廃墟になっています。そんな廃墟の一角に赤ずきんちゃんのおばあさんは一人で住んでいたのです。こんなところにも老人問題の深刻さが見え隠れします。
白い少女は、おばあさんの家の前に立ち止まりました。ドアは半開きになっており、その前には広口のビンが転がっていました。つまり、ajar(半開き)と a jar(広口のビン)の掛詞になってるわけです。そんなダジャレどうでもいいので少女は「おばあちゃん、入るわよ」と言いながらドアをぐいっと開きました。ドアを開ける際にも油断なく左右を伺い、ドアの下部や上部のトラップワイヤーの有無を瞬時に判断するあたり、さすがスペシャリストって感じです。
ドアを開けるとむせ返るような血の匂いがしました。「おばあちゃん、すごい臭いね。まるで家のなかで人間の解体をしたみたいだわ」そう言いながら白い少女は寝室へ向かいます。寝室に入ると、人型ロボットがうずくまっていました。ロボットは「ぼく、いいロボットだよ」と言って高く手を上げて降伏の意思表示をしました。「いずれにせよあんたは赤ずきんの婆さんじゃあねえな。まあ死ねや」そう言うと少女は懐から取り出したソードオフ・ショットガンで至近距離射撃します。BLAM! BLAM! BLAM!
このソードオフ・ショットガンは、その名前の通り(sawed offは、のこぎりで切り落とす事)、普通のショットガンの銃身を切り詰めたもので、発射直後に散弾の拡散が始まるため、通常のショットガンと比べると有効射程は短いものの、至近距離の殺傷力や有効性はむしろ増大しており、更に全体の長さが短くなった事で、屋内などの狭所で扱い易いため、特殊部隊などが屋内に突入する際、出合い頭の戦闘が(敵と鉢合わせする事)多いポイントマンがエントリー・ショットガンとして用いる事もあるのです(Wikipediaより)。
ロボットはしゅうしゅうと煙を上げながら倒れ伏しました。少女は「しくじったな」とつぶやきました。おばあさんの家はいつのまにか一ダースほどの戦闘員に包囲されていたのです。
轟音とともに正面扉が吹き飛びます。おもわずそちらに包囲網の注意が逸れた隙に少女が裏口から飛び出します。銃弾が飛び交うなかをかいくぐり、戦闘員の背後にまわってショットガンを発射します。細身の体に似合わない怪力を発し、崩れ落ちる戦闘員の襟元を掴みあげるとそれを肉の盾としながら敵陣に突っ込みます。わずか50秒で瞬く間に敵を殲滅した彼女の白いフードは、今や血でベッタリと染まっていました。その美貌と戦闘力から彼女は「血染めの氷壁」と厨二っぽい二つ名で呼ばれていました。「白いフードが血で赤くそまるまで戦闘を止めない」アグレッシブな戦闘スタイルから、彼女を「赤ずきん」と呼ぶものもいました。(←これ、書いてて恥ずかしい)
血と肉片で汚れた銃身をフードで拭うと、その銃身に刻まれた文字がくっきりと読み取れました:
In Gun we trust
森から血染めの少女が帰ると、村ではお祭りの準備がされていました。今日はイースターのお祭りなのです。血染めの少女をみると、村人たちは「Meerica! Meerica!」と叫びました。突然音楽がかかり、村人たちはミュージカルめいて整然と踊り出します。バックコーラスは白い衣を着た聖歌隊です。聖歌隊には有色人種は一人もいません。スポットライトがあたる村の広場の中心に血染めの少女が歩み寄ると、先ほどの戦闘で見せた獰猛さを微塵も感じさせない清らかな声で、「アメージング・グレイス」を歌いました。
悪いけど賛同できない。
ちょっと話が逸れるが、聞いて欲しい。
ネタバレしてしまうと、「キーチ!!」は一人の直情型のコミュ障の少年が電通によってカリスマにされるまでの話。
少女買春に腹を立てて、少女を買った権力者たちをぶん殴りまくってヒーローになる。
「キーチVS」は、在日米軍のひき逃げが大人の事情でうやむやになったことに腹を立て、権力者たちを拉致る話。
在日アメリカ軍司令官、経団連会長、前総理大臣を拉致監禁をやらかし、一転、テロリストとなる。
電通によってカリスマにさせられた彼は、電通によって悪の化身にされる。
日本国の主権を無視して、アメリカは富士樹海に焼け野原を作り、地上部隊を投入して主犯の主人公は銃殺される。
「あやまちは繰り返しません」という平和記念碑が爆撃地に建てられる。
おしまい。
というあらすじ。
さすがに、いくらテロリストがいたとしても、日本にいる犯罪者を日本の警察を差し置いて、米軍が始末するっていうのはどうかな?
