はてなキーワード: 障害者手帳とは
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねえのかよ。
聴覚障害者は働くなってか?
どうすんだよ俺活躍出来ねえじゃねえか。
だって、一番下の聴覚障害者の判定基準が、「両耳の聴力レベルが70dB以上のもの」、あるいは「一側耳の聴力レベルが90dB以上、他側耳の聴力レベルが50dB以上のもの」、だぜ?
右耳が55dB・左耳が60dBで補聴器を装用してる俺は障害者手帳の認定が降りない。
おかげで補聴器買うための補助金が出ないし、障害者枠での就活もできないから健常者に混じって就活しなければならない。
ふざけんな日本。
こんなことを言うと、「聴覚障害を持ってても立派に働いてる人がいる」みたいなことを言い出す奴が出てくるよな。そもそもこんなことを言う奴は聴覚障害者なのかよ。お前に苦しみが分かるのかよ。
それに「障害を言い訳に努力してこなかったからだろ。就職できないのは自業自得」みたいなことを言う奴にも言わせてもらうけど、難聴のハンデ背負っても部活に勉強に努力してきたわ。レギュラー勝ち取って、国立大学入ってやったよ。ところがいざ就活始めてみると、障害者手帳のない俺は敬遠されるじゃねえか。
「聴覚障害をお持ちなんですね。障害者手帳を取得して障害者枠で受けにいらして下さい」じゃねえよ。そもそも取得すらできねえんだよ死ね。
このゴミみてえな障害者手帳の判定基準をさっさと改善しろ。スウェーデンは40dB以上、アメリカが30dB以上、デンマークに至っては20dB以上が聴覚障害者とみなされるのに、何で日本だけこんなに厳しいんだよ。先進国じゃねえのかよ。
まず前提としてのスペックに触れておく。
・三十路
・男
見て分かる通りのクソ雑魚ナメクジだけど、大変有難いことに両親は何も言ってこない放置っぷり。
しかしさすがにこのままじゃマズイという危機感もあり、ここらで人並みの人生に近づいてみようかと思った。
要するにやりたいことは下記の3つ。
① 彼女作ってお付き合いをしたい。
③ 一人暮らしをしたい。
まず一番やりたいことは①であるが、無職で実家無職の三十路じゃ誰にも相手にされないことが推測されるのでとりあえず②就職をしなければならない。
だが実際に行動するには苦労が伴うことが予想される。今までの人生を振り返って自分で見たくもない過去を他人に見せるために履歴書作成したり、
仕事なんてせずにのんびりダラダラ過ごしていたいのに、やる気アピールをする職務経歴書作ったり、
面接に落ちる度に心が折れて一週間程度の休養が必要になったり、まあそんな必死こいた就職活動を経て就職を決めることができたと仮定する。
そうしたらこのタイミングで③一人暮らしを始める。これは就職決定から勤務開始までの猶予期間中に実施しなければならない。
この猶予期間をどれだけ取得できるかは会社との交渉が必要となり、大変に面倒なことが予想される。
引っ越しなんて働き始めてから適当なタイミングですれば良いじゃないかと囁く声もどこからか聞こえては来るのだが、
この会社が糞ブラックだった場合、そんなことをしている身体的かつ精神的余裕がなくなるため専念する期間が必要となるのだ。
私の脳の作業領域が狭く、マルチタスクを苦手としていることも原因ではある。
何とか猶予期間を勝ち取ることができ、さらに引っ越しも無事に完了したとする。
そうしたらとうとう①彼女作りを始めたいと思うが、これに至っては何をどうやっていいのかすら見当もつかない。
二次元恋愛シミュレーションゲームぐらいしか参考にするものがない、恋愛経験なしの三十路童貞にとっては完全に未知の領域となっている。
そんなところまで考えて思ったのが生きるの面倒くせえなあってこと。
みんなこんな面倒なことやってて凄いなあ。
それともみんなはこんな面倒なことだと感じずにフツーにできてるんだろうか。
例えば俺が精神障害で、他の人とは違って頭がおかしいってことなんだろうか。
でも精神科に行って障害者認定されたところで別に何も得しないからなあ。
障害者手帳とか貰って、障害者枠で就職して、結婚とかできるか?
そんな障害者を旦那にした女の人は可哀想だろ。差別とか偏見とか言われるかもしれないけどさ。
あーあ、俺って何がしたいんだっけ。
でも無理なんだよな。
あーあ、生きるの面倒くせえなあ。
タイトルについては、いろいろな人の意見があるだろうから何も言わない。
ただ、「障害者手帳を申請」というのはチャレンジして欲しい。申請を完了しなくてもいい。
諦めず、もう少しチャレンジしてみてください。
障害を持って産まれて来てしまった俺は、学校にも馴染めず、いじめられ、進学も就職も失敗した。
子供の頃は、なぜこんなに周りと違うのが悲しくて仕方が無かったし親を恨み自分を恨んだ。
親に迷惑を掛けては駄目だ、恥ずかしいと100近く受けたがやはり受からず、最後に受かった企業は奴隷のようなブラック企業。
障害が有る俺は、長時間労働をする事が出来ずに辞めさせられた。
障害者手帳を申請しようにも父親にそんな事をするな!と怒鳴られ断念。
産まれて来たく無かった。
今後、こんな思いをする人が居なくなるように、障害の有る子供は堕胎して欲しい。
そして産まれて来てしまった障害者のために安楽死を導入して早く楽にさせて欲しい。
俺は、友人もできない、恋人も作れない、結婚もできない、まともに働くことすらできない。
きっと本当にどうしようも無くなり30半ばで首を吊って死ぬのだろう。
なぜなら本人がツライから。
優しくされたところで一瞬の同情だから。
俺は障害者であるからこそ、必ず出生前検査をして欲しいし堕胎を躊躇しないで欲しいと思う。
今後続く本人の苦しみを押し付けないで欲しい。
一浪の末東京の国立大学に入学したまでは良かったが、そこからがダメだった。統合失調症を発症したのだ。
『首を切れ』という幻聴がガンガン頭に響く中での勉強は結構無理があった。病院に通い薬を飲みながら大学生活を送り、6年かかって卒業した。
