はてなキーワード: 広報とは
図書館は法律がそうだからというのは理解している。
はい、非常に真っ当な疑問ですね。図書館法というのはいかにも特別法特別法していますし、
そんな特別法をあえて作った理念はなんぞや?という疑念を持つのは論理的思考の当然の帰結です。
こういう時は当の法律を見ましょう。
図書館法
図書館法第1条 (この法律の目的)
この法律は、社会教育法(昭和24年法律第207号)の精神に基き、図書館の設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もつて国民の教育と文化の発展に寄与することを目的とする。
社会教育法第一条 (この法律の目的)
この法律は、教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の精神に則り、社会教育に関する国及び地方公共団体の任務を明らかにすることを目的とする。
はい、また飛ばされました。特別法の濃い匂いが漂っていたのは伊達じゃないですね。
教育基本法 前文
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
はい、「前文」ですよ、前文。さすが基本法、憲法級の重厚さです。
読みましたか? 前文だけに、その内容も高邁な理想と理念を謳う大上段な代物です。
さて以上からわかるのは
・「図書館法」(昭和25年制定)というのは、教育基本法、社会教育法を受け、その目的を直接に受け継いで補完するために制定された。
・その目的というのは「民主的で文化的な国家を更に発展させ、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献する」という「新憲法の精神」そのもので、
・新憲法の精神実現のためには、「我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図る」のが重要という認識がなされています。
・具体的には、憲法公布(S21)→教育基本法(S22)→社会教育法(S24)→図書館法(S25)、というダイレクトな流れがあり、GHQと国会は新憲法制定後、大急ぎで、この教育関連法セットを整備してるわけです。
当時の情勢的には、とりあえず占領して、「自由な民主主義国家」を作ってみたものの、GHQにしてみればこの間まで「天皇陛下万歳!」とやってたファシズム国家の人民がいきなりこれを使いこなせるのか甚だ不安だったわけです。ならば対策は教育、それも学齢のみならず社会人も含めた全国民の教育が必要、という危機感があって、教育基本法の大上段な前文と大急ぎの教育関連立法の背景になっているんですね。
(そんな事情なので、「大急ぎ」と書きましたが、実際にはGHQは基本法から図書館法の整備まで3年かかっていることすら苛立って督促かけまくってます)
この「【日本国民再教育計画】になんで図書館まで含まれるのか?」というと、そこは(欧米的な)「議会制民主主義のイデオロギー」の部分になります。
・「議会制民主主義」は健全で良識ある市民がいてこそ成り立つ。
・健全で良識ある市民が育つには自由な言論と知識へのアクセスが必要
これが欧米的ポリアーキー(おおざっぱには「自由を重んじ議会を中心に据えた民主主義体制」と思ってください)を支えるイデオロギーの柱の一つなのです。
大日本帝国は法的な主権者こそ天皇でしたが決して絶対君主ではなく(機務六条)、普通選挙による衆議院を持ち、三権分立を整備し、(憲法上の規定外ですが)議会が首相任命に影響力を持っている、という結構民主的な制度を持つ国家でした。それがガチガチのファシズム国家として(ワイマールドイツはもっと民主的だったわけですが)連合国に挑んできたわけですから、連合国としては戦後日本の「ファシズム再発防止」にはかなり細部まで気を使いました。その重点施策の一つが「全国民再教育」で、とはいえ全国民対象の「再教育キャンプ」を作るのは手間も費用も膨大。ということで社会人教育向けとして白羽の矢が立ったのが広報宣伝やマスコミ統制と並んで図書館だった、というわけです。そりゃ気合も入りますし特別扱いもするってもんです。
大日本帝国にも無論図書館はありましたし、「図書館令」という法令(勅令でした)もありました。ところが、この図書館令は「この令を守れば作っても宜しい」という認可のための法整備で、
など、欧米的な「健全で良識ある市民の拠り所たる図書館像」とはかなり方向が異なるものでした。
この違いが「健全で良識ある市民の育成に失敗した」(欧米的観点では、そうでなければ民主的な国家がファシズム化したり革命が起きたりするはずがないのです)原因の一つに見えたため、この認識に基づいて、
・市民の知識へのアクセシビリティの確保(無料で全国津々浦々に)
・改正図書館令のような「図書館が思想統制の末端機関となる事態」を防げる図書館の独立性
