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はてなキーワード: 和室とは

2020-09-25

[]何色がいいか

白(オフホワイト

茶(ブラウン

赤(ルビーっぽい)

黒(よくあるブラック

フェイクレザーのソファーベッド。普段ソファーで使います

在庫あるのは赤だけみたい。人気は、白、黒、茶。

それ以外は今月下旬以降あるいは10月発送。

和室で、壁は塗りなおしてうっすーーーーいピンク。まぁぱっとみ白壁

床はベージュタイルカーペット。どうみても和室掃除だけはちゃんとしてる。

壁が白なので、白がイイかなぁ。汚れちゃうかなぁ💦

2020-09-16

葬式の夢を見た

和室の奥に真新しい木組みの祭壇、真新しい木の棺

喪服の親族が集まっている

亡くなった女性は「コリョウコさん」

設定上自分の嫁ぎ先の祖母の姉らしい

コリョウコさんは障害があってずっと入院?してたらしく会ったことはない

横でさめざめと泣く祖母曰わく、彼女には他人障害を肩代わりする能力があり、ずっと色んな人の障害を肩代わりし続けてきた、

やっと死ぬことができて良かった、と

障害のある箇所を彼女に触れさせることで肩代わりしてもらえるらしく、痔持ちの自分は見知らぬ女性にケツを押し付ける様を想像して勝手にイヤな気持ちになっていた

そこへ濃いカーキ色のセーラー服を着た予想孫登

なだれ祖母に寄り添って優しく慰め始める

しか祖母が「早く燃やしてやりたい」と言ったところで孫にっこり

「そんなのもったいないよ、もうコキン屋さんにきてもらってるんだよ」

驚く祖母、サッと登場する丸メガネのおじさん

「私コキン屋と申します。このような商売もの差し上げる名刺がございませんで、代わりにこういったものをお配りしております。お見知り置きください」

流暢に自己紹介しながら配られたのは、黄色と緑の和紙を貼り重ねて作られた二つ折りの札入れ

開くとカード入れのあたりに読めない肩書き名前かいてあった

コキンは古金と書くらしい

金氏が言うにはコリョウコさんのご遺体を買い取りたいとのこと

というところで目が覚めた

夢の中でも痔持ちなんて悲しい

2020-08-24

NOVAの元社長の隠し部屋

和室があるのがなんか年齢を思わせてちょっと切ない気持ちになる

あとダブルベッドなんだね

キングサイズくらい置いてもいいと思うのに

2020-08-17

今日わたしの部屋にエアコンが設置された。



この部屋がわたしの部屋になって、もう17年がたつ。

当時うまれたばかりだった弟は17歳になった。

当然、わたしも4歳から、21歳になった。



この家に引っ越してきてすぐ、わたし幼稚園はいった。

お気に入りアンパンマンの靴をはき、母に髪をツインテールに結ってもらい、今はもう歩けない祖母も一緒に、この家の前で家族写真を撮った。

みんな笑顔で、わたし笑顔で、弟はなにもわからないような顔をしてベビーカーに乗っている写真

それは今も、17年たった家の玄関に飾られている。



17年をここで過ごしてきた。

そのすべてを覚えてなんかいられないくらい、長い時間だった。

リビングソファーで弟と飛び跳ねながら遊んだ。古い携帯電話で家の写真をたくさん撮った。

冬には和室コタツを出して、父が作った親子丼をみんなで食べた。

きらきら光るちいさなクリスマスツリー。みんなで飾り付けをして、わたしわがままを言って、夜ご飯クリスマスツリーの明かりだけを灯して食べた。

何度も何度もピアノのレッスンを休んで、母を泣かせてしまった玄関

仕事に行く父を母と一緒に見送って、いってきますキスをした。恥ずかしかったけど、うれしかった。

家族全員で、同じ部屋で並んで眠っていた。枕元にはおもちゃがたくさん並んでいて、弟はいつも夜になるとレゴブロックで遊んでいた。

少し開いたカーテンが怖くて、寝る前には必ずしっかりと閉まっていることを確認した。

片頭痛持ちのわたしが、夜中じゅう唸っているとき、父と母は部屋を暗くして、廊下の明かりだけを灯してわたしの看病をしてくれた。



わたしの部屋は、もともと、弟と二人の部屋だった。わたしの机の反対側に弟の机があった。

よく一緒に、シルバニアをしたり、絵をかいたりして遊んだ。とても楽しかった。

弟が小学生になってしばらくして、部屋が分かれた。

弟の部屋は、家族全員で寝ていたあの部屋になった。

それからは、リビングでみんなで寝ていたけれど、いつの間にか一緒には寝なくなった。



ずっと変わらないと思っていた。

この家も、この部屋も、わたしや、父や母や弟も。

だけど、17年たった。

リビングソファーはもうないし、コタツも壊れて出さなくなった。クリスマスツリーの飾りつけもしなくなった。

ピアノのレッスンは辞めた。父と母も、もういってきますキスをしていない。

わたしと弟はもう遊ぶことはなくなって、食事時間に顔を合わせるくらいだ。

そして、みんなばらばらの時間に、ばらばらの場所で眠っている。



今日わたしの部屋にエアコンが設置された。

