はてなキーワード: 和室とは
夢のはじまりは夜だった。私は友達三人とどこか温泉街のような場所に旅行に来ていて、ホテルのチェックインを済ませたところだった。私に一緒に旅行ができるような友達は三人もいないはずだから、その友達が誰だったのか、どんな顔だったかはもう思い出せない。あるいは高校の修学旅行で同室になった同級生たちだったかもしれない。
ホテルは十四階建てくらいの、温泉街にしては大きくりっぱなホテルで、私たちは四人で一部屋の和室に泊まった。皆で浴衣に着替え、宴会場のようなところでにぎやかに夕食を食べた。酒を飲んで心地よくなった私は「先に部屋に戻るね」と言って、友達三人を残して宴会場から抜け出した。私には昔からこういう空気が読めないところがあって、だから友達もいないわけで、やっぱり三人もの友達と旅行になんて行くわけがない。
部屋に戻ると、すでに四人分の布団が敷かれていた。食事の間に用意してくれていたようだ。私は自分の布団に潜りこんだ。眠気はすぐに訪れた。
さらに夜が深くなり、あのまま眠ってしまったらしい私はうっすらと目を開けた。部屋の電気はついたままで、けれど室内に他の三人の姿がみえない。敷かれていたはずの他の布団も見当たらない。まだ微睡んでいる意識の端でふと、私はもどる部屋を間違えたのかもしれない、という可能性を考えた。アルコールで思考が鈍麻していた私は、それでもいいかと思ってそのまま目を閉じた。
翌朝、目を覚まし、今度は完全に意識が覚醒した状態で室内を見渡した。何度みてもやはり、其処には私一人しかいなかった。
思ったとおりだ。私はもどる部屋を間違えてしまったんだ。
とくだん焦ることもなく私は冷静に自分の荷物をまとめ、スマホの充電がいっぱいになるまで少し待って、部屋のドアを開けた。
ホテルの廊下が続いているはずのそこには、明るい外の景色があった。それも、よく見慣れた、私の実家の玄関を開けたときに見える畑と砂利道と住居と、そういう眺めが目の前に広がっていた。
私はさすがに驚いて、たった今まで自分が寝ていた部屋を振り返る。ホテルの部屋だと思っていたそこは、私の実家に替わっていた。もう誰も住んでいない、置いていかれた家具がなんとか朽ち果てずに残されているだけの、異質な存在感を放つ廃墟が私の背後にあった。
私は酔っぱらって、ホテルの部屋に戻ったつもりが実家に帰ってしまっていたんだ!
情けない気持ちになりながら、とりあえずホテルまで戻ろうと外に出たところで足が止まる。実家からあのホテルまでのルートなど私が知るはずもない。途方にくれたが、私はそれでもホテルを目指して歩いた。そしてすぐに気づいた。あのホテルは私の実家のほとんど真裏に建っていた。
視界にあらわれたホテルは来たときよりも小さく、ペンションのような見た目に変わっていた。
しばらくホテルを見あげて立ち尽くしていると、入り口から引率の先生のような中年男性がでてくるのが見えた。いなくなった私をさがしに来てくれたらしい。友達四人の小旅行だったはずの旅行がいつの間にやら、修学旅行か何かに変わっている。気づけば私は当然のように学生服を着ていた。
「一体どこにいたんだ?」
小走りで駆けよってきた先生が私に尋ねる。私はその瞬間、廃墟となった実家で一夜を明かしたことを話せば奇異の目で見られるのではないかと不安になり、曖昧に口ごもった。まごつく私に先生もそれ以上追及することはなく、私をホテルのロビーまで連れていってくれた。
ホテルのロビーでは、先生に付き添われて私は誰かを待っていた。友達三人のことを待っていたような気もするけれど、はっきりとは分からない。それでもただ、私は待った。ロビーには私のように先生に付き添われ誰かを待っている人が他にも何人かいた。あてどないような、茫洋な表情を皆そろって浮かべている。それを見るうちに私は、昨夜の出来事をすべて先生に話してしまいたくなり、これまでの経緯をとつとつと先生に打ち明けた。
「私、本当はやっぱり、実家出るの嫌だったってことなのかなぁ」
最後にそうつぶやくと、先生は私を見て黙った。それからゆっくりと、正面の大きな窓に目をやり、その向こうに見える立体駐車場を指さした。あの駐車場は昔は駐車場じゃなかった、あそこには誰かの住居があった、でも今はもうない。そうやってすべては変わっていくものだと、先生はしょぼくれた私を励ますように喋り続けた。
私はぼんやりと、良い人だなあこの人、でも、たとえ話は上手くないなあと思いながら、熱心に語られる話を右から左へ聞き流した。
目が覚めた。今度こそ本当に、そこには現実の朝があった。
まだ夢の記憶が鮮明な私はしばらく体が弛緩したようになり、とても起き上がる気になれなかった。まったくなんて夢だろう。
来月、転職が決まっている。新生活のスタートだ。もうあと半月と経たずに、私は生まれてから二十数年を過ごしたこの家を出る。夢の中ではすっかり空っぽの廃墟になっていたあの家に、現実の私は今、まだ、あともう少し、住んでいる。
住み慣れた我が家の廃れきった姿、それでもそこに帰ろうとした夢の中の自分を思うと、切ないような気持ちがこみあげてたまらない。
9歳頃から胸が大きくなり始めていたが、親から、姉弟で一緒に風呂に入れるようにさせられていた。
今となっては、それが弟に性的なものを意識させていたのだろうと思う。
