はてなキーワード: 外部不経済とは
こういう人はきちんと懲戒処分されてほしい。
生きてるうちは親族の役に立たないし地域住民のお荷物だけど、せめて死後に親族のゴネる理由になれたのは生まれて来た意味があった
もっと金締め上げて生きていけなくするべき
比喩じゃなく死んで欲しい。
タイトルの通り。末端のケースワーカーやってるけど最悪。そろそろ異動かなってくらいにはやってる。年度末を控えてるけど、正直今年で終わりじゃなかったら辞めてると思う。
何が嫌かって言うと、命を預からされるところとやりがいがないところ。あと制度が古過ぎるのが目につくところ。そこに付随する様々なイライラ。
人を見下しちゃいけないって道徳で学ぶけど、一人一人寄り添って真面目に対応してると持たない。最初は真面目に話聞いてたけど、酷い目に遭うことも多かったし気持ちの面で負担感があった。今はナマポほとんどをクズだと思ってるし、人生の価値は年数とかじゃないなって思った。あいつらが80年生きてこっちがその半分にも満たなかろうが、間違いなくこっちの人生の方が総合的な価値も世間への貢献も上だと思う。
配属されたらいきなり担当させられて、あれこれ相談に乗ったり時には厳しく赤の他人の生活のお世話をさせられる。100は行かないけどそのくらい。みんながみんな手取り足取り教えないとってレベルじゃないけど、一人で生きていけないような奴は全然いる。
そんなことする意味ないくない? 言うこと聞かないで好きに酒飲んだり勝手に退院したりして、それで死んだら公務員が悪いんだって。叱る以外になにしろってんだよ、20超えて自分で出来ない、理解しようとしない方が悪いだろ。親族も文句言う前に引きとって手前でやれよ。誤嚥で施設が訴えられてのあったけど、あんな感じのことなんかよくある。養えない支えられない、そのくせ一丁前に訴えはする親族。生きてるうちは親族の役に立たないし地域住民のお荷物だけど、せめて死後に親族のゴネる理由になれたのは生まれて来た意味があったのかもね。
なんで知らねえやつの人生背負うんだよ、金と介護とかの手間を消費するだけの人生なのに。
あとやりがいもない。大体のこっちがやるのは家に行って話聞いて、金出せる出さないの話するだけ。何でもかんでもとにかく金が出るか聞かれて、例えばテレビの修理代は出せないって言ったらすぐゴネゴネ。大人しく諦める人ももちろんいるけど、面倒臭いやつはとことんワガママ。議員連れてくる時もある。そう言う時はもっと面倒臭い。
楽だから金出すって言ったって税金なんだし、それに一回金出すとズルズル文句を言うから基本は渋る。でもまたゴネ始める。普通の人って欲しいものあったら働くなり節約なりすると思う。それをまず職員にゴネ続けて目標達成しようっておかしくね? 働けよ。仕事よりゴネるの楽なのは理屈はわかるけど、他の住民の皆さんは働いてそれを実現してんだよ。なんで当然のようにあれもこれも要求できるのか教えて欲しい。
引越し代、マッサージ代、タクシー代とかは自治体が待つことが多い。引越しはこの中だと要求されることは多くても金出すことはすくないか。
意味わかんねえ。引越しなんか普通の家はそうそうしねえし、マッサージなんて受けねえ。タクシー使わねえと病院行けないなら、入院かお看取りのある施設でもどうぞ。
あと制度の作りが甘い。と言うか性善説すぎるから悪いこと考えてる人に対して後手に回るし、古いから最近のお金の流れの実情に沿ってない。
て言うかみんな言えば働くって前提だから、病気ですって言われるとまた手間かかる。ちょっと腰が痛い、体がだるい、気持ちが乗らないですぐ病院の先生は診断書書くから、そうなるとこっちはお手上げ。病気ですって言われたらもう何も言えなくなる。
そんくらい通院して我慢しながら仕事してる人もいますやって言ってやりたい。でも言ったら揉めて面倒になるから任期ギリギリまで見逃すのが一個人から見たら一番楽、でそれが横行する。
不服審査とかも簡単にやれてスラップ訴訟みたいに出来るし、それでこっちの体力使わされるのもしんどい。制度の悪用に弱いのはどこもそうかもだけど、こっちは不正受給やらなんやらある上に、税関係みたいに本人の意思をガン無視して差押とかまだはできないのが歯痒い。
色々言ったけどセーフティネットに頼る人間がみんな嫌いなんじゃない。障害があっても出来るだけ働いてる人もいるし、高齢でフルタイムは無理だけど調整しながら頑張ってる人もいるし、シングルマザーで逃げて来た中仕事と子育てに奮闘してる人もいる。
自分にできることをやった上で、冷静にこっちに相談を投げかけて欲しいし、実際にあったこと、貰った金をちゃんと言って欲しい。これって無茶言ってないと思うんだけど。これが出来ないから社会の爪弾きなんだろうけど。
確かにこの制度がなくなると治安悪化ってのが見えてくるので、何かしらの形で必要なのはわかるけどもっと縮小していいんじゃないかな。それか事務系の公務員じゃなくて、警察とかそう言フィジカルに長けた人がやるのがいいと思う。言ってわからない平均未満の人間なんだから、暴力で躾をやってもおかしくないと思う。
先月まで子供関係の伝票処理してました! みたいな人がいきなり来て金返せとかヤクザ上がりと揉めるのってめっちゃ辛いと思うし辞める人がいても不思議じゃない。でもそれで辞めちゃうって生活保護の連中が生きてることによる外部不経済だろ。なんでこんな連中のせいで人生を狂わされるのかわかんねえ。