卒業後はそのまま東京で一人暮らしは続けられないと判断し、実家に帰り小さな地元企業に就職した。しかし、薬のおかげで幻聴はだいたい治まっていたが、うつ病のようになる陰性症状が強く出てしまい、1ヶ月ももたずに会社を辞めた。
それから約2年、ひたすら寝て過ごした。起きていると体がだるく、心は重く、絶望しかしなかったので病院に通う以外はとにかく寝ていた。この先どうなるかなんて考える余裕はなかった。
しかし、2年のうちに陰性症状もだいぶ治まってきて、パートに出るだけの気力が湧いてきた。週3回のパートから始めて、2年弱。フルタイムでも働けそうなくらいに回復したので、正社員の職に転職した。
その頃には、正直調子に乗っていた。もう統合失調症は治った!なのになんでまだ薬を飲み続けなければならないんだ!そう思い、勝手に断薬してしまった。統合失調症は治ったかのように見えても再発率が非常に高く、それを防止するために薬を飲み続けなければならない病気だ。それを知識としては知ってたのに、わかっていなかった。結果、自殺未遂を起こし精神病院に入院。会社は自己都合で退職した。この時点で30歳。退院し、精神の障害者手帳をとったが再就職先はなかなか決まらず、どうして人生こうなったのか、それを考え続ける日々が続いた。
そんな悩みをSNSに投稿したところ、大学時代の先輩が手を差し伸べてくれた。そして久々に会いましょうとの話になり、お付き合いを始めることになって、結婚した。今では専業主婦である。
もし夫がいなければ、あのまま老いた両親の元で働くこともろくにできずに歳をとり、生活保護になっていたかもしれない。そんな外れたレールから、持病持ちの専業主婦という(たぶん)普通の生活に戻ってこれた。
自分は特別運が良かっただけだ、本当にそうとしか思えない。全てはたまたま大学で夫に出会えた、この一点だけである。夫には、どれだけ感謝を尽くしても尽くし足りない。
人より駄目なところ
・過去の引きこもり歴、6年。(家の敷地外にはまったく出なかった)
・今年に入ってとうとう体重が100kg越えた。(高校生のころは50kgなかった)
・せっかく入った国立大を中退、というなんともおそまつな最終学歴。(てか高卒)
・もちろん、働いた経験はなし。(大学通ってたころにバイトしただけ)
人よりちょっと優れてるかもしれないところ。
・普通の人に比べると、昔から本が好きでよく読んでいる。(小説がほとんどだけど、月に50冊くらい)
・顔立ちはそんなに悪くないし、若く見られる。(痩せてた頃はもてたし、某雑誌で読者モデルをしてたこともある。ただ、薬の副作用で太ったのでどうしたら痩せるかわからない)
・家事全般がだいたいできる。(引きこもってた間、ずっと家事全部やってたから)
・性格が優しい。(単に気が弱いだけかもしれない)
・遠距離だけど彼氏いる。(ネガってばかりいるからときどき怒らせる。いつ別れを切り出されるかわからない)
(´・ω・`)・・・。
どうしたら、自分に自信が持てるようになるのだろう。
手っ取り早く容姿から改善しようと思ってダイエットしてるけど、成果でない。今は1日1200kcal、週2回プール通い、毎日家で筋トレ・ストレッチしてるけどまったく痩せない。精神系の薬(セロクエルとかジプレキサとか)飲みながらダイエットに成功した人いる? いたらどうやって痩せたか教えてほしい。
彼氏とはネットで知り合った。9年くらいの付き合いになる。でも遠距離だから、浮気されてるかもしれない。今は月に1回くらい会うけど、こんな体だから一緒に歩くの恥ずかしいんじゃないかなと思ってる。通話は毎日する。
若く見られるといっても実際にはアラフォーだし、未来ないし、どうしようもない気がしてならない。
なんとかしたい、と思いながら、どうしたらいいんだろう、と立ち止まってしまう。
平成28年3月14日、特別養護老人ホームに入所していた認知症の叔母さん(父方)が亡くなりました。齢90歳。
叔母さんからみて、兄の子である私がひとりでこの叔母に関する全てを執り行ない、総額42,360円の支出のみで完璧に満足のできる葬儀が出来ました。
本日様々な手続きを含めて全てが終わったので記録として書いておきます。
もしかすると家族葬の費用をかけずに行いたい方には参考となるかも(?)しれません。
隣接した岐阜県に私は現在居住しています(実家には車で高速道を使って約2時間30分の距離)。
老人ホームに居たのは私の父の妹で、結婚はしていましたが旦那は既に他界、子供は居ませんでした。
旦那の両親も兄弟も他界して、その旦那の兄弟には子供が居る模様(不明)。
叔母の兄弟は3人。上から順に姉(他界)、私の父(他界)、叔母。他界した姉さんには女1人と男4人の子供がいます。叔母さんから見て、その5人は私と同じく姪とか甥にあたるわけですが、今も健在。 姪とか甥は全部で6人居てそのうち1人が私というわけです(私が最年少)。
叔母は旦那の他界後に体調を崩して富山県内の老人ホームに入所しましたが、その時に保証人となっていたのが私の父でした。
父の他界後は母が時々面会に行っていましたが、母は高齢で運転免許もないので、私が父の後を引き継ぐ形で叔母の保証人になっていました。
入所後は月に1回くらい母と私で施設に面会に行く程度。従兄弟や友人が面会に来たという話は施設の職員の方に聞いてもほぼ皆無。
そんな叔母さんが「食事を充分に摂れなくなった」と施設から連絡を受けたのが今月の初め。
施設に行くと、「食事が自分で摂れなくなったので"胃ろう"にしますか?それとも"点滴処置"を希望されますか?またはこのまま看取り介護に移行しますか?」と選択を迫られることに。
"胃ろう"なんて造っちゃったらまた数年生存してしまうかもしれません。それで元気になるのであればいいのですけど、既に認知症が悪化していて先はありません。点滴したとしても数週間生存が延びるだけです。施設の順番待ちの方も沢山いますし、これ以上税金が叔母さんに使われるのはかなり躊躇われます。
「看取り介護にしてください」と、迷わず伝えました。この時点で全て自分の責任と判断で進めることにします。
