はてなキーワード: 副菜とは
中華料理の定食とかでデザートついてるの多いけど、正直いらない。
そんなんいらんから、デザートなしで50円引きとかにしてほしい。
と常々思っていたんだなあ。と今日改めて感じたので書く。
中華レストランと呼んだ方が良いのかな、ちょっと広めな店だった。
1人なのに4人がけテーブルに案内してくれた。
セットメニューが日替わりは600円台からあって、ちょっと贅沢したいなら1300円とかのもあった。
そんな中、増田が選んだのは、中華そば、半炒飯、春巻き、サラダ、漬物
で、飲み物かデザートが選べる形式だった。税込900円くらい。
中華そばは、シンプルな醤油ラーメンて感じで、チャーシュー、ネギ、メンマが入ってて、美味しかった。
麺は中太やわめだけど、つるつる、ちょいもちっと食べ心地良く。
全然気取ってないの。親しみのある味。
長生きしてるひとの味がする。
後半は白コショーふって食べた。これもんまい、しみるー
半炒飯は、チャーハンらしからぬ黒いどんぶりのような器に入ってて
しっとりめで、炊き込みご飯?て感じだったが、これはこれで面白かった。
たまご、チャーシュー、ネギ、グリーンピースが入ってて(グリーンピース入ってるチャーハン好き◎)
トッピングにカニのほぐし身が乗ってたのも、おっ?珍しいね君。
なんて声に出さず語りかけたりして。
わしわし食べた。
テーブルに練りからしの小袋があったので付けて、途中でお酢もかけて、美味しかった。
チャーハンと一緒に食べてもあうあうー
書き忘れてた、初手サラダはベジファーストということでガガッと食べちゃったけど
増田の大好きな生トマトも大きめの1切れが乗ってて嬉しおいしかった。
太めの千切りキャベツに控えめな量のドレッシングがかかってたのも良かった。
千キャベは細切りでも多いと疲れちゃうけど、ちょうど良い量のサラダであった。
あと最初に「漬物」と書いてしまったけど、出てきたのは何やら菜っ葉と大根と人参のナムル…?
のようなものであった。
が、これも良かった。しょっぱくない。でもおいしい。
そんなこんなでメインも副菜も楽しみつくして、あーおいしかったなあ
ちょーうどいいねえ。満腹すぎず、でも満足。
と、一息ついた時、あ、忘れてた、コーヒー頼んだでたわ。
と思い出した。
店は、ランチタイムだったこともあり、ひっきりなしに客が入っては出ていく状態。
初めての店だったので、食後の飲み物は声をかけてもってきてもらう方式なのか
店側で頃合いを見計らって出してくれるのか、どうなのか…
もじもじ考えあぐねていたところ
ナイスー!
すっきりしたテーブルに、ちょこんと置かれた白いコーヒーカップとソーサー。
これここでずっと使ってるんだろうなあと感じる、ちょい古めかしい食器だったが
大切に手入れされてるっぽい好もしい姿だった。
多分コーヒーメーカーで淹れた、特にこだわってないと思われるコーヒーだったけど、
煮詰まってもなく、熱すぎず、さらっと薄めな味が、中華定食の食後にはぴったりだった。
ごちそうさまでした。
思いがけず好みの定食を食べることができた。
超絶美味!てほどではなかったが、ほっとする味の店だった。
また行きたいな。
なんならあの店でならデザートも食べてみたいと思った。
パン1個(30g程度)
キュウリ半分
ミニトマト1個
卵1個
果物少し
コーヒー1杯
平日
弁当上段
冷食肉系orソーセージ50g
弁当下段
米0.5合弱
冷蔵庫の余り物消費(肉野菜炒め/肉野菜煮込み/謎パスタ/謎おじや/謎サンドイッチ)
おやつ(体調調整)
牛乳消費レシピ(杏仁豆腐/ミルクカン/プリン/カフェオレゼリー)なし〜80g
チョコ系 なし〜20g
コーヒー1杯
夜(ノルマ)
(使う肉の選定→肉料理の選定→肉に合わせる野菜の選定→要消費食品の処遇検討→ノルマの不足を補う副菜選定→全体調整)
米0.5合強
肉(+魚)80g以上
緑担当野菜(ほうれん草/小松菜/ブロッコリー/いんげんまめ)50g〜100g
長らくセブン不買を続けてきたが、引っ越し先の最寄りのコンビニがどこも遠い。最寄りの一、二番目がセブンイレブンで、ついそこで済ましてしまう。