それも、空爆とかね。
って思った。
アメリカもフランスもシリアに対して宣戦布告しているわけではない。
イスラム国に宣戦布告、といっても国として認知してるわけではない。
あくまでシリアの(テロリストがいると思われる)一部地域に対する空爆。
考えてもみろよ。
自分の隣に悪い人がいたとする。
それを警察が捕まえにくる。わかる。
軍が捕まえに来る。…わからないでもない。
他国の軍が民間人もろとも空から爆撃。…わからない。…わからない。
なりふり構わない行動に出ている相手に対して、なりふり構わない行動で返していいものだろうか。
世の中を変えたかったら、選挙で政権をとって、外交努力をして、それでもダメだったらきちんと宣戦布告をして、という正規の手続きをしていない敵だからといって、空から爆撃とかそんな非合法な手段をとっていいものだろうか。
フランス対イスラム国であるべきでも、キリスト教国対イスラム過激派であるべきでもない。
法治国家対テロリストであるためには、法に従った行動を取るべきだと思う。
正当な手続きすらとらずに自分たちを爆撃する異国の軍隊は、住民にとってはテロリストでしかない。
難民に紛れ込んだのではないか、だから難民を受け付けてはいけない。ということを言う人がいる。
フランスでは非常事態宣言をひかずにもモスクを閉鎖したり出来るように憲法を改正したいという。
そもそもは、反米政権は打倒されるべきとして、アサド政権打倒のためにはもISの勢力が増すことはやむなしという姿勢のせいなのは言うまでもない。
アサドとイランが目の敵にするISは敵の敵だからお目こぼし、という最初の理屈から大間違い。
さて、長くなったけど、そんなこんなで、私は加害者を憎み、被害者に同情する。
でも、フランスとかイスラム国とか宗教とか、特定のグルーピングで、彼らを支援したり、避難したりはできない。
複雑なんだなー今回の問題。国内や世界情勢の知識が色々備わってないと正確に把握できない。
あと、あらかじめ先に言っておくと、客観的に見て分かるように、右翼サイドも左翼サイドも悪い点があるということです。「どっちだけが一方的に悪い」ってほど簡単な問題ではなさそうです。
2. ISISがブチキレる。
・日本は(というか安倍政権)はアメリカとべったり路線なので、アメリカと関係が深いイスラエルも支援したかった。
・日本にある武器輸出三原則を変えてまでもやりたかった。それもそれで物議をかもす。
イスラエルというのはユダヤ人で構成されている。アメリカは優秀な少数のユダヤ人に掌握されてる面があって、じっさいアメリカの政治家や権力者にもユダヤ人が多い。なのでユダヤ人やイスラエルにあまり逆らえない。ちなみにアインシュタインもユダヤ人。
技術大国イスラエル 日本企業も熱視線:ワールドビジネスサテライト:テレビ東京 http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/wbs/newsl/post_82655/
ユダヤ教とイスラム教の聖地が両方ともその辺にあって、競合しちゃってるのが原因。しかもイスラエル軍が無駄にパレスチナ人を殺しすぎている。ひどい。でもアメリカはそれをあまり非難できない。イスラエルは中東らへんの周辺諸国に嫌われている。
・2001/9/11を発端とした、アメリカのテロとの戦いがある。
テロは悪いことなんだけど、それに対する報復戦争のやり方もマズかった。誤爆が多かったし。それがテロリストと無関係な穏健なイスラム教徒や中東の人からの印象も悪くさせた。報復と報復のいたちごっこになっている。
・少し話しそれるが、第二次世界大戦でアメリカがドイツでなく日本に原爆を落としたのは、民族的に近いほうだと抵抗感があったが、日本はそれがが少なかったから。という説がある。イエローモンキーだから。それと同じノリで「民族ちがうし抵抗感ないしテロむかつくしテキトーでいいんじゃね?」と誤爆しまくったんじゃないのかなぁ、と思っている。アメリカってあまり反省をしない気がする。ちなみにアインシュタインは大統領に原爆を進言したのを悔やんでいたそうです。
・そういうのもあって、昔(911前くらい?)までは中東からの日本への視線は同情的なものもあったらしい。なんだけども、「中東からの印象悪いアメリカ、イスラエル」に対して、日本がいままで以上に踏み込んでべったり路線になり、武器を売って支援しようと言うのだから。そりゃあその印象の悪さがそっくりそのまま日本にも適用される。同情の念も薄らいでしまう。
今、このタイミングでネタニアフと会う意味をまったく考えない安倍ちん - みんなどこか変わってるから大丈夫 http://d.hatena.ne.jp/mzponta/20150120/p4
2014/8月の時点ですでに捕まっていたらしい。日本政府は今まで何をやっていたのか?については、まだ調べてない。でも2番で挙げたような情勢を鑑みたら、そんな人質がいると把握している状況なのになぜそんなタイミングでイスラエルに武器輸出をすると言い出したのだろうか?そんなことしたら、こんなことになると予見できたのではずでは無いのか?
