はてなキーワード: 純愛とは
鮎川は中学校3年の時の同じクラスの女子だった。身長が高くて小顔。すっと通った鼻筋が印象的な美人だった。
校則で禁止されているのに、少し明るい色に髪を染めていて生活指導によく目をつけられていた。
当時はアムラー全盛期。クラスの女子はみんなルーズソックスくらいは履いていて、ギャルっぽい格好が普通だった。
その中でも彼女は少しヤンキーっぽくもあり、大人びた雰囲気もあり、いつも気怠そうな感じで「圧」があった。
休み時間に仲良くする友達も少なかったので、漫画の模写ばかりをして昼休みを過ごしていた。
無論、下手くそな絵を見られるのが嫌だったので、音楽室の隣の空き教室にいつも忍び込んでいた。
うちの中学校では3年生が町内10キロを走るマラソンが1番の目玉だったが、
そんな時「大看板を描いて、当日応援すればマラソン免除」という体育祭実行委員の役職は、
あまりに魅力的で、すぐに飛びついた。立候補したのは、俺と鮎川、鮎川と仲の良いギャルの3人だった。
例年、体育祭の看板は、ナウシカや紅の豚などのジブリ作品が描かれることが多く、
ついでドラゴンボールやエヴァなどの少年漫画がモチーフとされた。
自分は特に描きたいものもなかった(というか、模写してる絵は萌え絵ばかりだった)ので、
二人の話の成り行きを見守っていたところ、鮎川が「今日から俺は!!」を描きたい。と言ってきた。
当時サンデーを読んでいなかったこともあるのだが、ギャルがオタクの自分が知らない作品を挙げたことにびっくりした。
話を聞いてみると、高校生のお兄ちゃんがいるらしく、兄の影響で読み始めたがめちゃめちゃ面白いので、
その絵を描きたいという。俺は漫画の内容を全く確認せずにOKした。
翌日、鮎川が「今日から俺は!!」の漫画を10冊ほど持ってきた。とりあえず、読んで欲しいと。
ごりっごりのヤンキー漫画であった。特攻の拓や湘南純愛組!のようなヴァイオレンス&コメディー。
中学校の体育祭の看板にヤンキー描いて大丈夫か?という不安がよぎった。
しかし、鮎川に意見できるわけもなく、主人公の三橋と伊藤の絵を描くことになった。
製作が始まると、友達のギャルはなんだかんだ理由を言って、すぐに来なくなった。
しょうがないので二人で作ることになった。鮎川は複数のコマから
「このコマの三橋と、この表紙絵の伊藤を組み合わせた、殴りかかるような絵」にしたいと、
細かく指定してきた。彼女のこだわりはよくわからなかったが、俺はオーダーに応えた。
「増田、超絵うまいじゃん!漫画家なれるよ!!」と謎に褒めてくれた。
1週間も一緒に作業していると、ポツポツと話をするようになった。
4つ離れた兄と2つ歳上の兄がいること、浜ちゃん(友達のギャル)は最近塾忙しいから、
手伝うの難しいのわかってて無理に誘ったこと。
自分は商業高校行こうと思ってるから勉強しなくても余裕だということ。
目の前にいるのは気怠そうな怖いギャルではなくて、ただの普通の可愛らしい女子だなと思った。
女の子からそんな身内話を聞くのは初めてで、俺は多分恋に落ちていた。
提出日の前日、19時過ぎ。仕上げ剤が乾燥するのにもう1〜2時間ほどかかった。
家の遠い鮎川があんまり遅くなるのは良くないかと思い、先に帰した。
先生にもう少し居残る旨を職員室に伝えに行き、戻ってきたら1枚のメモ書きが残っていた。
体育祭は無事に終わり、懸念していたヤンキー絵ということで教師から怒られることも無かった。
クラスは受験一色に雰囲気が変わり、鮎川とはまた話す機会もなくなった。
それから数年後。成人式の時、久しぶりに中学校時代の同級生と再会した。
特に仲の良い友達もいなかったが、飲みに行くというのでついていった。
鮎川は来ていなかったが、思い出話の中で彼女の名前が出てきた。
彼女のお兄ちゃんは有名なチーマーのヘッドでめちゃくちゃ怖かったこと。
そして、お兄ちゃんの友達と当時付き合っていたらしいということ。
数年前、池袋を派手な格好で男性と歩いてるのが最後の目撃談だったこと。
俺が見えてた世界と、彼女が見えてた世界は同じ場面でもきっと全然違ってたんだろう。
でも黙々と絵を描いている彼女の横顔は綺麗で、今でも覚えている。
こういうのざっと見ていて思うし、俺も珍獣ウォッチングをしていて思うけど
願望だけは一人前にあるが、他は大人になれるほどは発達していない感じがある
もう社会人として働いて常識身につけなきゃ行けない時期に、まだ女子高生や創作の美少女のような気分や願望を異性に向けようとして、求める
ITエンジニアだとか若い内だからで使われてる根本的に枯れていく才能だけで仕事をして、本質的に努力ができないからアピールは、すべてお手軽なものばかりだ
普通の女性は男性がいろんな場所のデートコースを確保してホテルとか予約し、車で連れて行ったりするのに抵抗なく合わせるのに対して、非モテの女性は全てを池袋腐女子ロードとか秋葉原の一角で済ませてしまうのもよく見かける
行動半径が中学生レベルなんだけど、財力のアピールはどうだろうか?
