はてなキーワード: 入院とは
ほんとマジで世話になったんでぶっ壊れちゃったあとは出来ることはなるべくお手伝いしてたんだけどもう嫌になってしまった。
病院を退院して以来ぜんぜん連絡無いから心配で電話したらまぁ話せる程度ではあって、翌日飯でも食べましょってことになって当日。30分遅れるらしい。
まぁよくある。いつものよーにぶらついて待つ。
30分後、待っても来ない。寒いし腹が減ってきた。なんか食べたいけどこれから食うしやめといた。
LINEしたら「もうすぐそこにいる」って帰ってきたけど来ない。
結局もう30分、当初の予定の1時間後にすげえ具合悪そうな感じでやってきた。
「キャンセルしてくれてよかったんですよ」って言ったら「市役所行かなきゃいけないんだ」って返ってきた。付き添ってほしいらしい。
空腹と寒さって良くないな。
飯食うから腹減ってても食わずに待ってたり、そのあいだ酒置いてなさそうな店を改めて調べたり、どこになったとしても行くのに居酒屋の前通らなくていい道を考えたり、負担にならないような話題考えたり、そういうの全部無駄でさ、用途が済めばよかったんだろな。
じゃあ先に言っとけよ。飯食ってるからさ。
そういえば前回別で入院したときも、退院時になんか意味もなくどうしてもつって呼ばれたから行ったら急に入院費貸してくれっつって12万。でけぇよ。
先に言えや。
使えればいい道具だったんだろうな。
尊敬する上司だった。彼がいなければもうどっか違うとこにいたはず。部下を気持ちよく仕事させるの天才的だった。
ほんとに世話になったからできることはしたいけどもう今は無理かもな。お金返してもらって知らない人になりたい。
とまではいかないけどさ、しばらくは思い出したくない
金や人脈があればと本当に思う。
例えば親兄弟が入院したときの費用がパッと出せなかったり、面会ができるよう個室とかを取ってあげられなかったりとか、
急な結婚式に参加するための交通費やら御祝儀を出すと生活できなくなってしまうので、なくなく欠席するとか、本当にそんなことばっかりだ。
そんな感じだから当然他人と暮らすことや結婚なんか異次元の話のように思える。
新卒で就職するのが失敗したり、誇れるような職歴を辿ってこれなかったりするだけで、こんなに人生きついのか。
人生すら頑張れないやつはこんなにもだめなのか。自分の至らなさが悔しい。
すべての人にごめんなさい。
なんか書いたけどクソ長いから外国の精神科措置病棟が気になるやつは下までスクロールしてくれ。
お前らは精神科に入院したことはあるか?俺は一回もなかった。でも精神科/心療内科に通院はしてた。俺はADHDだから、毎日ストラテラを飲まないと仕事にならない。ストラテラは処方薬だから医者に行かねば貰えない。毎回医院に行って1分話して処方箋貰って金払うだけ。
ある時、俺は海外に一身上の都合で引っ越した。医療制度というのは国毎に大幅な差異がある。引っ越した先の国では生憎ストラテラは18歳以下のみの保険適用だった。やっとのことで見つけたクリニックの先生は、ビバンセを勧めてきた。言うには最新の作用機序でリタリンよりODの不安もない。そして保険適用。かつてコンサータがまるで駄目な方にしか効かなくて3日でやめた記憶もあったものの、軽い気持ちでスイッチしてしまった。
ADHDにはニ種類の薬がある、と俺は思ってる。集中力を高める薬と、気が逸れにくくする薬である。似たような響きだがまるで逆だ。後者が俺の相棒であるストラテラ、前者はコンサータ(どちらも先発名)。コンサータは薬というと聞こえはいいが、どちらかといえばヤクと読むべき、ほぼ覚醒剤である。もちろん患者が薬物依存になるとまずいので、徐放剤といってガツンとキメないように調整はされている。先生の勧めてきたビバンセもこの覚醒剤サイドで、違いといえば覚醒剤原料が体内で覚醒剤に変わるというところである。ビタミンAじゃなくてカロチンなのかくらいに俺は認識していた。間違ってたら教えて。
そうして薬をビバンセに変えたら途端に寝れなくなった。初日なんて考えてるだけで夜が明けた。今思えば当たり前で、覚醒剤なんだから眠れなくなるのは当然だ。でも俺は一日の睡眠が減っても活動できると喜んでいた。季節は夏。高緯度の日照も相まってたいそう便利だった。
