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2021-01-19

俺たちはたぶん、キングコング西野氏的なものに勝てない話(追記

こうやってわざわざ文章に取り上げている時点で自分の負けをさらに引き寄せるようなものだと思うんだけど、こりゃあ敵わねえな、と思ったから書いておく。

いま話題のプペルじゃなくって、西野氏がある大学卒業式講演に来たときの話。俺も現場ではもちろん、動画を視聴したわけでもないんだけど、twitterキャプチャで見たのね。

それで、たぶん最初に登壇したとき学生たちの反応が、そこまで芳しくなかったんでしょう。西野氏がこんなことを言う(経緯は俺の推測です。念のため)。

「みなさんには二つの選択肢がある」

「今みたいなバラバラ拍手西野を迎え入れるのか、それとも全員立ち上がって、西野あらためて迎え入れるのか」

「僕自身はどっちでもいいんです」

ってやつです。

俺はこの画像を見たとき、これは敵わねえな、と思ったよ。というか、なんだろうな、この世界で「西野氏的なもの」にしてやられないように、こいつを回避し続けるのは、相当至難の業だな、と思った。

「どっちでもいいんです」と言いつつ、西野氏の希望は当然、万雷の拍手でみんなが自分を迎え入れてくれることなんだけど、西野氏はたぶん、仕切り直すことで学生たちが自身を全霊で歓迎してくれることを確信していたと思うんだ。なんでかというと、それは別に西野氏がスーパー人物からでも、彼へのはちきれそうな期待を学生たちから感じたからでもなくて、むしろ反対に、学生たちにとって西野氏なんて、特に興味もない、当初はそれこそどっちでもいい相手だったからで、西野氏もそれをよく理解していたからだと思うんだ。

たぶん、学生たちにとって西野氏なんてマジでどうでもよかった。だから最初登場してくる西野氏に拍手していたときも、自分がどんなテンションで手を叩いてるかなんて意識しないで、漠然と手を叩いていただろう。「空っぽ」だったんだ。

それが、登壇した直後の西野氏のひと言で、まず自分たちに思わぬ選択肢が与えられていることに気付かされた。西野氏をもっと歓迎してあらためて迎えるかどうか、という選択肢だ。

そして、みんなで一体になって西野氏を歓迎した方が、どっちかと言えば雰囲気的にハッピーだな、ということを、ここではじめて「想像させられた」。

悪い言い方をすれば、それまでがらんどうのまま椅子ぼんやり座ってたところに、気持ちの部分で血肉が入ったんだ。

俺はその後のことを知らないけど(動画を観たくないから)、たぶん、二度目は割れんばかりの喝采で迎え入れられたんだろう。まるで魔法のように大勢の人を操ってみせた話だけど、こんなの良くも悪くも人間を冷静に観察し続け、相手をナメてかかることができる人物なら手のひらの上の話だ。たぶん、西野氏にしてみれば楽勝だっただろう。

「どっちでもいいんです」という登壇直後の発言も上手い。これが例えば、自分から拍手を強いるような言動があれば、学生の方にも抵抗感がある。歓迎するかどうか、あくま学生の側に選ばせることで、かつ、自分たちでこの場をハッピー雰囲気で満たすことができると想像させた時点で、西野氏の勝ち確だったのだ。

そこには「ほとんどの人間は通常何も考えないで生きているし、何にも興味を持たずに生きている。だからこそ、自分たちが主役として何かを選び、決定することができる機会を与えられたとき自分たちこそこの場を盛り上げられると確信したとき、その魅力から逃れられない」という冷静な人間観がある。これは敵わねえよ。俺もその場にいたら拍手してると思う。きっとね。

そういう西野氏が『えんとつ町のプペル』をひっさげてエンターテインメント業界数字を出せるか…はまた別の話なんだけど、それは西野氏が卒業式で見せたような手法が通じないからじゃなくて、反対に、エンターテインメント世界こそ、西野氏的な方法跋扈する世界からだと思うんだ。西野氏の特異性って、そういう技法を非演芸的な空間一般ピーポーに容赦なく使用したところにあるんであって、業界としてはありふれた手法人間観だと思うんだよな。

こういっちゃなんだけど、どの作品ブームを仕掛けるのも、「人間ってやつは99%空っぽで、何も考えていなくて、でも自分には特別な見識や機会が与えられていると信じていて、自分で何かを決めることができるという幻想があって、人生を楽しむ権利があると思い込んでいて、できればそれを周りの人たちと共有できたら最高!」的な人間観で消費者を見てないと、市場になんて参戦できないんじゃねえかな。

具体的な作品名とブーム出したら不快にさせるだけだろうけど、例えば『ジョーカー』みたいなダークで暴力的作品も、文芸的な邦画作品も、屈折はしてるけど、結局はそういう手法で仕掛けられてると思うんだ。俺には『えんとつ町のプペル』をめぐるプロモーションと、他のエンターテインメントの仕掛け方の本質的な違いって正直わかんねえんだよな。

もちろん、作品としての評価は別かもしれない。でも、俺たちが感じるような「ああ、いい作品だった!」「うーん、クソだった!」が、はたして、俺たちを無意識にがんじがらめる商業的な網から、いったいどこまで自由なもんだろうな? って気もする。

商業的なアプローチから自由って話のひとつの余談として、俺が浪人とき、気まぐれで古本屋に入ったことがあった。11月ぐらいのことだ。街も全体的に灰色だったし、俺の心も灰色だった。俺はこの受験に失敗したら死のうかな、と思っていた。

たまたまカフカの『審判』という本が目に入った。新潮版だ。レア(たぶん)。

俺はカフカなんて『変身』しか知らなかったので、興味と呼ぶにも希薄感情のまま、本当にたまたま、それをレジに持ってった。200円ぐらいだったと思う。

審判』は俺の人生を完全に変えた。どちらかと言うと悪い方にだけど、とにかく、他のどんな作品とどんなかたちで出会ってもあり得ないくらい、深く俺をゆさぶった。

あれこそ、商業の魔の手から完全に自由体験だった。そして、ああい運命と呼べる体験しか、人と作品出会いは本当には成立しねえんじゃねえかな…というのはロマンチックすぎるかもしれないけど、俺は割と本気でそう思ってる。

ところで、あのとき審判』を手に取る代わりに、西野氏のオンラインサロンに参加していたらどうなっただろう?

