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はてなキーワード: 自尊心とは

2024-10-15

anond:20241015000933

それだけで死ぬほど!?

ちょっと自尊心高すぎでは

あなたそんなに偉くないよたぶん

2024-10-14

大学生が全員しょうもなくて絶望している

 誰とも一緒に居たくないし、一人で居るのも楽しくない。本当のことを言えば、大学入学した時から今に至るまでずっと仲良くしてきて、もうこの頃には少しの沈黙も気にしないような関係の友人が欲しかった。

 私が人間関係について完璧主義すぎるから、生きる上での野望やポリシーを持たずにふらふらと生活しているような大学生がものすごく嫌いで、そういう奴とは友達になりたくなくて、そうやって自分から人間を遠ざけてきた。芯があるからって誰でもいいわけじゃない。自己肯定感がやたらと低かったり、相手のことを考えずに早口で喋ったり、自分自身に対して選民的な意識を持っている人も苦手だ。どこか妥協して、誰でもいいから話しかけるべきだったのかもしれないが、なぜか私はまず最初にそういった欠点から居心地の悪さを感じて、もう会いたくないな、と思ってしまうのだった。自分に都合の悪い奴とは仲良くしない。自分と話が合わなければ価値観を合わせるなんてしたくない。

 相手差別的思想を持っていたとして、それを打ち解けたと思ってくれたのか私に見せてくる。私にはそれに対して注意するとか怒るとかの偉そうなことは出来ないが、我慢して関わり続けるというのも出来ない。Twitterで流れてくる男女対立投稿煽動されたようなことを言ってくる人、浅い「ポリコレ」という語の理解で「ポリコレ」を叩く人、「LGBT」を突然現れたものかのように語る人、全てにうんざりする。社会学かいうやんわりとした学問たか学生のしょうもなさ。そういう中途半端な「思想」を振り翳すぐらいなら、何も知らないのと変わらない。基礎演習の授業で様々な社会問題についての文献を読んでみんなで話し合うという活動をしたけど、教室の誰からも驚かされるような意見は出なかったし、ほとんどその文献の要約と、「考えなきゃいけないと思った」というような感想だった。先生だけは物事本質理解していたけど、その先生言葉は誰かに響いていたのだろうか。間抜けな顔で、飲み会と異性のことばかり考えて外見だけ気にして、お高そうな服を着ているけれど、情熱としてもお金としても、無駄リソースの使い道のように思う。

 結局、自分妥協出来ていないだけなんだろう。「中にはそうじゃない人もきっといる」と思って探しているのにまだ出会えない。しょうもないしょうもないんだ、ここの大学生って、頭が悪いんだ。ボーダーフリー大学ではないんだけど。世間的には、頭がいいとされているんだけどな。

 休み時間ほとんどをイヤホンで耳を塞ぎながら過ごす。金木犀の木の横のベンチで、どうにか環境を変えられないかということを考えている……。



2024/10/15 追記

 はじめてはてな匿名ダイアリーというのを使ってみました。そもそも見る専でもなかったのでusersとかいうのがなんのことだか分からないし普通こんなにコメントがつくものなのかも分からいくらいです。昨日はかなり寝不足だったんですが、1日寝たらこの不満はなんか消えました。しかし不健康状態の時に強くなる不満というもの普段から日常的にうっすらと感じていることなのでしょうか?この時は些細な不満を書いているうちに(妄想のように)増幅させていました。大学内に友達がいないとは書いたのですが実は2,3人は毎日LINEをするほどの友人がいて、学外でも古くからの友人たちとよく連絡をとっていますし、全員に尊敬できる部分があります。その友人たちのことを考えると大学しょうもないとは到底言えないです笑。それでも自分大学にいる人間の9割は中身ないなーと思ってますタイトルに関しては、クリックされやすいかと思って「大学生」という広い範囲を指すワードを使ってしまいました。

 普段自分エライスゴイという主張をしないのですが(このように叩かれることが明確だからです)、匿名なのをいいことにかなり自尊心を出してしまいました。小学生の頃からずっとずっとこんな中二病だけど、それが痛いのは分かっているから表には出さないというか、分かっているふりをしているだけなんです。本当は心のうちでこう思っている同世代の人が多くいるのではないか?と考えたのがアップした理由です。それこそ、こういった人間の醜いイキリ、世界の狭い若者の尖りをリアルなままさらけ出すことが「文学であるという意見もあるようで、そういう面でも素直に書いてみました。

 多くの批判コメントを頂きましたし、ためになるアドバイスもありました。中には本当に稀ですが“大人”の目線から優しい言葉をかけてくださった方もいて、とても嬉しいです。最後まで読んでくださった皆さんありがとうございました。

2024-10-13

惣流・アスカ・ラングレーは「優秀で高慢な女が自尊心を打ち砕かれ精神崩壊しズタボロになり俺以外に手を差し伸べる者がいなくなる」というところに薄暗い情欲を抱かせるキャラだったので、そういう部分のない式波カスなんよね