行動範囲が狭くて好みの幅が極端に狭いから稼いでる割には異常にケチである(ように見える)ことが多い
そんな彼女たちがすることといえば、ネットフェミナチになってポリコレ棒振り回して、悪目立ちでも異性の気を引いたり、ワンチャンかけて社会風潮を変えようと奇行のような暴走を繰り返す、要は全てが努力なしで出来る、小手先のことばかり
女性らしさや、自分たちが出せる物でアピールできない非モテ女性は、今度は性格の良さをアピールしようとするが、それも致命的な世間ズレを起こして常識がないので気持ちの悪いことしかできない
そのくせ創作のアニメやゲームのような純愛や青春恋愛に憧れて突撃しては枕を並べて討ち死にを繰り返す、そしてフェミに狂ってポリコレ棒を振り回すフェミナチ怪人になってますます異形化していく
男とか特に言われるけど、女性にも当て嵌まることだが気持ち悪い人は対人感覚がおかしいので、恐怖を感じることも引かれる理由だと思う
純愛、浮気、不倫、出会い系、マッチングアプリ、フリーセックス…
性交渉の経緯は何でもいいんだけど、
※私がかかった当時に色々調べた知識と経験をもとに書くけど、数年前で記憶が曖昧なのと、医学的なことは専門ではない一般人の一エントリーなので、そのあたりはご容赦。
保健の教科書で見たくらい、画像が気持ち悪いなあって思ったくらいの知識だった。
私には関係ない、チャラチャラした遊び人がかかるのだろう…と。
…かかりました。
また心配性なのでコンドームは毎回、この目で装着を確認している。
…かかりました。
コンドームをしていても、臀部や付近に病変があったならば、それに粘膜が触れて移ってしまうことがある。
口唇ヘルペスのある人からのフェ○やク○ニで移ってしまうことがある。
本人は無症状で感染に気づかないままウイルス放出して移ってしまうことがある。(コロナみたいですね)
私の場合は2人目との行為の1〜2週間後に発症したので、恐らくは2人目から移ったのだろうと思うけど、
上で書いたように感染してからも無症状のまま眠っているという可能性もあるらしいので、
何年も前、1人目とした時に既に感染していたのかもしれない。
よって、性器ヘルペスの犯人探しは意味がないとも言われている。
非常に、非常にやりきれないけど…。
(後日、1人目、2人目に性病検査をお願いしたところ結果は2人共「該当なし」だったとのこと。どちらかの体内で未発症のまま眠っているのか、もしくはどちらかの口唇ヘルペスから移ったのではないかなと思っている。ああ、なんで私だけ…)
さて、そんなこんなで発症。
それがいよいよ違和感じゃ済まされなくなり、性器を中心としたとんでもない超超超激痛。
そして38〜39℃くらいまで発熱。
体中が性器ヘルペスに蝕まれて、性器を中心に体中が痛くてしんどくて痛くて、何もせずベッドで横になっても痛くて、痛くて、痛すぎて意識を失うように眠っている時だけがマシな時間。起きたら地獄なのに、寝すぎて眠れない地獄。
…ってくらい何もしなくても激痛なのに、歩いたらもう性器が擦れて発狂…とても歩行困難で会社なんて行けない。休んだ。とても理由は言えない。発熱、と伝えた(嘘ではない)
そんな状態で排泄なんてした時には、意識飛ぶレベルで超絶激痛。
だから排泄を我慢して膀胱炎になっちゃう人もいるらしい、気持ちはわかる。
加えて、性器を鏡で見たらあまりにもグロテスクで精神的ダメージ特大。(口内炎が性器に多数できてるのをイメージしてほしい。死にたくなる。)
もちろんこんな状態、病院に行くのも一苦労で、駅に行くまでも何度も立ち止まって、うずくまって、休みながら行った。
この状態、マシにはなりつつも2週間くらい続いた。
椅子に座ってても痛いし、排泄はガチで涙が出るほど痛いし、だけど職場の誰にも言えないから平気な顔して過ごさないといけないし。
こんな思いをするくらいなら、一生処女でも構わなかった!行き遅れでも何でも言ってくれたら良い!男を知らないオボコと馬鹿にしてくれていい!こんな思いをするくらいなら!!!!と思った。
人生で1番痛かった経験は?と聞かれたら、ダントツで性器ヘルペスだけど、そんな軽いエピソードトークとして人に話せないのもツライ。
この性器ヘルペスの最悪なところは一度かかったら一生。再発を繰り返すというところ。
しばらくビクビク怯えて過ごした。
チョコやナッツが再発を引き起こしやすいと聞いて、大好きなのにと涙を流した。
ただ、私の場合ここで不幸中の幸い、
再発は繰り返す人もいれば繰り返しにくい人もいるらしくて、
私は後者だったみたい。
その後の再発は数年経った今のところ無い。今後はわからないけど…。
私と同じく壮絶な痛みを経験した人、そこまで大したことなかった人、痛みは緩いけど再発を繰り返して精神的に辛い人、まあまあ痛いのに再発を繰り返している人、さまざま。
男女差もあるみたい。
性器の形状からして、女性のほうがかかりやすいと言われているらしい。
ここで表題に戻る。
私は知らなかった。
保健の授業で習った記憶があるのは、
性感染症を防ぐため、きちんとコンドームをして、不特定多数との性交渉はしない
いやいやいや、足りない!