また、家族であれば女の裸を見る等の性的なことをやっていいと勘違いさせたのかもしれない。
目が覚めると和室で母と弟が何やら話している。
そして起きた私に気がつくと、弟がクスクスと笑いながら「おねえちゃんのお股のにおい嗅いだの」と話してきたのだ。
母は反応に困ったような半笑いのような表情だったように覚えている。7歳の子供のしたことだから、「うんち」とか「おしっこ」みたいな幼稚な下ネタ程度に思いたかったのだろう。
悪びれなく笑っている弟、弟を叱らない母に、私はただただ嫌悪感が湧き上がった。
母は理由を聞くと先日の弟のことに触れられるとでも思ったのか、「思春期だからね」とだけ言って受け入れた。
その日、一人で風呂に入っているとドアの向こうから弟が幾度と「なんで?」「なんで急におねえちゃんとお風呂に入らなくなったの?」と母に聞いている声が聞こえた。
弟の質が悪いのは、分かっているのに年下であること利用して純朴、無知を振る舞っていたことである。
そして小賢しいので、風呂に一緒に入れないなりにあの手この手で姉である私の裸を見ようと執着していた。
塾や習い事から帰宅するとわざわざ風呂のドアを開けて「おねえちゃんただいま」と言ってくるようになった。私はそれで体を洗う時間を極端に短くして、湯船に入るときは風呂の蓋をギリギリまで閉めるようにした。
ちなみに、弟は帰宅時に私が部屋にいる時は部屋には来ない。あからさまである。
また、今までトイレに行ったらトイレタンクの蛇口から出る水で手を洗っていたのに、途端に脱衣所の洗面台で手を洗うようになった。風呂上がりの、裸で体を拭いているタイミングを狙ってくるのだ。
だから私は風呂から上がったことがバレないように、湯船から出る音、風呂のドアを開ける音を最小限に留めたり、体を急いで拭いて、拭ききらぬまま下着や寝間着を着ていた。
これが癖になって修学旅行で体がビショビショのまま寝間着を着ていたことで同級生には驚かれた。
こんな、自宅なのに落ち着いて風呂に入れない生活が長く続いた。
そしてある日のこと、タイミング悪く私のお風呂上がりに合わせて弟が脱衣所に入ってきてしまった。
弟は下から舐めるように見た後に「おねえちゃん、(毛が)生えたんだね」と言ってきた。
家族に性的な好奇心の道具にされていることの屈辱で言葉にならず、声も出ずに弟をその場にあった洗濯カゴで殴った。
母には私が弟を邪険に扱っているように見えていたらしい。
中学校の卒業の時に、弟が「おねえちゃんにプレゼントだよ」と言って、名入れされたハンカチを渡してきた。
当たり前だが弟が名入れのハンカチなど買える訳がなく、母が提案して弟から渡させたのだろう。
私のこの、長年の苦しみがハンカチ1枚で許される訳がない。ハンカチはもらってすぐに本棚の裏に投げ捨てた。
コロナ禍もあり、私の部屋を片付けて仕事部屋にしたいというので片付けを手伝った。
母からの「せっかく買ってあげたのになんで使わないのよ」の一言で、ああ、この人は私の苦しみを何も気づいていないのだと悲しい気持ちになった。
当時、弟の風呂のぞきに困っていることを相談したことはあった。だが「小さいから面白がってるだけよ」と真剣に取り合ってもらえなかった。
もしくは、自分のかわいい息子が姉にれっきとした性的虐待をしていると信じたくなかったのだろう。
しかし、やられた側からすれば「たかが風呂のぞき」では済まないのだ。
風呂に入っている時、ハンカチを見た時、ふとしたタイミングで思い出されては今でもずっと嫌な思いをしている。
最近だと子供の性教育は話半分ではなく、「ちゃんと真剣にやらないといけないよね」という世の中の流れになってきている。
私は、私と同じような思いをする子供が一人でも減ってくれればいいとただただ願っている。
だからこそ、このように書き残すことにした。
子供が異性の体に興味を持つこと自体は自然なこと。だけどそれで家族が犠牲になってはならない。
たくさんのコメント、ありがとうございます。
「気をつけよう」「性教育は大事」というコメントがあって、伝えたいことが届いて良かったという思いです。
そして、同じような経験のある方々もコメントを書いてくださってありがとうございます。
本当に、苦しかったですよね。過去のこととはいえ、ふとしたタイミングで思い出されては、やりきれない気持ちになります。
予想以上に同じような経験をされている方が多く、家庭内だからこそ根が深い問題なのだと再認識しました。
また、書く場所が場所なので、心無いコメントは仕方ないと思っています。
やられた立場にならないと苦しみが分からないでしょうし、やった側だったとしたらこんなに重大な心の傷を負わせているなどと信じたくないのでしょう。
ですが、理解されないものだとはいえ、攻撃して良い理由にはなりません。
目に余るコメントもあるので、いくつかコメントさせてください。
文章のプロではないから説明に不足があったかもしれませんが、そういう議論のために投稿したのではありません。
できるならそうしています。
痴漢の被害者にも同じようなことを言う人がいますが、なぜ被害者側に非があるような言い方になるのでしょうか。
同じように家族から性的な嫌がらせを受けても「許そう」と思えるのでしょうか?