「自由な知識の集積、その集積への市民の自由なアクセスなくして民主主義なし」というのは、自由な議会制民主主義の根幹をなすイデオロギーで、だからこそGHQは全力で推進したわけです。
あくままでイデオロギーですから、「功利の観点で利が多い」という判断から図書館を特別扱いしているわけではありません。「民主主義が成り立たない」という「(エビデンスがあるとは言い切れないにも関わらず)重要過ぎて試すことすらできない根幹の部分」を盾にとっているからこそ特別扱いOK、というか「特別扱いしなければならない」という理念なのです。
そういう背景ですから、例えば体育館を図書館と同じような強力な法的地位を与えるよう運動する際には、「図書館が特別に位置付けられている理由」は全く参考になりません。図書館のケースと全く別の論理、例えば「功利のエビデンスを示して財政難でも優先すべき、と多数の賛成を得られるよう説得」なんかを行う必要がありますので、なかなか実現は難しいのではないでしょうか。
もし図書館同様の理由で体育館が特別で強力な法的地位を得ようとするなら、まずは「健全な精神は健全な肉体にしか宿らない」とかの、現在の民主主義と異なるイデオロギーを持った国家体制に作り替えるところから始める必要があります。
https://smtgvs.weathernews.jp/s/topics/img/202012/202012290075_top_img_A.png
https://smtgvs.weathernews.jp/s/topics/img/201912/201912300165_top_img_A.jpg
ウェザーニュースはここで広報的な誤りを犯していて、この2020年の画像に2019年のような注釈をつけなかったのです! 画像独り歩き怖いですね!
そして解説は本文にもあるんですが!
https://weathernews.jp/s/topics/202012/290075/
4月から5月にかけては長野県と岐阜県の県境付近で群発地震が発生し、特に5月は全国で発生した213回のうち、半数近くの104回を占めました。
です!
https://www.jma.go.jp/jma/press/2005/13a/2004eq-japan.pdf
https://www.jma.go.jp/jma/press/2006/08a/2005eq-japan.pdf
以上です!
この日記は「企業の広報活動にClubhouseを活用する=Androidユーザー切り捨て=悪手」という意見に対して、賛否を問うことを目的に執筆する。
「企業自体の知名度を向上させて、受注や採用の増加に繋げる活動」とする。また、これらの活動はClubhouse以外の手段でも既に実施されている前提とする。
これが、そもそもClubhouseを活用したいと考えている理由である。コーポレートサイトを見ない人や説明会に参加するのが億劫な人に対しても、Clubhouseを活用することで企業の存在を知ってもらえるかもしれない。
「ユーザーに企業を知ってもらう機会は多ければ多いほど良い」ので、企業の広報担当者の立場としてClubhouseの活用を検討したいという意見は理解できる。実際、Clubhouseにはまだ多くのRoomは存在しておらず、今のタイミングでRoomを開設すれば一定のユーザーがそのRoomを訪れ、企業を知ることになるだろう。
そのようなメリットを比較的低コストで享受できるのだから、活用しない手はない。
広報活動にClubhouseを使うのは「ユーザーに企業を認知してもらう機会を増やすため」である。Androidユーザーを切り捨てる意図はない。
たとえばミュージシャンが東京都内でのみライブを開催したとして、「東京都以外のファンは受け付けません」と表明したことになるだろうか。逆に地方のファンは「あのミュージシャンは東京でしかライブをしないから嫌いだ」と判断するだろうか。地方のファンはお金を払って東京に出向くという手段は残されているし、ミュージシャンがCDを出しているならそれを買うという選択肢もある。なお、筆者は今も昔も地方出身であるが、都市部でのみライブをするミュージシャンを嫌いになったことはない。
Clubhouseについても同様で、Androidユーザーには「iPhoneを入手してClubhouseに参加する」「Clubhouse以外の手段で企業の情報を得る」といった選択肢が残されている。従って、広報活動にClubhouseを活用することは、Androidユーザーを切り捨てるものではないはずだ。
今、デメリットに目を向けてClubhouseの活用をやめるよりも、メリットに目を向けて活用を続けた方が前向きだと考える。具体的には「サービスの利用者が増えることでClubhouse自体がAndroidに対応してくれる日」を待った方が皆幸せではないだろうか?
