はてなキーワード: 内向的とは
結論から述べると、マッチングアプリでは彼女を作ることはできなかった。
けれども、2年間の経験から何も学ばなかったわけではない。そのことを再確認し、次のステップに進むために本記事を書く。自分を振り返り、失敗した点を反省しながら、絶望したり自棄を起こしたりしないように、時折この記事を振り返ることとしたい。
また、これからマッチングアプリを使う人にとって、参考になることがあればうれしい。確かに、女性と交際にまでは至らなかったが、全然マッチングしなくて困っている人には、役に立つかもしれない。
pairsとwithを使用。それぞれの仕組みは基本的に同じ。検索条件で異性を絞り込み、気になる相手に「いいね!」を押す。互いに「いいね!」を押すとチャットができるようになる。どちらも、毎日ランダムに無料で「いいね!」を押せる相手が出てくる。
プランはどちらもプレミアム的なものを選択。これだと通常1か月に付与される「いいね!」が30回から50回に増える。
この二つのアプリの仕様はよく似ている。どちらもコミュニティに入ることで共通の趣味や興味関心で検索ができる。ただし、withのほうがおおよそ2週間に1度DaiGoによる心理テストがある。そして、このテストにより相性がいいとされた異性は「いいね!」を1日に10人までなら無料で押すことができる。適度に「いいね!」を押す相手が入れ替わるし、無料で選べる相手が増えるのはありがたいが、心理テストのたびにDaiGoのドヤ顔を毎回見ることになる。
pairsを半年、しばらく休んでwithを1年半使ってみた。結果、どちらが特に使いやすいということはなかった。しかし、どちらも毎日ログインすることにより無料で「いいね!」に交換できるポイントがたまっていく。普通に使っていれば毎日ログインボーナスがもらえるのでありがたいのだが、まるでアプリにこちらの行動を支配というか指示されている気がするのはいただけない。ソシャゲの類をやらないので、そうしたことが煩わしく思えてしまう。
使い勝手そのものはいいのだが、こうやって様々な条件の女性が並んでいるのは、カタログみたいで興ざめというか殺伐とした気持ちになる。それに、相手の女性が何人から「いいね!」されているかも表示されるので、野菜か何かの品評会みたいだ。18歳のビキニの女性に3000近くもの「いいね!」がついているのを見るとやりきれない思いがする。谷間を見せたりしているだけでも露骨に「いいね!」がついているのも、あまり気持ちのいいものではない。自分もおっぱい大好きだけどさ。
逆に、「いいね!」をたくさんもらっている男性のプロフィールも参考にすることができるのだけれど、僕の苦手なさわやかな人間の写真が出てきたので、即閉じた。
プロフィールはできるだけ詳細に書いた。それから、友人と楽しそうにしているところをサブ写真に選んだ。コミュニティはできるだけたくさん入った。自分は読書が好きなのだが、読書のコミュニティだけではなく、作家ごとのコミュニティにも入った。こうすることで、共通の話題の多い女性を探しやすくなった。
こちらから「いいね!」を押すのは、大体20から40くらいの「いいね!」が押されている相手を中心にした。何百もの相手から「いいね!」をされている相手からすれば、当然埋もれてしまうからだ。弾の無駄打ちはしたくなかった。確かにお金を払えば「いいね!」する回数を増やせるが、すでにプレミアムプランを使っていたので、その必要はないだろうと判断した。それに後述するが、自分は同時進行が苦手だ。
相手の女性は、自分と同じ内向的な読書家で、美術館が好きそうな人を中心に「いいね!」していったが、もしかしたら意外と相性がいいかもしれないと思い、例えば国内旅行や登山が好きな人も選んでみた。ガチ勢ではないが、友人と富士山に登ったことはあるので、新しい趣味として開拓してもいいかもしれない、と考えたのだ。結局そういう相手とは会話が続かなかったけれど。
結婚歴は未婚を選んだ。もしかしたら、離婚歴のある人のほうが優しくしてくれるかな、とも思ったのだけれど、今回はやめておいた。やっぱり過去の人と比べられてしまうのが怖い。御覧の通り、僕は器が小さい。学歴は初めのうちは気にしていなかったが、結果として高卒よりは、大卒・専門学校卒のほうが共通の話題も多く、話は長く続いた。
メッセージを同時進行するのは気が引けたが、相手もそうしているだろうし、そこは割り切ることにした。ただ、自分の頭の処理能力を考えて、3人までの同時進行とした。どのみち、同時進行でデートに誘うことができたケースは1回だけだった。自分はそこまでモテるわけではないので、そうした心配はしなくてもよかった。
会話をして1~2週間してから実際にデートに誘った。そこで音信不通になるケースもあるので、実際にデートができたのは1か月に1度か2度だ。
もともと、デートした各相手について項目を立てて論じようかと思って手帳を取り出していたのだが、馬鹿らしくなってやめた。10人以上の相手それぞれについて思い出すのも大変だし、振られた相手なのだから面白くない。それに、細かく書いていくとねちねちした恨み日記になってしまう恐れがあるので、細部は省く。
