はてなキーワード: 内向的とは
Aくん、Bくん、Cくん
Dさん、Eさん、Fさん
の6人。
Aくんは真面目な性格。がんごで融通が利かないところがある。
Bくんは好ましくない人格なので、就活の時にAくんに処刑された。
同時にAくんが暗黒面に落ちて、ABくんになった。
この時ABくんほどじゃないけどEさんもBくんの要素を取り込んで、
Bくんは問題児のようでいて、Bくんが抜けた穴は割と大きい。
なんとも言えない時はすぐに引っ込んでしまう。
Eさんだけだけど、Eさんは気まぐれなので時々しか表に出ない。
Fさんは場面によってはBくん以上に問題のある人で、結構トゲがある。
CくんとDさんは気が合う。CくんとEさんは馬が合う。
AくんとFさんは仲が悪いけど、ちょっと同族嫌悪なところがある。
EさんはAくんのことを嫌ってる。Aくんはその自覚がない。
AくんとCくんは仲は悪くないけど、少し上下関係ができてる。
Dさん、Eさん、Fさんの3人の関係はまぁまぁ。
俺は幼い頃から自己主張が下手くそで、他人に歯向かうことができない内向的な性格だった。
まあ、そういう性格だったからか、案の定イジメの標的にされて、同級生からよく馬鹿にされていた。
俺が何も言い返さんから、コイツにだったら何を言っても大丈夫と思われていたんだろうな。
小学生の高学年の頃だったか、なぜか知らんけど、同級生からイタズラをされた拍子に面白いリアクションを取ってみようと思い立った。
どうしてだろうなー。イジメの標的にされているという構図を変えたかったのかもしれない。
その間に消しカス(というかほとんど消しゴムだなw)を鼻にいっぱい詰め込んで後ろを振り返ってみたら、まーそれが大層ウケた。
それから「面白い奴」と認識されるようになって、クラスの人気者グループの輪の中にも入れてもらえるようになった。
そのときの俺は、面白いことをやると、クラスのDQNたちが腹を抱えて笑ってくれたり、時には俺の言うことにも素直に従ってくれるようになったのが嬉しくてたまらなかった。
関西地方だったから、「面白い奴が偉い」という風潮もどこかにあって、俺は「面白い奴」をどんどん演じるようになっていった。
俺は私立の中高一貫の学校に進学したんだけど、そこでも面白い奴を演じていると「調子に乗ってる奴」「変な奴」と認識されるようになって、ここでもイジメられるようになった。
別に面白い奴でも何でもなくて、中身はただの陰キャだからね。そういうところも透けて見えたんだろうな。
「リアクションが面白いからちょっと弄ってやろう」とかじゃない。「こいつムカつくからイジメてやろう」だった。
年頃の中坊がやることだからイジメも結構激しくて、あいつら、通学カバンや制服をビリビリに破いたり、首を思い切り締めて落としてきたりしやがる。
財布から金を抜き取られることなんて日常茶飯事だったし、心臓を抉るような暴言や罵倒なんて毎日のように浴びた。
それでも、何か面白いリアクションを取らなきゃと思っていたんだからもう病気だよね。演技性パーソナリティ障害とかいうやつかな。
この頃、唯一仲良くしていた友人も決して対等関係なんかじゃなくて、俺がピエロを演じていたからこそ維持できていたような関係性の奴だった。
そんなことをずーっと続けているうちに、俺の精神状態はズタボロになっていたらしく、大学1回生の頃にうつ病と診断された。
そのとき、俺を担当してくださっていたお医者さんがかなり勘の鋭い人で、「ピエロを演じるのはやめなさい」と初めて言ってくれた。
情けない話だけど、そのときやっと俺は自分が無理をしていたということに気が付くことができた。
それから約10年間、俺はうつ病の治療をしながら、ありのままの自分を認めようと努力を続けた。
ピエロを演じなくても済むように。自分に嘘をつかなくても済むように。自分を傷つけなくても済むように。
その甲斐もあってか、今となってはピエロを演じることはなくなったし、うつ病もほぼ克服した。