そして被害を受けた側はどんなに忘れたくても、ふとしたタイミングで思い出してしまうのです。
それほどの、一生引きずるほどの傷を残す重大な問題なのです。
面白がって書いているのでしょうが、良い訳がありませんよね。本人が嫌なら駄目です。
このような考えの人がいるから家庭内の性被害って見過ごされるのですよ。
高校に入ったあたりからようやく露見した私の頭の悪さとか、ただのうっかりでは済まされないくらいのだらしなさとか、そういうのから目を逸らしたくて鬱のふりをしてたら成績がガタ落ちして地元の私立大学に進学した。高校入学を機に“親ローン”で買ったロードバイクはたまに使うくらいで、普段は居間に繋がった和室で埃をかぶっている。それなりに勉強はしているつもりだけど、気を抜いたら課題をすっぽかして留年するんじゃないかみたいな不安で心がいっぱいになって、それで課題も手がつかない。馬鹿じゃないのって感じだけどマジでストレスを感じている。
最近ほんとうに生きるのが辛い。不自由なく暮らして学校では周りのバカさ加減に辟易して、家に帰れば疲れ切った母を眺めながらTwitterしたりご飯を食べたりしてて、公然と不幸を嘆いたりできないことに息苦しさを感じてふと死にたくなったりする。疲れたからタクシーで帰ろうみたいな感じかもしれない。親を愛しているはずだし向こうもそのつもりだと思うけれど、自己愛が足りないとかうまく認識できてないとかで全部が台無しになっている。
あと孤独を感じる。友達はいない。一人もいない。小学から10年くらいの付き合いになる(中学でありがたくも学習塾に通わせていただいてたら再開した)おにゃのことLINEしたりするけど、常に向こうから話しかけてきて向こうからおやすみの挨拶がくる。おれは相手との距離を測りかねてて自分から話しかけられないし、彼女に抱いている好意も「唯一付き合いがある同年代の人間」とか「10年来の知人」とか、そういうタグに対する執着なのかもしれないし重すぎてキモがられそうだから恋愛の成就など夢のまた夢に過ぎないのだと思う。
とにかく、家族団欒の中だろうと携帯に照らされた布団の中だろうとこの孤独感が全てを台無しにする。それだって日々の生活からようやくほじくり返して見つけ出したちょろい悩みみたいで人に吐露できるものでもない。ちっぽけなTwitterでさえ真面目なトーンでは話せないくらい。
異常独身男性ってこういう人間をちょっと煮詰めた感じなの? 親が死んだらとうとうダメになって風呂桶で煮こごりになったりするのかもしれない
朝、いつも二階で寝るのに一階で目が覚めるの、ふしぎ
起きたら誰もいない。キッチンに行ったらパパがいました、「おはよう」って言ってる
いつも通り、パパのおひざに座って朝ごはん
結菜ちゃんはドライフルーツが好きなの、パパの器からもかってにフルーツをもらう
パパのお顔みたらニコニコしてる。もらっていいみたい
パパと一緒にココアを飲みながらフルグラを食べる ボリボリ
おにぎりも置いてあったからこれも食べてみる・・・ちょっとかわいてる?