それでも俺の人生はきっと「完全に変わった」だろうな、と思う。むしろ審判』で三日間くらい飯の味がしなくなるような体験よりよっぽどハッピーだろう。

結局、そんなもんなんだ。キングコング西野氏的なものはこの世界の至るところに、程度の差こそあるけどあふれているし、おおよそ感動はオンラインサロンの充実感で代替される。だから、俺たちはたぶん、キングコング西野氏的なもの永遠に勝てないだろうと思う。

追記

トラバで、「『審判』のくだりでお前が言ってる、商業的に自由っていうのは、仕掛けられたマーケティング接点では無い出会いだった(古本屋の偶然)という意味か、『審判』の中身・題材に関連したことか?」という質問をいただいて、これは前者のつもりで書きました。

ただ、カフカという作家についても、おそらく、「再発見された天才カフカ」「俺たちの代弁者カフカ」「いま、イケてるやつはカフカを読む! カフカで他のみんなと差をつけちゃえ!」的なかたちで仕掛けられたムーブメントがきっとあだたんだと思います

審判』もきっと、その延長上で古本屋の棚に並んでいたわけで、そう考えると消費者小馬鹿にしつつも心理の隙間に入ってこようとする商業ってやつからは、千切っても千切っても完全に自由にはなれないのかな、と思いました。

ところで、上記の「『審判』の中身・題材に関連したこと」という部分で思いついたことがあるので、それを付記しておきます

審判』のネタバレになること、作品解釈あくまで俺によることをことわっておくのですが、『審判』は、「自分という存在について徹底的に考え続けた者は、必ず破滅する」という話です。

カフカにはたぶん、いわゆる「自分探し」を揶揄するつもりはまったくなかったことをふまえて考察するんですが、物語の冒頭でなんの脈絡もなく訴えられた結果(罪状も明かされない)、

自分はこれまで、どんな善行(悪行)を重ねてきたか

自分の将来にはどんな可能性が残されているか

そもそも自分とはこの社会世界)において何者か」

を考え、自分無罪を信じぬいた結果、得体の知れない訴訟にハマりこんでいき、破綻する話です。

自分を「信じ抜いた」結果、破滅を迎える。俺が増田に『審判』の話を書いたのは本当にたまたまですが、『プペル』のキャッチコピーを考えたとき、ああ、この対比は面白いな、と思いました。

で、この面白いという感覚には続きがあります

俺は上で、あえて「自分探し」という表現しました。なんでかというと、こう思ったからです。

審判』の「自分という存在について徹底的に考え続けた者は、必ず破滅する」という一つの解釈について、次のように補足・換言してみる。

自分という存在(の可能性)について徹底的に考え続けた(諦めなかった)者は、(社会的に)必ず破滅する(≒冷遇される)」

…こうしてみると、この増田でも話題にしてきた別の「作品」が見えてこねえか? ということです。

俺は何十回でも強調するつもりなんだけど、俺は『審判』と『プペル』を同列に見ているわけではなくて(『プペル』も別に、読み終わった後しばらく飯の味がわからなくなるくらい衝撃だった、って言われたくはないだろうし)、ただ、この辺ってけっこう曖昧で危ういんじゃねえか、ということです。

自己」「孤立」「理解不能なマジョリティ」「困難な戦い」、こういった要素を含む物語は、例え真逆メッセージを送っていたとしても、じゃあ全然違う別モンだぜ、と胸を張って主張できるかと言うと、「いや、うん、全然違うよ、違うんだけど…ちょっと小一時間整理させてくんねえか」というところがある気がして、それが面白いな、と思いました。

強いて言えば、俺は子供に『審判』は絶対読ませたくないし、『プペル』は別にいいんじゃねえの、という感じです。

それは、『審判』が俺にとってスペシャルなのと、あと単に理解できても暗い気持ちになるからで、自分の子供がそんなんなったらイヤだからです。

2021-01-15

フェニミズム専門書店に行った話

東中野の駅を出て雑居ビルが並んでいる路地に入ったあたりに、「本」という黄色看板が出ていたので前から気になっていたのだが、行く機会はなかった。先日、待ち合わせで時間ができて手持ち無沙汰になったので初めて行ってみた。

店内はよくある古本屋のたたずまいだったが、棚に並んでいる本は古い洋書が多かった。一冊手にとって開いて見ると、全く読めない記号のようなものが並んでいた。これは楔文字か何かなのだろうかと思ったが、自分には知識がなかった。日本語の本もあるにはあったが、ほとんどが有機農業か「自然なお産」と書かれた本だった。

カウンター代わりに置かれた事務机の奥には、引っ詰め髪で黒いロイド眼鏡をかけた女性一心に楔文字のようなものを読んでいた。こちらの存在に気がつくと、何か探しているのかと尋ねてきたから、焦った。

から気になっていたのでちょっと入ってみたと正直に言ったところ、女性はとくに表情も変えずに「そういう方わりといらっしゃいますよ」と言うが早いか、机の引き出しから薄いパンフレットみたいなものを取り出して渡してきた。「ところでフェニミズムというものをご存知ですか、うちはそれの専門書店なんですよ、思いなしを捨てて自然のままに生きることを目指している集まりです、よかったらこれ、ご覧になってください」

断るのも気まずいし、待ち合わせの時間が迫っていたのでパンフレットを受け取って駅に向かいながらパラパラめくると、富士山の麓で農業に励んでいるさまざまな年齢層の女性が映っているページがあったりして、よくわからない内容だった。そのままリュックサックの中に突っ込んで待ち合わせ場所に向かった。パンフレットはどこにいったか今はわからない。

2021-01-09

遠く離れた書店しか在庫がない本を購入したい

10年前に発売された、とある書籍を購入したいのだが、

ネット書店もどこも品切れ、出版社での在庫もなく、重版未定。

古本は、ほとんど出回っていないのか定価の5~10倍の価格で売っていた(Amazon)。

フリマオークションサイトにもほとんど出ていない。

過去の出品は、定価の半額くらいで売れていたのでプレミアがついているわけではなさそう。

さまざまな実店舗での在庫検索をしたところ、なんと全国で1店舗だけヒットした!