今から振り返ると、他人のご機嫌を取るために自分を犠牲にするなんて、本当に馬鹿なことをやっていたなと思う。
やっと人間らしさを取り戻すことができたというべきか。
ただ、その一方で、人間関係に途方もない虚しさを感じるようになった。
あの頃の友人の中には、30を過ぎても未だに子どものような精神年齢の奴もいて、
久しぶりに会ったときに、そいつから度を超えた悪ふざけをされたので、
自分でも驚くほど感情的な態度で対応したことが、ここ最近2回ほどあった。
友人間でも最低限の礼儀は必要だという当たり前のことを態度で示しただけだ。
だけど、そいつから突き付けられた答えは「友人関係を切る」だった。
そいつからしたら、俺が反抗的な態度をとったことが心底気に入らなかったんだろう。
そんなこと知ったこっちゃないし、それで友人関係が終わるんだったら仕方ない。
俺もそいつとの関係性を修復したいとも思わんし、何の後腐れもない。
ただ、その一方で、「人間なんて、多かれ少なかれ、こいつとそれほど大差ない」という虚しさを覚えるようになった。
思えば、俺に近づいてきた奴は、「こいつだったらイジメられる」と思ってたような奴ばっかりで、
俺がピエロを演じていたから付き合っていただけで、素の自分を出した途端に離れていくようなクソ野郎だろ?という目でしか見れない。
中学のときに、気の迷いで信号無視しトラックに轢かれ生死の境を彷徨った。一命をとりとめ五体満足なものの、傷をおったし、妹に小さい弟を面倒見させる迷惑を長期間かけさせてしまった。
今思えば、小さいときから自閉症傾向で、頭の中がファンタジーとの区別がつかない子だった。案の定転校先でいじめられ、妹にかたみの狭い思いをさせた。こんなろくでもない私を肉親の情だけで仲良くしてくれた妹に感謝しきれない。
当時はアスペルガーやADHDと言った知識は広まっていなくて、学校も親も風変わりな生徒で片付け持て余していた。そして、人と馴染めない自分自身、幼少時は一人遊びで周囲を無視、思春期に差し掛かる転校時は周囲を強く憎み、社会人の頃には、母や妹に負い目をかけさせまいと思う気持ちで、自分を追い込んでいた。自分と基質が似ている父を憎んだことがあった。友達もいたけれど、自分より気弱や内向的な相手には高圧的で、自分より気の強い相手には下手に出るクズだった。共通して言えるのは相手を一人の人間として尊重せず興味も持たず、青春時代の暇つぶし相手としか見てこなかった。相手から離れられ、やがて自分からも離れた。かけがえのない時間を一緒に過ごすために、楽しくという気持ちがまるでなかった。
人といる時間が楽しいと思えない、だけど人といるととりあえず自分も周囲も安心する。自分が人付き合いになにを求めているかわからず場当たりに人と会う。なにが楽しいと思えるのか気持ちがついて行かないことも多かったし、その場でふさわしいふるまいを身につけることは覚えたけど、その分、強い相手にはNOと言えない性格になってしまった。相手の機嫌ありきになってしまったのだ。
立ち回る、ということだけで生きてきたから、人や物事に対しての興味なんて気が回らない。自分がどうしたいかより、どう振る舞うのが世間様的にOKかで頭が割かれ、過剰に反応するか、人の言葉を額面通りに受け取りすぎて、あとで陰口を言われるか怒られるかだった。自分のいたらなさよりも、怒られるということに過剰に反応してしまい、それを避けるために、ミス隠しもするようになった。
人としての魅力がゼロだ。
もう少し早くに自分の発達障害な特性がわかれば、少しは生きやすかったのかもしれない。だが、今以上に昔は知的なハンディに過敏に反応していたころだったから、母も当時の自分も認めたがらなかっただろう。
中学のときのあの事故は、生きづらさを感じたときの衝動的な自殺未遂だったのかもしれないと今になって思う。