パパと和室でおもちゃを作って遊んでたら突然、ぐーぐるちゃんがしゃべりだしてびっくり。お着換えの合図なんだって
いつも通り自転車かなと思ったら今日は雨が降ってるから歩くんだって
カッパ着て少し歩くと頭がちょっとべたつく?フードいらない、ぬいじゃお
パパにうわばきはかせてもらって二階にのぼる
部屋に入ってパパがあいさつしたら、すいとうと給食袋を置くのは結菜ちゃんの役目
終わって戻ったらパパが帰ろうとしてる、置いてかないで
パパばいばい、パパとママ、迎えに来てね
まあ実際は動き回ってるのだが
正確に言うと、行動可能な範囲があっという間に狭まったという感じ
母は70台半ば。もともと家族の中では一番体が動く
なんなら今でも座り仕事メインの増田よりもずっと家事や買い物その他で一番動いてる
が、その行動に制約が付くことがちょっとづつ増えてきた
日帰り登山でひょいひょいピョンピョン岩場を飛び回るみたいな人だったのだがそれやるとダメに(筋肉じゃなく骨がダメってウマ娘みたいな話だ)
歯がとうとう1,2本入れ歯になった
歯ごたえあるものが嚙み切れなくなり、外食の選択肢を考えないといけなくなった
もともと冷え性で血行がいまひとつ良くないぽかったが、最近は朝起きると体が痛くて起き上がれない、なんなら夜にトイレにいくのも大変と言い出した
和室で布団を敷いてたのをそこそこ高額のベッドに変更した
飛行機もビジネスクラスぐらい膝を伸ばせないと、行った先で歩けない
母の場合、昼に家庭や近所で歩き回ってる間は、全く問題ないとは言わないまでも支障はない
だが、そこからほんの少し行動範囲を広げようとすると、色々と考慮して先回りしないといけなくなった
たぶん母みたいに「見た目はまだまだ元気」だが見えないとこで色々大変な人間は高齢者に限らずいくらでもいるんだろう
うちは金でドーピングして行動範囲を確保してるが、ビジネスクラスとかベッドのいいやつとか、どう考えても国民の7、8割は諦めるよな
……
いまさらこんなこと書くのは例のバリアフリーの件にどんどんバカみたいな論客が参加してるからだけど
そういう「ほとんど普通に動けるけど制約がある」ぐらいのボーダーラインの人間って想像されてないんだろうなと思った
こういうの、そういうボーダーラインの人間を労働力なり観光客なりで動員する損得勘定が働くかどうかだと思ってる
自分は個人的には「人が使い捨てられるほど余ってたなら」老人を切り捨てる経済合理性に説得させられただろう
つい20年前なら、人口はガンガン増えてくしフィリピンやブラジルから出稼ぎも大勢くるし海外から安く輸入できるしで、老人切り捨てに賛成してたと思う
けど日本の現状、条件をいろいろ考えつつバリアフリーしろってのは、リソース投入先としては十分に経済合理性の範囲内だろう
慣れてしまえば、バリアフリー基準なんてのも、建築基準で非常口確保や耐震性や耐火性を求めるのと大差ない話だと思われてくんじゃないかね
これもう「飲みニケーション」をやめるしかないっていうことじゃないかな。
「仕事終わりにみんなで飲むことと仕事の効率化は無関係だよ」ってことじゃないかな。
それに気づいていない人たちが感染していくと。
3月下旬に深夜まで行われた23人が参加した厚生労働省老健局の宴会に出席していた3人を含む6人が新型コロナウイルスに感染した問題で、田村厚労相が国会で火だるまとなっている。
厚労省とほぼ同時期に30人もが参加した総務省出身の愛媛県庁のキャリア課長の送別会が開催されていたことが、AERAdot.の取材でわかった。
関西で変異株が猛威を奮う中、大規模な送別会が開かれたのは、愛媛県松山市の道後温泉の超有名旅館「A」だ。道後温泉は夏目漱石の小説「坊っちゃん」の舞台として知られるが、著名建築家が設計した旅館Aはひと際目を引く豪華さだ。
その宴会場で愛媛県庁の送別会が開かれたのは3月24日夜――。参加したのは愛媛県庁の職員30人で、主催したのは同県市町振興課だった。
「課を離れる人が3~5人おり、その送別会でした。送られる主賓は総務省から出向中のキャリアのB課長でした」(愛媛県関係者)
