はてなキーワード: 薄っぺらとは
「理解のある彼くん」ってクソ性格の悪いインセル連中が言うことだから鵜呑みにするなよ…。だいたい成功したり障害を克服したりで「支えてくれた彼のおかげです♡」って言ってるような人間は、元々パートナーいなくたってどうにか乗り越えていけるような人間だから。人間も出来てるからパートナーに感謝を述べられるわけで。
あとその彼は理解があるわけではなくあなたのことを甘やかして愛玩してただけや。漫画によくあるような優しそうに見えて全然優しくない、薄っぺらいやつなだけ。ちゃんと増田のことを思ってたら、甘やかすだけではなくあなたが思い違いをしてたら真摯に咎めてくれたりするし、ましてやポイ捨てとかせんわ。
根性の曲がったメンヘラに寄ってくるのは決して「理解のある彼くん」などではなく、ただのメンヘラ培養器だから。奇跡的に理解彼に見初められるかもとか、捨てられないためにとか、無用な心配しなくていい。寄ってきたのがメンヘラ培養器か良彼かは結果論でもあるけどね。メンヘラを直すのはなかなかすぐにはどうにもならんから、まずは筋の通ったメンヘラを目指すべき。がんばって。
誤解がないように先に言っておくと、私はフェミニストが嫌いなわけじゃない。
私自身はフェミニストじゃないけど私の母はフェミニストだったし、女性の就業支援など積極的に活動を行っている人だった。
母の活動は社会貢献だと思っていたし、その気持ちは今でも変わっていない。
まず前提として、私は腐女子だ。
Twitter活用の中身なんて、好きな二次創作をいいねして推しキャラのことを話すだけのキモいオタクだ。
そのTwitterで先日、女オタクのこんなツイートを見て驚愕した。
「呪術廻戦はジャンプ的セクハラが無くて良い作品だと思っていたのに、男性の先生が女子生徒の制服を着るなんてがっかりだ」
…なにそれ??
そもそも呪術廻戦は週刊少年ジャンプで連載中のれっきとした少年向け漫画だ。
私はいい歳してジャンプが大好きな大人げない大人だ。その自覚はある。
男女問わず大人のオタク向けではないし、ましてや腐女子をターゲットにしている雑誌ではないことなんて重々承知している。
そんなこと、オタクはみんな分かっていると思っていた。
それなのに何??
ジャンプ的と言うからには、そういうセクハラ(とツイート主は感じている)描写がある漫画がジャンプ誌面にはたくさん載っていると思ってるってことですよね?
なのになぜジャンプを読んでるの?
自分でテレビのチャンネルを選べないような年齢でもあるまいに。
年甲斐もなくジャンプアニメを見るキモい大人のくせに、ターゲット層でもないくせに、いっちょ前に内容にいちゃもん付けるってどんな神経??
本当にびっくりした。
実はそのツイート以前にも「呪術廻戦はこれこれこういうところがフェミ的に素晴らしい!」みたいな感想を見かけて、
それはそれでもにょもにょしたけどツイート主さんは楽しそうだったからスルーできた。
楽しみ方は人それぞれだし、私だっていろんなアニメを腐った目で見ているし。
でも今回のは違う。
私にとっての呪術廻戦は「週刊で読むけどあまり好きではない」くらいのものだけど、それにしたってこれは酷くないか。
勝手に自分の中のイメージに当て嵌めて期待して、勝手に落胆して、あまつさえそれを誰の目に触れてもおかしくないTwitter上にアップするなんて。
五条先生がいくらイケメンスーパーマンだってこんな理不尽な目に遭ったら困るやろ。
今の深夜アニメは様々な層に向けた作品が有って、誰でも自分好みのものを選べるくらいに飽和している。
それなのに流行っているからって自分がターゲット層でない作品に寄って来て、さも高尚みたいなフェミニズム"風"の言葉を並べて、
ジャンプがセクハラまみれの酷い雑誌みたいな言い方をして、それが許せない。
個人の超絶狭い価値観で作られた自分本位な感想を、薄っぺらいフェミニズム"風"の言葉で覆って負の感情を撒き散らしたことが許せない。
ジャンプが悪いものみたいな言い方も、フェミニズム"風"の言葉も、全方位を不快にさせるものだと自覚して欲しい。
本当にフェミニズムを推進したいのなら、前述の私の母のように現実世界で活動したらどうですか。
Twitterの、しかもアニメや漫画の感想とかいう物凄く狭い世界の中でそれっぽいこと言ってたって世の中なにも変わらない。
ちょっとの賛同者にいいねもらって、「意識高いワタシ」の自己顕示欲が満たされるだけでしょ?