総じて気に食わないことばっかり。他の仕事も気に食わないなってことはそりゃあるけど、この仕事の不快感はまた別だなと思う。俺の税金がこんな無駄遣いされてるなってのを見るのはやるせない。その分社会保障費が減れば家計に余裕も生まれるし、子どもだってもっと持てたかも。貧困の問題で切り捨てるのか! みたいなこと言う人いるけど、こんな連中のためにみんなが共倒れする方が馬鹿らしい。こんな連中に税金泥棒って言われると鏡をくれてやってその分収入認定してやりたくなる。もっと金締め上げて生きていけなくするべきだ。
全体の割合でいくと年寄りばっかなんだけど、若い時備えてなくて死ぬ間際は生活保護って本当にムカつく。俺たちが老いた頃には亡くなってるだろう制度に乗っかってオムツ代貰って偉そうに。しかもたまーに仕事の仕方とかで説教してくるやついるんだよな。いやそろそろ人生の総まとめの時期だろうけど、人に説教できる人生じゃないじゃん。
障害に関しては一括りにすべきじゃないと思う。身体、知的と大体はそのお母さんの世帯とかは生活保護と別制度で手厚くして欲しい。知的の人ってすごい素直なんだよ。仕事をする意味が収入以外に日中活動の確保とか社会とのつながりとか、他の側面でやるべきって事情もあるけど、結構ちゃんと仕事してこっちに報告してくれる。普通に話して普通に言ったことを聞いてくれるから、話をしてて全く困らない。噛み砕いたりする時や、メモにまとめて渡す時もあるけど、別にそう言う個別対応は苦じゃない。あの時やってくれたとかでその後ゴネることはないし。
精神障害者はもっと働けって思う連中や、処方された薬を自己判断で飲まずに困ってるようなのが多くて最悪。ここの連中も割と職員からは嫌われてると思う。うつとかでも作業所に行くなりしてくれてればまだわかる。仕事をまだやろうって意思を感じるし。
後結構いるのは発達もあるのかもだけど、精神的に辛いですってゴネまくって仕事をしない若い奴ら。20代で家にいて、いざ訪問すると普通にゲーム機とかあんのね。こいつらゴミだなって思う。このまま一生制度に世話になるんだなって、何も生み出さねえ国民ガチャのハズレ。
あと人格障害の連中は本当無理。比喩じゃなく死んで欲しい。一番手間がかかるし、精神的にも負荷がかかる。無理と言って理由を述べても、自分の納得する答えが得られるまで延々電話したら窓口に来たりする。仕事もしないし友達も家族もいなくて暇だから。大体家族は手を引いてることが多い。病院やらも出禁になり、関わりがあるのが生活保護と障害の窓口だけになるけど、こっちは出禁までは出来ない。聞く価値のない話を丁寧に繰り返して時間を取られて残業する羽目になるのはもらえる金より精神的な負担が重くて辛い。
後ヤクザとかすぐ怒鳴るタイプの連中。こう言うのに性別関係なく担当をつけるのは社会の進歩だなぁと思ったのも束の間、お尻を触ったりするような奴がいるらしくそれじゃ意味ないなって思った。てかそんなのあったらすぐ通報したらいいのに。職員の尊厳の問題なのに何を躊躇ってるのかわからない。
実際こいつらも言い合いになると本当体力使う。たまに病院でもらった薬転売してるやつとかいるし。
普通の国民の生活とかなり切り離されてるし、他に色々日本に問題があるからこれも取り上げられないけどこれも早く直した方がいい問題だと思う。
俺はそういうわずらわしいやりとり嫌だからカードを持っていないの。
小銭みたいなポイント貯める代わりにそんなやりとりしたりカード意識したりするの損だと思ってるから。
「Tカード大丈夫ですか?」聞いてきて「ないです」って応答を強要してくるの?
たまに「ないです」つってんのにさらに聞き返してくる奴とかいてうっとおしい。
後から出してくる奴とかレジを立ち去ってから戻ってくる奴が居るからなんだと。
いやいやいやいや。
それはそのアホの問題じゃん。
レジ側がそのアホに対応してあげる(必要ないと思うけど)のはいいとして
なんでその対応策が「全員一律にTカード有無を問う」になるんだよ。
店側とTカード持ってるやつはそれでいいとしてもTカード持たない人間に負担を押し付けとるやん。
いちいちTカード大丈夫ですか京急のポイントカード大丈夫ですかとか聞く工程
レジ係にとっても客にとってもバカにならない負担になってると思うけどな。
「ちまちましたカードを使う人間」かつ「言われないと自分から出せないバカ」という
外部不経済による厚生損失発生の一例ですかな?
問題なんですよね…。
猫背やかがんでる時の肋骨のまま寝そべっていたり、普通に座ってたりする絵が多いんです。
人物画ってつまるところ解剖学だから、誰が書こうと人体を理解してないとどこかおかしくなるんですが…
いいイラストレーターさんは、解剖学的な観点をうまく取り入れてるから、褒める時に骨格の話ができる。
そういうのがAIにはない。
成分だけ同じでも人体錬成すると人の形にならないハガレンのアレが、AIの絵のおかしさを予言してる。
それから、社会に定着するには「外部性」の問題をクリアしないといけないのよ
AIの場合はそれ以前に利便性を上げているかどうかも微妙なんですが…AI及び利用者による外部不経済を解決できないと定着できないんです。
近所迷惑にならないようにお店を続けるとか、
そう言うのって、技術的に最先端でも新しくなくても色んな業者が気を使うことなわけで…。
当たり前だよね?