先の関係者によれば、和室にテーブルが4列並べられて、料理は8000円のコースで飲み放題が3000円プラスされ、消費税込みで1人12000円ほどだったという。旅館Aのホームページをみると、春の会席料理のメニューは、地元の名産品、オレンジの食前酒や前菜、刺身、鍋、デザートなど12品と豪華なコースだ。
愛媛県では送別会が開催された前日の3月23日、松山市内の歓楽街でクラスターが発生し、23人もの新規感染者が出ていた。開催当日の感染者は24人、翌25日には県内では過去最多、59人まで激増していた。
愛媛県の中村時広知事は3月24日の記者会見で「松山市では第4波の入り口にいる、本県最大のクラスターになる可能性がある」
「影響を最小限に食い止めるために、感染の広がりを何としても食い止めなければなりません」と危機感を訴えていた。
その舌の根も乾かぬうちに決行された送別会には、問題点が多々あった。
愛媛県庁では県職員への「飲み会の場での注意事項」として、<大人数、長時間とならないように年度明けの歓迎会等は、おおむね10人以内に留める>などと周知していた。
各階に育児ルームがあり、24時間いつでもどんなときでも預けられる(ただし三日連続24H預けたら里親制度適用、外部への養子手続き可能となる。捨て子も安心)
大食堂ではチケット制の食事が一日三食提供、居住者は料理と洗い物なし、そこそこ旨い和洋中の病院食みたいなメニューから好きなものが食える
家族寮で過ごす大人子供はみんなタイプが同じダサい長袖ワンピースを着る。男もスカート。
ダサいワンピースを中心にコーデするよう誘導し、特殊素材服のオシャレは阻止する。みんなダサい。ぽんぽんついた三角のダサい帽子も支給される。
洗濯物はランドリー袋に入れておけば毎朝回収してくれる、夜になったら洗濯後のランドリー袋が置配箱に入ってる。パンツも洗ってくれる。
居住部屋は洗面台と簡易シャワー室とトイレ付きの2LD(台所なし。料理したければ居間でオーブンレンジか卓上コンロかホットプレート使え)
5年前に産まれた第一子が奇声を挙げる赤ちゃんだった。赤ちゃんなんてこういうもんだろうと思って我慢してたら似たような感じでどんどん産後うつが悪化してしまった。かわいいと感じる余裕がなかったし、こいつのせいで眠れない、トイレにも行けないという苛立ちで心が真っ黒だった。
4ヶ月前に産まれた第二子はそういう声を出さない。お腹が空いて泣いてもホゲーホゲー、癇癪起こすとぴー!うぴー!って感じなので第一子の始終キーキーとは頻度が違う。負担が少ないからめちゃくちゃかわいく感じる。
母子手帳に「育てにくい」という項目があるよね。奇声を挙げる子は育てにくい子に丸をしていい。実際に困ってるし、何らかの手伝いを母子手帳をチェックするような機会にしてもらったほうがいい。
保健師さんとは連絡取ってるかな。このコロナ禍で気が引けるかもしれないけど電話したほうがいい。連絡取ってなくても市区町村名と保健センターでググって自分の名前言ってキーキー言うからしんどいですって言えば担当が何とかしてくれる。
私は第一子の時に一瞬だけ見ていてもらって和室の別室で話を聞いてもらったんだけど、それだけでも凄い解放感だったし、職員さんが書類を持ってくるからその間に横になっていていいと言われた時の仮眠は目が溶けそうなくらい気持ちよくて最高だった。多分職員さんもわざと書類を取りに行ってくれたんだと思う。
第一子のキーキーは1歳過ぎて喃語や指差しなどで自分の意思を伝えられるようになって減った。でも最初の真っ黒がきれいに拭えず、5歳相手に今も変な距離を置いてしまっている。愛情はあるがうまく愛せない。
増田ももっと負担を軽くしないとやばい。保健師でも児童センターでも頼ってキーキーと離れる時間を取らないと精神が駄目になる。こんなふうに増田までうまく愛せなくなるなんて嫌だ。なんとかヘルプサインを出してほしい。
子供の頃に母が勤め先の同僚女性から「宗教じゃないから!研修施設だから!」と誘われて連れて行かれた、明らかに宗教の気配のする施設
印象的だったのだけど団体名が全く思い出せない
誰か知りませんか?
