はてなキーワード: 屋号とは
沢山書いたやで
・実名主義
80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。
職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。
MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。
心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。
90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。
・式場での結婚式
1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式、キリスト教教会一般的。
団塊世代のロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻の自由は憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手と結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。
団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。
古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。
1990年頃まで日本人の公共空間でのマナーは先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。
・外国で旅の恥をかき捨てない
かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本人旅行者(特に団体)は眉を顰められる存在だった。
遺跡に名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクターに痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。
これを西洋は宗教倫理の文化で日本は恥の文化、共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。
電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。
この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年頃から段階的に廃止された。
森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバのIIS(インターネットインフォメーションサーバー)サービスでHPを提供していたため。
終業時間になるとサーバとルータの電源を落として帰っていた。サイトの作成は役人の趣味みたいな感じで作っていた。
1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタはパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。
駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口に100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。
民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。
90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両とタクシーの客待ちで二重駐車になっていた。
2000年頃から増える。警察が路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。
和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習。
家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員と交渉で決めるという風になった。この為に店員は電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。
客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。
バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎(1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機と建物袖看板の道路使用料徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。
これに対応して既存機の撤去とスリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。
以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフ、リセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。
2006年ころに一世を風靡したネットブックでSSDが一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。
嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局、銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。
当然平日3時までしかやっていない銀行に会社員が行けるわけがない。
そこで振り込みの為に仕事を中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅。
18才は未成年で飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。
ゼミの飲み会で普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。
・線路を歩かない
都電やローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関が線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。
90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故が連続し、その後厳しくなっていった。
初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキーは酩酊するからダメ」と書かれている。
・小銭を所持しないで外出
1000円札の読み取り装置が一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道の券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。
この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。
1989年の消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉は公共料金以外殆ど使われていなかった。
・個室
和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。
・個人
家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員のプライバシーに踏み込む」という感覚が余りなかった。
「会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。
ウオークマンは街で個人的空間に浸るものだとして批判の対象になった。個人主義はそれ自体が罵倒文句だった。
全共闘運動はあらゆる権威を攻撃し、大学の知の権威というものも破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態が継続。やがて学生は脱政治化したが大学や学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。
90年前後の大学改革でICUや上智の比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり、学生が勉強するという当たり前の状態が復活した。
この為に卒業年1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。
・様々な塩製品
塩は国家専売品だったので専売公社の製造する塩以外の岩塩、ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可と標識の掲出が必要だった。
・「メイド喫茶」などの語
「メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制や階級制の象徴のような職業であって、戦後の身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤が一般的な「雇用」となった。
一周回ってメイドの構造が過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。
・キャノーラ油
キャノーラ油の原料は菜種。
米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。
米国で生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。
過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法が改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。
1991年に大店法が改正されるまではデパートの閉店時間はPM6時、スーパーの閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。
基本的に地元の商工会の意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正が商店街の全滅に繋がった。
・生ビール
ビールは酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール。
この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。
1970年代末にサントリーがフィルターで酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。
だから地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品の生ビールはサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。
バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。
それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。
これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導の対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。
1990年から。1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業の有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去。札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的。
1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。
冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまち、ひとめぼれが席巻するようになった。
駐車違反にバイクと車の別はないが、バイクの駐車違反は2006年まで摘発されていなかった。摘発を民間に委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗に駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。
・大学生の専攻無し
学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行や福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から。
キューピーのユが大文字なのに書き方が間違っている!と指弾する人がいるので説明するが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.j-cast.com/2021/09/15420359.html?p=all
「ュ」などの小書き仮名を捨て仮名というが、これは以前は登記に使えなかった。そもそも昭和63年までは法律、行政文書に捨て仮名を使うことができなかった。
時系列順に並べるとこんな感じ
明治:公文書でカタカナを使う事が決まる(平仮名は大量の変体仮名があったため)
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法令、行政文書には小書きカナ不可、故に屋号、商号登記への小書きカナも不受理
この為小書きカナを大書きしたり、小書きを使用しない表記が一般化する(例:キューピー→キユーピー、ディーゼル→ヂーゼル)
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戦後昭和20年代後半くらいから擬音などで小書きを使うことが一般化していく
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末期には見出し:小書き仮名不使用表記、記事本文:小書き仮名使用という混在状態
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昭和63年(1988年):昭和63年7月20日 内閣法制局総発第125号 『法令における拗よう音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記について』
「法令における拗よう音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記については,(中略)昭和六十三年十二月に召集される通常国会に提出する法律(中略)から,小書きにする。」
これにより行政文書などにも準用されて小書き仮名が使用されるようになり登記も可能になる
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これ以前はローマ字をカナ書きした表記(例:YKK→ワイケイケイ)にしたり数字を漢数字にして登記する必要があった
こういう経緯なので昭和63年以前に登記した会社は「キュ」などの小書き仮名表記は商号登記に使えなかった。
だからそれが正式表記かというと法的制約によるものなのでちょっと違う。YKKの正式名称がワイケイケイかと言えばおかしさが判るだろうか?