昔は弁当などもどのコンビニより凝っていたが、昨今はコスト削減がメインのようだ。それなのに、この小鉢の満足さは何なんだ。
売り場面積に対しては単価が高い。単体ではさほど栄養も採れないのに二、三百円する。それにしたって、最近のセブンの体たらくにしては信じられない程にうまいし種類も豊富だ。コスト面で減らしそうな薬味もちゃんと使っている。
定食のメインメニューには決してならない。あっても無くても良いような扱いの小鉢。しかし失われた家庭料理が家庭料理然としていたのはこれらの小鉢があってこそだった。そんな風にさえ思う。
副菜についてはファミマも頑張っている。チルド惣菜が売れ始めてからは、各社いろいろと出している。味に関してはローソンが群を抜いている。しかしパウチパックは皿に出して洗わなければならず、メインメニューは用意できるご家庭のもう一品という風情だ。そのスキルに基づいて盛り付け直さないといかにもパウチパックから出した風になる。
セブンの小鉢は、単品でそれなりに整っている。なんというか、料理っぽくて一品でも満足感がある。二品もあれば充分立派な食卓になる。副菜と言うより、準主菜なのだ。
報奨的役職を与えるような企業は、セブンペイの時のような自分の扱う事業が何なのかも分からず止めるべき時にも止められない、責任者なのに責を任することができない人にその役割を充てる。
これはその役職者が変わっても構造の問題なので、時々たまたまうまくいっても同じことだ。それらの構造を変えることもできず、抗議するだけの株も買えない身として、ささやかながら不買を続けていたのに。近い(他が遠い)とか、良い商品があるとか、そんなことで陥落してしまうのだなあ…。元々そんな意地に何の価値もなかったとしても…。
世の企業よ邪悪で無かれ…エンドユーザーが個人の利益で選ぶことに罪悪感を覚えない程度には…いやしかしそういうひとつひとつの行動が大事なのだ。そう思い改めようと思いつつ、コンビニ以外で食料を得るには日々疲れすぎているのだ…。
はじめに、これは母親と娘(私)の話です。ブログを書くことが本当に久しぶりなので、元々文才の無い自分が書くとさらに読みづらいと思います。すみません。
母親との関係に悩みが尽きないと感じるようになったのは、ここ最近のような気がしていた。
ずっと、"それ"は繰り返されていた。
諦めのような、虚無感を含んだったこの感情は、幼い時から繰り返し感じていた。
私は"それ"を知っていた。
いつも走っていて、時々転んでは汚れた服のまま、また駆け出しているような子だった。
あまり記憶が鮮明ではないが、おそらく仲の良い友人に彼が気になると話していたのだろう。
母は、私が彼を好きなことをいつの間にか知っているようだった。
ある日、お迎えに来た母に「〇〇くんはどの子?」と聞かれたのだ。
私は無邪気に指をさして母に教えた。
その時、左斜め下から見た母の顔を覚えている。
眉をしかめて、口を少し開けたまま、「そう。」とだけ呟いた母は、明らかに嫌悪を私に示していた。
悟った。ああ、母の機嫌を損ねてしまったと。
母の機嫌を損ねることは私にとって何よりの恐怖だった。
おそろしいことに、それは今でも。
小学生の頃、着て行く服は母が全部選んでいた。
天気、気温、行事、学校帰りの習い事。あらゆる条件をクリアする服装を毎日ぴったりと揃えて準備してくれる。
私は母の選ぶ服が好きだったし、母曰く「上品で程よくキュート」な洋服を友人に「似合っているね」と優しく声をかけられた日はとても嬉しかった。
きっと忙しい日もあったのに、毎日毎日準備をしてくれたことに感謝している。
ただ、一度私が着たいと思った服を「似合わない」と言われた時に、私はとても怖くなった。
可愛いな、と思って店内で無邪気に手にしたそのワンピースを「変よ」と一言、それだけで怖くなった。
「いいね」と言って、母もこちらに寄ってきて一緒にその服を手にしてくれると思っていた。
でも違った。
文章にしてみると、ただそれだけのことなのに、私は自分の感覚すべてが間違っている、と強く思った。
中学、高校は制服があったので母が毎日服を選んでくれる習慣は無くなったが、例えば友人と出かける時に服を選ぶと必ず私は母に「どうかな、この組み合わせ」とつとめて明るく聞いた。