しかし季節が進むにつれ、困ったことが出てきた。まとまって考えることができないのである。仕事の都合上ゆっくり腰を据えて考えられないのは致命的だ。家族にも最近まるで話ができないと呆れられている。俺は薬が足りないのだろうと考えた。先生に相談して薬は一日40mgから徐々に増え、ついには120mgまで達した。高緯度では夏昼が長いかわりに冬がとことん暗い。俺史上で最悪の冬が迫っていた。
冬になると俺の考えはいよいよまとまらず、出前一つ頼むにも1時間かかるレベルになっていた。仕事でも当然頭は微塵も回らない。上司は進捗の無さに苛立ちを隠せず、俺は完全に途方に暮れていた。家族は心配してるものの俺にも全く見当がつかない。しっかり薬を飲んでるのに…俺は焦って更に薬を飲んだ。そうして寝室に籠もって考えると、ふと人生とは詰んでいる気がしてきた。人生とは詰んでるから人生は詰んでるのだ!ただの循環論法、小泉進次郎も逃げ出すくらいのアホくさい"証明"だが、当時の俺にはQEDと思えた。そして俺は一切の社会活動をやめた。
俺は恐怖に怯えて布団にこもる。世界は詰んでるから何をすべきかわからない。俺は何日も何週も寝てないように感じた。もはや家族もこの世界を詰ませた陰謀の一角に違いない。俺は家族の一人をその首謀者と断定し、他の家族と俺は囚われているから処分しなければならないと画策した。幸いこの企てはすんでのところで失敗し、家族は俺を行きつけの精神科に連れて行った。そこでも俺は先生に向かっていかに家族が俺の世界をダメにしたか語った。診断は統合失調症、なんか薬を処方されて俺はそれを飲まざるを得なかった。そして俺は意識を失った。
意識を取り戻すと俺は大変なことに気づいた。家族は俺を陥れるのに成功し、完全に俺は世界から分断されてしまった!行動するのは今だ、そう思った俺は誰かに家族の陰謀を告白するたった5,6行のメールを2時間かけてしたためて、覚悟を決めて救急車を呼んだ。俺はこの内容を見せて告発するんだ。しばらくして警察が家に来た。俺はぱっと玄関に出た。あれ、俺は鍵かけて閉じ込められてたんじゃなかったのか?それに警察?でも俺が家族に嵌められてることを説明するには誰でもいいか。そう思い俺は警察官についていった。本当は俺が傷害罪の犯人っぽいから警察署に連れて行かれたんだけど、俺は家族が悪いと信じて決めつけている。警察官も通訳挟んでもまるで話が通じない東洋人にさじを投げたのか、救急車で措置入院と相成った。
救急車は外国っぽい青いライトを光らせて夜の山道をひた走る。救急車に本人として乗るのに怪我一つしてないのは不思議なもんだなと、妙に冷静なつもりの俺は思っていた。どれくらい走ったか、救急車は薄暗い建物の前に止まった。俺は促されるとおり建物に入った。石造りの古い建物で、照明もロクにない薄暗い廊下を右に折れて、15人位入りそうなでかい部屋に通された。巨大な机の向こうに何人か人がいて、書類に何通かサインさせられた。正直何喋ってるのか全然わかんなかった。部屋が暗かったのか、その人たちは顔だけ真っ黒に塗りつぶしたように見えた。その後は夜も遅かったこともあり、すぐ相部屋の寝室に通された。枕元にはスーパーで一番安い炭酸水のボトルが置かれていた。一杯だけ飲んで徐々にせり上がってくる不安に蓋をした。途中同房の人にトイレの場所を聞いたところ、寝ているように見えたもののすぐ教えてくれた。でも何言ってるか分かんなかったから自分で探した。
次の日起きて俺は焦っていた。なんで精神科に入院してるんだ…言ってる意味が全く分からないと思うが、マジで焦っていた。
朝起きたら何もすることはない。みんなおもむろにロビーに出たり朝飯を食べている。それがまず気に食わない。生産的ではない気がする。周りのやつの目が全部死んでるように見える。ここにいたら俺は終わりだと思った。なんのことはない、家族を仮想敵に仕立ててたのが精神科になっただけだ。なんだけど、俺は自分の危機的状況に最悪なリアクションを取った。錯乱だ。
まずはでかい声を出して職員を探した。しかしまるで相手にされない。そのまま逃げようと思って大声を出しながら雪の上を素足で走った。しかし、精神科だけに柵がある。逃げ場はなさそうだ。少しだけの理性で俺は柵をよじ登るのを諦めて戻った。すると職員が騒ぎを聞きつけて何人か集まってきた。外に出れるチャンスか?俺は必死に自分はまともだからここから出せと迫った。しかし職員はつれない態度ですぐ俺を元のロビーに戻して対応をやめようとする。なるほど、騒ぎを大きくすればするほど対応する職員も増えるんだな。それを学習した俺は更に声を荒らげて職員を捕まえた。