キューピーの社名の元はキューピッドの子供読みで-yを付けた人形なので一般的な「キューピー」でいいはずだ。
登記上の制約で商号の一般認知と商号登記が違う、NHKと新聞だけが登記上の商号を使うという状態は嘗ては当たり前だったので、今も昔のままの商号を使う会社の「正式名称」に事更に拘るというのはナンセンスかと思われるよ。
成り行きに身を任せる主義の蛍原。"雨上がり決死隊"としての売れっ子芸能人生活においてほぼ全てを宮迫が主導してきた。これまでコンビ同士であまりコミュニケーションを取らず、宮迫の判断を蛍原は全面的に尊重してきた。
宮迫:まぁ、コンビとしてなにか決めるとき、僕はこうしよう!っとデビュー当時からそうなんですけども、それに蛍原さんはついてきてくれたとこがあったんで、今回のことに関しても、逐一説明すべきとこだったと思うんですけども、そういうとこの僕の至らなさが、やっぱりそういうズレを生んでしまったので。
2019年5月の宮迫の嘘をきっかけとした一連の闇営業騒動は半年ほどをかけて一定の決着が付いた。しかし"宮迫の処遇"と"雨上がり決死隊の処遇"については2年経っても終着点が全く見えない状態にあった。
浅薄で自分勝手な宮迫は多くの誤った判断により自分自身や雨上がり決死隊の処遇について宮迫自身では解決できない難題に仕立て上げてしまった。
そして1年半以上が経ち状況の好転が見通せない中で、多くの人々(蛍原自身も含む)が抱えている様々なモヤモヤを晴らすために蛍原は「雨上がり決死隊の解散」と「アメトーーク 特別編 雨上がり決死隊解散報告会」を主導した。
蛍原:え〜、もしかしたら、この「雨上がり決死隊」の屋号ですね、外してしまったほうが、みんなすっきりと進むんじゃないかな〜っと。いうことで気持ちがそっちの方へ行っていきました。
解散を決めたりアメトーーク特別編の準備をしたりする中で2人はしっかりとコミュニケーションを取った。アメトーーク特別編で宮迫の短所が昔通りに発揮されていたのは事前に蛍原とコミュニケーションをしっかり取ってきた故に(2年ぶりのアメトーークにも関わらず)リラックスして本番に臨めたからだろう。
「アメトーーク 特別編 雨上がり決死隊解散報告会」は雨上がり決死隊という概念を支えている膨大な数に及ぶ様々な立場の人達全員のモヤモヤやしがらみを各々最低限は清算させるための場となった。
出川:びっくりしたのは、ホトちゃんから言ったことにそこに一番最初にびっくりして〜。ホトちゃんは宮迫には言わないとは思うけど、「雨上がりは宮迫のおかげなんです。宮迫がいての雨上がりなんです」って、あなたが(宮迫が)いないとこで裏で言ってた人だから、それが、ほんとにびっくりしたっていうのがある、それが一番最初の感想ですね
つまり、コンビとして初めて蛍原が決断して自発的に主導した行動が雨上がり決死隊の解散であり、コンビとして初めて密なコミュニケーションを取って実現したことが「アメトーーク 特別編 雨上がり決死隊解散報告会」なのだ。
宮迫:これについては、頑固ですから、コンビでやってる番組をすべて降りるって言ってたんですよ。
でも生活もあるからそんなわけにはいかない、そこは家庭でも話したみたいで、解散してやめてくれって言うれたら降りるってお話になったんですが、ただアメトークだけは、「俺はできない。俺は降りる」ってずっと言ってたんです。
蛍原:宮迫さんのおかげで今の僕があるんです。これは、ほんとに僕が思っていることで。別れて僕だけ残るっていうのはあまりに都合が良すぎるんじゃないかって気持ちが。
蛍原 : でもさ、なんか、フジモンも宮迫もさ、「全部宮迫が悪い」みたいなこと言ってたけど、それはまた違う話で。ね、コンビですから。もちろん。コンビのことやから「コンビのどちらかが全部悪い」とかないのよ、これは。それは…俺も悪いし。っていうところは…うん。そこは俺はフジモンの意見はちょっと違うかなと思ってんねんけどね。…それこそ「熟年離婚や」って言ってたけど、夫婦もね、片一方だけ100%悪いですとかなかなかないやろし。