結果だけ言うと、様々なタイプの女性と会った。たいていは常識的だったが、中には残念ながら失礼な相手もいた。
ひどいケースだと、こちらを一目見るなりムスッと黙り込んで、理由もわからないまま不機嫌な相手と水族館を回る羽目になったこともあった。2回目のデートで「ごめんなさい、やっぱりあなたとは恋愛できそうにないです」と告げられたこともある。誠実な人柄を感じたので諦めもついたのだが、その直後に「あなたの顔って、面白いですね」などと言われたのには傷ついた。男性が女性に対して敬意を欠いた失礼な態度を取るのが許されないのと同様に、女性も男性の自尊心を大事にしてほしい。
まだマシなケースでは、会話が弾まなかったり、恋愛対象にはならない相手だって互いに気づいてしまったりした。でも、これはどっちも悪くない。需要と供給が一致しなかったのだ。
でも、マッチングアプリを使っているうちに、1回で終わるデートが2回目に続くことがぽつぽつと出始めた。
そこで、ある女性と3回目にデートした時に告白した。3週間連続でデートできたので、これは間違いなく行けるだろう、と思ったのだ。けれども、彼女は驚いた様子で返事を保留した。僕は待つことにした。そして、7回目のデートの後、8回目のデートのリスケジュールの途中で、彼女は音信不通になった。
さようならを言う機会さえ与えられなかったのか、と思うと吐きそうだ。悔しい。小説も漫画も音楽も趣味がぴったり合って、普段ならできないディープな話を何時間してもお互いに飽きなかったのに。
そういうこともあり、一緒に見に行った岩井俊二や三谷幸喜の映画まで嫌いになったし、彼女が好きだと言っていた東京事変の印象も悪くなってしまった。すすめてくれた「子供はわかってあげない」や「北北西に曇と往け」も背表紙が見えないように逆にして本棚に置いている。ついでに、「パラサイト」を見に行こうという話になっていたのだが中止になったので、ポン・ジュノ監督の映画はしばらく見たくないし、ついでに是枝裕和監督のことも褒めていたので、当分この監督の作品を見ることもないだろう。なんというか、自分の好きだったものまで嫌いになってしまいそうでみじめだ。しばらくすれば、またまっさらな気持ちで好きなものを好きだと思えるようになるはずなのだけれど。しばらくは映画を見たいとは思えそうにない。
きちんと「一緒に過ごして楽しかったけれど、あなたとは交際できません。ごめんなさい」の一言があれば、ずっと救われていたのに。その程度の言葉をかけるのも面倒くさかったのか。そこまで軽んじられているのかと思うと情けなくて泣きそうになる。そういえば、本名を教えてくれた時も、男性でいえば鈴木一郎みたいな感じだった。そもそも偽名だったのかもしれない。そういえば遅刻魔だったのも、僕のことなどどうでもいいと思っていたのだろうか。それとも、本当に事故にあったのであろうか。心配でならない。
こういう時に限って、過去の恋愛のみじめな失敗を思い出す。例えば、大学時代に片思いをしていた女性から童貞を馬鹿にされたこととか、前の職場の同僚の女性から面と向かって恋愛感情を見せたわけでもないのにいきなり迷惑だといわれたことだとか、告白したけれどもやっぱり保留にされて、1年以上たってから振られたこととか、とにかくみじめな失敗ばかり浮かんできて仕方がなかった。
そして、残念ながら2年間で1度も手をつなぐことができなかった。
現在、音信不通、という最悪の結果を受け入れてから2週間ほどだ。正確にはラインの返事が来なくなってから4週間、こちらからの催促のメッセージが未読のまま3週間が過ぎた。土日はジョギングをするほかは、家に引きこもって寝ているばかりだ。コロナウイルスのせいで、美術館に気晴らしに行くこともできない。仕事にも集中できない。失恋した直後は同僚のなんということのない口調に激昂しそうになった。その時は1度席を離れて6秒数える、アンガーマネジメントを試みた。しかし、腹の虫がおさまらなかったので、100まで数えることを3度やった。さすがにこれは効果があった。とはいえ、そのあと結局体調を崩して職場を2日間休んだ。
今日も最低限のパフォーマンスは確保しているが、突然襲ってくる虚無感は抑えがたい。手が止まってしまう。それでも、原因がわかっている落ち込みだから、対処の仕様はある。
いやっほーい、自由だ! これから風俗で未経験のプレイをたっぷり楽しんじゃうぞ! うひひ! みたいな気分になることもないではないが、それはちょっと躁状態のときの考えだ。本当は、自分は好きな人と手をつないでデートしたり添い寝したりしたいのだ。まるで人生の実績解除みたいに、複数プレイに興じたり、白人美少女と寝たり、メイドさんにお尻ぺんぺんしてもらったりしても、そこまでの喜びはないのだと思う。
自分は恋愛対象としては魅力的ではないのかもしれない。そのことを身をもって体感させられた。しかし、それで絶望するつもりはない。結婚相手としてなら考えてくれる人もいるかもしれないからだ。