今、人間関係は最小限にして、仕事も極力感情を出さない、仕事も必要以上に引き受けないようにした。ここは協力出来るけどこれ以上は無理という線引きもした。信頼出来る人物になる努力と好かれる努力は別物、どちらかといえば、後者は結果は伴わないことがよくわかった。
好かれる嫌われるに怯えた半生だった。好かれない人生に意味はないと思い、結婚までしてしまったが、パートナーが、とことんマイペース人間なので、今までの好かれなければ人生や社交的にならなければいけない人生から距離を置けてほっとしている。
自分語りごめんなさい。
単位取得して、ゼミの卒論仕上げるだけで卒業だったのに、提出日に出せなかった。すべて自己責任だと思っている。
大学で唯一仲の良かった友人は両親が蒸発して、妹を大学の、お金を捻出するために大学2年の時にやめた。大学3年になって一人で授業を受け始めた。知り合いはいたけど、一人で大学に行って、帰ってバイトだけの生活だった。元々、内向的な性格で一人でもいいと思ってたけど、いざ本当に孤独だと毎日がつまらなかった。大学に行くのが毎日辛かったけど、3年生の時は何とか単位の取得はできる分には通った。4年生になって就活が始まって、就職先は見つかった。けれど一人で就活するのは辛かったし、キャリアセンターには通ったけど、一緒に頑張れる友人がいたら、もっと頑張れたと思う。
大学4年の後期に、ゼミの教授が変わり、非常勤講師になった。ゼミの教授が、好きで入ったのに悲しかった。非常勤講師になって、順調だった論文が書けなくなった。教授に言われて何とか書いてたけど、パソコンに向かうのが苦痛であったり、メールを見るのでさえ怖くなった。講師の方は良い人で自分を心配してくれたけど、自分には合わなかったのかもしれない。
教授達の会議によって、留年は回避できるかもしれないけど、指導教員が非常勤講師のため、留年回避は難しいと思う。だぶん留年だなんだけど、留年したら学費と前期の休学費合わせて60万ほどかかる。バイトで貯めるしかないな。
全部読んでないけど車運転中の母親の様子とかまさに先日のうちと同じで驚いた
先日免許取りたてで同乗してもらったら隣で母親が「こっち」「あっち」「危ない」って金切り声で叫ぶから本当に注意削がれて交差点の真ん中で止まってしまった
それでも尚叫ぶから横道で生まれて初めて舌打ちして母親に「うるさい」って言ったらようやくちょっと静かになった
こっちあっちで言われても分からないって言ったら「左右がすぐにわからないから仕方ない」だそうだ
うちも昔から自分の気持ちを言っても丸め込まれる家庭だったから
成長して自我が強くなってくに従って家庭では喋らなくなった
幼少期は活発だったけど今は静かだから子供はどう育つか分からなくて面白いって母親は言ってる
最初は時期的なものだと分からなくて年末に退職を繰り返したりした
なんか最近は毒親とかって言葉もできたし我々はそういうのに気付く世代なんだろうなと思う
年頃って事じゃなくて新しい価値観とかモラルとかに気付く世代的な意味で
歳も同じだし
こんな風に、自己愛に乏しくて同じ様な経験してる奴なんてその辺に沢山転がってる
その悩み外交的に考えると
おわり
「だった」と言ってもまだ大学生なんだけどね。今4年生。
かなり内向的な性格をしていると思う。友達は少ないがちゃんといる。趣味もインドアだし、運動苦手で体力ない。あと陰キャ。関係ないか。twitterでたまにバズる「友達のことは好きだけど、出かけるとすごく疲れる。誰かと遊んだ後は休まないと回復できない。」系のつぶやきを見るとすごく共感する。
高校生まではバリバリ部活をしていたんだけど、大学に進学したらなんだか疲れちゃって。部活はもちろんサークルにも入っていないし、バイトもかなり少なめに入れている。勉強は割と楽しくやっていたけど、研究室に泊まるような忙しい感じではない(そもそも文系だ)。そして、友達ともほとんど出かけない。人と比べたら相当引きこもっている方だと思う。でもそれが楽しい。家でごろごろ、ネットサーフィン、時々ゲームして、空想を書き出したりした。(空想を小説にしてみようとしたけど断念した。小説を完成させるって大変だよね。)