彼は俺にこういった。あなたがまともなら、それでいいじゃないですか。俺は焦った、こいつはこのまま話を終わらせようとしている。逆を言えばいいのか?そう思って俺は自分がサイコパスだから危険だから病院から追放したほうがいいと逆張りしてみた。そうすると職員はサイコパスかどうかは血液検査しないと分かんないですねと返してきた。んなわけないだろ、その時の俺ですら分かった。分かったが、検査を受けないと何も変わらない気もしていた。なので必死にサイコパスだね俺は危ないねと話を合わせ、とうとう採血までされるに至った。
しかしどうだろう、検査が終わったら彼は、はい用済みと言わんばかりに俺をロビーに戻すではないか。これまでの会話で勝手に検査=退院と思い込んでいた俺は完全に頭にきて、いよいよ本気で暴れた。そうすると複数の職員が外国語で(当たり前だ)何か言いながら迫ってきた。それがちょうど進撃の巨人の普通の巨人みたいに見えた俺は恐ろしくて走って逃げた。ロビーから裏の通路を通って行き着く先は袋小路。ドアが閉められたとき、俺はそのドアにドアノブがない事に気がついた。
入った部屋は6畳くらいで、日本人の感覚で言えば十分な広さだった。床はリノリウム、壁はクリーム色一色で、はめ込みの厚い窓が冬の寒々しい景色を切り取っていた。部屋には唯一つベッドが置いてあった。退院するために暴れてたのに閉鎖病棟に入れられるだって?冗談じゃない。俺はドアをバンバン叩くがまるで開けてもらえなさそうだ。覗き窓からゴミを見るような職員の顔がちらりと見える。次に俺は窓を開けようとした。割ろうとも思ってこちらも叩くがなかなか頑丈でヒビひとつ入らない。この時点で俺は寝たら廃人になると思い込んでいた。ここ10日寝てない(体感)から、寝たらパソコンのRAMのように頭に入ってる記憶知識知恵すべてが失われ廃人になるに違いないと。しかし体は完全に疲労困憊していた。トイレに行きたいが行かせてくれる気配もまるでない。いよいよ俺は錯乱して部屋の中で小用を足した。これがもしかたら窓の外から目に止まり救出されるのではと思ったが、あとから思えばもし見えたとて重度の精神病患者が暴れてるようにしか見えないだろう。ともかく俺は疲れ果てて寝落ちした。
どれほど寝ただろうか、気がついたら閉鎖病棟に寝ていた。さっきの部屋だ。少なくとも廃人というには認知能力や記憶の連続性は失われてなさそうだった。あと、漏らして寝たはずなのに服やシーツは取り替えられていた。それには少なくとも満足した。
しかし俺はあまりの空腹と便意ですぐ耐えられなくなった。部屋は暗く時間も何日たったのかすら分からない。とはいえ2大欲求が充たされないことには始まらない。俺は再度ドアを叩いた。しかし飯が全く出されない。トイレも連れて行ってはもらえない。刑務所の部屋にはトイレがついてると聞いたことがあるが、この部屋はベッドしかない。ドアをひたすら叩いてようやく職員から得られたものは、おまるですらない用を足すお椀であった。このとき俺は完全に人権を失ってることを理解した。その後しばらくして食事も与えられた。ツナと冷たいジャガイモを混ぜた犬のエサレベルのもので、俺はさらに人権がないと思って涙をこぼして食べた。こっちはよくよく考えると、実はただのメシマズな賄いだったのかもしれない。ともかく起きた日は俺の人生でも指折りの人権のない日だった。
次の日俺はまたトイレの交渉をしてみた。ダメ元だ。しかしあっさり外のトイレに連れて行ってもらえた。人は一度酷く当たられると、多少でもマシな扱いをされた時いいことをしてもらったのではと勘違いする。その時の俺はまさにそれで、トイレに行けただけで感謝した。同時にトイレに行けない可能性に恐怖した。何も口答えする気がなくなった。そしてその日はパンとバターだけ食ってたまにトイレに出て終わった。
次の日は更に良くなった。部屋の扉を常に開きっぱなしになるように、食事も他の患者たちと取るようになった。もちろん俺はクワイエットルームに逆戻りしたくないから何も口答えはせず唯々諾々と従った。病棟全体には10人ほど入院していた。そのうち数人から閉鎖室に入れられるなんて可哀想にと同情されてしまった。そうして開かれた閉鎖部屋に何日いただろうか、ほどなくして相部屋に移された。