もともと自分は結婚願望が強く、子供も欲しい。マッチングアプリからの疲れから十分に回復したら、そういう条件で折り合ってくれる人を探してみたく思う。マッチングアプリは単純に素敵な彼氏彼女を見つける場所で、僕に対する需要が少なかった可能性がある。
それに、結婚相談所にはアドバイザーがいる。なんであれ、苦手だったり詳しくなかったりする分野の出来事に立ち向かうには、専門家に相談するのがいいはずだ。病気になったら医者にかかる。進路相談には学校や塾の先生に相談する。悩んだらカウンセラーに相談する。それと同じことだ。
確かに自分の生涯にはロマンチックな出来事は少ないかもしれない。自分は高校・大学時代の甘酸っぱい恋愛にあこがれたが、失敗してきた。こういう絵にかいたような青春が欲しくて、人生をやり直したくなり、胸が苦しくなることもあるが、自分は10代、20代にそうした恋愛に挑戦し、敗れてきた。そのことは悔しいし、無力感に押しつぶされそうになることもある。恋愛を扱ったテレビを見るのも苦痛だ。元カレ・元カノという言葉を聞くだけで、複数の相手と付き合ったことがあるのだという事実を見せつけられている気がして悔しい。だが、それでもチャレンジしたことは恥じてはいない。行動せずに文句だけこぼしていたよりは、ずっとましな人生を送ってきたはずだ。
長々と読んでくれてありがとう。
つらい失恋の渦中にある人が慰められるといいと考えて執筆した。
そしてこれを読んで一歩踏み出す勇気が出る人がいたら、もっとうれしい。
これは失敗の記録だ。だが無意味ではない。
泣いたっていい。気が済んだらもう一度アタックする。
女性から断られる勇気がまた出てきたら、それは3か月後か半年後かわからないが、またチャレンジしたい。
たくさんのコメント、本当にありがとうございます。励みになりました。
ここまでコメントをともらったのが初めてで、すべてにレスポンスはできないのですが、こちらも勇気が出ました。
一言だけ。手を繋げなかったのは、相手がずっとポケットに手を突っ込んでいたからです。
Aくん、Bくん、Cくん
Dさん、Eさん、Fさん
の6人。
Aくんは真面目な性格。がんごで融通が利かないところがある。
Bくんは好ましくない人格なので、就活の時にAくんに処刑された。
同時にAくんが暗黒面に落ちて、ABくんになった。
この時ABくんほどじゃないけどEさんもBくんの要素を取り込んで、
Bくんは問題児のようでいて、Bくんが抜けた穴は割と大きい。
なんとも言えない時はすぐに引っ込んでしまう。
Eさんだけだけど、Eさんは気まぐれなので時々しか表に出ない。
Fさんは場面によってはBくん以上に問題のある人で、結構トゲがある。
CくんとDさんは気が合う。CくんとEさんは馬が合う。
AくんとFさんは仲が悪いけど、ちょっと同族嫌悪なところがある。
EさんはAくんのことを嫌ってる。Aくんはその自覚がない。
AくんとCくんは仲は悪くないけど、少し上下関係ができてる。
Dさん、Eさん、Fさんの3人の関係はまぁまぁ。
俺は幼い頃から自己主張が下手くそで、他人に歯向かうことができない内向的な性格だった。
まあ、そういう性格だったからか、案の定イジメの標的にされて、同級生からよく馬鹿にされていた。
俺が何も言い返さんから、コイツにだったら何を言っても大丈夫と思われていたんだろうな。
小学生の高学年の頃だったか、なぜか知らんけど、同級生からイタズラをされた拍子に面白いリアクションを取ってみようと思い立った。
どうしてだろうなー。イジメの標的にされているという構図を変えたかったのかもしれない。
その間に消しカス(というかほとんど消しゴムだなw)を鼻にいっぱい詰め込んで後ろを振り返ってみたら、まーそれが大層ウケた。
それから「面白い奴」と認識されるようになって、クラスの人気者グループの輪の中にも入れてもらえるようになった。
そのときの俺は、面白いことをやると、クラスのDQNたちが腹を抱えて笑ってくれたり、時には俺の言うことにも素直に従ってくれるようになったのが嬉しくてたまらなかった。
関西地方だったから、「面白い奴が偉い」という風潮もどこかにあって、俺は「面白い奴」をどんどん演じるようになっていった。
俺は私立の中高一貫の学校に進学したんだけど、そこでも面白い奴を演じていると「調子に乗ってる奴」「変な奴」と認識されるようになって、ここでもイジメられるようになった。
別に面白い奴でも何でもなくて、中身はただの陰キャだからね。そういうところも透けて見えたんだろうな。
「リアクションが面白いからちょっと弄ってやろう」とかじゃない。「こいつムカつくからイジメてやろう」だった。
年頃の中坊がやることだからイジメも結構激しくて、あいつら、通学カバンや制服をビリビリに破いたり、首を思い切り締めて落としてきたりしやがる。
財布から金を抜き取られることなんて日常茶飯事だったし、心臓を抉るような暴言や罵倒なんて毎日のように浴びた。
それでも、何か面白いリアクションを取らなきゃと思っていたんだからもう病気だよね。演技性パーソナリティ障害とかいうやつかな。