2024-10-12

anond:20241011125116

主婦って派遣地方とか

正直終わってる待遇なのに

自分のこと主婦ってだけで負け犬だと思ってない

以上に自尊心の高い人多いけど

正直負けてるよね

マンコパワーで結婚しただけで

30代派遣男性地方勤務と

スペックおんなじじゃん

2024-10-04

自分の身の振り方がわからない

非常に長文です。読み辛ければ申し訳ない。

自分以外の誰かの悩みの一助になってくれれば幸い。


昨日、個人意見感想が身近な上に大量に見られる現代で、情報の取捨選択ができず、それらの大量の他人意見沈黙できないのは病的だ、と書いている人を見かけた。

はっとして、そしてまさに自分のことだ、と思った。

自分は、自身の考えを第三者の前で表明しないと自身が歪んでいくようだと思い込むようになって久しい。

表明する内容も、ジェンダー論や人間性の話など、答えの無い人それぞれ考え方が異なるものばかりだ。

そんなことを発表せずとも幸せに生きている人は多くいるにも関わらず、自信を省みるともはや強迫観念の域に達していると自分でも思える。

あくま自分は」を常套句に、ネットの海に放り込まれた誰へ向けるかも明確ではない見知らぬ人の呟きに対して「自分はこう思う」と表明し続けている。

今思うと、今まで表明してきても良い反応も悪い反応も帰ってこなかった。

周りの一生懸命に真っ当に生きて人生を楽しんでいる(ように見える、きっと苦労も経験してきている)人たちは、そんな表明をせずとも健全精神を得ている。

自分は、ちゃんと考え方がおかしいんだなと思った。

病気ではなくて、思い込みが激しいただの頭がおかしな人だ。

自分は、交流があまり無い人や関係が続いている親しい人からは元気で親しみやすいと言われる。

場が沈黙するくらいならと、自分から話し始めることは当たり前。

一人での旅行は当然楽しめるし、初めてやる仕事の教えを乞いに上司に声をかけることもどんどんする。

陰キャの中では、比較的行動力がある部類だ。

そんな陰キャにしては歪で悩みの種の一因でもある自分性格形成する根底にあるものは、家庭環境が大きい。

両親が家にいる事は少なく、父親仕事別に住居を構えており、電話メールも年に数回するかどうかだった。

母親子育てをしながらも家事を全て一人でこなし、子供の手間が減ってからパートタイム程度に留めていた仕事夜勤有りのフルタイム勤務に切り替えた。

上のきょうだいが居るが、訳あって母を伴い施設病院に行くことも多かった。

そして、五体満足な自分が一人。

自分基本的に家では一人のことが多く、家に母親が居ても人を呼ぶ余裕など当然無い。

でも小学生の頃の自分は、記憶曖昧ながらもそれらに悩んだ記憶はあまりない。

なぜならそんな自分には何も与えられなかったわけではなくて、小学生の頃にパソコンを買い与えられていたからだ。

みんなは携帯スマホで家に帰ってからゲームをし合っている。

撮った写真をすぐにSNSに載せて、それに反応をして笑っている。

中学生自分学校でそれらが行われているのを見ているしかなかったが、急いで家に帰ってパソコンを付ければその輪に自分も加わることができた。

そのためか多少不便を強いながらも自分ハブるような友人はおらず、楽しい生活を送ることができた。

関係ほとんど自然消滅していった今でも、当時の友人達には感謝が尽きない。

問題はその後だった。高校時代から陰りが見え始め、交友関係に失敗する経験をし始めるようになった。

高校生になってしばらくしてから電話機を買い与えられたため、問題はそこではなかった。

基本的に家に自分以外誰も居ない。

きょうだいは居ても、母親が居ない時は部屋が別なのもあり最低限の必要な会話しかしない。

家にいる時は常日頃から忙しい貧乏だと口に出す無口な母親

誕生日も年齢も電話番号も覚えていないくらいに関係の薄い父親

家族に話しかける機会があまりなく、また話しかけた時に相手迷惑だと考えることを意識してしまい、最低限の会話しかしなくなった。

そしてそのうち、話さないことが当たり前になり、自分家族への興味が失せてしまって、それ以降話すきっかけを取り戻せていないのを今でも明確に認識している。

家庭での居心地の悪さを自覚しているなら、中学生の頃のように自分から行動を起こせばよかったのに、その発想は頭に浮かばなかった。

家族であるにも関わらず、邪険にされない楽な方へと逃げて、結果的には家族を見捨てたようなものだ。

子供だったかしょうがないなんて事はないと今では思う。

腹を痛めて産んだ実の子供を邪険にする母親がいるにも関わらず、自分母親は素っ気ない実子が生きるためにとてつもない努力をしていた。

きょうだいとは喧嘩する事はあれ、きょうだい自身普通のレールを歩めない体であるにも関わらず心の余裕を持ち、こちらを邪険にすることはなかった。

それらを見てきたのに、自分自分自身した行動で残った事は、何も行動を起こさず逃げたという事実だけだった。

そんな流れで、学校以外で人と会話をする機会がほとんどなくなった。

家庭で静かに一人で失敗をして学ばず、その孤独から本ばかり読んで人間関係を学んだ気になりそれを実践していた声の大きい自分は、学校の友人達はさぞ面倒な相手だったことだろう。

鈍感で距離を取られていることに気付かず近寄ってきて、意思キャッチボールができず一方的に話すことを対話だと思い込んでいて、小説では省略されるリアルの付き合いで起こるやり取りが円滑にできない、そんな人間が煩わしく思われるのは当たり前のことだ。

それでも周りの人達は直接的な何かを言ってくるわけでもなく、それとなくいつものメンツからは省きながらも、さまざまなグループに属する人達がちらほらと自分と浅い付き合いを続けてくれていた。

10代の頃から10代の頃でも、周りの人達は頭を使い、時にはぐっと我慢をして自分のような化物をいなしながらも人間関係の折衝をしていた。

自分はずっと気付けておらず、当時を振り返って自分の察しの悪さと無神経さを心から反省できるようになったのは社会人になってからだった。

こんな歳になってから自分の愚かさがわかったってどうすればいいんだよ、と思った。

一人で旅行をしても楽しめるのは、目的意識がありそれが一人である必要があるというわけではなくて、一人だと好き勝手できて気楽だから

周りが緊張している中でも率先して話せるのは、他人感情を軽視し興味を持てていない無神経さから来ている。

そして悩みに悩んで失敗し続けて今も絶賛落ち込んでいる人間関係軋轢を作りがちな原因は、自分人生の中で選択してきた間違いを間違っていると認めるどころか認識すらしてこなかった思い込みの強さと、視野の狭さと愚かさだ。

この日記冗長だって、きっと自己保身をしたい気持ちから来ている。

自分形成しているものがこんなにも身勝手で出来上がっていること、自分自身ですら他人から煙たがられて当然だと感じていることに、今までの人生はなんだったんだと足元が崩れていくような感覚がしている。

自分自己肯定感が薄く、でもそれをカバーするように間違いを疑わないほどの思い込みで自信を保ち、それを全世界に発信して非難を受けない事で認められたと思い込む。

初対面で自分のことを元気で親しみやすいと感じただろう人達が、その後親しくなっても半数以上に軋轢が生まれ険悪なまま別れることになるのは、相手が誰であれ、こちらのファーストインプレッションと異なる偏りすぎた二面性とそれを隠さなくなっていくことに幻滅したであろうことは確かだ。

家族ですら放り捨てるようなコミュニケーションの取り方、距離感を掴むのが上手くないのに一方的な形で距離感を操作しようとして不安にさせてくる行動、「あくま自分は」と言って予防線を張りながら自分の偏った意見非難されないように堂々と述べる。

これをされて、なぜ相手が親しみを感じて喜ぶと思うのか?

利点が何もないし、むしろ負担が増えて欠点だらけだ。

さらにそれだけではなく、ただ相手不安にさせるに留まらず、それを行なった自分自身もそれらの行動に対し利点がほとんどなかった。

その場その場で一時的自尊心は満たされても、継続しないか自分立場は悪くはなれど良くはなっていかない。

本で見たような、親しい友達特別関係を持ち合い楽しく過ごしたいという自分理想を得るための行動とあまりにも乖離していることにやっと気付いたのだ。

目標もなく結果も出ない行動は、本当に無益どころか無駄しかない。

どうしたらいいのかわからなかったが、より落ち込むとしても今までの自分の行動とその意図と、それに対して起きた周りの反応を振り返った結果がこの日記だ。

自分がこのままではいけないと感じ、ではどうするべきかと散々自分の失敗を省みて出した結論は「努力して愚痴を控え、愚痴を言う原因になる交友関係は広く浅くに留め、自分の成果に数えられることに挑戦する」というとりあえずの目標を持つことにした。

これは周りに迷惑をかけず、また他人から自分のことを深く意識されることも減らし、「また自分が同じような失敗をして落ち込まないために自分自身を見つめる必要があるでしょ、またいずれ誰かと深く交流することもあるかもしれないでしょ」と自分に言い聞かせ、自分自身が認められるような形で自分価値を上げ、自分に合っていそうなその過ごし方に慣れて、余裕のない自尊心の低さからくる失敗をする自分から離れるための挑戦だ。

自尊心が低く余裕がないと、自分を最優先で守ることに固執し、脇目も振らず逃げを選ぶことになって、手元に残るのは周りに不快をまき散らし逃げ回った自分だけだったのは結果が物語っている。

そして徒労をする度に落ち込み、自尊心はどんどん低くなっていくのだ。

孤独感は感じても、自分言動が人と深く交流することに向いていないのであればその先は失敗しかない。

深い仲の人がいなくとも問題なく生きていける世の中で、それを利用して自分を見つめ直す事ができることを心からありがたいと思う。

もう遅いのではと感じても、生きていくのならば必ず自分のような意志を持った誰かと関わる必要があり、その際に失敗が減ることで友人関係を長く続けられるという経験はいずれ自分の心に余裕をくれることになるのではないだろうか。