そこであなた達がやってることって、人の"楽しい"に水を差すだけで何の生産性もない、荒っぽい言い方をすれば「攻撃的な行い」なんですよ。
高尚な思想やお気持ちを、アニメや漫画の感想呟くアカウントで言ったって何の説得力もないですよ。
腐女子だって、他の腐女子の言うこと「こいつ妄想をさも公式かのように語るな…」くらいの温度感で聞くでしょ。
この時期は追い出し会が企画される時期。今年からサークル会長として仕切らなって気合を入れようとした中で、挨拶とばかりのコロナのクリティカルパンチ。
OBの為に買っておいたプレゼント1万円強はすでに準備済み。先輩やOBと相談した結果、コロナをこの時から警戒する先輩もあったので強行はせず中止。サークルによっては追い出し会を強行したところも結構あったらしい。参加費から捻出するつもりだったプレゼント代は結局自腹を切る形で後ほど補填しようと思って今もそのまま。予約してたお店のキャンセル料が掛からなかったのは助かった…ってのが正直な感想。
もちろん、飲食業側がそれでとても大変な思いをしたのも分かってる。申し訳ない……
4月以降
大学側でリモート講義の為の調整があって、例年は上旬に始まっていた講義も5月にも入ろうかって頃に始まった。
結局、7月下旬まですべてオンラインでの講義になった。講義スタイルは講師に一任されていて、基本的にはZoomとかを使ったリモート形式+課題か、PDFとか動画の資料を配布して課題をこなす形式かに分かれた。
ウチの大学はPCが貸与される。ちなみに人権は守られないしHDDであるから快適性はお察し、これで1年間リモートとか拷問かなにかですか?なので結局自腹で環境揃えた。最近になって聞くと、一応自腹で環境揃えた学生もいない訳じゃないけど、ほとんどの生徒は人権未実装のPCでここまでやってきたんだそうで、マジですか。
ちなみに、Webカメラは今年の1年からの機種には付いたみたいだけど、それ以外の大多数の生徒にはない。
リモート形式も手探り。100人超えの受講生がいる必修から、10人程度の小規模なものもある。ここは大学、学科によって分かれただろうけど、ウチの学科では、基本的に貸与にWebカメラが標準装備されてないので顔出しは強制出来ない。リモート、双方向とはいえ、講師が一方的に喋る動画講義と変わらないようなリモート講義が続いた。
一応、少人数の時は不意打ちで講師が名指しで生徒を呼んで、返事をするかどうかでサボってないか確認するけど、時たま裏でLINE通話で友達とおしゃべりしてる声が入る不用心な生徒もそれなりに居たし、サボろうと思えば幾らでもサボれる環境にあった。
結局、内容は急ごしらえのオンライン用資料で薄っぺらく味もしない講義で1学期目が終了して夏休みに入った。1つ幸運なことと言えば、試験がおおよそレポートに置き換えられたので、じっくり時間をかければ単位はしっかり取れたことぐらい。
サークル活動に関して言えば、当たり前だけど直接対面での勧誘は無し。オンラインで頑張って勧誘するも、元々そんなに規模も大きくないことから全然集まんない。
何がまずいって、この年の層だけ薄くなることで、例年やってる様々な行事の引き継ぎがうまく行かない可能性があること。
オンラインでは出来ることが少ない活動内容なので、活動も出来ない……OB・OGに状況の説明をすると一応の納得は示してくれるものの、落胆の視線が痛い……
9月に始まる2学期目は、さすがに全てPDFで配っておしまいという講師は減り、リモート講義をする講師が多少増えたぐらいの違い。
あとは、伝達ミスを教授側が認めなかったりとかオンラインならではのトラブルも多少あったぐらい。
実家ぐらしで色々リスクがあった為、バイト先に説明し休職が貰えた。
結局、8月頃の落ち着いてた時期に細心の注意を払って祖父母の家に顔を出したぐらいしか外出はしてないし、外食もしない。友達との遊びもなく。チャットで話す程度で、おおよそほぼ完璧な自粛もとい引きこもり生活をしてきたけど、そろそろ限界が近い気がする。
明らかに生産効率(大学生の場合はレポート効率か?)は春の頃よりも落ちてきているし、講義に対しても熱意を持って取り組めなくなってきてる。
結局、リモートは代替手段であって、大学に行って実際にできることを全て補えるわけじゃない。一年間、そうして「出来なかった」事は、喪失感、停滞感として確実に溜まってきてる。