17年、この部屋にはエアコンがなかった。

暑い夏をこの部屋で17回過ごした。



エアコンのある17年を、わたしはこの部屋で過ごすんだろうか。

あと何回の夏を、この家で過ごすんだろうか。

その間にどれだけのことが変わってしまうんだろうか。



変わっていくことが、今はとても怖い。

2020-08-14

やばいやばいどうしよう

私は母親和室で一緒に寝ているんだけど、和室オナニーしてた際に使っていたローターを枕元に忘れてきたかもしれない

風呂入る前にまたするつもりだったから、とりあえずそこらへんにあったタオルにローターを包み込んだはずなんだけど、もしかしたら適当に布団に投げてたかもしれない

母親がお風呂入って和室に行くまで全く気づかず、ドラマみたりしてた

思ったより母親が早く寝に行ったから…

どうしよう どうしよう とるタイミングはいつでもあったのに全然気が付かなかった

馬鹿だ 今確認していってもいいけど母親が寝てるのを起こすのも悪いし、本当にローターがそこらへんに転がってたらきつすぎる どうしよう〜

2020-06-19

変な夢を見た

自分教員で、生徒を引率している。

引率生徒と相部屋。

汚い和室で、女子生徒と二人っきり。

女子生徒は部屋の片隅でもぞもぞしている。

自分ちゃぶ台の上に荷物スマホを置いて、そこで寝ようとしている。

そこで女子生徒の存在を忘れて、スマホxvideosを見始めてマスターベーションをしてしまう。

「あ、そういえば俺引率中だったわ」と気づいて、女子生徒の方を振り向くと、女子生徒は寝てしまっていた。

みられた?みられてない?

焦る俺。

って、夢。変な夢だった。

2020-05-06

あの頃の新都社作家はいまどこにいるんだろうか

10年以上前実家ニートやってたころを思い出す。

あのころはサァ

まず動画サイトといえばニコ動>>>ようつべだったんだよな

家族が寝たころ動き始めて

2ch張り付いてラノベ読んでアニメみてオナニーして深夜散歩して(田舎から昼間ウロウロしてると不審がられる)

夜中だから両親のケンカも聞こえないし心地よかったな

静岡の、さら田舎の町の一軒家、2Fの6畳和室から見てた景色は今でも思い出せるんだよね

あの頃はweb漫画といえば新都社ニート社)だったんだよなあ

今は大手出版社が自サイト構えて作家囲ってたり

素人個人でも、twitter等で漫画を全世界に公開できる時代になった。

コミケ事情は今も昔もよく知らない領域なので言及できない

あの頃の新都社作家はいまどこにいるんだろうか。

今でも思い出せるタイトル

ニート様がみてる」

「ポキモ焼肉

連続してコインをいれるということ」

この3作は大好きだった。小屋先生twitterみつけたけどあとの2人は何してるんだろうなあ

意識低い子育て

子どものお守りは和室でしてる。出入り口ベビーゲートつけて、簡単には出られない&部屋の中に危ないものは置かない。

で、ひたすらプロジェクター天井吊りで子どもが触れない)でYoutubeの子ども向け番組を流し続けて、子どもが夢中になってる隙に私は携帯ゲームをする。

たまに子ども絵本を読んでとせがむので、そのときゲームの手を止めて何冊か読む。

これで育児ノイローゼとは無縁の子育てをしている。

ろくな子育てではないことは自覚しているので、Twitterとかでは書けない。

2020-05-04

なぜ義父モノAV和室ばかりなのか

解せない。今どき和室ある間取りも少なくなってきてるってのに。ベッドでもやってくれよ。あと自宅だけじゃなくてさあ、義父が無職年金暮らしだけでもなくて、普通にサラリーマンラブホに呼び出すとかもさあ。和室に布団ばっかじゃ飽きる

性欲が強いわけじゃなかった

自分は性欲が強いと思っていた。でも間違いだった。

好みの体系で好みの顔('ω')で、好みの肌の色=色白で低身長スレンダーで猫っぽい顔で

好みのシチュエーション=白いベッドや生活感あふれる和室ホテル女性優位だけど、女優の根は優しそう

で、パイパン性器はほんのりピンク

カメラワークは接写と女性の体形が確認できる程度の迫力のある構図で

自分性器最初そっと手で触って立たせて、脚ピンをして角度を足側にしMAXに血流が行くようにし

乾いたティッシュの摩擦で短時間フィニッシュすることで一日に何回も射精したり勃起する事が可能だった。

それか鬼束直しんじまさきのエロ漫画

己を知り、己を磨き過ぎた男に過ぎなかった。

2020-05-01

anond:20200501160245

自分は逆に和室らしい和室がない(畳の部屋はあるけど)環境で育ったため、現実感がなくって和室が出てくると萎える。でも熟女モノだと後半は和室舞台のことが多いので、実際困る

AVでさ、和室からむやつあるじゃん

なんでか知んないけどあれダメなんだ俺。さめる。

どれだけ好みの女優さんでも、障子とか畳とか見えた瞬間にダメなの。

これわかる人いるかな? もしかして実家の俺の自室が和室だったのも関係あるんだろうか。

にわかるって人いたら、和室で育ったかどうかも教えてくんねえ?