匿名でない自分自身が皆の前で堂々と考えを表明する」ことに固執していた一人の人間自分視野の狭さや醜さを認め、自分が変わる挑戦の最初の一歩として、匿名でここに残させてください。

⬛︎10/5 追記

がむしゃらに書き殴ってしまった長文にも関わらず、反応ありがとうございます

自分はまさにこのような自分は〜だけどといった不必要な主張を、匿名でもない趣味アカウントでしてしまっていたんですよね・・・自分のことを腫れ物だと考えている人はきっと多い。

自分のための会話ばかりして長文でお気持ちを吐いてしまう所は直したいと強く思っいます

保身ばかりを考えた会話や主張をせずとも胸を張って生きられるように、この日記以降は吐き出す習慣を無くし、感化されやす情報の多いSNSを見る時間を減らすなど少しずつ環境を変えていくつもりです。

コメントを読んで、慰めてくれる方や汚点をスルーして付き合いを続けてくれている人達をこれ以上幻滅させないよう意識していこうと思いました。

コメントでご意見をくださった方々、本当にありがとうございました

2024-10-01

自分意見と逆を言えばノーダメ戦法

無性に肉が食べたい時に「今日の夕飯何がいい?」と聞かれたらそこまで食べたくない魚と答える。

もし魚が採用されたら自分発言が通って嬉しいし、不採用でも自分の肉が食べたい気分を否定されたわけじゃないかノーダメ

夕飯から職業選択にいたるまで一時が万事こんな調子で生きてる。キモすぎるのは分かってるけど辞められない。ちっぽけな自尊心を守るための人生

五  門をはいると、このあいだの萩が、人の丈より高く茂って、株の根に黒い影ができている。この黒い影が地の上をはって、奥の方へゆくと、見えなくなる。葉と葉の重なる裏まで上ってくるようにも思われる。それほど表には濃い日があたっている。手洗水のそば南天がある。これも普通よりは背が高い。三本寄ってひょろひょろしている。葉は便所の窓の上にある。  萩と南天の間に椽側が少し見える。椽側は南天を基点としてはすに向こうへ走っている。萩の影になった所は、いちばん遠いはずれになる。それで萩はいちばん手前にある。よし子はこの萩の影にいた。椽側に腰をかけて。  三四郎は萩とすれすれに立った。よし子は椽から腰を上げた。足は平たい石の上にある。三四郎はいさらその背の高いのに驚いた。 「おはいりなさい」  依然として三四郎を待ち設けたような言葉かいである三四郎病院の当時を思い出した。萩を通り越して椽鼻まで来た。 「お掛けなさい」  三四郎は靴をはいている。命のごとく腰をかけた。よし子は座蒲団を取って来た。 「お敷きなさい」  三四郎蒲団を敷いた。門をはいってから三四郎はまだ一言も口を開かない。この単純な少女はただ自分の思うとおりを三四郎に言うが、三四郎からは毫も返事を求めていないように思われる。三四郎は無邪気なる女王の前に出た心持ちがした。命を聞くだけである。お世辞を使う必要がない。一言でも先方の意を迎えるような事をいえば、急に卑しくなる、唖の奴隷のごとく、さきのいうがままにふるまっていれば愉快である三四郎子供のようなよし子から子供扱いにされながら、少しもわが自尊心を傷つけたとは感じえなかった。 「兄ですか」とよし子はその次に聞いた。  野々宮を尋ねて来たわけでもない。尋ねないわけでもない。なんで来たか三四郎にもじつはわからないのである。 「野々宮さんはまだ学校ですか」 「ええ、いつでも夜おそくでなくっちゃ帰りません」  これは三四郎も知ってる事である三四郎挨拶に窮した。見ると椽側に絵の具箱がある。かきかけた水彩がある。 「絵をお習いですか」 「ええ、好きだからかきます」 「先生はだれですか」 「先生に習うほどじょうずじゃないの」 「ちょっと拝見」 「これ? これまだできていないの」とかきかけを三四郎の方へ出す。なるほど自分のうちの庭がかきかけてある。空と、前の家の柿の木と、はいり口の萩だけができている。なかにも柿の木ははなはだ赤くできている。 「なかなかうまい」と三四郎が絵をながめながら言う。 「これが?」とよし子は少し驚いた。本当に驚いたのである三四郎のようなわざとらしい調子は少しもなかった。  三四郎はいさら自分言葉冗談にすることもできず、またまじめにすることもできなくなった。どっちにしても、よし子から軽蔑されそうである三四郎は絵をながめながら、腹の中で赤面した。  椽側から座敷を見回すと、しんと静かである茶の間はむろん、台所にも人はいないようである。 「おっかさんはもうお国へお帰りになったんですか」 「まだ帰りません。近いうちに立つはずですけれど」 「今、いらっしゃるんですか」 「今ちょっと買物に出ました」 「あなた里見さんの所へお移りになるというのは本当ですか」 「どうして」 「どうしてって――このあい広田先生の所でそんな話がありましたから」 「まだきまりません。ことによると、そうなるかもしれませんけれど」  三四郎は少しく要領を得た。 「野々宮さんはもとから里見さんと御懇意なんですか」 「ええ。お友だちなの」  男と女の友だちという意味かしらと思ったが、なんだかおかしい。けれども三四郎はそれ以上を聞きえなかった。 「広田先生は野々宮さんのもとの先生だそうですね」 「ええ」  話は「ええ」でつかえた。 「あなた里見さんの所へいらっしゃるほうがいいんですか」 「私? そうね。でも美禰子さんのお兄いさんにお気の毒ですから」 「美禰子さんのにいさんがあるんですか」 「ええ。うちの兄と同年の卒業なんです」 「やっぱり理学士ですか」 「いいえ、科は違います法学士です。そのまた上の兄さんが広田先生のお友だちだったのですけれども、早くおなくなりになって、今では恭助さんだけなんです」 「おとっさんやおっかさんは」  よし子は少し笑いながら、 「ないわ」と言った。美禰子の父母の存在想像するのは滑稽であるといわぬばかりである。よほど早く死んだものみえる。よし子の記憶にはまるでないのだろう。 「そういう関係で美禰子さんは広田先生の家へ出入をなさるんですね」 「ええ。死んだにいさんが広田先生とはたいへん仲良しだったそうです。それに美禰子さんは英語が好きだから、時々英語を習いにいらっしゃるんでしょう」 「こちらへも来ますか」  よし子はいつのまにか、水彩画の続きをかき始めた。三四郎そばにいるのがまるで苦になっていない。それでいて、よく返事をする。 「美禰子さん?」と聞きながら、柿の木の下にある藁葺屋根に影をつけたが、 「少し黒すぎますね」と絵を三四郎の前へ出した。三四郎は今度は正直に、 「ええ、少し黒すぎます」と答えた。すると、よし子は画筆に水を含ませて、黒い所を洗いながら、 「いらっしゃいますわ」とようやく三四郎に返事をした。 「たびたび?」 「ええたびたび」とよし子は依然として画紙に向かっている。三四郎は、よし子が絵のつづきをかきだしてから、問答がたいへん楽になった。  しばらく無言のまま、絵のなかをのぞいていると、よし子はたんねんに藁葺屋根の黒い影を洗っていたが、あまり水が多すぎたのと、筆の使い方がなかなか不慣れなので、黒いものがかってに四方へ浮き出して、せっかく赤くできた柿が、陰干の渋柿のような色になった。よし子は画筆の手を休めて、両手を伸ばして、首をあとへ引いて、ワットマンをなるべく遠くからながめていたが、しまいに、小さな声で、 「もう駄目ね」と言う。じっさいだめなのだからしかたがない。三四郎は気の毒になった。 「もうおよしなさい。そうして、また新しくおかきなさい」  よし子は顔を絵に向けたまま、しりめに三四郎を見た。大きな潤いのある目である三四郎ますます気の毒になった。すると女が急に笑いだした。 「ばかね。二時間ばかり損をして」と言いながら、せっかくかいた水彩の上へ、横縦に二、三本太い棒を引いて、絵の具箱の蓋をぱたりと伏せた。 「もうよしましょう。座敷へおはいりなさい。お茶をあげますから」と言いながら、自分は上へ上がった。三四郎は靴を脱ぐのが面倒なので、やはり椽側に腰をかけていた。腹の中では、今になって、茶をやるという女を非常におもしろいと思っていた。三四郎に度はずれの女をおもしろがるつもりは少しもないのだが、突然お茶をあげますといわれた時には、一種の愉快を感ぜぬわけにゆかなかったのである。その感じは、どうしても異性に近づいて得られる感じではなかった。  茶の間で話し声がする。下女はいたに違いない。やがて襖を開いて、茶器を持って、よし子があらわれた。その顔を正面から見た時に、三四郎はまた、女性中のもっと女性的な顔であると思った。  よし子は茶をくんで椽側へ出して、自分は座敷の畳の上へすわった。三四郎はもう帰ろうと思っていたが、この女のそばにいると、帰らないでもかまわないような気がする。病院ではかつてこの女の顔をながめすぎて、少し赤面させたために、さっそく引き取ったが、きょうはなんともない。茶を出したのをさいわいに椽側と座敷でまた談話を始めた。いろいろ話しているうちに、よし子は三四郎に妙な事を聞きだした。それは、自分の兄の野々宮が好きかいやかという質問であった。ちょっと聞くとまるでがんぜない子供の言いそうな事であるが、よし子の意味はもう少し深いところにあった。研究心の強い学問好きの人は、万事を研究する気で見るから、情愛が薄くなるわけである人情で物をみると、すべてが好ききらいの二つになる。研究する気なぞが起こるものではない。自分の兄は理学者だものから自分研究していけない。自分研究すればするほど、自分を可愛がる度は減るのだから、妹に対して不親切になる。けれども、あのくらい研究好きの兄が、このくらい自分を可愛がってくれるのだから、それを思うと、兄は日本じゅうでいちばんいい人に違いないという結論であった。  三四郎はこの説を聞いて、大いにもっともなような、またどこか抜けているような気がしたが、さてどこが抜けているんだか、頭がぼんやりして、ちょっとからなかった。それでおもてむきこの説に対してはべつだんの批評を加えなかった。ただ腹の中で、これしきの女の言う事を、明瞭に批評しえないのは、男児としてふがいないことだと、いたく赤面した。同時に、東京女学生はけっしてばかにできないものだということを悟った。  三四郎はよし子に対する敬愛の念をいだいて下宿へ帰った。はがきが来ている。「明日午後一時ごろから人形を見にまいりますから広田先生の家までいらっしゃい。美禰子」  その字が、野々宮さんのポッケットから半分はみ出していた封筒の上書に似ているので、三四郎は何べんも読み直してみた。  翌日は日曜である三四郎は昼飯を済ましてすぐ西片町へ来た。新調の制服を着て、光った靴をはいている。静かな横町広田先生の前まで来ると、人声がする。  先生の家は門をはいると、左手がすぐ庭で、木戸をあければ玄関へかからずに、座敷の椽へ出られる。三四郎は要目垣のあいだに見える桟をはずそうとして、ふと、庭の中の話し声を耳にした。話は野々宮と美禰子のあいだに起こりつつある。 「そんな事をすれば、地面の上へ落ちて死ぬばかりだ」これは男の声である。 「死んでも、そのほうがいいと思います」これは女の答である。 「もっともそんな無謀な人間は、高い所から落ちて死ぬだけの価値は十分ある」 「残酷な事をおっしゃる」  三四郎はここで木戸をあけた。庭のまん中に立っていた会話の主は二人ともこっちを見た。野々宮はただ「やあ」と平凡に言って、頭をうなずかせただけである。頭に新しい茶の中折帽をかぶっている。美禰子は、すぐ、 「はがきはいつごろ着きましたか」と聞いた。二人の今までやっていた会話はこれで中絶した。  椽側には主人が洋服を着て腰をかけて、相変らず哲学を吹いている。これは西洋雑誌を手にしていた。そばによし子がいる。両手をうしろに突いて、からだを空に持たせながら、伸ばした足にはいた厚い草履をながめていた。――三四郎はみんなから待ち受けられていたとみえる。  主人は雑誌をなげ出した。 「では行くかな。とうとう引っぱり出された」 「御苦労さま」と野々宮さんが言った。女は二人で顔を見合わせて、ひとに知れないような笑をもらした。庭を出る時、女が二人つづいた。 「背が高いのね」と美禰子があとから言った。 「のっぽ」とよし子が一言答えた。門の側で並んだ時、「だからなりたけ草履をはくの」と弁解をした。三四郎もつづいて庭を出ようとすると、二階の障子ががらりと開いた。与次郎が手欄の所まで出てきた。 「行くのか」と聞く。 「うん、君は」 「行かない。菊細工なんぞ見てなんになるものか。ばかだな」 「いっしょに行こう。家にいたってしようがないじゃないか」 「今論文を書いている。大論文を書いている。なかなかそれどころじゃない」

