はてなキーワード: 辺境とは
簀巻きにしたり、ストリップを見せられたり。他にもいろいろやらかしてきたYという男友達がいる。
「いろいろ」については今後も思い出した時に書いていこうとは思ってるんだけど、今日はそもそもの最初の話をしようと思う。
高校3年の時、隣の隣のそのまた隣のクラスのタカハシ(大丈夫、ちゃんと偽名。まるっと偽名)と仲良くなった。放課後にタカハシ(&彼の悪友たち)と駄弁るのが楽しくて、隣の隣のそのまた隣のクラスにほいほい遊びに行くようになってた。
普通ね、放課後はまっすぐ帰るか部活に励むかの二択で、教室に残るのはごく少数。しかも誰とも喋らず独りでってのは、かなり妙でしょ。
Yの第一印象は、何て言うのかな……無感動な無表情。
つまらなさそうにするんでもなく、誰かを待ってるような焦りも見られない。ただ静かに時の流れに乗ってるような。
あと顔は割と整ってた。肌が透き通るほど白いなんてこともないけど、オス全開なガツガツした顔立ちでもなかった。中性的ってああいう感じかなぁ。
私が「あれ誰くん?」と尋ねると、「あいつなー。すげぇクールっつーか無関心っつーか、とっつきづらいんだよ」とタカハシの悪友が茶化す。
Yはそのやり取りが聞こえてるんだろうに、何も言わない。少し離れた席に姿勢良く座ったまま、本を読んでいる。
タカハシが「でもな、」と私の首ねっこを引き寄せて、耳元で囁く。
何が「イケる口だよ?」やねん。イケる口だから何だっつーんだよ。初対面のY君に猥談持ちかけろってか。アホか。
「ヤダーあたしも猥談イケちゃう口なんですーキャハッ♪」とかぶちかませるとでも思ってんのか。品を持て品を。
「あの、Y君は一日何オナニー?」
ごめん、ごめんなさい、わかってる、第一声でコレは無い。ありえない。
何オナニー? じゃねぇよ。単位かよ。「ああ、俺は一日3オナニー」とか素敵に会話が成立しても嫌だ。サンオナニーって語感良いですね、今びっくりした。
当然、Y君からは「……何の話?」とこの上なく怪訝そうな返答を戴く。ですよね、ごめん! こんなデリケートな話題はもっと友情やら愛情やらを深めてから切り込むべきでした!
タカハシは私の背後で何の遠慮も無く爆笑してはる。圧倒的爆笑っぷり。清々しい。過呼吸になって苦しめ。
「せ、せんせー……お……俺ね、一日、4オナニぃ……ぶふぁっ」
別にそんな恥ずかしいこと言わなくていいんですよ、タカハシ君。君に訊いてないですよ、タカハシ君。シャラップ。
ああもう羞恥が身体中を這いずり回ってる、今すぐ帰りたい。ここアウェイなの、もう辺境地と呼んでもいいと思うの。自分のクラスルームが恋しゅうて恋しゅうてたまらん。
「週に2回くらいかな……」
あろうことかY君、真面目に答えてくれちゃった。1日4オナニーより週2オナニーの方がずっとリアルなのは何でだろう。つーか生々しい。
うわーこの人もやっぱりオナニーするんだ……とか、半ば魂抜けつつ考えちゃう。端整な御尊顔を正面から拝みつつ。
同年代のオトコノコが自己処理をしてるところなんて、勿論目撃したことはないから、曖昧に想像するしかない。
って言うかまだY君のパーソナルデータを一切持ってないのに、よりによって最初に加えられた情報がコレ。数学が好きとか古文が苦手とか妹がいるとか身長172センチとか、そういうの全部すっ飛ばして、まっさらなページに燦然と書き加えられてしまった〈週2オナニー〉の項目。むなしい。
回数は?
オカズは?
処理時間は?
サイズは?
特にこの大きさの話は盛り上がってた。
あのね、一応、私もここにいるの。キミら男水入らずの一対一で談義してるつもりかも知らんけど、俯瞰で見てごらん。綺麗な三角形が見えるでしょ。あれがデネブ、アルタイル、ベガ……Y君と、タカハシと、それから私ね。相槌打つことさえ躊躇われて、二人の猥談を有難い念仏かなって思いながら拝聴する地蔵ポジションに甘んじてる女子がいるの。「この赤ペンよりも長いか否か」で白熱してないで、気付いて。
って言うかY君、私を好奇の目でチラ見してくるの、止めなさいよ。こいつ趣味悪いなと直感した瞬間である(そしてその予感は的中していたと後の数年で思い知る)。
この日以降も「ヨッ、猥談しようぜ!」とタカハシが私を引きずり込むので(「マリカーしようぜ!」と同じテンションで言ってくるのがムカつく)、何だかんだでYとも仲良くなってしまった。
全国のトルシエ信者同志よ、今こそ声を上げるべきではないのか。オフト?あの当時のレベルをちゃんと教育できたってだけでしょ?岡ちゃん?二回とも想定外の代役でしょ?