元から空想はよくする方だった。大学に入って時間とある程度のお金が自由になってからは映画をたまに観に行くようになった(基本は1人だ)。エンディングのその後や「自分がもし○○だったら…?」「AとBが敵じゃなかったとしたら…?」なんてことをよく考える。ある時はピカチュウと冒険に行ったし、ある時はニュート・スキャマンダーの助手になった。
美術館や博物館に行けば(もちろん1人だ)、絵画が描かれた時代に思いを馳せたり、展示されている道具を実際に使っていた人たちのことを思い浮かべる。平安も縄文も明治も、フランスもアメリカもイギリスもひとっ飛びだ。
と、まぁ自分は4年間こんな感じで基本引きこもってゲームとかネットとかして、たまに出かけて(友人らのキラキラしたInstagramからは目をそらしつつ)、ごくまれに友達と出かけてそれなりに楽しくやってきたわけなんだけど…
どうやら両親がすごく心配しているらしい。どうしよう。快適なごろごろライフがやりにくくなってきた。最近何かと「○○行かない?」とか「○○ちゃんと出かけなくていいの?」とか「彼氏とか…モニョモニョ」って言われるようになった。やっぱり親としては心配なのかな?
毒親とかじゃないんだけど、求められる生活レベルが自分にとって高すぎるんじゃないかとか思いつつある。
しんどいなぁ、昔から雑誌もテレビもゲームも禁止だしお小遣いもなかった。それでもうまくやれる人はたくさんいるって言われるんだけどこの生活は内向的な性格とものすごく相性が悪かった。
話題がないから孤立する→話し方の見本になる人が親しかいない→話しかけてくれても高圧的・指示厨にしかなれない自分が嫌になる無限ループで未だに何が普通のコミュニケーションかわからん……。盛り上がりを気にしないような普通のコミュニケーションってなんだ。
そろそろ結婚しろetc言われるだろうけど何を見たらその段階だと思えるの……。理想の人生設計考えたら最適解かもしれないけどさ、過去の放物線みたらいきなりそのレベルに上がれないことくらいわかるでしょーに。自力で頑張ればふじこふじこ言われるんだけどいろんなことを知るべき時期に係数下げてた自覚がないのでなんにも言えない。
親のせいにするなってのは最もなんだけど誰もがシンデレラになれるわけじゃないし、あの親には灰被りが相応なんだよきっと。
私もフェミ臭さがある方だし増田と同世代だけど、この内容は増田の「性」に対する志向が出すぎていると感じる。大原則については私個人は同意できるし、その後もある程度は同意できる面もあるが、全然同意できないところもある。
そもそも性(ジェンダー)に対する認識は、それこそ性自認やLGBT etc.というタームも含め、個別性がきわめて強い。
「性をこういう風に捉え、このような原則に基づいて取り扱うのがよろしいのです」などと受け取られかねない「方法」に向かいやすいのはダメだと思う。性(ジェンダー)の取扱いについての原則を立てるということは、やってはダメなことだと思うのだ。「アタクシが考える良きセックスを、ワークショップでさぁ教えてあげるわよ」という上から目線な雰囲気を感じてしまう。発信側がそういうつもりはなくとも、そう受け取られる可能性がある。発信者と受信者で性志向が異なっている場合、かつ発信者がマジョリティ寄りの場合、その発信はより強く悪意をもって糾弾されると思う。それはとっても危険なことだと感じる。
更に、肉体の成長スピードも個体差がある。もっと見えにくいジェンダーへの意識も性癖も性欲の成長スピードも、その人が持つ性欲の絶対量も人によって違うのに。
セックスファンタジーのくだりあたりは特に、気持ちは分からないでもないが、正直、全然ダメだろう。