三四郎はあきれ返ったような笑い方をして、四人のあとを追いかけた。四人は細い横町を三分の二ほど広い通りの方へ遠ざかったところである。この一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎自分の今の生活熊本当時のそれよりも、ずっと意味の深いものになりつつあると感じた。かつて考えた三個の世界のうちで、第二第三の世界はまさにこの一団の影で代表されている。影の半分は薄黒い。半分は花野のごとく明らかである。そうして三四郎の頭のなかではこの両方が渾然として調和されている。のみならず、自分もいつのまにか、しぜんとこの経緯のなかに織りこまれている。ただそのうちのどこかにおちつかないところがある。それが不安である。歩きながら考えると、いまさき庭のうちで、野々宮と美禰子が話していた談柄が近因である三四郎はこの不安の念を駆るために、二人の談柄をふたたびほじくり出してみたい気がした。

 四人はすでに曲がり角へ来た。四人とも足をとめて、振り返った。美禰子は額に手をかざしている。

 三四郎は一分かからぬうちに追いついた。追いついてもだれもなんとも言わない。ただ歩きだしただけである。しばらくすると、美禰子が、

「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事をおっしゃるんでしょう」と言いだした。話の続きらしい。

「なに理学をやらなくっても同じ事です。高く飛ぼうというには、飛べるだけの装置を考えたうえでなければできないにきまっている。頭のほうがさきに要るに違いないじゃありませんか」

「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかもしれません」

我慢しなければ、死ぬばかりですもの

「そうすると安全で地面の上に立っているのがいちばんいい事になりますね。なんだかつまらないようだ」

 野々宮さんは返事をやめて、広田先生の方を向いたが、

「女には詩人が多いですね」と笑いながら言った。すると広田先生が、

男子の弊はかえって純粋詩人になりきれないところにあるだろう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙った。よし子と美禰子は何かお互いの話を始める。三四郎はようやく質問の機会を得た。