「再エネの主電源化」: 太陽光、洋上及び陸上風力の変動性再エネ(以下VRE)を主力電源にすることで、電力分野においての低炭素化の達成。バックアップ電源としての化石エネルギーの利用は排除しない(調整力の問題から100%脱炭素は不可能のため、後で理由は説明する)
「小売自由化」:全ての消費者は、参入障壁の低い電力市場に参加した小売業者から自由に選択して電気を購入する。競争原理により消費者は低価格な電力を選択、もしくは証書つき電力を購入することにより非化石価値などの付加価値も購入できる。市場への入札は基本的に電力の限界費用で行われる(現行ルール)。これは達成済み。
「安定供給」:化石燃料市場の動向および天候や気温の条件に関わらず、発電サイドの問題(燃料制約、電源不足や天候不順など)での停電は起こさない(注意:配送電に起因する停電は災害などの理由から0にはできないので、ここの定義には含まない)
大手電力:自前の大規模電源を有する電力会社(JERA、関西電力などといった旧一般電気事業者、ENEOS、東京ガスなども含む)
新電力:大部分を市場で電力を購入して消費者に供給する小売事業者
「再エネの主電源化」「小売自由化」というものを両立する場合、少なくともこの先10年ー50年の短中期においては「安定供給」を日本においては完全に達成するのは不可能であるということ。
理由を説明していく。ただし「再エネの主電源化」を達成しない選択肢は国際的かつ政治的に今後取り得ないので、「安定供給」と「小売自由化」をどの程度のバランスで守るかということを考える材料を提供したいと考えている。まずは今の方向性を維持する場合を考える。
- VREはインバータ電源(直流→交流への変換を伴う)のため電力系統に大規模に導入すると電力系統が慣性力を失い、火力、水力、原子力などの同期発電機脱落時の大規模停電のリスクを高めるため、蓄電設備がない場合は出力抑制が必要
- 付言するが、蓄電池+VREも近年では価格競争力を持ち始めている(ただしあえて蓄電池のコストを負担しようとする者はいないだろう)。また2022年からFIP制度というのが始まり、再エネを市場価格+プレミアムで買い取る制度ができる(インバランスにはペナルティも課される)。この場合では再エネが発電できない、電力価格の高い時間帯に売電するインセンティブを生むため、アグリゲータやFIP対象の発電事業者が蓄電池コストを負担するモチベーションにつながる。一方で資源価格が上がっている現状で蓄電池の資本費を回収できるかは不透明
- この二つは国を超えたレベルの広域な電力系統が存在しない日本で特に顕在化する。
- ネガワット、DRは何れも短期間の電力の過不足への対応技術のためいずれも一日から1ヶ月の長期間のVREの変動には対応できない
- あくまで安定供給に向けた金銭的なインセンティブでしかなく、100%の保障を行えるメカニズムにはならない
- ただし、出力抑制が起こるような先週の土日の東北電力、四国電力管内の例には電力を活用する観点から重要
- VREが安い時間帯に水素を作ってkwが不足する場合の火力発電の燃料とするという発想
- 電気分解で90%、コンバインドサイクルを利用する場合でも高位発熱量基準で熱効率40%程度が限界なので全体として見た時に結果として3割ー4割程度のエネルギーしか利用できないため、ファイナンスの面から達成が難しい
- 発電に利用するならCCS付き水素を利用する方が現実的だが、将来的なタクソノミーを考えると採掘に関係する資産が座礁資産になる可能性が高いという筆者の予想
- 加えて重要なのが、火力発電の燃料、特にLNGは大手電力にとって長期契約するインセンティブが失われるため(長期による電力需要を見通せず、余った場合にはLNG転売損を招く)スポット調達がメインになるが、スポットは割高のため、VREが使えない時間帯のさらなる電力価格高騰の常態化を招く
- スポットは常に入手できるとは限らず、加えて無駄な国富流出の要因になり、経済安全保障の観点から政府も手を打つべき問題
- 結局VREの統合コストが2030年でも原子力に比べて割高なのはこれらの理由による
- 2024年度より容量市場が設置され、電源(kW)を取引できるようになった(すでに取引は開始されている)が、様々な理由から現在の市場価格では既存設備は維持するのは可能(難しいものも多いが)だが新設するには安い値段に落ち着いてしまっている。結果的に現在の市場設計では中長期的な将来の容量を担保できない。
- 既に2024年の九州電力管内の落札結果は供給信頼度が低く、管内の電源容量不足を示唆している。
- 発電設備の資本費を市場に負担させるシステムが必要ではあるが、新電力側からすればメリットが皆無なので難航するのは目に見えている
- 容量市場についても経過措置で取引価格が下がる仕組みになったことからほぼ期待できない
- 現状では再エネの主電源化は遠い目標なので脱炭素および電力価格の安定を目指すなら活用せざるを得ない
- 電力の完全脱炭素化を達成するには将来的にはSMRなどの調整力を備えた原子力発電所が必要不可欠だが...
- 利点
- 同期発電機であり大規模電源でもあるため電源として単純に優れている
- 限界費用は再エネと同様0、福島での事故を加味してもまだ既存原発の再稼働コストは安い
- 燃料費は発電コストの15%程度、かつそのうち加工コストが半分程度なのでウラン価格が費用に占める割合が低く、経済安全保障に資する
- 欠点
- 既存の原発に調整力を担わせるのは経済的理由から難しい(技術的には可能だが...)