いや別にトルシエもっぺん呼んで来いと言ってんじゃないの。あの時の真剣さ、ベンゲルに何度断られてもすがりついて、
そのベンゲルが推薦した人物を一に二もなく採用、どれだけマスコミにバッシングされても(一応)(ふらふらしながらも)守り通した、あの泥臭い精神を日本サッカー協会は思い出すべきなんじゃないのかってこと。
だってクライフとかにもオファーしてたんだよ昔は。バカだね。でも成り上がり新興中堅国がお利口さんでどうするの。我々は辺境の島国なんだよ。身の丈に合った手堅いチョイス、なんて上手く出来るほどの蓄積はないんだよ。
韓国みたいにせっかく神奇監督で金字塔打ち立てたのにまた自国人監督にこだわって、なけなしの自国英雄の名に泥を塗るのを繰り返してるよりはましだが、結果的にやってることはそう変わらない。(それにこっちには古英雄がそんなにいない)
2002年からこのかた日本サッカーの「地位」は一歩も進んでいない。そりゃ世界も進歩しているが、日本は遅れながらのたのた付いてきているだけだ。これが目指していた場所だったの?W杯自国開催(共催)できればもう終わった話なの?
中堅どころの監督なんて性格に問題なければたいていただの世渡り上手だ。メディアとは上手くやっていけても肝心の腕はそれなり。なら見どころのある問題児の方がいい。むしろ正確に難のある方が日本代表監督には向いている。
以前本田圭佑が「日本のストロングポイントはチームワーク」なんてことを言っていたが、もはやはっきりした。日本のウィークポイントはチームワーク。ザックやジーコのように「選手の自主性を尊重する」監督の下では日本代表は同じ症状に落ちいる。それは「エースの顔色を伺うサッカー」だ。ボールを持ったらまず本田を探す。「本田くんこれでいいかな?」というサッカー。ミスすれば「本田くんごめん!」というサッカー。今なら本田、昔は中田。
それを打開し秩序を打ち立てられるのがトルシエや岡ちゃんのような戦術主導の監督だ。エースと言えども戦術のためにはためらわず外す。(トルシエは中田を外すことまではできなかったが)
できればトルシエのように「俺が首領だ!」と主張するタイプがいい。そうすればサッカー選手に必要なお互いの対等意識が生まれる。
日本サッカー協会はトルシエで懲りたのかもしれないが、「日本の文化に理解のある外人」など選ぶべきではない。我々は厳しい勝負の世界で「和」を尊ぶことのできる民族ではない。気遣いと嫉妬と常識と僻みと気おくれと尊大と仲間意識と階級意識にがんじがらめになる民族である。
友人におすすめを聞かれたので並べてみた。
なろう系では異色な物語、死出の旅路が世界を救う冒険へつながる。その道中にかかわる人々のつながりが織りなす綾が醍醐味。
能力者という超常の力を持つ人が一般的にいる社会でその能力者として生きる学生の話能力者がいる社会システムの描写と、能力を使った物事の解決方法アイデアがいい
異世界召喚もの、最初はぬるいが後の死力を尽くすバトル描写がいい。
テンプレ的転生もの、前世を悔い、ときどき後ろ向きになりながらも頑張って生きていく一人の男の人生が丁寧に描かれてる。
物語世界への転生系、自分が没落する物語の結末を回避しようと空回りする主人公を愛でる物語
この世界がゲームだと俺だけが知っている http://ncode.syosetu.com/n9078bd/ 継続
MMORPG転移系、バグだらけのクソゲーに対する愛にあふれる物語、ゲームの攻略系をメタにするとここまでばかばかしい状況になるのかというギャグが秀逸
ちょっとぬけてる不死者、山田とまきこまれ系少女のラブコメ、徹底的に冷めてる由紀子がいい味
「都議会ヤジの問題で大はしゃぎする人たちが軽すぎて、頭痛が痛い。」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakajimayoshifumi/20140624-00036684/
の記事内容が釈然としなくて、考えを整理するために、FBをぼちぼちだらだらと、何回か投下してたんだけど
「ネットで拡散されたのはネット発信だからってだけじゃなくて、インターネットの中じゃないと「実は嫌だった」と表明できなかったのではないか」
といった主旨の記事のいいね!されっぷりが凄い。
普段は仲の良い友人としかやり取りもいいね!されるようなこともない、FBコミュニティの辺境にいるのに
それだけ、イヤだなぁイヤだなぁ、でもイヤだっていうと角が立つしなぁ、
やっぱりいい年して結婚しない(子がいない)っていうのは外聞もあるのかなぁでもなぁ、って思ってた人がたくさんいたんだ
とある辺境の貧乏な村は近くにあるダンジョンからやってくるゴブリンたちの存在に困っていた。どうにかしたいのだが領主に頼んでもシカトされまくりで(おそらく、兵を動かす金がそこからあがる税を上回るのだろう)、しょうがなく村中でなんとか工面したわずかな金で退治する人間を雇うことに……。わずかな報酬だから当然高レベル冒険者は受けない。命より名声をあげる方が大事な低レベル冒険者(という名の何でも屋)数名が、できるだけ短期間で達成しないと赤字になるといったような話になるのである……
くらいの話はぱぱっと作れるんだが(作れるというかこれテンプレみたいなもんだ)……命が惜しいんだったらその世界で冒険者なんてやらねえんだよな。畑耕してる。
http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/04/20/163123
この方の主張には全面的に賛成なんだけど、現実問題としてPVやアクセス数しか指針が無いんですよね。
冴えない辺境のブロガー。同じ趣味の人を探すためにブログを始めました。5年ほどになります。
薄っぺらい内容を投稿して量を稼ぐより、面白いと思ったものを少なく投稿しようということで、投稿ペースは週1〜3くらい。
これがね、全然反応無いんですよ。
時々コメントついたなと思ったらスパムか宣伝で、あとは「○○教えてください」という質問。回答したけど礼は無し。みたいなの。まあコメントいただけるだけ相当有難いですが。
Twitterが話題になった時にTwitterを始めて、ブログも連携させてみたけど、あきらかにTwitterから流入があるのにこれまた反応なし、リツイートもふぁぼも無し。ああ寂しい。
私の場合ブログは完全に趣味で、誰に頼まれたわけでもなく自主的に書いていますが、
何故書いているかというと、それこと「サイトを訪れた誰かが「面白そう」と思って話しかけて、新しい何かが生まれるのを期待している」となるわけです。
そうだと思います。
私は文章のプロでもなく、面白く書けているか、わかりやすく書けているか、毎回試行錯誤です。
じゃあその時何を指針にするのか?