「似合わない」「違うと思う」と言われたらどうしよう。
「いいと思う」と言われる日もあったし、「スカートの丈がおかしい(母は膝が見えるスカートのことをおかしいと言う)」とそっぽを向かれる日もあった。
たいていの場合、バツをつけられたアイテムはすぐに他のものに変更していたが、どうしてもそれを着たかった時、別の組み合わせでプレゼンする。
初めて言われた時、殴られた方がマシだと思った。
10代の私にとって、大きな壁を作られたような、それはそれはとても恐ろしい体験だった。
すぐにすがった。「やっぱそうだよね。どこかで見た感じをまねしたかったんだけど、違うよね」「やっぱり私センスないから、これやめるね」と。
ただ、ここで母の機嫌は元に戻らない。
もう、こちらの声は聞こえていないのだ。
ツーン、と。こちらの顔を全く見ない母の"それ"は大人になればなる程長くなる。
大人になると「もうその服は年齢的にきついと思う」とよく言われる。
気に入った服、お金を貯めてえいっと気合を入れて買った服、家族には話せていない思い出がつまった服。
みんな色がなくなったみたいにして、ゴミ袋に入っている。
私が些細と思っているだけで、母には大きな出来事かもしれないが、私にとってそれは静電気くらい、突発的にパチッと起きる。
金曜日、帰りにこれを買ってきてほしいと頼まれて、無事購入し帰宅してみると頼まれたものが冷蔵庫に入っていた。
「これ買ってきたよ?」と購入品を見せると、「たまたま出かけることになったから私が買っておいたの」と言う。
ここで、「そうなんだ。ごめん、私も買っちゃったから冷蔵庫いっぱいになっちゃうね」と謝るべきだった。
だけどその日ひどく疲れていた。
「連絡してくれたら買ってこなかったのに」と言ってしまった。
アウトだった。
この会話で、私は週末ずっと脅えながら過ごすことが決定した。
普段はテーブルにランチョンマットかお盆を置いて食べる夕飯時、私がそれらを準備する前に母はドン、と音を立てて食器を置く。
高校生の頃突然のことに驚いて何も言えず、立ち尽くす私に目もくれず、母は不機嫌をアピールするように食べ始めた。
時々、はあと大きなため息や、小さな舌打ちが聞こえる夕飯は心臓が苦しいだけだ。
「いただきます」と合掌しなさいと叱っていた子どもの前で、何も言わずに食べ始めた母は5分も立たずに完食し、「ごちそうさま」も無く、大きな音を立てて席を立ち、自分の使った食器を洗い始める。
私は一人静かに、なるべく音をたてないようにして夕飯を食べる。
こういう流れになったとき、自分で食事をつくると悪化するので、静かに皿の真ん中をみつめて、吐き気におそわれながら食べ進める。
リモコンを触ってチャンネルを変えると負けなのか、誰も見ていない番組が延々と流れる。
父の仕事の関係で、夕飯はいつも母と二人だったので夕飯時は好きなドラマや映画を見ることも多かったのに、あまり馴染みのない番組をBGMに冷たい時間が流れる。
そして、食後に甘いものを食べたり、一緒に片づけをする時間はもちろん無く、
食後に片づけを終えた後、私はすぐに歯を磨き、眠る準備を整え、頭を深く下げて「おやすみなさい」と伝えてから自室へ向かう。
しかし、いつもこう言われるのだ。
「何が?」と。
喧嘩ができない。
投げても返ってこない。
この冷戦期間、母がいるかもしれないリビングにはなかなか行くことができないので、薬が必要な時に飲めるように常備薬は自分の部屋に常に置いている。
自室へ行く前にコップかマイボトルに水を入れていくことも忘れないようにしている。
慣れてしまった気もしている。
気持ちが落ち着く香りがするものや好きな飴を自室にこっそり置いて、少しでもこの小さな部屋で快適に暮らせるように試行錯誤してきた。
でも、何度経験しても突然こちらを向いてくれない、口をへの字にした母の表情には慣れない。
おそろしいことに、アラサーになった今でもこわくてこわくて仕方がない。
こわがっていることが情けない。
でも、こわいのだ。
ずっとこわいなら、すぐに家を出ていたかもしれない。
でも気づいたら、大学も就職も県内で、はじめからそれ以外の選択肢は無かった。