・1995年頃
・玄関を上がって左手に進むと寺のような広い和室で大人が集められる
・子供用の小部屋では親が研修を受けている間子供達に次から次へとお菓子やジュースが運ばれ、おもちゃもビデオもゲームも漫画もある
・出てきたお菓子を食べ過ぎて腹を壊した
・しばらく経って親の研修が終わると子供達も広い和室に呼ばれる
・口から出るとまた人間に生まれ変わって再び苦しい人生を送らなければならない
・魂が眉間から出れば生まれ変わらずにずっと苦しみもなく天国で暮らすことができる
・私は母や母の同僚が人生を苦しみと捉え、二度と経験したくないと思っているように感じて悲しくなった
・私は死んでもまた人間に生まれ変わりたいから眉間に穴を開けて欲しくないと泣いた
知ってどうこうするわけではなく興味本位です
・フィギュアを飾るための階段のニッチ棚(まあ鉄骨造りだと無駄に壁があついからこそできるのだが)
・つくりつけ本棚 俺は自分で設計図書いたぜ 居室✕2の壁面を1面ずつ本棚にしたが別にビデオやCDもたてられるぜ
・有線LANのケーブルはカテゴリー5で、電気パネルはルーターリセットかけやすいちょっと低めで
・ボタン一個で閉まる電動シャッター(雨戸の開閉がめんどくさい人に)(目隠し以外のカーテンがいらなくなる)
・引き戸(スペース確保)が自動できっちり最後までしまるバネのやつ(ただし無理に小幅で明け締めすると壊れる)
・室外機置き場の確保(エアコンないと夏死ぬし取り付けとかケアがめんどくさい)
・光ファイバー(入れるよな?)をどこからひきこむか考えて前庭をつくる(なんか集合なんとかいうチューブをうめこんでうんたら)(壁にあなあけて架空線でも悪くはないがなんか電柱がふやされたりして風景が邪魔)
・浄水器は寝室の近くの洗面所につけられたら無限うまい水最高なんだがたいてい台所にしかビルトインも後付もできない日本のハウスメーカーの怠惰
・庭と物置はセットだとおもうがたぶん両方いらないがガレージは要るだろ。要るだろ 車庫証明がとれないの欠陥住宅や
・客のための和室(そのうち納戸になるが) 保険のおばちゃんやら仕事の話もってきたおじちゃんと長話できるとりつくろいスペース 居間はテレビをおいた時点で客はもてなせなくなるからあきらめろ
・密集地の戸建ての場合屋上にアクセスできないと雨漏りが直せなくて死ぬので天窓
・都市ガスエリアなら暖房用ガス栓各部屋につけとけ、暖房代激安だし乾燥しないので勝つる ただし停電したらガスファンヒーターも止まる
・つまり各居室に電源コンセント、LAN、テレビ、ガス栓、エアコンが存在することがのぞましい
・実家がセントラル掃除機(勝手口にフィルターとモーターがあって全部屋の床に穴があってそこに専用ホースをさしこむだけで掃除機になる)いれて便利だっていってたけど今はどこもやってないかも
今朝2度寝したときの夢。
たしか求人のチラシに載っていて応募した。経験不問だった。電話すると「なかなか人が集まらず困っていた。すぐ来てくれ」と言われ、その通りGoogleマップで住所を調べ赴いた。
そこは三丁目の夕日テイストな古い商店だった。1階は商店、2階は居住スペースになっているらしい。ただ、商店はもう営業しておらず、すっからかんの棚が無造作にあるのみだった。
2階に上がると、しわくちゃの梅干しみたいなお婆さんがいた。どうやら大家さんらしく、浦沢直樹と血縁関係などは無いとのことだった。
そのお婆さんに奥の部屋に案内される。まさしくそこで浦沢直樹は漫画を描いていた。原稿やたくさんの本が散らばる和室だった。今PLUTOを描いていて、早速表紙に消しゴムを掛ける作業を頼まれた。
アシスタントの部屋はどうやら別らしい。手前の部屋の襖を開けると、小太りの青年が必死にベタを塗っていた。これまた昭和な部屋である。
私は空いている机に座り、消しゴムをかけ始めた。部屋の隅にテレビがあり、小さな音量で朝のワイドショーが流れている。
青年がおもむろにそう言う。
私は思わず手元の原稿を見た。PLUTOだ、すげ〜と感激しながら消しゴムを掛ける。
しばらく時間が経って時計を見ると、午後1時すぎだった。急に「そういや今の職場(現実で働いているところ)に辞めるって言ってなかったわ」と思い出す。アシスタント仲間に「すぐ戻ります」と声をかけて出ようとすると、「これ、先生から」とペラっとした付箋を渡された。
内容は覚えていないが、何かの指示だった。浦沢直樹の自画像が添えてある。しかしまあ後で見れば良い。それを机にほっぽって、私は商店を飛び出た。
飛び出て振り返ると、もうそこにあの昭和の商店は無かった。何もない、コンクリートの更地があるだけだった。一瞬の出来事である。