性行為を理解していない可能性が高い子供に「セックスファンタジー」と現実の線引きを理解させるのは簡単ではない。それ以前に、子供だろうが大人だろうが、性(というか他者)に関するファンタジーと現実との線引きの位置はその人によって、そして他者(相手)によって、更には二者間(または一人(オナニーのケース)あるいはそれ以上(スワッピングのケース)もありうる)の相性や関係性によって、すべて異なる。
極端な例だが、痛めつけられることを求める人と痛めつけずにはいられない人が双方合意していたら、一般的なレンジからは外れてはいるかもしれないが、双方合意のもとに行われる素晴らしいセックスだとも言える。一方が抱いているセックスファンタジーにあまり気が進まないけまぁ良いかと他方が乗ってみたらハマったというケースだってある。増田から見たら精神的な疾患や犯罪的な問題をうかがわせるような愚かな行動に見えたとしても、それがその時点でのその人の最善の選択であるケースもある、それが人間の欲望やセックスの恐ろしく、難しく、そしてとても面白いところだ。
私が、元記事のブコメを見てて確かにそうだなと思ったのは、「男はそもそも自分の性について教えてもらえず放置される」という視点だった。男性の性器が外形的に明示されやすいことと、乱暴に大っぴらにしても元気がよくて宜しいと言われやすいジェンダーを背負っていることなどもあって、結果的に男子は「自分の中に眠っているかもしれない性への感情(繊細だったり乱暴だったり内向的だったり)」を発見できていない可能性があるのでは、ということだ。そしてこれはもちろん女子にとっても同じだ。
そもそも自分と向き合うことができてない人が、どうも多いみたいなのだ。
自分が持っている肉体と向き合うこと、自分の性自認と向き合うこと。自分の体や自分の性への感情をどうやって尊重するか、同じように他人をどのように尊重するか、そういうプロセスを踏んでいく必要があるんだろうと思う。
「こういうセックスは危険なセックス」「こういうセックスは犯罪」ということを理解するためには、社会的な合意形成を理解できなくてはいけないが、この社会的合意に従えない人はいるだろう。少数派の性志向を持っているほどしんどいと思う。もちろん法律では決まってて法律違反はしちゃいかん訳だが、法律を守れない人は必ず存在するしそういう人も、法律違反した後でも生きていかなきゃいけないわけですよ、性欲の飼い慣らしかたも教えてもらえないままに。本当に簡単ではないし、簡単ではない性向の人ほど、問題や性犯罪に近くなる。それをハナから排除する可能性がある性教育の意味はゼロだろう。
教条的なのはダメだと思う。すべからく具体的で、参加する人が主体的であれるように。カリキュラム以前ではあるが…
生理と出産にまつわること、性病や望まない妊娠についての知識など、生物的な肉体としての性(sex)への理解。
ワークショップ・・・主に社会的性(gender)について、および「sex×gender」について。「人によって違う」ことを理解し尊重しあえるか
WSのシナリオは年齢とか開催主体によって考えなきゃいけない、全く持って適当だが。
LGBTやニッチな性癖や、性関係なくそもそも自尊心の欠如した子や、もちろん一般レンジに収まってるマジョリティも含めて、それぞれ全員が自分の自尊心パーセンテージを高められるようにカリキュラム設計できたら100点なんだけどね…。まぁ大変簡単なことじゃない。相手を傷つける性行為や犯罪は、根本的なところでは多分、加害者自身に自尊心が満たされていないから犯すんだろうと思うのだ。
内向的で、ネガティブで、神経質で、丁寧で、大人しく、ルールを守る
どうにも特に悪い評価に対して「彼らと我々は同じ」というところからスタートして、「ちゃんとやってない日本人が悪い」と結論づける人を見かける
「自分と皆は同じなのに、なぜ僕だけ体育が苦手なんだろう?」みたいなやつだ
