実需者もその値段で買うのに実需の値段じゃないと決め付けるのは強引過ぎるように感じる。
「実需の値段」じゃなくて、「実需で定まる値段」だべ。
需要曲「線」と均衡「点」って知ってる?需要は点じゃなくて線なんだってば。
彼女がいない → 相手を探せばいい → 彼女ができたけどセックスが合わない → 彼女と別れて、相手を探せばいい
彼女がいるけどセックスが合わない → 彼女と別れて、相手を探せばいい
ほら、居ないほうが大変じゃないか。
嗜好品やら娯楽やらってのは、利益があるからやるもんでもないし、害があるからやめるようなものでもないだろ。
この記事を読んでふと思い出した。
ある土建屋漫画の主人公のライバルキャラ(爆破解体業者)が最近国際テロリストに会社を乗っ取られ、日本のハウスメーカーとして新しく会社を立ち上げ再出発をするという話があった。
その際に日本の住宅は数十年ローンを払ったときにはもう老朽化かしているようなものばかりで子孫に建物を残すことが出来ないようなモノばかり、だから100年以上ももつようなそういう住宅を供給するハウスメーカーになるとかなんとか言ってたんだよね。
たしかに日本人は一戸建てを購入する事には熱心だけれどもそれを維持する方にはあまり気を回さない人が多い気がする。だからいまだに耐震補強などをしない人たちの方が多かったするんだろう。
派遣にはそんなことする経済的体力が(基本的には)ないし、それ以外はリスク背負ってまで派遣を助ける理由がない。
無茶言うな。
そもそも、それって個人じゃなくて国が対策取るべき問題だろ。
『自殺するかもしれない』って書き込みがあったことに対して警察が来たっていうのが話題になっていて、『夜警国家』『ステキナクニ、ニッポン』『僕たちの監視社会』とか言ってるけど、それがイカレてるっていうんだったら、悪意も善意も交じり合ったインターネットのお空に、心配する人がいようと煽る人がいようと『あたし死ぬかもしれないわ』って書き散らすことだって十分イカレてると思うんだけどなあ。え、wwwにはあなたしか存在してないの?って感じ。
『そんなのおかしい』ってどっちにも恐ろしいくらいあてはまる言葉だよ。
起業して、ビジネスを回るように育てて、派遣のやつらを正社員として雇ってあげろよ。
多くの起業家はリスクを背負ってるのに、会社の借金に社長の連帯保証はあたりまえなのに、
なんで、従業員はリスクを背負わないで、あーだこーだ言ってんのよ?
ついていけないのなら、独立しなさいよ。
独立したら、ビジネスを育ててみなさいよ。
自分で周りを動かせる力を持ちなさいな。
どこまで他人に頼ってんの?
何らかのリターンが欲しいなら、自分でリスクをとりなさい。
愛煙家は煙草は"税貢献を果たしている"とあるけど、それは絶対にないなと思う。
・「わざわざ喫煙場所を制限」しないといけない
・それでも喫煙する人がいるから取り締まる必要がある
・煙草によって起こる病気にも保険を下ろさしてあげないといけない
タバコ対策に使っている税金だって結構かかっていると思います。
他にも、煙草の煙によって部屋が真っ黒に汚れ、匂いが染み付きますし、
喫煙者だけでなくその周りの人にだって、受動喫煙とか悪い影響を与えています。
煙草は千害あって一利なし。大いに「1箱1000円計画」に賛成します。
最終的には煙草は一切禁止でしょう。それに一歩近づくのでは?
