はてなキーワード: ブロガーとは
いかがブログの増田が早速個人ブログを立ち上げていた。あの長文も短時間で一気に書いたんだろうしさすがに仕事が速い。書く速度が速い。
有名ブロガー達もそこそこの文字数の記事を短いインターバルで書いているとは常々思っていた。一方自分はとにかく書くのに時間がかかって更新が遅い。文章自体は悪くないと思うし褒められることもある。だが書くのに恐ろしい時間がかかっているのだ。書いては直し、書いては直ししないとクオリティ維持できない。自分でもアホかと馬鹿かと思うが1記事に1年以上かかったりする。それはつまり文章力がないということだ。
かつてインターネットとは好事家たちが思い思いに好きな情報を書き込んで同士たちとつながる濃い場所だった。という風によく言われている。俺がそれが正しいのかどうかは知らない。しかし今のインターネットに古のインターネット老師たちが苛立つ気持ちはわかるし、なんなら俺がそのインターネット浪士たちを苛立たせている。というのも俺はあの悪名高い「いかがでしたかブログ」を書いて生計を得ている人間だからだ。
今回はお前たちにそのインターネットになぜいかがでしたかブログが生まれるのかを俺のような木っ端ライターの立場から解説するとしよう。
まず俺のような屑ライターはクラウドソーシングサイトで仕事を探しまくる。巷ではいかがでしたかブログは0.1円で量産されていると言われているがさすがに慣れてくるとそんな案件は受けない。最低限文字単価0.8~1円くらいの仕事は厳選する。ついでにいうが一部のプロクラウドワーカーならいざしらず、普通のライターが受けられるライティングの案件はその九割がいかがでしたかブログを書くことだと思ってくれ。クラウドソーシングサイトは世界最大のいかがでしたか工場なのだ。毎秒おびただしい数のいかがでしたかを世に解き放つことを使命としているかのようだ。
すると大抵テストライティングを頼まれるので仕様書を見る。大体のライターが出くわすのは、記事に盛り込む情報量に比して文字数が多すぎるという事態だ。当たり前だ。いかがでしたか工場が考えているのはいかに最低限の情報で文字数を盛ってSEO対策のよく出来た、Googleをだまくらかすための文章をサイトに載せるかということに過ぎない。そしてGoogleをだまくらかすためにはどうも、要約すれば数百文字で済むような情報を数千文字に引き伸ばす作業が必須らしいのだ。書いている俺だってなんでこんなに長く書かなきゃならんのだと疑問だが薄めて書いたほうがまあ金になる。すまない。
そもそもいい文章というのは基本的にきちんと短くまとめることが出来てこそだ。全員が谷崎潤一郎になる必要がどこにあるというのだ?そして当然のことながら大半のいかがでしたかブログの情報量というのはその文字数の数割もあればいいほうだ。もっと短くまとめることが出来る。しかしそれは許されない。Googleを騙すためには短文で効率的に切りの良いところで文章をまとめては行けないのだ。無駄に同じ単語を使いまわし、無駄に文字数をダラダラ稼ぐことでやっといかがでしたかブログとしての価値が生まれる。
とはいえ、俺たちいかがでしたかブログライターは残念ながら無から文章を生み出せるマジシャンではない。その文章の元になる文章をどこかから手に入れなければならない。どこから手に入れるのだろうか?アンサー、Wikipediaやら他のいかがでしたかブログからだ。はっきりいうがいかがでしたかブログに書いてあることで他のブログやWikiにもっと効率よくまとめられていない情報など存在しない。当たり前だ。いかがでしたかブログとは全てがソメイヨシノ(だっけ?)のようなクローンブログなのだ。しかし、コピペでは不味いので、コピペチェッカーを騙せるギリギリくらいには表現を変える。そうして言葉の順列組み合わせによってまた新たないかがでしたかブログが生まれるというわけだ。
もちろんいかがでしたかブログはそれだけで完成するわけではない。いかがでしたかブログのあの砂を噛むような文章に誰もが辟易したことがあるだろう。はっきりいうが、書いている俺だってもちろん辟易している。しかし、いかがでしたかブログを求めるクライアントがほしいのはライターの個性などではない、ということをまず理解してほしい。一風変わった視点、ちょっと凝った言い回し、ユニークな切り口、それら全てがいかがでしたかブログには必要ない。無駄な個性を付け足されてそれがリスクになったらどう責任を取るんだ?文章の表現はきっちりですます調で決められ誰も敵にしない当たり障りのない文章で誰かとはわからない群衆の憎悪を買う、そんな体に悪いファーストフードよりやばいものがいかがでしたかブログの正体なのだ。