- 事故が起こった時の恐怖感から賛否が分かれ、利用のための政治コストが高い上に政治家はそれを払おうとしないので期待できない
- 安全対策及び特重施設設置の問題から東日本大震災から止まっている原発については迅速な再稼働は期待できない
1. 価格面で起こること
現状の市場システムでは燃料調達のスポット市場への依存を促す仕組みになっており、資源価格の上昇がより厳しい形で市場に跳ね返る。そしてそれは最終的に一般の消費者が負担させられる構図が出来上がっている。特にエネルギー価格は逆進性があるため、低所得者への支援は必要不可欠。
2. 脱炭素面で起こること
VREの導入はこれからも進んでいくだろうが、主力電源化を進めるためにはVREの変動をカバーできるシステムが必要。蓄電池は有力な候補だが、主力電源化に必要なレベルの蓄電池導入のコストを誰が負担するのか決まっていないため、不透明と言わざるを得ない。このままでは長期的な変動はともかくとして、短期的な天候の変化にも対応できず、春や夏でも晴れた日には出力抑制が常態化するのに夜間や荒天の日には火力発電所がフル稼働する日常が迫っており、電力の脱炭素化は遥か遠い目標となる。
3. 安定供給面で起こること
中長期的なバックアップ電源を保障するシステムが今の日本には存在しない。現状が進行すると3/22のような需給逼迫警報が特に冬の時期に日常化しうる危険性がある。小売事業者に適切に発電設備の資本費を負担させる仕組みおよび長期的な発電事業者の収入を保証する仕組みが必要。安定供給は破綻に近づいている。
と、ここまで書いてきたが結局再エネの主電源化を妨げているのは制度設計のまずさとしか言いようがない。FITは再エネ導入に大きな役割を果たしたが、野放図な開発を招き、加えて電力系統の不安定さを招いた。パネル設置者が固定価格で買い取ってもらえる一方でそれによって増大した再エネ賦課金と安定供給維持のコストは広く国民が負担するハメになるのでまさに外部不経済としか言いようがない。理念が間違っているわけではないのだが、安定供給と再エネの柔軟性確保に誰が責任を持つのかはっきりすべきだった。つまりこれらは政治の責任であり、政治コストを払わなかった政治家の責任である。最も現実的選択肢としての(特重施設設置期限の延長による)原発再稼働も政治コストの高さから誰もやろうとしない。票にならないことを政治家がやりたがらないのはわかるが政治家の失策のコストを国民が払い続ける現状はおかしい。参院選の後からでも日本の電力の未来に責任あるビジョンを示す政治家が現れることを期待したい。
費用や便益が当事者以外に及ぶことを「外部性」といい、これらは大まかに正と負に分けられる。
公害レベルに多発し社会問題化してるなら、外部不経済と言っても過言ではないけど、
誤配送だとかのトラブルで第三者を煩わせる程度のことは立派な大企業だってつつけば出てくる程度にはありふれた事だろう。
程度の問題よ。
第三者の善意に甘えるのが絶対にダメとは思わんし、甘えて首尾よく何割かは受理してもらえたほうが、お互い合理的・省エネ・経済的なことの方が多い。
つまり現状では不経済だのを持ち出すのは過言だし、ちょっと嫌な目にあったからって企業の価値ゼロのように言い放つのは幼稚。
例えるなら「おたくがホスティングしてるメールサーバーから迷惑メールが来たんですけど? 業者には警告しておくのでメールは削除してください? なんで俺が消さなきゃならんのだミスクリックでURL踏んだらどうしてくれる、これだから電子メールは存在価値がない、電子メール廃止して手紙の郵便事業だけやれよ」って言ってるようなもん 。
廃棄拒否の人だって、自分が廃棄処理する労力は譲らなかったくせに調べて電話代や時間を使うコストは率先して負担してるじゃないか。本当に関わる気がなかったら連絡すらせず放置すればいいのに。なんかネットで他人がゴリ押ししてた好きでもないアニメをわざわざ見に行って掲示板で文句を書き散らしてる人みたいなメンタルを感じるんだよね。
サマーズ氏はこれまで唱えた仮説を学術論文で補強するなどしているが、主張の大筋は変わらない。第1に先進国では需要が構造的に不足しており、ケインズ的な景気循環への対応では不十分だ。第2に金融政策の効果は日本や欧州の例をみても特に小さく、これは経済の需給にとって中立な「自然利子率」そのものが急低下しているためと推測される。追加の金融緩和余地も小さく、金融の仲介機能を妨げるので、経済にとってもむしろマイナスかもしれない。その一方で、第3に財政政策は成長率の押し上げに効果を発揮してきた。低金利を生かして支出を拡大すべきであり、環境関連投資の拡大や、企業の設備投資を促す施策が有効だ――。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51594960Q9A031C1I00000/
最近日本経済新聞でラリー・サマーズの長期停滞論が何度か取り上げられています。これも文字で読むよりはISカーブを使うと分かりやすいと思います。みなさん、お手元の紙の縦軸にrを、横軸にYをとって、右下がりのISカーブを描いてください。横軸の適当な場所にY1を取って、上に向かって伸ばしてください。ISカーブと交差する箇所から左に向かって線をひいて縦軸とぶつかる場所にr1と書いてください。Y1が潜在GDP、r1が自然利子率です。縦軸のr1の上の適当なところに点をとって0(ゼロ)と書いてください。ISカーブや潜在GDPの説明は省きます。
現実の財市場はISカーブで示されますが、これが潜在GDP(Y1)と一致する水準が"自然利子率"(r1)です。サマーズのいう「長期停滞(Secular Stagnation)」とはr1<0の状態をいいます
総需要(=C+I+G+NX)<潜在GDPの場合(これを放置するとデフレが進行しリストラが始まります)、利子率(r)を低下させて投資(I)を増やせば総需要も増えて総需要=潜在GDPとなりますが、0>r1の場合は、金融緩和をやり尽くして現実の利子率をr1にしたら、もう金融政策はすることがなくなります
Y=C+I+G+NX<Y1で、Iを増やせないとしたら、方法は3つしかありません。
ドイツのようにNX(純輸出)を増やす。もっともこれがいくらでもできるのはドイツのように為替レートや貿易障壁など交易条件が制度的に有利に設定されている場合に限られますし、他国のNXを削っているので、世界中が長期停滞に陥っていれば他国を貧乏にするものすごく迷惑な方法です。サマーズが国際協調の立場からドイツを国際的に監視せよと主張しているのはそのせいです(※1)。