2020-04-28

AVでさ、和室からむやつあるじゃん

なんでか知んないけどあれダメなんだ俺。さめる。

どれだけ好みの女優さんでも、障子とか畳とか見えた瞬間にダメなの。

これわかる人いるかな? もしかして実家の俺の自室が和室だったのも関係あるんだろうか。

にわかるって人いたら、和室で育ったかどうかも教えてくんねえ?

AVでさ、和室からむやつあるじゃん

なんでか知んないけどあれダメなんだ俺。さめる。

どれだけ好みの女優さんでも、障子とか畳とか見えた瞬間にダメなの。

これわかる人いるかな? もしかして実家の俺の自室が和室だったのも関係あるんだろうか。

にわかるって人いたら、和室で育った教えてくんねえ?

2020-04-20

はなよめのてがみ(仮)

本日私たち結婚式のために皆様お集まりいただきまして、誠にありがとうございます

当初は花婿くんの「親孝行がしたい」という決意に私が折れた形で決まった挙式ですが、このように家族以外の皆様にまでお祝いしていただき、恐悦至極でございます

この人生、目立って良かったことなど一度もありません。ゆえに、自らが主役としてゲストをもてなさなければならない結婚式など、卑小な人間たる私に務まるか非常に不安でした。無事に食事会まで終えることができ、いま心のなかで盛大な安堵のため息をついているところでございます

(中略)

さて、最後になりましたが、婚家の両親への決意表明を致しまして終わりの言葉に返させていただきたく存じます

義母さん、結婚式でお色直しを計画したら「和室での食事会なのに洋装は合うの?」「お色直しで中座されたら場が持たなくて辛い」と言われましたよね。そこで、お色直しを取りやめたら「本当にドレスを着なくていいの?あなたのお母様と『みたかったわねぇ』って話していたのよ」と仰ってくださったこと、ずっとずっと忘れません。

お義父さん、いつぞやに量販店紳士服売り場のセールスマンに言われたという「両家の両親の服装を和洋で揃えるべき」というどこの界隈で謳われた知識かも定かではない情報常識と履き違えて、あまつさえこちらが洋装なのに和装を準備するなんて非常識だ!失礼だ!侮辱してる!」とご立腹なさったこと、わたしキッチリ聞いて覚えておりますよ。

ふたりとも、連絡を取れば、この時勢を騒がせている殺伐とした話ばかりされますよね。そのとき、少しでも和ませようとなけなしのセンスで残した言葉遊びをお義父さんが「幼稚園レベル」とくさしたことバッチリ証拠に残しております

不肖わたくし、なにぶん永く根に持つ性分ですので、これからも何卒よろしくねがいしますね。お義父さん、お義母さん。

2020-04-12

童貞卒業した

大学卒業したのに童貞卒業できなかった。

学生として暮らした街を発つ前日、銭湯露天風呂に浸かっている時に、ふと思った。空を見上げると、夕闇が近づいている。ここからそう離れていない高級料亭街が灯り始める頃合い。風呂から上がり、財布の具合を確かめると、夜の街へと繰り出した。

料亭看板を掲げた風俗店が立ち並ぶ一画。自分とさほど年齢が変わらない女性達が妖艶に着飾って微笑みかけてくる。その横で座したおばちゃんが声を掛けてくる。お兄ちゃん可愛い子おるで。ちょっと立ち寄ってや。確かに可愛い女性ばかりだった。だが、いまひとつ惹かれない。入店の決心がつかない。足は自ずと街の外れへと向かっていた。そこは、自分より一回りは歳上の女性達が集う通りだった。

その中で一人、気になる女性を見かけた。年齢は二十代のはずなのに、熟女人妻と銘打ったアダルトビデオによく出演していた女優に似ていた。可愛い系というよりは綺麗系。この通りを端まで歩いて、他に候補が見つからなかったら、あの店に入ろう。歩き終えて先程の店の前に戻る。あの人はまだ座っていた。おばちゃんと二言三言会話をして、女性の方を向いた。

二階まで一緒に上がろう。彼女はそう言うと、指を絡めて手を繋いできた。距離感の近さに少したじろぐ。導かれながら階段上り、思いのほか広い二階を見やる。年季が入った木造建築だった。どこかの部屋から嬌声が聞こえてくる。