しかしだからこそ文章を書いたことのない素人でも書くことが出来る。文章を見る目のない素人でもその出来が判断できる。いかがでしたかブログとは普通の文章とはカテゴリー自体が異なるものなのだ。そんなもので儲かるのかだって?もちろん儲かるわけがない。少なくともライターはそうだが、多分クライアントだって事情は変わらないだろう。きちんとしたクオリティの伴うコンテンツを送り出していないのだから、短期的にはアクセス数を誤魔化せても長期的には市場自体を衰退させていく。ライターもクライアントも薄給なのだから気合など入れるはずがない。そもそも、スキマ時間にお小遣い稼ぎさえ出来たらいい主婦に向上心を求めるのはお門違いだ。そんな文章でも騙されるバカだけを見込んだ薄利多売産業がいかがでしたかブログなのだ。
恐らくこれはゲーム業界においてソシャゲなどで起きていることとパラレルだと俺は見ている。これまでのゲームや文章の面白さとは常識の異なる、数と金を搾取するためだけのシステムと化した新たなる産業がソシャゲやいかがでしたかブログなのだ。お小遣い稼ぎさえ出来たらいい主婦による市場の価格破壊も絵描きの世界では起こりうると聞いたことがある。おそらく今の日本を蝕む文化的衰退の様々な業界における共通の現れ方なのだろう。そしてそこにおける勝利者とは常にごく一部の先駆者と強者だけであり、つまるところすでに金を持っているやつだ。そうでない多くの弱者はギリギリの状態でいつまでも続くわけではないとわかっていながら血を吐きながら続ける悲しいマラソンを走り続けている。
ではそんな仕事をして俺は後悔をしているのだろうか?なにせ全く儲からず商業倫理やら文筆家としての誇りはそこにはなにもない。悔いてしかるべきだというのが真っ当な人の声だろう。しかしあえていう。俺はいかがでしたかブログの執筆者であることを後悔していない。例え薄給すぎて飯すら食えなくなったとしてもそれは変わらない。
なにせこの業界は楽だ。何も考えず物書きとしての恥も未練もなく、適当にWikipediaの言い回しを変えるだけで金が入る。何より俺を鬱にしてくるような醜い上司はいない。たとえ今より生活が楽になったとしても、直接自分を縛るようにブラック企業などに奉仕したくはなかった。それで生計を得るポーズだけは取れるのだ。いかがでしたかブログのクライアントたちも、まあ仕様の注文はうるさいが別に嫌な上司ってわけじゃない。みんな大した仕事をしてないから後腐れがない。過労死よりは餓死のほうがまあマシだ。
幸いなことに多くのいかがでしたかブロガーたちは自分に対する嫌悪の眼差しに気付いてすらいない。愚かな大衆の嫉妬だとすら思っているのだろう。そういう鼻持ちならない意識高い系がいかがでしたかブログの最上位だから自省の眼差しも生まれようがないというのは皆も覚えておいてくれ。
昔は自分の個性を出した文章でエッセイだとかコラムだとかそういうのを目指していた時期があった気がする。いや、遡れば小説だって書こうと思っていた時期があるかもしれない。しかしそんなものはもうどうでもいい。俺は文章を書く人間の一つの死骸なのだ。あとはゾンビとして肉体の維持に集中するだけでいい。そうしてまたインターネットには腐臭が満ちていく。対策はGoogleやら拡張機能開発者やらが勝手にやってくれ。まだ野心なんてもんがあるならこの文章だって匿名で書いたりなんかしないが、俺には一応クライアントたちへの義理があるのだ。表立ってばかにするのは流石にまずい。そんな計算だけはうまくなった。
さあ、こんな時間だが次のいかがでしたかブログが貯まっている。どんどん数をこなさないと、もやしすら買えない。今回のブログはいかがでしたか、今後もこの情報は要チェックですね、いかがでしたか……
どうも予想より読まれて俺の屑のような承認欲求は適度に満たされたようなので、面白いと思ったコメントにレスポンスして更にこの記事を引き伸ばしてみる。
> とはいえ昨今のGoogleさんは端的に問いに答える記事を優遇していると思うんだけど。(個人の感想)
まさしくこの記事を書くに至った動機で、アルゴリズムの改善と対策ツールにより長期的には俺のような存在は滅びていくのだと思う。ただ、「いかがでしたか」という語尾だけで排除するのは今後は対策されるだろう。俺が見ている仕様書にもこういう書き方はするなという小手先だけの指示は結構ある。しかし、問題はそもそも全体の文章と発想そのものだから小手先でいかがでしたか感が改善されるわけではないので無駄に終わっている。
>マジレスするといかがでしたかブログはライターに発注するというより自前でマネタイズするものでは?という気もする。
そう思うんだけどどういうわけか二束三文で他人にそれを頼む輩が異常に多い。構成まで作成済みのクライアントも多いのだが、ここまで構成が出来てるなら自分で書けるだろう?と俺ですら思ってしまう。
どんな商品をどういう顧客にどういう構成でどういう雰囲気の文章で勧めるか大体すでに決まっていて俺たちはその間を数百文字ずつ埋めるだけでいいのだが、ここまで考えられたら絶対自分でやったほうが安いと思うのに人に頼む辺り彼らにも謎は多い。多分そこまで書いて本文を書く段で発狂しそうになったのだろう。
>発注元は稼げるの?