日本のようにG(政府支出)を増やす。トランプ政権のように減税でC(消費)を増やす。いずれも財政は悪化します。
あるいは下げられないはずの利子率(r)をさらに下げ、その効果をIではなくてバブルにつなげてCを増やすという方法もあります。サマーズは金融危機前はバブルのおかげでY=Y1が達成できていたとみています(※2)。
日本経済新聞の記事で「第1に」「第2に」「第3に」と並べられてる内容については、需要が構造的に不足して自然利子率がゼロ以下になっているので、金融政策は無効で、財政支出しかないでしょう、せっかく財政支出をするなら長期的な成長につながるようなものに出しなさいとまとめた方がわかりやすいでしょう。
いずれにせよ、かつてのケインズのようにまったく新しい経済政策を誰かが発見するか、科学技術上の大発明があらたな需要を作り出してくれるまでは(いつになるかはわかりませんが・・・ロバート・ゴードンは、AIやロボットも家電製品や自動車ほどじゃない、あんなすごい発明は今後も無理でしょ、としていますが(※3)、技術が需要に結びつくのには時間がかかるのだからまだわからない、という意見もあります)、バブルで金融システムをリスクに晒すか、減税か大規模財政支出で財政破綻のリスクを高めるか―今は高くないですが―どれかしかないのです(もちろん、みんなで貧しく生きようというのもあります。)。
なお、減税といってもCに与える影響はさまざまですが、一般的に貧乏な人の方がMPC(限界消費性向)が高いうえ、日本の低所得者の所得税の負担は既に低いので、するなら消費税減税でしょう。今主張しているのはれいわ新選組です。
安部政権は国と地方あわせて13兆円の財政支出をまとめようとしています。但し、その年のGDPだけかさ上げしてあとはさっぱりといったものではなく(典型的なのは誰も来ないコンサートホールなど)、地球温暖化対策のように社会的に意義がありかつ外部不経済を解消するとか、潜在GDPを長期的にあげるような有用な支出が必要です。私は何が有用な支出なのか、例えば小中学生にパソコン一人1台用意するのが良いか悪いかさっぱりわからないので、マスコミでその点をしっかり議論をしてほしいのですが、残念ながら日本は主要な野党が経済に関心が薄いうえ、主要な新聞はそもそも財政支出の拡大に反対しているので、安部政権に丸投げ状態です。
※1 "Global economy is at risk from a monetary policy black hole" By Lawrence H. Summers , Financial Times, OCTOBER 12 2019
https://www.ft.com/content/0d585c88-ebfc-11e9-aefb-a946d2463e4b
その他ドイツの事情についてはマーティン・ウルフ"日本化しないドイツの幸運" 日本経済新聞(フィナンシャルタイムズ)2019年11月1日 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO51634760R31C19A0TCR000/
※2 "もしもあなたが少し過去を振り返り、金融危機以前の経済について調べたら、ちょっと奇妙なことに気づくでしょう。多くの人が当時の金融政策はユルユルすぎたと信じています。みんなあの頃は膨大かつ過剰な貸付けが行なわれていたのだという意見に賛成しています。ほとんどすべての人が、家計が保有していた富はバブルだったと考えています。過剰なお金、過剰な債務、過大な資産・・・でもそんなに景気良かったでしょうか?設備はめいっぱい稼働していたわけではありません。失業はすさまじい低水準だったというわけでもない。インフレなんてまったくなかった。そう、どういうわけかグレート・バブルですら総需要を過剰にするにはまったく足りなかったのです。" IMF Fourteenth Annual Research Conference in Honor of Stanley Fischer Washington, DC November 8, 2013
http://larrysummers.com/imf-fourteenth-annual-research-conference-in-honor-of-stanley-fischer/
※3 ロバート・J・ゴードン「アメリカ経済-成長の終焉」(日経BP・2018年)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07KWMYP13/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
"れいわ新選組と立憲民主党 どちらが正しいか (自民党とどちらが正しいかも追記しました) "
https://anond.hatelabo.jp/20190622204530
"金融政策はこれからもマクロ経済の安定化ツールであり続けることができるのか サマーズとクルーグマンのツイートより"
https://anond.hatelabo.jp/20190824134241
https://anond.hatelabo.jp/20191014111057
それぞれお互いに利益も不利益もあってある程度のバーターは効いている
(都市に住んで郊外に働きに行くパターンもあるが、逆より相当少ないはずなので)
こうなると、元増田一家の法人税も住民税も都市の自治体に落ちるけれど、その税金で整備して住人に提供すべきものを提供しているのは隣県の郊外の別自治体
(ファミレスについては純然たる商業施設なので何とも言えない)
また、元増田が千葉や埼玉にドライブに行くんですよーと楽しんでいるならまあいいけど、どうもそうではなく、近場に施設がない(廃止された)ので仕方なく遠出している節が伺われる
ならばそれは、行政の不作為や、ことによると作為によって生み出された外部不経済を元増田が負担していることになるのではないか
商業的に最適化した皺寄せが住人の負担として現れるのは望ましくない
http://anond.hatelabo.jp/20121130193539