「iPhoneにしか対応していない今の段階でClubhouseを活用すべきではない」という意見は理解できるが、ここでClubhouseからユーザーが離れるとサービスそのものが発展しなくなる可能性が高まる。TwitterやFacebookも最初はネットやスマホを持つ限られた人だけが活用できるサービスであったが、それでも活用されてきたから今に至ったのである。
冒頭に述べたとおり「賛否を問うこと」が目的の日記なので、ぜひブコメかトラバで意見を書いてもらえると嬉しい。反対の意見が多ければ、筆者自身考えを改める必要があると思っている。
当初は「ネットで見たClubhouseに反対する意見にもやっとした」のでこの日記を書き始めた。日記を書くことで少し思考が整理されて精神的にも安定してきたので、仮に反対の意見が多く集まってもこの日記を書いたこと自体は後悔しないだろう。
何が嘘なのか全く理解できないが、国債償還のことを指してるなら、それって9年前に決まってることだよね。
で、その償還の一部を取りやめて保育所予算にします!って安倍政権が言ったとき、批判だらけで「子育て予算を増やすのに賛成!」って意見はほとんどなかったと記憶してるけど。
まず国は「これから少子高齢化で社会保障費が増大するから消費税が不可欠」といって消費税を設けたわけだよね。
国債の償還に使いますなんて1つも言ってなかったよね。その後の増税についても同じく。(わざわざポスターまでつくって広報してたし)
国民はそれを信じて仕方なく受け入れたのに、ほとんどが借金の穴埋めに使われてたわけだ。それをウソと言わないなら何なのかな?
そして、消費税と反比例するように法人税率が下がっているのは?ついでに所得税も下がって富裕層への優遇とか言われちゃってたよね。
あと、保育所予算にしますって批判されたってのは、保育園無償化のこと?
無償化より待機児童を減らせって批判されていたと思うんだけど。。
1200万円なんて別に資本家でも金持ちってわけでもないし、、
少子高齢化で子どもを増やしたいって国が、なんで子育て世帯からお金減らすようなことするわけ?
逆に高所得者からすれば、頑張って稼いで税金多く払ってるのに支援されないんだから、
あぁ国は自分たちが子どもをつくる事に歓迎ではないんだなって感じてしまうでしょ。
結果的に、消費税によって消費が冷えこんだことや、タバコ吸う人は歓迎しないから税金上げられる理屈と同じで、抑止効果を生みかねないんだよ。
1200万円と1199万9999円の間に壁をつくって良いことなんてあるか?分断うむだけだろ。
こっちも「????」なんだけど。マジで何が言いたいのかわかりませんwwwごめんなさい
anond:20210203010745で「財源確保っていって法人税減税するんでしょ」の発言に対して、
anond:20210203012027の増田が「法人税減税したおかげで税収が増えた面もある」と教えてくれたんだけど、
自分としては国の税収増えたから結果オーライとは思わないわけ。
消費税は福祉財源ですって国民から増税までして徴収しているんだから、それを今回のに使えよってことだよ。
消費税取って一方で法人税下げれたおかげで、法人税増収につながったんならそれも回して子育て世代から取るなよ、ってこと。
てかさ、政府は国債発行する1択で解決な話なのに、なんでこんな分断生むようなことするのか。
国債発行して誰が損するの?損する人誰もいないよね。
こっちじゃなくて、政府に牙むけろよ。
単に
「光落ちはハグでもスタプリでもやってるし恋愛ネタはハピチャでコケたし終盤での幹部浄化ネタはドキプリの二番煎じか、っていうかコロナで時間ねえわ(本音)」
な雑展開を
「救済しないプリキュア!新しい!(建前)」
って子供置いてけぼりで褒めそやしてるのが気に食わねえ
っていうか「最近のニチアサはポリコレ対応!新しい!」って褒め称えてる層とそれに嬉々として乗っかる広報が嫌い
プリキュアのメイン層に小難しい事なんか絶対伝わんないけど成長してふと気付けるぐらい印象深いコンテンツ作りたいなら今の毎年新作出すようなマラソン体制じゃ無理でしょ
バイオリンが良い例だと思うけど
日本3位とか、新人戦では、そりゃ毎年一人いるわけで東京ともなれば本当にいるわけです。企業にゴロゴロいるわけです。そのランクが。
ましていわんや新人戦 モデルはビリビリですが・・・4000万とかも大企業にはふつうにいるぉ? しかもこわいことに円もいるぉ?ドルはまだ聞いたことがないけど上司の上司だといるぉ?ドル
知り合いの知り合いの知り合いの知り合いでスティーブ・ジョブズにたどり着くのがIT業界の東京 まじ怖い
ちょっと広報の人と食事に行くと乃木坂がいたりするのが、東京 怖い
もう1どいうぉ
今回のあんス〜くんのライブで、予定席数を超える当選者を出してしまったので
勝手にミスしてしまったぴあの担当者の気持ちになってめちゃめちゃ辛い。
ハピエレからのお怒りはもちろん、
今後会社の人達からも冷たい目でみられそうで本当にいたたまれないし、胃が痛い。
人間ミスしちゃうことはあるし、システムでポチって簡単に実行できる時代だから、
内情知らんのでなんともだけど一人の担当者に全責任を負わせるのはマジで辛いので、
会社全体で頑張って誠意ある対応してくれ、、、それが組織がある意味ですし。
それはそれとして、今回付随したぴあ垢の
・Twitterでの呟きが遅い
問題、
Twitterの動きが遅いのは
ぴあとか古い会社だから、Twitterの運用もかっちり決まってて、
のわりに運用は一人の人に任せっきりにしててIDもpassもその人しか知らないみたいな。(そんなわけないか。ぜ〜んぶ妄想)
インターネットや発信できる場が身近になったからこそ世の中の回転早くなってて、
それに順応できてない組織は動きが遅いってことになっちゃうんだなぁ。
ミス発覚翌日謝罪って遅いもんかしら??悲しいかなハピエレの迅速な対応と比べられちゃったね
(まじ夜遅く発表でびっくりした)(瞬足)(コーナーで差をつけろ)
実際にそんな例ある???