>そもそもあんなの発注するやつが誰なのかって話だと思うんだけど
一概には言えないがサイトの運営などをしている弱小IT企業が多いようだ。自分が依頼するブログのジャンルを全く知らない担当者というのもいる。稼げるかという点だが、まあ弱小ゾンビ企業が自分を維持する程度には稼げているのではないだろうか。逆に言えばそれ以上の稼ぎなど基本見込めるはずがないということだ。
申し訳ない。もちろん谷崎潤一郎は引き伸ばしとは無縁だが長い文章としてぱっと思い浮かんだのが彼だったのだ。
> 生計は得ないだろw
>俺がそれが正しいのかどうかは/
冒頭からインターネット老師がインターネット浪士にすり替わる誤字と低日本語力も俺自身じゃなきゃ見逃しちゃうね!まあ勢いで書いたものだから恥ずかしいがせっかくなのでこのままにしておこう。
>こんないかがでしたかワークを個人のブログでもアフィの為にやってる人らがいる事が凄いと思う。
>その単価でブログ記事書くくらいなら自分のブログで書いた方がいいし、さらにいうなら、この増田も自分のブログで書いた方がいいよ。
あれについてはブロガー界隈でそういうノウハウを教え合っている界隈もあるし、いかがでしたかライターのうち純粋無垢な人が独立支援と称されて情報商材めいたことをやらされてることもある。Youtubeの文字動画と同じだ。ていうかクラウドソーシングサイトには文字動画の台本執筆もたまに依頼されている。ぶっちゃけいかがでしたかブログよりは単価高くて楽だから助かる。巷で言われるネトウヨネトサヨ系の政治ネタは見かけたことがないが。
俺自身がこれをブログで書くかということについては一応俺も商売人なので名前を出して世話になっているクライアントが見ているかもしれない場所で「お前ら糞だぞ!」と告発するのははばかられるから容赦してほしい。noteで有料にすればとはちょっと思ったが多分それだと全く読まれなかったと思う。……と思ったが、よく考えてみたら別に正体を隠してブログを書けばバレやしないから平気なのか?これはいい知見を得た。そのうちいかがでしたかブロガーとしてブログを作ることにしよう。「バズったので宣伝させてもらいます」しぐさというやつだ。
これはうかつだった。確かに最近のソシャゲ、スマホゲーのトップクラスのクオリティは向上している。一方いかがでしたかブログは確かに、最上位層でも糞みたいな文章しか書いていない。ごめんなさい。
いかがでしたかってまとめ段階の冒頭で使うんで実は最後には入れないんすよ……
>いかがでしたかってクライアントの指示で書いてるの?自分でつけてるの?