「今回の記事良かったね」とか言ってくれる人が居ればその人に聞くのが一番だと思います。
でも残念ながらそんな奇特な人は居ません。みんな無言で見て無言で去って行きます。
そうなるともう、PV、滞在時間、アクセス数から無言の声を読み取るしか無いわけです。
しかし沈黙が続く私のブログにも、先日ついに反応をくれる人が現れました。
アンチです。
幸いスルーしたら割と早めに消えてくれましたが、精神的にはかなりきついものがありました。
ポジティブな反応は全く無いのにネガティブな意見はすぐに集まる…自分はこんなにも嫌われ、疎まれているのか…もうブログやめようかな。
と、考えたりもしました。
でも結局続ける事にしています。
それはもう、続けていればいつか何処かで探している誰かに出会えるのではという一心です。趣味仲間が欲しいんです。
そのためにはどうするのか?
………やっぱりまずは多くの人に見てもらわないと。
1万人の人が見ても反応をもらえないなら、3万人なら1名くらいは反応をくれるかもしれない。10万人なら5人くらいは反応をくれるかもしれない。
ここは別に問題ないと思うんですよね。
何が問題なのかって、純粋に良い記事を書くことが、検索で上位になる、たくさんブクマが付くということとイコールにならない事じゃないかと。
私のブログじゃないですよ。
仕事の用事で検索してて感じる事なんですが、本当に役に立つ記事って検索では5番目や10番目に登場してて、
Googleの検索仕様は同じなんだから、必然的に似てしまうのかなと。
トルメキアの交戦相手である土鬼諸侯国の一氏族、マニ族の浮き砲台(飛行戦艦)に拿捕されてしまう。大量の女子どもを乗せて、軍艦と言うよりも避難船のようなこの船でナウシカは、マニ族の長である僧正から、クシャナの軍(当然辺境諸族軍もろとも)壊滅させるための作戦が発動されていること、
のみならずクシャナ軍の動向についての情報はトルメキア王家内部から漏洩されたものである(つまりクシャナの部下達の危惧は当たっていたのである)事を知らされる。さらにアスベルは作戦の背後に、エフタルへの土鬼の植民地計画を看破する。部族国家連合である土鬼を束ねる神聖皇帝は、トルメキアの進行により国土を奪われた敗残部族に、強引に背水の陣を引かせて敵中深くへ突入させているのである。
彼らにはもはや辺境諸族の土地を掠め取る以外には生きる道はない。ついにここにきてナウシカにとっての戦争は、単に個人的に忌まわしいものではなく、自らの大事なもの、故郷を脅かすものに、のみならずそれ自体で愚かしく不正なものとしてたち現れてくる。彼女は風の谷を守らなければ成らない。しかし土鬼の民衆も戦争の被害者である以上、それは戦争を遂行することによってではなく、戦争そのものをやめさせることによって成し遂げられなければならないのである。
折りよくナウシカ捜索によってガンシップが飛来したため、彼女は自分の部隊を守るべくメーヴェで浮き砲台を強引に脱出するが、アスベルは一人残ってマニ族の説得を継続する。土鬼の部隊は捕らえた幼虫を囮に王蟲の群をクシャナの宿営地に誘導し、撃滅しようとしていた
ナウシカはガンシップを先に宿営地へ向かわせて皆を避難させ、単身囮の幼虫を乗せた土鬼の飛行ガメ(無蓋無翼の小型飛行艇)を追撃する。そして撃墜に成功するが、深く傷ついた幼虫とともに強い酸の湖の中の砂州に取り残される。
宿営地を破壊した王蟲の群は湖岸に終結し、強引に湖を渡って幼虫を救おうとする。ナウシカはそれを制止し、生き残ったクシャナのコルベットによって幼虫を群に返す。王蟲の群はナウシカを祝福し、「北へオカエリ」言い置いて去る。
他方、マニの僧正は王蟲とナウシカの邂逅を察知し、進軍をやめ、少女従者ケチャを伴って、飛行ガメで酸の湖に向かい、王蟲によるナウシカの祝福を目撃する。其の姿に彼は伝説の救世主「青き衣の者」を見出す。
クシャナの部隊は事実上壊滅し、辺境諸族の軍にも帰国の許可が下りるが、ナウシカはみずから志願して、ただひとり従軍を継続することを決断する。なぜ王蟲は北へ、故郷へ帰れと忠告するのか、南の森が助けを求めているとはどういうことなのか、王蟲の幼虫を土鬼が捕らえると言う常識的には不可能なことができたのは何故なのか、無数の疑問が彼女を捕らえて離さない。
南に土鬼の国がある。そこで彼女はあえて従軍することで土鬼の土地に向かい、王蟲の忠告の意味することを確かめようとする。
ナウシカが危惧しているのは大海嘯の可能性である。大海嘯とは「腐海」の海嘯、普段は穏やかに拡大しているだけの「腐海」が王蟲を中心とする怒った蟲の群の暴走によって爆発的に拡大することである。かつて三百年前、エフタルの地では武器商人による王蟲の乱獲によって大海嘯が発生し、そこに栄えていた強大な王国は滅びてしまった。土鬼が進めているらしい「腐海」の生物の軍事利用が、再び大海嘯を引き起こすのではないか・・・・・?