しかし、その本屋は住んでるところから1000km以上離れた遠くの地。

お店に聞いてみたが、直接郵送で届けてもらうサービス実施していないとのこと。

その地方しかないチェーン店らしく、近くの店舗で受け取りも不可能

近くに知り合いもおらず、買って送ってもらうのもできない。

あることはわかったのに、買えないもどかしさ。

高値古本をつかむしかないのか、フリマサイトを眺め続けるしかないのか、

古本屋や小さい本屋を回り続けるか、代理で購入してもらうサービスとかないのか…

新品でも古本でも構いません。何かいい知恵ありませんか。

2021-01-07

anond:20210105024253

時間(暇)がある

若い

古本屋に行ってタイトルだけ面白そうな本を大量に買う

それだけでできる。若ければ。

kindleがどうとかスマホがどうとか作家がどうとかは甘え。

2021-01-06

家のトイレで本を読んでるが

おしっこでもうんこでもすぐに出し終わるからなかなかページが進まない

150ページくらいの薄い文庫本を読み終わるのに半年かかった

明日古本屋に売りにいこう

2020-12-22

anond:20201219063335

小学生の頃。

どこかに一人で遊びに行ったら、知らない小学生から、別人の名前で呼ばれました。

私が人違いですといっても、まるで、冗談で人違いのフリをしているのだと思われてしまったみたいで、

かなり真剣に、名前学校名を行ってようやく信じてもらえました。

その人達いわく、彼らの友人にほんとにそっくりだったとのこと。


高校生の頃。

近所の古本屋に行って、面白そうな本を物色していたら、

綺麗な店員のおねーさんが話しかけてきました。

めっちゃ好みのタイプで、ドキドキしていたら、

あなた、、、出禁になった人ですよね。」

と怖い目でにらまれました。

私は学生証をみせて、出禁になった覚えがない。

人違いです。としどろもどろに説明したら、

店員も人違いと理解したようで平謝りされました。

ホントもっと楽しい話をしたかったのに。



社会人になった年。

上司高齢おっさんでした。

その職場ではかなり上位の職についているらしく、専用の部屋まで持っている人でした。

上司の部屋には、若かりし日の上司写真が置かれていたのですが、

その写真の中の上司は、本当に私そっくりでした。禿げ方も含めて...

2020-11-26

近所の古本屋が潰れてから紙の漫画を買ってない。

電子書籍でも「信長の忍び」と「映像研」しか買ってない。

コミック1冊買う金で、dアニメストア1ヶ月見られるから

正確には古本屋じゃなくて、古本新刊中古ゲームと新作ゲーム観葉植物駄菓子を売る屋だったけど。

2020-11-24

anond:20201122214755

本人の目に触れない場所で、やる分には構わないと思っている。

やめる時は全消去で。ただし、昨今は同人誌にするのはまずいと思ってる。

なぜなら以前はイベントで本を売るしか手段がなかったから本を作っていたけど、

それが数年後にネット古本屋に並んでいた。

ご本人の目に入らないようにするのが自分ルールだったので、

ネット自分の本を探しては全部買う日々を過ごした。

店頭に出るものは回収しようがないが、残してはいけないと思ってる。

しかしどうしても作りたい、妄想を吐き出したい、形にしないと気が狂ってしまうぐらいまで

好きになったら感情を抑えられないので、ピクブラなどでひっそりやると思う。

2020-10-26

anond:20081023214216

古本屋とかは別だろうけど、発売直後の本、雑誌に関しては、

から「タダ読み」って言われてて、

「ついでに買い物するからタダ読みしてもいーでしょ」は、許されねーんだよ。。

それを許してたら、本、雑誌関連は全然収益上がらねーってなるから

コンビニだけの問題じゃねーんだよ。

分かれよ。乞食増田

2020-10-15

anond:20201015102656

消したくないぞ。

もしおまえが古本屋で1000年前の日記を見つけたら

どんなにくだらないことが書いてあっても

おまえはそれに価値を感じるだろ。

2000年前の誰かの日記

「恥ずかしい」という理由で燃やされていたら

おまえは多少なりとも「もったいない」と思うだろ。

インターネット上の書き込みもそれと同じだぞ。

削除することは文化財破壊だぞ。

蔵書印という謎の代物

古本屋に売るとき価値が下がる。

自分の家にあるのは分かりきっているのに、自分の本だという判を押す意味がない。

個人蔵書印の話な。まあ、書痴かいうくらいの馬鹿のやること)

2020-10-13

anond:20201012223833

一時期しおり集めが趣味で、旅先や本屋でよく買っていた。

のしおり

持っている中で一番よく使うのは金のしおり。薄い金属きれいなやつ。金のしおりとググると出てくる。昔はマットな感じの黒いしおりも売っていたけれど今は分からない。

大きさと厚みが文庫本にちょうどよく紐がしっかりしていて、本から落ちにくい気がする。(たまに落ちるけど)

貰い物なので当時の値段は分からないが今楽天で見たら440円くらいから買える。

種類によって大きさが違うので自分が挟む予定の本をイメージして買ったほうがいい。ミュシャデザインデカかった。自分の持っている気球デザイン文庫にちょうどよい。

紙に跡が付くのは気になったことがない。

そこら辺の本屋文房具屋で売っている。

トラバにある平等院鳳凰堂しおりは多分これと同じところが作っている。

金属のしおり

金属パート2。土産物屋でよく売っている、長方形オーソドックス型でなんかステンドグラスのもの

地域の有名なものが描かれていて、その名前が下にローマ字で書かれている。「kokeshi」とか。

多分色々な観光地で同じしおりが売っている。可愛いからオッケー。

学生時代友達からのしおりをお土産で貰った。私のしおり好きはここが原点である

とても気に入って使っていたがなくしてしまった。数年後に本の間から発掘されたが劣化してメッキがハゲてきていたので泣く泣く捨てた。

その後似たようなしおり自分でも買ったしおみやげでも貰ったのだが、どうもしっくりこない。大きさや紐の長さによって使い勝手が変わる。

のしおり

ありとあらゆる観光地で売っている薄くて細長い竹に絵が描いてあるもの。紐は2色のピロピロしたものが付いている。

ひこにゃん箱根かまぼこ柄を持っている。絵以外は全部同じ作り。

観光地土産物屋でしおりを探すと大抵これが売っている。ひとつ持っていれば充分だと思われる。

私は本から紐が長く出るのが嫌なタイプなので、文庫本には使わぬ。もっぱら漫画ハードカバーに使う。少し大きめサイズ漫画にはちょうどいい。ハードカバーは本に紐が付いているものあるので、紐があれば紐を使う。