自分でつけてるよ。なぜつけちゃうかはブログ書いたんでクリックする時間を後悔しないならどうぞ
http://an-fans.hatenablog.com/entry/2019/03/16/143528
>生活のリアルの前に人間の矜持が屈する。資本主義のもっとも悪しき側面を見た気がする。自分の書いてる無意味な駄文ブログもこれに比べるとマシだとむしろ勇気づけられる。低みに引っ張る引力スゲーなネット。
俺の記事を読んでこんなやつより俺のほうがマシだと自尊心を保ってくれる、俺を見下すことで日々を生きる糧が得られるのだとしたら書いている人間としてこれほど嬉しいことはない。まだ若い人たちはそう思えるだけ本当に未来があるのだと勇気を抱いてほしい。
それより何より、ブコメの論調の厳しさにうんざりとしている。服装に関して、別にジャージだの平生の着の身着のままでお見合いに行こうって誰も考えてないと思うんだよ。
就活だったらさパンツスーツもありじゃない? 近年、ことさらにスカートで行くことを求める方が頭おかしいんじゃない? って感じじゃないすか。
でも元記事のブロガーさんは「パンツルックはやめろ、スカートを履け」「紺だカーキだのオシャレな色使いは求めてない。ダサピンク上等」くらいのことは別記事で言ってるんだよね(多少意訳はあるが)。
決して「小綺麗であればそれでいい」とは言っていない。
であるとしたら
友人と会う時だって、家でごろごろしている素の自分よりは格好も態度も整えて行くけど、友人をだまし討ちしているとは思わないだろう。
場に合った服装や振る舞いをしましょうというプロトコルの問題で、中身を偽れとは誰も言ってないんだよ。そんな認識だから結婚したいとも思えないんだろうけど。
なんていうブコメはまるで見当違いもいいところだと思う。「そんな認識だから」ってなんだ。
いや、ほんとに、消耗する人は消耗するんだよ。スカートを履いて、可愛らしく、“女の子”らしく……そういう服装をすることがさ。(わたしはコスプレ感覚で結構楽しめてしまうんだけど)
それは瑣末な問題で、けれど象徴的な問題でもあるんじゃないか。すり減らすものをすり減らさなければたどり着けないもの、それが「結婚」なら、と絶望してしまう人をこき下ろしていいとは決して思えない。
寝る前に確認してみたら、なんかはてブトップで扱われててブルってる(しかもなぜか「仕事・就職特集」)。
10bkmそこそこで胃に来てしまう、隠キャ系アカウントがこちらでございます。
・元記事のブロガーさんを間違っているとは思わない。相手はプロなんだし見てきてる数が違うから、それが真理なのだろうなあ、とは思ってる。大元の女子会増田に対しては「綺麗事言ってて腹が膨れるのか」とも思う。その門をくぐろうと言うならばそれなりの覚悟が必要だろう、というマッチョイズムはわたしの中にもある(映像の世界で10年も生きてるとそうなる)。
ただ、この記事の元増田の人がブクマであまりにも叩かれてて不憫に思った(穏当な文調だしそこまで叩かれるような内容ではないだろうと思った)のと、そういう風に思ったことを忘れないようにしておこうと書いた、だけのつもり、が…。
元増田についたブクマの目立つものが服装に関することだったので、「(元増田は)別にジャージだの小汚い格好も“ありのままとして受け止めて”って書いてるわけじゃねえのになあ,、なんでそこに固執するんだろう」と思い、そこばっかりを軸として(主に批判的なことを)書いているけれど、自分(増田)自身について言えば服装は本当に瑣末な問題だと思ってる。ただ、それを瑣末な問題だと笑って流せない人間もいるぜ、ということにも触れてはおこうと思った。そして一事が万事、というのか「結婚」というコアから最も遠いところにあるこの(元増田が問題にした)「服装」だったり(女子会増田が問題にした)「女子会を断つ」という、人からすれば「どーでもいい与太話」が「婚活」というアクティビティ全体のありようを象徴しているような気がした(ここに、非当事者のわたしの偏見が大いに混ざっていることは否定しない)。
【再追記(3/7 02:50)】
『それが「結婚」なら、と絶望してしまう人をこき下ろしていいとは決して思えない。』の「こき下ろす」主体が曖昧だからああだこうだ言われるのかなと思い付け加えると、
この主体は「某仲人さん」のことではありませんよ。(事実、女子会増田のことをこき下ろすでもなく、こんな記事を書いている。http://urx2.nu/pGVS)
だから、あのブログは結婚相談所の仲人さんが仕事で書いてるんだってば。あの人は結婚という目標を持ってくる人の目標を達成させるプロなの。人生一般の話とか結婚願望ない人の幸せの話とかしてないの。わかる?
元増田に付いたブコメ。こんなん、控えめに言っても「こき下ろす」としか表現できないのでは?