母に「A大学へ行け」と言われたわけでも、「B社に就職しろ」と言われたわけではない。
それは多分、ずっとこわいわけではないからだと思う。
母はほんとうに優しい。
優しく、ときどきユーモアがあって、音楽が好きで、海外の映画が好きだ。
ごはんもとても美味しい。
私が作るごはんもすごく褒めてくれる。
働き始めて家にお金を入れる度に「自分の好きなものを買っていいのよ」と言った後、ありがとうと優しく受け取ってくれる。
優しい母が好きだ。
愛してもらった自覚がある。
あらゆるものから守ろうと、常に私のことを気にかけてくれたことに感謝している。
話は変わるが、通帳をしばらく紛失したことがあった。
仕事が忙しく、それどころではなかった時期なので、「家の中でなくしたのだからいつか出てくるだろう」としばらく放っておいた。
ある日、通帳がどうしても必要になり、家中を探した。どこにも無かった。
そんなはずはないと連日通帳を探す私を家族は心配そうに見ていた。
仕事に関して抱えている不安と、見つからないものへの不安がごちゃまぜになって、まるで狂ったかのように家中を探していた。
仕方ない、半休を取って通帳の再発行に行こうと思い、心配してくれた母にも報告した。
銀行に行き、「〇週間ほど、通帳を探したが見つからないので再発行したい」と伝えた。
対応して下さった行員の方の言葉に、私は鈍器で頭を殴られたかと思った。
おととい、つうちょうをつかっておかねをひきだされていますよ。
頭が真っ白になった。
何行かにわたって記された数字を見る。残高はほとんど無かった。
あまり覚えていないが、「勘違いかもしれない、すみません」と怪しまれる前にとにかく銀行を早く出たかった私は多分適当な言葉を並べて足早に去った。
私はまっさきに思った。
話してくれたら、いくらでも使っていいのに。
当時、あることでお金が必要だということはうっすら雰囲気で感じていた。
でも「私出すよ」と娘である私が言うと偉そうなのかもしれないと思っていたし、両親がそういうタイプの人間だと知っていたので、必要ではあるけど足りないという話はしていなかったこともあり、能天気に流してしまっていた。
いくらでも、あげる。
今までたくさんもらってきた。
私も参加させてほしい。
銀行の近くの本屋でなるべく人の少ない階の隅の椅子でこっそり泣いた。
立っていられなくなった。
あと少しで仕事に行かなければならないことと、家に帰ってどんな顔をすればいいのかわからないことで頭がぐちゃぐちゃだった。
話したらお金を出してくれない娘だと思われていたのか。
だから隠し続けたのか。
必死に探している時、不安でいっぱいな私をどういう気持ちで見ていたのか。
学生の時、同級生とのあるやりとりについて注意されてから、携帯のメールや通話履歴は見られるものだと思って使っていた。
話せないまま、外出が急に増えたことを不自然だと問い詰められる前に別れてしまう。
気になる人ができても、母に紹介する時のことをイメージしては〇か×を考えてしまう。
もう、こわい。
母ではない。
こわがっている自分がこわい。
今日も、"それ"は起きました。
来週、とても緊張することがあるから今週はとてもおだやかにすごすつもりでした。
そうしないと乗り越えられない気がしていたからです。
そのことを思うと怖くて眠れない毎日だったから、なんとか心のバランスをとって生きた今月でした。
でもだめでした。
私は家に帰り「言ってくれたらよかったのに」と言ってしまいました。
でも疲れていたのです。
言い訳かもしれませんが、ほんとうに心も体もふらふらだったのです。
ゴミ袋に入った気に入った自分の服を見て涙があふれてきたので、取り繕うこともできませんでした。
帰宅する旨の連絡をした時に返信で教えてくれたら助かりました。
もしくは「ごめんごめん」と笑って流してくれたら、もっと助かりました。
流れず、返されず、そっぽを向いて投げられたボールをずっと追いかけて走っています。
走る私の背中を監視するような目でずっと見ていますね、わかります、感じています。
だんだんと体が冷えてきました。
窓の外は本当に真っ暗で、でも部屋も真っ暗なので、まるで境がありません。
どちらが暗いのか、もうわかりません。