家にいる事が増えたからってことで、読まなかった漫画やアニメの量を増やして気を紛らわそうとしたけれど、どんどん増えてく喪失感と停滞感と焦り。
ニューノーマルだとか言って、ノーマルを新しい状態に軌道修正しましょうみたいな事を言う人がいる。
でも、大学生は、今やってることが新しい事で、今までの普通を知らないわけだから、軌道修正もできずに、ひたすら真っ暗闇の道を突き進んでるって人はきっと多い。
-----
補記すると、知人に話を聞く限り、大学生もいろんな人がいるみたいで、ウチはバイトを休んだけども、むしろバイトはやってる人の方が多い感じがした。
バイト先から、バイト同士での飲み会は控えるようにって通達が出ても、うるせぇって跳ね除ける人もいた。
おそらくは、制限を解除した場合、大学生ってのは普通に飲み会を開催してもっと感染者を出しかねないので、感染防止の観点からは一概に大学の制限は間違えとは言えないと思うジレンマ。
ガイナックス、つまり庵野秀明とかのオタクが宇宙戦艦ヤマト世代だったはず
コミケで女性が森雪とかうる星やつらのラムのコスプレをするようになったのもあの世代の気がする
自分の中でもオタクというのはDAICONフィルムのようなイメージがあった
つまり、エンタープライズ号とか、宇宙の戦士とか、カニみたいな金星人とか、ゴジラやガメラ、ウルトラマン、ダースベイダー、ストームトルーパーとかだった
自分は小学校時代は周囲がジャンプを読む中、ホビージャパンや朝日ソノラマの宇宙船、ファンゴリアを読むのが楽しみだった
そういえば、マイ・ケミカル・ロマンスの「I'm not Okay」のPVはそんな出だしだった気がする
https://www.youtube.com/watch?v=dhZTNgAs4Fc
あー、トラウマが蘇るなあw
あれをチャンスだと宅八郎が考えたのは間違いないと思う
後に暴露されているように、宮崎勤の部屋にあったポルノ雑誌は記者が部屋の奥から探し出して見える位置に置いたものだった
スナッフネタもあるギニーピッグは宮崎勤以外にも多くの人がレンタルビデオで借りるなどして観ていたはずであるが、宮崎勤事件以降同様のケースを聞かない
また、ギニーピッグには多くの比較的知名度のある芸能人や俳優が出演していた
今で言うなら、怪談新耳袋や本当にあった怖い話、世にも奇妙な物語、トリハダなどの類である
そもそも、宮崎勤はそんなにホラーやスプラッターが好きだったわけでもないようだ
テレビでは宮崎勤の部屋にあったウルトラマンの切断技のシーンだけを集めたビデオを取り上げ、ウルトラマンの切断技が猟奇趣味に繋がったと煽り立てた
当時はインターネットなど存在するはずもなく、映像マニアは郵送でVHSのビデオを交換し、ダビングし合っていた
宮崎勤はポルノやウルトラマン、猟奇趣味というより、映像の収集に執着していたようである
つまり、部屋中に敷き詰められたビデオはほとんど観ていなかったとさえ考えられる
全巻そろえることが目的であって、読むことが目的ではないようなものである
ドラマなどの全話収集を目的に執拗にダビングを要求してくるくせに、宮崎からはネタを提供しなかったからである
また、宮崎はコミケに参加していたが、それは当時はワープロもなかったため代行で文字を清書する担当があったからである
ここまで書いてみても、自分の中のオタク像と宮崎勤はあまり被らない
何をオタクと定義するかによるが、鉄道オタクとか広く考えるなら彼は映像収集オタクではあったのだろう
小林よしのりが公開討論を断っているように、宅八郎は売名行為にいつも必死だった気がする
彼はブラウン管の向こうの視聴者が観たいキモいオタクを演じることを考えた
それがマジックハンドや紙袋を持ち、森高千里のフィギュアを持ち歩いては舐め回すオタク像だった
学校では漫画やアニメが趣味というだけでDQNに後ろから蹴られるようなことが起こった
今になって自分以外にも被害者が全国に大勢いるということは、それだけメディアの影響は大きかったのだろう
宇宙戦艦ヤマトやうる星やつらがそういったブームをもたらした一因であることは否定できない
ヤマトやうる星がなければガンダムもイデオンもマクロスもない、エヴァだって今はなかっただろう
ヤマトや高橋留美子作品だって、元々は手塚治虫だったり、その元々は田河水泡ののらくろだったりする
しかし、Aは駄目、とルールを決めるとき、A#やAbはどうなのか?A'はどうなのか?