都市は本質的に、生産年齢の労働者を地方からつまんでくる構造になっている
江戸にだって男やもめがいっぱい流入してたわけだから、現代の都市の病理と表現するのさえ近視眼的で、都市というもの自体が持っている特性だと思う
少ない下町の土着住人分ぐらいしか、育児に割く人手やスペース等諸々のキャパがない
だから、都市は子育てをよそでやらせる方式で成立しているエリアなんだ
・地方で生まれ育つ
揺籃と墓場を地方任せにして真ん中の美味しいところを集めて成り立つのが、都市
変わったとすれば、地方が疲弊してもはや揺籃と墓場の役を果たさなくなり、また地方→都市(→地方)という生活史が成り立たなくなったこと
都市の育児キャパをはるかに超えた人口を抱える団地や郊外で生まれた在都移民二世がそのまま都市に居着いて在都三世を産み育てるターンになり、地方に足場の存在しない、都市での育児という問題が表面化したと
都市はまったくこれまで通り
ところが地方に根を持たず都市で子育てする在都二世三世が膨れ上がって、都市のキャパを越えてしまい、その分をもうどこも持とうともせず持てもしない
その地方の役割をかわりに担い出したのが郊外だ、ということだろうか
さて、都市は地方に育児というコストを押し付け、「金の卵」を持っていく
そこで、経済的に最適化して美味しいところをつまんで生まれた富を、仕送りや地方交付税で地方に還元する
都市~地方のシステムはそうやってバランスするように調整されていた
子育てするのにクルマで隣県まで行かなきゃならんてのはやっぱ不合理で、外部不経済ですよこれは
自由経済に任せればこうした都心と郊外の役割分担が必然的に生まれるのだとすれば、その必然によるアンバランスに介入するのが行政の役割
「子育てに適した遊戯施設を提供してくれる郊外自治体に東京都や渋谷区が金を出す」
現在の日本にあるプルトニウムが、核拡散につながる理由が不明。
「余剰」プルトニウムは、高速増殖炉計画で必要になるため、余剰になるとは言えない。
以下のように明記してあるため、加筆修正の必要なし。税金・補助金関係は、詳しくは「資源・エネルギー関連予算案の概要」「電気事業と税金 2010」を参照。
原油価格5倍は、NYMEX4月先物(WTI)の価格ではあるが、ドバイやシンガポールでも傾向は変わらない。
また、LNG価格は、化石燃料価格は代替性がある、つまり価格連動性が高いので省略した。価格についての情報を確認したい場合は、「グラフで見る石油2009」のP.33を参照。
新興国需要の増加で、化石燃料価格が上昇傾向である事は、概ねコンセンサスが取れている事象。今後も上昇傾向である事も、一般的な認識だと思われる。
放射能漏洩による汚染を過少評価していると批判されているのか、それ以外の二次冷却水の廃熱による環境変化などが抜けているのか指摘が明確でない。
前者であれば、原発周辺に一定レベルの放射能を漏洩したのは、チェルノブイリと福島第一だけになるので、表現としては妥当だと思われる。
後者であれば、具体的な事象を問題を指摘している人があげるべき。
今回の災害が、確率的に発生し、かつ被害が防止が不可能だと判断するのであれば、原発の限界コストに災害被害額×災害確率を勘定することはできる。
今回の災害被害が、防止が可能な有効な対策があれば、限界コストに対策費用を勘定することになる。
原発コストに加えるべきなのは、災害被害額×災害確率もしくは、災害防止コストになる。
もちろん事故・災害の調査が済んでいない以上、誰にも適切な評価は不可能。論理的な原発推進派と、論理的な反原発派では、限界コストの再評価で見解の相違があるのだと考えられる。
また、社会的厚生関数にはリスク回避度も入ると考えられるため、同じコストでも個人のリスク選好度で評価が変わる。論理的な原発推進派と、感情的な反原発派では、リスク回避度による心情的な違いがあるのだと考えられる。
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【辿り着いたのは、「死」は自分に属さないという考え方】(吉本隆明あたりから。)
死が自分のものじゃないってことが言えるだけでね。
でもそれは十分、生きるための「抜け道」にはなったんですよね。
それで結局、生きる価値はどこにあるんだ?
それはちょっとね、本当にわかんないですね。わからないでしょう。
わからなくても、ある場合には何かに夢中になってるから、その時間があるから、まあ、間に合っているというか、
生きてるほうにいるわけだけれど、生きてどうするんだなんて言われても、そんなの何もないですよね。
そんなものないし、あるぞ、みたいなことを言うのはおかしいんじゃないかと、逆にそう思いますよね。
そこからスタート。
そうするってーと。
何によって(酔って)基礎づけるだな。
【Based on ・・・・what?】
・Based on endowment
バッキンガムあたり?
・Based on acted list
・Based on wants
ex おいしい、きもちいい、はやい、やすい、うれしい、すごい、たのしい、すがすがしい、たすけたい
・Based on needs
ex Opportunity Gapを埋めるから、Hope Gapを埋める。
「Everyone can make a difference」を信じることすらできなくなるという状態を指すのでしょう。
が2段目。
【「何が問ふに価するのか?」と問ふことはあまり大したことじゃない】
「何が問ふに価するのか?」と問ふことはあまり大したことじゃないと思える。
最初から価値が決まっている問題なんかありはしない。
そもそも価値が決まるという、そのプロセス自体に価値が.....とかいって無限後退に陥るばかりなのだ。
そうしたら先はみえている、
いざ!言語問題へ立ち行かん! といって爆死するのだ。(本当かよ.....)
私は、そういった人間を何人も見てきた。
そう。自分の中に。(結局そういうおちか......)
私がその問題にどれだけ没頭できるか、人生を費やし、命を賭けられるか、それだけが問ひの価値を決め、行為の価値を決めるのだ。
この哲学を刻魂せしものが世の中では結局のところ強い。
圧倒的に。
「私は、真善美というものを設定する前段階でうろーうろーとしているので、固有な真善美を基軸にして世を誘うなんて、生来おこなえぬたちなんですよ♪」
なんて思ってはいないか?