白い看板のような物が立っていて、中学生の男子が2、3人それを読んでいる。後ろから覗き込むと、「浦沢直樹仕事場跡地」と描いてあった。
周りに落書き、というか訪れた人が様々メッセージを書いていた。中学男子は言う。
「へ〜俺んちに20世紀少年あるよ」
「俺んちもなんか鉄腕アトムみたいなやつある」
それはPLUTOだ、そして何話目かの表紙は私が消しゴムを掛けたんだぞ、と口から出かけた時、ああもう幾年も過ぎてしまったんだなと悟った。
あの付箋にいったい何が書かれていたんだっけ、と考えたところで目が覚めた。
不思議な夢だった。
これね、私の両親がそうやったんですけどね。
私の実家って、あれやったんですよ。
でね、襖って密閉性なんてないから、隣からの音が丸聞こえなんですよ。
でも、うちの両親って襖を閉めたら音は聞こえないものやっていう謎の信仰があって、
子供に聞かしたら駄目なようなことを襖閉めたら、平気で話すんですよ。
一番ショックだったのは、母が浮気をしていて、そのことを母の友だちと電話で話していて、
その内容が危険日やのに中に出されたとか、そういうことで当時私学生で、
浮気していたことはわかっていたものの、もうショックを受けてしまって。
私が隣りにいるってわかっているのにそんな話するのにびっくりしてしまって。
ずっと後になって、あれはどういうつもりやったのか聞いたら、
まさか聞こえてるとは思ってなかったというのですが、
本当なのか、ずっと気になっていて。
実家の猫は15年前に当時高校生だった妹が拾ってきた捨て猫だ。
下校中に拾ってきた妹に両親が折れて、屋内のみの飼育で今に至っている。
だが、猫が来たその日から皮膚炎とアレルギーに悩まされる辛い日々が始まってしまった。
洋間、リビング、和室、全ての部屋を己の領土と捉えた猫は家中を闊歩する。
そうしてあちこちに体毛を散布するのだ。
それが僕の息を詰まらせ、肌を腫れさせ、目に異物感を与える。
衣服も靴下も寝具も毛にまみれ、見た目は奇麗でも茶色の毛が肌に痛く刺さる。
帰宅すれば猫は『外』の匂いを求めて自分の靴や鞄に纏わりつく。
特に靴下と中敷きの体毛に起因する足裏の痒みには本当に悩まされた。
真冬の暖房の風に乗って、食事にすら猫の毛が混じっていたことなど1度や2度ではない。
家の中では常に息苦しさを感じ、歩くたびに足の裏には纏わりつく茶色の毛。
遊べと纏わりつかれれば手足はチクチクと痒みが出て、目には異物感。
猫が来るまでは春先と秋口の「その時期だけ」の苦しみだった花粉症。
だが猫が来たことで家にいる限り365日苦しい時間が続いてしまうことになった。
今では家を出ているが、実家を出るまでの間は地獄とは言わずとも常にデバフ状態。
仕事で実家を出るまでの間の約7年間は本当につらい日々だった。
でも、洗濯機は使えないし脱いだ服はその場でビニールに密封しなければいけない。
猫が触るから。
でも、苦しめることもある。
飼うと決めた当事者ならば受け入れらるのかもしれないが、僕はそうではない。
捨て猫の飼育を家族が決めたことで、自分は犠牲を支払されたと思っている。
今でも実家の暴君は元気で、帰省はあまり「楽しい」ものではない。
10年とは言わないが、あと5年近くは生きているのだろう。
どうしたものやら....
リアルというわけではないが、夢なのに全部「現実味」があって、起きた時暫く混乱していた。
・賃貸を探す夢
賃貸を現実で探していたら、安い物件として和室の賃貸を紹介される。
和風ホテルの部屋のように連なっており、薄暗い神社の中に位置していた。裏は道場になっていて、朝起きたらすぐに剣道とか武道を練習できそうな感じ。
少し寂しい雰囲気が流れていて、ここに住むと落ち着くけど、同時にちょっと寂しすぎると感じた。ここで一回目が覚める
・賃貸に住む夢
その賃貸は既に借りられていた。中学時代の6人くらいの旧友が雑魚寝していて、知らない間に彼らは一緒になってその賃貸を借りていたのだ。
月2000円程で寝る事ができるらしい。隣の空き部屋を月ウン万で借りるか、雑魚寝して2000で抑えるか悩む。
外に出ると、荘厳な和風の神社のようだった。石畳を歩き、外の土地に出ると車が沢山通っている。
地震か災害で電車が止まったらしく、とりあえず新宿から歩いて家まで帰る事になった。
・冬山の夢
冬山に友達と来た自分たちは、「ゲーム」が既に始まっている事に気付く。ゲームで言うとr6s。
俺はカメラを設置し、バレなければいいだろうとゲームに参加してない人の車にもカメラを設置する。怒られるかどうか不安だが、ゲームがリセットされるときは自動的に消えるしいいだろうと思った。