それから、Aが駄目ならBやCも駄目になるし、Cが駄目ならDもEも駄目になるんだけどいいの?ということはよくあるわけだ
その線引きや人権との兼ね合いはこれからも人類が滅びるまで永遠に議論されるべきテーマなのだろう
逆に言うなら、今すぐ答えが出るようなものでもないし、拙速に求めていいものでもない
これからもエンターテイメント作品等とそれに対する規制は永遠に議論されるべきであり、文系的には文化の研究にもなる話と思われる
マクロスのプロトカルチャーだのデカルチャーだのではないが、思想や宗教が異なる者同士の交流は異文化交流と言えるだろう
個人的に思うに、宅八郎はそういった文化の衝突を売名行為に利用し、議論の余地をぶち壊すことを扇動した人物だった
オタク評論家と称している割に、教条主義が嫌いと誤魔化して、エンターテイメント作品に対する知識も浅く、オタクにしては薄っぺらい印象があった
というか、当の本人も売名のためにオタク評論家を名乗っているだけで、オタク文化自体にはあまり興味がなかったように思える
それより、YMOは単なるインテリであり、ヒカシューやプラスチックスをテクノ歌謡と持ち上げるとかの方にご執心だったようだ
YMOのメンバーの学歴から考えればそう感じてもおかしくない気もする
しかし、宅八郎はそういったコンプレックスよりも、とにかく天邪鬼なことを言って目立ちたい、売名したいが優先している嫌いがある
公開処刑だのストーカーだのオウム擁護だのも、とにかく逆張りで目立ちたい、他人のひんしゅくを買って目立ちたい気が満々だったようにしか思えない
いちいち「このゲームはこういった要素があって、ユーザーにこうやって受けてるんですよね」とか語る薄っぺらいマーケティング論マジうぜえんだよ。
如何に嘘っぱちか今から俺が『オレジナル要素分類』を即興ででっち上げて証明してやる。
「レインボー・シックス・パーツ」なんてどうだ?まさに今適当に既存のものパクって思い付きましたなのが俺の狙い通りだな。
じゃあ適当にゲームの構成要素を6つでっち上げるから待ってろ。
ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「人は自分が必要とされること、自分が世の中に価値のあることをしたと感じることに喜びを見出します。ゲームにおいてその最たるものがクエストとなります。敵を倒して経験値を得ることや、採掘等でアイテムを得ることも、行動に対して報酬を得ることから小さなクエストと見ることが出来ます。クエストとはすなわち労働です。現実の私達は労働を嫌いがちですが、それは生きるための糧をちらつかされて嫌々やっているからです。ですが、人に求められることを実行することは、世界を触媒とした自己効力感の確認にほかならず、本来楽しいはずです。ゲームは労働における不快の原因たる「過剰な理不尽さ」を取り除いて、クエストや稼ぎといった形でユーザーに提供します。労働はゲームを構成する最も基本的な要素と言えるでしょう。」
ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「ココで言う脱衣とは、何もうんたらこれくしょんに代表されるお色気ゲームの一要素だけを意味しません。謎に隠された物のベールを脱ぐこと全般を意味します。人は隠されれば暴きたくなるという習性を持っています。これはホモサピエンスの本能のようなもので、探求により快感を感じるからこそ人類はここまで栄えたとも言えます。たとえばこれはラスボスを倒してゲームの真実を聞くことや、攻略方法を見出して造り手の狙いを暴くことなども含まれます。当然、キャラクターのパンツがキチンと3Dで作り込まれているかをカメラを傾け探すこともですが。」
ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「うんこをすることは非常に健康に良いことです。うんことは摂取したものから必要な栄養素だけを抜き出して不要な物を吐き出す行為です。ゲームにおいてそれは、大量の情報や戦力を集めてから不要な要素を捨てていくこと、その過程において戦力全体が膨れ上がりプレイヤーもが成長する過程です。太いウンコを放り出した直後、自分がとても健康になったと感じるように、ゲームにおいては戦力外通告を突きつけることや、装備やジョブ、ひいては戦略を乗り換えていとき、人は本来それが齎す以上の戦力の高揚、そしてそれを実現した自分に達成感を覚えるでしょう。ときに、捨てることは得ることよりも大きな快感を齎します。過剰にそれを求めるあまり、一線級でないものを殊更に非難する癖がついてしまうプレイヤーも少なくないのがこの快感の強さを示しています。」
ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「システムを出し抜くとき、人は自分の影響力がシステムを超えたとすら勘違いします。王すらも自分を裁けないなら、己は皇帝であると思い込むのです。ゲームにおいてシステムのスキを付くような攻略法を編みだすこと、裏技を発見すること、それまでの定石を破壊することは唯一無二の快感を齎します。もちろんその中には作り手が意図して仕込むものもあります。根幹の戦略をひっくり返すようなコンボや、知れば世界が変わる硬直キャンセル、そういった一見バグにも見えるものを見つけた時、プレイヤーはプログラムという神を超えたとすら感じるかも知れません。ですが、それらのうち何割かは、初心者マークを外したプレイヤーのための次のステージとして最初から仕様に含まれているのです」
ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「いい加減私も飽きてきました。あなた達もそうでしょう。しかし、これが私によって仕組まれていたとしたら?そうです。ゲームにおける飽きも製作者が仕込める要素の一つです。同じ戦術ばかりを繰り返すと飽きる、単調な展開のせいでなんだかダレてくる。そういったネガティブな感情を敢えて起こすことにより、ユーザーをコントロールすることが可能です。コントロールするということは、こちらが選ばせたいものを相手に自分の意志で選ばせたと思わせることです。そうしたとき、全てが狙い通りに行くでしょう。そして、ユーザーもまたそのように作り手に狙い通りにコントロールされる体験をどこかで求めているのです。狙い位通りに飽きさせてください」
ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「ヤマナシ、オチナシ、イミナシ。ゲームにおいてこれは決してマイナスにはなりえません。ヤマがないということは、自分のペースで遊びやすいということで。オチがないということは、終わりを自分で決めやすいということです。イミがないということは、体験の価値を自分で決められるということです。過剰な山場の提供、オチの用意、意味の設定、そういったものを鬱陶しいと感じる心は、実は全てのユーザーに多かれ少なかれあるものです。押し付けるなということではありません。どれぐらい押し付けているのかを把握しながら作っていくべきだということです」
どや?
な?
ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎の言うことってマジで信用ならんやろ?
な?
な?