「婚活」って、それを商材として働いている人、そのサービスを利用する人、だけが当事者ではないと思うんだよ。「結婚」っていう目的それ自体は、どんな道をたどるかは人それぞれにして、誰にも関わる可能性がある(増田自身は結婚願望云々の以前に諸事情あり難しいので「非当事者」だと思っているが)。人生一般と「結婚」って、どこからどこまでがどう、ってそこまで明確にゾーニングはできないよ。だから、元増田のように「疑問なんだけど〜」くらいのノリで「婚活」「結婚」を話題にするのも全然、アリだと思うんだ。むしろもっとやれ。
それを一方的に萎縮させかねないようなブコメを問題にしている。
【再追記(3/7 07:00)】
kuzudokuzu んー追記を重ねる人は、やっぱり個人的にちょっと自尊心が大きいようだなと感じてしまう。
確かに尊大なポンコツだとは自分でも思う。ご指摘は当たっていると思います。
けれど、それ以上に「不明瞭な思考・感情を言葉にしたい」という欲望が強すぎて、あとから湧いてくる言葉を継ぎ足し継ぎ足し何度も調整を繰り返してしまうのだと思う。
そんなご指摘もあり、これ以上は書くまい、と思っていたけれど、
最後に個人的にお礼を申し述べたいブコメがあったので、それだけは書いておきたく公共のリソースをさらに浪費する。
(あとで個人のブログに書くとしてそこは超どマイナーブログだから、やはりこの場で書いておきたいのだと)
naqtn 言葉数多く「~ではない。でしょ?」と否定と同意の求めは言うが、自分の主張「~である」とその論理の提示「~ならば~なので」がクリアーにされていないがゆえに不本意な応答を受け、結果無益に対話が崩壊してる
おっしゃる通りです。自分自身、今朝方読み返して「0点だな」と思った。自分の主張が文頭に来てないから、何が争点なのか全く理解できない破綻を起こしているのだと思う。
◯「この記事の元増田」(http://urx2.nu/0aYS)に対しての賛同を述べたかったということ(ブクマでやっても良かったけど、100字にまとまりそうになかった)と
□それに対するブコメ(主に人気の方に表示されるものだけど)に対して「いやいや、それは当たってないし、そもなんで(元増田が)そんな攻撃されなければならないのか」というブーイングを送りたかった
ということにある。
なので元記事のブロガーさんに敵意があるわけではないし、その主張に関しては概ね賛同する。これは、自分自身のプロ観とほぼ一致するからだ。顧客のニーズに対し全力でそれを叶えようとする姿は控えめに言っても誠実さがある。
そう思っている片方で、割り切れない思いもある。これは社会生活一般における極私的な自分の心情。
それで、この文章で試みたことは「そう。正しい--とはいえ…ね」という自分の心情の中にある「…ね」という非常にもやもやしたところを「言葉」という舞台に引きずり出すことだったのだけど、それは完全に悪手だったと反省している。
まずそれは、自分の個人的好奇心、探究心をベースにしたことで、主張「◯」とも「□」とも関連しない。その道筋も荒くて丁寧ではない。だから論として非常に不明瞭なものになり、全体の破綻を招いた。盛り込むべきではなかった。
果たして、当初の目的を叶えることはできたのだろうか。それだけが気がかり。
私は結婚願望はない(これは自分がマイノリティ寄りの人間であることや、自分の両親を見て感じたことに起因するので)けれど、だからこそ結婚したい人というか一般の考えとか感覚を知りたかったというか疑問に思っただけです。読みなおしたら口悪すぎるな。気を悪くさせてしまったらごめんなさい。そもそも結婚願望わからない人間が首を突っ込むもんじゃなかったね。思いかえせば就活のときも適合するのに苦労しまくったから社会生活に向いてない。
などと気を揉む必要はない。好きなこと言って、好きなように生きようぜ。と伝えたいだけだった。
ハーバーなんちゃらっていうからついハーバード大学のイメージで権威あるメディアに見えるかもしれないが、元はてなブロガーの言葉を借りればこれが「錯覚資産」という奴ですね。
お、いいね。ひょっとしてyoutuberとかブロガーみたいに経験をコンテンツにする商売やってれば、ガンガン経費にすれば実質払うべき税金で遊んだりできんのかな
橘なんちゃらさんね
今度ブックオフで漁ってみるわ
妻は出会う前からブロガーでそこそこの読者を持っていたが、結婚出産後ツイッターで子育て上の愚痴のようなものを盛んにつぶやくようになってからフォロワーが飛躍的に増えた。今では一万人以上いる。インフルエンサーといってもインスタで何万人もフォロワーがついているようなのには及ばないが、ツイッターでは数千RTになることも頻繁にあるうえ、質問箱を開設すればほとんどファンレターのような質問がそれなりにくるし、子育て系ネットメディアから寄稿の誘いも受けた。