雪山を進むと会館みたいなものがあり、俺はそれに入ると、俺以外の友達は出し物をして目立とうとしていた。
フラッシュモブ的に参加するらしく、俺が躊躇していると友達はみんな勝手に始めてしまった。取り残されて寂しい。
友達はゲームキャラのガジェットを使い壁を破壊し、中学の先生の後ろから、急に裸で出てくる。ゲームがリセットされれば壁は治るけれど……と、先生はあきれていた。
・賃貸の夢
また賃貸の部屋に戻り、食事を食べに行く。そこには小学校の先生もいた。
昼飯は海鮮丼で美味しそうだが、友達は俺の器をとるなり「ご飯多すぎるから減らしてやるよ」と言って、勝手に海鮮丼から素手でごはんと魚を半分取り除いてしまう。
しょんぼりする俺。ふつふつと怒りが湧いてきて、その友達がトイレに行ってる所に行き、そいつを殴ろうとするが当たらない。そこで一回目が覚めた。
・冬山と海
冬山に戻ると、そこは同時に夏の海があった。日焼けしたライフセーバー風のお姉さんが、俺の前に座って話している。人が居なくなった隙に、
俺はそのお姉さんに近寄り、「温かいね」といって抱き着く。お姉さんもまんざらではなさそうで、そのままこっち側に倒すと、キスをしてきた。
俺もそれに応えてディープキスをする。そのまま挿入しようとしたところで目が覚める。
●夢診断
現実で和室の賃貸を探していたので、それが影響したのかもしれない。以前も夢で似たような場所に来た気がする。
中学の友達が沢山出てきたのは、最近中学の友達とLINEしたからだろうか。ただその友達は一人もいなかった。
寝る直前にR6Sというゲームをしていたので、その影響かな。
小学校の時の友達に嫌がらせをされたのは、日中そいつが結婚したことを思い出していたからだろうか。「善意に見せかけた嫌がらせ」をして来る奴で、あんまり好きじゃなかった。
11/30から1泊で日光の日光金谷ホテルを予約してて、12/1は日光を観光する。12/2は箱根に行く予定でもうホテルも予約している。12/2は朝から美術館に行きたいから早めにチェックアウトする。ホテルも一人で泊まるし観光も全て一人。
選択肢としては
2.都内のビジホ
の4択。具体的にこれから悩む。
a.グランドプリンスホテル新高輪(9000円)
村野藤吾の代表作のグランドプリンスホテル新高輪。アクセス良好。洗面などの部屋は古いがそこも楽しめる。
部屋のタイプは喫煙ツイン30平米。一人だと18時チェックアウトだけど、朝から箱根に行くから別に特に旨味なし。2人で予約すると9500円なので、村野藤吾が好きな友達を部屋代要らないからと誘っても良いかもしれない。
b.リーガロイヤルホテル東京(10500円)
半沢直樹が好きなので撮影地の一つであるリーガロイヤルホテル東京にちょっと行きたい。部屋タイプはダブルの25平米。洗面や浴室の写真が見当たらないので不安。
登録有形文化財の旅館。豪華な旅館とかじゃなくてヤバめなかんじ。じゃらんとか楽天とかでは予約できないので直接旅館に連絡しないと泊まれないようだ。なので多分Go Toトラベルは対象外。そもそも空いてるのかすら分からない。部屋のタイプは8畳和室。トイレ風呂は共同。
d.鳳明館(5000円)
本館別館森川別館の3つがあるようだ。こちらも本館が登録有形文化財。でも西郊と違ってじゃらんなどで予約できる。Go Toトラベルの対象にもなってる。文豪が昔愛用してたらしくて文豪プランなども展開している。部屋のタイプは4.5畳から6畳。こちらもトイレ風呂は共同。
2.都内のビジホ
a.ドーミーイン(朝食付き5000円〜6500円)
ドーミーインの朝食食べてみたい。プレミアムとかいろんなタイプあってよくわからない。
こちらも村野藤吾の代表作。建物がとにかくかわいい。アクセスがとにかく悪くて平日だと一日平日3本の小田原駅からの送迎バス(要予約)か、新宿から1日1本のバスか、小田原駅からのバス(1日15本程度あった)か…。部屋タイプは禁煙ツインルーム38平米。翌日の箱根の美術館は巡りやすくて良さそう。
赤い屋根が可愛いホテル。庭も綺麗なんだけども見頃は5月らしいので12月に行ってもなあ…というかんじはする。aと近所のためアクセスのメンタルはこちらも期待できない。
4.箱根のビジホ
泊まりたいところがとくに思いつかない。
甲斐みのり氏の著書「一泊二日 観光ホテル旅案内」の付録だった日本全国わたしのホテルBEST100を参考に考えてみた。今のところ鳳明館本館が有力かな〜。
https://www.quest-kk.jp/hon/09/0902/090201.html
「和室は、要りません」
とサバサバした人も何人かいて、確かに和室離れが進んでいると感じていたが、半数以上の施主さん達は
とのことだった。