さて、ここで叔母さんの余命はあと2週間程度であろうと推測。そうなると近いうちに葬儀の準備が必要となります。
以前私の父が亡くなったときには普通に葬儀を行いましたので150万円ほどかかりましたが、叔母さんは長く施設に入っていましたし、面会者も私と母以外に全くいませんでしたから家族葬で充分です。なお、叔母さんは認知症でありながらも面会毎に「私が死んでも葬式は要らないからね」といつも言っていたのですけども。
まずはネットで検索してみます。業者を使うと直葬(火葬のみ)で10.8万円とかのプランもありましたが、叔母さんが以前から檀家であるお寺が存在していることを聞いていましたし、せめてそちらのお坊さんにお経だけは読んでもらおうと考えました。
(激安のプランって結局「霊安室別レンタル時間料金」とか、「搬送は10km以内でそれ以上は激割り増し料金」だとか、「エンゼルケアは完全別料金」とかどんどん高額にならざるを得ないシステムなので要注意です)
次にネット検索で棺を購入します。直葬セット6点セット(棺(折りたたみ式)、白布団、仏衣、骨壷6寸、骨箱、顔あて布)というものが送料込み27,600円。早速注文して実家に送ってもらいました。amazonでも18,000円とかで棺が売っていましたが(笑)、実家に大きな棺をそのまま何日も置いておくのも嫌でしたのでそちらの折りたたみ式のものを選択。
その後は私も普通に職場で仕事をしていましたが、「叔母さんが亡くなったら自分が喪主となる予定ですのでその時はすぐに休暇ください!」と職場ではアピールをしておきました。
そして、3月14日17時すぎ、施設から「亡くなられました」と電話がかかってきました。私のスイッチが入ります。
すぐに実家近くのレンタカー屋さんに電話し、ハイエースバンを予約。死亡から24時間は火葬することが出来ないため、その翌日17時ではすでに火葬場は時間外となります。ですので、火葬はさらに次の日になるはずだと判断して48時間借りることにしました。
車で帰宅途中にレンタカー屋さんに直行、実家に帰ったときはすでに21時を廻っていました。
借りたハイエースバンに届いていた棺一式を載せ、母と一緒に老人ホームに向かいます。
ところで、以前父が亡くなったときに家族の前で葬儀屋さんが身体を拭いたり仏衣を着せたりするのを私は見ていたのですが、当時その行為にものすごく違和感を感じていましたので、次に自分が執り行う葬儀の場合は全部自分ひとりでエンゼルケア(死後の処置・湯灌)や納棺を行おうと心に決めていました。
22時頃に施設に到着。職員の方に「私がエンゼルケアをしますので部屋は私一人にしてください!」と宣言し、「葬儀屋さんは呼ばれないのですかっ?!」と職員さんに驚かれつつ、エンゼルケア中は母にも外で待機してもらいます。
叔母さんはずっと食べていなかったので排泄物はほとんどないはず。身体を拭き、準備しておいた紙おむつを履かせました。あとは購入した白装束を着せて手を組み、数珠を持たせます。
お化粧もしてあげました。アイラインを引き、チークを入れてリップも塗ります。
叔母さん、とても可愛くなりました。お化粧なんて施設入所してからしていないもんね。
亡くなってはいますが、ちゃんとお話をしながらお世話出来たことが私にはとても満足でした。
痩せて小さな方なのでなんとかお姫様抱っこで棺に収めます。「終わりました!」施設職員の方々に手伝ってもらい、棺をハイエースバンに載せます。法的には死亡診断書があれば車に載せたままどこに移動してもOK。
荷物は後日取りに行くことを伝えて実家に帰宅。ホントは棺を一時家に入れてあげたいところですが、私一人の力で棺を移動させることは到底無理なので、そのまま毛布を棺に被せてハイエースバンを霊安室の代わりとさせてもらいます(汗)。
寒い時期だからよかったのですが、夏だったらドライアイスの購入が必要ですね。
翌日、朝一で市役所に行って死亡届を提出し、火葬許可証を発行してもらいます。次の日の午前10時に火葬予約が取れました。
早速、叔母さん本人が檀家だというお寺に行って、お坊さんにお経を読んで頂くためのお願いをします。
「叔母さんが昨日亡くなられました。明日10時から火葬します。お骨になったら都合のいい日にこちらのお寺に持ってきますので、その時にお経を読んでいただくことは出来ますか?大変失礼かもしれませんが、お布施の予算は3万円です!」
あらかじめお布施の予算をお坊さんに宣言してしまう私も私だと思いますけども、どこまでやってもらえるのかが全く解りませんし、あとで揉めないためにも仕方がありません。
住職のお坊さん、その唐突なお願いと内容に大変驚き、しばらく唸って考えていましたが、「わかりました。それでは、明日直接火葬場に出向きますので、お葬式としてのお経をそこで読ませて頂きます。お骨になったら、骨壺を持ってもう一度お寺に来てください。」と提案していただきました。
これでお坊さんの手配ができました。本来、枕お経(?)と言って火葬前にお経を読むこともあるようですが、お葬式としてそこで読むのは初めてとのこと。
ここまでで、この日に行う調整は全て終了です。老人ホームに挨拶に行くと、施設長さん(高齢の女性です)が応接室に通してくれました。
昨日からのお話をしたところこれまた大変驚かれ、「私もそうやって家族にやってもらいたいわ!」と感動されました。何でも、今の人達は全部業者(要は他人ってことです)にお金を払ってやってもらうのが普通で、「昔はそういうことは全部家族でやったのよ・・」と全てお金で解決して他人事のように進めてしまう現状を嘆いていらっしゃったのが凄く印象的でした。
帰宅して翌日の葬儀のための喪服を母と準備。ここで叔母さんは亡くなってから2日目ですけども、ハイエースバン霊安室にはあと1晩活躍してもらうことにします(汗)。
翌日、母と一緒に棺を載せたハイエースバンで火葬場に行きます。寒い時期なので、ドライアイスがなくとも車内に全く臭いはしませんでした。
火葬場の玄関に車を横付けし、火葬場の職員さんを見つけて「棺を降ろすのを手伝って頂けますか?」とお願いします。職員さん、承諾はしていただいたものの、何か怪訝な表情。