妻は昔からエゴサに熱心だしそれこそふぁぼったー(大変お世話になりました)を見ない日はないタイプだったけれど、フォロワーが増えてからも一層それに熱心になり、ツイッターは基本毎日更新、最近はインスタにも力を入れはじめている。
妻がよろこんでるのは悪くないし、私自身妻とはネットを通じて知り合ったので妻のそういう性向を否定するつもりはないが、最近、つぶやきに小さな嘘が混ざることが気になるようになってきた。
ツイッターでの妻の芸風は、人生における自分の選択がいかに正しく参考になるものであるかということを、ネット受けしそうな自虐を混ぜることで嫌味にならないように表現するといったところなのだが、結婚当初から夫である私のこともツイッター上で、時には自虐的、時には自慢気に表現しており私の子緒をおもしろおかしく書くこと自体は構わないのだが、事実に反することを書かれると気になる。
妻のツイッターを見ると家庭内のちょっとしたこともかなり盛って表現していて、妻のことは愛しているから人間性を疑うわけではないんだけど、子供や夫(私)のことでこれ以上嘘が増えるとちょっときつい。
それに、妻がネットで自分の選択は間違ってなかった(仕事、引っ越し、結婚、子育ての方法)と書くとき、そばにいる私はそれが妻の抱えているいろんなコンプレックスの裏返しであることに気づいてしまった。インターネットに描いた虚像による承認がもしなかったら、妻はどうなってしまうのか。
結論から言うと、かなりの確率で、収入の大小にかかわらず広告やアフィリエイトやっていると商用利用と見做される。だから、広告貼ってアフィリエイトブログやっている人は、自分のやっている事が商用利用、営利行為だという前提で色々と動くべきだと思う。知ってさえいれば対処はいくらでもできるし。
たとえば、ソフトウエアライセンスなどには商用利用を禁止した上で安価に販売しているものがあるけど(アカデミック版とか)、そう言うのを使って広告やアフィリエイトを貼ったブログやそのネタを作るとライセンス違反になっちゃったりする。
ちょっと前に、画像引用/転載/流用の件について色々と言われている件あったよね。ちょっと気になって調べてみた。
と言う見解が多く見られる。けど、これは結論から言うと間違いだと思う。一般には通用しない。ネット民、それも、サイト経営などをやっている人が多いとされるはてな周辺における感覚のズレだと思う。
いろいろな所の規約を調べたけど、収入を得る契約の広告(アフィリエイトを含む)があれば商用利用、営利で、少量で個人なら営利目的で無い、とする一般的な根拠は出てこなかった。ふわっとしたイメージによる解釈だと危険。
一応ネットで創作活動をしている1人として、自衛のためにどうするべきかを考えたって話です。
どちらの主張を支持するとかではありません。それから、どこまでが引用か、と言う話についても別ね。
まず「商用利用」の辞書的な、そして一般的な法律用語的な意味を調べると
「営利を追求して同種の行為を反復継続する活動」(大辞林より)のための利用、と言うことでよさそう。そして事業規模の大小が問題になるケースはある様だけど、基本的には旅館業法など、特定の法律を解釈するときに使われる例外っぽい。
辞書で調べると
とある。このまた「商用」とは
② 商業上用いること。
ここで気付くのは
というところ。
で、法律で言うところの営業とは?と調べると、こんなページが出てきた。
【業法の『業・事業・営業』の基本的な解釈(反復継続意思・事業規模・不特定多数)】
ざっとまとめると
営利とは「金銭的な利益を得ようとすること」で「反復継続性がある」と言うのは、例えば知り合いに頼まれたから100円で買った物を1000円で売った、みたいなのは「業」にならない、と言うことのよう。
で、広告収入やアフィリエイトは「金銭的な収益をえる」ための契約そのものだし、違う目的のために広告が必須と言うケースは少ないと思うので営利目的そのものだ。設置したらそのまま継続的に行うものなので、素直に判断すると商用ってことで解釈は固いと思う。
ただ、ここで「事業規模で判断する」と言う場合もあるらしい。これは民泊の解釈で出てくるものらしいのだけど、地方で大きなイベントをやるときに、年に数回、地元農家がお金をいただいて旅行客を泊める、と言う場合も旅行業法や民泊関連の許可が必要なのか? と言う場合には「社会通念的に考えて」営業では無い、と判断するらしい。ただ、古物営業法みたいに一回でもやったら営利だという厳しい解釈もあってよくわからない。