ナウシカの命令で風の谷のガンシップは故郷に戻るが、死の床にあった族長ジルはいまの際に、ナウシカのの従者達にガンシップでユパを探し、ともにナウシカを探すように命じる。
他方ユパは「腐海」に渡る方法を探っていたが、とある鉱山町で最近「腐海」に住み、一部の蟲を使役する特殊技能を有する被差別賤民、王蟲の乱獲によって大海嘯を引き起こし「返るべき国を自ら滅ぼし呪われた武器商人の末裔」と伝えられる蟲使いが土鬼の貨幣を持って現れることを聞きつけ、蟲使いの飛行艇で彼らの村へ潜入する。そこで彼が見たものは、蟲を利用した戦術の是非について激論を交わす土鬼神聖皇帝直属の官僚集団、僧会の僧官たちとマニの僧正の姿、そして培養液の中で育てらる王蟲の幼虫だった。
ユパは僧正とケチャ、僧正の従者に身をやつしたアスベルの助けによって培養槽を破壊し、脱出をはかるが、マニの僧正の反逆を疑った僧官たちによって呼び寄せられた土鬼独裁者、二人の皇帝の片割れである皇弟ミラルパによって足止めを食らう。僧正は単身皇帝と対峙し、皇帝と僧会の暴政と傲慢を糾弾し、大海嘯の到来を警告する。
そして神聖皇帝によって禁圧された土着信仰が予言する、民衆を救い、青き清浄の地へと導く「青き衣の者」(すなわちナウシカ)の出現を言い残して自殺し、その最後の念力で囲みを破ってユパたちを逃がす。僧正の最後にテレパシーで立ち会ったナウシカは、皇弟にその存在を察知されるが、やはり僧正の最後の力で難を逃れる。(ここまで単行本第二巻)
まずはじめに、マンガ「ナウシカ」をお読みになっていない読者のために、そのあらすじをやや詳しく説明しておこう。
すでに多少説明したことでもあるし、本書の読者であれば、マンガ「ナウシカ」を読んでおられなくても、すでに何度となく
テレビで放送され、どこのレンタルビデオショップにも置いてあり、へたをすればほとんど国民的映画扱いのアニメ「ナウシカ」
をごらんになっているであろうから、アニメと漫画双方に共通する限りでの設定の説明は省略する。
しかし、漫画「ナウシカ」のストーリーはきわめて複雑に錯綜しているため、必ずしもテクスト通りには整理できないがご容赦いただきたい。
もちろん、この記述で納得なさらずに漫画「ナウシカ」のテクストに実際に当たられることが一番である。
物語の発端はアニメ「ナウシカ」と同様に、風の谷」付近の「腐海」でのナウシカとユパの再会、ユパの風の谷訪問である。
平和なこの国も別転地ではなく、「腐海」の毒は確実に浸透し、人口は年々減り続けているし、近々始まる戦争にナウシカは
時期族長として、病める父、ジルに変って、同盟宗主国トルメキアの軍に従軍しなければならない。
そんな時、谷付近で不時着した飛行船から隣国ペジテが同盟国であるトルメキアから滅ぼされたとの報が入る。
飛行船に乗っていたペジテの姫ラステルはいまわの際に、ナウシカに謎の「秘石」を渡し、それをトルメキアの王に渡すことなく
兄の元に届けるように依頼する。
ペジテ避難船の動向を察知したトルメキアの部隊は程なく、風の谷に現れ、谷の代表として対峙したナウシカと一瞬即発の事態
の空気が流れるが、ユパの仲裁によって事なきを得る。しかしその際トルメキア兵を一人殺めてしまったナウシカは自分の中に
眠る力と凶暴性に恐怖する。
出発前夜、ユパはナウシカが管理する城の地下最下層にある部屋に案内され、そこでナウシカが管理する「腐海」の植物群を
目にする。通常の「腐海」の環境下では瘴気を発する植物群も、清浄な地下水と土で育てれば、毒を発しないのである。
これを見てユパは腐海の生態系が土壌中の有害物を還元して無害化し、かつての産業文明が汚染した地球環境を浄化している
という自らの仮説に確信を抱き、独力で実験的に結論に到達したナウシカこそ、人類の未来を握る存在だと直感する。
ナウシカは谷の将来のためにあえて、若者を残し、老人達ばかりの戦闘従者率いて、ガンシップ(小型の戦闘用高速飛行艇)とバージ(艀
ガンシップに牽引されて滑空する輸送用グライダー)で、近隣の、同じく「腐海」のほとり(この地域は「辺境」あるいは「エフタル」と呼ばれる。)に位置する小国家郡の軍勢とともにトルメキアの部隊に従軍するべく出立する。彼女達が合流する部隊の長はトルメキアの第四皇女クシャナである。彼女は本来一大軍団の長であるが、自軍の兵力の大半を主戦線に召し上げられ、今はペジテ攻略のためのわずかな兵力しか手元にない。彼女の任務は当初、ペジテで偶然発見され、その危険性を察知したペジテ当局によって封印された最終戦争「火の七日間」の超兵器、巨神兵の奪取だったが、其の復活の鍵である秘石の紛失によって当面巨神兵は役に立たない。
ついで新任の参謀クロトワによって、現有兵力プラス辺境諸族の同盟軍によって「腐海」を突破し、主戦線とは別方向から遊撃を行えとの指令が中央からもたらされる。彼女の側近たちは激昂し、この作戦自体が彼女の政敵である兄皇子たちによる、彼女を陥れる為の罠ではないかと憂慮するが、クシャナはおとなしく指令どおりに行動することを決める。