一番好きで美味しいと思うのは専門店で食べるキリッと冷えたザルなのだが、立ち食いも好きだし自宅で食べるのも好きだ。
自宅で食べる場合特にやる気が無い場合は、温かい蕎麦がとても良いと思う。
自分はやる気がないダメ人間なのでやる気がないかけ蕎麦を作って食べる。その紹介をしようと思ってこの記事を書いた。
量販店で売っている乾燥蕎麦を使用する。好きなものを選べばいいのだが、やる気なく、だらけて、日常食として、あるいはおやつとして食べたいので、あまり高価なものは避ける。十割とかじゃなく二八とかそれ以下でも良い。
茹でながら汁も用意する。温水器の一番熱い湯で丼を洗いながら温め、そのお湯を入れて、さらにめんつゆの元を入れて、電子レンジに入れてさらに加熱で良い。
麺つゆのもとも好きなメーカーのものでよいのだが、市販のものは甘すぎなので選ぶのに苦労するかもしれない。味噌平醸造株式会社という会社の調味のもとという醤油?麺つゆ?をおすすめしたりする。市販の安い麺つゆとちゃんぽんしたり魔改造にも使える。
十分熱くなった麺つゆin丼に、ザルにとって一応流水で締めた蕎麦をぶっこめば完成だ。まごうことなきかけ蕎麦。
冬場は美味しいが、夏場だってクーラーになれた体には、これが以外なまでにウマウマなのだ。ダメ人間にとっては十分なご飯だ。安いし早いし。
注意点は、必ず一杯のみで作ることだ(なのでこの記事は単身者向けだ)。お腹が減ってるときでも手を抜いて2倍作ろうとかしてはいけない。おかわりがしたければ、一杯食べ終わったあとにもう一度茹でろ。それだけで味が随分保持される。
さて以上で本題は終わりなのだが、ある意味ここからが本編である。
ありとあらゆる不作法が許される自宅メシ。しかも単身者の手抜きメシともなれば宇宙を震撼させるようなやんちゃが飛び出すことは必定。
このかけ蕎麦に何を入れるべきか? について以降は記す。
なんで番外かといえば我が家では常備であり、かけ蕎麦ではレギュ具材であるためだ。乾燥わかめは大さじ一杯位を茹で上がり直前の蕎麦鍋にぶっこんで、そのままザル経由で丼に入る。七味は卓上でかける。
どちらも安物でかまわないが、七味は、案外足が速いというのは覚えておくべきだろう。高級七味だが古くなってしけっているものよりも、安い七味でも新しくて封切りのもののほうが香り高い。つまり、七味は買いだめしないで、どんどん使って回転させるべきだ。
あたりまえだよな。異論のある増田はおるまい。やすいし栄養価があるし風情もあるし、格好いい。食べ方には好みがあるだろうが、半分くらいそばを食べた時点で黄身を割り味変するのが好きだ。
本来ならここではネギについて書くべきだ。小口に切ったネギはたいていの蕎麦屋でかけ蕎麦に入っているし相性抜群定番だと思う。しかし、あれってものぐさダメ人間には結構面倒なのだ……。そのうえ単身者だと分量的にももてあますし。すまない。ダメ人間ですまない。
最近では刻んだネギも売っているが、風味や値段の面でコスパがさほど高いとも感じない。そんなブラザーにおすすめなのがかいわれ大根だ。
温かいそばにかいわれ?と思う諸兄もいるだろうが、気にせずどぼんしちゃってくれ。パックで3〜40円くらいだし、根っこを切って蕎麦の上に直接onすればよい。汁で温まってもその辛さは結構健在で、ネギよりも気の利いた薬味たりうる。
ほうれん草とか小松菜。最近ではなんか小洒落たロゴで京菜なんていう新顔が親戚ヅラで売られているので、それを混ぜてやっても良い。そばを茹でているときに、根っこだけ切ってひと掴み湯にぶっこんでやれば良い。
青菜とこの項は連結である。どんな意味で連結かというと、野菜も食べなきゃ健康に悪いよね、という罪悪感に対するアンサーとして同軸上の話題だからだ。まあおおよそアリバイ以上の意味はないのだが。
さて、キャベツとアスパラも青菜とおなじく茹で蕎麦にinして丼に合流すればOKだ。注意点としては湯で時間を考えて切るサイズを変えることくらいだろうか。
かけ蕎麦に野菜を入れるのは、その分量的な意味ではあり倍以上の意味はあまりないのだが、塩分的な意味では大いにアピールポイントがある。