相部屋の相手はまともな学生さんに見えた。挨拶もするし自己紹介もしてくれた。ただ、虚空に向けて話し出すときと、段ボール箱をラジオと称して実際には携帯で音楽を鳴らすときだけはヤバい奴だと思った。実際彼は軽症なのか、一週間ほどで退院していった。他の患者は古株そうに見えた。分かんないけど。常に冷蔵庫に自分の食い物を入れては食べてるおばあちゃん、常に食洗機を回すおばあちゃん、常に電話してるトルコ人の女、2chにいそうな青年、偶数日はクレオパトラ級のゴリゴリメイクで奇数日はサロペットの地味子になる女の子、みんなそれ相応に精神を患ってそうに見えた。
部屋から出られるとはいえ閉鎖病棟で自分のいる階から外には出られない。と言っても中で暮らしていくのは暇な事以外何も不自由はなかった。朝昼晩三食食事は出るし、キッチンで持ち込みの食事を作るのも自由だ。途中から家族に文明IT機器を持ち込んでもらってからは暇潰しも簡単だった。社会に触れるのは怖かったから、オフラインのゲームだけを黙々と遊んだ。ゲームは時間を埋める作業か、あるいは順序立てて行動する訓練のように思えた。ゲームでもいいから何か進捗がないと人間としての価値がなくなるような切迫感を感じてプレイし続けた。
夜は就寝時間があり、あまり遅くまで起きていると当直の人にハロペリドールを飲まされた。すごく頭が鈍くなって好みではなかったが、あの部屋に戻りたくはないから諦めて飲まざるを得ない。
先に書いた通り閉鎖病棟から俺は一歩も出られなかった。当たり前に聞こえるけど、俺だけ外出が禁止されていた。他の患者たちは毎日午後一時くらいにお散歩に出かけていた。たまには俺も外に出たいと思って参加していいか職員に尋ねたが、あなたのズボンと靴がないんですと残念そうにみな口を揃えた。自分の足で歩いて入院したのにズボンと靴が無いことがあるだろうか?しかし何度聞いても埒が明かないので、ズボンと靴は汚れて捨てられたのだろうと解釈した。家族に頼んでズボンと靴を差し入れしてもらった。そうしてズボンと靴が揃ってもなんやかんやと言い訳して外に出れず、入院して2週間たちようやく外に出ることができた。
散歩は病棟の唯一外に出る玄関を職員が開けて、その引率でぞろぞろと歩いてついていく。まず、俺が最初にいた病棟を通った。驚いたことに、この病棟は外の道路からなんの障害もなく行き来できるようだ。柵があって出られないと思っていたが、反対側は正面の入口に繋がっていた。はじめにもう少し理性があったら閉鎖病棟に連れて行かれなかったのにと思う反面、理性がないから入院したわけだし、あの錯乱状態で外に出たら車にはねられてそうだなとも思った。
この散歩、想像していたものよりずっと大規模だった。30分から一時間位精神病院の周りの住宅街を黙々と歩いて回る。歩き電子タバコに歩き火タバコで吸い殻を投げる精神病患者達に近隣住民から苦情は来ないのか、非喫煙者としてはヒヤヒヤする。患者同士しゃべりながら歩いていて、小学校の遠足くらい伸びた列を定期的に立て直す。そしてなぜおばあちゃんが冷蔵庫に食品を蓄えてるかも分かった。多分自分でスーパーに買い物に行ってるのだ。そうなってくると家なんだか閉鎖病棟なんだかよく分からない。散歩で外の空気を吸えるのは嬉しいが、また俺はここにいたら駄目になると思った。今度こそ話で退院に持ち込まねばならない。
職員はのらりくらり退院の話を誤魔化し続け、医師の診察もろくになく、どうなってるのかと思い始めた、入院一ヶ月後。小原ブラス似の職員の引率で卓球とテーブルサッカーを遊んだ帰りに唐突に俺は数日後の退院が告げられた。退院する支度中に、その職員が「あ~ここにあったわ〜」みたいな猿芝居をしながらロッカーから俺のズボンと靴を出してきたが、既に俺にはツッコミを入れる気力は残されて無かった。彼らからしてみたら、話の通じない患者にどうやって秩序を与えるか、自分の気が狂わないか考えた結果がその猿芝居なんだろう。
そうして退院して数ヶ月はものすごく不安で仕方なくどうなるかと思ったけどその後はすっかり元通りになった。相変わらずのADHD、薬を飲まねば仕事にはならない。先生も上手いことストラテラを保険で落ちるようにしてくれた。ビバンセは少なくとも依存性は無かったようで、リタリン系の薬を飲みたいとも思えない。元々飲んでキマってた訳では無いからかもしれない。そのあとめちゃくちゃ面倒なことになったんだけどそこは割愛。勝手に敵に仕立てて迷惑一方的にかけたのに見捨てない家族には感謝の言葉しかない。
何処にでもあるような町中華に通っているんだけども本棚にいくつか漫画がある
今までは本棚の近くにある席に案内されることが無かったのでラインナップすら知らなかったのだが
中華屋に鉄鍋のジャンが置いてあるのちょっと面白いなとか思ったりゴルゴ13が巻抜けで置いてあるのはなんでなんだとか考えたが