のしおり

青森土産屋で買った。薄い木できていてリンゴの形がくりぬかれている。装飾はそれだけで木の優しさと紐の赤さが可愛いくてよい。買った当初は木のいい香りがした。

文庫本にちょうどいいサイズ

私は本を並行で数冊読むタイプで、自分の中で3番目くらいの立ち位置。3冊目にこれを使うくらいの感じ。

のしおり

高村光太郎記念館で買った。

革なので厚みがあり、挟んだまま数日放置すると跡がつかないか気になるので長期間使用や持ち歩きの本には向かない。

光の文字が箔押ししてある。

この文字は光太郎が住んでいたオンボロ小屋にある便所の扉の明かり取りとしてくり抜いたもの

便所に書かれた文字を使った珍しいしおり

華鬘しおり

中尊寺で買った。けまんという仏具?の形をしたありがたいしおり

文庫本に挟んで紐が出ないくらいの大きさ。小さめ。

紐が軟弱。仏具っぽい装飾が綺麗だが、そのぶん頼りない感じで、本から落ちやすい気がする。

仏具としても使えます、と書いてあったので仏具が欲しい人にもおすすめ

トラピスチヌ修道院で買った紙製のしおり

いい感じの紙にいい感じの言葉といい感じの花が印刷してあるものが8枚セットで売っていたので買った。

本屋でくれるしおりを太らせたくらいの大きさ。紙のしおりが好きな人には良さそう。

セット売りからかるとおり、紙のしおりは消耗品である

食品サンプルのしおり

スカイツリーなんかにある食品サンプルの店に売っている。ベーコン生ハムスライスチーズなどがある。

https://www.ganso-sample.com/item/

オリジナル小物の項目を横にピョコピョコすると見られる)

面白い可愛いけれど厚みがありでこぼこしているので実用的かと言われるとあまり……。しかしつい人に自慢したくなる一品

主張が激しく挟んだページがすぐに分かるので、例えば漫画など、すぐに続きを読む際に使うのに適している。逆に挟んだまま本棚しまう等すると跡がつくと思う。

お土産生ハムを貰って使っていた。生ハムが好きなので見ているだけで笑顔になるしおりだった。しかし紛失した。多分本に挟んだまま古本屋に売り払ってしまった。

しかったのでスカイツリーに行って焼きベーコンを買い直した。ちなみに焼いていないベーコンも売っている。

ひっかける感じの金属製や紐のブックマーカー

使ったことがない。板状のものを挟みたい派です。

凝りすぎた形、大きさが使いづらいものは持っていても使わなくなる。

色々なしおりを使って思うのは、その人の使い方や好みによっておすすめのしおりは本当に違ってくる。私は紐が出ない方が好きだけど、出る方が好きな人ももちろんいる。

自分がよく読むサイズの本を想定して、どんな使いかたをするのかをシミュレートして買うと失敗が少ない。

A5のワイドサイズ漫画なんかに使うなら大きめがいいし、文庫に使うなら文庫と同じ長さみたいなのはちょいと使いづらい。

ちょっと挟んでトイレに行くくらいなら厚いほうが挟んだページが分かりやすくて使いやすい。挟んだまま数日持ち歩くようならそんなに厚みがないほうがいい。

好きなシーンに付箋をはりつけたまま数年放置したら貼ったところがペタペタになったので、付箋を栞代わりにする場合、数日で剥がし放置はやめたほうがいい。

旅先で買うのもおすすめ。かさばるものでもないので持ち帰りがしやす自分へのお土産によい。

ちなみに文庫本の持ち歩きについて。

布製のブックカバーを買ったことがあるが、表紙を守れてもサイドがノーガードなので汚れる。鞄の中でページの間にペットボトルが挟まって開き癖がついたり、ペットボトルに付いた水滴が小口なんかについたり、あまりよくなかった。

厚みを調節できないカバーも持っていたが、表紙と裏表紙カバー差し込むのが下手くそで、やはり本を傷めた。

結局本屋で貰える紙のカバーが一番使い勝手がよい。

CDショップで貰ったフライヤーに折り線が書いてあり、そのとおりに折るとCDジャケット柄の紙の文庫カバーになるものがあって、おしゃれで気に入っていた。使い回すうちにボロになってしまったので世の中のフライヤーすべてが文庫カバー仕様になればいいのにと思っていた。

今はCDショップCDを買ったりフライヤーをもらう時代ではなくなってしまった。

本の持ち歩きには文庫ケースのようなものを使っている。

10数年くらい前に角川文庫で2冊買って応募すると文庫ポーチをが必ず送られてくるキャンペーンがあった。

文庫ぴったりサイズで上に紐が付いていて巾着みたいなものシャカシャカした素材で、生地生地の間に綿?が入っているのか、ちょっとふんわりしていて本の持ち歩きにはとても良かった。

しか10年くらい使い続けてへたってしまい、今はファスナーで閉じられる文庫カバーAmazonで600円くらいで買った)を文庫ケースがわりに使っている。カバーとしては使わず、紙のカバーをつけた本を包む道具として優秀。

角川のキャンペーンはまたやってほしいが多分普段のフェアよりお金がかかりすぎるのか、あれ以来見たことがない。

以上、ブコメでは入りきらなかったのでトラバに書きました。🔖

しおりが好きなのでブコメトラバを読むのが楽しい

2020-10-10

文庫本の値段のインフレが止まらない

最近文庫本の値段がもはやかつての文庫本ではない。

文庫本は1000円以内で買えて、1000円を超すのは大判単行本。5年前くらいまではこんな認識だった。

では、令和2年の市場に出回っている文庫本の値段はどうだろうか。

高い。いかんせん高い。1000円を優に超える“文庫本”なんでザラなのだ


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おかしい。2000円出せば文庫本を3冊買えるという感覚だったのに。今は2冊でも予算オーバーではないか

ネットで読みたい本を探し当てても、値段を見て絶望する。税込ではなく、税抜で1000円オーバーだったときのショックさは説明できない。

増税出版不況、紙の価格の高騰、電子書籍の台頭等、紙の本の価格インフレが起きる理由何となく想像できるし、本の値上がりは現在社会において不可逆的で、受け止めなければならない現実であることは分かっている。