「今のは何のお話なんですか」

「なに空中飛行機の事です」と野々宮さんが無造作に言った。三四郎落語のおちを聞くような気がした。

 それからはべつだんの会話も出なかった。また長い会話ができかねるほど、人がぞろぞろ歩く所へ来た。大観音の前に乞食がいる。額を地にすりつけて、大きな声をのべつに出して、哀願をたくましゅうしている。時々顔を上げると、額のところだけが砂で白くなっている。だれも顧みるものがない。五人も平気で行き過ぎた。五、六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。

「君あの乞食に銭をやりましたか

「いいえ」と三四郎があとを見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合わせて、相変らず大きな声を出している。

「やる気にならないわね」とよし子がすぐに言った。

「なぜ」とよし子の兄は妹を見た。たしなめるほどに強い言葉でもなかった。野々宮の顔つきはむしろ冷静である

「ああしじゅうせっついていちゃ、せっつきばえがしないからだめですよ」と美禰子が評した。

「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が言った。「あまり人通りが多すぎるからいけない。山の上の寂しい所で、ああいう男に会ったら、だれでもやる気になるんだよ」

「その代り一日待っていても、だれも通らないかもしれない」と野々宮はくすくす笑い出した。

 三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分今日まで養成した徳義上の観念を幾分か傷つけられるような気がした。けれども自分乞食の前を通る時、一銭も投げてやる了見が起こらなかったのみならず、実をいえば、むしろ不愉快な感じが募った事実反省してみると、自分よりもこれら四人のほうがかえって己に誠であると思いついた。また彼らは己に誠でありうるほどな広い天地の下に呼吸する都会人種であるということを悟った。

 行くに従って人が多くなる。しばらくすると一人の迷子出会った。七つばかりの女の子である。泣きながら、人の袖の下を右へ行ったり、左へ行ったりうろうろしている。おばあさん、おばあさんとむやみに言う。これには往来の人もみんな心を動かしているようにみえる。立ちどまる者もある。かあいそうだという者もある。しかしだれも手をつけない。子供はすべての人の注意と同情をひきつつ、しきりに泣きさけんでおばあさんを捜している。不可思議現象である

「これも場所が悪いせいじゃないか」と野々宮君が子供の影を見送りながら言った。

「いまに巡査が始末をつけるにきまっているから、みんな責任をのがれるんだね」と広田先生説明した。

わたしそばまで来れば交番まで送ってやるわ」とよし子が言う。

「じゃ、追っかけて行って、連れて行くがいい」と兄が注意した。

「追っかけるのはいや」

「なぜ」

「なぜって――こんなにおおぜいの人がいるんですもの。私にかぎったことはないわ」

「やっぱり責任をのがれるんだ」と広田が言う。

「やっぱり場所が悪いんだ」と野々宮が言う。男は二人で笑った。団子坂の上まで来ると、交番の前へ人が黒山のようにたかっている。迷子はとうとう巡査の手に渡ったのである

「もう安心大丈夫です」と美禰子が、よし子を顧みて言った。よし子は「まあよかった」という。

 坂の上から見ると、坂は曲がっている。刀の切っ先のようである。幅はむろん狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分さえぎっている。そのうしろにはまた高い幟が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込むように思われる。その落ち込むものが、はい上がるものと入り乱れて、道いっぱいにふさがっているから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見ていると目が疲れるほど不規則うごめいている。広田先生はこの坂の上に立って、

「これはたいへんだ」と、さも帰りたそうである。四人はあとから先生を押すようにして、谷へはいった。その谷が途中からだらだらと向こうへ回り込む所に、右にも左にも、大きな葭簀掛けの小屋を、狭い両側から高く構えたので、空さえ存外窮屈にみえる。往来は暗くなるまで込み合っている。そのなかで木戸番ができるだけ大きな声を出す。「人間から出る声じゃない。菊人形から出る声だ」と広田先生が評した。それほど彼らの声は尋常を離れている。

 一行は左の小屋はいった。曾我の討入がある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。ただし顔や手足はことごとく木彫りである。その次は雪が降っている。若い女が癪を起こしている。これも人形の心に、菊をいちめんにはわせて、花と葉が平に隙間なく衣装恰好となるように作ったものである

 よし子は余念なくながめている。広田先生と野々宮はしきりに話を始めた。菊の培養法が違うとかなんとかいうところで、三四郎は、ほかの見物に隔てられて、一間ばかり離れた。美禰子はもう三四郎より先にいる。見物は、がいして町家の者である教育のありそうな者はきわめて少ない。美禰子はその間に立って振り返った。首を延ばして、野々宮のいる方を見た。野々宮は右の手を竹の手欄から出して、菊の根をさしながら、何か熱心に説明している。美禰子はまた向こうをむいた。見物に押されて、さっさと出口の方へ行く。三四郎は群集を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子のあとを追って行った。

 ようやくのことで、美禰子のそばまで来て、

里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄に手を突いて、心持ち首をもどして、三四郎を見た。なんとも言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧をさした男が、瓢箪を持って、滝壺のそばにかがんでいる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるかほとんど気がつかなかった。

「どうかしましたか」と思わず言った。美禰子はまだなんとも答えない。黒い目をさももうそうに三四郎の額の上にすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議ある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美禰子の答を予期しつつある今の場合を忘れて、この眸とこの瞼の間にすべてを遺却した。すると、美禰子は言った。

「もう出ましょう」

 眸と瞼の距離が次第に近づくようにみえた。近づくに従って三四郎の心には女のために出なければすまない気がきざしてきた。それが頂点に達したころ、女は首を投げるように向こうをむいた。手を青竹の手欄から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐあとからついて出た。

 二人が表で並んだ時、美禰子はうつむいて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を巻いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。

「どうかしましたか

 女は人込みの中を谷中の方へ歩きだした。三四郎もむろんいっしょに歩きだした。半町ばかり来た時、女は人の中で留まった。

「ここはどこでしょう」

「こっちへ行くと谷中天王寺の方へ出てしまます。帰り道とはまるで反対です」

「そう。私心持ちが悪くって……」

 三四郎は往来のまん中で助けなき苦痛を感じた。立って考えていた。

「どこか静かな所はないでしょうか」と女が聞いた。

 谷中千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋そばである

「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いてみた。

「歩きます

 二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路地のような所を十間ほど行き尽して、門の手前から板橋こちら側へ渡り返して、しばらく川の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である

 三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急にしゃべり出した。

「どうです、ぐあいは。頭痛でもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形を見ている連中のうちにはずいぶん下等なのがいたようだから――なにか失礼でもしまたか

 女は黙っている。やがて川の流れから目を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその目つきでなかば安心した。

ありがとう。だいぶよくなりました」と言う。

休みましょうか」

「ええ」

「もう少し歩けますか」

「ええ」

「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くと、ちょうど休むにいい場所があるから

「ええ」

 一丁ばかり来た。また橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大またに歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の目には、女の足が常の大地を踏むと同じように軽くみえた。この女はすなおな足をまっすぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。

 向こうに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつくところまで来て留まった。

「美しいこと」と言いながら、草の上に腰をおろした。草は小川の縁にわずかな幅をはえているのみである。それすら夏の半ばのように青くはない。美禰子は派手な着物のよごれるのをまるで苦にしていない。