この頃、唯一仲良くしていた友人も決して対等関係なんかじゃなくて、俺がピエロを演じていたからこそ維持できていたような関係性の奴だった。
そんなことをずーっと続けているうちに、俺の精神状態はズタボロになっていたらしく、大学1回生の頃にうつ病と診断された。
そのとき、俺を担当してくださっていたお医者さんがかなり勘の鋭い人で、「ピエロを演じるのはやめなさい」と初めて言ってくれた。
情けない話だけど、そのときやっと俺は自分が無理をしていたということに気が付くことができた。
それから約10年間、俺はうつ病の治療をしながら、ありのままの自分を認めようと努力を続けた。
ピエロを演じなくても済むように。自分に嘘をつかなくても済むように。自分を傷つけなくても済むように。
その甲斐もあってか、今となってはピエロを演じることはなくなったし、うつ病もほぼ克服した。
今から振り返ると、他人のご機嫌を取るために自分を犠牲にするなんて、本当に馬鹿なことをやっていたなと思う。
やっと人間らしさを取り戻すことができたというべきか。
ただ、その一方で、人間関係に途方もない虚しさを感じるようになった。
あの頃の友人の中には、30を過ぎても未だに子どものような精神年齢の奴もいて、
久しぶりに会ったときに、そいつから度を超えた悪ふざけをされたので、
自分でも驚くほど感情的な態度で対応したことが、ここ最近2回ほどあった。
友人間でも最低限の礼儀は必要だという当たり前のことを態度で示しただけだ。
だけど、そいつから突き付けられた答えは「友人関係を切る」だった。
そいつからしたら、俺が反抗的な態度をとったことが心底気に入らなかったんだろう。
そんなこと知ったこっちゃないし、それで友人関係が終わるんだったら仕方ない。
俺もそいつとの関係性を修復したいとも思わんし、何の後腐れもない。
ただ、その一方で、「人間なんて、多かれ少なかれ、こいつとそれほど大差ない」という虚しさを覚えるようになった。
思えば、俺に近づいてきた奴は、「こいつだったらイジメられる」と思ってたような奴ばっかりで、
俺がピエロを演じていたから付き合っていただけで、素の自分を出した途端に離れていくようなクソ野郎だろ?という目でしか見れない。
中学のときに、気の迷いで信号無視しトラックに轢かれ生死の境を彷徨った。一命をとりとめ五体満足なものの、傷をおったし、妹に小さい弟を面倒見させる迷惑を長期間かけさせてしまった。
今思えば、小さいときから自閉症傾向で、頭の中がファンタジーとの区別がつかない子だった。案の定転校先でいじめられ、妹にかたみの狭い思いをさせた。こんなろくでもない私を肉親の情だけで仲良くしてくれた妹に感謝しきれない。
当時はアスペルガーやADHDと言った知識は広まっていなくて、学校も親も風変わりな生徒で片付け持て余していた。そして、人と馴染めない自分自身、幼少時は一人遊びで周囲を無視、思春期に差し掛かる転校時は周囲を強く憎み、社会人の頃には、母や妹に負い目をかけさせまいと思う気持ちで、自分を追い込んでいた。自分と基質が似ている父を憎んだことがあった。友達もいたけれど、自分より気弱や内向的な相手には高圧的で、自分より気の強い相手には下手に出るクズだった。共通して言えるのは相手を一人の人間として尊重せず興味も持たず、青春時代の暇つぶし相手としか見てこなかった。相手から離れられ、やがて自分からも離れた。かけがえのない時間を一緒に過ごすために、楽しくという気持ちがまるでなかった。
人といる時間が楽しいと思えない、だけど人といるととりあえず自分も周囲も安心する。自分が人付き合いになにを求めているかわからず場当たりに人と会う。なにが楽しいと思えるのか気持ちがついて行かないことも多かったし、その場でふさわしいふるまいを身につけることは覚えたけど、その分、強い相手にはNOと言えない性格になってしまった。相手の機嫌ありきになってしまったのだ。
立ち回る、ということだけで生きてきたから、人や物事に対しての興味なんて気が回らない。自分がどうしたいかより、どう振る舞うのが世間様的にOKかで頭が割かれ、過剰に反応するか、人の言葉を額面通りに受け取りすぎて、あとで陰口を言われるか怒られるかだった。自分のいたらなさよりも、怒られるということに過剰に反応してしまい、それを避けるために、ミス隠しもするようになった。
人としての魅力がゼロだ。
もう少し早くに自分の発達障害な特性がわかれば、少しは生きやすかったのかもしれない。だが、今以上に昔は知的なハンディに過敏に反応していたころだったから、母も当時の自分も認めたがらなかっただろう。
中学のときのあの事故は、生きづらさを感じたときの衝動的な自殺未遂だったのかもしれないと今になって思う。
今、人間関係は最小限にして、仕事も極力感情を出さない、仕事も必要以上に引き受けないようにした。ここは協力出来るけどこれ以上は無理という線引きもした。信頼出来る人物になる努力と好かれる努力は別物、どちらかといえば、後者は結果は伴わないことがよくわかった。