しかし、それならばページ数と装丁の豪華さが価格と比例していない状況はどう説明すればいいのだろうか。

とある上下構成ミステリー小説書店で購入した。1冊1100円ずつ、合計2200円だった。両方とも400ページも無く、ページ数としては特別多いわけではない。

コニーウィリスの小説上下巻セットで購入したときも同じくらい取られたけれど、こちらは上巻だけで600ページ超。これだけ厚ければ仕方ないよねと諦めがつく。

ちなみに半沢直樹の1巻は同じくらいのページ数で、800円出してお釣りが返ってくる。

こうして他の本と比べると、高い買い物しちゃったなあと後悔するとともに、やり場のない怒りが込み上げてくる。

どうして、どうして(比較的)薄い本にこの値段を払わねばならないのかと。

加えて、件のミステリー小説本文の紙は、お世辞にも良質な紙とはいえなかった。読書中にシミのようなものを見つけ、自分で汚したのかと思ったら紙の汚れだった、ということが何度もあった。

そもそも文庫本って、「単行本廉価版」として売り出されているものではなかったのだろうか。

ハードカバーの本は劣化しにくく長期保管に適している。それに、なによりも本らしさを実感できるのはハードカバーだと私は思う。ハードカバーでなくても、講談社BOXやハヤカワポケミスのように変わった装丁がウリのシリーズもある。そして、単行本場所を代わりに文字が大きかったり紙が明るかったりするので、読みやすい。

今挙げたような単行本長所が発揮されない代価として、安価で買えるというのが文庫本長所ではないのか。

もはや文庫本単行本の値段に近づきつつある。ここまできたら文庫という形態にする必要がないのではと私は考える。


長くなってしまったが、紙の本が好きなので、最近の謎の価格設定に余計に納得がいかないのだ。

不平不満を言いながら割高な文庫本を購入する私のような消費者出版社にとって立派なカモなのだろうが、ここまで強気の値段を連発されると、じきに購買意欲が無くなるだろう。古本屋フリマサイトでいいやとなる(図書館は返却期限があるのでイヤ)。

お気に入りレーベルを見つける程度には現在進行形で読書に没頭しているので、出版業界は衰退して欲しくない。

から、世の中の需要喚起するためにも、私のためにも文庫本を安くしてほしい。

価格インフレメカニズム完全に理解したところで、私が本の値段を下げられるわけではないから。

安ければ違う本を何冊も買って、結局は浪費するアホな顧客のままでいるから!!

あと、文庫と銘打っているのに1500円とかいう超・強気価格設定は本当に勘弁してくれ!!!

2020-09-17

anond:20200917143254

恥ずかしながら本屋にふらっと立ち寄って購入した本は40年生きてきて4冊(雑誌除く)

Newtypeエヴァ特別号 当時エヴァにハマってて表紙がかっこよかったか

ふたりえっち単行本 当時エロに飢えてたか

プラネテス単行本 立ち読み用に用意されてたのを読み終えてめちゃくちゃ感動したか

・夏のロケット川端裕人小説) 本屋のポップでおすすめされてて面白そうだったか

 

このどれもハズレは全くなかったから満足しとる

古本屋にふらっと立ち寄って購入した本はいくらでもある)

2020-09-05

Switch 買えない / 転売諸々

なんで…? 作ってるんだよね…? 転売違法じゃないとかいうけれど、ファミコン時代の「許可していないカセット販売したら訴えるよ」って圧力の方が違法性高そうだし、なんとかなるんじゃないですかね…ならないのかな…。

オークションフリマ古本屋禁止って同人誌では見かける。もちろん法的な拘束力は無いが、例えばヤフオク転売禁止商品である旨を通報すると取引が停止される。著作権権利者の意思尊重されるように、商品だって売り手の意思尊重して欲しい。著作者人格権ならぬ、著作物再公開権とか、著作物公共性とか

自分レア酒とか買わないんで分からんが、十四代蔵元が嘆いていたのが妙に心に残っている。自分のところからは数千円の酒しか出していないのに、数十万で取引されるのが、悲しい、と。とても辛そうに。なんかもう法律どうこうよりもおじいちゃんが作ったものがおじいちゃん意図しない形で売られているのがひたすら悲しくなった。

コンサートチケット転売ときも結局法的に処置はできなくて、結局こうなった。希少な物品が高価なのは致し方ないが、公式が高くしない理由無視して高くできるのってなんなんだろう。供給を十分にすることでしか対応できず、供給するから転売からわずに待ってねって赤字出して作らなきゃいけないってなんなんだろう。

古物商が取り扱う商品を、発売後一年以上経っているものに限るとかすればすぐ収まるんじゃないの…? 本や CD はそうなっているのに。

2020-08-24

同人1年ちょいくらいやったね

ぐだぐだ自分語り

小説を描くのが好きでちょっとくらいは書けないでもないので、思い切って小説賞に応募した。轟沈2018年11月頃の話です。

鼻っ柱が天を突いてて、前年の受賞者の作品を見て読みながら「これ 勝てるんじゃね…?」とか思ってしまった〜。全然勝ててない! 今読み返すとどうして勝てそうだと思ったのかまったくわからん鼻っ柱が綺麗に折れた。

ヴォーン次何に応募しよっかな〜〜いや凹むな〜なんて思いながらTwitter巡回していたら、友人が冬コミに発行するアンソロ書き手募集していた。小説でもなんでもいいからとにかく人手が欲しい風だったので、あと好きな組み合わせでもあった、ダメなら別にお断りされてもいいかと思って、気分転換がてら手を挙げた。微妙映画見ながらネカフェ原稿してみたり、やったことないことをいくつかやった。

結果、そこそこ喜んでくれた。いやわからん相手は何かが気に食わなくてもあからさまに不満を出すような人ではないので……。人の本音を気にしすぎるとメンタルが爆発するので、割とボロの時に受け入れてくれたお礼に当日ちょっと良いプレゼントを渡したりした。本人には入れてくれたお礼兼クリスマスプレゼントです、とか言った。当日の話をするとCPの近いジャンル者ならほぼ特定できちゃうので伏せるが、面白いハプニングなんかもあって楽しかった。帰り風邪ひいた

話の流れで○○も本出そうぜ、みたいなことを言われた。この年の夏、ちょっとおかしくなるくらい好きな推しができてしまって1人だけのCPで暴れていたので、それでなんか出してみるのも悪くないな〜、と思った。この年の夏コミの申し込みセットを譲ってくれたのもその友人である