「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促すように言ってみた。

ありがとう。これでたくさん」

「やっぱり心持ちが悪いですか」

あんまり疲れたから

 三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上百姓大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。

 ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍の地が消えるように次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。どこで地が尽きて、どこで雲が始まるかわからないほどにものうい上を、心持ち黄な色がふうと一面にかかっている。

「空の色が濁りました」と美禰子が言った。

anond:20241001033922

2024-09-30

anond:20240928013503

年を取っただけで偉そうにしてるジジイとか、

親が偉いだか金持ちなだけで自分も偉いと思ってるガキとか、

肩書社長とか士業とか)でイキって偉ぶってるやつとか、

そういうのを鬱陶しがるのと同じなんだと思うわ。

肩書とか年齢とかの一点突破自尊心固めてそれ前提でしかコミュニケーション取れない人、無理じゃん。

でも母親場合は「孤独な真っ暗闇で戦う可哀想な人」だから許してあげなきゃみたいにヨシヨシしてそれをさらに強固にしてたりするじゃん。

赤ん坊という他人自分自尊心保つ道具にするようなやつは保護者失格やろ、みたいなくらいでいいんやない。

2024-09-29

ブスあるある言いたい

マスク取りたくない

写真撮られたくない(特にアップはNG

・女扱いされたことがない

彼氏って何?

・ていうか男が敵に見える

・ブスだから心もひねくれてブスになる

・見た目で面接落とされる

・化粧してもブスはブス

プチ整形では追いつかない

自尊心がない

前世で悪いことしたんだろうなとか思う

・来世に賭けている

・引き立て役として使われることがある

・骨格もブス

イエベとかブルベかい次元ではなくブス

ZOOM会議自分の顔を見たくない

・子孫を残さないことが善行に思える

通りすがりの人に「ブス」って言われる

・悪い意味で二度見される

自虐ネタを言って勝手に傷つく

・酷いあだ名をつけられる

褒め言葉が「個性的だね」

ストーカーに合わないのが利点

anond:20240928013503

自分増田がめんど……!ってなるタイプママだったね…

たぶん育児を軸に自尊心保とうとするのは良いんだけどそれが過剰になりすぎて育児神聖視しすぎてた。

おかげで当時独身友達はもちろん、ママ友すら減ったよ。自然派ママか熱烈教育ママとかを敬遠する人がでるのと同じ感じで避けられてたね

自分で言うのもなんだけど今の自分なら避けるわ〜って思う。

育児以外で自尊心を保てる健康な心身の方はママ友ととして会うとき情報交換はしたいだろうけど、その会話だけがしたいわけじゃないしね。

なにかにつけてやっぱ育児尊い自分を成長させてくれると思う!みたいな結末につなげる話ばっかしてたら宗教っぽさ感じて周りも怯えるよね………。

とくに子どもを持つ前から友達ならなおさら。いまのお互いの好きなことや仕事やらいろんなことについて話したいものだといまはわかるけど、勝手に自信喪失して育児をしている自分は尊くてすごくて社会に貢献しているのに見返りが少ない、悲劇のヒロイン的な感覚。果てはママ友(=既婚者)だけの場だと未婚の人を嗤うような発言もしてた。

そりゃ子持ちですら一緒にいたくないですわな…


そういう意味でもワンオペとか仕事を手放して専業になるとかはリスクがあると思う。自分結婚して夫の転勤で退職そのまま出産で専業だったし

育児という暗闇で戦う私という価値観自己肥大化させるのって陰謀論者とかなDSだかナニカと戦うすげー自分、みたいな考えと大差ないと今は思う。

家族育児家事の分担をするとか、行政支援を頼るとかの根本解決をしないで自尊心を満たす方向にいくのが良くないよね〜

anond:20240928013503

かつての自分のことのようで恥ずかしい

なんであんなに育児神聖化して自尊心高めて周りを下に見ようとしてたんだろうね

今で言う陰謀論的な感じだったなと思う

anond:20240928224451

女がいう「プライド捨てろ」っていうのは「実力も無い癖に実力以上だと過信するな」って意味だ。

「過信捨てろ」のことだな。女はプライドがわかっていない。男のプライド自尊心のことだ。「自尊心捨てろ」「自己肯定感捨てろ」と言われても難しい。

からは男のプライドっていうのはなんか変なマウンティング仕草に見えている。動物的なあれだ。あれはキモいのだ。

「え??だってお前の実力はそれぐらいだろ……???お前はもう成長しないだろ???お前はそこで終わってるだろ???お前は止まってるだろ????」

「にも関わらず、お前の実力以上がほしいだと?????ナメてんのかぁ!!!!!!!!!!!!!!」

という気持ちの略が「プライド捨てろ」だな。わかりにくいんだよな、これは。

まずターゲットを決めろ。そのターゲット位置なら誰でもいいと仮定しろ。今のお前では手も足も出ない。

決めたらそこに命をかけろ。

そのとき、今のお前では実力不足であることを痛感したりするだろう。そこで諦めていたのが今までのお前だ。

そこで諦めるな。そこで諦めていたか弱者男性なのだ

過信を捨てる方法簡単だ。現実直視することだ。これは自己否定が伴う。

お前は今まで自分のことを「弱者男性」だと思っていたのかもしれない。

だがそれは実は違うのだ。お前は「もっと弱者男性」なのである。それに目を瞑って「弱者男性なんだ。うふふ」と言っている、その視点問題がある。

プライド捨てたくなきゃ実力上げろ。もしくは大人しくプライドを捨てることだな。ザコが。

2024-09-28

男のプライドモテについて

こんばんわ

久しぶり、弱者男性です。

随分むかし、妹に「モテないのにプライド持たない方がいいよ?」と言われて傷ついた人です。

あの日から幾星霜。

増田にいる弱者男性の仲間たちに告ぐ。プライドは、捨てるな。

今では「女だったら誰でもいい」と思ってて実際に口にするほどの極限までプライド捨ててるのに、パートナーは一向に現れる気配がないぞ。

別に処女じゃなくて全然いいし、オッパイどころか体型にもこだわらず、性格も気にしない。清楚・・・差別語っぽいか(今はもう)、自己主張が弱くても逆に我が強いタイプでも全く構わない。

要するに女性であることだけが条件で、こだわりはゼロ

門戸はガバガバに開いてる。

・・・なのに彼女どころか、女友達さえできないんだよなぁ。とほほ。

なぁ。

モテなくて辛くても。

学生時代は平気だったから後回しにしてたモテなさが、大人になって返済できなくなってきても。

男としての渇きが、どれほど苦しくても。

・・・自尊心絶対捨てちゃダメだ。

自分が生きるために。

(あーあ。やっぱり生まれ持った清潔感かいう男らしさが違うのかなぁ。。)

きょうだい障害児いて良かったやつなんかいる?