全部不得手ならともかく、得手不得手があるなら、それは何らかの原因で発生した個性だ
「自分と皆は同じ」というところをスタートにすると心理的にキツイ
こういう個性を認める動きは平成に入ってから徐々に強まってきたが
集団や日本人となると、まだその個性を認めたがらない人は多いように感じる
例えば日本の殺人発生率は、現在0.24人/10万人で、戦後の最も高かった時期で1.8人/10万人だった
1.8人/10万人というのは、現代世界で110位のカナダと同じ位置だ
今は168位である
日本の犯罪率の低さは先進国だからと言う理由以外のところにあるのがわかる
算数が得意な子が算数で高い点を出すのと同じように、犯罪率の低さは日本の得意ジャンルというだけだ
これだけではなく色んな統計が日本人・韓国人(たまに中国人)が非常に近い性質を持っていると示している
スタートラインを見誤ると、「他と同じようにやってるのに何故か上手く行かない」ということで悩む
もしスタートラインが他より後ろにあるなら他以上に努力と工夫が必要だし
国際比較の統計を用いて「努力してない」と糾弾するのは一旦冷静になって分析したほうが良い
もう1年くらい悩んでいる。男性と上辺の友情ではなく本当に仲良くなったこともなく、交際経験もなく、大学生まできてしまった。大学に入ってからも、その人に会うまでは女の子としか仲良くしていなかった。とにかく男性との人付き合いの時点で慣れてない、内向的なヲタクなのだ。
私のヲタクとまではいかない趣味関係で知り合った20歳以上のその人とは、相手が私に話しかけてくれたのが最初だったけれど、気が付いたらすごく仲良くなっていた。私はLINE嫌いなはずなのに1年近く毎日LINEしてるし、よく食事に行ったり出かけたりもするし、車で遠出とかも数回している。私から誘うことは少なくて、いつも相手から声をかけてくれるのに、私がほいほい着いていってるというか。とにかく話が合って、私が今いる環境のこともよく知っている人なので、真面目なことからふざけたことまで何でも話せる。相手も半分以下の年齢の私を前に年上ぶるような人ではないし、割と私には本音で話してくれていると思う。
ここまで話すと友人には「付き合ってるじゃん」「デートでしょ」と言われるけど、お互いその気はないと信じている。所謂いい雰囲気になったことは今までないし。正直言えば私は面食いなので、今まで一緒に過ごして不快に思ったことがないし、友人としては大好きだけど、付き合うとかはないかなって思っている。
一度、いきなりプレゼントをもらったことがあって、その時には受け取ったけどとても戸惑ってしまった。なんでくれたのかと理由を聞いてしまったので、後から相談した別の知り合い男性には「流石に相手がかわいそう」と怒られた。でも本当に慣れてなくて、どうしたらいいのかわからなかった。
その少し後にはその人の誕生日がくると知った。プレゼントをもらってしまったし、いつもお世話になってるし、とちゃんとしたものを用意しなければならないと思った。ない頭を捻ったり、近い年齢の男性にアドバイスを求めたりして、結局仕事で使えそうな小物をプレゼントした。喜んでもらえて嬉しかった。でも消えものじゃないものをあげちゃったのは良かったのかなーと今でも時々思い出してしまう。
ここまで読んでいて懸命な方はお気付きかもしれないが、私はとにかく考え込むタイプである。好きな人がいた時は、付き合いたいわけでもないけれど、四六時中その人のことを考え、どうしたらその人の印象に残れるのかと思っていた。今仲良くしてる男性のことは恋愛対象ではないという割に、この1年近く常に頭の片隅にいる気がする。マメに連絡を取ってるってこともあるかもしれないが、常にあのLINEの返信でよかったのかとか、あの時のあの発言は正しかったのかとか思ってしまう。LINEでのやりとりは顔が見えない分、私にとっては疲れる。