雨上がり決死隊 解散のご報告 https://www.yoshimoto.co.jp/corp/news/media/media210817.html
「雨上がり決死隊の屋号を外す」コンビ揃って解散報告、アメトーーク!は現在の形で継続 - お笑いナタリー https://natalie.mu/owarai/news/441276
雨上がり決死隊の解散会見をほぼ全文文字起こし!アメトーーーク | PECOログ https://pecopeco0721.com/archives/6740
解散報告会収録直後 皆様へメッセージ【期間限定配信】 22日(日)23:59配信終了 https://ametalk-club.tv-asahi.co.jp/movies/60622
転売で儲かってるクズ(ヤフオク、メルカリ)に規制入るだけで、かなり改善すると思うぞ
既存の業態と、転売クズの違いは「社会的信用を無視できる」の一点に尽きる
ビックカメラという屋号は、オンラインだろうが変わらず、無体な商売をすれば信用を失い商売に響く
だが、転売屋田中が叩かれてブラックリストに乗ろうがBANされようが、転売屋佐藤になるだけで回避できるし
物流に関係ない消費者亜種なのだから、屋号が変わることの影響も絶無
こういうクズに、転売で儲かってるクズが、全国へリーチする市場と、【金銭授受の確実性】を与えたのだから
で、なにより頭わりぃなぁって思うのが
「これが資本主義」みたいに騒いでるガキの多さ
馬鹿が無茶苦茶やったら破綻するのは明らかで、実例も過去に幾らでもある
自分も関東でバイクでuberの配達員をやってるけど書いてあることは概ねあってる。
配達をやってて苦労するのは屋号をいくつも持ってる店が多いこと、実店舗と全く違う屋号でアプリには表示されるのではじめた当初はかなり戸惑った。お店の方でメモに書いてくれてる事が多いけど、たまに何も書いて無い事もあるので泣きそうになる。こういったご時世なので居酒屋が掛け持ちで屋号を持ってることが大半。
だいたいお酒が出せなくなる時間以降は配達のみやってるみたい。配達専門の飲食店が勃興してるのも事実、恐らくこのコロナ渦を乗り越えられなかっただろう潰れた居酒屋や料理店の空いた店先を使いせかせか何人もの人達を動員して調理場で仕事をしている。変わり種で畑の中にあるプレハブにデリバリー専門の店をやってたことがあった、こいつは探すのに苦労した。
お客さんが正しい住所を登録してない事もある、大抵アプリのバグか住所の登録ミスで登録してない。メモ欄に住所を書いてある事が多いが、登録されてる住所を頼りに行くことが多いので最初配達先が見つからず迷ってメモを見て初めて気づく。
まれに配送料をゴマかす為にわざとお店の近くの住所に登録してる人もいる。また登録されてる住所と違うところで配達完了が多いと配達員側アカウントがBANされるらしい、サポートに聞いてみたらそういった配達があったら逐一連絡してねだそうだ。これを読んでる人がいたらピンずれや住所の登録は後から修正できるのでやってくれると助かります。
アプリのバグに苦しめられるのつらいね、配達したはずなのに売上に計上されてないことがあった、サポートに連絡したところ、そういった配達は一件一件詳細を報告してほしいと連絡がきた、そんなもの逐一メモしてるわけないので事実上泣き寝入りだ。AIや凄い技術を使ってても結局のところ作るのは同じ人間なので間違うのよね。
変なお客さんに当たることもある、uber eatsのアプリから配達員の動向みれると思うけど、逐一道が違うとかチャットで言ってくる人とかね、Googleマップの精度はそんな良く無く、ベストなルートは通らない事やマンションの入り口じゃない箇所がゴールになってることはまあまああるのでそんな気にせず遠回りしてても許してね。