「かゆみや痛みが生じる」だけでは全然伝わらない!めちゃくちゃ超絶激痛で何もしなくても涙が出るくらい凄惨な痛み!
そんでコンドームしてても、特定のパートナーとのみしてても、かかる時はかかる!
セックスをするなら、この人だったら性病を移されても後悔が無いと言える相手としかすべきではない、と私は思うのだ。
『性器ヘルペスなんて珍しいものではないのだから…』と淡々としていて、
今後どういう点を注意して生きていくのか、
そういったことは教えてくれなかった。
ネットに挙がっている「性器ヘルペス」に関するページは当時全て読み尽くしたくらい。
と「セックス出来ないのが辛いならゲイに掘られれば」を一部の女性によるゲイ差別だとしているけど、元増田(男性)の発言もこれと同じことを言ってるよな?
お前は相当なブスかもしれない。顔面がアルプス山脈のようになっているかもしれない。だがな、お前が股を開けば群がる男は1人や2人かはいるのだ。
ゲイにも男性にも好みがある。ゲイにだってモテる男性がいる。同様に男性にだってモテる女性がいる。「ゲイには純愛しか存在しない。身体目当て、挿入目的でのセックスはしない。」と主張するのは、ゲイに対する差別と偏見ではないか?
元増田も同様にマッチングアプリ利用者男性を 「好きではない相手とのセックス」の象徴に利用しているがそれは差別ではないのか?
というか、そこでゲイが引き合いに出されたのは「どんな非モテだとしても身体目当てでセックスしてくれそうな相手」としてだろ。マッチングアプリ利用者男性が引き合いに出されたの同様の理由だ。ゲイを例に用いた時だけ差別だと言うのか?
ゲイは男性と同じ扱いをされることを「差別」だと言うのか?男性はブスのゴミ箱だが、ゲイがアルプス山脈のようなブッサイクな顔面の非モテ男性のゴミ箱ではないと?
言葉が通じない15歳少女と児童婚し、2年でケバくなったから離婚したとか、親猫の目の前で子猫の頭を撃って脳漿飛び散らせて非難した友達も撃ったとか、下着を盗んだとか、スカートめくりに紛れて女の子の下着に手を突っ込んで弄ったとか、ひたすら胸糞悪い話しか出てこないけど、ヤフーの記事コメントを見たら児童婚は純愛でしょうみたいな擁護コメントまみれで日本の民度大丈夫かと怖くなる。
特に精神科の診断を受けたわけではないので小児性愛者とは言わないけれど、自分はいわゆるロリコンなのだと思う。
恋愛関係を築くなら成熟した女性の方が好みではあるけれど、そういう女性に対して性的な興奮を覚えるか、というと全く覚えなかった。成人してから2度、同年代の女性とお付き合いしたことはあるし、両名とも二人でラブホテルに行ったりお泊りしたり、みたいなことがあったのだが、成人女性(胸が大きい+陰毛がある女性)に興奮できず、勃起しないままセックスできずに、その後だんだん疎遠になって破局、みたいな感じで2回とも別れてしまった。
かといって、小さい子と性的な関係になることも当たり前ながらできない(しない)。
魅力に感じる異性がいても、基本的にはその異性は自分以外の誰かと付き合うことになるし、そもそもその異性とコミュニケーションを取ることすらできない(社会通念上取るべきではない)。
ということで二次元作品に逃げるんだけど、二次元のロリ作品でも、「大人の男性×小さい女の子の純愛(あるいは女の子の憧れを利用した大人の男性からのレイプ)」みたいなジャンルは読んでてかなり苦しくなる。
現実ではどうあがいても小さい子に手を出すことは禁止されているし、してはいけないものなのに、漫画の中の男性はそれを簡単に踏み越えて、しかも何となくハッピーエンドっぽい雰囲気を出して終わっていて、「いやいやそうはならんやろ」みたいな感じで別ベクトルから現実を突きつけられてしまう。
かといって小さい子がかわいそうな目に合うのも見るのがつらいので、結局大人と子どもの絵空事の純愛を見て興奮している。むなしい。
前回はこちら
https://anond.hatelabo.jp/20200911202150
精神的に不健康な作品・コンテンツの例として、青年向け漫画も取り上げる予定だった。もつあきさんと無望菜志さんと朝凪さんを取り上げようと考えていた。
迷った挙句に書かないことにした。男性しか読んで楽しめないものは書くべきではないと考えたからだ。かといって、私がボーイズラブの世界に足を踏み入れるわけにもいかず。
その代わり、ブクマコメントで要望のあった、精神的に健康なコンテンツを取り上げてみようと思った。