「葬儀業者の方?」と聞かれて「いいえ。家族です。自分で持ち込みました」と言ったところまた大層驚かれて「経験があるのですか?」「いえ、全くありません。何事も初めてですから教えてください」と答えるとさらに周囲の職員皆驚いている様子(←なぜそこまで毎回毎回皆さん驚くのか未だに全く解っていない私)。
そういうやりとりをしているうちに、お坊さんが15分前に到着。棺の前でお葬式(告別式)としてのお経を読んで頂きました。お経がめちゃ早口です(笑)。内容はわかりませんけど、それなりのお経だったのだと思います。10時ピッタリに読経終了。さすがプロですね。
火葬が終了するのは11時50分とのことだったので、それまでの時間を利用して、棺を降ろして空になったハイエースバンで老人ホームに向かい、残っていた荷物を引き取りに行きました。
お礼やら挨拶をして11時30分に火葬場に戻ると、職員さんが既に玄関先で待っていて「もう終わりましたので収骨に来てください」とのこと。
収骨は別室で行なわれます。通販で購入した6寸の骨壺は全骨収骨にはピッタリの大きさでした。骨箱に壺を収めてお寺に向かいます。
お寺に着くと、そのまま壇上に上げてお経を読んで頂きました。15分くらいでしょうか。檀家ってことで、壺に戒名?を書いて頂き、そのままお骨は預かってもらうことになりました。もしも拒否されたら散骨でもしようかと考えていましたけども。
「これで全部終わりました」とお茶を出されて母と一緒に一安心。(お坊さんが関わったのは車での移動を含めて約1時間程度)
住職に「今までこのような葬式をされたことはありますか?」と聞いてみると、「以前1回だけ、身よりの無い人に対してお経だけというのはしたことがありますが、こういうのは初めてです」とのこと。うん、そうなのですね。よほど珍しいのですね・・、まあいっか。
お約束どおり3万円の入ったお布施の袋を渡し、お礼を言って今度は近くのリサイクルショップに先ほど施設から回収した大量の衣服やキャビネット家具等の荷物を持ち込みます。「全部置いて行きますが、お金要りませんので処分もいいでしょうか?」との条件で交渉成立。
そのまま帰りにレンタカー屋さんに寄ってハイエースバンを返却。母と歩いて実家に帰ります。途中でお昼ご飯。
さて、火葬の手続きで前日に市役所に行ったとき、年金手帳や国民健康保険証等の返却等は除籍謄本が出来る1週間後でないと事務処理は無理だと聞いていましたので、私はここで一旦仕事のために岐阜の自宅に戻ります。
葬儀を執り行った連絡を先の5人の従兄弟に通知します。以下の内容でハガキを送付しました。
……………………………………………………………………………………………
叔母 ○○ ○○儀 かねてから特別養護老人ホームにて療養中でございましたが
ここに謹んでご通知申し上げます
葬儀におきましては 故人の生前の意志により 誠に勝手ながら家族のみにて執り行いました
本来ならば早速申し上げるべき処でございましたが ご通知が遅れましたことを お赦しください
生前中賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げ 失礼ながら 書中をもってお知らせ申しあげます
〒○○ ○○-○○
○○ ○○
喪主 ○○ ○○
……………………………………………………………………………………………
一週間後、休暇をとって実家に戻り、市役所と年金事務所に行きます。この年金の手続きを行うため、あらかじめ私の居住地で自分の住民票(家族全員)、戸籍抄本を取得しておきます(これがないと叔母との関係を証明できない)。
また、生計同一関係に関する申立書(遺族年金・未支給・一時金)※配偶者・子以外が請求するとき っていう書式が必要となります。直系家族ではないので、関係があったということを第3者が証明するためです。理由は「毎月面会して日用品などを援助していました」とかでいいみたい。証明には老人ホームの施設長さんの名前と印が必要だったので、FAXしてあらかじめ返送をお願いしておきました。
市役所で取得するのが叔母の住民票の除票、叔母の除籍謄本、私の父の除籍謄本。返還するのが叔母の後期高齢者医療被保険者証(国民健康保険証)。これを返すと葬儀費用として3万円が支給されますので、棺とレンタカーの領収証を提出します。あとは介護保険の保険証や障害者手帳、印鑑登録証なども返却。自分の預金口座を通知します。
次いで年金事務所に行き、叔母の住民票の除票、叔母の除籍謄本、父の除籍謄本、私の住民票(全員)、私の戸籍抄本と準備しておいた生計同一関係に関する申立書を提出。これだけ揃わないと、叔母との関係を証明できないとのこと(謄本等に祖父母の名前が書いてあることで関係を確認)。ここでも自分の預金口座を通知します。
叔母が亡くなるまでの1ヶ月程度の年金が支給されるのですが、凍結されてしまった叔母の口座では入金できないため、私の預金口座にしないといけないのです。
ちなみに、こんなこともあるだろうと以前叔母の口座はネットから操作できるようにしておいたので、残っていたわずかな預金は凍結前に私の口座に振り替え済みなのでした(笑)。
これで叔母さんの葬儀と様々な手続き全てが終了しました。実際に私が動いたのは亡くなった日の夕方から葬儀終了までの2.5日間の間と、1週間後に市役所等の手続きに使った1日間の計3.5日間のみ。
直葬セット6点セット 27,600円
合計 72,360円、市から葬儀費用30.000円が支給されるので、
葬儀支出総費用は 42,360円 ←後日支払われる日割りの年金支給分で完全に相殺される予定
そして最後に 叔母さんのご冥福を心からお祈りして終了させていただきます。
合掌
今日電車内で色盲で左足壊死ニキに似たオッサンがいたのだが(ただし足は壊死してなく臭くない)、色んな事を他人に聞いてたのだが全部上から目線だった。
隣の人に対し突然「ちょっと目を貸して」って上から目線で人に手伝ってもらおうとするのか?