クシャナの軍とナウシカら辺境諸族の軍は「腐海」上空で合流するが、ランデブーポイントに突如ペジテのガンシップが飛来し、攻撃を仕掛けてくる。それはラステルの双子の兄アスベルであった。攻撃に巻き込まれて風の谷のバージは牽引ロープを切られ「腐海」に不時着する。
初めて本格的な戦闘行動に直面したナウシカは、機敏な行動でバージを不時着へ誘導し部下の命を守ったものの、殺戮に軽いパニック状態になりテレパシーでアスベルに攻撃をやめるよう呼び掛ける。
そのため隙を作ったアスベルもまた、クロトワの操るコルベット(戦闘用高速飛行艇)撃墜され「腐海」に不時着する。
「腐海」に降りてバージを救ったナウシカは、そこで「腐海」の主とも言える巨大な蟲王蟲と接触し、アスベルの生存を察知し、ただ一人メーヴェ(一人乗りの動力凧)に乗って救出に向かう。辛くも生き残ったアスベルは「腐海」の蟲たちを殺しすぎ、蟲の群の集中攻撃を受けていた。
ぎりぎりのところでナウシカはアスベル救出に成功するが、二人して「腐海」最下層へ落ちてしまう。気を失ったナウシカを守ろうとするアスベルの前に現れた王蟲は、ナウシカを小サキ者と呼び、彼女がそう望むから殺さない、早く去れ、自分達は助けを求める遠い南の森へ行く、と言い残して去る。
「腐海」最下層は瘴気が無く、空気も水も清浄な場所であった。ここでナウシカは「腐海」が地球環境を浄化しているという自らの直感の裏づけを得る。そしてナウシカとアスベルはメーヴェで「腐海」から脱出するが(ここまでで単行本第一巻)
僕は空を見上げていた。
突き上げるような空だった。蒼穹は、視界の辺境付近から僅かに青くなり始めていて、そして天頂に至ると群青色に近い色を帯びていた。僕は、そのグラデーションを眺めながらに、麦の穂の匂いを感じた(実際には僕に匂いを感じる機能はない)気がした。
視線を下ろす。
僕の目の前には、ずらりと並んだ、麦の穂の茎が見える。それは、視界の限りにひしめいていて、とてもではないけれど、その向こう側に何があるのかを見渡すことができないほどである。
つまるところ、僕の身長はとても低い。
僕は、その中で一歩を踏み出した。
柔らかな土壌を踏みしめて――立ちふさがる麦の丈を、掻き分ける形ですり抜けて――そのまま、前へと進もうとしていた。これは、言うまでもないけどちょっとした重労働で、いつになればこの麦の野を踏み越えることができるのかは、全く分からないくらいだった。
しかし、僕はそれほど経たない内に立ち止まっていた。
僕の前に、ふと、立ち塞がる影が見えたのだ。
それは、先程から僕の視界を塞いでいる麦とは、まったく別の、白色をした透き通るような柱であって――つまるところ、それは少女の足だった。
僕は、視界を上向きにし、そしてそこで僕の方を見下ろしている、少女の笑みを見つけることになる。うっかり、迷子になってしまったとばかり思っていたけれど、少女は僕の歩いている位置をきちんと把握してくれていたようだった。
少女が、軽く僕に視線を残すようにした後で、僕に背中を向けた。それから、先ほどの僕と同じように一歩を踏み出した。
僕のそれとは比べ物にならないほど、力強く、そして、移動する距離も大きい一歩である。
それは、僕の眼前を覆っていた麦をぱきぱきと折って、そして、僕の視界を少し広くしてくれるものだった。
僕は、そんな少女の歩みを見つめながら、少しの間立ち尽くしていた。彼女は僕の前を先導して、そして、幾分その麦の野を、僕にとって歩きやすい地形に変えてくれる試みに、努めてくれているようだった。
ふと少女が立ち止まって、僕が付いてきているかを、その平たくなった地形をきちんと進んでいるのかを、確かめていた。
先程よりも、少し歩きやすくなった前方の視野を確認しながら、僕は少女に続く形で歩みを再開する。
少女が微笑んで、そして、再び僕の視界を広げる一歩を踏み出す。
僕は、その姿を後ろで眺めながら、少女のゆったりとした足取りに、どうにかして付いていこうとしていた。
そして、僕は再度、空を見上げてみた。
群青色の蒼穹がそこにはあった。そして、漂う雲。
でも、その色づいた空の表面を見て取ることは、僕にだってできていた。
僕は正面を向き直る。
そこに待っている少女の方へと向けて、更に一歩を踏み出していた。
それなりに充実はあったのだけど、
ものの見事にツマラナイ大人化していることに、40才の誕生日で気づいた。
その原因と対策について書いてみます。
結論から言うとツマラナイ大人化する最大の原因は
「やりたいことをあきらめ過ぎちゃう」
ことだと思う。
自転車旅行、トライアスロン、ロッククライミング、カヌー、ギター、世界の辺境旅行。
でも子供ができて一家の生計を支えにゃならんという責務が生まれ、
それを強く意識しすぎ、かつ勤め先が自転車操業な半ブラッキー会社ということで、
それまでの趣味は全部あきらめて、仕事と子供の相手だけの日々になっていた。
仕事しないと会社潰れるし、子供の相手しないと嫁さんの機嫌悪いし。
今振り返ると、自分らしいこと何一つやってない。
こういう日々が長く続くとしだいに自分のアイデンティティが失われ、
いわゆる歯車w
35歳を過ぎたあたりに、この現状に対する物凄い葛藤があったのだけど、
なんとなくダマシダマシに過ごしてきたのが最大の敗因だと思う。