というのも、アスパラなりキャベツなり青菜なりを一皿料理として副菜にする場合、ドレッシングでも鰹節醤油でもそれなりの塩分が発生してしまうのだが、かけ蕎麦の具材としてinされているのならば、余計な塩分追加がないからだ。
見過ごされがちだがこれは大きな利点だと言えよう。
野菜シリーズにおける注意喚起という意味で上げるのが白菜だ。合うかと思ったら全然ダメ。水が出てしまって味がひどくぼやける。お勧めできない。
前項の塩分理論にしたがえば、しゃぶしゃぶ用の豚肉なんかもありだ。同じように茹で蕎麦と同鍋調理でよい。料理の上手なひとには、アクが出るから別鍋でとか言われると思うが、ダメ人間が手抜きをしたいのだ。50グラムくらいまでなら同じ鍋でいいよ、我が赦す。
惣菜コーナーで買ってきたコロッケを食卓でかけ蕎麦にスクランダーin。冷たいままのコロッケでも良いぞ。
この項目は本来天ぷらの地位だと思うのだが、手抜きかけ蕎麦に安い天ぷらよりも、同じ値段ならコロッケのほうが美味しいと思う。
コロッケにしろ天ぷらにしろ手作りで揚げたてを用意しようなんて真人間はこの記事の対象ではないのでマウント取らないで下しあお願いします。
熱い蕎麦汁にコロッケの衣が解けてコクが出るのは、冬蕎麦におけるひとつの正義だ。手慣れてきた諸兄は、ときに野菜コロッケ、ときにカレーコロッケなどといったさらなる不作法を繰り出しても良い。でもクリームコロッケは合わないぞ。
他にも紹介したい具材は宝竜黒蓮珠のメンバーと同じくらいひしめいているのだが、案外文字数が書けない軟弱な日記なのでここで筆を置く。増田諸兄にはおすすめの追加具材をコメントでご教授願いたい。
世界には色々な穀物があって、日本米はその一部でしかないという当然の事実。
料理に酒を合わせるように、コメにも色んな品種があって、料理に合わせて選択すべき——そもそも主食・副菜・汁物というのはひとつのスタイルにすぎない——。
そもそも多くの人は「コメは炊飯器で炊くものだ」という思い込みから逃げられない。
別に鍋でだって炊けるし、フライパンでだって炊ける。というか、適切な時間が守れていれば「炊く」必要さえない。別に煮てあとから水を捨てたっていい。
別に下味をつけるのはだしじゃなくたっていい。
ただ、我々ははなぜだか「だし=こんぶ、かつおぶし」という思い込みから逃げられない。
正当化がすぎて「だし意外にumamiはない」とか考えてる節さえある。
料理に正解も正道もない。
子供の頃や学生の頃に美味しいと思って食べてたコンビニ食やファミレス食が、気がついたらすげーグレードダウンしてたから
よくコンビニのサンドイッチの具が少ないと話題にされるが、量の問題だけじゃない
コンビニ弁当の総菜の種類は減ったし味付けも変わった
マックフライポテトの味がやみつきの塩味から塩分控えめ味に変化しジャンクフード感が減った
ファミレスのハンバーグセットはあからさまに副菜が減り肉も安っぽくなり、安っぽい見かけに相応の味になった
別に、高級な味と比較してマズいって言いたいわけじゃない。そもそも高い飯の味なんかわからん
同じコンビニとコンビニで比較して、なんか食いたい味じゃなくなった
同じファミレスとファミレスで比較して、食欲をそそるものじゃなくなった
やめられない止まらない昔のジャンクな味は消えて、ただ腹に流し込むだけの代物一歩手前の、
カップ麺食いてーとかポテチかじりてーとか、そういうのは多分塩気が欲しいのだと思う
俺はのり弁とカップヌードル醤油味の組み合わせが最高に好ましいと思っていたのたが、カップヌードルを味噌汁に置換すればもっとうまくて滋養があることに気がついた。カップヌードルは単体で食うものであって副菜として食うものではない。
お椀にほんだしか鰹節一パック入れてからお湯を注いでティースプーン一杯ぶんの味噌を溶いて入れるともう味噌汁だ。
具とかいらん。出汁と味噌の味がする熱いお湯でけっこう。お前らもやってみろ
【追記】
塩気と一緒に余計なカロリーや炭水化物とかを多かれ少なかれ摂取しちゃうカップ麺とかポテチよりかは具なし味噌汁の方がまだ安心だし満足度も得られるよねって話だよ!バカ!具があるといいのは当たり前だけど即席のもので済ますぐらいめんどくさがりなら具なしでもいいよっつってんの!
