2019-01-30

「また○○しよう」のすれ違いはネット社会が生み出したものです

関西の「また遊ぼう」は関東では意味が通じない場合がある、というお話に衝撃を受ける人々「うそやろ!?」

https://togetter.com/li/1314047

読んでいてなぜこれを指摘する人がいないのだろうと思ったので書いておく。

この記事は要約すると「また」が関西ではネクスト意味で使われていて、関東ではアゲイン意味で使われるからすれ違いが起こる、という指摘をしたものだ。たとえば一度も遊んだことない人に「また遊ぼう」と言うと、「まだ遊んだことないよね?」と返事されるという事故を紹介している。

これに対して周囲の反応ではネクスト意味で使われるのは単なる方言だ、という見解収束しようとしているが、これは単純な地域性問題じゃないことをここでは指摘しておく。

このすれ違いは端的にいって通信技術によって可能になった「対面しない」コミュニケーションで起こっているということだ。

どういうことかというと、通信技術が発達する以前は、当たり前のことだが「また」という言葉はすべて相手に会った状態で発せられる。

ということは、今現在会っている状態が「初回」であり、「また」というのはこの次の機会のことを言っている。

まり機会という領域においては「ネクスト」であり、会うという領域においては「アゲイン」になる。どちらも元より意味として含有しているのである。どちらか一方が地域によって使われているのではなく、「また」はどちらも含有した言葉なのだ

だが、通信技術の発達によって「対面しない」状態で「また」を発することが可能になった。そうなると「初回」が宙に浮いた状態になり、すれ違いが起こるのである

なぜ誰もこんな簡単なことがわからないのか私には不思議だが、単純な事実なのでここに書き付けておく。

  • ネットが誕生する前からこの差は存在していたと思うけど... ネット社会が生み出したのであれば、関西人と非関西人の間で差が生まれるのではなく、 デジタルネイティブとそうでない人...

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