つい先日、推し作品の舞台が幕を下ろした。シリーズ別で何年か続いていたものもすべて終わった。携わっていた皆様、本当にお疲れ様でした。
推し作品では、作品内のキャラクターが架空の舞台や映画に出演し、それがドラマCDとして公式から出ていた。舞台が3作品で映画が4作品。これからする話は、キャラクターたちが出演していた上記7作品をそれぞれを舞台化したものだ。
推し作品では『キャラクターたちは私たちと同じ世界(三次元)に存在している』という様なことを公式がほのめかしている。正直、私も『キャラクター』と書きたくない。私自身も公式の影響を強く受けているので、キャラクターではなく実在する『人物』だと思っている。しかしここではややこしくなるので、心に蓋をしてあえてキャラクターと書いていく。
2.5次元舞台は役者がキャラクターそのものになるのが一般的だ。今回推し作品では『キャラクター(初代)が演じた舞台・映画作品の役を若手俳優たちが【2代目】として演じて2.5次元化する』という落とし所をつくった。なかなか絶妙な配慮だったとは思う。キャラクターそのものではないが、キャラクターが演じた役を演じるので容姿は限りなくキャラクターに近くなる。公式が『推し作品内のキャラクターを演じる訳ではない』としくれたのはよかった。それが後に弊害になる部分もあったが。けれど、それが明確に表記されていたのは舞台化の発表時だけだった気がする。以降は暗黙の了解なのかなんなのか、ハッキリさせずに2代目は作品内の役名で呼ばれていく。私は以降、2代目と呼んでいく。
何も知らない人には上記を1から説明しないと話が始められないのが大変だ。あと一応私のことについても書くと、私は推し作品は愛しているが若手俳優にはまったく興味がない。2.5次元が流行りだす前から舞台やお芝居は好きだ。推し作品の舞台は全シリーズを実際劇場に見に行った。
舞台化の発表が公式からあった時は賛否両論とんでもないほどの反響があった。2.5次元が流行りだしても推し作品は乗っからず我が道を行っていたのに。公式が『キャラクターは現実にいる』って体現してきたのはなんだったんだよ!?と拒否反応で舞台化発表の時点でシャットアウトした人も多いと思う。今なお舞台の話については人によっては地雷になる。批判の声の方が大きかった気もする。あとは戸惑いの声。私は元から舞台が好きだし、公式がやると言うならとりあえず見ようと思った。とりあえず見てから何か言おうと思ったのでこれを書いている次第である。
やっと本題になるが、結論から言うと見た事に後悔はない。舞台を見られたことはよかったと思う。だけど手放しで『最高だった!』とは言えなかった。
見た事に後悔がないのは、キャラクターたちが演じた舞台・映画作品が元なので、その作品のその後、もしくはその作品へと続くゼロのストーリーが見られたことだ。舞台の脚本は各作品ごとに違うのである意味二次創作にはなるが『もしこれをキャラクターたちが演じていたら…』と妄想が膨らむ。また、初代が演じた舞台・映画は現実ではドラマCDだったので、同じ内容でなくても舞台セットや衣装など雰囲気を実際目で見ることができたのはとてもよかった。脚本の中身ついては好みもあるので意見は別れると思う。アクションが多い舞台もあったので、そういう作品については物語の中身よりアクションを魅せる方に力を入れていたように思う。あとは2代目の脇を固める、舞台オリジナルキャストの存在も大きかった。場数をそれなりに踏んでいるであろう安定した演技、2代目を支え、引き立たせる役割をしっかり果たしてくれていてどの役者の方も素晴らしかった。そして、時に何役もこなし、時に舞台転換、時にダンスも踊る、万能すぎるアンサンブルの方々。アンサンブルは舞台の中では目立つ存在ではなくても、絶対に欠かせない方たちだった。原作のドラマCDは主演キャラクターしか出てこないので作品の世界感はかなり広がった。オリジナルキャストとアンサンブルの皆さんには本当にスタンディングオベーションを贈りたい。推し作品に携わってくれてありがとうございます。