なんでそんな読解力ではてブなんてやってんだよ!
誰かのヒントになることを祈って書く。
とても長くなってしまったのだけれど、増田って下書き保存できない……よね?
よくまぁ皆さん長文をお書きになるものだ……(今回初めて使った)
25年くらい実家にいて、家事スキルはあんまりお手伝いをしない小学生くらいだった。3年前くらいに結婚して家を出た。
人がたくさんいるところに住んでいる。
一汁一菜(汁物+主菜)を基本にしてる。余力があれば、トマトや豆腐を切ったりして「副菜」と呼ぶ。
以下4つを適当に組み合わせる。主菜が適当でも、徳を積んでいる気持ちになれる。
2日分くらいまとめて作ってる。食べ終わったら冷蔵庫に入れて、一日に一回火を入れる。
皆が大好きだったやつ。
動画を見るより文字を読むほうが得意な人間には向かない(優位性がない)。
それなりに簡単に、それなりにちゃんとしたご飯を作りたいときに。
キッコーマン(https://www.kikkoman.co.jp/homecook/index.html)とか味の素(https://park.ajinomoto.co.jp/recipe/)とか。
間違いない。
アレンジまで書いてあって親切。
ニチレイ(https://www.nichireifoods.co.jp/media/freezing/)と旭化成(https://www.asahi-kasei.co.jp/saran/preservation/chart.html)を信じろ
開きっぱなしにできる装丁の初心者本があってもいいと思うけど、あまり見かけない。
https://www.sanctuarybooks.jp/book-details/cate00054/book1158.html
初級者以降なら、楽しく読めるんじゃないか(作れるとは言っていない)。
ちゃんとした料理の作り方を教えてくれる(ちゃんとしているが故に、素人には現実的じゃないところもある)。
材料をそろえてくれて、みんなとワイワイしながら、心強い先生(多くはおばちゃん)に聞きながら作れるいい場所だった。
コロナ環境下ではかなり厳しいみたい。昔通っていた教室は閉店してしまった。
時間に融通が利く人は、スーパーのセールを調べてもいいのでは。
2か月くらいチラシを眺めてると、各スーパーの得手不得手が見えて面白い。
調味料はドンキが安いことが多い(勢いだけの値札もある。要注意)。
冷凍食品じゃないけど、3割引きになった中村屋の中華まんを買ってすぐ冷凍庫に放り込んだものを冬場はずっと食べてる。
もし幸運なことに近所に魚屋・肉屋・豆腐屋があったら、ぜひそこのお惣菜を試してみてほしい。
自分は一人暮らしの期間が長く、一方で妻はずっと実家住まいだったからか、結婚して妻の料理を食べたとき、これは自分で作らないとあかんね、と思った。
これは、3品作れということではない。
肉じゃがを作るなら、3日分持つように作れ、ということ。
1日に1~2品を3日分つくり、前日と前々日に作った料理も出す。
これで毎日3~6品並ぶことになる。
毎日3~6品料理を出すテクニックがわかったが、これを続けていると、これ昨日も食べたじゃん〜っていう気持ちになることもあるかもしれない。
毎日つくる3日分の料理を、その日食べるぶん以外は冷凍しておこう。
スパゲッティとかの麺類や、天ぷらや刺し身はちょっと向かないですけど、冷凍して問題ない料理は冷凍しておこう。
そうしておくことで、どうしても料理が面倒な日のためのセーフティにもなる。
家庭料理のメンドクサポイントのなかでも、結構なウェイトを占めるのが、献立を考えること。
毎日何を作るか1から考え、その材料をスーパーに買い出しに行くのは、かなり面倒である。