それで出たのが年明けて5月。インテです。

この時はSTARBOOKSさんに大変お世話になりました。もう本当何から何まで教えてもらって……。ホワイト印刷という概念を知らなかった。白のインクだって普通に他の色と同じように使えるもんだと思ってた。高くついた。

ミランダの黒に、同じく黒でタイトルを箔押ししただけの表紙であるホワイト印刷はR18マークに使った。勢いだなと思う

当日、机にデスノートけがまれている。ポスターはあるが、知り合いなんかいないし、誰も来ないだろうな〜と思った。作ると決めたら作るほかなく、売るときのことはあんまり考えてなかった。有名でもなんでもないし、その時売れたのは2冊。ありがとうございました。うち1冊は隣のサークルさんである。気を遣わせてしまって申し訳ない。長文感想送っときました。

しかけにくる人は結構いたな……ジャンルを知らないようで、何度か自ジャンル説明していた。聞きやすく見えたのか寂しそうに見えたのか。机の内側で、座ってダラダラ本を読んでいる時間が長かった。閑古鳥の鳴く古本屋の主人になったような気分で、目の前を通り過ぎる人を横目で眺めるだけでなんとなく楽しかった。帰る頃には3ヶ月後の夏コミが楽しみになっていた。

夏コミ。前回がデスノートだったので、ちょっくら自分で明るい表紙を描くか、と思った。こんなことを言っているが別に絵描きから転向したんでもない。まともに絵を描いていたのなんか中学生の頃までである小説は遠目じゃ書いてても誰にもバレやしないが、絵はバレる。放課後教室で「目から描いてるような人はうまくならない」「もっと毎日真剣デッサンしなきゃ描いたことにならない」等々ありがたいアドバイスをいろいろもらい、面倒くさくなった。小説は楽である。完成するまで誰にもバレない。いや本当は絵もそうなんだけど…なんか身構えちゃうんだよね なんでだろ。当時は個人サイト夢小説なんて書いていた。サイトに遊びにくる人たちは基本褒めてくれるから、楽な方に逃げてそのままなのかもしれない。

htr表紙とデスノートを並べる。まあ人の入りは大阪と似たようなもんだろと思ってタカを括っていたが、こっちは少し違った。前の冬にアンソロ寄稿をさせてくれた友人は「やっぱり一番売れるのは東京よ」なんて言っていたが、結構その通りかもしれない。

5月よりちょっとは知り合いが増えていた。これが互助会なのかはよくわからないが、Twitterちょっと喋った人と現実で話すのは楽しかった。会えて良かった〜、なんて思いながら、思い出に1冊買って回った。私の本を買ってくれた島の人たちも、近いことを少しだけ考えてくれていたら嬉しいな〜と思う。通りすがりの人がどちらもください! と言ってくれた時はちょっと踊りたくなった。踊らなかった。踊っても良かったかもれない。

1万円札を持ってきた人もいた。私の本は1冊500円なので、いい両替になる。釣り銭がなきゃ謝るだけだし、あったし、買ってくれたのは事実だし、どこにも悲しむ要素はない。

フォロワーさんも遊びに来てくれた。暇なサークルなので隣サークルの人も交えてだらだら喋ったりしていただけだが、なんか楽しそうにしてくれていたので安心した。冬は遊びに行くだけに徹しようかなと思ったが、そうもいかなかった。

あの何から何まで世話してくれてしまってる友人に、「このCP書こうぜ、表紙と挿絵描くから」と言われてしまった。2回くらいいや〜悪いしウンタラカンタラ…と断った気がする。気がつけば本文を作っていて、打ち合わせなんかしつつ全てが現実味を帯びていた。表紙挿絵合わせて6枚くらい描いてもらってるな…。今でもちょくちょく頁を捲る。今まで自分の本がそんなに売れなくてもなんとも思わなかったが、これは売れてくれ〜〜と思う……牛歩ではあるもの通販は出ている、とらのあな価格が下がるたびちょび…ちょび…と。カートにだけ入れておいて、セールになったら買ってるのだろうか? 覚えていてくれてありがとう〜。

通販の話に飛んでしまった。当日はサークルスペースを取っていなかったので、絵を描いてくれた友人のスペースに委託させてもらった。お使いしたり自分フォロワーさんとこにご挨拶に行ったり、なんだかんだと忙しく、あと普通に歩き疲れた。なんかバッグが重いな…と思ったら、未開封ストロングゼロが出てきた。前の晩に買って突っ込んで忘れたものだった。流石にコミケ会場でカシュッとやる訳にはいかないので、泣く泣く捨てた。

委託先のスペースにいると、友人のフォロワーさんが絵を描いていたりする。人が来ると売り子して、特に誰も来ない時は耳に鉛筆が紙を擦る音がさりさり入る。遠くに聞こえる人のざわめきと奇妙に響き合って面白かった。打合せにまで呼んでもらってしまい、Twitterを知ることとなった。互いにいいねをするくらいだが、それでいいか〜と思う。御縁があれば喋ることもあるでしょう。

同時進行で実は漫画を描いていた。当然ドヘタクソであるiPadクリスタダウンロードして、まずなんなんだこの用語は、というところからやっていた。先の友人とはまた違う人で、学生時代から一次創作を主戦場にしている人である。好きが高じてその一次創作オンリーを年明け1月に開くと決めたと言っていたから、ちょっと何か引っ提げて持っていくことにしたのである冬コミ原稿を早めに終えていたので、なんとか何が描いてあるかは伝わりますように……と祈った。祈ってたりなかったら、コマの中に文章を突っ込んだ。

私はおだてられると結構なんでもやってしまうので、漫画も随分褒めてもらってだいぶ調子に乗ってしまった。調子に乗った結果が8月の本につながっていく。

しかしこう書いてみると流されてばかりだ。自分意思でしっかり本を作っているつもりだったが、人におんぶにだっこですね。

1月の身内オンリーの少し前。推しジャンルオンリー開催が伝えられた。開催は2020/08/22。当時はこんなことになるとは露も思っておらず、またこジャンルオンリーをやってくれることももうないと思っていた。なのでというかなんというか、自分同人トロフィー解放も兼ねて、前々から気になっていたテーマを据えてアンソロジーを作ることにした。

私は高校時代文芸部にいた。年に何度か部員原稿を取りまとめて本を作り、大会に出ていた。別に中心人物でもなかったが、アンソロジーの作り方の概要くらいは知っているつもりでいたのだ。