じゃあなにが手放しで最高と言えないのか。推し作品の舞台は、本編のお芝居の後に歌やダンスのパフォーマンスをする2部構成だった。休憩も挟まず、本編の内容にも関係なく『この後は歌とダンスで盛り上がってほしい』と言われる。2代目は『キャラクターたちが演じた役の2代目を演じる』だけであって、正直歌う必要はないと思っていた。だから突然歌うと言われても困る。そしてお芝居の余韻に浸ることもできない。この流れが私は苦手だった。そして、さらに困ったのが『ペンライトを振ってほしい』と言われることだ。推し作品のキャラクターたちは歌を歌うので、キャラクターたちに対してペンライトを振るのは分かる。でも2代目はキャラクター本人ではないし歌う必要もないと思っているので、私にはペンライトを振る理由がなかった。申し訳ないとは思ったが、ペンライトを振りたいとは一度も思えなかった。極めつけは、歌っている途中で突然客席に向かって愛を伝えるシーンがあったりする。別に私に言っている訳ではない。でも客席に向かって言われたら、私も客席にいるので仕方ない。これだけは譲れなくて、私は推し作品のキャラクターの女ではあっても2代目の女ではない。お前の女ではない。めんどくさいオタクである。誰もが頷くような圧倒的なパフォーマンスを見せられたならその気持ちも少しは変わったかもしれないが、残念ながらそこまでには至らなかった。
2代目の役に対しても同じ気持ちだった。初代はドラマCDなので声のみの演技だ。色眼鏡で見ている部分もあるが、それでも感じるものはあった。2代目に関しては視覚を通しても見ているのに心に響いてくるものが少なすぎた。若手俳優だし経験の差なのかなと思えば仕方ない部分もあるが、私は2代目の頑張りや成長を見たい訳ではない。推し作品の舞台を見に来ているのだ。お金を払って客として見ているのだから、完成された舞台を見たい。それが叶わない部分が少なからずあった。それが推しキャラクターの演じた役の2代目であれば尚更気になる。初代の演じた役への解釈が薄っぺらい。表現力が足りない。先ほどの話にもなるが、2代目は無理に歌わなくてもいいからもっとお芝居に力を入れて欲しかった。2部構成には無理があったんじゃないかと思った。
そして、2代目のことは最初から最後までどう扱っていいか分からなかった。舞台では2代目として初代の役を演じて、パフォーマンスはキャラクターと同じように歌って踊る。さらには時々キャラクターの口癖や仕草を真似る。
2代目、お前らは一体誰なんだ。
公式、お前は客に何を見せたいんだ。
2代目は2代目なんだからキャラクターに重ねたくない。最初から最後まで線引きをちゃんとして欲しかった。
これは推し作品に限ったことではないが、2.5次元の流行りで若手俳優はいろいろな舞台へ引っ張りだこだ。稽古時間が限られていたり他の仕事があったり、分からないけど色々あるのかもしれない。そこに今はコロナもあるので制約があると思う。これがあの時の精一杯だったのかもしれない。だけど、なんで客側がそんなことを考慮して見なきゃいけないんだろう。創られた非現実世界を楽しむために舞台を見に行ってるのに。なんで諦めて見なきゃいけないんだろうか。流行りだから、儲かれば舞台化するでいいのか。実際推し作品の舞台化が儲かったかどうかは分からない。正直そんなにキャパのない東京公演でも当日券が出たり空席も見かけた。最後の舞台の千秋楽後も続報はなかったので、ここが幕の引き時だったのかもしれない。
以上が、推し作品の舞台を観た率直な感想だ。色々なことを言ったが、最後まで推し作品の舞台に携わってくれたすべての方に感謝を言いたい。前途多難な舞台化を走り切ってくれてありがとうございました。
推し作品の公式は、ファンの声をもっとリサーチしてなるべく多くの人が喜べるコンテンツ展開をして欲しい。身内同士をこれ以上仲違いさせないでくれ。頼むから。
いま差別だなんだと騒がれているCMですが、気に食わない点があります。
簡単にストーリーを説明すると、このCMは3人の少女たちを取り巻く環境に対して彼女らが悩み、葛藤し、それを乗り越えてゆくというものです。
そのストーリーの中で問題に上がっているのはいじめ、家庭内の問題、同調圧力などです。
この問題によって彼女たちは周りと違うとか合わせなきゃとかここにいていいのかと悩むわけですね。
これらを乗り越えてゆく構成になっていますが、その問題に対して彼女らが取った行動とは、『ありのままでいる』ことです。
何かおかしいのかと疑問に思う方もいると思いますが、彼女たちが取った行動、という点でみるならば正しいです。
ですが、NIKEは『ありのままでいる』を是とし同じように悩む人々に向けてCMとして発表しました。
俺はこれが気に食わん
ありのままでいられるやつは心が強いやつだけ