一室へ入った。彼女に促されて服を脱ぎながら会話をする。こういう店は初めてで……。この街を離れる前に一度来てみたくて……。気がつくと、お互い一糸乱れぬ格好。六畳一間の和室に敷かれた蒲団に仰向けになると、彼女股間へと手を伸ばしてきた。徐々に屹立していき、ゴムが被せられた。袋をいじられながら口に咥えられて、さらに硬くなっていく。準備は整った。

どの体位がいい? 彼女が聞いてきた。あまり知識がない。正常位、騎乗位、後背位。仰向けに寝転がったまま数秒考えたが、そのまま乗っかって貰うことにした。彼女の指に誘導された一物は、あっさりと奥へと吸い込まれていく。卒業した。あっけなかった。

彼女上下に動く。こちらも腰を動かしてみる。上手くいかず、すんなりと抜けてしまった。なかなか息が揃わない組体操みたいだね。そう言うと、彼女は笑った。

次はどうする? どういう体位が多いの? 正常位とかバックかな、中にはマニアックなのもするけど。松葉崩しとか? 冗談交じりで言うと、彼女はまた笑った。そうだね、やってみる? 若葉マーク人間ができる体位ではない。流れで正常位へもつれ込んだ。

腰の動かし方がよく分からない。画面越しに見てきた男性達は卓越した技術を持っていたのだと改めて実感する。彼女申し訳程度に嬌声を出す。気持ちよくないだろう。申し訳なさが込み上げてくる。

後背位へと移行する。こちらの方がまだ動かしやすい。それでも何度か抜けてしまった。仕方がないので両手で臀部の触感を楽しんだ。

もう一度、騎乗位へ。彼女が動く。胸に触る。揉む。掌に収まる大きさの乳房は柔らかかった。小ぶりな乳頭を優しく摘まむ。少し硬くて、その触感が心地よい。舐めていい? いいよ。ありがとう。乳頭を唇で食む。二十数年ぶりに乳首を吸ったよ。そう言うと、彼女は笑った。赤子の頃の記憶は蘇らなかった。

正常位以降、一物は中途半端勃起したままだった。彼女は慣れた手つきでゴムを外すと、直にしごき始めた。痛くない? 全然、ちょうどいいよ。再び硬さを取り戻していく。ブザーが鳴る。終わりが迫っていた。

延長する? 彼女が聞いてきた。懐事情を勘案する。延長したところで、果たして果てるだろうか。逡巡しながらしごかれる。気持ちいいのは確かだった。だが、絶頂には程遠い。二度目のブザーが鳴った。諦めた。

今朝に抜いてしまたから、彼女にはそう答えた。これは事実だ。しばらく溜めた後の一発、重かった。そして今夜は本番。だがそれは、言い訳としては弱かった。半日近く時間は経過している。体力的には問題はなかった。

初めては愛しい人と。今までそんな風に抱いていた淡い幻想のせい、心因的なものかもしれない。十年以上も床を愛しすぎてしまった結果なのかもしれない。恐らくこの二つが絡み合っているのだろう。

ありがとう股間に付いたローションを拭う彼女に声を掛ける。ごめんね。彼女は謝った。

三度目のブザーが鳴った。服を身に纏うよう急き立てられる。

薄暗い部屋を出る前に彼女が両手を伸ばしてきた。抱き締め合う。温もりと柔らかさが伝わってきた。階下へ降りると、おばちゃんから飴を貰った。肌寒くなってきた外気に当たりながら、来た道を戻っていく。何も知らない他の店のおばちゃん達が声を掛けてくる。口に咥えず手にした飴に気づいた一人のおばちゃんが呟いた。体力もたんわな。

あれから二週間。世界は目まぐるしく移り変わり、流行りの病の影響で一斉休業を決めた高級料亭街。あの子大丈夫だろうか。確かめようのない思いを抱きつつ、新しい街に少しずつ住み慣れていく。