各編ひとつずつ選んで紹介する。ひとつにつき1000字程度。たまにネタバレをする。
久しぶりに読み返して、精神的に不健康な作品ってそもそもどんなものなのか?と自らに問いかけることになった。
これは面白い。「何も聞かずに読んでみて!」と無条件で人に勧めることができる数少ない漫画だ。
火の鳥。生き血を飲むと不老不死になる。彼女(?)は人間世界を見守っている。たまに人間に捕まえられて血を取られたり、稀に自分から血をあげることもある。その血を巡ってドラマが繰り広げられる章編もあれば、そもそも生き血を飲みたいという展開のない章編もある。
精神的に不健康な描写が数多くある。不老不死がテーマなだけに理不尽な死も多い。エロもあるし、グロもある。昔の漫画なのでよくない言語表現もある。
でも、読んでいるうちに何が何だかわからないまま時間が経って、読み終えると心が静かになっている。何も考えられない。心が作品に持っていかれる。
前々回の記事で、『完全なる経営』から読み取ることができる、精神的に健康な人間の要件として以下の5つを挙げた。
・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる
・夢中になれる物がある
火の鳥に出てくる主要人物は、このいずれかを必ず持っている。持っていないこともあるが、成長とともに持つようになる。
どのシーンも主人公に厳しい。安息の時はない。あったとしても理不尽に打ち砕かれる。各編の主人公には欲しいものや、なりたいものがある。それらを目指して戦い続ける。
彼らが生の終わりを迎えた時、死の跡には必ず何かが残っている。
精神的に健康/不健康な作品を分かつものは、破壊と創造のバランスなのだと思う。精神的に不健康な作品やコンテンツは、最後は何かが崩壊して終わる。対して、精神的に健康な作品というのは、最後に何かが創造される。
物語の過程で、登場人物が絶えず営為を繰り返している。だから読者の心に爪痕が残る。
精神的に健康になりたいのなら、土日の朝にやっているアニメを見るのが近道かもしれない。
人として正しい道へと導いてくれる作品が多い。
プリキュアはその筆頭だろう。プリキュア作品を見た児童は、正しい人格の在り方や、仲間のために何をしてあげればよいか、敵に対してはどのような態度で接すべきかなど、社会生活を営むうえで大事なことを学べる。
大人が視聴すると、忘れかけていた大事なことを思い出させてくれる。
今やっている『ヒーリングっどプリキュア』だと、15話がよかった。のどかとラビリンがあることをきっかけに喧嘩となり、冷戦状態になる。なんというか、リアルなのだ。ラビリンが問題行動を起こすきっかけも、のどかが怒った理由も。ケンカ中の態度も。
イザという時にケンカが裏目に出てしまう。信頼関係がなくなったせいで〇〇に失敗する。
ラテの仲介によって二人は仲直りするのだが、これもまたリアルだ。現実でも、こんなやり取りを見たことのある人がいるのではないか。
創作の世界に生きている人間を、現実に生きているように描く。これができるのは一流の作品だ。当たり回はいくらでもある。騙されたと思って是非視聴してほしい。
(余談)
大人が児童向けアニメを見ても面白くないという意見もある。特に作画。児童向けアニメというのは、1年間放送する関係で1話当りの予算が少ない。作画がよくないイメージが強いのではないか。
その点は安心だ。ハートキャッチプリキュア!の辺りから予算が上がっている(ような気がする)。それまでのプリキュアシリーズというのは、月に一度は作画が崩れてプリキュアの顔がおっさんになるという事態が生じていた。
いい時代になった。ただし弊害もある。スタッフがお気に入りのプリキュアが贔屓されるようになった(※今は特定のキャラが贔屓されることはない)。個人的意見になるが、キュアムーンライトの変身時の作画枚数が少ないのは、キュアサンシャインの変身バンクを盛大にするために暴走したスタッフのせいだと思っている。
プリキュアシリーズがたくさんありすぎて選ぶのがしんどいと思われた貴方には、私が選んだ大人向けのプリキュアを紹介させてもらう。作品紹介は最小限に留めている。
キャラデザは子ども向け。物語はシリアス。ファッションショー回にスタッフの愛を感じる。
本物の友情を描いている。硬派で軟派。中学生なのに色気がある。
男の子向け? 保守寄りの価値観をベースにしている。お笑い描写に定評がある。
★Go!プリンセスプリキュア(2015年)
誇りや気高さ、心の強さを描いている。みんな大好きキュアトゥインクル。