意外と鬼滅や呪術みたいな新しいものもあって定期的に入れ替えているようだった
そして、その中に島耕作もいた。
数年前からやっとモーニングを読むようになった俺の中で島耕作と言うのは会長から相談役、そして現在の社外取締役しか知らない
課長や部長やらあったが一番手に取りやすいところにいたのは取締役だった
その1巻に現れた島耕作、ではなく浜坂元という男に心を揺さぶられてしまったのだ
この浜坂という男は一体何をするかと言うとネタバレになってしまうのだが
まず、初芝電産(島耕作や浜坂が務めていた家電メーカー)のロビーで社長を出せと言う。
出せないのならば同期入社の島耕作を呼べと、さもなくばここで自殺すると言って手に持っていたゴルフバックから日本刀を取り出すのだ
受付で対応にあたった社員が暫く待てと言っている間に調べるとどうやらリストラされた社員だという事が分かる
そんな場所に社長が行くわけにいかないので当時会議中だった島耕作が緊急の呼び出しを受けて説得に向かう…
呼び出しを受けて浜坂を説得する為に一体どういう人物なのかというのを初芝電産のデータベースで洗い出す島耕作
すると島耕作と浜坂元は同期入社だという事が分かり徐々に記憶がよみがえる
この2人は入社後の研修で同じ班となり更にはディベートで直接対決をしていたのだ
浜坂はここで島耕作に完敗すると以降島耕作とは眼すら合わせなくなる。
そんな縁があり浜坂は自らの命を賭けた直談判の場に社長がいなければ島耕作と名前を挙げたのだ
その後島耕作はマスコミも押し寄せる中、浜坂にロビーで説得を試みる
一時的に説得に成功し浜坂は刀を持つ手を下ろしたものの気が変わりその場で自らの喉元に刀を突き刺した
警察隊や警官隊の早急な対応により命に別状はなかったものの流れるように入院した病院の窓から身を投げて命を絶ってしまう。
このような流れの中で浜坂のとある行動に気づき心を揺さぶられた。
それは浜坂は自分の希望が通らずとも滅私奉公した、つまり会社を辞めなかった事。そして島との会話のシーンである
物語の中で浜坂の最初の配属場所がまったく希望していない部署だったという記述がある。
更に浜坂の経歴を記しているコマで浜坂がどのような部署でどのような肩書だったのかが書いてあるのだが
部署の移動が発生するまで浜坂は15年間その部署で働いたのだ。
15年経つと異動があったようだがこれも希望していた部署なのかの記載はない
更に工場長として6年働き続け最後に待っていたのはリストラだったのだ
やりたくない仕事をして会社に尽くして家族を養った人生だったが
会社に捨てられ家族にも捨てられアイデンティティを喪失してしまった。
30余年も同じ会社でコツコツと働き続けられる真面目な男なのだ
日本刀を携えながらもきちんと受付で名乗るし、説得に来た心から憎く思う島を突然襲うことなく話し合いをするのだ
そんな男からの「なぜ俺がこんな目にあってお前(島耕作)は役員になれるんだ!」と激昂するシーンで
島は冷静に「人生の5割は自分の力で変えられるがもう残り5割は他力で俺は運が良かった」という
しかし浜坂は「それが納得いかん!」というが島は「現実を受け止めろ」というのだ
この後浜坂は言葉に詰まり項垂れるのだがこのシーンで心臓のあたりがグッとなってしまった。
勿論、島の言う事は当たり前の事だ。
世の中は自分の思う通りには進まない事の方が多い
しかし、みんな心の中では浜坂と同じことを考えている事の方が多いだろう
何であいつの方が良い役職に…!なんであいつの方がいい会社に…!なんであいつの方が!!!!!!
30年もくすぶり続けてた火種を運が良かったの一言で片づけやがって!!!!と
本来ならば島耕作が説得する事に失敗したという、起承転結の起の中の何てことない1話だったのだろうが
私はこの男に、とても深く感情移入した。
知的障害がある人になにもさせないのは管理コストを抑える目的以外にない
健康周りの知識と判断能力に問題があるので、何度でも無茶をして何度でも無限に入院する
自動金銭管理システムが『その選択は不適切です』って警告と代案してくれて、
自動ヘルスチェックシステムが都度『病院行って下さい。その方が結果的に得をします』って言ってくれたら、
誰にも負担が掛からなくなるのだが、それまではめちゃくちゃ身内の負担が重い
自由と自律性を維持しながら、政府はどのように私たちの意思決定を支援することができるか?