という言い訳を脳内で反復しつつ、ツマラナイ大人状態へ遷移完了。
やりたいことが何っ一つ沸き起こらない。
というわけで、対策。
ツマラナイ大人化を認識してから、現在までに試し、それなりの効果を上げつつある対策を振り返ってみる。
原因がヤリタイことが出来てないんだから、ヤリタイことすればすれば良いということなんだけど、
ヤリタイことが無くなってるのが最大の問題なんですね。
ゴースト無いんでw
そこで、半分、鬱病状態にまでなったところで出した結論が、
システムを変えるということ。
サラリーマンから自営業へ転身したときのストレスは半端なかったけど(安定収入が無いってのは想像以上にストレスでした)、
それを乗り切ると心の平穏を獲得できた。
と同時に、付き合う人たちもガラリと変わって、個性的な生き方をしている人達に多く出会えた。
これまた良い意味で変態な人達ばかりで、ジワジワと「自転車が好き」って感覚が蘇ってきた。
色々な新しい刺激が、自分のゴーストを再生してくれたのかもしれない。
環境が変わると人は変われるもんなんですね。
「人は何才でも変われる」という確信が出来てきたので、多分大丈夫。
あきらめなければ大丈夫なんですよ、きっと。
たしかに院卒であることが必須だったりするような世界では、趣味とはいえないかもね。医者になるには医学部必須みたいに、好き嫌いに関わらず、その方面に進むためには通らざるを得ない道という意味では。
でも、その他の世界、つまり院卒であることが必須ではない世界の方が圧倒的に多数派でしょ。院なんかだと、わざわざアフリカみたいな辺境に行ってフィールドワークとかしたりするけど、ただ単にそういうのが面白そうだからやるだけで、別にそれが将来の職能のために必須だからやってるわけじゃない。だとすると趣味っていってもいいんじゃない?
別に趣味だからといって悪いっていってるわけじゃないし、修論書きあげたってだけで、がんばったんだな~って思うよ。でも結局趣味系の「○○検定」の1級もってます!ってのと同じようなもんじゃないかってのはいつも思うね。
と声高に叫んでいた人たちは、震災以前に構想された「風立ちぬ」が、震災以降の感覚で受容されているのを、どう思っているんだろう。
宮崎駿が、震災や原発の問題にコミットしているのを、どう感じているんだろう。
「ピングドラム」や「進撃の巨人」が、震災と絡めて語られるのを、どう考えたのだろう。
震災から二年以上が経ってようやく、震災後に構想された作品が生まれつつあるのを、どう見ているのだろうか。
富野由悠季が、新作のガンダムに震災や原発の問題意識が盛り込むと言ったのを、どう聞いたのだろうか。
「あの意見は明らかな間違いだった」と言い切った人が、同じ口で「ガッチャマンクラウズ」を絶賛しているのは何故だろうか。
すべてはメインストリームになりえぬ辺境での出来事だと言うのだろうか。
「ガッチャマンクラウズ」、面白いです。
昨日、夢を見た。
自分が生まれた場所は田舎で、文化の伝搬が一年遅れで来るような辺境だった。
ただそんなところでも人並みの青春は送れる。部活だったり、恋だったり。
夢で会ったのは、好きだった人だ。
小学生の頃からの友人で、気づいたときには恋愛対象として意識していた。
中学生に上がった頃、その人を想い眠れなくなったことがある。
朝日を迎えたときは我ながらバカだと思ったが、今になってそれが恋わずらいなんだと気づく。
その人は鬱屈し性格に難のあった自分を、真っ向から批判し、優しく諭してくれた。
両親にすら信用されていない自分は、まるでその人のことを聖人のように感じていた。
そんな人と一生過ごせたらどんなにいいだろう。
それはきっと幸福で、どんな苦難でも乗り越えられるのかもしれない。
そんなことを考えて、その人に告白をしようとした。
そう、告白はしなかった。いや出来なかったというのが正しいか。
臆病だった自分は「好きな人いるの」と告白の前にいってしまった。
そのとき初めて、自分のよく知っている人とその人が付き合っていることを知った。
そんな相手と夢で久しぶりに会った。
懐かしい制服。当時は凄く嫌っていたのに、今はとても愛おしく感じる。
そして目が覚めた。
目が覚めると、自然と涙がこぼれた。
もう何年も帰っていない故郷へ、久しぶりに帰ろうと思う。
朝は快晴。暑さで起床。日差しが辛い。
・ROUTE 17 Rock 'n' Roll Orchestra
池畑潤二率いるバンドに、ゲストとしてトータス松本・甲本ヒロト・大江慎也(ルースターズのボーカル)がゲストとして登場。
グリーンステージ一発目としてお祭りの始まりを飾るに相応しい、愉快なロックンロールバンド。
甲本ヒロトがYMCAを歌っていた時に物販列に並んでいたのが非常に悔やまれる。
社長はいつも通りガウンを羽織ってらっしゃって非常に暑そうだ。
バンド内で社長の役割は「アジテーター」となっているが、実際はサックスのエフェクターをいじってダブ風にしたりパーカッションをしたりとちゃんと他の仕事もしていた。
クラブ・ジャズバンドであるため、どうしても後に見たJazzanovaと比較してしまうのだが、Jazzanovaの方に軍配が上がるかな。人数で負けてるし。