著作権法で、そのままずばりの商用の定義はない。ただ、営利という概念は出て来る。そして、やっぱり事業の大小は出てこないので、広告やアフィリエイトを貼ったら駄目そう。
公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。
まずは前項で説明した「営利」の考え方をそのまま流用できそうなのと、さらに「営利を目的としない上映等」として「営利」とそれ以降を分離せず条件として扱っているケースが多いっぽい。
ということで、この解釈でも金額の大小とか、実施している人が個人である場合は可、といった解釈はでてこず、営利、あるいは金銭の授受の有無のみになっているので、広告を貼っている、アフィリエイトをやっている、と言う事は商用とみて良いと思われる。
ちなみにこれ、結構問題になるやつ。これ山ほど判例があって、かなり厳格に解釈されていてめんどくさい奴です。
https://business.bengo4.com/practices/517
イベントなんかする人は気をつけてくれ。ほぼ身内だけだけど会場費にするからと実費で入場料とったりするとひっかかる
「運営費にするので、目標お一人300円募金ご協力お願いします」と紙を貼って箱置いておくのは問題無いらしい。
これも、上記法律の解釈論と同じ。広告やアフィリエイトは営業。広告やアフィリエイトを貼ったら駄目そう。
国税局はそれが商用なのかそうじゃないのかとかはあんまり関係なく、金が入ったらちゃんと申告して払え、と言うスタンスっぽい。
利益を得る目的で、同種の行為を継続的、反復的に行うことをいいます。営利目的がある限り、現実に利益を得ることができなかったとしても、また、当初、継続、反復の意思がある限り、1回でやめたとしても営業に該当します。
と言うわけで、上記法律の解釈論と同じ。広告やアフィリエイトは営業であり、ただこちらでは「事業規模」という概念が全く出てこない所がポイントっぽい。
ちなみに、このページは印紙税法に関連する文脈からの質問なので、そのあと商法上の解釈について踏み込んでいくけどそこはちょっと話が違うようだ。
この他に、NPO法人や一般社団法人の「収益事業」ってやつの解釈を見たんだけど、こっちはあんまり参考になりそうに無かった。定型的に上げられた業務に入っていれば収益事業で納税対象、そうじゃなけりゃいらん、みたいな感じでNPO法人以外には適応できそうにない。
ただ、ここでNPO法人の場合いくらアフィリエイトをやっても納税対象にはならないっぽい解釈をみつけて、そういえば最近やたらとNPO法人がやっているアフィリエイトブログみるのはこのせいなのかなとか、これはこれで調べるとおもしろそう。
みんな大好きWeb上のパブリックエネミーでお馴染みJASRACはこう定義していて、何らかの収入があれば営利目的と明確に書いている。
情報料または広告料等収入を得て行う配信、および収入の有無にかかわらず営利を目的とする者が行う配信をいいます。
※非営利団体または個人の方が、広告収入のみを得てダウンロード配信を行う場合は、例外的に非商用配信の取扱いとなります(商用配信の特例)。
ポイントは「何らかの収入があるWebサイトでの音楽利用」は商用配信だが「個人の人が広告のみなら特例で非商用扱いにする」と言うこと。だからどちらにしても、広告あり、アフィリエイトありは商用利用になるみたいだ。
JASRACの規約は文化庁に届け出て認可を得るものなので、法解釈よりも営利目的の範囲が広いということはあまり考えられないのもちょっと頭においておくといい。
新聞や一部の雑誌などをコピーする時にまとめて窓口になってくれる団体。
いろいろと調べたのだが、ここはそもそも「私的利用の範囲に含まれないのならば、金を払え」というスタンスのようで、非営利だろうと営利だろうと個人だろうと、料金の別の区分がないようだった。ボリューム割引はあるようだけど。
著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。
と言うことになるんだけど、この解釈では「利益を得ようとして複製したら個人的利用では無い」という解釈が普通。たとえば「限られた範囲」というのは、数人のグループのよく知った仲間うち、みたいなのも含まれるらしいのだが、そこで無料で配るならともかく、その中であっても金をとったら私的複製の範囲から超えるようだ。ここでも金額の大小は出てこない。
実際にはWebに不特定多数で上げた時点で私的利用じゃないんで、こんなシーンが実在するかわからんけども、商用利用とはどう解釈されるか?と言うがかりとして。
MicrosoftのLicenseの中には「商用利用権」という概念があって述べている。ここも「営利を得る事を目的」としていて、個人などに対して特例を儲けてない。