少女の友情がメイン。スイプリに比べれば甘々な感じ。最後の方は泣ける。
フリーゲームだ。一時期話題になったので知っている人もいるだろう。
主人公やヒロインは、病気や障害を持っている。主人公である中井久夫は、ある時に心臓病であることが判明し、30まで生きられるか怪しいという状態で物語がスタートする。
ヒロインの障害は様々だ。目が見えない子、話すことができない子、足がない子、手がない子、火傷のある子……。
この作品の、いったい何が精神的に健康なのかといえば、キャラクター同士の人間関係の深みを追体験できることだ。
外国人の有志が作ったゲームなので、そのあたりの深みはとんでもない。愛情で繋がるシーンが感動的なのと同じく、信頼が消えるシーンもまた同じくらいの衝撃で心を抉ってくる。
笑美のルートがよかった。外国人から見たときの模範的な恋人同士ってこうなのかな、というのが伝わってきた。個人主義・秘密主義を貫いていた笑美が、心の弱さを久夫に見せられるようになる過程に癒された。
テキスト量が凄まじいゲームなので、ホームページを読んで感じるものがあった子をプレイするのがいい。
某動画サイトではお馴染みのシリーズであり、2011年頃までは定期的に動画投稿をしていた。
このシリーズは、各作品の制作時期によって印象がてんで異なる。
初期の作品は見るに堪えない。まさに精神的に不健康だ。理不尽な死は基本であり、人権侵害を地でいっている。実際に見てみるのが一番早い。
初期に投稿されたのは、邦子が子どもの頃に作ったと思われるものだ。キャラクターはとりあえず雄叫びを上げ、とりあえず戦闘に突入し、とりあえず死ぬ。そんな作品としか言いようがない。ただし、作者のセンスが飛び抜けているので結果的に面白いストーリーになる。
邦子が大人になってから作ったと思われる作品は、初期のものとはまるで違う。理不尽な死が基本であるのは変わらないが、以下の特徴が挙げられる。
・視聴者のテンションの変化を読んでプロットを組んでいる。ハリウッド映画を研究している。
・真面目でひたむきなキャラが無残な死を遂げるのが減った
高橋邦子は大人になってしまったのだと思う。新しめの作品を視聴すると、このことがよくわかる。
精神的に若くないと、ああいう作品を作るのは難しい。例えば、会社員として適合してしまうと、そっち方面のアイデアが湧いてこなくなる。
これまでに30ヵ国語以上に翻訳され,1000万部以上を売ったとされる。架空の町マコンドの創設から、その滅亡に至るまでのブエンディア一族の歴史が描かれる。
ブエンディア一族は、みな自らが決めた使命や、本能のままに生きている。長生きした者もいれば、短命だった者もいるが、誰一人例外なくキャラクターが濃い。
キャラの立ち方について、「根が明るい」とか「聡明」とか「向こう見ず」とか、そういう言葉で表すのではなく、具体的なエピソードで表現している。
読了後は放心状態になる。静かな気持ちの中で、この本を選んでよかったという感慨を得ることができる。
大衆向けの作品でありながら純文学でもある。思わず吹き出してしまうシーンもあれば、「お前ここで終わるんか…」みたいに物悲しいシーンもある。
一番のおススメは文章だ。一文字一文字が読書中の脳に突き刺さる。以下の例はほんの一部だ。
屋敷のなかが恋であふれた。アウレリャノはその恋心を、初めも終わりもない詩にうたい込めた。メルキアデスからゆずられたざらざらの羊皮紙や浴室の壁、自分の腕にまで詩を書きつけた。あらゆるものに、変身したレメディオスの姿を認めた。午後二時の睡魔をさそう風のなかのレメディオス、薔薇の穏やかな息遣いにつつまれたレメディオス、蛾の浮いた静かな水時計のなかのレメディオス、明け方のパンの匂いにただようレメディオス。いたるところにレメディオスがいた。永遠に変わらぬレメディオスがいた。 P.73
ホセ・アルカディオが寝室のドアを閉めたとたんに、家じゅうに響きわたるピストルの音がした。ひと筋の血の流れがドアの下から洩れ、広間を横切り、通りへ出た。でこぼこの歩道をまっすぐに進み、階段を上り下りし、手すりを這いあがった。トルコ人街を通りぬけ、角で右に、さらに左に曲り、ブエンディア家の正面で直角に向きを変えた。閉っていた扉の下をくぐり、敷物を汚さないように壁ぎわに沿って客間を横切り、さらにひとつの広間を渡った。大きな曲線を描いて食堂のテーブルを避け、ベゴニアの鉢の並んだ廊下を進んだ。アウレリャノ・ホセに算術を教えていたアマランタの椅子の下をこっそり通りすぎて、穀物部屋へしのび込み、ウルスラがパンを作るために三十六個の卵を割ろうとしていた台所にあらわれた。