だからといってカッコ悪いというわけでなく、むしろこの二つはクラブ・ジャズ頂上決戦くらいな感じなので、最高に踊れた。
トランペットの人がソロの後に酸素吸入器使ってて、管楽器って大変だと思ったよ。
・怒髪天
普通のロックンロール。ただでさえ暑いのにめちゃくちゃ暑苦しかった。
別に嫌いとかそういうわけじゃなくて、「ゴミ分別に参加してタオルをもらおうキャンペーン」列に並んでた時に聞いたので、暑いのが辛かったってだけ。
ちなみに、「ゴミ分別に参加してタオルをもらおうキャンペーン」に関しては、タオル目的に参加するとフジロックごみ問題について考えざるを得なくなるという良企画だった。
みんな、リサイクル食器は食べかすが残らないよう綺麗に食べよう。
モッシュピットでは若者ではなく、いわゆるエアジャム世代のオッサンたちが大騒ぎ。
今でしょ!と思い人生初ダイブに挑戦するも、うまく支えてもらえずしょっぱい感じで前から退場。
今回二番目に楽しみにしてたバンド。
ついにJacking the Ballを生で聞ける時が来たか!灼熱のオレンジコートに涼しい風が吹き抜ける!と期待が高まるが…
CD音源の方がよかった。てかライブなのに露骨に既成音源使いすぎなんだよ…これ以上何も言うまい。
折角二列目で聞いてたけど途中で後ろに下がってしまった。
Twitter見てたら「オッサン感動して泣いてしまったよ」みたいな人が複数いたが、これで感動はさすがにハードル低すぎorノスタルジー効果でしかない。
2月に来日公演を見逃したマイブラ、ついにお目にかかれました。
Twitterで小野島大さんが指摘していたが、最初は音が小さく迫力不足だった。なんだマイブラこんなものかと。
音量は徐々に上がっていき、最後の曲くらいになるときちんと轟音と呼べるレベルになったので、ノイズの波に包まれる感覚はちゃんと味わえた。
しかし音量は上がったとはいえ、全体的は音の解像度が低く、音のレイヤーが緻密に重ねられているCD音源に比べるとかなりお粗末なサウンド。
ケヴィン・シールズの後ろには10台ほどのアンプが並び、ギターも一曲一曲取り替えていたが、努力虚しくといったところか。
Only Shallowのイントロとかライブだとどうなるのか楽しみだったのにな。
最後の曲で「うおーノイズの雨だ!」とか思ってたら本当に雨が降り始めて、「これはマイブラの演出か!?ハンパねぇ!!」とか感動していたのだが、その後雨は笑えないレベルに。
後ろの方で見るハメになったが、後ろの人達の目的はCharaではなくテントの屋根。
静かな曲の時も、隣の外国人が大声で会話をしており勘弁してくれという感じだった。
しかし「やさしい気持ち」は一応聞けたのでよかった。
Charaの声は生で聴くと尋常じゃなくハスキーであり、s/n比が大変なことになっていた。
もはやノイズボーカルといっていいレベルであり、非常階段のシャウト担当の人を思い出す。
「やさしい気持ち」サビでは絞りだすような歌い方がさらにノイズ成分を増していて、音程とかいう世界をもはや超越していた。。。
これは是非ライブで聴くべき。前で聞けなかったのが悔やまれる。
参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=EoUSERsC8VI
先日見た初音ミクオペラTHE ENDと同じ舞台構造で、背景のスクリーンと前面にある半透明スクリーンの間にDJブースがあるという構造。
このVJがすごすぎて、ちゃんとみんな音楽聞いてなかったんじゃないの?と思うレベル。
印象的だったのは、インテリジェントなサウンドと裏腹に、フライング・ロータス本人がかなり頭悪そう(いい意味で)でハイテンションなアジテーターだったことw
無駄に「オキナワー!キョウトー!インザマザファカ!」とか叫んでた。
・Char
迷うことなく1日目のベストアクト。
ライブはなんとノープラン。Charが友人ギタリスト及びフジロックで出会ったギタリストを順番に招いてひたすらジャムセッションしていくというもの(なんと二時間半も!!)。
ギターを少しでもかじったことがある人なら感動せざるを得ないライブだった。
Charはそれぞれのゲストとギターで会話。必要な言葉は「キーはDで!」というセリフのみ。
ギターでの会話にはきちんとシンタックスがあり、方言もあった。
奥田民生のソロの後にCharが「おっ、ギターも広島弁だねぇ」と言ったのが印象的。
フジロック当日に初めて会ったEddie Roberts(The New Masteroundsのギタリスト)はファンクギタリストであり、Charはブルースギタリスト。
ジャンルの違いは方言の違いのようなものであり、お互い歩み寄り会話を成立させていく様には全てのギター小僧が感動したことだろう。
Char本人に関して言えば、立ち居振る舞い、声、ギター、何をとっても最高にかっこいい不良中年だった。
ライブ中にタバコは吸うわ、ビール缶を蹴って客席に飛ばすわ、そんでもって58歳にもなってビールを口から友人に噴きかけるやつなんてCharくらいのものだ。
そして、Charはゲストたちだけではなく観客との掛け合いも忘れない。