テロ組織に人質身代金払ったら、テロの勢力拡大に加担してしまうことになる。だから払えない。それは皮肉にも先述の「イスラエルに武器輸出したらどうなるか」と似ている。天唾ブーメランなのだ。
日本のマスメディアの「人命を救うためにお金を払え!払わない安倍政権は非人道的だ」という意見は全くの逆でしょう。人命を救うためにはテロ組織を拡大させないことが重要。wikipedia見るとわかるけど、いまもなおISISは周辺を侵略しまくって領土拡大しています。マスメディアがやりたいのはどんな手段を使ってでも安倍政権を叩きたいだけ。テロリストに加担してでも。政権叩きよりも他に優先してすることあるだろ?という状況でも。
身代金を出すなんてしたら、穏健派(非過激派)を怒らせてしまう。渋谷のモスクで人質解放の祈りを捧げてくださっているイスラム教徒たちも怒るレベル。
「ヨルダン人パイロット」とか、ISISが要求変更して捕まってる刑務所のテロリスト解放しろと言ってきたこととか、その辺はすみません把握できていません。
NHKスペシャル|追跡 「イスラム国」 http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0201/
午後9時00分~9時49分
ふつうに客観的にみて選挙のシステムに色々問題点がある。低い投票率、パンダ議員、一票の格差、小選挙区と比例代表の問題点・・。
でもどんなにプロセスに問題があっても、建前上・対外的には、結果的に有権者が政党を選んだ・信任したことになります。
で、
このメディアリテラシーの低さや、世界への関心の低さで定評のある日本人のなかで、
この記事で調べてある程度まで把握できた上で考えたり発言をしている人は
一体どれだけいるのだろうか。という疑問。
ISISの声明は、日本国内の反政府組織や左翼に対して大義名分を与えている。それもあるけど、「言葉通りの意味」も一理あるのだと思う。つまり、国内でも色々あるけど結果的には「有権者が安倍政権を信任したことになる」わけだから、そんな政権を信任したような日本人(有権者)が悪いんだよ。と。安倍政権をおろせばすべてがうまくいく、とかそんな話でもないです。民主政権を思い出せばわかるでしょう。じゃあどうしたらいいんでしょうね。
平たく言えばこういうメッセージということ:
日本人の政治問題への無関心について自省的な態度で見ると、そう受け止めることができる。
いい歳した大人の有権者の日ごろの行いって、世界につながっているんだなぁと実感した次第。
※ほかにも、イスラム教のシーア派/スンニ派/アルカイダ/ISISの関係とか、過激派/穏健派とか、アメリカは石油を確保するために中東とそれなりに仲良くする必要もあったり、日本とアメリカの安全保障上の関係とか、集団的自衛権とか、いろいろ背景について調べるポイントはあります。
ユダヤ人といえばナチスに迫害されたことが有名ですが、ユダヤ人にも嫌われるだけの原因があったということです。だからといっても迫害は絶対悪ですが。
確認したら「礼拝所不敬罪」という罪があった(刑法188条)から、モスクは駄目そうだな。
光を当てるだけでも建造物等損壊になるんだろうか…
隣のビルに映写とかなら多分何か条例に引っかかる(無理矢理引っかけられる)んじゃないかなあ
モスクは器物損壊か礼拝所及び墳墓に関する罪 - Wikipediaをどうこうして裁かれるとオモ
フランスのパリ新聞社襲撃事件に関して、パリで大規模なデモがあり各国の首脳もデモ更新の先頭に立ってアピールしてましたな。
あ、すいませんサイト間違えました。
http://www.afpbb.com/articles/-/3036245
この襲撃事件をテロと表現してテロとの戦いと言った雰囲気になっていますが。。。
