はてなキーワード: 財産権とは
「ツイフェミ」って情弱ネットユーザーかネトウヨぽいワードチョイスだな
ネトウヨミームとYouTubeでなんか知ったつもりになってそう
「今の日本のフェミニズム界隈は権利運動というより被害者の会の様相」というのも、上記と同じでウワァ…な感じ
フェミニズムによって現在進行形で日本は色々と変化してきてるんですけどね
そもそも被害者支援は被害者支援であって、ある種の女性差別に悩む人々の支援として機能しているかもしれないが、フェミニズム(差別是正運動)そのものともまた違うよね
性被害被害者会による差別是正活動みたいなものなのかな?色んな種類の活動があるわけで、単なる政策系の婦人会とかもあるし、被害者支援と必ずしも結びついてるわけでもないと思う
プロレスは会場のリングでやれば興行だけども、誰の目に留まるかも分からんその辺の道ばたでプロレスやったら事件なわけよ。
いわゆる当たり前って奴だ。
一方でラッパーってのは唐突に公共の場であちこちDisり散らかして人格否定して回るんがカッコヨロシイんでしょうか?
場所も相手も選ばぬ弁えの無さで、オタクに弁えがどうだらと説教する「ええかっこしい」にしか見えんのですが、ラップの業界ではこういうのがクールに映る界隈なんですかねぇ?
正直、その辺の文化に疎い身からすると、2chでIDと顔真っ赤にしてる名無しさんくらい見苦しいと感じるんだけども……
正直、言っとる内容はわからんでもないし、共感も出来る内容ではあるんだけどさ。
こう、業界に留まらないネームバリューを使いながら匿名個人と同じレベルの自由を求めるのは、流石に有名税の徴税官がワラワラやってくるのもしゃーないと思うんよ。
キモいとかダサいとかの中傷でしかない言動をネームバリューに乗っけて行うアンフェアに対抗するには数の暴力しか無いからねぇ……
オタクはキモいの一言で思想の自由や財産権の侵害を正当化されまくってきた過去があるから、ご存知だろうけども結構ヒステリックな一面がある。
自覚は無かろうけど呂布カルマ氏の言動はオタクの生命財産を脅かせとフェミやポリコレヤクザを嗾けてるのと同然の行ないだもんで、あっちは割と必死よ?
銃撃される恐れが無いからって調子こいてるんだろうけども、そういう名も無き庶民の暴力性と無慈悲さをバカにしとるのは勇気があるというよりただの平和ボケでしか無いと思うなぁ……
女は人間である前にメスというカテゴリで見られる。女はメスであることを利用したりして人権を獲得する。メス競争は幼稚園・保育園ごろから始まる。
獲得できない奴もいる。獲得できない奴は不可視化される。
一方で、男はまずオスというふうに見られない奴が多い。むしろオスとして見られない奴の方が多い。
男はオスと見られないことを利用して人権を獲得する。(ただし男の一部はオスであり、オスは人間にならなくても生きていける。人間になってもいいが)
ここでいう人権というのは社会権とか生存権とか尊厳とか財産権とかそういうの。あると人生がワクワクするやつ。
非オスは、女がメスを利用して人権獲得することに羨ましさを感じる。「メスはいいよなー。最初からメスがあって。非オスはオスが無いんだぞ」と。
女は、オスに惹かれるが、中でも自分をメス扱いせず人間扱いするオスに惹かれる。そして逆説的なことだが、女は自分を人間扱いするオスにメス扱いされたい。なぜならそれは特権だからだ。
男から見ると女は単に人権を獲得したように見える。だが女は実はその裏でメスなりなんなり使って闘争している。この闘争は男からはほとんど見えない。とりわけ女と接触点が無いと全く見えない。
闘争から脱落したメスは非メスとして扱われている。非メスは、非オスからすらも興味を持たれない。
一方で、女から見ても、男は単に人権を獲得したように見える。これはこれでその努力が女から見えていない。
「メスとして見られる」という屈辱を受けていないだけで女からしたら羨ましい話だからだ。イージーに見える。
男のほとんどは自分をオスとして見られたいはずだが、女のほとんどは自分を人間として見られたいはずだ。
非オスは「オスとして見られないし、人間としても見られない」という屈辱の地獄で生きているが、メスは「メスとして見られる上に、人間としても見られない」という屈辱の地獄で生きている。
年を取って、女からメスが失われていくと「メスとしてすら見られなくなった」となって、非オスが凛々とするのはそういうことだろう。
韓国はバリバリの儒教国で、男尊女卑バリバリの国というイメージだな。