新料金になってuberの料金体系がどうなってるのか不明だが、短い距離の配達をいくつもこなすのではなく遠い距離の配達をうまくこなすこと稼ぎ方にトレンドが変わった。自分は最近週に3日働いてだいたい6万くらいの売上だ、もっと働けばかせげるが、前職でメンタルやられてuberやってる身の上なのでそんなに無理はしてない。
兼業ウーバー配達員だが、いろいろ最近思ったことをダラダラ書く。
一応、登録して2年くらいになるかな。
23区内で稼働。
使ってるのは電動自転車。
レンタルではなく、もともと乗っていたのでプライベートでも割と使ってる。
空いてる日は昼飯時と、晩飯時に6時間くらい走って、1万円台で稼ぐこともある。
一応、満足度98%(直近100件でグッドかバッドの評価をした飲食店とお客さんの評価で算出される)なので、ちゃんとやってるドライバーと評価されてるのだろうと思う。
さて、ウーバーの報酬だが、改定以前は、料理を受け取っていくら、相手が無事受け取っていくら、距離の従量料金がいくら、と割合明確だったのが、改定されて基準が不明確になったのは事実である。
ただ、今回の改定にも良い点があって、以前は“飲食店から客のところまで”の距離しか報酬に反映されず、たとえばマック地蔵してそこから2キロ配達したよりも、2キロ走ってマックに到着して1キロ配達したときの報酬が少なかった。
これでは地蔵が増殖するのも当然で、今回の改定に、世間に評判がはなはだ悪かった“地蔵対策”が含まれているのは明確だろう。
あと、スマホにリクエストが来るとき、飲食店と配達先の場所と概ねの移動距離と報酬概算が提示されるようになった。
うまく稼ぐには、これを瞬時に判断してリクエストを受けるかどうか判断する能力がモノを言うようになったと思う。
体感だが、事前概算で提示される距離はおおむねそんなにズレてはいないように思う。
ただ、どうやら自動車のルート基準で距離を判断してるらしく、“あ、これ自転車で公園抜けちゃえば近いじゃん”というときは、得することもある。
まあ、時々、これ安すぎじゃね?というリクエストが出ることもある。暇なときは受ける
たまたま今日、そういうリクエストがでて、まあ反射的に受けてしまったのだが、実際配達し終えてみると、最初の概算より実際の報酬は100円くらい高くなっていて、バグがあったり、あまりに変な数字を提示してしまったときに補正したりは一応やってるようではある。
(普段は、リクエスト段階と実際の報酬は1円くらいしかズレない。自分はまだ、概算より実際の報酬が大幅にさがったことはない。実際あるのかどうかもよく知らない)
あと、報酬改定後、やたら店で待たされたことがあったが、そのときは事前の概算より報酬がたかくなっていて、一応そのへんも補正はしているようではある。
(ウーバーの説明によれば、今回の改定では事前の概算より配達に時間がかかったりする場合は報酬に反映されることになっている)
あと、時間帯その他による需要のあるなしは、報酬計算に反映されているようには感じる。
自分は、23区内とはいえかなり外れのほうに住んでいて、家の近所でやるときと、山手線付近の都心に出るときがあるのだが、稼ぎは全然違う。
都心だと“ピーク料金”が加算されることが多いのだが、それ以前の、ベースの報酬もやはり高額に算出されているように感じる。いや、精密に検証してないので、“感じる”だけかもしれないが。
ピーク料金が適用される地域はアプリ上に色がつく(界隈では染みとよぶらしい)ので、みんなそこを狙って移動するわけだが。
まあ体感としては、頭のいい人たちがAIつかって、より合理的な計算方法を模索してるのかな?とも思うし、配達員目線では“効率的に稼ぐメソッド”か変化したかなとも思う。うまくやってる人はそんなに稼ぎへってないだろうな、とも。