好かれる嫌われるに怯えた半生だった。好かれない人生に意味はないと思い、結婚までしてしまったが、パートナーが、とことんマイペース人間なので、今までの好かれなければ人生や社交的にならなければいけない人生から距離を置けてほっとしている。
自分語りごめんなさい。
単位取得して、ゼミの卒論仕上げるだけで卒業だったのに、提出日に出せなかった。すべて自己責任だと思っている。
大学で唯一仲の良かった友人は両親が蒸発して、妹を大学の、お金を捻出するために大学2年の時にやめた。大学3年になって一人で授業を受け始めた。知り合いはいたけど、一人で大学に行って、帰ってバイトだけの生活だった。元々、内向的な性格で一人でもいいと思ってたけど、いざ本当に孤独だと毎日がつまらなかった。大学に行くのが毎日辛かったけど、3年生の時は何とか単位の取得はできる分には通った。4年生になって就活が始まって、就職先は見つかった。けれど一人で就活するのは辛かったし、キャリアセンターには通ったけど、一緒に頑張れる友人がいたら、もっと頑張れたと思う。
大学4年の後期に、ゼミの教授が変わり、非常勤講師になった。ゼミの教授が、好きで入ったのに悲しかった。非常勤講師になって、順調だった論文が書けなくなった。教授に言われて何とか書いてたけど、パソコンに向かうのが苦痛であったり、メールを見るのでさえ怖くなった。講師の方は良い人で自分を心配してくれたけど、自分には合わなかったのかもしれない。
教授達の会議によって、留年は回避できるかもしれないけど、指導教員が非常勤講師のため、留年回避は難しいと思う。だぶん留年だなんだけど、留年したら学費と前期の休学費合わせて60万ほどかかる。バイトで貯めるしかないな。
全部読んでないけど車運転中の母親の様子とかまさに先日のうちと同じで驚いた
先日免許取りたてで同乗してもらったら隣で母親が「こっち」「あっち」「危ない」って金切り声で叫ぶから本当に注意削がれて交差点の真ん中で止まってしまった
それでも尚叫ぶから横道で生まれて初めて舌打ちして母親に「うるさい」って言ったらようやくちょっと静かになった
こっちあっちで言われても分からないって言ったら「左右がすぐにわからないから仕方ない」だそうだ
うちも昔から自分の気持ちを言っても丸め込まれる家庭だったから
成長して自我が強くなってくに従って家庭では喋らなくなった
幼少期は活発だったけど今は静かだから子供はどう育つか分からなくて面白いって母親は言ってる
最初は時期的なものだと分からなくて年末に退職を繰り返したりした
なんか最近は毒親とかって言葉もできたし我々はそういうのに気付く世代なんだろうなと思う
年頃って事じゃなくて新しい価値観とかモラルとかに気付く世代的な意味で
歳も同じだし
こんな風に、自己愛に乏しくて同じ様な経験してる奴なんてその辺に沢山転がってる
その悩み外交的に考えると
おわり
「だった」と言ってもまだ大学生なんだけどね。今4年生。
かなり内向的な性格をしていると思う。友達は少ないがちゃんといる。趣味もインドアだし、運動苦手で体力ない。あと陰キャ。関係ないか。twitterでたまにバズる「友達のことは好きだけど、出かけるとすごく疲れる。誰かと遊んだ後は休まないと回復できない。」系のつぶやきを見るとすごく共感する。
高校生まではバリバリ部活をしていたんだけど、大学に進学したらなんだか疲れちゃって。部活はもちろんサークルにも入っていないし、バイトもかなり少なめに入れている。勉強は割と楽しくやっていたけど、研究室に泊まるような忙しい感じではない(そもそも文系だ)。そして、友達ともほとんど出かけない。人と比べたら相当引きこもっている方だと思う。でもそれが楽しい。家でごろごろ、ネットサーフィン、時々ゲームして、空想を書き出したりした。(空想を小説にしてみようとしたけど断念した。小説を完成させるって大変だよね。)
元から空想はよくする方だった。大学に入って時間とある程度のお金が自由になってからは映画をたまに観に行くようになった(基本は1人だ)。エンディングのその後や「自分がもし○○だったら…?」「AとBが敵じゃなかったとしたら…?」なんてことをよく考える。ある時はピカチュウと冒険に行ったし、ある時はニュート・スキャマンダーの助手になった。
美術館や博物館に行けば(もちろん1人だ)、絵画が描かれた時代に思いを馳せたり、展示されている道具を実際に使っていた人たちのことを思い浮かべる。平安も縄文も明治も、フランスもアメリカもイギリスもひとっ飛びだ。
と、まぁ自分は4年間こんな感じで基本引きこもってゲームとかネットとかして、たまに出かけて(友人らのキラキラしたInstagramからは目をそらしつつ)、ごくまれに友達と出かけてそれなりに楽しくやってきたわけなんだけど…
どうやら両親がすごく心配しているらしい。どうしよう。快適なごろごろライフがやりにくくなってきた。最近何かと「○○行かない?」とか「○○ちゃんと出かけなくていいの?」とか「彼氏とか…モニョモニョ」って言われるようになった。やっぱり親としては心配なのかな?