2020-04-10

anond:20200330235511

全てが和室の古い団地

そのまま畳の上に寝る時代だったからか

コンクリートが分厚い傾向ある

2020-04-05

尊厳なし

ついにおとついから顔がひきつるように痛くなった。こめかみ、頬骨、はぐきまで痛みだした。

仕事から帰ってきて、布団をしいて寝た。とてもでないが炊事はできなかった。(自分で回した洗濯機なので)洗濯物はようようていで干した。

妻には寝ている間、症状も聞かれずに布団をしいた和室リビングふすまを閉められた。ビシャリ!怖い対応

その昔、親知らず虫歯でおなじような症状を経験したことがあり、最初虫歯を疑った。

歯医者耳鼻科(1~2週間、蓄膿症状が続いていた)で迷ったが、耳鼻科に行こうと決めた。

診断は急性副鼻腔炎自分の鼻の奥をカメラで見たあと白い棒を2本鼻に突っ込まれ、薬剤を鼻から注入。病気というのは大変だ。

風呂上がり、妻が子ども説教を始めた。こういうときなにかとボクを引き合いに出して、貶める

干場のタオルのかけ方がたるんでいる話になり、こどもがボクのタオルに話が及ぶと

キレ気味の大きい声で私に聞こえるように、「パパに聞いてご覧。いつも言ってるのに聞いてないのよ。汚いタオルからだをふけばいいのよ。」

タオルは日頃きちんと干してある。副鼻腔炎で顔痛くて、ようやくシャワーに入ったのだ。

妻の言動はいつも子供の前で私を貶めるようになった。

子供もそれを信じるだろう。子供が妻のように私を見下すようになるのも時間問題かもしれない。

2020-03-19

夢で部屋を片付けてた

引越し前で部屋を片付けなきゃ、という現実を反映していたのだろう

けど、夢の中の部屋の作りは現実とは違っていた

片付けるととてもきれいな部屋になった

和室で座卓があり落ち着く雰囲気

洋室の方もなだらかなカーブの壁が見えて、お洒落デザインの部屋だったのを今更に気づいた

この家を去る時に、一番過ごしやすい部屋になるなんて皮肉だな、と思いながら

自分はこの部屋が好きだったな、と思い返した

私、この部屋が好きだったなあ…

目が覚めて、あの部屋は親戚宅と似ているんだなと気付いた

こじんまりとして、でもとても手入れが行き届いて、きれいで落ち着く部屋

引越し先では今度こそそんな風に住みたい

さあ、片付けなければ

2020-03-08

初ベッドへのアドバイス

今度引っ越しをするだが友人からベッドのが楽でよいとベッドを勧められた。

しか実家住まいの頃から今の今までお布団生活であったのでいまいちベッドというものがわからない。

そんなベッド初心者に対するアドバイスがあると嬉しい。

身長154cmで本人以外が乗る予定はない

引っ越し先は和室で寝る予定

収納あった方が便利らしい

・寝相はいいが寝付きはよろしくない

予算はそこそこ

2020-03-03

7年間のテレワークリモート)の感想

家族IT系リモートワークをして7年。営業職や事務ではなくプログラマー。近くで見てきた者の感想です。

結論から言うと、仕事部屋を作るのがベスト。なんだ当たり前じゃないかと思うかもしれないけど、仕事部屋・デスク椅子なしの環境から始めて両方やってみて実感しました。



仕事部屋は、


騒音対策のために)個室で

モニタキーボードが置ける奥行きのある)デスクがあって


(長時間座りっぱなしでも大丈夫な)ワークチェアがあって

ビデオ通話が途切れず堪えられるだけの高速の)ネット回線のある

部屋が良いです。

新型コロナリモートがいいと言うブコメの中で、


光熱費負担はどうするんだとか、


家にPCがない場合は持ち出しできるのかとか、

そもそも家にネット回線引いてない人もいるのでは、


というのがありましたが、光熱費PCネット回線の他に、”空間”やデスクチェアはあった方がいいです。



常時でも期間限定でも、丸一日座って仕事をするには無理のない姿勢を保てないとどこかを痛めたり効率犠牲になるでしょう。実際なりました。


同居する人がいる場合騒音対策のため、もう一部屋が必要です。


(例えばどちらも在宅勤務とか、リモート側の勤務時間に家にいる時間が重なるシフト勤務・パートタイムとか、子育て介護など)

まりリモート個人負担となるのは光熱費PCネット回線の他に、ワークデスクチェアがある空間です。


ここからは、仕事部屋が必要という当たり前の結論に至った、仕事部屋がなかった頃の話。時間のある人だけどうぞ。



リモートの初め数年は仕事部屋を作らず、デスクチェアも購入せず、ノートパソコンなのでリビングソファでよく仕事をしていました。

いろんな騒音通話相手は困っただろうと思います。


(常に会議のための音声やビデオ通話をしているわけではありませんが、日によっては雑談部屋に繋ぎっぱなしにしているようです。


(他の職種の方に誤解のないように補足しますと、雑談と言っても技術的な話も多くされていますし、対面に比べて、リモートコミュニケーションは圧倒的に情報量が少ないのでそれを補う目的もあるとのことで、遊びのために雑談部屋が設けられているわけではないようです)

(そういえば、一時期、リモート用の監視ビデオも使われていました。PCの前にいるかどうかで勤務実態を調べるサービスの。あの頃は背景に写り込まないように苦労しました))

LDが一つの間取りで、都合上キッチンのすぐ近くにソファがあったため、冷蔵庫の開閉音やレジから取り出すガサガサ音、食洗機の稼動音、電子ケトルの蒸気の音、食器の音などが筒抜けでした。


リモート家族の勤務時間キッチンを使わないといったことができず、朝昼夜のいくつかは調理お茶を飲むために騒音が生じてしまっていました。

キッチンだけじゃなく、掃除機や片付けも控えていてとても不便でした。


騒音以外の問題ではビデオ通話の時にひどい姿で背景に映り込んでしまうというのもありました)