対応できた部分もあったし、甘かった部分もあった。いろんな人に助けてもらいながら作った本はやっぱりきらきら光って見えた。箔も押したし。

当日は推しコス売り子さんも来てくれることになっていて、もうこのオンリー終わったら死んでもいいかもな…なんで思っていた。

コロナコロナコロナ

これでもう全部めちゃくちゃである6月くらいまでは現地に行くつもりだったが、もう諦めた。通販がメインになるのかな、壁でもなんでもないのでとんでもなくきついが。

いつかコロナが落ち着いた時、以前と同じような形でのイベントはできるんだろうか? そもそも落ち着くってなんだろう。観るつもりだった演劇が次々払戻しとなる。行き帰りの感染を警戒して自分からキャンセルする。舞台クラスターなんて単語を見た瞬間、ふーっと心が沈む心地がした。

本当は、もう少し賑やかなところに置いて、もう少し多くの人の手にとってもらえる筈だった。せめてもの罪滅ぼしに、アンソロ参加者には予定していたより多めの謝礼を出した。でも同人って別に謝礼が楽しみでやる訳じゃないんだよな…オマケが本番みたいになってしまった、ただただ申し訳ない。

1年に小説本2冊、漫画本1冊出せたらいいな〜、なんて思っていた。まあ未来は誰にもわからないものです。せっかくだし、もう1度小説賞に挑戦してみようか。どうせ遠出なんてできないし。

しかしやっぱりこう書いてみると彼女にはすごく世話になってるな。次東京に行けたら、ちょっとお酒でも奢ろうかな! と思います

おわり

2020-08-23

嫌いな男の法則

私には「絶対に合わない男の法則」があって、それは「とある男性作家が好きな男」とは全然全くこれっぽっちも理解し合えないというやつで、今んとここれが百発百中。実際は十人弱だけども。

一応毎回「今回は違うかも」という気持ちで挑むんだけど大体「無理や」ってなる。

あれはなんなの、なんで、なんでああなるの。なんで、なんで……と思いながらまあその作家名前を上げるとき皆何故か得意気なのも相まって全然好きになれない。何故ライトノベルの少し上くらいのいやライトノベル好きだけど、感覚的にそれくらいライトに読めるエンタメ作家でそこまで「読書好きなんですよね俺」って顔が出来るのかがわからん。十代かお前は。古本屋で働いてる時は良かった。そういう男がほぼいなかった。バランスのよい読書生活は大切だ。

しかし何故かその作家を好きな奴はお薦めしてくるの、止めて欲しい。読んだことあってもお薦めしてくるの。読んだってば、そんな有名な人読んでるから。そんで何故か得意気にうんちくを傾けるけど、それもう十人弱から聴いてるんだ。ていうか、普通に読んでるから、まあ私にはちょっとつまんなかったというか、合わなかったというか。って感じなんだけどやんわり言っても薦めてくる。うるさいからもう止めろお前と趣味は合わねえと思いながらにこにこしちゃうんだよね~はあ~弱さは罪。

俺流行り物とか見れないんですよ」とか馬鹿にしてくるが私は鬼滅を新連載当初から推していたしお前が知らねえ小説家を五十人は知ってる、約束する。まじその作家が好きで作家買いするのは別に悪いことじゃないけどそこで止まっちゃう人間も止まっちゃう感じがするから新しい作家チャレンジしなくちゃいけないなくらいの何か意識的な物は持って置いた方がよろしいかと思われます。言わねーが。

流れで言ってみるけどその作家推しのそういうテンプレ男さんに「漫画好きなくせにアクタージュ読んでないのはダメ」とか言われたんだけど、最近作者捕まってて「あー読んでうっかり感動とかしなくてよかった~~!!」って思った。うっかり感動しちゃったらわたしが傷つく。なんか傷つく。作品と作者は別だけど、全くの別物ではないと思うから。そういう価値観製造された物を愛さなくて本当に良かったって思いながらそいつの顔を思い出せないことに気付く。

そんでもって更新された『某作家が好きな合わない男』が直属の上司だった。

あ~~くっそ~~~~~~違って欲しかったのに嫌な勘は当たってしまった。

合わね~~つか純粋に嫌な奴~~~~~~!!嫌味っぽくて斜に構えてて変わってて尖ってる俺という演出をするが何も尖ってないし変わってもねぇのそういう決まりでもあんのかってくらい同じなのは本当になんなの~~~~~~~~~~~!!!

別に作家は嫌いじゃなかったけど、十人弱の男達のせいで着々と嫌いになりつつある。

因みに女性版だと「女性向け恋愛シミュレーションゲームが大好き過ぎる女性」とはほぼ趣味が合わない。

別に決めつけから入ってなくても「合わないな」って思ってたら……みたいなケース多過ぎな。なんなんや。お互いに歩み寄っても何処かズレてしまう。

まあ同じ鬼滅が好きでも、私は彼らの生き方や人に対する優しさが好きなのであって、キャラクター恋愛したいわけではないので、そりゃズレるんですわな。

BLEACHでもざんぱくとうの話がしたくて、チェーンソーマンだと魔人のかっこよさの話がしたくて、まあそういう事なんですね。

たぶん十人弱の男性に対してもそういう仕組みで仲良くなれないんでしょうね。

狭い部署の直属の上司だけど。

いや~~~~~~~価値観の違い。

十人十色

みんな違ってみんないい。

はぁ~~~~!!!!!!!!!!!(ため息)