自由な社会には選択の自由が不可欠である、という主張がある。しかし、政府が人々の選択を支援する行為はどの程度まで許容されるのか。政府は国民が世の中をうまく切り抜けるために必要な道具をすべて与えるべきなのか。同時に、国民が自分で選択し、失敗したときは責任の所在が証明できなければならない。
ナッジは、行動経済学を使って市民をより良い選択をするよう促す方法を詳述しているが、人々を操作することと同じではないのか?どのように自由が保たれているのか?おそらくナッジとは、選択肢を禁止したり経済的インセンティブを大きく変えたりすることなく、予測可能な方法で人々の行動を変える、選択設計のあらゆる側面を指すのだろう。ナッジとみなすには、介入を避けることが容易で安価でなければならない。ナッジは義務でも強制でも同調圧力でもない。
ナッジは「押し付けがましくない」という理念にもかかわらず、効果があることが示されているらしい。例えば健康関連のナッジが、より健康的な食事と栄養の選択を増加させるとか、オプトアウトシステムが決定についてストレスを感じなくなるとか、そういう話はある。選択設計で、より多くの人々が考えることを減らし、なおかつ社会や自分自身にとって良い選択をすることができるとされる。
では、政府が人々の行動に影響を与えるためにナッジ理論を用いることと、自由主義は両立するのか?政府が国民にとって何がベストかを知っていることを前提にしているのではないのか?
ナッジの要点は、選択の自由を維持することである。医者が「精神状態が悪すぎるので精神科に入院しなさい」といっても、患者は自由を保持し、その後押しを無視することができなければならない。多くのナッジは本来、情報の開示、警告、リマインダー、といった教育的なものである。
例えば消費者が十分な情報を得た上で選択できるように、燃費やエネルギー効率についての情報を開示することは、自由と矛盾するものではない。だが、明らかに行動経済学は、パンデミック時の政府の封鎖対策に影響を与えている。
この運動が行き場を失っていることを示唆するのは、行動科学は問題を単に個人の誤った選択の結果とみなす習慣に陥っていることだ。一方、ナッジ理論の肯定派は「政策の世界では行動科学者は構造的な問題にほとんどの時間を費やしてきた。タバコ税は構造的な問題に対処するもので、人々が将来の自分自身に課す害を削減しようとするものである。」などと主張している。
「ナッジ」といいつつ、特定の思想や行動へ誘導することで政治的な優位性を確保しようとする勢力が常に潜んでいることは注意すべきことだ。そのような意図がなくとも、誘導する必要のない方向へ一度舵を切れば、後戻りが難しくなることがあると考えたほうが良いだろう。
身内に、手帳持ちですぐ入院する事態になる、そして知能検査したらたぶん引っかかる男性がおるのだけど、
本人は保護されるよりも自立して働きたがるよ。よせばいいのに生活保護受けずに働いている
生活保護受けたり抜けたりの精神障害手帳持ちアラフィフ男性が10歳年下の子持ちの働く女性と結婚する予定
https://anond.hatelabo.jp/20200808014253#
(離婚原因は男性の極端な生活能力の無さ。騙されて意味不明な買い物をする・契約する、内臓疾患持ち・ヘルニア持ちで倒れる)
なぜ男性が自立したがるかというとそれは親の見せた姿、周りの大人が見せた姿だよね
男性は働いて稼いで家族を守るというありかたに強い強い憧れとこだわりがある模様
男性はアルファベットからして怪しいレベルなのだけど、大型含めた自動車免許、各種重機免許、危険物の免許持っているよ
ありたい自分が絡む時のみ猛烈に勉強してすさまじい記憶力を発揮する
去年、何度か自殺未遂をした。
方法は首吊。
すぐに意識は無くなる。苦しくない。
床に転げ落ちて少しして意識が戻る。
だいたい失禁してた。
舌を強く噛んでしまうらしく目覚めると舌がとても痛い。
短い失神でも頭が痛い。
記憶は少し飛ぶ。
少しして落ち着いたら再び目覚めてしまったという絶望を感じる。
そんな状態であるわたしへの対応に限界を感じた恋人は、わたしの親に連絡をし、入院することになった。
2週間くらい入院した。
境界性パーソナリティ障害の診断だった。
統合失調症の薬を処方された。
退院して、仕事に戻って、ひと月くらいは頑張って生きようと努力できていた。
楽になりたい。
でも母や恋人を苦しめたくない。
しかしそのために生きるのも辛い。
楽になりたいだけだ。
母や恋人は悪くない。
そればかりは申し訳ない。
いやだいやだいやだ。気が滅入ってばっかりだ。
葛藤がつらい。楽になりたい。もう目覚めたくない。これ以上絶望したくない。もう二度とうんざりしたくない。
どうしたら周りの人に迷惑をかけずに居なくなれる?