この記事はトンデモ記事だと思うのですが、これを真に受けてたらかなりヤバイと思います。
今は禁煙グッズとかも沢山でてますし、もういい加減、煙草は諦めたらいかがか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080615-00000012-gen-ent
追記
あらためて見ると、ちょっと言いすぎだった気がしています。
朝の新聞を見たのですが、記事にある通り議連には増収になるからという人も結構いるようです。
さすがにそれは「皮算用」だと思いますし、そんな理由では「いじめ」と言われても仕方ないかも。
ただ、「1箱1000円計画」には素直ではないけど賛成したいと思います。
「タバコ」はやはりなくなるべきだと思うんですよ。少なくとも街頭では。
けど、それでスモーカーもいなくなれってわけじゃなくて、
辛い思いをさせずに脱煙できる薬やタバコの代わりになる無害のものを提供したすることは積極的にやるべきでしょう。
それでもタバコを続けたいという志がある人には、それだけ我慢してもらうしかないのですが。
記事にある「秋葉原の通り魔のような“ハネっ返り”が続出する」とか、
「マイノリティーを排除するファシズム的発想」「会社の雰囲気も悪くなるばかり」、
あと“千害あって一利なし”ではなく正しくは「百害あって一利なし」でした。恥ずい・・・。
「修正」じゃなくて否定って表現で担保しといて良かったと思いました。で、投機の必要性は否定するんでしょうか?「別人だから否定しても自己矛盾じゃない→否定」と読むべきですかね。
こちらが書いたのを読めば、どう見ても否定してないと思うんだけども。
投機と実需、投機と商売は区別しにくい、ギャンブルでも勝手にやればいいとかいてるように投機するなといいたいわけじゃない。
外部不経済を防ぐために値段を上げたかったら投機じゃなくても良いですよね。暫定税率とか。食料価格の高騰に至っては、むしろ農地化目的の森林伐採の進行を早めていて外部不経済を拡大させてすらいます。そういうわけで、外部不経済で論点を発散させてもあんまり意味は無いんじゃないかと。
資源の最適な配分につながるかどうかを論じてたのでは?その場合は外部経済にも発散させて論じる必要ありでは?現実の市場は不完全なのに完全と決め付けて経済活動の意義を論じるのはあまり意味ないはず。面倒だから手っ取り早い結論がほしいということならとめはしないけど。
実需の追認って、んなわけ無いでしょう。後から来た投機屋に売るために買うんです。後から来た投機屋に実際に売れると見込むから買うんです。弾けたら負けの爆弾ゲーム。まぁ、実際には投機屋と同じ値段で買ってくれる実需者にも売るわけで、要は買ってくれれば誰でも良いんですけど。
んなわけないと言い切れる根拠がわからん。実需者もその値段で買うのに実需の値段じゃないと決め付けるのは強引過ぎるように感じる。結局気にいらない価格は均衡価格じゃない、実需じゃないと決め付けてるだけにしかならないような。
流通小売業は商品の入手を助ける点で付加価値を与えてると言えるわけで、そういう人が仕入れ価格にコストを上乗せして売るのはむしろ当然のような気がするので、これをギャンブルと呼ぶのには抵抗感があります。
投機の場合だって結局は誰かに売ってるんだから入手の手助けであり、先物なら将来の需給変動予測の手助けでは?流通だって売れるとは限らないんだからやはりギャンブルと大きな差異はないように思う。単に投機は個人的に嫌いだが小売はそうじゃないというだけに見える。
市場原理は良いものですが、そこに投機家は必要でしょうか?市場原理を肯定するのと投機家を肯定するのには別の理由付けが必要に思います。
そもそも○○の必要性なんて人それぞれ。すべての人から必要とされてる商品・サービスばかりなわけでもない、自分がいらないから規制してしまえというのは乱暴だなと思う。投機が必要なサービスと思う人もいれば思わない人もいるというだけの話。
わざわざ貴重な時間を割いてまで、何故東国原知事がこれほどまでにテレビ出演しているのか謎だった。
知事当選直後は宮崎県産品のアピールのため、といういかにも分かり易い構図だったのだが、最近はそれも落ち着いてきた。
にも関わらず、テレビへの出演はさほど減っていない。当然意図して出演するように努めているんだろうが、なぜか?
それは「東国原知事=宮崎県」という図式を全国のテレビ視聴者の深層心理に刷り込ませるためだ、ということにさっき気が付いた。
知事を見れば、人々は「宮崎県」というキーワードが刷り込まれ、ふとあるごとにこれを思い出す。
ムハー!