身内に重度知的障害きょうだいがいる、いわゆるきょうだい児というやつだが、良かったと思うことなんかひとつもない。

よく周りの大人福祉施設の人からは「障害ちゃんがいたおかげで増田ちゃんは優しい子になれたわね〜」だとか「障害ちゃんと大変なママを支えるために頑張っててえらいね〜」だとか言われたが、そうあってほしいって理想押し付けられてたんだろうな。こっちの話なんて一個も聞いてくれたことないくせに。

障害ちゃんのおかげ?出かけた先で障害ちゃんの癇癪が大爆発してくすくす笑われたり、じろじろと冷たい視線を浴びたりしたのも。障害ちゃんが行けないから・障害ちゃんが落ち着かないからとどこにも遊びに連れて行ってくれなかったのも。じゃあ障害ちゃん施設に預けて自分と出かけてくれと言うと、なんでそんなかわいそうなこと言うの!と怒られたことも。何をするにもどこに行くにも障害ちゃんのことが優先で、自分意見無視差別的だと詰るのも。障害ちゃんのおかげだったのか。

障害ちゃんは生きてるだけでえらいねと周りにちやほやされて両親にもめいっぱい可愛がられて、その横で自分は何を成し遂げても褒めてもらえなかった。どれだけいい成績を取っても、賞を取っても、いいことをしても「あんたは障害ちゃんと違って健常なんだから当たり前でしょ」「障害ちゃんの分ももっと頑張らなきゃ」

そうやって褒めず、放っておくくせに、期待だけはされる。障害ちゃんができない分を。じゃあ次こそ褒めてもらおうともっともっと頑張っても、やっぱり褒めてもらえない。褒めないくせに、世間話の自慢の材料にはする。なんだ、障害ちゃんに内心いちばん引け目を感じてるのは、両親の方じゃないか。どっちも出来損ないだなんて思いたくないもんな。褒めなくても放置してても、両親に愛されたいか勝手に期待には応えてくれる自分は、さぞ都合が良かったんだろうなと思う。

障害ちゃんは常に監視の目が必要から、全員が家を空けるとき施設に預けるより他無い。自分高校生になった頃、両親はそれを可哀想がって「増田ちゃん障害ちゃんの面倒、見てくれるよね?」と自分に擦り付けることが増えた。

もはや土日は面倒を見ることが当たり前なので、友達と遊びたいか施設の予約を取ってくれと言うと渋い顔をされた。時には「なんで急に言うの!?施設だってお金がかかるのに!おまえは親の苦労を考えたことがあるのか!?施設施設施設って家にいられない障害ちゃん可哀想と思わないのか!?」とヒスられたこともある。じゃあ貴方は、みんなが明日遊ぼうねと約束簡単にする中、障害ちゃんのことがあるからちょっと家に持ち帰るねと言うしかない自分気持ちを考えたことがあるのか。可哀想だと思わないのか。親は飲み会から友達に会うから、じゃあ増田ちゃんよろしくーと簡単に預けるくせに。

そんなこんなで、当然自尊心ボロボロになった。周りとあまりにも違いすぎるきょうだい関係、目の前で生きてるだけで褒められるのを見ながら自分はどれだけ頑張っても褒められない劣等感、意地悪な大人無垢子どもから受ける剥き出しの差別……。結婚願望のある人なら、身内に障害児がいることは破談理由になりやすいのにも脅える必要がある。そんな差別主義者と結婚しなくてよかったね!と親は言うのだろう。障害ちゃんがいなければ受けなかった差別だったのに。自分はなんにも悪くないのに、障害ちゃんがいたおかげで、その差別だけ受けて恩恵はなんにも無い。

きょうだい障害児がいて、本当に心の底から良かったと思えるやつなんかいるのか?

無理なママ友

子持ちの友人と会うときにお互いに子連れでも良いよと思える人とうーんめんどくさ…!ってなる人がいて何の違いかな、そもそもの仲の良さか?とか思ってたけど、

たぶん子どもとの自他境界曖昧だったり、自己肯定感的なもの子育てのみに依存してる人だったりすると無理なのかなって思った。

同じ子持ちでもキツイわ。

育児という孤独な真っ暗闇の中で戦う私達ママは……」みたいな自意識で生きてる系の子、たぶん自分に自信がないのかな、と。

子育てしてるとわたし自分が守らないと死ぬ生き物がいることで万能感?有能感?でアドレナリンをギュンギュンに感じるときはあるな〜と思うし、それ以外に自尊心のよりどころがない人はそうなるのかなあと。

そういう子と会って話すとなにかにつけて子ども旦那や周囲の人に結びつけられるし、結びつけないと話ができない。

すべての会話が「それうちの子供(または旦那)が好きで〜」みたいな感じで収束される。

私の友人はあなた旦那でも子どもでもなく、あなたであって、私はあなたあなたの話をしたくて時間をつくって会っているんですが…。

生活の中心が家庭になっても私は自分の話いくらでもできてしまうけど…。

自他境界曖昧ですぐ子ども写真見せたり鍵垢といえどSNSに載せたりLINEアイコンにしたりも怖い。

自分がヨダレたらして寝てる写真おもしろおかしく使われたいか自己主張できない子どもならそういうことしても良いと思ってるのか?と感じてしまう。

モヤモヤしたことの正体はここが大きいかもしれない。

遊びに行く話してるときに「子ども連れていっても良い?」って言う子に一度独身の友人がやんわりと「じゃあ私もその日ショートステイからおばあちゃん帰って来るし連れて行こうかな」って本気か冗談わからん感じで言ったことがあって、そのときわたしの中にも「育児という孤独な真っ暗闇の中で戦う私達ママは……」みたいな自意識があることに気付かされた。

なんか周囲に申し訳ない気持ち育児してますみたいなことを言いながら、当たり前に優先されて当然でみたいな感覚はどこかにあるし、育児以外で家族サポートをしてる人をナチュラルに透明化したり下に見てたなと。

何て言ったら良いかからなくて子持ち側が困ってまごついてる間に独身の子には「冗談だよ」って言われたけどあれは彼女なりに自分客観視できてないよっていう忠告だったなと思った。

私は気づかせてもらえる機会があったけど、そういう機会がないと客観視できないまま「孤独な真っ暗闇で戦う自分」に酔い続けてしまうんだろうなあ。

両親が苦手すぎる。

両親への確執が間違いなく自身の中で割と大きな問題です。

両親が苦手です。これはまだいい。飽くまでも二者間での関係値は好きか嫌いに大別されるもので、全ての人を好こうとも思っていないし、もっと仲の良い友人が身の回りにいるくらい、私の世界は広いから。

父親が苦手。

幼少期、まだツ離れもしていないくらいの頃、殴る蹴るなどの暴行を受けた事は一生覚えていると思います。力で太刀打ちできない弱者一方的にいたぶるのはとんでもなく卑怯だと思います。この人に対する根源的な不信感はここに由来していると思う。

次に短気な点。この人は本当に瞬間湯沸かし器です。自分にとって不快なことがあるとすぐ怒鳴る、舌打ちする、机かなんかを直ぐに叩く。感情制御ができない精神子供とは会話する気も起きない。どこにあるかも知れない相手地雷探査をしながら気遣いながら会話するくらいなら、そもそもしないほうがいい。

そして何より、対話ができない点。この人は自分の考えこ絶対唯一で間違っていないと、疑うことをしない。または絶対的な正当性を得た時にしか対話しようとしない。だからこの人と対話する時、対立する意見批判的なことを言うと、自分正当性を固めるための弁論、相手意見否定するための論破しかせず、話にならない。そもそも子供が親と対話する以上、子供が親を超える正解を出すことは稀ではあるが、親の見せる傾聴する姿勢子供安心感を与える。この人からはそういった類の感情を受け取ったことがない。だから私はこの人と対話することを諦めた。何を言っても無駄だと思っている。

母親が苦手。

この人の口が悪いところが特に嫌い。テレビタレントに対してすぐ不細工だと言ったり、私が見ているアニメドラマを何も面白くないと一蹴したり、そういった第三者へ向けた悪口を近くで聞き続けるのは決して気分が良いものではない。