生まれたいなんて望んだことはないのに、なんで自ら終わりにすることは許されないんだ。
一卵性双生児のいる4児の母です。ふたご(2・5)の日に、双子ご懐妊確認ですね。おめでとうございます。
1)一卵性か二卵性かなど含めて、双生児の子宮にいる状態は3種類に分かれます。絨毛膜と羊膜がどうなっているかによります。その診断を「膜性診断」と言いますが、10~20週の限られた週数で超音波判定できます。これを逃すとわからなくなるので、主治医に確認しておいたほうがいいです。それによって、出産のリスクも変わってきます。私は一絨毛膜性二羊膜のため、胎盤共有なのでリスクは中程度でした。
2)妊娠中は、私の母体の自己比較では、2人分でも体重の増えは単体児妊娠の1・5倍程度。早産傾向になり35週で管理入院(2週間)しました。37週で自然分娩でした。8分差で生まれました。
3)出産後は、二人の授乳の時間を強制的に合わせるのがおすすめです。(一人が飲みたがったらもう一人が寝ててもたたき起こし、同時に授乳)←泣いててかわいそうでも、子供は覚えていないし、何より母体が大事なので(子供に合わせていたら寝る時間なくなる)。単体児の上の子たちは、懇切丁寧に母乳オンリーで!離乳食もちゃんと!とかなりましたが、双子だとそんなこと言ってられず、とにかく日々育てるしかないので、おおざっぱというか・・・精神的にはラクな面もありました。
4)育ってくると、二人で遊ぶようになるので、実はすっごくラクでした。別に公園行かなくてもいいし。双子を授かってよかったと思っています。進路は高校から別々で、今は二人で暮らしているので生活費も1・5人分で済んでいます。
5)双子の赤ちゃん、母親一人で育てるのは至難の業で、父親の存在が重大です。うちは夫が平日遅く、今でいうワンオペでしたが、土日はご飯を作ってくれました(これはすごくたすかりました)。男親の出番ですね。
楽しみですね。いいこといっぱいありますよ。
1歳の一卵性の双子の父です。雑多だけど、書いてみます。妊娠出産は家庭によってかなり異なるので、少しでも参考になれば幸い。
・妻は子宮頸管が短くなって3ヶ月入院して帝王切開でしたが、コロナ禍だったので入院中は2回しか会えなかった(手術説明と出産時)。入院中は安静だったので妻のメンタルはキツかったとのこと。大部屋なのでテレビ通話もなかなかできなかったし。ちなみに子宮頸管が短くなったのは動きすぎせいかもしれない。妊婦は妊娠糖尿病の防止などのために散歩した方がいいと言われてるが、多胎妊娠の場合はあんまり散歩とかしない方がいいらしい。
・↑とかぶるが、子宮頸管が短いから安静にって言われて数日でなんか変かもとなり、日曜に休日診療でみてもらったら、そのまま出産まで3ヶ月入院になった。いつでも入院できるように着替えなどは準備しておいた方がいいですね。うちみたいにもしコロナ禍で面会できないとなると、荷物もなかなか渡しにくいので。
・ほとんど多胎妊娠は帝王切開になるので、生命保険に入ってる場合は手術と入院で請求できるので忘れずに。
・自治体がやってる産後ケア(出産後少しの間、病院にいれたりする)の支援を利用したら、出産後の体力回復や子供の世話を助産師さんに教えてもらったので、よかった。
・友人がたまたま双子の親だったので、いろいろ教えてもらったり、服とか抱っこ紐もらえたので助かった。双子の子育てサークルとかも同じような感じみたい(コミュ障なので行ってないけど)。
・ベビーカーは横並びのエアツインってやつがいいよって教えてもらって使ってる。車椅子くらいの幅なので大抵のエレベーターとかは乗れる(でも、ギリギリ)。
・双子用のベビーカーとか抱っこ紐(おんぶとだっこできるやつとか)はかなりお高いので、メルカリを使って安く済ませた。肌に当たる部分はだいたい外して洗えるので、その手間や中古が気にならないならおすすめ。チャイルドシートは2台いるので(車で行く場合は退院の時に必要)、セカストで買ったりした。ベビー用品はセカストの方がブックオフ系よりも綺麗なので、セカストで見ることが多かった。
・両方とも育児休暇を取ったが、それでもキツかったので、実家が頼れるなどのサポート資源が豊富でない場合は父母ともに育児休暇を取る方が良いと思う。育児休暇が終わっても、父母ともに子供の世話をやらざるを得ないので、父母で協力して育児することを最初からやった方がスムーズだと思う。
そんなもん実際に老父親が胃癌切除で入院したのをボケて「浮気してるから帰って来ないんだ!」て疑心暗鬼になった老母親を持つと何の助けにもならん知識やぞ(´;ω;`)
このごろナニワに流行るモノ
私学無償化助かるわ
吉村さんのおかげです
大阪住みよくなりました
ところが事実はすべて嘘
所得制限きびしいわ
無償化なんて夢の夢
悪いのすべて前任者
豪華絢爛新事務所
夕暮れ時になりぬれば
「昔の公園怖かった」
「今は家族で楽しめる」
誰が信じるそんな嘘
みんなの思い出踏みにじる
嘘の演説言いふらす
一日100万吉村さん
原資は国から出てるのに
入院できるは身内だけ
塾代助成15億
手数料分5億円
学校現場は大変よ
住民投票うるさいな
やるかやらぬは維新が決める
負ける勝負はしたくない
コロナの弱点見えてきた
売り抜け終了爆下がり
インサイダーは誰ですか?
儲けた人は誰ですか?