うそこけ!このボケが!
そういったことは考える時点で、バカ丸出しだし、意外と世の中的なことは出来ちゃえると思います。
バカ丸出しという理由は、上記の言明を吐くもののが単に慈愛をもとめているだけと思われるからだ。
あとは、思考が生煮えの状態で垂れ流しにしてるってのもあるなあ。
この症状がみられるのは、承認欠乏病か、身体未動病の方である。
処方箋としては、彼氏(彼女)つくるか、三鷹天命反転住宅にでもいくことだ。
決してジブリをみてはいけない!
というのが3段目。
ここまできたら楽なもんだ。
あとは「それだけですか?」というのに耐えることかな。
肥大する志を抱く事、分を弁えることの重ね合わせ。
さいきんミッション、ビジョンの1大ブームやけどさ(「感じるマネジメント」)、かなり政治的だね。
そのための競争があるのだ!
独占、寡占じゃなきゃいいんだもんね。
なるほど。
市場原理ってのは、ミッションのファシスト性を緩和してくれるのか。
(1)情報がスムーズに流れること(情報の非対称性、取引コスト)
(2)人々が約束を守ると信頼できること
(3)競争が促進されていること(独占・寡占)
というのが4段目。
まあ後はなりふり構わずやれってことだな。
「とにかく死に物狂いで一本あてること.一度実績をつくってしまえば信頼されるし、スタッフもついてくる。」
「自分がおもしろいと思うことではダメなんだ.それに気づいたことがターニングポイントになりました。」
もっておくと健康的な態度は。これかな。
【思考の浅さへの向き合い】 (吉本隆明あたりから。)
人は「自分は、このようにちゃんとしたことを考えているんだ」と強く思えば思うほど、
周りの他人が自分と同じように考えていなかったり、全然別のことを考えていたりすると、
それが癪にさわってしょうがなくなる、ということでね・・・。
でも、それはやっぱりダメなんですよ。
真剣に考える自分の隣の人が、テレビのお笑いに夢中になっていたり、
遊んでいたりするってことが許せなくなってくるっていうのは、間違っているんです。
「修正」じゃなくて否定って表現で担保しといて良かったと思いました。で、投機の必要性は否定するんでしょうか?「別人だから否定しても自己矛盾じゃない→否定」と読むべきですかね。
こちらが書いたのを読めば、どう見ても否定してないと思うんだけども。
投機と実需、投機と商売は区別しにくい、ギャンブルでも勝手にやればいいとかいてるように投機するなといいたいわけじゃない。
外部不経済を防ぐために値段を上げたかったら投機じゃなくても良いですよね。暫定税率とか。食料価格の高騰に至っては、むしろ農地化目的の森林伐採の進行を早めていて外部不経済を拡大させてすらいます。そういうわけで、外部不経済で論点を発散させてもあんまり意味は無いんじゃないかと。
資源の最適な配分につながるかどうかを論じてたのでは?その場合は外部経済にも発散させて論じる必要ありでは?現実の市場は不完全なのに完全と決め付けて経済活動の意義を論じるのはあまり意味ないはず。面倒だから手っ取り早い結論がほしいということならとめはしないけど。
実需の追認って、んなわけ無いでしょう。後から来た投機屋に売るために買うんです。後から来た投機屋に実際に売れると見込むから買うんです。弾けたら負けの爆弾ゲーム。まぁ、実際には投機屋と同じ値段で買ってくれる実需者にも売るわけで、要は買ってくれれば誰でも良いんですけど。
んなわけないと言い切れる根拠がわからん。実需者もその値段で買うのに実需の値段じゃないと決め付けるのは強引過ぎるように感じる。結局気にいらない価格は均衡価格じゃない、実需じゃないと決め付けてるだけにしかならないような。
流通小売業は商品の入手を助ける点で付加価値を与えてると言えるわけで、そういう人が仕入れ価格にコストを上乗せして売るのはむしろ当然のような気がするので、これをギャンブルと呼ぶのには抵抗感があります。
投機の場合だって結局は誰かに売ってるんだから入手の手助けであり、先物なら将来の需給変動予測の手助けでは?流通だって売れるとは限らないんだからやはりギャンブルと大きな差異はないように思う。単に投機は個人的に嫌いだが小売はそうじゃないというだけに見える。
市場原理は良いものですが、そこに投機家は必要でしょうか?市場原理を肯定するのと投機家を肯定するのには別の理由付けが必要に思います。
そもそも○○の必要性なんて人それぞれ。すべての人から必要とされてる商品・サービスばかりなわけでもない、自分がいらないから規制してしまえというのは乱暴だなと思う。投機が必要なサービスと思う人もいれば思わない人もいるというだけの話。
ここに来てようやく問に答えるレスがついたので嬉しい話でございます。
各レスそれぞれに反応するのも大変なので、纏めて色々と。
個人的にはhttp://anond.hatelabo.jp/20080615175727]が最も優れて投機マネーの積極的肯定理由を示しているように思います。
ただ、株であれば「実需」は経営や配当や差益なので、変動の触れ幅が広がる迷惑はともかく、株価が上昇する分には困らないように思いますが、原油や食料品の場合、価格の投機的な変動は嫌だけど、金の流れが滞るのも嫌
という両者を天秤にかけた際に、投機的な変動のリスクを株に比べて重視する必要があるような気がします。
また、株であれば、特に経営や配当を念頭に置けば保有自体が「実需」の目的となりますが、原油や穀物は消費が「実需」の目的であって、持ってるだけじゃ意味ないので、需要者がいるのに売る人が誰もいないから買えない
という事態は、株式市場よりも生じにくいでしょう。
そうであれば、投機マネーで作っておくべき「あそび」はより小さくても良い事になりそうなので、投機に歯止めをかける事は正当化されるのではないかと。
現在のマーケット制度
といっても商品によって情報の伝播速度も市場の閉鎖性もバラバラで、全ての商品の市場が全く同じマーケット制度を採用しているわけでもないわけで、例えば食料品市場では金融商品市場よりは制限的な制度を採用しても良いのではなかろうかと。株やサブプライム証券を買うのと同じ感覚で原油や穀物を買うのは、商品価格の上昇の影響を考えると、あまりよろしく無いように思います。
まぁ、単純に言ってしまうと「株と食料を同じように扱って良いのか」という疑問です。
http://anond.hatelabo.jp/20080615180441]
よくわからないのですが、その相場形成には投機家は必要でしょうか?