やっぱ意味あるんだね。
impressの関連ページを貼っとく。
http://www.watch.impress.co.jp/akiba/hotline/20080517/sp_hdcp.html
これによれば、
とのこと。
とやかくいってもお金かかるよね。
自分は夏のボーナスで三菱電機のVISEO MDT242WGを買おうか悩んでるんだけど、
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/0611/bonus01.htm
友人が夏は一緒に沖縄に行こうぜって言ってるからなー
朝、わりと良い目覚め。少し雲もあるが夏らしい空模様、昼からは晴れたけど夕方ころには曇りになった。
米を切らしていたので作り置きの汁ものにそうめんをいれてにゅうめんっぽいかんじにして食べる。
午前中はゆったりとWEB漫画を読んだり、ニュースを読んだりのんびりと。
TVの無い生活も2ヶ月を過ぎた。
特に不便に感じることはないが、能動的に情報に触れていかないと世の中の流れがまったくわからない。
ずっとなんかうまい方法はないかと思っていたのだが、Sleipnirのプラグインで一行ニュースを表示してくれるのがあった。
早速設置してみたところ、なかなか良い感じ。
実家から荷物が届く。たびたびお会いしているので運送屋さんの顔も覚えてしまった。
お米のついでに書類も頼んだら、送料の都合だろうか段ボール1箱分のじゃがいもがついてきた。
じゃがいもは好きだが使い切るにはちょっと頑張らないといけない量。
そんなこんなで昼。
ご飯を炊くほど食欲を感じなかったので、どこかで立ち読みした本に載っていた大根の皮のパスタ風に挑戦する。
大根の皮をゆで、その間にキャベツを炒め、にんにく、醤油、塩などで味を調える。
大根の皮がまるでパスタみたいになるという記述には疑問を覚えるが、これはこれで悪くはない味。
大根そのものの味はほとんどしないので、そういう意味ではパスタっぽいのかも。
結構作ったのにお腹いっぱいにならかった。その点では炭水化物にはかなわないのかもしれない。
きゅうりと豆腐をそのまま食べる。すぐに食べれる系の食材は重宝する。
授業内容もいまいち理解出来てなかったのでこの機に復習。
内容的に興味をそそられることが無いわけでは無いが面白いというほどでもない。
ただ「第17章宇宙生命について」がなかなか面白そうなのでそれを楽しみに頑張ろうとか思った。
茶髪で猫顔で眼鏡で二ーソの女性が居て、ひとつもストライクじゃないはずなのになんかもうホームランだった。
にんじんの値段が気に入らなくてスーパーを3店まわってしまった。
資本というのは狭義ではお金のことだけど、資本=お金という考えが許されるのは小学生までだと思う。
短絡的にお金を増やそうと思ったとしても、実際に一番資本になるのは時間であったり友人であったり非金銭的なものであったりすることが多い。
人生の肥やしとして資本を求めるなら尚のこと、お金にだけ目を向けていても仕方がない。
そういう意味で微小なお金のために莫大な時間を犠牲にしているようでは資本を失っているに等しいのだけど、それでもにんじんがありえないくらい高かったんです。
夜はクリームシチューを作った。
日曜日に時間をかけて作ったものを一週間かけて食べるということにはまっている。
……進捗はよろしくない。続きもののレポートなんだけど、正直初めの設定を間違えた。
はじめよければなんとやら。
男女入り乱れたグループに所属していて、マメに寄り集まって飲みに行ったりしているのだが
そこの一人が二人きりで会いたがっているような気がする。気のせいか?
