はてなキーワード: 一言とは
元増田を長文で叩いてる人ら、きっと自分自身が結婚して苦労した、苦労している人らなんだろうな。
そもそも全体的にそんな詳細が書かれていない投稿に対しての非難が具体的過ぎるし、元増田の見えない情報を自分の夫、または元夫に置き換えて見ている感が凄い。
「子供とお風呂入ったら癒される、子供の寝顔見たら頑張れる」そんな一言に対して「子供は風呂入れるだけで育ちませんよ、家事に全く参加してない証拠ですね」って凄くない?「俺は風呂も入れてやってたのに親権が取れないのはおかしい」とか書いてないんだよ?
今これだけ離婚が増えてるけど、これだけ夫(妻へのパターンもあるだろうけど)への潜在的なヘイトを持っている人の多いということに、正直恐怖しています。
1月なのでまだ今ほどひどくは無い頃だ。
その頃、メディアは「保健所は逼迫している。頑張っている。」みたいな論調だった。
だが、亡くなったあとに色々話をきいているうちに、少なくとも管轄の保健所はそんなのは微塵もなかった。
保健所の連中は、「本人が大丈夫と言っている限り、何もしません」と言い放ったそうだ。
要するに自分で元気だと頑張る年寄りには冷たく、弱音ばかり吐く年寄りには手厚くするらしい。
まあ、後者に対しても割と冷たかったそうではあるが、入院調整ぐらいは片手間レベルでやってくれたらしい。
最終的には意識が朦朧とした頃に同居人が救急隊を呼び、同居人が必死に説得してやっと乗ることにしたそうだ。
結局、設備が整っていない広域病院に運ばれたが、数週間でこの世を去った。
本人は人一倍健康に気を使い、主治医にもまだまだ長生きすると自信を持って言われていたぐらいだ。
だが、逆にそれが本人自身の過大評価につながり、このような結果になったのかもしれない。
ちなみにわざわざだったので最初に書かなかったが、民間病院の連中は他人事であり、一切の信用はおけなくなった。
発熱するだけで門前払いだったらしい。亡くなったことをつげたら、門前で「残念です」と言われたらしいが、
増田は普段見ていないし、今の社会はもっとひどい有様なので、いまさらすぎる内容だと思うし、別に共感も批判もされることも期待していない。
ただ、もしこれを見ていて、まだ間に合う状況だけど同じような性格の人が居た人にだけ一言言いたかった。
「保健所の連中は信用するな。」
YouTubeの園芸チャンネルで、多いときは50万回、80万回ぐらい稼いでる動画があるんだが、ちょっとヤバい内容を流していて。
園芸に使う石灰(土壌改良材としては超レギュラー)に他の使い方もありますよという動画なんだけども、消石灰でph振り切れてるアルカリ水を作って虫除け目的で噴霧器で植物に吹きかけましょうという内容で。
具体的にどういうことしてるかというと、手袋もゴーグルもせず、500mlペットボトルの小さい口に消石灰を袋から直接ガサガサッと入れて、それで作った水溶液を噴霧器に入れかえてお庭サイズの植木鉢に吹き付ける、という雑なことしてる。
コメント欄には「扱い方が危険すぎる」「失明の危険があります」「農水省でも危険だから扱い方について注意喚起してる」と幾つも注意のコメントが付いてるのだけど、動画主は「コメントでご指摘いただきました」とコメントつけただけで、現状、動画をいったん取り下げるとか修正動画を上げるという行動には至ってないまま数日経過してしまって動画再生数20万回超えてる。
動画主はコメント見ればいいだろうという考えなのかもしれないが、今どき、YouTubeはお茶の間のTVでもボタン一つで見れちゃうし、PCやスマホ以外のそうした機器ではコメント欄なんて普通に操作してたらまず見えない。園芸チャンネルを見る層がそこまで注意深くコメント欄をチェックするとも思えない。
おそらく動画主の実演をそのまま真似してしまう人が一定数発生すると思われ、その中で重大事故が発生する可能性は十分あると思われる。
動画とテキストでは、動画のほうが圧倒的に発信力が強い。その発信力の強さを利用してる人がコメント欄に返信を一言入れただけで済ませて終わらせるのは責任感に欠けていると言わざるを得ない。
某メンタル人が数日前から炎上しており、それに対して色んな方面から批判が噴出している。まあそれだけのことを言ったんだ。「口は禍の元」と昔の人は言ったけど、この格言は令和の現在でも生き続ける。
それはそれとして、なんかこの批判に対する反応が異様じゃね?と思ったので記しておきたい。
お門違いの批判なら批判側が別方面から批判されるべきだし、なぜそれを批判するのか一言二言だろうと理由も添えられるのが普通だと思う。
でも、今回に限っては理由もなく批判にケチをつけるだけの人が妙に多い。「いっちょかみしたいだけ」「なんで今それを言うの?」「(支援団体からの批判に対して)支援団体の方が~」「溺れた犬を叩いている」とか。
少し前に炎上していた某市長の批判記事にはそんなコメントは見かけなかったのに……。いや、それだけではない。ここ最近一ヶ月くらい炎上聖火リレーを見せつけられているけど、批判記事に理由もなくケチを付けるなんてそうそう見なかったぞ。もちろん見落としている分もあるかもしれんが。
今のトップブコメって結局は濃ゆい思想の人たちが身内でいいねしあって生まれた先鋭化された異常値なわけじゃないですか。
たとえば平均収入の話する時にビル・ゲイツとかホームレスとかを入れてもしゃーないから上下の5%ぐらいはカットしたりするでしょ?