例えばOfficeなどは、Academic版などを買うと商用利用権がついてこない。これに関連して定義を確認すると
商用利用とは
と定義している。ここで、素直に読むと「収益を得る事を目的」たとえば「少額なら」とか「個人利用ならよい」という様な概念はない。
アフィリエイト契約は明らかに収益を得る目的になるので、営利目的とされるっぽい。
そのほかいろいろな所を確認してみたけども、少額、あるいは広告収入のみの場合は商用利用とみなさないと言う規約がある所は見当たらなかった。いや、昔はそう言う規約があった記憶があるのだけれど、見当たらない。だれか見かけたら教えて欲しい。
Webが広告収入を中心に莫大な利益を上げる時代になった今、そのような例外事項は時代遅れと見做されているみたいだった。
クリエイティブコモンズライセンスにはND,非営利のみ許可というライセンスが存在する。で、これは非営利の定義が出てきて営利を「主たる目的としない」場合には非営利とみなすことができそうだけどわざわざ特別にそうしているみたい。
「非営利」とは、商業的な利得や金銭的報酬を、主たる目的とせず、それらに主に向けられてもいないことを意味します。本パブリック・ライセンスにおいては、デジタル・ファイル共有または類似した手段による、ライセンス対象物と、著作権およびそれに類する権利の対象となるその他のマテリアルとの交換は、その交換に関連して金銭的報酬の支払いがない場合は、非営利に該当します。
ここでようやく「商業的な利得や金銭的報酬を、主たる目的とせず、それらに主に向けられてもいないこと」と言う解釈が出てきている。おお、ついに、と思ったのだが、これについてこういう解説記事がある。
https://wiki.creativecommons.org/wiki/NonCommercial_interpretation
ざっくり言うと、意図的に柔軟に緩く解釈ができるようにしてある、グレーの領域が多くて解釈には議論がある、と言う事が書いてある。
つまり一般的な解釈だと厳格になるから、CCではわざと緩くした、と言う事のようだ。だからこの解釈は一般的な非商用の考え方として適用は出来ないと思われる。
この他に、他の解釈では、一般的に営利団体にいる上で使用すると営利だと言う所は揺るがないのだが、ここでは営利団体にいても使用する行為が営利で無ければ使える、と書かれていたりするので、ちょっと特殊っぽい。
ただ、最終的に迷ったらNCが付いてない奴にしといた方がいいよ、とも言われている。
広告収入がごく僅かしか無い私のようなブロガーは、広告剥を剥がした方が色々と面倒が無くてよさそう。
それらと違って門戸広いわりに本当に文字通り教科書読めば、究極的には1年くらいで誰でもできるような仕事がホワイトなわけないでしょ、適正な市場原理
はてなやSNSで意識高いこと言ってる胡散臭いエンジニアが十何年も喚き散らしてる「IPAの国家資格なんて役に立たない」っていうののあれ
コンピュータ科学は難しいとか高度っていったって、IPAスキル4まで計画的な勉強時間取れば、はてなの意識高い系の主要層っぽい高卒や専門のバカだって運の要素を抜きにしたとしても、最短1年でとれるからな(前期APで午前免除でPMとか)
FEとかやたらバカにされてるけど、じゃあアンタFE持ってんの?ないなら今年取れるよね?簡単ならっていうと発狂して取り巻きファンネルでセコい叩き始めるでしょ、業界通のブロガーエンジニアとかw
ぶっちゃけて言えば、金にならないクソみたいな学問分野でも教養2年、専攻2年で4年学んで、研究して卒論だして、ようやく入り口に立てるくらいというのに、CSとか全然そんなことないっしょ?象牙の塔でやってるCSに関しては、そりゃ凄いと思うけど、在野のカスがいくら喚いたって、IT後進国なんだから、OSSなんて誰でも見れるようなコアコンピタンスでさえない技術を極めて、金になると思ってんの?
こういう構造に気が付かないと本質が見えてこないし、聞こえない見えない主語がでかいって不安感抱えて喚き続けた結果が、今のIT業界なの、おわかり?
と思って書いている。
対象読者はみんなではなく、10年後に見つけてくれるたった一人だけ。
だから、書いた直後に何の反応も無くてもまったく気にしないし、
反応は無いのが当たり前。
でも、近い将来、自分と同じ気持ち・境遇・状況になった人がグーグルで検索して
見つけてくれて、その人の役に立ったならそれで十分だから。
そう思って書き続けること3年余りで記事数が1000を超えたら、
いつの間にか毎日3千人くらいが見に来てくれるブログになってました。
才能で勝ちあがれなかったら、物量で勝て。