普通に「すみません」「~していただけませんか?」と聞いてくるのであれば手を貸そうと思うんだけど、何で赤の他人が上から目線で無償で手を貸してくれと言ってくるのかが理解できない。
こういう礼節を知らん無知はごく一部なんだけど、ごく少数のせいで連帯責任みたいに障害持ってる人全員悪みたいに思われるので、障害者手帳を発行する際に態度が悪い連中はマイナスポイントみたいなポイント制にしてほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20160208024311
http://anond.hatelabo.jp/20160208010627
普段俺がモヤモヤっと感じていた物が全部テキスト化されていて、
全部に賛同は出来ないけど、辛辣だけど確かにその通りな部分も多々有って良い文章だよ。
ただね、おじさんもオタク歴長いからそんなの全然分かってるのよ。
旧タイプのオタクは濃さを競う連中だから大変なの一杯いたからなw
(その分面白い人も本当に多いけど)
それで実際困った友人だなって思ってたら、後年、実際にアスペの診断が下りたり
障害者手帳貰っちゃうレベルの発達障害だった人とか周りにいたりすんのね。
そんな経験も友人も持ちつつ、自分を良く言う訳じゃないんだけど、
その内数名の友人はは多少なりとも救えてた様な気もしてるんで、
何か気になってしまいちょろっと書いてみたんだな。
>人付き合いについて正しいアドバイスをしたところで全く理解できないし
>本当は理解する必要性も感じてない。なぜなら自分の感受性に完全な自信があるから。
当たり前だけど世の中には多くの人がいるんで、
人付き合いに確実な正解って無い訳でさ、
恋愛に関しては何度も失敗やミスをして異性を学んで行くのがまぁ普通なんだよな。
人付き合いを学ぶ機会が無いままで年齢を重ねてしまった人は
その辺の経験値が本当に低いんだよ。
そうすると少ない経験値から正解を探すので本当に無理ゲーになる。
でも、そんな人達にいきなり無数に存在する「正解」を覚えさせるのは多分無理だけど
割りと確実な「NG」を教えることはまぁ出来るんですよ。
あいつら、無駄に正義感強いからマナー的な物として教えると結構出来る、
応用が出来ない場合も多々あるけど、
NGに関する応用は正解より少なめなんで何とかなる。
せめてこのNGってのを避けて行動していければ
人付き合いに関しては、多少なりとも生きやすくなるんじゃないかな?
っておじさんは思ってます。
まぁ、いくら言ってもダメな人はもう距離とって放っておくけど。
その正解が通用しない相手は捨てていくって方法が恋愛工学的な物だと思うんで
実はああいった「彼女が欲しい」「セックスがしたい」ってだけの
って層と親和性高い気がしてるんだよな。恋愛工学の本読んだことないけどw
http://anond.hatelabo.jp/20160109160946
当時の私は、就職活動に失敗して新卒で就職できなかった。一般枠での就職は無理だと思った。
そこで、障害者年金は下りないものの障害者手帳は持っていたため、障害者枠で就職し、障害者枠相応の安い給料は売春で補おうと考えた。
しかし一日売春してみた結果、なかなかに大変だったので諦めたよ。
結局今はフリーターをしながら、どうやって生きていくのか探っている。不安な毎日が続いている。
私は処女だった。
持ってる服の中で一番高かった真っ赤なワンピースを着ていった。三万円以上する半ばドレスのようなワンピースだった。だけど汚れてしまってもいいと思った。
誰かに殺されるかもしれないと思った。それならそれで仕方ないと思っていた。
午前中に、街で一番大きな出会いカフェに行った。出会いカフェが入っているビルにはでかでかとソープの看板が掲げられていて、なんだか勇気が引っ込んでしまった。出会いカフェの前を五周ぐらいしていると、さすがに店員が気づき、私に声をかけて、ぐいぐいとあっという間に私を中へ連れて行った。
薄暗くて赤っぽい店内。明らかに堅気じゃない店員に「ここは18歳未満禁止の店だからね。身分証を見せて」と早口で言われた。運転免許証もあったが、私は障害者手帳を出した。手帳を見ると店員は一瞬手を止めた。あれはたぶん嫌悪とか軽蔑だろうな。
店内は埃っぽくて、マジックミラーも曇っていた。古くてボロボロの漫画とまずそうなお菓子があった。なるほど女性無料だというのも頷ける。
店内にはもう一人若い女性がいた。豹柄のコートを着た、ややギャルっぽい女性だ。ひたすらマスカラを塗り足していた。
私は漫画にもお菓子にも手を付ける気になれなくて、なるべくスタイルがよく見えるように座っていた。
お兄さんは駐車場に私を連れて行った。どんな車だったか覚えていない。車内には「恋するフォーチュンクッキー」がかかっていた。車が走り出した。
私は西原理恵子の漫画を思い出していた。西原がホステスをやってみた話。確か、キャバクラの偉い人が「お客さんを褒めましょう。ボールペンでも褒める」と言っていた気がした。
とりあえず私は、「恋するフォーチュンクッキー」を褒めるところから始めた。「歌詞がいいですよね。前向きで」と言ったらお兄さんは喜んでいた。
逆にお前なめてんのかというぐらい褒めておいた。それ以外会話の内容が見つからなかった。
「車持ちなんですねー!今の男の子持ってないですよ。すてきー」とか「トラックの運転手さんなんですねー!大きい車運転できる人って憧れちゃうなー」とか。
お兄さん、話下手でごめんよ。
お昼はサイゼリヤにしようと提案されたが、当時の私は若く馬鹿だったため、安く見られたくなくて、ちょっといいところでパスタを食べるさせるように要求した。
ちょっといいところのパスタはトマトが酸っぱかった。かわいいピンクや緑のケーキが付いてきて、私は大げさに喜んでみせた。
今はもうババアなのでサイゼが嫌だとか言いません。すみませんでした。
食後、また二人で車に乗った。私はなかなかホテルに行こうと言い出せず、車は同じところをぐるぐる回った。