これは個室が必要だと強く思いました。


(個室がベストだと思っていますが、現在複数の吊り戸のこれまたLDに隣接した、マンション和室になってそうなあの部屋が仕事部屋となってしましました。吊り戸なので密閉度が低く、通話中の食洗機稼動は遠慮しています。それでもだいぶ騒音改善されたと思います




次にデスク椅子の話です。それとモニター。


ソフアで長時間座るとお尻が痛くなることがあるようで、よく寝転んで作業してました。寝転んでても咎められないのはリモートメリットですけどね。


集中してくると画面に顔が近くなりがちで、ノートパソコンは画面が低くついに首を痛めました。何日も痛いままで、デスクとワークチェアを急ごしらえで用意しました。

首に無理をさせないためにハイバックのヘッドレストのあるチェア選択もっと時間があったら、もっと良いチェアにできたのですが、痛くて作業に支障が出てしまってすぐ手に入ることを優先せざるを得ませんでした。


デスクが来たことと、その頃ホッテントリ入りしていたノートPCから別のモニターに写す記事を見て、より文字が大きくなるし顔を近づけなくなるかもと、繋げることにしました。

そのうち首の痛みも訴えなくなりました。

ビデオ通話が途切れない回線
について

ポケットWi-Fiだと、回線あやしいというか、途切れがちになることがあったようです。もちろん周りの使用状況によると思いますが…。



ついでにリモート勤務の良いところ

・腹痛でもいつでもトイレに行ける

・勤務中でもペットが側に!

・顔も洗わず、寝癖がついたまま、パジャマ仕事ができる(ビデオ通話ではきっと笑われている)

リモート電車渋滞嫌いだけではなく、お腹が弱くて、ペットが大好きで、出かける準備無精の人に向いてます

2020-02-20

例のプール」ばかりが有名だけど

例のリビング

例の教室

例のメゾネット

例の和室

例の庭

 

などなど、長くAVを鑑賞しているとおなじみになるロケーションは実はたくさんある

 

これがVRだと2Dでおなじみだったあの部屋の中に入れてしまうのが面白い

 

「またこの部屋に来ちゃったな」「ほう、こっち側はこうなってるのか」「マジックミラー号天井換気扇があるのかふたつも」みたいな感慨がおとずれる

 

から何なんだろう

2020-02-16

もう結婚式やりたくなくなってきた

義両親の御助言が正直しんどい

両家の2親等までの関係者だけで食事会にしようということで話をまとめていたのに、「結婚式に呼んでいただいたご親戚は招待しなさい」と言われ、配偶者側の招待客を増やし、

配偶者の伯父や伯母を招待すれば、「遠方からご足労いただくのだから、何か一言スピーチを頼むべきだ」と言われ、全員で十余名程度にもかかわらず食事から小規模披露宴形式を変更し、