「そろそろ声出しとく?」とライブ中何回もコールアンドレスポンスをはさみ、雨でずぶぬれになった観客たちの体を温めてくれた。
最後はWarの「Cisco Kid」の替え歌で、全てのギタリスト総出で「Fuji Rock Kid」を演奏。
我々観客はサビで「Fuji Rock Kid was a friend mine」と大合唱。
裏でやってた(どちらかと言えばCharが裏だが)ナイン・インチ・ネイルズも少し気になったが、Charを選んで本当によかったと思えるライブだった。
佐藤タイジと奥田民生はハードロック、鈴木賢司はエレキシタール、Eddie Robertsはファンク、CHABOとCharはブルースという、もう本当に異種格闘技戦だったわけで。
Char×Eddie Robertsなんてもう二度と見られないだろう。
ピラミッドガーデンという辺境の地でしかも深夜ということもあり、夕方のCharaとは対照的にセレクトされた客層。
どれくらい辺境かというと、メインステージがある方向と反対方面にテントサイトから徒歩20分というレベルなのだが、この場所は勝井さんたっての希望らしい。
まずは勝井祐二×U-zhaanの即興演奏。先ほどのCharとはシンタックスこそ異なれど、これまた達人同士による会話が繰り広げられる。
多分彼らは無限に会話を続けられるだろう。こうした即興演奏を見ると、もはや曲という概念がよくわからなくなってくる。
青葉市子はポンチョにサングラス、箒を振り回しながら登場し、その場にいた全員を困惑させる不思議ちゃんぶり。
青葉市子は弾き語りの音源とライブを聞いたことがあったが(翌日にも見た)、そこにエレキバイオリンとタブラが加わるとさらに素晴らしい曲に仕上がっていた。
最後はその日が命日であったrei harakamiとU-zhaanが共作した「川越ランデブー」を勝井祐二、U-zhaan、青葉市子の三人で演奏。
大げさな言い方だが、即興演奏の達人たちはもはや死者とも会話していた。
といってもシリアスな感じではなく、曲はむしろU-zhaan特有なシニカルなユーモアあふれるものだった。
後からYouTubeで原曲を聞いたが、歌の部分は青葉市子が歌う方が可愛げがあっていいと思う。
しかし、斎藤牛蒡店は自らのやばさに気づいてないあたり、U-zhaanよりもさらにやばい。
参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=NICEXdZ2s3o
勝井さんの演奏を見るのはこれで4回目だが、毎度毎度違った印象だ。
新卒既卒フリーター向け正規雇用前提インターンということで行ってきた。
まあ、結論から言うと趣旨理解できてない企業ばかりで行くだけアホらしいぞって事だが。
50社以上も参加しているということで、淡い期待もあったが、
ふたを開けてみたら、案の定初参加企業ばかり。
そして就活応援プロジェクトの意味も分からず経験者採用をモットーにするバカ会社ばっか。
こんなんだから零細なんだよ。インターンに経験者必須とか聞いたことないお粗末さだわ。
いい加減こんな企業に金落とすためだけの無駄政策やめろって思うね。
主催は中小企業でやってますってつもりみたいだけど、100人以上の企業が二社しかないのに
中企業ですらないって酷くね。
当のヒューマンリソシアは新卒者らへの対応はかなり良かったが、企業への説明が省かれてるのか
適当にあしらって参加させたという感じがする。とにかく技術者畑の会社は今回のプロジェクトにお呼びじゃないってわけだが。
今回参加した企業50数社のうち、ハロワ常連企業つまり離職率高いブラック企業は20社近くあり、まともなのは製造だけってね。
その製造も辺境地にあったり従業員が一桁とか30人未満が大半。
正に零細フェアだったわけだが。
インターンの意味をタダ働きかなんかと勘違いしてる所もあった(元の意味は体験させてもらう事。でも残業ありはないわ)。
説明会だってのに参加者に聞き取れない位の音量で話す人もいたし、
参加者がいるっていうのに目がキョロキョロ他の方に視点を動かしたり、
参加してる女性参加者に目をキラキラさせて話す翻訳会社もあったな。
そこ調べたら大阪にある、医療製品の翻訳会社で女性社員しかいないらしい。
そりゃ男性が参加したいと言ったとき露骨に引いてましたもんね。
と、それはさておき、今回参加の企業は恐らく“参加してインターン取れば国から補助金日給にして3500円支給して貰える。しかも参加者も国から貰えるから損失が全くない”ことを理解してる狡猾な会社なんだろうと思う。
事実、件の経験者や女性贔屓の会社が多い中、まともだったのは製造業で、でも片道2時間くらいの遠方地(山奥とか交通の便がないような過疎地)が中心でね。
今回見た感想としては、ジョブマッチング以前に企業から参加者に歩み寄る気が全くない事が分かった。
酷かった所では、残業について聞いたら社長は満面の笑みで「ありません」と答えたのに同伴者があからさまに表情曇らせた所かな、今の所。
行く前に分かって良かったという点では今回一番の収穫だったよ。
つか初参加企業多すぎィ!!