2020-08-18

キドキしながら買ったもの記憶

個人経営古本屋、明らかに中学生でもエロ本売ってくれたからよかった

個人経営普通本屋バグバグパソコンパラダイス中学生でも買っていいラインっぽくてときどきドキドキしながら買ってた

ブックマーケットアイズホテル回12巻だけドキドキしながら買った

付き合って良さ付きちゃんちょっと好みじゃなかった

ショッキングボーー胃はドキドキしながら買った

高校生になって学ランでブックオフエロ本買おうとしたらさすがにレジでとめられてくっっっっっっっっっっっっっっっっっっそ恥ずかしい思いをした

anond:20200817200249

2020-07-30

実家の方では、本を手裏剣のように投げて遊ぶ習慣があった

本を水平にして、本が開く側の角に近い位置を持つ。

手首で強くスピンをかけて、手裏剣のごとく、水平方向に回転させながら投げるのだ。

野球ボールのように手首を縦に振ってスピンをつけるのは、手首の構造上、わりと楽だが、本の場合は横に振ることになるので難しい。

そのためには持ち方が重要で、手を添えるように持つのではなく、指先だけで摘まんで持つのだとよく指導された。

なるべく本の角に近い位置を持てと言われたのも、今考えれば、手首から距離を稼いでモーメントを大きくするためだったんだろう。

本の角を摘まむなんて行動は日常に無く、そのたびに指が吊りそうになるわけだが、練習すると痛みにも慣れてきた。

やがてスピンは良くかかるようになり、本の飛距離も伸びて嬉しかった。

あと、物体は上側45度方向に投げた場合が一番飛ぶと言われているが、本の場合、それだとバサッと空中で開いて落ちてしまう。

そのため、本を投げる場合は、水切りの石のように、水平に投げる方が良く飛ぶとも言われた。

から、河に行って水切りの練習もした。

徒然でなく、目的意識を持って水切りしたのは、後にも先にもあの頃だけだ。

指を吊ってまで本を投げるのに比べたら、それは授業で眠りにつくくらい、無意識簡単だった。

それゆえ、河幅はそこまで狭くなかったが、石はたびたび対岸まで跳ねてしまう。

対岸に人が居ると練習ができず、シュッシュッと口に出しながら、手首を何回も「素振り」して練習に勤しんだ。

当然、薄くて大判な本ほど、空気抵抗が弱く、回転力が増すため飛びやすい。

すると、遊びの目的はいかに厚手で小さい本を飛ばすかに移ってくる。

小さいのでいかに手早くスピンをかけるかが勝負なのだが、それにもまして、厚手になるその重量に手首が負けてしまう。

スピンでの痛みは捻るような感じなので、捻れが戻るようにそのうち消えてしまうのだが、重量による痛みはグキッと来る致命的な痛みだった。

さすがにまずいと思って重量にこだわるのはすぐ辞めたが、一度だけ、広辞苑学校体育館の向こうの壁まで飛ばしときはとても嬉しかった。

今なら、鳥人間コンテストで対岸まで届いた人を見た気分とでも言うのだろうか。。

まあ、利き手利き手首?)は1週間くらい使い物にならなくなって、ノート左手で書いたり散々だったが。

もしくは飛距離を競うこともある。

こちちは手首への負担という点では、それほど問題ないのだが、費用的な問題が壁となる。

長く飛ばしたいとなると、体育館倉庫でも借りない限り、飛ばす場所は野外になる。

(ちなみに、学校廊下は長さ的に十分だったが、他の生徒にぶつかる、蛍光灯を割るなどのイベントを経て当然禁止されていた。)

すると、本は飛ばすたびに土や泥で汚れてしまう。

ある程度の汚れだと、本のページとページがくっつくので、逆に飛距離が伸びることもある。

それを「本が締まる」と呼んだりしたわけだが、それでも表紙面に付着する泥が多くなると、真っ直ぐ飛ばなくなる。

それゆえ、本には定期的な買い替え需要が発生する。

いや、野外で飛ばす人でなくても、少しでも飛ばしやすい本を求めて本を買い漁ったりする地域性なのだ

紙飛行機感覚で本を飛ばそうとする地域性なのだ

当然、古本屋もそういう需要を見越していて、価値はわからないが、とにかく薄くて大判な本を多めに扱っていた。

それは、ブックオフで100円なのにいつまでもまれている価値薄い本とでも言えばわかってもらえるだろうか。

そういえば、古本屋でいつまで経っても同じ本が積まれているというのも、大学入学で家を出るまで知らない現象だった。

そういうわけで、飛ばして遊ぶだけの内容がわからない本が、家にはいっぱい置いてあった。

から子供の頃は、どんな家でも2種類の本棚があると思っていた。

読む用と飛ばす用と。

後者は家の外に置いておくのが普通だったが、大人になってからは、そんな習慣は世の中に無いのだと聞いて、

逆に、汚れた本まで家に持ち込むの?家の中がドロドロになるのに気にしないの?と勘違い勘違いを重ねたこともあった。

あと、地元以外の家だと、壁に本をぶつけた傷が無いことも新鮮だったな。

あれ、窓を割らないように投げるもんだから、窓と反対側の壁によく付けちゃうんだよ。

花瓶や壁掛けの絵画なんかも、実物は大人になってから初めて見た。本を投げて壊すかもしれないから、実家には無かった。

そして図書館は、飛ばすための「道具」が揃う夢の場所だったが、当然そのような行為禁止されていた。

「本を飛ばして遊ばないでください」なんて掲示が貼られていたのは、うちの地域ぐらいのものだろう。

図書館においてだけ、本は本来存在意義を保つことができたのだ。

それでも、貸出を受ければ誰も見ていない。

図書館には必ずと言っていいほど、変なページで曲がり、ホコリや泥の付いた本があった。

図書館の本がこんなにキレイ管理されてる!と知ったのは、やはり実家を出てからのこと。

そういえば、実家近くの狭い公園にも同じ掲示が貼ってあったな。

野球ボールじゃなくて、本で近所の家のガラス割るっていう経験も、子供にはよくある経験だと思っていた。

うそう、良い子は真似しないでね。

2020-07-22

anond:20200722070038

それでなにすんの?

増田必要なのは “考える力” な気がする

ここで言うところの ”考える力” は、ニュートリノが質量を持つことを明らかにしたり物理学問題に挑むとか、

さいつよのビジネスモデルを考えるとか、さいつよの投資術で億り人とか、世界バカ売れするお話を作るとかではなくて、

自分が求めているか」を理解する・しようと試みることが出来る日常能力の方ね

  

たとえばこの増田

社会人からなんでも買えるとか、知事上司とか、休みの日に専門書読んで勉強してるとか

 

オープンアクセス論文インターネットで誰でも読めるし

学外者でも大学の附属図書館論文や専門誌読めるし

そこまでガチじゃなくても、ジュンク堂学術書をメインで扱う古本屋やなどで立ち読みができるが、

増田はそれをしない。理由は単純に必要としていないからだと思うがなぜかモヤモヤするんだと

  

自分が本当に欲していることについて考える気がなさ過ぎでは???

  

自分探し(笑)  とか言ってる場合じゃない気がする

もっと自分自身に自覚的になった方がいい

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