お色直しを考えていたら、「和室で会食するのに洋装は合わないだろう」と言われ、お色直しを辞め、

やれることはやってきたつもりなんですけれど。

もともとが食事会ということだったこともあり余興を考えていなかったら、「場が持たないから何か考えろ」と言われ、

私の両親が両名とも和装にすると伝えれば、「こちらの男親はモーニングを着るのだから合わせるのが常識だ!なんて非常識な!」と激怒され、

なーんかもう、疲れた

良い会にしたいという気持ちを疑うわけでもないし、良かれと思っていろいろと伝えてくださっていると理解はできている。

が、2年前の入籍時も今回のような形で、たくさん御助言やお叱りをいただいていて、こちらとしてはもうウンザリというのが正直なところなのだ

2020-02-11

両親が不仲だった自分語り

02/13 23:36 追記ちょこっとしました。

床屋勤務だった父に、美容院勤務だった母はハワイ旅行中に出会い結婚したらしい。

物心がついたころにはもう父と母は不仲だった。父は仕事休みがちで、私が小学生低学年の頃にはもう職場転々としていたのを覚えている。

つの職場に留まらず、職場を変えるものからもちろん給料も上がらない。父と母は夜な夜な電話口や居間喧嘩していた。

それは深夜だった時もあるし明け方の時もあった。長いことアパート住まいで横にも上にも寝ている家があるのに家に居る母は金切り声を上げていた。

でもほとんどがお金問題で、まだ小学生自分にはできることが無いことが分かっていたので家の手伝いをして、3歳年下の妹の面倒をよく見た。

父が仕事から帰ってくるとき帰りは母の車の迎えを頼んでいた。母はまだ小学生の私と幼い妹を乗せて車で最寄り駅まで父を迎えに行く。

その車の中でもお金の話で揉めていた。

夏のとある日、いつものように父を車で迎えに行った時に自販機で何か買う?と母が私に聞いてきたが私はペプシが欲しいとはその日言えなかったのを今でも鮮明に覚えてる。

両親を困らせないようにいろんなことを毎日考える日々が続いてた。

今も昔も趣味ゲーム。私が幼稚園の頃テレビの下スーパーファミコン仕舞ってあるのを見つけて以来ゲームの虜だった。

コンポジットケーブル繋ぎ方を覚えてひたすら「スターフォックス」の1面を遊んだ。これ一つで随分と長いこと遊んだ

小学生になって私以外にもゲーム好きな人が沢山いることを知り、お家によくお邪魔して遊ばせてもらった。

父は気まぐれにゲームを買ってきてくれた。

F1 RACEhttps://youtu.be/-isADihL65Y とか「役満https://youtu.be/H-Nc1_9bXpQ とか。

でもスターフォックスの次にハマり込んだのがゲームボーイカラーで出た「ポケットモンスター銀https://youtu.be/Lfy93rW7zRs だった。

幸い、テレビさえ占拠しなければ父と母はゲーム理解を示してくれており、妹と一緒にゲームボーイカラーの画面をよく覗き込んだ。

ただ、その間にも父の帰りが遅かった事を責めたり、やはりお金の話で父と母が声を荒げる日が続いていたので、もうゲームソフトを買ってもらえるなんて無いんだろうなとポケモン銀を手にしたとき思った。

小学生にもなると、友達が増え色んなことを知り、考えることが増え、自分と友人の違いをよく知ることになる。

私はある日ゲームボーイカラーのソフト、「ポケモンでパネポン」https://youtu.be/yYfZPb4nqa4 (以下ポケパネ)を友達に遊ばせてもらった。

パズルゲームスーファミで家にあった「マジカルドロップ2」https://youtu.be/NN5JIwbNG1U を遊んだことはあったけどそれ以上の爽快感で遊べたポケパネは衝撃的だった。

どうしてもこれを家でも遊びたい。でもゲームソフトをせがむのは両親を困らせる。また今夜パパとママ喧嘩するかもしれないし、普段よりもっと大きな喧嘩になるかもしれない。

その時小学生ながらにとった手段は『友達から盗む』だった。うまいこと友人からポケパネを盗み、買ってもないゲームを遊んでいるのがばれるとまずいからと、家では音量を消し

放課後には公園で一人でポケパネを遊んだ。でも親は子を見ている。買ったはずのないゲームソフト気づき、ひどく怒られ、翌日友達へ返すくだりとなった。

その時、今となってはどう思ってそんな発言をしたのかも覚えていないが確かに私は言った。

「返すの?友達は盗まれたこと気づいてないよ?」

母は泣いた。でも私は両親に負担をかけずにゲームソフトを手に入れる純粋手段として盗みを働いたつもりだった。

盗みはダメだと諭され、母と一緒に友人の家に行きソフトを返した。友人は特に気にした風もなく、小学校卒業するまで一緒に遊んでくれた。

夜な夜な喧嘩が続くが中学生になってある日突然、父がマンションを買った。

正直当時は驚きのあまり意味が分からなかった。お金ないんじゃなかったのかな。どこかで貯めてたのだろうか。大人になるまで、ずっとこのアパートで過ごすのかと思った。

引っ越ししてマンションに住み始め、落ち着いてきたあたりで

とうとう父は働かなくなってしまった。

マンション引っ越し中学生になった私と小学生の妹はそれぞれの部屋をもらったが父は妹の部屋に入り浸った。

妹のベッドで眠り、昼食に袋麺を食べ、また妹の部屋で引きこもる。妹は母と一緒に和室で眠った。

あっという間に妹の部屋はたばこ臭くなり、ベッドの布団はぺたんこになった。

母は時短で働かせてもらっていた職場をやめて夜勤も挟みながら働くようになった。夕飯を作るのも私と妹で作るようになった。父の分はない。

初めて作ったのは野菜炒めだった。今でも覚えてる。切って洗った野菜を炒めるのに油が跳ねて妹と大騒ぎして、父に怒鳴られた記憶がある。

ほどなくして車で買い物に出かけた帰り、マンション駐車場で母が助手席に乗る妹と後部座席に乗る私に向かって「ママ、パパと離婚することになったの」と言った。

私はまぁ、そうなるよな。と思った。驚くべきことに部屋を占拠されていた妹は泣いた。

そうして私と妹は母に引き取られ、マンションと父を残して出て行った。

家庭裁判所に行った。家庭裁判所の人は私と妹が望めばいつでも父と面会できる旨を伝えてきた。

でも私達から望んで面会を申し出たのは今までで一度もないままだ。

養育費は二人分。私と妹が高校卒業するまで。その養育費最初の2ヵ月払われて、それっきりだった。

私と母と妹はアパート住まいに戻った。

私は高校生になった。アルバイトをはじめ、携帯代は自分で払い、月にいくらか家に入れ、欲しいもの必要もの自分で賄った。

たまに妹を連れて原宿かに連れて行ったりもした。

アルバイトというのが地元ショッピングモールに入っているラーメン屋だったのだが、オーナー社員おっさんにとても良くしていただいた。

絵を描くのが好きと知れば誕生日画集画材を頂き、美味しいものもたくさんごちそうになった。


ある日、自分で夕飯の買い物袋を両手に下げてアパートに帰ってきたときなんだか急に悲しくなって声をあげて泣いた。

私以外にも高校生で、両親がいない中買い物袋を提げて帰ってくる子もいるだろう。

でもなんだか理不尽さと寂しさとどうしようもなさ、あとはなんで私がこんな環境にいるんだろうという気持ちで家に母と妹がいないことをいいことに、両手に買い物袋を提げて立ち尽くしたままうわーんと泣いた。