「ホテル別で三万でどう?」お兄さんは言った。「私、処女なので、五万でお願いします」と私は言った。「よっしゃ!交渉成立!」とお兄さんは言って、車はホテルへ向かった。
私は「これがホ別なんちゃらというやつかー」と変な感慨にひたっていた。
この辺りは医学っぽい用語を使ってはてなの偉い人に怒られないようにしたいと思う。
ホテルの部屋に入ってすぐ、お兄さんはベッドに寝転がり、陰茎を舐めてほしいと言った。私は「これが即尺というやつかー」とまたもや変な感慨にひたった。
髪の毛をポニーテールにしてほしいと言われたが、私は髪を縛るのがどうしようもなく下手なので妙なちょんまげになった。それでもお兄さんは喜んでいた。
私は五万ももらったんだから頑張って奉仕しようと思った。最初からがばっと奥まで咥えた。意外にもお兄さんの陰茎は清潔だった。わざと汚いものを舐めさせて喜ぶ趣味の人じゃなくて助かったと思った。その日一番お兄さんを尊敬したポイントだった。
「げふっ」「おえっ」と言いつつ、私は一生懸命舐めた。勃起する上にお兄さんが下から突き上げてくるのでげろげろだった。
乳首も舐めてほしいと言われたので、私はその手の文章の記述を必死で思い出して舐めた。好評だった。
その後が問題だった。お兄さんが私を触っても、私は喘ぎ声が上げられなかったのだ。
女子中女子高女子大でほとんどAV見たことなかったのだ。お兄さんはホテルのAVを見せて一生懸命プレゼンをしてくれたが、難しかった。
しかもその後さらなる問題が発生する。処女だったので全然入らなかったのだ。入るとかそういう問題じゃなかった。問答無用だった。陰茎の先が膣前庭をむなしくごんごんつつくのみであった。
情けないことに、私は陰茎を舐めることも中途半端で、口の中で出させてあげることもできず、お兄さんは手で射精した。
なんかもうほんとごめんねお兄さん。
私は申し訳なく思い、五万円を返そうとした。お兄さんは「いいよ。一度財布から出したものは受け取って。頑張ったじゃん」と慰めてくれた。
お兄さんは車で家の近所まで送ってくれた。ありがとう。
就活に失敗したので、親に毎日自殺しろと言われ、きっちり死のうと頑張っていた。
就活では、要らない人間がはっきり分かってしまう。私は不適格だった。人間として生きていくことに限界を感じていた。それで障害者になりたかった。
異性の幼なじみで、小さい頃は互いの家を行き来してよく遊んだものだ。
中学までは同じ学校に通っていて、同じ高校を志望していたけれど、私は受かり、彼は落ちた。
歩いて3分とかからない距離なのに、会話どころか会うことすらなかった。
大学に進学したにはしたけれど、途中で病気になり退学したことは聞いていた。
互いのことを人伝てに聞くのみの関係で、結婚したらしいということも、私は母経由で聞いたのだった。
別に何の感慨もなかった。日々ころころと流れていくばかりのニュースを聞くかのように。
ただ、気になっていることがある。
それは、遺伝性の病質を抱えているということだ。
彼の母はその病気が原因で若くして亡くなった。
病気の影響からか、彼は同年代の男性に比べて、きっと私よりも白く細い体つきをしている。
子どもも生まれたと聞いたけれど、そう滅多にできるものでもないらしい。
よく、よくも、子どもを作り、育てることになったものだと、その点においては感心した。
私は怖い。子どもを産むことが。
その影響か、母の姉妹の半数程度は自律神経失調症を患っており、従兄弟と、そして私の妹は統合失調症を発症し、障害者手帳の交付を受けている。
もしも、自分の子どもが病気になったら、それも自分の血筋を受け継いだために、と思うと恐ろしくて堪らない。
恋人と呼べる人はいないけれど、もしこの先結婚するようなことになっても、子どもは産めないと思う。
だけど自分が生きた証をどこかしらに留めておきたくて、細々と話を書いている。
ただ生きるだけは生きて、父母ともしかすると妹を見届けてから、誰にも迷惑を掛けないようにぽっくり逝くというのが理想だ。
我が身の血脈そのものを遺したいとは思えない、不幸が蔓延するかもしれないから。
はてブで同調してる奴多いけど俺の文章読んだ上でそれでもおかしくないと言えるの?精神科に勤めてる側としてはどうしても違和感感じるんだよ。この人本当に本当にちゃんと確定診断受けてるの?障害者手帳もらってるの?ちゃんと薬の相談してる?ってな感じで読んでて違和感が次から次に湧いてくる。
素人が聞いたらそういうもんなのかって感じるのかもしれないけどどう考えても変なんだよ。嘘を言ってるとは言わないが本人がなんらかの思い違いをしてるとしか思えないよ。なんらかの確定診断が出たならその時点で医師側から間違いなくまず薬の相談されてたはずなんだよね。場合によっては疑いあり、くらいからでも出すところあるし。なのにその話が出てなかったってことは、まだちゃんと診断が出てなかった段階だったはずなんだが。カウンセリングの際に知能検査とかそういう話をされて、理由はわからんけど拒否したとかそういう事情があるんじゃないの。そういうめんどくさい患者相手だったら、確定診断がでるまではそりゃ生活リズムちゃんとして、みたいな話せざるを得ないよなってこちらは思うわけよ。
それを早寝早起きをゴリ押しするばかりでまともな話をしてくれないとかズレてるにも程があるんじゃないの。本人が診断のプロセスを全く理解してなくてもうすっかり躁うつ病のつもりになってただけってことじゃないの。ただの被害妄想じゃないの。今日もgoogleの検索順位について勘違いで喚いてたらしいけどあまりにも適当な知識で確認もせずに適当なこと書きすぎでしょこの人。いろいろ本人の中で思い込みが激しすぎないか?カウンセリングの段階で薬出るのが当たり前とか、俺は患者なんだからもっと親身になってくれて当たり前とか。たまにいるんだよねこういう人。自分の思った通りにならないとなんでも相手がおかしいって言い出す。どれだけ仕組みとか説明しても俺の思った通りじゃないからダメだって。