「こないだ借りたCDを返したいから会えない?」
「え? ああ、そんなのいいよー今度みんなで会った時で」
これが3回くらいあった。3回目であれ?とか思ったけど…
「僕は偉い。エッヘン!」
ここに来てようやく問に答えるレスがついたので嬉しい話でございます。
各レスそれぞれに反応するのも大変なので、纏めて色々と。
個人的にはhttp://anond.hatelabo.jp/20080615175727]が最も優れて投機マネーの積極的肯定理由を示しているように思います。
ただ、株であれば「実需」は経営や配当や差益なので、変動の触れ幅が広がる迷惑はともかく、株価が上昇する分には困らないように思いますが、原油や食料品の場合、価格の投機的な変動は嫌だけど、金の流れが滞るのも嫌
という両者を天秤にかけた際に、投機的な変動のリスクを株に比べて重視する必要があるような気がします。
また、株であれば、特に経営や配当を念頭に置けば保有自体が「実需」の目的となりますが、原油や穀物は消費が「実需」の目的であって、持ってるだけじゃ意味ないので、需要者がいるのに売る人が誰もいないから買えない
という事態は、株式市場よりも生じにくいでしょう。
そうであれば、投機マネーで作っておくべき「あそび」はより小さくても良い事になりそうなので、投機に歯止めをかける事は正当化されるのではないかと。
現在のマーケット制度
といっても商品によって情報の伝播速度も市場の閉鎖性もバラバラで、全ての商品の市場が全く同じマーケット制度を採用しているわけでもないわけで、例えば食料品市場では金融商品市場よりは制限的な制度を採用しても良いのではなかろうかと。株やサブプライム証券を買うのと同じ感覚で原油や穀物を買うのは、商品価格の上昇の影響を考えると、あまりよろしく無いように思います。
まぁ、単純に言ってしまうと「株と食料を同じように扱って良いのか」という疑問です。
http://anond.hatelabo.jp/20080615180441]
よくわからないのですが、その相場形成には投機家は必要でしょうか?
十分な数の需給者がいれば相場は形成されるわけで、投機家の参入がより信頼にあたる相場形成に役立つというのであれば、その根拠が知りたいところです。
むしろ、投機家の参入こそが、バブルのような危険な相場形成を招くようにも思われるのですが。
http://anond.hatelabo.jp/20080615185933]
その人とは別人。
「修正」じゃなくて否定
って表現で担保しといて良かったと思いました。で、投機の必要性は否定するんでしょうか?「別人だから否定しても自己矛盾じゃない→否定」と読むべきですかね。記事書くほどでもないのでこっちに書いちゃえ。必要性と許容性の区別もつかんのかこの人は。
外部不経済を防ぐために値段を上げたかったら投機じゃなくても良いですよね。暫定税率とか。食料価格の高騰に至っては、むしろ農地化目的の森林伐採の進行を早めていて外部不経済を拡大させてすらいます。そういうわけで、外部不経済で論点を発散させてもあんまり意味は無いんじゃないかと。
実需の追認って、んなわけ無いでしょう。後から来た投機屋に売るために買うんです。後から来た投機屋に実際に売れると見込むから買うんです。弾けたら負けの爆弾ゲーム。まぁ、実際には投機屋と同じ値段で買ってくれる実需者にも売るわけで、要は買ってくれれば誰でも良いんですけど。
流通小売業は商品の入手を助ける点で付加価値を与えてると言えるわけで、そういう人が仕入れ価格にコストを上乗せして売るのはむしろ当然のような気がするので、これをギャンブルと呼ぶのには抵抗感があります。
市場原理は良いものですが、そこに投機家は必要でしょうか?市場原理を肯定するのと投機家を肯定するのには別の理由付けが必要に思います。
何をしたか。何も残っていない。手から砂が零れ落ちるように時間だけがなくなっていく。
地震が多い。おそらくいつかは大地震がやってくる。僕はそれで死ぬのだろうか。死ぬことが決まっていて、それがいつかわからない。それまでに何かができるわけでもない。せめてこうやって増田に駄文を書いて、他人のHDDに保存されることくらい。
今、僕が死んだら僕の日記はどうなるんだろう。IDとパスは僕しか知らない。そんなのいっぱいある。更新していないだけなのか、それとももう更新できないのか。ネットで見ている人はだれも判らない。
そういう不安。せめてもと思いSUNのJAVA資格を勉強し始めた。仕事で使っているから書けるのに試験問題を読んでもさっぱり答えられない問題がある。