本当に「うわーーーーん」だった。


私は高校卒業したら就職するつもりだった。(ちなみにこの時はまだ養育費が払われているものだと思っていた。)

母に高校卒業したら就職する。と言ったときの母のあの喜んだ顔は今でも夢に出るほど覚えている。

スーツ用意しなきゃねとも言った。

高校卒業したら就職するんです。とアルバイト先のおっさんにも言った。

そうしたらそのおっさん「あのさあ、人生よくやり直しが効くとかいうけどそんなことないよ?」と言い出した。

どきっとした。

わがまま言ったらいろんなものを困らせると思って黙っていたことがむき出しにされた気がした。

勉強したいことがあるなら今のうちだと思うんだけど」

ゲーセンで知り合った友人に相談した。その友人は通っている専門学校デザイン学科があるよと教えてくれた。

資料をもらって穴が開くほど眺めて悩んだ。そして母に言った。

「ごめん、就職したいと言ったけどこの学校に通って勉強がしたい。2年制でいいから、通わせてほしい」

その時の母の落胆した顔も覚えてる。この顔も良く夢に出る。

それでも母は奨学金手続きを一緒になってしてくれて、無事私は専門学校デザイン勉強をすることができた。

2年制だったから、うんと居残ってphotoshopillustratorを覚え、プレゼン勉強をして、就活を終えた(新卒で入った会社がクソブラックだった話はまたどこかで。失せろクソ会社


もちろん、あれからバイト代が入ればちょこちょことゲームを買い、ゲーセン音ゲーでも格ゲーでも遊んでいたのだが

無事社会人として安定してきて、switchスマブラ友達と遊んでいた時の事。

友人と二人でいろんなキャラオンライン対戦で遊んでいた時、5連勝くらい続いたあたりで

「なんか勝ち続いちゃってる。」としれっと攻撃を食らったりアイテム取り損ねたりして手を抜いてしまった。

これは高校生の時よく遊んだスーパーストリートファイターⅣ」でもかなりの頻度で起こった事象だった。

格闘ゲームで遊ぶ以上、ミスも弱さも自身のせいというのが基本なのだが、勝ち続けて嫌われたくない、気分を不快にさせたくないと

幼少の時に培った「相手のご機嫌伺い」が発動してしまって対戦ゲームでなかなか気持ちよく遊ぶことができない。

ご機嫌伺いはゲームだけでなくいろんなところで作用し続け友達は本当に少なく、それなのに変に性格明るい人間になってしまった。


なんでもかんでも両親のせいにするつもりはないけど、子は親を選べないし、ここまで女手一つで育ててもらった母には感謝もしているけれども

なんであんな男と結婚したのか、なんで喧嘩するくらいなら生んでしまったのかとこの間ちょっとノイローゼになったとき思っちゃった。おわり。




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今。妹は素敵な旦那結婚して1児の母に。もうすぐ2人目が生まれる。姪っ子にはクリスマスぽぽちゃんベビーカーポポちゃん用のエルサの服をプレゼントした。

妹は育児四苦八苦しながらも旦那、姪っ子と部屋を飾りながら私の手放しに楽しそうに生活している。

私は一人暮しのため住んでいたアパートを出たので母は久しぶりの一人暮らし満喫し、フラダンスにハマった。

父はしらない。

>うちは早くに見切りをつけて子の物心つく前に離婚して一人で育ててるが、金銭心配はなく楽しく二人暮らしのつもりが、子がこんな思いを抱えてたらどうしようと思った

金銭的な事情きっかけに過ぎず、みんなが当たり前に持っているものが私達にないというこの状態こそが、買い物袋をぶら下げて立ち尽くしてしまう最大の理由なので、出来る事なら子には友人や人とコミュニケーションがたくさん作れる・取れる環境を作ってあげるのが大事だと考えてる。

その環境さえあれば、足りないものは徐々に補えるようになるはずで、そうなるように出来ている。

今思えども急にマンション買った下りは本当に意味不明で笑っちゃう

まぁ多分、良い暮らしをと思ってマンションを買ったのだろうけど良い暮らしはそこに無かったと言う訳。

>お母さんのリアクションが、逆ではないんだね

私達と真逆環境に居た人ではあった。

>落ちがないのがなんかい

落ちてないから落ちがない…という落ち…

たくさんの人に読んでもらえてたくさんの人に文章を褒められて嬉しい

ありがたや

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