自分ミスしたら絶対ホームページで「会社 謝罪 方法」で調べちゃうわ。
消費者の溜飲が下がるような文かけるTwitter職人を広報採用とかでてくんのかな今後
信頼は無くなってしまったけど。
ま〜お金払ってるハピエレの立場からしたらコロナでイベント運営も大変な中の起きた事件で怒り心頭間違いなしだし、
巻き込まれたファンもぬか喜びさせられてふざけんなって感じだわな。
おわり
市長選が県のニュースになった。保守分裂でもめてるらしいけど、下々の我々にはなんで分裂してるのか伝わってこない。偉いさん同士の口コミの世界で喧嘩してるっぽい。下々の我々には情報を精査する権利もねえな。透明度の高い政治なんか夢のまた夢である。
じゃあどうやって選ぼうかね、政策広報でももらってこようかねと思ってたら市長候補がテレビに出てた。
このご時世、それだけでも結構伝わるものがあるんじゃねえの、対抗馬さんはよ。
この塩梅だと、市議選もやってるし、そこら中で密室会食花盛りとかしてねえだろうなくらいは疑うぞ。2週間後クラスター大量発生とか勘弁してほしい。
あーでもなんで保守分裂してんだろ。こういう時は怪文書のひとつもばら撒くもんじゃねえの。3年くらい頑張ってる街宣車のおっちゃんの陰謀論信じちゃうぞ。
話題のナウル。現地で政府担当者が広報しているのかと思いきや、「一般財団法人 国際交流機構」という職員30人の組織が、この10月に日本国内で事務所を設立して広報しているそうな。
この国際交流機構は、東京・町田の歯科医師が理事長を務め、「国際協調が確立され、世界平和が実現すること。」をビジョンに活動しているそうな。「日本におけるナウルのPR」を受託 (助成事業として採択) して、国際意識の高い学生バイトが運営してるんだろうね。
つまるところ、「国土が小さい」も「人口が少ない」も、ぜんぶ「日本人から見た南洋の島国」感覚でツイートされてるんだよね。現地政府は、どこまで自国の扱われ方を許容してるのかなぁ。
Aさんが「この曲僕が作りました!無料です!営利目的でもご自由にお使いください」って言って、Bさんがその曲を歌って路上ライブで投げ銭をたくさん貰ってたとする。でもAさんには一銭も入ってこない。
これって筆者が言ってるケースと同じですけど、おかしいと思いますか?思いませんよね。だってBさんはAさんの言ってる通りに使ってるわけですし。Bさんが投げ銭をもらっているのは聴いている人が「Bさんの歌やBさん本人に価値を感じて」投げているわけで、そこらへんの人が歌っても意味がない。Bさんだから貰ってるわけですよね。
それにもし自分がその場にいたら「うわ!この人歌うまい!この人に投げ銭しよう」とはなっても「うわ!この曲良い!この曲作った人誰だろう?探してお金渡そう!」とは中々思わなくないですか?
フリーゲームでありながら収益が欲しいなら、広報などそれ相応の努力をすべきだと思います。収益につなげるための努力をせずにゲーム制作にだけ熱を注いでも結果は得られないのは当然のことです。嫌なら有料にすればいいんじゃないですかね。成功している人を妬んで指をくわえて見てるだけなのはダサいですよ
ネットに書く上で、避けるべきデリケートな話題ってあるけど、年々そのデリケートゾーンが広がっていって、もうよその国の大統領選挙の結果すらデリケート認定されてきてしまってる。
当方フリーで活動してて、多少は人気商売のためTwitterで自力で広報もしなきゃいけない。