なので、スーパーに行ったら、料理の材料の一部を2〜3倍の量買おう。
そうして、次の日には余っている材料で何ができるかを考えたほうが楽である。
それに、食材は多く買ったほうが安くなることが多い。
出汁は、自分で取るとお金が高く付くし面倒なので、だしの素で済ませる向きも多いと思う。
ただ、出汁の役割は、旨味を加えることだけでなく、香りを加えるところにあり、出汁の素ではその点が致命的に駄目である。
自分でとった出汁は香りが十分にあり、野菜を焼いたり揚げたり茹でたりしてぶっかけるだけで、普通にうまい。
なんなら、クックパッドの出汁の素を使用した料理などよりも、よほど本格的な感じさえ出てくる。
これも冷蔵庫に入れておけば1週間近く持つので、毎週1日だけ出汁をとり、2Lの容器に入れておけばいい。
ハインツの缶カレーはうまい。特にシェフスペシャル。これをAmazonで常備しておこう。
どうしても、やっぱり、料理が面倒くさくなったときにはためらわず開けよう。
スパゲッティは一人暮らし民にとって主食のようなものだろうから、言わずもがな。
ペペロンチーノだと物寂しいときには、ブロッコリーを1株茹でて、細く切ってオイルパスタに混ぜ込めば、相当うまいし野菜がとれる。
ツナと卵は、チャーハンに使う。土曜の昼はスパゲッティに逃げたから、日曜の昼はどうしよう…というときにでも使う。
冷凍餃子はスープに入れても美味しいし、ホント面倒なんですってときのセーフティにも使用できるし、普通にうまいから、普通に常備しよう。
自炊をするとなると最適なのは料理本を漁ること。そうすると必然的に「白飯+おかず+副菜」の組み合わせになります。
日本の食事はご飯に合うことを前提にした定食スタイル。つまりご飯がないと物足りない構図です。
自炊の際、おかずよりもこの御飯で躓く人って結構いると思うんですよね。無洗米を使ったとしても工程が一つ減るだけで、実は意外と時間がかかる調理の一つです。「研ぎ」「浸水」「炊く」「蒸らす」という工程はどれも同じ。
さらに、米の選び方、鍋や炊飯器、炊き方と組み合わせが比較的多いものです。そして日頃から食べる機会が多いため、味の違いを意識しやすいものでもあります。白米だとごまかしが難しいし。
最悪おかずだけってパターンもありですし、パックご飯やうどんにするとかもいいです。ただ、自炊の際にご飯を軽視する人って多いんですよね。
妻がそう言った。もも肉よりさっぱりしていて美味しいから作って欲しいと。
「むね肉は煮物にしても炒め物にしても子供たちが食べてくれないのでどうせから揚げにしたって食べやしないよ」
そう言いながらキッチンに向かう。
2日前に買ったむね肉を冷蔵庫から出し、少し小さめの一口大に切る。
ジップロックに醤油と酒、にんにく、しょうが、塩コショウ、ごま油を入れ、肉と一緒に揉みこむ。
180℃の油で4~5分。
濃い茶色にこんがり揚げる。
タイミングを見計らって妻がご飯とみそ汁、作り置きの副菜をテーブルに並べる。
子供たちは顔だけテレビの方を向いたまま、呼ばれてもいないのに席に付き始める。
「いただきまーす!」
一斉に箸がから揚げへ向かう。
(……「硬いー!」って不評買わないかな?)
そう思って様子をうかがっていたが、予想外に子供達からは「美味しー!!!」と高評価。
自分でも食べてみると、気になるようなモソモソした食感は無く、さっぱりしていて美味しい。
「ね?美味しいでしょ?w」
自分のから揚げにレモンを絞りながら、何故か得意げに妻が笑う。
「うーん、でも肉に対して皮の割合が足りないかなぁ……カリカリ感が足りない」「…まぁでも美味しいかな」
素直に美味しいと言えばいいのに、いつも自分の料理には一言注文を付けてしまう。
「パパー!これまた作ってねー!!」
おー、久々にリクエスト入ったw