毒親とかじゃないんだけど、求められる生活レベルが自分にとって高すぎるんじゃないかとか思いつつある。
しんどいなぁ、昔から雑誌もテレビもゲームも禁止だしお小遣いもなかった。それでもうまくやれる人はたくさんいるって言われるんだけどこの生活は内向的な性格とものすごく相性が悪かった。
話題がないから孤立する→話し方の見本になる人が親しかいない→話しかけてくれても高圧的・指示厨にしかなれない自分が嫌になる無限ループで未だに何が普通のコミュニケーションかわからん……。盛り上がりを気にしないような普通のコミュニケーションってなんだ。
そろそろ結婚しろetc言われるだろうけど何を見たらその段階だと思えるの……。理想の人生設計考えたら最適解かもしれないけどさ、過去の放物線みたらいきなりそのレベルに上がれないことくらいわかるでしょーに。自力で頑張ればふじこふじこ言われるんだけどいろんなことを知るべき時期に係数下げてた自覚がないのでなんにも言えない。
親のせいにするなってのは最もなんだけど誰もがシンデレラになれるわけじゃないし、あの親には灰被りが相応なんだよきっと。
私もフェミ臭さがある方だし増田と同世代だけど、この内容は増田の「性」に対する志向が出すぎていると感じる。大原則については私個人は同意できるし、その後もある程度は同意できる面もあるが、全然同意できないところもある。
そもそも性(ジェンダー)に対する認識は、それこそ性自認やLGBT etc.というタームも含め、個別性がきわめて強い。
「性をこういう風に捉え、このような原則に基づいて取り扱うのがよろしいのです」などと受け取られかねない「方法」に向かいやすいのはダメだと思う。性(ジェンダー)の取扱いについての原則を立てるということは、やってはダメなことだと思うのだ。「アタクシが考える良きセックスを、ワークショップでさぁ教えてあげるわよ」という上から目線な雰囲気を感じてしまう。発信側がそういうつもりはなくとも、そう受け取られる可能性がある。発信者と受信者で性志向が異なっている場合、かつ発信者がマジョリティ寄りの場合、その発信はより強く悪意をもって糾弾されると思う。それはとっても危険なことだと感じる。
更に、肉体の成長スピードも個体差がある。もっと見えにくいジェンダーへの意識も性癖も性欲の成長スピードも、その人が持つ性欲の絶対量も人によって違うのに。
セックスファンタジーのくだりあたりは特に、気持ちは分からないでもないが、正直、全然ダメだろう。
性行為を理解していない可能性が高い子供に「セックスファンタジー」と現実の線引きを理解させるのは簡単ではない。それ以前に、子供だろうが大人だろうが、性(というか他者)に関するファンタジーと現実との線引きの位置はその人によって、そして他者(相手)によって、更には二者間(または一人(オナニーのケース)あるいはそれ以上(スワッピングのケース)もありうる)の相性や関係性によって、すべて異なる。
極端な例だが、痛めつけられることを求める人と痛めつけずにはいられない人が双方合意していたら、一般的なレンジからは外れてはいるかもしれないが、双方合意のもとに行われる素晴らしいセックスだとも言える。一方が抱いているセックスファンタジーにあまり気が進まないけまぁ良いかと他方が乗ってみたらハマったというケースだってある。増田から見たら精神的な疾患や犯罪的な問題をうかがわせるような愚かな行動に見えたとしても、それがその時点でのその人の最善の選択であるケースもある、それが人間の欲望やセックスの恐ろしく、難しく、そしてとても面白いところだ。
私が、元記事のブコメを見てて確かにそうだなと思ったのは、「男はそもそも自分の性について教えてもらえず放置される」という視点だった。男性の性器が外形的に明示されやすいことと、乱暴に大っぴらにしても元気がよくて宜しいと言われやすいジェンダーを背負っていることなどもあって、結果的に男子は「自分の中に眠っているかもしれない性への感情(繊細だったり乱暴だったり内向的だったり)」を発見できていない可能性があるのでは、ということだ。そしてこれはもちろん女子にとっても同じだ。
そもそも自分と向き合うことができてない人が、どうも多いみたいなのだ。
自分が持っている肉体と向き合うこと、自分の性自認と向き合うこと。自分の体や自分の性への感情をどうやって尊重するか、同じように他人をどのように尊重するか、そういうプロセスを踏んでいく必要があるんだろうと思う。