そして私個人へ向けられる悪口。飼い犬を腹話術人形のように使って、バカだの煩いだの生意気だの、止むことなく言い続けてくる。「自分発言」として責任を持とうとしない小癪さもカンに触る。

「母の小言」は小言として心得ている。にしても暴言が目に余る。ヒスったりヒス構文を使うのも、そういう生き物だと諦めている。

ただ1点、何故本来安心すべき家庭内で、私は常に暴言悪態罵詈雑言を浴びながら、自尊心をズタボロにされながら生きていかなければならないのか。

この人もまた精神的に幼すぎる。

自身に対する他者から意見批判聞く耳を持たない還暦も間近になって、「なんでそんなこと言われる筋合いがあるの?」とか平気で言う。あなたができていないからだろう…と呆れる。

親共にまともな会話が成立しない。

私の意見や話に耳を貸さない。

そのくせに自分の話は聞けだの何だの言う。

あなたたちのことが苦手だよ。親は無二(無三)なんだから、この確執はどうにかしたいと思ったりもしたけど、多分お互い死ぬまで消えないのだろう。

2024-09-26

すぐに「日本から出てけ」とかいう奴

あれを言うことでちっぽけな自尊心を満たしてるんだと考えるとめちゃくちゃ胸が苦しくなる。

あいう人らもいつかは救われてほしい。

2024-09-25

anond:20240925002102

ワイも他の子の両親は若くてスラッとしてるのに自分の両親だけ古い時代人間、老けてて体系が崩れてても気にしない。醜くて恥ずかしいと思ってた。まあこれで親が尊敬されるような職業だったら違ったのかもな。両親が老けてるのは自尊心が削れる。なんならうちの親を見た同級生も「えっ…」って顔するしな。多分いつも若い親と暮らしてる子はこんな見た目の親っているんだ?みたいなカルチャーショックがあるんやろうな。

 

まったく怒りとかないな、事実から

老いた親が子供作るのは虐待だと思う

2024-09-24

anond:20240924223149

弱者男性は追い詰められると女性に対して性差別以外の攻撃方法が無くなるのか

でも男性であることを誇れるくらいには自尊心があるのはいいね

2024-09-23

小鞠の自尊心はどうでもいいのか?

『負けヒロインが多すぎる!』の11話のはなしだけどさ、

あれ、”良い話”に区分されるの?

荷が重い責任を引き受けて、全然向いてないけどどうにかそれをやり遂げようとしている小鞠に対して

君には無理だよ扱いしかしない温水。

あー

これなんかすごくわかるんだよね

小鞠側の気持ちが。

一挙手一投足を危うんで見てきて、危ないから私がかばってあげるね、という子供扱いのような侮辱ともとれることをされる悔しさがさ。

本人が向き合っている以上は挑戦させてよ

なんでベンチに引っ込めたがるのさ?

嫌がる本人に無理矢理押し付けるのはよくないけど

逃げ出さずに自らチャレンジしてたじゃない?

しかに小鞠は本番の場で失敗した。

でも、その失敗の責任自分でとる、リカバリーすることを小鞠は諦めてなかったように思う

「助けて」と手を伸ばしていたならそれに差し伸べるのは優しさだろうけど、

立ち上がり直そうとする体を無理矢理押さえつけてもう寝てな、というのは自尊心損壊もいいとこじゃないの?

世間では優しい温水君に小鞠ちゃんが救われた良い話みたいになってて、

私がおかしいのかとややたじろいだ

自尊心自己顕示欲が強い奴

人を傷つける事は何とも思ってないのに自分が傷つけられると凄い被害者面するのうざい

2024-09-20

anond:20240920213008

日本すごい選民意識の表れっぽく見えなくもないが、

実際はむしろ選民意識が低すぎることに対する劣等感だとは思う

自分勝ち組コースに選ばれなかった、という劣等感の解消とせめてもの自尊心を取り戻したい結果として、日本すごいになる

2024-09-19

人間関係構造を分解する ~手のかかる子編~

手のかかる子ほど可愛いという構造を分解すると

コミュニケーション

コミュニケーションの質


この構造の良いところは相手勝手コミュニケーションを行ってくれることだが、機微を間違えると憎しみが強まるので注意が必要だ。

横着な人間を羨むのではなく、戦略的にこれらの要素を取り入れて上手く使っていこう!

anond:20240909192830

元増田です。

責められるだけだと思ってたのでびっくりしてます

優しい言葉をかけてくれた方ありがとう

IQってつけたのはIQだけは高い(というよりも文字認識が得意)ので、生まれてこの方お勉強だけはできるタイプですっていう雑な条件設定のつもりでした。とはいえ天才ではないしASD特有の伸びるとこしか伸びないタイプなので出た大学私大、どうにか得意分野メインの資格だけは取れたレベルです。

特性の方向がお勉強に向かってくれたこと、LDはなかったことが幸いして、一応この資格でやっていけば食いっぱぐれることはないと思いたいです。

ただ、この通り大学までずっとこの資格勉強ばかり、就活資格ありきでしかしたことがなく、コミュ力もない。

今更他のお勉強ができるほどの勤勉さはなく、この資格活用するならリモートワークはできないのが確定しています

勉強ができる、というのが自尊心の表れとは自分の中では言い難く、お勉強以外の全てができないから唯一何とかできていたお勉強にしがみついて大学を出た形です。

こんな性格結婚できるとも思わず、老後あるいは退職休職後、兄弟迷惑もかけないために長期療養が挟まってもでかい資格一個あれば、最悪何かしらの就職先にはありつけるだろうと小学生の頃からこの資格取得だけを目指して生きてました。

実際、この資格取得のおかげで人間性ぼろぼろでも大手企業でなければ再就職には困らないはずです。生涯お勉強必要資格ではありますが、自分の中の定型を決めてしまえば何とか対応などはできていたレベルです。

結局、自分に対してこの資格を何とか取れたということにしか価値を感じていないし、それ以上の価値自分にあるとは思えない。

この資格のおかげで転職も気楽に考えられる側面はあるけど、この資格持ってる人向け障害者雇用あんまりないのも大きくて、休職明けてどうしても復職が難しかったらまずはハロワに駆け込んで、障害者雇用があるのか、隠していいのか、どこまでCOが必要なのかなどもう少し福祉を頼ろうとは思います

今も手帳持ちを隠してる罪悪感はありますが、就活時には持ってなかったというのは事実で、どのタイミングで話しても騙してることになるならばといえなかった自分の弱さが今回の休職に至った大きな原因だったのだと思います

休職直前に上司に泣きながらごめんなさいクリニックで今原因を精査する予定なんです、隠しててごめんなさい、加療対象か分かんなかったんですと伝えたら、そのことを直属の上司などには共有したいか、どの範囲でそれを伝えるかなど一緒に考えてくれていて、投薬加療が開始して問題がなさそうならば復職時にも手助けをしてくれるという幸運にも恵まれはいます

社会人にもなって長期のお休みで、働けずにじわじわ自分を責め続ける日々を繰り返していて、その優しさを全て記憶の隅に追いやっていました。

これを書いたのは、無事お薬が決まり、投薬治療が開始したというご報告も兼ねてです。

過眠症のお薬は数種類しかないので副作用をご存知の方もいるかと思いますが、動悸息切れ頭痛、食欲減退などは出ています。それでも昼間起きていることができることが勝って、食事二の次で元気に生きてます

次回の通院時に休職についての話もする予定です。

優しい言葉をかけてくださった方々に幸多からんことを。

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