十分な数の需給者がいれば相場は形成されるわけで、投機家の参入がより信頼にあたる相場形成に役立つというのであれば、その根拠が知りたいところです。
むしろ、投機家の参入こそが、バブルのような危険な相場形成を招くようにも思われるのですが。
http://anond.hatelabo.jp/20080615185933]
その人とは別人。
「修正」じゃなくて否定
って表現で担保しといて良かったと思いました。で、投機の必要性は否定するんでしょうか?「別人だから否定しても自己矛盾じゃない→否定」と読むべきですかね。記事書くほどでもないのでこっちに書いちゃえ。必要性と許容性の区別もつかんのかこの人は。
外部不経済を防ぐために値段を上げたかったら投機じゃなくても良いですよね。暫定税率とか。食料価格の高騰に至っては、むしろ農地化目的の森林伐採の進行を早めていて外部不経済を拡大させてすらいます。そういうわけで、外部不経済で論点を発散させてもあんまり意味は無いんじゃないかと。
実需の追認って、んなわけ無いでしょう。後から来た投機屋に売るために買うんです。後から来た投機屋に実際に売れると見込むから買うんです。弾けたら負けの爆弾ゲーム。まぁ、実際には投機屋と同じ値段で買ってくれる実需者にも売るわけで、要は買ってくれれば誰でも良いんですけど。
流通小売業は商品の入手を助ける点で付加価値を与えてると言えるわけで、そういう人が仕入れ価格にコストを上乗せして売るのはむしろ当然のような気がするので、これをギャンブルと呼ぶのには抵抗感があります。
市場原理は良いものですが、そこに投機家は必要でしょうか?市場原理を肯定するのと投機家を肯定するのには別の理由付けが必要に思います。
ということは、
実需と投機。両方あるからこそ効率的な市場が実現されてるわけで。
http://anond.hatelabo.jp/20080615111604]、強調引用者
は否定ということかな。
その人とは別人。
資源の配分なんで、実需を満たすためっていう話で。
もちろん価格が上昇すれば実需も減るわけだけど、均衡点を無視して価格が上がれば、消費者利潤は減少するけど、その分生産者の利潤は上昇する。で
も、それでも価格が上がると社会全体の効用は減るっしょ?説明のグラフは誰でも見たことのある例の奴なんでいちいち書かないけど。
投機マネーのケースで言えば、投機マネーの流入で価格が上がってるとすれば、産油企業(と投機屋?)の利潤は増えるけど、需要者の利潤は減って、減少分の方が上回るから社会全体の効用が減るんじゃないかと、そういう感じ。
どこまでが実需なのかという点もいろいろ議論は分かれて、暴騰してるから均衡価格でないともいえないだろうけど、原油価格が上がれば社会全体の効用がへるともいえないのでは?温暖化や大気汚染や交通事故とかの外部不経済もあるわけだし、うろ覚えで自信ないが、均衡価格が最適なのは完全市場のはずで不完全ならそうとは限らないはず。
それは、「投機マネーは入っていない」または「投機マネーの有無に関わらずこの値段だったはず」ならどっちだろうか。
前者なら事実認識の問題なんで水掛け論になりそうだけど、とりあえず先日のG8では投機マネー流入説が有力だったよね。
後者なら、投機マネーが流入しているのに値上がりしないという理屈が疑問。値上がりを見込んだ投機マネーによって需要が増加する分、値段は上昇するよね。
実需でこれから石油が上がると見込んで買ってるなら単に実需の追認でしかないような。実際に売れる値段以上で買おうとしても損する可能性高いわけで。
で、この話題を出したきっかけはそれなんだけど、今答えを聞きたい疑問は、原油価格はさておき、投機を積極的に肯定すべき理由が良くわからないという点。
というのは消極的肯定理由に過ぎなくて、それの社会に対する害が小さいなら同意するけど、本当に食料や原油が欲しい人達の便益を減らしてまで容認するだけの価値があるか?と思う。
自分の感覚では商売というのはどれもギャンブルみたいなものだから、わざわざ区別する気にならない。
投機で石油売買してる投機家はその石油を自分で使うつもりないけど、ほかの人にもっと高く売れると思って買う。
商品売ってる店はその商品自体を自分で全部使うつもりはないけど、ほかの人にもっと高く売れると思って仕入れる。
そして両方とも得できるという完全な保証はないが本人はできると思ってやってるわけだ。彼らが必要以上に買い占めれば困る人も出てくるだろうし、逆に買うのが少なくて困る場合もあるだろうけど、そうなると損する確率が高くなる。
反市場原理で考えれば、政府か何かが各自が必要とする量を適切に計測して配分すればよく、各自が統制とらずに好き勝手やるのは非効率じゃね?ってことになるが、歴史的な経験を踏まえて言うとそういうのはあまりうまくいかないようだし、お前の値段はおかしいとか動機がけしからんとか役所が言ってくるのは個人的にうんざりだから、自分は消極的に市場原理的なやり方を肯定してる。