それでもって、中国、韓国、日本の区別ができない欧米人からは完全に日本が誤解されてるって感じ。
日本は最近の「光る君へ」でもちらっと出てきたけれど、女性の財産権は昔からあったからな。男女別財布、女の方が裕福なんてことも普通にある。
外国人には武士が偉そうに闊歩していたイメージを持たれるかもしれないが、下手に抜いたら切腹だったから、町人の女にすら馬鹿にされてたりした。
韓国ドラマのイメージで韓国男性と結婚すると泣きを見るというイメージ。
こっちを嘘つき扱いしてるけど考え方としてちゃんとあるんだよなあ
https://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/ken-jinken/16eigyo.htm
営業の自由を営業する自由と営業活動の自由に分けることができ、前者の自由は22条の自由であるが、営業活動の自由は29条の財産権の保障の中で読むべきである
(今村成和「『営業の自由』の公権的規制」ジュリスト460号41頁以下)
「職業決定の自由は本条項(22条)を根拠とするが、職業活動の自由は、ー自営業にあっては、ー本条項のほか29条1項を根拠とする。」
被用者として営業活動をする ⇒営業の自由=財産権の自由(29条)
○ 浦部法穂によれば、今やこれが通説という(『全訂憲法学教室』216頁。)。
この説の理由付けの例
「この見解は、職業選択の自由が、人間がその能力発揮の場の選択を保障するものとして、いかなる社会体制にも通用する普遍的原理であるのに対して、営業の自由は資本主義社会に固有の原理であるという基本的認識が根底にあり、また、権利の制約の範囲について、前者は、それが、人間の能力の発揮の場であるのに鑑み、その自由は、十分に尊重されなくてはならないのであるが、精神的自由とは異なり、他人の生活に密接な関連を有するものであるのに対して、後者については、資本財としての財産権行使の自由には、自由主義経済の法的市中としての役割があるために、高度の統制を必要とするというのである。このような見解は、同じく経済的自由といっても、憲法22条と29条の管に性質上の際があることに着目し、職業選択の自由と営業の自由との関係を明確にしたものとして支持できるのである。」
私人間効力の話は無視するとしても、ある別異取扱が合理的な区別が不合理な差別かは、その別異取扱の対象となる権利の性質や別異取扱の目的や効果あたりを総合して判断することになるだろう。
これを本件食べ放題についてみるに、別異取扱の対象たる権利は数千円程度の財産権であって生命に直結するような重要な人権ではなくもともと市場経済で定まるものに過ぎず、その別異取扱の目的は食べ放題によって享受される肉の量の多寡を料金に反映させるものであって、その効果も平均的な男女の食べる量の違いを反映した経済的に合理的に算定した額を定めるものであって目的に適っている。
したがって本件食べ放題は不合理な差別ではなく合理的区別にとどまる。
なお増田指摘の①は権利の性質に関する指摘を曲解するものに過ぎない。③は既に指摘のとおり。④は子どもの人権を無視するものであり論外(たとえば「大人と子供は平等では無いから子供は奴隷にしても良い」とはならない。)。②⑤の主張者は死ね。
法律では様々な権利が設定されているが、明記されている権利であっても無制限に認められるわけではない。
つまり、権利の行使によって他者の権利を損なうならそれは制限されうるということ。
権利というのは他の権利と戦うための (法的な) 武器であって、この場合で言えば表現の自由を武器にして他者の財産権・施設管理権などと戦うことになる。
こういうのは最終的な判断は「社会常識に照らして」だったりするので明確な境界線が明文化されてるわけじゃないんだけど、もし裁判で争って他者の財産を損なってまで表現しなければならないものだったかを問われるとまず間違いなく表現の自由のほうが負ける。
表現するならするで後始末 (シールの回収) は最低限度としてすべきだった。
表現したことが責められているわけではなく「不必要に」他者の権利を損なったことが問題で、シールを貼るなら自宅の表札横にでも貼ってアピールすればそれで足りたはずだ。
まあ私は田舎者なので東京の事情は知らんが、うちの地元では道端のゴミは自治会主催で回収してるから自分の家の周辺にゴミがあれば自分が回収することになる。
自分でやらなくても行政が些末な掃除までやってくれる (あるいはやってくれなくてもそれは行政が腑抜けだからという価値観) ような感覚は普通なわけではない。