とはいえ、“なにを根拠に報酬計算してるのか判りにくい”のは、やはり不信感があって、現状では配達しているのが人間である以上、人間に理解できる計算ロジックを提示しないと、いろいろギクシャクするだろう。
これが、自動運転の車やドローンが配達するようになれば、そんな必要もなかろうが。
先日、明らかに計算がおかしいのでは?という事例があって、サポートにネットで連絡した。
これは、ヘルプページから連絡フォームを呼び出して、配達と報酬の記録のスクリーンショットを添付して…と、なかなか面倒いのだが。
起こったのはこういうことだ。
最初にリクエストを受けたあと、お客さんから、“〇〇まで配達してもらえますか?”とメッセージがきたのだ。
これは、対応してグーグルマップ検索すれば配達可能だし、予定より遠いところまで配達すると通常は報酬に反映される。なにしろGPSで移動を管理してるのだから、そんなの簡単にできるはずなのである。
ところが、このときは最初に提示された概算報酬より実際の報酬額が少なかったのである。
移動距離が見積もりより明らかに長くなったのに、安くなるのは納得いかん!と連絡したところ、結果、1円だけ追加で払ってきて“なお計算の詳細については開示できないのでご容赦を”と言ってきた。
なんだかね。
(実は、このお客さんは配達先を変更したのを申し訳なく思ったのか、チップくれたのでもとは取ってるのだが、それはまた別の話)。
あと、これは報酬計算とは別なのだか、先日こんなことがあった。
店で商品受け取って動き出した直後、アプリに配達先の情報が表示されなくなってしまったのである。
あれ?なんか余計な操作しちまったか?と慌ててサポートに電話したら、“時々起こるバクで、同時に複数の配達員のところにリクエストが飛んでしまい、別の配達員が取りに行ってる”というのである。
なんだよそりゃ。
サポートの兄ちゃんは、“商品を店に戻してくれ”という。おいおい。
思わず“タダ働きですか!”といったら、“あとから移動分はお支払いを…”といっていたが、これ、すぐにサポート繋がったからいいようなものの、繋がらなきゃ(実際、繋がりにくいことも多いらしい)配達員は途方にくれるし、客はなかなか商品届かなくて途方に暮れそうだが。
いや、そのときは何が起こったのかよくわかってなかったのだが、配達しようとしたら配達先が消えてしまい、このときはサポートに10分くらい電話つながらず、しかも夜で取りにいた店はもう店じまいな感じで、途方にくれた自分は預かったタピオカミルクティは飲んでしまった。
その後、運営含めだれからも何も言ってくることもなく。また客にカネ返してむりやり解決したんかなあ?
全体としてウーバーは何もかも走りながら考えて、トラブルあったら金払って解決してる極めてアメリカ的な会社なんだろうなあと思う。
それがいいか悪いのかは別として、そういうノリが、今の世の中では強いのだろうな。
ついでにあと一つ。
ウーバーを始めとしたデリバリー専門の店は、どんどん進化しているようである。いくつもの屋号を持ち、液晶画面に何件ものウーバーや出前館の配送員むけの割当番号が“調理中”と“配送準備完了”にわけて表示され、若い兄ちゃんパソコン見ながら調理場と配達員を仕切ってるような店が都内にはいくつも存在する。
一方で、“あれ、こんなところに「チキン南蛮専門店」なんてあったっけ?”と思って配達員向けの注意事項よんだら、実店舗は某カラオケボックス大手だったり。
あと、この店いくつもあるなあと思ったら、全部実店舗は違う名前で、経営苦しい飲食店向けにサブブランドを提供するビジネスもあるらしい。
まあ、コロナが収まって食品デリバリーがどうなるのか分からんけど、“持ってきてくれる便利さになれた消費者”と、“立派な店構えなくて飲食をビジネスにできるんだよ環境でうまいこと稼ぐ経営者”は、そんなにいなくならないように思っている。
【追記】補足書きました。anond:20210712212330