政治的なにおいのする発言をすると、それがどんな薄いものでも、瞬間的にドドッとフォロワーが減るので、これもいかんのか、それもか、という具合に学習していってて、段々と発言の幅を狭めていっている。それ自体はいい。
(同業者のフォロワー数万人超えのアルファの人たちは、発言が個人でやってるとは思えない"丸み"になっていて尊敬する。直接話すとちゃんと政治にも関心があったりするんだけど、ツイッター上では完全に隠し切れている。莫大なフォロワー数が風圧になって、ジェット機の研ぎ澄まされた形状のように、発言が極限までシャープになっているんだと思うけど、自分にはとてもたどり着ける気がしない……。)
厳しい日常と日々戦ってて、ネットくらいは明るいものが見たい人たちにとって、デリケートな話題は避けたいというのも分かるんだけど、もはや「選挙でトランプが負けたー」という事実すら「強く政治的な意見」みたくなってしまってるようで、めちゃくちゃになってるなって思う。
この件に関しては、主にバーサーカーと化した陰謀論者の暴れっぷりのせいが大きいと思うんだけど、なんでそいつらのために、ここまで制限されなきゃならないんだ、いくらなんでも侵害されすぎでは、って思う。あの界隈の人ら、相当穏健な方でも、トランプ負けた程度の発言に対して、「事実ハラスメント」とか言い始めてるんだよ。
本来2メートル幅あった歩道が、暴走マッドマックス仕様車がすごい量通るようになって、もうロクに半身でも歩く幅がなくなってる息苦しさがある。
広報の役割もやるなら「萌え」や「推し」の話しかすんなって感じなのかな。
それにしたって、もうちょっとデリケートゾーンを元の幅に戻せないのかな。
無理か。
キュレーターとは,現代美術の文脈において展覧会の企画・運営等を総合的に指揮する人のことである。どんな作品を取り扱うのか,どんなタイトルの展覧会にするのか,展示の順はどうするのか,ライティングは?解説は?チラシに掲載するキャッチフレーズは?等々。
今日のクラシックにおける自主企画の演奏会は,多くの場合「プレイヤーがやりたい演目をやる」ということになっている。もちろんそこにコンセプトやテーマがあったりする場合もあるのだが,美術作品とお客さんをキュレーターという専門家が架橋している美術市場と異なり,クラシック市場にはキュレーションを専門に勉強している人がいない。現状コンサートのマネジメントは演奏家がやっているわけだが,あまりに画一化しすぎているのではないか。クラシック音楽にも,お客さんと作品をキュレーションで架橋する発想があってもいいのではないか。そのあたりのことが気になってのツイートだった。
ということで,このnoteではこの件についてもう少しだけ深堀してみようと思う。久々の投稿ですが,お付き合いください。
目次
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
5.まとめ
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
繰り返しになるが,現状のクラシック系自主企画コンサートは「演奏家がやりたい演目を披露する場」として機能している。これ自体が悪いわけではないし,演奏家の独りよがりだと批判するつもりもない。もちろん演奏家は選曲やプログラムノートに苦心しているし,そこには確かに工夫の痕跡がある。
でもね,正直クラシックのコンサートの演目って似たり寄ったりじゃないですか。
コンサートに「一度も聞いたことのない楽曲」が含まれていることは稀だし,大体定番曲が並んでたまに新曲初演があるくらい。クラシックのサックスなんかはまさにそうだ。クラシック音楽が「過去の音楽を再現する」文化である以上,演目の重複は避けられない。まぁこれは仕方のないことではある。