大阪府民よ目を覚ませ
身を切る改革全部嘘
身を切られるのは市民たち
参院選はもうすぐだ
大阪このまま滅ぼすの?
昔の大阪とりもどせ
維新の奴らを吹っ飛ばせ
返してください大阪を
カジノではなく花をください
これっすよ。
人間が一人ずつ別々の家借りてトイレや風呂がその家についてるのと
生産性があがるんだよね
病気の面会とかそうだけどさ
コスト低く看病とかもできるわけよ。一緒に住んでれば。帰り道にものかってかえるとか、車出すとか。
全員に一個ずつくばるより、共同名義で一つにしてまさに家(住まい)をもつほうが
おさめる税金が増えるんですよ。
専業主婦とかも、結局は分担なのよ。そうすると片方のおさめる税金あがるよねっていう。
結婚って財産を共有できるほど信頼しあってる者だけに送られるボーナスパックなのよ
それがほしい
私は同性の愛してる人を養うにあたって
「妻が癌で入院するので会社を休みをください」とかいって 「それは仕方ないね」って普通に思われたい
これ書いてくれたの元増田の人?
本当に同じような体質でびっくりした。
(自分は睡眠相ズレていくので良い時間帯は時期によって違うけど集中力のピークは16〜24時)
自分にあった労働時間の仕事が見つかっててとりあえずよかった。幸せなことだ。
自分と同じなら、多分寝てる間も緊張したままだから疲れが取れないんだと思う。
世間の人は寝てる間、力が抜けてるんだよ!知ってた?自分は知らなかった。
整体でうつ伏せになっても身体中緊張してるとよく言われる。普通うつ伏せになると力抜けるんだってさ。
交感神経を緩めて副交感神経を優位にする。
具体的には、
頭を休めて身体を動かす
太陽を浴びる
寝る前のルーチンで寝る準備をする
の3つが効果を感じた。
日中の通勤があるなら、通勤中は努めてスマホに触れず本を読まず、遠くを見る。
あと多分ストレートネック由来の肩こり首こり頭痛とかもあると思うので姿勢良く。
良い姿勢については整体(not マッサージ)で相談すると必ず教えてくれるので聞くといい。
背筋が足りないと反り腰を良い姿勢だと思い込んでる可能性が高い。
日々やるべきストレッチも整体師なら身体にあわせて適切なアドバイスをくれる。
整体師は国家資格。運動やストレッチのアドバイスも仕事範囲。身体維持のプロの知識でその時その時の自分の身体に必要な動きを教わろう。
太陽は通勤で浴びてるとして(日中の通勤がないならランチに出るしかない)
夜寝る前のルーチン。
これは入院生活22時完全消灯で睡眠薬あっても寝られるわけない!って状態でなんとか寝るために編み出した方法。
ホントは風呂でリラックスして寝たかったんだけど保安のために風呂が昼だけだったので、お湯で顔を洗って寝ることにした。
お湯であったまってさっぱりしていく感覚に集中して、はいリラックスしましたね、寝ますよと暗示をかけていく。
慣れると顔洗う=リラックスして寝るになっていく。あくびとか出るようになる。
風呂は出た後にやることが多く、目が覚めるので顔を洗うだけというのは都合が良かった。
マットレスに合わせて枕を選ぶこと。同じ店で面倒みてもらうと調整しやすい。
すこしでも参考になれば幸い。
自分かと思った。
その間もちらちら精神科に通ってた。
常にどこか怠くておっくうだった。
多分睡眠相後退症候群なんだけど、
それを無理矢理誤魔化して社会の時計に合わせて生きていたので身体にかなりストレスだったみたい。
休職期間の残りがなくなりそうなのに睡眠相が整わず、そのままでは退職になりそうだったので1ヶ月入院して医者の管理の元で睡眠相ずらして誤魔化して復職したりしたよ。
妊娠がわかった瞬間に医者に相談してハイペースで抗うつ剤を減らし、産後ついに全部なくしたが元気。(元々量はかなり少なかった)
出産したら女性ホルモンとは不思議なもので、赤子の泣き声ですぐ起きるけど短時間でも寝れればとりあえず死なない身体になる。
。自分のことを二の次にして赤子の世話ができるのでありがたい。
ただ、今後、女性ホルモンのバフがなくなったときと、子育てひと段落したときにガクッとこないかは心配。
割と特殊な原因なので参考にならなさそうだけど、ひとつだけ参考になるかもしれないとしたら、
「小学生の頃から続く困りごとはないか?」を思い出してみること。
ささいなことでも思い出すとヒントになるかも。
あと、子供産めるまで回復したのは頭の良い女性精神科医が的確にサポートしてくれたからなので運要素もかなりあった。
しっくりこなければ当たり引くまで何回か転院するのも手。
なんか似てたのでついに長々と語っちゃった。
これが参考になるかはわからないけど、