報道関係と言うことで民間人ではあるのですが無差別に無関係な人に対して襲撃を行った訳では無いです。
これを事件じゃ無くテロと簡単に表現してしまうのはちょっと危険すぎやしないかと。
この事件の後、モスク等が報復で襲われたりしたそうですが、そう言った行為こそテロ何じゃないかと。
偏見は誰の心の中にもありますし、それを取り去るのは不可能だと思います。
しかし権力者が偏見に従って意思決定してしまったらそれは差別となってしまうでしょう。
私個人としては所謂ヘイトスピーチに関しても発言自体を封じてしまうのはどうなんだろうか。
表現の自由を優先すべきだし、互いの表現によって偏見が埋められる部分もあるんじゃないかなと思ってたりしました。
ただ、今回のフランスの反応を見てしまうと偏見がある方向に向いてしまうような言論はやっぱり危険なのかもと思ってしまったり。。。
それはそうとシャルリ・エブド、今週もイスラムをモチーフにした風刺画を表紙にしたようです。
表紙だけしか見てないので何とも言えないのですが、少なくとも表紙に関しては今までの表現に比べて全然ソフトですよね。。。
SimCityというゲームをやったことがあるだろうか。スーファミでシムシティ2000をやった、なんつー人も多いかもしれない。
知らない人も多いと思うが最新作であるSimCity(2013)というのはネットワークゲームになった。でっかい地域があって、そこに何個かの町がある。それぞれの町をそれぞれのユーザが作る。町と町の間は道路や海路があって、人モノ金の共有ができて持ちつ持たれつ街を成長できるわけだ。
オレはSimCityが好きだからやりこんでいるわけだが、このバージョンのSimCityはいかんせん町のサイズが小さい。土日かければがっちり収益性のある町が完成してしまう。一人で縛りをつけてやってもまあおんなじ感じの町ができてしまうんですな。次第に飽きる。もうメジャーアップデートもなくなってきたからユーザもあんまりいないのかもしれぬ。
最近は人が放棄した町を再建することに目覚めた。各ユーザセーブデータは10個しか持てないから、ユーザこと市長が街づくりに失敗した町、発展しつくした町はユーザは放棄する。その街づくり失敗シティを再建しようというのだ。気分は再建請負人、再建コンサルタント、ただのラマ好き、といったところだろうか。
大抵の失敗町は、金の問題である。広い道路を作りすぎて金がなくなった、とかライフラインに気を取られていたら金がなくなった、債券がこれ以上発行できなくなった、などである。請負人となったオレがまず行うのは公共施設の停止である。市長の家とか市役所なんてのは動かなくてもそんなにこまらん。まずオレの家に100ドルかかってることにイライラする。電気水道下水のライフラインなんてのも他の町からもらえばよいのだ。さっさと停止して他の町からもらえばよい。ってかんじですぐに収支はプラスに転じる。そこからどこの国の外人市長が残していったぐにゃぐにゃの道路にどのように発展させるかイメージを膨らませるわけである。楽しいよ。
最後に今の町の話をしよう。びっくりしたことにその町はかなり発展していた。なぜ予算ショートしているのか見てみると、公園、学校などへの異常な投資、そして住民、商業、工業税がすべてゼロだったことである。なのに町の一部分が廃墟になっていた。この町の原子力発電所で事故があったのだ。放射能汚染で地価は高いのに住民は周辺に住める状態ではない。こんな町の市長になったことに後悔を覚えた、しかし再建請負人だ。この町を元気な街にしなければいけないのだ。つらい街に住む住民に一般的な税率まで上げることに葛藤があったが、住民の理解はあったようで、大幅な人口の流失は防ぐことができた。