こういうと自分心弱いけどありのままでいられるよとかほざく奴がいるがそいつは弱いふりをしてるか環境に恵まれているだけ
この環境ってのもたまたま普通の容姿でたまたま常識を教えてくれるいい親に当たっただけ
それに『ありのまま』の内容によっては他人に害が出るしその反動で潰されるからそれを無視できる人間でないとありのままを出すことは難しい
無責任すぎて気に食わん
あとこのCMに出てる奴ら自分のやりたいことの邪魔されてねえじゃねえか
ならスポーツ絡ませる必要ないだろ自分の好きなことできている時点で充分だろ
というかそんだけ悩んでも折れなかったのはスポーツが好きっていう自分があったからでしょ
本当薄いわこのCM
大体傷ついて何かができなくなった描写がないから何が問題なのかわかんねんだわ
マイノリティに向けたCMなんだろうけどこんなんマイノリティの中でもマイノリティでしよ
いじめで本当に傷ついている人たちが日本には人種を問わずいるんです
傷ついた人を救えるようなCMとは思えません
いじめは行動、思想、派閥、容姿、文化など色々な違いから差別は人種の違いから起きるもんだと思ってます
だから動画の奴らは今後も露骨ではないいじめを受け続けることになるんだと思います
ぐちゃぐちゃで申し訳ないけど最後に何か言いたいかというと炎上するだけの薄っぺら感動モノ解決した風に見せかけて何も解決してない動画はさっさと削除してマジョリティの道徳意識を改善させるような動画を作った方がいいということです
なんでもそうだが記事の論調に乗せられて怒ったり褒めたりしてる人のブコメは薄っぺらくて読む価値がない
キャスターリンボ倒させるためだけにまた一つシナリオ作ったのかよ
引き伸ばしばっかしてないでさっさと第2部終わらせろよ
ダルい展開はばっさりカットしたほうが人気出るってのは鬼滅でわかったろ?
クリプター1人ずつ倒していくだけでもダルいのにギリシャを前後編にわけてだらだらやるとか
薄っぺらいイベントと復刻を何度もはさんで前のメインシナリオの内容忘れさせてしまうとかいい加減にしろ
そういう眠たいことしてるから売上が落ちてくるんだよ
豪雷一閃出てくるメンツも頼光とか茨木とかもうこれまでのイベントでも腐るほど出番あったやつらで
しかも頼光は水着だけど直前のイベントのレギュラーだったろ(あ、金時さんお久しぶりです)
もういい加減いろいろ飽きてんだよ。退屈してんだよ。マンネリなんだよ。新鮮味をくれよ
すごろくとか詰将棋とか内政とか探索とかゲーム性のない手間が増えるだけの小手先ギミックでほら新しいでしょうみたいなの求めてないんだよ
Sイシュタルいつ復刻するんだよ
先ほど21:25に帰宅しました。身に余るスターの数々ありがとうございます。大恩寺さん訪問は第1回11/14済、第2回11/22済、第3回11/25予定です。4点だけご報告いたします。
またたまにゲリラ的に来ると思います。すみません。後で消します。どうしても消えるお礼を伝えたかったです。ベトコンゆえに。スターのことを簡単にご説明したところ、ベトナム人技能実習生や留学生やご住職も、勇気づけられていらっしゃいました。取り急ぎ以上です。🐈💗追伸)ご住職「みんな仲良くね」って仰っていました。
すごい薄っぺらですごい!すごい!
大学入ってしばらく恋愛漫画は読んでなかった。リアルな経験に比べたらフィクションの世界は妄想の塊で薄っぺらく見えたからだ。
しかし最近改めて読んで思った。自分の経験と重なるところがあってクッソ面白い。
そうか恋愛漫画は自分に無いものを求めるのでなく、重ねる事で真に楽しめるものだったのか。だから世の中のすでに結婚して、子供も持ってるような親は未だに恋愛漫画にハマれるのだ。
と今更ながら気がついた。
生まれてそろそろ二十年。付き合った人数を聞かれるときは人差し指を一本、ふにゃっと曲げて出す程度。要は付き合ったかどうか怪しいライン一件しか経験が無い。
可愛い服を着て外に出ようとした。
しかし、モテようとして自分磨きをしているのは駄目なのでは、不純では、と思ってしまい踏ん切りがつかず、可愛い服は家の中でしか着れない。
モテたいはペラいのか?日々を共に過ごす相手を見つけるため、というのは薄っぺらな理由なのか?モテたいに全振りした衣服化粧って笑われる対象になるのか?
わからない。
「自分の思う可愛いでいいんだよ」と言う人たちが、「モテたいなんて理由は~」とそういった思考を下げた発言をしたり共有したりしてるのが怖い。