ただそうすると,当然誰しもが「同じ曲を聴くなら上手い人の演奏聴きたいよね」と思うようになる。つまり,技術で劣る演奏家の演奏会に行く理由がなくなってしまうのである。
このnoteでも何度も言っていることだが,クラシック音楽は特に「文化的に醸成された良さや美しさの基準」が強烈に機能するジャンルで,「この人あんま上手くないけど個性的で好き!」とか「この若手は下手だけどトッププロにはない魅力があるなぁ」みたいな評価が生じにくい。また,特にクラシックサックスのように難しい近現代曲が必須のレパートリーになっているジャンルは,必須とされる技術レベルが結構高い。例えば音色がめちゃくちゃ魅力的だったとしても「指が回らない人は使えない」「スラップタンギングできない人はコンクールの一次予選の課題曲が吹けない」みたいな悲しい評価が下される。
結果的に,クラシック演奏家市場では「楽器の上手さ」が保障されているプレイヤーにしか人が集まらない状況が生まれやすいのである。これは,ブルーハーツと東京事変がどちらもCDになって成功できるポピュラー音楽とは事情が全く違う。ブルーハーツみたいなパンクロックって,演奏したり作曲したりするのに必要な西洋音楽的技術が結構低いんですよ。川谷絵音や東京事変やKing Gnuの曲とは複雑さが全然違うわけです。それでもブルーハーツとかモンゴル800とかが世間に認められてCDを出しているという事実は,「ポップスはクラシックに比べて多角的に評価されている」ということの証左だろう。個人的にはとても健全だと思う。一方のクラシック演奏家市場は,「楽器の上手さ」がほぼ唯一の評価の観点として強烈に幅を利かせているのである。
「プロの世界なんてそんなもんだよ」というかもしれない。でも,僕はこの「楽器の上手さというパラメーターが最強の世界」が気にくわないんですよね。
例えばこれが「クラシック演奏家育成」をテーマとするソーシャルゲームだったら,と思って考えてみてほしい。
このゲームでは,プレイヤーが最初のガチャで引いたキャラを「一流のクラシック演奏家」に育て上げることが目標とされている。当然キャラクターには「楽器の上手さ」というパラメーター以外にも「音楽史についての知識」とか「自身の活動への俯瞰的視座」とか「個性的な音色」とかのパラメータもあるわけで,キャラによっては「音楽史についての知識」が先天的に強い,みたいなやつもいる。当然プレイヤーもその辺をコツコツ育てたりするわけだ。なのに,「音大卒業」というチュートリアルイベント以降,ゲームで勝っているのは「楽器の上手さ」のパラメータに全振りしてキャラ育成をしたプレイヤーのみ。もっといろんな勝ち方があるとおもってたよ…最初のキャラガチャで「音楽史についての知識」が強いキャラを引いた人はどうしたらいいの…運営しっかりしてくれよ…
まともなゲームの運営なら「これだと勝ち筋がひとつしかないゲームになってしまうな。よし,他のパラメータを育成した人が勝てるようなイベントを投下するか!」などといった対応がなされるはずだ。しかし,このゲームにおいて運営がそのような神対応をすることはない。いつになったら修正はいるの?まだなの??もう勝てそうにないし…リセマラするかゲームやめるかどっちかだな…。
…まぁでも現実世界にはゲームの運営はいないし当然リセマラもできない。だれもゲームバランスの調整をしてくれないのだ。結果的に,「楽器の上手さ」が一定値を超えていない人は今後も仕事がないし,今仕事がある人でさえもそれを上回るパラメータをもった若手が現れた瞬間に仕事を取られる世界になっている。多様性とは程遠い市場が出来上がってしまっているのである。