あとは公共投資の見直しである。シムシティ発売記念公園なんていらぬ。高校のキャパが4800人というのも異常な多さ。削減である。収益が安定してきたところで、原発跡地をどうするか考えた。ひとまず責任を感じて市長の家をそこに設置。ちょうど周りの町から融通を受けていた電力に限界がきた、メガソーラーとしようかと計画中である。住民の声を聞いてみた。信仰を求めていた。そうかもしれないね。モスクを作った。たくさん通ってほしい。原発跡地の隣だけど。この町が早くもっとよくなってほしいと思っている。前市長の流れを継いで教育の投資をもっとしたい。大学を作ってこの状況をいかに軽減できるか研究してほしいし、大病院もつくって住民が細菌に汚染されない町にしたい。この町に来てまだ2年だが、市民の皆にはもう少し私に時間をいただきたいと思う。みんなでこの町を再建したいんだ。
このまとめを見て、昨今のウイグル問題に関する文脈に一言物申したくなった。
僕は親中というわけではないけど、とりあえず嫌韓ネタ出しとけばいいや、みたいな思考停止が嫌なのです。
そして話題が話題だし、ちょっと重い話も含んで語りたいから、増田で書く。推鼓する時間も無いので、とりあえず取り留めなく。
僕は日本に住む日本人だけど、過去に中国在住8年。彼女がウイグル人で、向こう6年の付き合い。
まとめ元の井上氏とは、そういう意味でちょっと似てる立場なのかもしれない。
不思議と日本国内には居ないのだけど、大陸には「新疆地方」出身(※1)の知人・友人(※2)が何人も居る。
※ウイグル族には限らないです。新疆には沢山の少数民族が住んでいるし、漢民族ももちろん居る
※皆、いわゆる犯罪組織やヤクザのメンバーではない一般人ですよ
もう少し背景を付け足すと、2009年のウイグル騒乱前にも、観光ベースで新疆をブラブラしていた事がある。
実は天安門事件前にも一ヶ月間、新疆に観光へ行っていた。シシカバブ・ラグメン最高。ビールが気軽に飲めたらもっと最高なんだけどな。
上記の通り、僕は多少ウイグルに縁がある一般人というだけで、歴史学や地政学に特別詳しいわけでも、何でもない。
なので、僕はなかなか文脈の中に出てこない現地(ウイグル地方)出身の一般人、あるいは旅先で現地の人に聞いた事を客観的にそのまんま書く。
詳しいレポや現地メディアの状況は@furumai_yoshikoや@dongyingwenrenのような専門家の方がずっと詳しいし、ためになる。
気軽にヘイトに走っちゃう人はぜひ、彼らが過去に書いた記事も、よく見てほしいのです。
以下、現地の複数少数民族にきいたこと
・別に、何とも思ってないよ
・無能。特に公安。ウイグル騒乱の時、彼らは漢民族もウイグル族も守らなかった
・今度、政府が立ててくれる少数民族専用マンションに引っ越すんだ。
・他の少数民族と変わらないんじゃない?
・普段はいいけど、何か問題が起こった時に締め付けが厳しくなるのが面倒
列車に乗るのも一苦労
・チベット族ほどじゃないと思うけど、差別を感じる事はよくある
3. ラビア・カーディルって知ってる?
・知らないよ。誰?
・大きな事件があった時に名前を聞くけど、何をしてる人かは知らない
4. 2009年以降どう?
・漢民族とウイグル族の居住地区は、明確に分かれるようになった
※大きな街では、東西・南北で町並みが全然変わっていた。東側は中国風、西側はイスラム風みたいに
・めっきり、お互いの民族間で交流しなくなった。市場で他民族を見る事がなくなった
・(相手民族)が怖い。間違っても人通りの多い所には行きたくない。
・カザフ、モンゴル、キルギス族の多い北の方は、逆に景気良いよ
-.政府(※地方政府)がロシアから建築家招いて、超豪華な公衆トイレ作ってくれたんだぜ!日本のトイレみたいだろ!