そもそも診察の話とか治療過程の話をしてるのに記事の中に薬の話が全く出てこないってのがいみわからないんだよね。生活習慣はたしかに大事だが、治療の過程で一番大事なのって薬だろうが。なんで薬の話全く書かないの?なんか理由でもあんの?さすがにエア患者だとまでは言わないけど、どこかしら通常のプロセスと違ってるくさいんだよなあ。
愛想笑いをまったくしない人は、対人関係に大きな問題を抱えると思われる。自立支援センターとかに送られて障害者手帳をもらったりするんだろうけど、愛想笑いしないと、支援者の方からの手助けももらえないよね。ボケ老人に優しくするような意味で、看護婦さんから優しくしてもらえる可能性はあるけど、私はそれだけの人生なんて絶対に嫌だ。引きこもって家族に負担を強いるのも避けたいし。
愛想笑いをし続ける、というのを、文字通り家族といる時間や孤独な時間を含めて常に愛想笑いをし続けているという風に取ると、とかだと、おそらく脳神経とかに異常がある奇病で、大変だろうが、支援してくれる人はいるだろうし、「ちょっと変わった病気を持っている人」レベルだと思う。十分に幸せになれそう。そうではなくて、TPOによるが、愛想笑をしている時間が仕事時間や知り合いと合っている時間も含めて長い、レベルだったら、それは「普通の人」と言われるだろう。
双極性障害持ち
具合の悪い時だけ通院し
こういうハンパもんは、
健常者にも障害者にも悩みをわかってもらえない
健常者に障害の悩みを話せば対応に困ったような、
憐れむような反応をされる
障害者に悩みを話せば、でも働けてるじゃんと
うらやましがられる
違う、私はかわいそうと思われたくも
うらやましがられたりもしたくない
「わかるわ〜」とか「本当それな」くらいの
連絡先もSNSも全部消した
誰に相談したって、
障害が楽になったり治ったりすることはないんだから
何をがんばっても、頭がおかしければ
よりよく生きようとひたすらがんばってきたが
もう限界
それでもまだ生きるのは、
とりあえず30まで生きろと言っていたからだ
30まで生きたら何か変わるんだろうか?
いつまでたっても生き続けることに淡い期待を抱いてしまう
最初に自殺未遂した小3の時に死んでいれば良かったと思いながら
こういう微妙に狂ってる人々はどうやって生きているんだろう?
そこまで障害が酷くない私は自助会にも行けず、
どこに行けば健常と精神障害の間にいる人々に会えるかもわからず
毎日一人で自問自答している
休学中の文系学部4年生で、80代の祖父母と50代の父と暮らしている。今は、アルバイトを週に3日、4時間ずつ行って、海外交流系の学生団体やウェブデザインのスクールにも顔を出している。僕は発声に障害があって、その当事者団体や、他に障害を持つ人の集まりなんかにもたまに行く。
祖父母はよくお小遣いをくれるので、お金には困らない。東アジアや北海道、沖縄などに年に数回旅行ができる。アマゾンで本も買える。
家事はだいたい祖母がしてくれる。僕も少しは手伝うけれど、祖母はよく頑張ってくれる。
幸せだと思う。本当に恵まれている。でも、将来が今より楽しくなるとは思えない。祖父母はあと10年もせずにいなくなってしまう。父も母もあまりお金は持ってない。僕が、自分で、自分の分を稼がないといけない。
社会人はたいへんそうだ。みんなやっていることだというのはわかっている。でも、自分に、週に6日、10時間くらいの労働ができるのだろうか。自信がない。体力がないし、コミュニケーションもそんなに得意じゃない。人とずっといると疲れる。発声に障害があるけれど、障害者手帳はもらえない。そもそも就職できるのか。就職できるとしたらいわゆるブラック企業だけになってしまわないか。
恋人がいれば、まだ希望が持てるかもしれない。でも恋愛をする自信が持てない。大学に入ったばかりの頃好きになった女の子に、彼女の気持ちを考えず、一方的に言い寄って、嫌われてしまったことがある。「君は他人の気持ちがわからないみたいだ」と、何人かの友人に言われたことがある。他人の気持ちがわからない人なんて、恋愛という親密なコミュニケーションに最も不向きな人間じゃないか。今、よく話す機会があって、気がついたら好意を持つようになった女の子がいるが、また、過ちを繰り返してしまわないかが不安だ。もう誰も傷つけたくないし、傷つけられたくない。
でも恋人はほしい。信頼し合える女の子がいれば、仕事で忙しいのにお金がないという未来が待っていようとも、希望が持てる。一人ぼっちは寂しい。
でも、何度か病院に行ったものの途中で通院をやめてしまっている。
(私の発達障害はそこまで深刻ではないかもしれないが、仕事や日常生活がうまく回せず周りに迷惑をかけてしまい深く落ち込んでしまう)
一度目。
担当になった女医に話をしたところ「うーんその話だけではどうにも…まぁ、この薬のんでみたら」と言われ薬を処方された。
なぜか恥ずかしさが沸き上がってきて、薬はのまずに捨てた。
「何そんな症状なだけで来てるの? 大げさじゃない? 気にし過ぎじゃない?」って言われたような気分になったのだ。
二度目の病院は感じは良かった。
でも、「精神的に不安定で」と相談したら「食べ物に気を配りましょう!」と言われた。
ただ、私は料理がとても苦手で、段取りも準備も、そういうことが苦手だったので、「いえ、でも料理が苦手なんです…」と言ったけれど、
「焼くだけでいいんだから!」と言われる。
「でも、本当に焼くだけとかレシピ考えるのとか、そういうのもできないんです」「簡単でいいから!」みたいな感じな平行線を繰り返した。
一度行ってその後行かなくなった。
料理が大切なのは、わかってるんだよ。でもできないんだよ…。わかってほしい…。
三度目。
いよいよ仕事でも支障が出てきて精神的にも迷ってきたので、市の保健センターで発達障害やそれに関して認知行動療法やカウンセリングを得意としているところを紹介して欲しいと相談した。
ある病院を薦めてもらい行った。
いつもと同じように自分の話をする。