そこで,「せめて僕の周りにいる音楽家には幸せになってほしい(そして一生楽しい飲み会に付き合ってほしい)」と考えている僕は,「演奏会のプログラミングやプログラムノート等に拘りまくってお客さんの聴取経験を素敵なものにデザインできれば,技術でトッププロに勝てない演奏家にもファンがつくのでは?これってつまりキュレーションでは?」と考えた。
「モナリザ」みたいな超有名絵画を目当てに美術館に行く場合を除き,僕たちは「特定の絵」を見にいくというより「その展覧会でデザインされている体験」に価値を感じて美術館に足を運ぶ。例えば僕は以前「ベルギー奇想展」という展覧会にいったのだが,一つ一つの絵のクオリティというよりも,複数の絵の鑑賞を通して得られたその展覧会全体の印象のようなものに興味を覚えた。「作品の価値」ではなく「作品群を総体として経験することの価値」に感動したのである。まさにキュレーションの賜物だったのだろう。
また,「ベルギー奇想展」というタイトルやチラシに載せられていたペストマスクみたいなデザインのキャラクターにも強烈に惹かれた。頻繁に美術館にいくタイプではない僕でさえ,「行ってみたい」と思えたのである。そして,この辺のこと全てを把握し,「美術館での体験」をデザインする人がキュレーターなのである(と僕は思っているんですがあってますかね。もしかしたら広報にはそこまでコミットしないキュレーターもいるのかもしれない)。
一方,クラシック音楽の演奏会はどうだろうか。そこに「体験のデザイン」という発想が見て取れる場合は少ない。もちろん選曲や曲順にこだわりが詰め込まれていることはわかっている。それでも,普段美術館に行かない僕に足を運ばせたような,「作品群を総体として経験することの価値」を際立たせるようなコンサートってなかなかないんじゃないかな。少なくとも,多くのプレイヤーは,「コンテンツは演奏(楽曲)のクオリティ,そのほかはあくまで付属品」だと考えているし,むしろ演奏のクオリティのみでガチンコ勝負することが美徳だとされている感さえある。でも先ほども指摘したように,この土俵で戦って勝てるのは「楽器の上手さ」というパラメータが抜きん出ている人だけだ。
キュレーターは自分で作品を作れない。その代わりに,個別の作品の羅列に「作品群を総体として経験することの価値」を付与する。演奏家も,キュレーターのように体験をデザインすることができれば,お客さんを呼べるのではないか,というのが冒頭で引用したツイートの意図だった。つまり,「楽器の上手さ」以外のパラメータを活かせる場はありますよ,ということだ。
具体的には,音楽史や楽曲分析に関わるパラメータを磨いてきた人は,それを用いてMCや曲目解説,選曲で魅せることができるだろう。その場合,チラシやSNS広報のあり方も抜本的に考え直さなければならない。このへんについては別途記事を書こうかな。とにかく,僕は「楽器の上手さ」のパラメータが高い上位5%の演奏家しか生き残れない現状を打破する手段として,キュレーションの発想を生かさない手はない,と考えている。
とはいっても,「そんなことできねーよ」という声も聞こえてきそうだ。キュレーションそれ自体を仕事にする人がいるんだから,「作品に対する俯瞰的視座をもって聴取体験をデザインする」とかめちゃくちゃ高度じゃん。自分たちは演奏家なんだよ,演奏以外やりたくねぇ!