眠たくなってきたのでこの辺でいったん〆るけど、なんとなく現地人の雰囲気が伝わるような物をピックアップしてみた。
総体的に、彼らと話していて感じた事は「民族としての連帯が非常に緩い」「人生楽しそうだな」という事。
今、よく日本で言われている「少数民族としての劣等感」「独立意識」「民族弾圧」のような要素を感じる事は無かった。
政府への不満はよく聞いたけど、それは中国に住む人であれば皆同じ事を言う類のものだった。
よく漢民族の言う「少数民族は優遇されている!」というのも、本当なのだなと思った。
日本で言う所の在日特権みたいな物も存在するんだけど、新築マンションの家賃8割政府負担は恐れ入った。
とはいえ、増え続ける失業者対策の一環なんだろうとは思いつつ。
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ちなみにウイグル騒乱の時は、彼女を通じてウルムチの様子をLIVEで聞いていた。広場でウイグル族に殴り殺された漢民族の女の子の話、
仇を取ろうと仲間を集めて家を出て行ったその子の父親と、それを必死で止めた、ウイグル族の隣人。殺到する群衆を恐れて、
橋の下で夜通し隠れていたウイグル族の親子。その親子が深夜、公安に保護されてようやく帰宅できた話。
異人系の顔立ちだから、漢民族・ウイグル族どちらからもターゲットにされてしまうカザフ族の話や、漢民族との勘違いを恐れて、
家の外に出られないモンゴル族の話。結果、ターゲットにされて腕を刺されてしまった男性の話。
この時、僕らは彼らに何も出来なかった。地理的な距離がありすぎたし、日本と違ってそもそも、支援する手段が無かったからだ。
※情勢が落ち着いた頃、新疆は冬が厳しいという話を聞いてユニクロのヒートテックグッズを送ってあげた。
腕を刺された男性は、後日傷を見せてもらった。痛々しかった。でも命があって良かったと思った。こんなので刺されたら、普通死んじゃうわ。
http://www.koohji.com/upload/2009/4/200904111726561635.jpg
全て彼女の身近な人だったから、サンプルとしては凄く少ないのだけど、民族間対立とは、紛争とは何か、
中国という国は何かを考えさせられるには十分すぎる体験だった。
これは未だに考え続けていて、答えは見つからない。今後も考え続けるんだろう。
答えが見つかる気はしないし、誰かが答えを教えてくれる気もしない。どうしたもんかなあ。
私は以下のことについて、自明のことではないにせよアメリカ独立宣言やフランス人権宣言以来の人権概念が積み重ねてきた権利体系に基づく真実であり、日本国憲法を含め自由主義国の憲法で当然守られるべき権利であるものとみなし、ヘイトスピーチ規制はその自由に根本から抵触するものとして断固として反対する。
すなわち、英国の食事、ドイツのユーモア精神、フランスの天の邪鬼、イタリアの勤勉さ、ロシアの酔っ払い、中国の爆発、韓国の犬食、日本人のカメラ好きをジョークのネタにすることは平等に自由であるべきこと。
「在日米軍は犯罪者」を訴えるデモ、「在日朝鮮人は犯罪者」を訴えるデモ、「日本人は戦争犯罪者」を訴えるデモ、「ヨーロッパ人は侵略者」を訴えるデモは平等に自由に開催されるべきこと。
映画の中で教会を爆破すること、寺院を爆破すること、神社を爆破すること、モスクを爆破すること、孔子廟を爆破することは全て平等に自由に描かれるべきであること。
風刺画において無能な白人をサルに喩えること、無能な黒人をサルに喩えること、無能な東洋人をサルに喩えること、無能なアラブ人をサルに喩えることは平等に扱われるべきということ。
異性愛者を題材にしたポルノと、同性愛者を題材にしたポルノと、獣姦者を題材にしたポルノと、幼児性愛者を題材にしたポルノと、サディズム・マゾヒズムを題材にしたポルノは、実在の未成年が出演しておらず特定の人物をモデルにしていない限りは平等に扱われるべきこと。
以上のことについて私は自然権としての表現の自由に基づくものであることを内心の自由に基づいて信じ、言論の自由に基づいて表明する。
これまで唱えてきた「宗教の自由」の立場もあって動きが難しいらしい。
しかしそもそも
彼らには勿論自由があるけども
「ここでやるとセンセーショナルすぎるだろうから俺達が配慮してやろう」
「今日のところは自由の行使を遠慮してやろう」
という考えがあれば最初からどうという問題もなかったのではないか。
自粛があんまり行き過ぎると
自粛じゃなくなって強制力になる、軽々にはやるな、というのはわかる。
でもそれはあくまで程度問題であって、
実際に物事を動かすのは常に「惻隠」や「配慮」や「手加減」だろう?
自由や権利があったら配慮や手加減はいらないと思ってる。
むしろ自由を称揚するためには、積極的に自由を嫌がらせに使うべきだと心得てる奴までいる。
主体的に「ここは自由を行使しないでおいてやる」というオプションこそ
自由に含まれる重要要素だということがわかってない。
モスク建設反対論の薄っぺらな本音 | アメリカ | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.newsweekjapan.jp/stories/us/2010/08/post-1547.php
モスク反対論は「理不尽な感情論」「ムスリム差別」「信教の自由の侵害」であるらしい。
確かにその通りだと思うが、ちょっと自分の中で引っかかる点があった。
例えば、在韓日本人がソウル市内に神道の神社を建てたら、韓国人はどう思うのだろうか。
神道はその日本人の信仰してる宗教だから、これを韓国人が妨害したら「信教の自由の侵害」だろう。