「あらぁ大へん!」とウルスラは叫んだ。 P.142~143
モンカダ将軍は起きあがって、シャツの裾でべっこうの分厚い眼鏡をふき、次のように言った。「恐らくね。しかし、わたしが気にしているのは、銃殺されるかどうかということじゃない。結局のところ、われわれのような人間にとっては、銃殺は自然死と変わらないんだから」。 P.172
現実世界ではありえない現象を何度も何度も描くことで、読者に対してこういう世界なんだなと思わせる。慣れてしまうと、どんな不思議な情景が現れても自然に読める。この小説はマジックリアリズムの極致にある。
時間のある人は図書館で手に取ってみよう。時間のない人はほしい物リストに放り込もう。
イラスト形式で人生に役立つ知恵を提供している。あなたも動画を見たことがあるかもしれない。
このコンテンツも、高橋邦子と同じく、作者が人間的な成長を遂げたタイプだ。
初期の頃は、インターネット上の疑問やネタを集めて電撃ランキングやその他まとめ的な成果物を作り、電ラン子というキャラクターに解説させるスタイルだった。
だが時を経て、そういったランキングで使うテーマや疑問、ネタを自らの手で作り出すようになった。
そこまで珍しい作風ではない。ほかにも、「ネタざんまい」や、「これ本当かも」、「アシタノワダイ」、「セカイノフシギ」など、イラスト形式で日常・非日常の疑問を解説するページはけっこうある。
フェルミ研究所が、類似コンテンツよりも抜きん出ているところ――精神的に健康な要素というのは、ひとえに笑いだ。
他に比べて、フェルミ研究所が一番笑えるし、絵も可愛いし、ネタが豊富だ。他のコンテンツは、ストーリーの傾向がシンプルな意味で「精神的に不健康」である。
一応はディスる内容なので、どのコンテンツがこういう内容で精神的に不健康である~といった具体的な説明はしない。
一般的な傾向として、ストーリーが語られる中で不幸になるキャラが存在している。そんな、不幸になった人物をラストに描くことで、視聴者に「ざまあみろ」という感情を吐き出させる。
精神的に健康な人間は、そういったコンテンツを好まない。再生ボタンを押したとしても、臭いを感じた時点でページを閉じる。
フェルミ研究所にしても、初期~中期にかけてはやりたい放題やっていた感がある。
恋愛を扱った回だと、童貞を煽るようなナレーションを連発したり、女性キャラが恋愛に挑んで失敗した男性に辛辣なセリフを吐いたりしていた。
今では、そういった描写は少ない。むしろ、恋愛に挑む若者を応援するような作品を作るようになっている。
青年向け漫画で活躍している。性別非公表。一般的なエロ漫画に比べて絵が独特なので見たらすぐにわかる。
男女別の作品を好む傾向として、「男性はシチュエーションに萌え、女性は人間同士の関係性に萌える」というのがある。
このふたりはこういう関係で、あの時こんなことがあって、だから今はお互いにこう思っている、といった情報がさりげなく挿入されている。読者はこれから行為をする者同士の気持ちを知ることができる。
では、肝心の行為をしているシーンはどうかといえば、これがまた…略
はてな匿名ダイアリーなので、あまり詳細に書くことはできない。一般的な男性であれば満足できる。「スミヤでは抜けない」といった意見もあるが、漫画をよく読んでいないからだ。
肉々しいタイプの絵柄ではないので、作中の行為だけを見て興奮するのは難しい。ふたりの関係性を理解したうえで楽しむのが筋といえる。
男性向けのエロ漫画において描かれる女性というのは、実は女性ではない。女の姿をした男だ。最初は嫌がっているものの、性的な興奮によりスイッチが入り、快楽に抗えなくなる。最後は自ら求めるようになる――愛よりも肉を優先せざるをえない。それが男だ。
スミヤの作品は純愛が多い。ふたりの愛情を描いたうえで行為を表現する。最初に愛情がない時もあるが、ラストではお互いに何らかの感情が芽生えたことが示唆される。
それらに触れて、多くの感情を得ることができた。もちろん、他の作家からも得られるものは多かったけれども、ここでスミヤを紹介したのは、「これって男性からも女性からもウケるんじゃないのか?」と私が勝手に思ったからだ。面白くなかったらごめんなさい。
フィクションだと割と見かける気がするのは何でだろう(「コード・ブルー」「牙狼」「龍が如く」「アイドルマスター シンデレラガールズ」など)。