…まぁもちろん気持ちはわかるんですが,今の僕が「楽器の上手さ」のパラメータで勝てない人にできるアドバイスは,①プレイヤー兼キュレーターになれ,もしくは②プレイヤー兼クリエイターになれ,くらいしか思いつかないのが現状だ。すいません。
クラシックの演奏家って特殊な立場なんですよね。CDやスピーカーがなかった昔のヨーロッパなら,演奏家はまさに一家に一台欲しい人材だったはずだ。演奏家がいないと音楽を聴くことすらできなかったのである。そのような時代背景とパトロンがいてこそ演奏家という仕事は成立していた。でも現代ではbluetoothスピーカーとAppleMusicがあればいくらでも自宅で音楽を聴けてしまう。馬車や人力車が自家用車にとって変わられたように,そして今後タクシー運転手が自動運転にとって変わられるように,中途半端な演奏家はオーディオ機器および音源の中の一流プレイヤーにとって変わられるだろう。個人的には,オーディオ機器や音楽サブスクリプションサービスの発達は,演奏家という職種に対する破壊的イノベーションだと思っている。
だからこそ,演奏家は「他者の作品の再現」以外の価値を作らなければならないのだ。
こういうと,「演奏家だって生演奏という価値を生み出している!!」という反論が聞こえてきそうだ。もちろんわかってます。僕はクラシック音楽愛好家なので,生演奏に魅力を感じています。でも「生演奏は素晴らしいのでサブスクで聴かずに演奏会に来てください!」という売り方をしたとしても,多くの人は,「わざわざホールまでいって中の上くらいの生演奏を聴くより,自宅のスピーカーでトッププロの演奏を聴く方が楽だよな…」と考えるのではないだろうか。コンサートホールまで往復2時間かかるし,演奏会って夜ご飯の時間に丸かぶりだし,拍手するタイミングとかマナーとかよくわからないし…だったら家で聞けばいいや,「楽器の上手さ」ならこのCDの中の人の方が上でしょ?…これが一般人の残酷な本音のような気がする。だからこそ,「作品群の連続体験をデザインする」というキュレーターとしてのスキルを磨いてはどうか,という提案をしているというわけだ。
また,オリジナル作品を作れる演奏家も強いと思う。むしろこっちの方がわかりやすく価値を提示でき,周りと差別化できるような気もする。「他者の作品の再現」や「生演奏」以外の価値を生み出す上で手っ取り早いのは作品を作ってしまうことだ。もちろん,他の作曲専業の人々と張り合うような作品を作るのは難しいしむしろ得策ではないので,毎回演奏するアンコースピースだけ作るとか,曲間に即興演奏を入れるとか,そんなことから始めてもいいかもしれない。
ちなみに,「自分の作品を持った方がいい」と言っているクラシックサックス演奏家出身の僕自身が作品を作っていないのはなんか説得力がないと思ったので,最近気が向いた時に曲を作っています。