「こういうセックスは危険なセックス」「こういうセックスは犯罪」ということを理解するためには、社会的な合意形成を理解できなくてはいけないが、この社会的合意に従えない人はいるだろう。少数派の性志向を持っているほどしんどいと思う。もちろん法律では決まってて法律違反はしちゃいかん訳だが、法律を守れない人は必ず存在するしそういう人も、法律違反した後でも生きていかなきゃいけないわけですよ、性欲の飼い慣らしかたも教えてもらえないままに。本当に簡単ではないし、簡単ではない性向の人ほど、問題や性犯罪に近くなる。それをハナから排除する可能性がある性教育の意味はゼロだろう。
教条的なのはダメだと思う。すべからく具体的で、参加する人が主体的であれるように。カリキュラム以前ではあるが…
生理と出産にまつわること、性病や望まない妊娠についての知識など、生物的な肉体としての性(sex)への理解。
ワークショップ・・・主に社会的性(gender)について、および「sex×gender」について。「人によって違う」ことを理解し尊重しあえるか
WSのシナリオは年齢とか開催主体によって考えなきゃいけない、全く持って適当だが。
LGBTやニッチな性癖や、性関係なくそもそも自尊心の欠如した子や、もちろん一般レンジに収まってるマジョリティも含めて、それぞれ全員が自分の自尊心パーセンテージを高められるようにカリキュラム設計できたら100点なんだけどね…。まぁ大変簡単なことじゃない。相手を傷つける性行為や犯罪は、根本的なところでは多分、加害者自身に自尊心が満たされていないから犯すんだろうと思うのだ。
内向的で、ネガティブで、神経質で、丁寧で、大人しく、ルールを守る
どうにも特に悪い評価に対して「彼らと我々は同じ」というところからスタートして、「ちゃんとやってない日本人が悪い」と結論づける人を見かける
「自分と皆は同じなのに、なぜ僕だけ体育が苦手なんだろう?」みたいなやつだ
全部不得手ならともかく、得手不得手があるなら、それは何らかの原因で発生した個性だ
「自分と皆は同じ」というところをスタートにすると心理的にキツイ
こういう個性を認める動きは平成に入ってから徐々に強まってきたが
集団や日本人となると、まだその個性を認めたがらない人は多いように感じる
例えば日本の殺人発生率は、現在0.24人/10万人で、戦後の最も高かった時期で1.8人/10万人だった
1.8人/10万人というのは、現代世界で110位のカナダと同じ位置だ
今は168位である
日本の犯罪率の低さは先進国だからと言う理由以外のところにあるのがわかる
算数が得意な子が算数で高い点を出すのと同じように、犯罪率の低さは日本の得意ジャンルというだけだ
これだけではなく色んな統計が日本人・韓国人(たまに中国人)が非常に近い性質を持っていると示している
スタートラインを見誤ると、「他と同じようにやってるのに何故か上手く行かない」ということで悩む
もしスタートラインが他より後ろにあるなら他以上に努力と工夫が必要だし
国際比較の統計を用いて「努力してない」と糾弾するのは一旦冷静になって分析したほうが良い
もう1年くらい悩んでいる。男性と上辺の友情ではなく本当に仲良くなったこともなく、交際経験もなく、大学生まできてしまった。大学に入ってからも、その人に会うまでは女の子としか仲良くしていなかった。とにかく男性との人付き合いの時点で慣れてない、内向的なヲタクなのだ。
私のヲタクとまではいかない趣味関係で知り合った20歳以上のその人とは、相手が私に話しかけてくれたのが最初だったけれど、気が付いたらすごく仲良くなっていた。私はLINE嫌いなはずなのに1年近く毎日LINEしてるし、よく食事に行ったり出かけたりもするし、車で遠出とかも数回している。私から誘うことは少なくて、いつも相手から声をかけてくれるのに、私がほいほい着いていってるというか。とにかく話が合って、私が今いる環境のこともよく知っている人なので、真面目なことからふざけたことまで何でも話せる。相手も半分以下の年齢の私を前に年上ぶるような人ではないし、割と私には本音で話してくれていると思う。
ここまで話すと友人には「付き合ってるじゃん」「デートでしょ」と言われるけど、お互いその気はないと信じている。所謂いい雰囲気になったことは今までないし。正直言えば私は面食いなので、今まで一緒に過ごして不快に思ったことがないし、友人としては大好きだけど、付き合うとかはないかなって思っている。