実のところ本当に実在しない確証はないけれど、少なくとも苗字検索サイトにひっかからないくらいには情報が無くて。
フィクションにおける冴島さんの中で、自分が確認できた古い作品が
の2つなので、同時期に複数の有名漫画に登場したことで定着したという認識でいいのだろうか。
じゃあ同時期に冴島さんが登場したのは何故かってなるのだけど、そもそも「冴」がつく苗字が実在しないという話もあって、となると「シティーハンター」の冴羽獠あたりから影響されて「冴」がつく架空の苗字がいくつか生み出されて、その中で定着したのが冴島さんだったとかだろうか。
私はざっくり言ってリョナラーである。いや厳密に言えばリョナラーには分類されないかもしれないけど、「殺人行為」と「死という概念」と「死体」に萌えを感じてしまう人間を分かりやすく表す言葉がないのでとりあえずリョナラーと名乗る。
一応言っておくけど、これから話すのは私個人の意見であってリョナラーの総意ではない。リョナラーてめちゃめちゃ色々いるし……
私の性的嗜好は実行すれば即犯罪である。私はこの性的嗜好が正されるべきとか病気であるとかは特に思ってないし、治すべきものとかも全く思ってないけど、それはそれとして実行すれば即犯罪だ。「現実で思いを遂げたら即犯罪である以上、ある程度犯罪と肉迫していると言わざるを得ない性的嗜好」という自覚がある。私がどんなに純愛を叫んだとしても、ハッピーエンドだったとしても、犯罪だ。
私の性的嗜好は、犯罪を誘発する可能性がある。殺人行為を肯定してしまっている以上、その可能性は否定できない。そして私は、私が犯罪者予備軍だという自覚がある。そのうえで、絶対に犯罪行為はしないと誓う。
大事なのは、犯罪者になるなんて有り得ないと否定して回ることではなく、自分がいつでも犯罪を犯す可能性があると自覚したうえで、それをしないと誓うことじゃないだろうか。自分が加害者になることを有り得ないと思っている人間は、とても怖いと思う。
それと同時に、私は犯罪を犯していないし、私の性的嗜好は治療されるべきものではないということも主張したい。別に理解されたいとも受け入れたいとも思わないが、そういう表現が規制されるべきという意見には従いたくない。わかる、そんなものが世の中から無くなってほしいという意見もわかる。気持ち悪いとか怖いとかいうのも自然な反応だと思う。ただ、それらの表現は過去の私にとって救いだったので、規制されて欲しくない。わがままでしかないが、それでも無くなるのは嫌なのだ。
私のことを「絶対に犯罪を犯すだろうから今のうちに死刑にしておくべき」とかいう人間がいたのなら、そっちの方が余程大変だと思う。自分に正義があると信じている人間は怖い。正義を持って人に裁きを下すという行為はとても気持ちいいからだ。別にその趣味を持つことを否定するとこはできないけれど、どうか見たい人しか見れないところでやっていただきたい。
性的嗜好の話に戻るけど、規制されないためには、やはりレーティングが必要だと思う。それを見たい人しか見れないようなところに置いておく工夫が必要だと思う。「実行すれば即犯罪」な性的嗜好である以上、ある程度「行儀良く」しておく必要は間違えなくあると思う。
私の思う社会的責任は、自分が加害者になる可能性を念頭に置いたうえで、犯罪は犯さないと誓うことだ。自分が加害者になるなんて有り得ないと思ってる人間は、怖い。自分の性的嗜好が実行すれば即犯罪だと自覚したうえで、それを好きなまま、悪い可能性にも目を背けずに創作を行なっていく、それが私にできる社会的責任かな、と思う。いや社会的責任って言葉なんなのかよくわかんないけど。
言いたいことは全部書いたつもり。
文章が長くてごめんなさい。
【概要】
この署名の目的は、株式会社集英社に特定の要求をするものではありません。
署名の主眼は、少年ジャンプを応援し作品を応援する人がこれだけの数いるのだと、集英社に知って頂く事にあります。
暴力や性、悪意といった汚いものを描いたフィクションが、傷つき抑圧された誰かの心を浄化・解放して救う事が確かにあります。
いろいろな批判は真摯に受け止めても、クレームには安易に負けないで下さい。
【キャンペーン詳細】
昨今、少年ジャンプの漫画作品について、暴力シーンやお色気(性的と取れる)シーンを含む描写に批判の声がインターネット上であがっています。
そのうちのいくつかは、マンガ表現が読者に悪影響を与え現実の差別や犯罪を助長するのではないかという想像を根拠とし、治安向上のために表現の改変や規制を望む声が多く含まれます。