結果、「検査、うけますか?」といわれた。(ペーパーテストのようだった)
その検査を受けると、結果によっては障害者手帳?が出るようだった。
私は、そういう判断が欲しいのではなく、認知行動療法やカウンセリングで自分の生活を少しずつでも改善していきたかった。
だから、結果を見るのも怖かったり、検査代がもったいないように思えて、その病院に行かなくなった。
検査を受けなかった代わりに、認知行動療法の本や発達障害に関するワークブックなどを複数購入してそれらの本のワークをこなしていった。
病院の通院代・カウンセリング代だとおもったら本を購入するのは安いものに感じた。
その結果、気持ちは軽くなった気がする。
行動も工夫しながら少しずつ改善されているような気がする。
それでも、日常生活でやらかしてしまうことはあり、そういうことがおこると「今からでもあの発達障害の検査は受けておいたほうがいいのかな…」と考えてしまう。
(どういう検査をするのか詳しくはわかっていないのですが…)
受けたほうが楽になれましたか。
検査を受けても変わらなかったですか。
教えてもらえると嬉しいです。
私は対人恐怖症をこじらせてうつ病を発症、ひきこもりの後、一人で動きまわって仕事(長期ブランクがあるので時間的にはほぼフルタイムだがもちろん正社員として就職などできなかった)をするまで何とか社会復帰するも統合失調症になって障害者手帳持ちに。
先日、兄弟の一人がうつ病で休職して実家へ戻るも、結局うつというよりもアルコール依存症であることがわかる。本人は未だ止める気がない。
毎日のように酒瓶一本空けてはコンビニへゴミを捨てつつ買い物に。
私についてもそうだったが、なかなか一人ではどうしようもない。都会であれば色々と支援もあるが地方には無い。
お金がないのを恨みはしないが、家族が病気になっているのに、本人が解決するものだといって、その家族の病気について本も読まず、テレビなどのチェックもせず、何も調べないというのはどういうことなのだろうか?
私については子供の頃から色々とストレスから来る精神疾患のようなものはあった。しかし、一度も病院へは行くことはなかった。
病院へ行くことで私がショックを受けることがあるかもわからないが、自分ではどうしようもない症状を「止める努力をしろ」と言われてもどうしようもなかった。
世間体を私は親以上に気にするが、他の町の病院へかかっても良かったと思う。
子供の頃からの問題でもそれは「心配だったが様子を見た」と言い、大人になってそれをさらにこじらせれば「大人なんだから自分でどうにかしろ」でここまで来てしまった。
私だけが特別おかしいので病気になったと思いたかった親の願望は、兄弟のアルコール依存症で脆くも崩れた。
しかし、それでもやっぱりうちの親は何もしない。そもそも酒を昼間から飲んでいることに気が付かなかったらしい。
お金もないのに人が動かず、変化に気がつけないのに様子を見るだけ。
依存症の場合、家族が酒を飲ませないようにしてすら、行動に不都合を感じない依存症者が隙を見ては酒を買いに行ったり、勢いで衝動的に散財したり、暴力沙汰を起こすなどトラブルを起こすというのに、そもそも家族が酒を飲むのを認めているとかそもそも気がついていないという有様。
ひきこもりが長期化したり、それでも支援団体に繋がらない親とか、サリン事件の実行犯の親を含めた信者の家族の話をメディアで見ると、やっぱり共通する問題があるのだと思う。
そういうものを見る人はそれだけで全然違う人なのだが、そういう人たちほど、それを見て自分にも反省するところがあるという。
そういう人の子供は問題が起こっても、少しずつ必ず変わるものだと思う。
実際、こじらせ続けている人と、図書館へ出かけられるようになった、買い物をできるようになった、バイトを始めたと徐々にではあってもあるいは生きつ戻りつしても、ステップアップする人の両方を見た。
こじらせ続けている人は、私の家族と同じで支援団体につながることも何の情報を得ようとすることもせずに、「真人間になってくれ」と事あるごとに言われていたらしい。
私はその人を見て自分の将来が見えるようだった。
アダルト・チルドレンというのはアルコール依存症の親を持つ子供に共通して見られる性格傾向から来ているようだが、今ではアルコール依存症でなくともアダルト・チルドレンを生む機能不全家族はいることは認められるだろう。
親や家族自体が、当人の症状を悪化させるので、生活保護を受給させて自活させた話も以前、新聞で読んだ記憶がある。
その人は確か女子高生だった気がするが「あのままだったら家に火をつけていたかも知れない」と当時を振り返った言葉が印象に残った。
今の生活保護受給者に対する風当たりを考えるとそれも難しくなってきているとは思う。
それなりに順調な人生を歩んでいる人は誤解していることだが、障害者年金だけで生活出来ている人はほとんどいない。
精神障害では国民年金では2級でないと障害者年金は受給できない。厚生年金に入っていれば3級でも受給できるそうだ。
さらにバイトをしてその収入と年金を合わせれば生活していけるという人でも、継続して働いていることを持って等級を下げられて年金が受給できなくこともあるそうだ。
自治体によって対応がまちまちらしく、東京では障害者枠で就職し年金と合わせた収入で自立できている人もいるそうだ。
生まれた家や地域によって、生きる困難さも病気になった後の生き方も随分差があると思う。
問題から病気になって薬を飲むが、そうするとぼんやりしてしまって何もできなくなり、家族の問題に対応できなくなる。
ただクリアになればその分、元の苦しさが蘇ってくる。当然だ。
そろそろ本当に医者の言われた通りの薬を飲んで、ぼんやりぐったりして障害者としてふさわしくなり、施設へ行きたい。
向こうもそう思っているだろうが、こちらも家族を捨てたい。
薬を完全に抜いて文章が書けるくらい頭を幾分かクリアな状態に戻しても、することが愚痴を書いて匿名ダイアリーを汚すくらいなのが情けない。