一度、いきなりプレゼントをもらったことがあって、その時には受け取ったけどとても戸惑ってしまった。なんでくれたのかと理由を聞いてしまったので、後から相談した別の知り合い男性には「流石に相手がかわいそう」と怒られた。でも本当に慣れてなくて、どうしたらいいのかわからなかった。
その少し後にはその人の誕生日がくると知った。プレゼントをもらってしまったし、いつもお世話になってるし、とちゃんとしたものを用意しなければならないと思った。ない頭を捻ったり、近い年齢の男性にアドバイスを求めたりして、結局仕事で使えそうな小物をプレゼントした。喜んでもらえて嬉しかった。でも消えものじゃないものをあげちゃったのは良かったのかなーと今でも時々思い出してしまう。
ここまで読んでいて懸命な方はお気付きかもしれないが、私はとにかく考え込むタイプである。好きな人がいた時は、付き合いたいわけでもないけれど、四六時中その人のことを考え、どうしたらその人の印象に残れるのかと思っていた。今仲良くしてる男性のことは恋愛対象ではないという割に、この1年近く常に頭の片隅にいる気がする。マメに連絡を取ってるってこともあるかもしれないが、常にあのLINEの返信でよかったのかとか、あの時のあの発言は正しかったのかとか思ってしまう。LINEでのやりとりは顔が見えない分、私にとっては疲れる。この文章で相手がどう受け取るかとか、相手から少し私を咎めるような内容がきたときに本気で怒っているのかとか、考えてしまう。相手が年上ってだけでどうしても気を遣ってる部分はあるし。相手はたぶんそんなこと気にしてないんだろうなとは思うんだけど。というか本当の意味では、相手が何を考えてるのか全然わからないんだな。私はたぶんものすごくわかりやすい人だと思われてるし、実際そうだと思うんだけど。年上男性の考えてることってわかんないよねっていうのは、高校時代に20歳くらい年上の人が好きだった時に経験した。いやその人とは何もなく、ただ綺麗な思い出だけもらった感じですけど。
なんか話がズレてきたな。とにかく、今の仲良くしてる男性との関係は友人関係なのかな。このままでいいのかな。私はこのままでいたいけれど。わかんないなあ。
ただの、ネットによくいる、自己愛性人格障害過剰警戒型。林先生のとこで調べるといいです。一見ただの内向的で大変いい人。うつ病気質。実はプライドが異様に高い、用心深いナルシストなだけ。
自分から連絡をとらないのは、単に自分のプライドが傷つかないためだけ。
この人とうっかり結婚すると、この人、あっという間にうつ病になる。自分から病院に行く。嬉々として自分から無職になる。パフォーマンスというかアピールでしか求職しなくなる。
たぶん今も薬好き。違法薬物ではなくても効果を重視する系。そのうち薬やアルコール依存症、生活習慣病になる。安易。金にもだらしない。
病院でもらった薬を飲むのは大好きだけど、自分から病気を努力したり勉強して治すことは絶対ない。治す気ない。
そのうちあなたのために主夫になるとか言い出すけど、主夫になっても家事は絶対しない。しかも散財する。隠れて自分だけ豪遊してる。
あなたの話は、聞いてるふりをするだけで、実際は誰の言うことも聞いていない。
隠し事多数。
外面を取り繕うことに全力を尽くしているだけなので、中身は空っぽ。
家族や友人の心配も当然しない。こんな利用価値のないやつでも心配する俺って素晴らしい…みたいなタイミングでしか他人のことは心配しない。そのうちあなたも気がつくと思う。
あなたのことは単に便利な人だと思ってる。見下している。
そのうち奴は、あなたみたいな、とるに足らない人間を好きな自分はなんて素晴らしいんだ…みたいなことを思いはじめる。
奴のプライドが傷つくようなこと(あなたが他の誰かと付き合うとか、あなたからマジで別れたいとか言う)があると、自分のプライドを満たすために、熱心にコンタクトとってくるようになる。ポエム混じりなメールが来る。そうなったら完全にヤバイので、今のうちにフェードアウトした方が絶対いい。
普通に激ヤバ案件ですよ、その人。たぶん一族郎党みんなおかしい。うつ病とか普通にいるけど、うつ病にしてはおかしい症状が多々あるはず。ってか関わらない方がいい。こういうのとうっかり結婚してめちゃくちゃ苦労している人がネットにはいっぱいいます。