漫画作品が読者にどのような影響を与えるかは複雑で予想がつかないと同時に、一定の責任が付随するものと私も考えています。
しかし同時に、集英社様には安易にクレームに負けて作品取り下げや改変などといった性急な判断を下す事なく、漫画が果たしている様々な社会的貢献と責任について、あくまで慎重に考え判断してほしい、そして私達の愛する作品をどうか守って欲しいと願っています。
(※自分語りが入る事をお許し下さい。読み飛ばして下さってもあまり問題無いです。)
このような考えを私が持つに至った理由は個人的な経験に由来します。
まず私は少年ジャンプのラブコメ作品を正直あまり好きではありません。
おそらく一般家庭よりも性的に抑圧された教育を受け、また一方で性的嫌がらせとも言えるとても不快な行為を幼児期に経験してトラウマを抱えた私は、気が付けば「強い女性に男性が支配され傅き、あるいは苦しめられる描写」を愛好するようになり、恋愛もののフィクションでもそのような人間関係描写に憧れ、またポルノでもそういったジャンルでしか興奮できないようになっていました。
そんな私にとって、世の中のポルノに限らず純愛と呼ばれる恋愛ドラマ、ラブコメの殆どは生理的に不快なものとして映ります。少年ジャンプのラブコメ漫画も例外ではありません。昔から男女間の軽いセクハラを嫌悪し、純愛ラブストーリーにしらけ、ラッキースケベと呼ばれる不自然な性的描写にも眉をしかめていました。
しかしそれは、私のごく個人的な嗜好の問題に過ぎない事も強く自覚していました。
なぜなら、逆に女性が男性に暴力を振るうという暴力的・性的なフィクションがたしかに私の心を救ってくれて、汚いものを好み申し訳ない存在だと思っていた私でもこの世界に存在しても良いのだという自己受容を得る事ができたからです。辛い子供時代を過ごした私にとって、これは確かに必要なものだったのです。
私が価値観の違う他人を尊重し、その心情や痛みを想像する事を覚え、また卑屈にもならず自分の心を守る事ができる様になったのは、その自己受容のお陰による所が大きいです。
しかし私の「見たくない権利」を過度に押し通せば、大勢の人の「見たい権利」を侵害する事になります。
だから私は「見ない努力」をし「見ない自由」をできる限り行使して日々過ごしています。
【皆さんにお伝えしたい事】
私にとって、少年ジャンプには好きな漫画もたくさんありますが、個人的に不快に思う漫画も沢山あります。
純愛・健全と呼ばれるエロやお色気を嫌悪し、インモラルとも言える暴力・性愛を描いたフィクションに心を救われた私だからこそ、
暴力的・反社会的な表現が、抑圧された誰かの心を浄化・開放する事を知っています。
私の心を不快にする表現が、他の誰かの自殺を食い止め生きる希望を与えている事を知っています。
ハラスメントや暴力、性的描写をフィクションとして消費しながら、同時に人と健全な関係を築き、お互いを尊重し合う事ができる事を知っています。
エロに「健全なエロ」と「不健全なエロ」といった単純な区分など本当はできない事を知っています。
フィクションの表現が読者にどんな影響を与え、時に狂わせるかは製作者にもコントロール不能な難しい問題だと思います。
ジョン・レノンを殺害した犯人がライ麦畑を愛読し、コロンバイン高校射殺事件の犯人がマリリン・マンソンを愛聴していた様にです。(※賛同者さまからご指摘を頂いたので訂正します。当時メディアによって犯人がマンソン愛好者だと報道されバッシングが行われましたが、これは後にデマだった事が発覚しており事実無根のようです。)
刺激的で過激なフィクションが人の認知を歪め犯罪に走らせ、世の中を悪くする可能性が100%無いとは私は思いません。そういう事もあるのかも知れません。
しかし私は「事はそんなに単純ではない」と言いたい。
特定の表現を規制したから悪影響が減る、といったシンプルな考え方は思慮に欠け危険なものだと思います。
【最後に】
暴力や性、悪意といった汚いものを描いたフィクションが、傷つき抑圧された誰かの心を浄化・解放して救う事が確かにあります。
いろいろな批判は真摯に受け止めても、クレームには安易に負けないで下さい。
世の中の大勢の少年少女が読むであろう漫画を出版する企業として、本当の意味での責任は何なのか、深く考えて頂ければと思います。
もし私達がなにか問題を起こしたとしても、それは少年ジャンプのせいではありません。私達がもっと勉強すべきだったのです。