この文章で相手がどう受け取るかとか、相手から少し私を咎めるような内容がきたときに本気で怒っているのかとか、考えてしまう。相手が年上ってだけでどうしても気を遣ってる部分はあるし。相手はたぶんそんなこと気にしてないんだろうなとは思うんだけど。というか本当の意味では、相手が何を考えてるのか全然わからないんだな。私はたぶんものすごくわかりやすい人だと思われてるし、実際そうだと思うんだけど。年上男性の考えてることってわかんないよねっていうのは、高校時代に20歳くらい年上の人が好きだった時に経験した。いやその人とは何もなく、ただ綺麗な思い出だけもらった感じですけど。
なんか話がズレてきたな。とにかく、今の仲良くしてる男性との関係は友人関係なのかな。このままでいいのかな。私はこのままでいたいけれど。わかんないなあ。
ただの、ネットによくいる、自己愛性人格障害過剰警戒型。林先生のとこで調べるといいです。一見ただの内向的で大変いい人。うつ病気質。実はプライドが異様に高い、用心深いナルシストなだけ。
自分から連絡をとらないのは、単に自分のプライドが傷つかないためだけ。
この人とうっかり結婚すると、この人、あっという間にうつ病になる。自分から病院に行く。嬉々として自分から無職になる。パフォーマンスというかアピールでしか求職しなくなる。
たぶん今も薬好き。違法薬物ではなくても効果を重視する系。そのうち薬やアルコール依存症、生活習慣病になる。安易。金にもだらしない。
病院でもらった薬を飲むのは大好きだけど、自分から病気を努力したり勉強して治すことは絶対ない。治す気ない。
そのうちあなたのために主夫になるとか言い出すけど、主夫になっても家事は絶対しない。しかも散財する。隠れて自分だけ豪遊してる。
あなたの話は、聞いてるふりをするだけで、実際は誰の言うことも聞いていない。
隠し事多数。
外面を取り繕うことに全力を尽くしているだけなので、中身は空っぽ。
家族や友人の心配も当然しない。こんな利用価値のないやつでも心配する俺って素晴らしい…みたいなタイミングでしか他人のことは心配しない。そのうちあなたも気がつくと思う。
あなたのことは単に便利な人だと思ってる。見下している。
そのうち奴は、あなたみたいな、とるに足らない人間を好きな自分はなんて素晴らしいんだ…みたいなことを思いはじめる。
奴のプライドが傷つくようなこと(あなたが他の誰かと付き合うとか、あなたからマジで別れたいとか言う)があると、自分のプライドを満たすために、熱心にコンタクトとってくるようになる。ポエム混じりなメールが来る。そうなったら完全にヤバイので、今のうちにフェードアウトした方が絶対いい。
普通に激ヤバ案件ですよ、その人。たぶん一族郎党みんなおかしい。うつ病とか普通にいるけど、うつ病にしてはおかしい症状が多々あるはず。ってか関わらない方がいい。こういうのとうっかり結婚してめちゃくちゃ苦労している人がネットにはいっぱいいます。
あまりに長かった2週間オナ禁のフィナーレにふさわしい風俗を探している。
何気なく探していたら、正直引くレベルの長文で写メ日記を毎回書いているお嬢を見つけてしまった。
これは、面白い。
お嬢がどういう境遇なのかどのような人なのかザーっと書いてある。
これ全部の情報を合わせたら結構簡単に身バレするんじゃないかというレベルだ。
だから、こんなものは全部設定なのだろう。そして、何が空想で何が本当なのかということなんて会ってもわからないんだ。
それでも何が心をひきつける文章がある。どの文章も内省的で内向的な性格がビンビン伝わってくる気がすることだ。
いつも思うのだが、風俗嬢一般のあの明け透けでアッパーな感じが好きではない。私は暗く内省的だからだ。
ひょっとすると、この長文お嬢はいつもの風俗嬢とは一線を画す興味深いひとなのではないか。
だが、これでいいのかという迷いがある。こんなに露骨にヤバそうなお嬢に会って、よいものか。