それと同じようにトップブコメになると同時に通常のブコメ一覧からは消える機能ってあったほうがいいんじゃねえかな。
そうすると棲み分けが出来るじゃん。
ああそうそう「俺のは大喜利だから異常じゃないよ?」って人に言いたいんだけど、タイトルだけ見て大喜利で一言コメントするの、一般的には異常な行動だから。
クラスメートの名前をもじって不適切なアダ名をつけるような文化と一緒ね。
昭和がすぎるよ。
私は神奈川県内で自営業を営む、しがないIT屋である。過去にはオウム真理教(現アレフ)の事件を追う無名のフリーライターとして糊口をしのいでいた時期もある。
以下は、今年7月に私の身に起こった出来事の記録と、国家権力の象徴である警視庁と公安調査庁の手により、かつて未曽有の化学テロを起こしたカルト宗教団体オウム真理教の後継団体として公安調査庁の監視対象となっている宗教団体「ひかりの輪」に罪なき一般市民である私の個人情報がリークされた問題に関する告発である。
オウム真理教は麻原彰晃(松本智津夫)によって設立された新興宗教団体である。設立当初はヨガを中心とした修行による神秘体験の会得を目標とする比較的穏当な宗教団体であったが、1989年に教団施設内で発生した信者殺害事件とその隠ぺい工作をきっかけに急速に犯罪傾向を強め、以後、坂本堤弁護士一家殺害事件をはじめとする凶悪事件に手を染めていく。
1990年には真理党を結党して衆議院議員総選挙に出馬するが全員落選、教団はこれを国家による陰謀と考え、無差別テロに傾倒していく。上九一色村の教団施設であるサティアン群は毒ガス工場に改造され、サリン・VXガスなどの化学兵器の製造のための研究が進められた。ちなみにサリン製造プラントの初代責任者は上祐史浩である。
教団は95年の地下鉄サリン事件後、教団の拠点である上九一色村のサティアン群に警視庁による強制捜査が行われ、教祖である麻原彰晃(松本智津夫)を始めとする教団幹部の逮捕によって壊滅した。その後2000年には後継団体アレフ(現Aleph)が発足するも、麻原への帰依を続ける主流派と旧オウム真理教からの脱却を図る代表派の対立が勃発し、上祐史浩率いる後者(代表派)はアレフを脱退し、新団体「ひかりの輪」を結成した。
今なお信徒数約1,650人、拠点施設32か所、資産約12億9,100万円(2019年(令和元年)10月末時点)*1の勢力を誇るアレフに対し、上祐史浩代表率いるひかりの輪は信徒数約150人、拠点9か所、資産約700万円*2と非常に貧弱であり、表面上は国家や市民への脅威は全くないように思える。しかし「旧オウム真理教のシヴァ信仰から完全に脱却する」という上祐史浩代表の宣言とは裏腹に、今なお「オウム真理教の修行体系の最も本質的な部分を継承」*3している団体として、団体規制法に基づく公安調査庁の観察処分対象となっている。
今年7月某日、私はひかりの輪が拠点を構える世田谷区南烏山のマンションのエントランス前に立っていた。アレフ信者13人がこのマンションの2階に続々と入居し、事実上の拠点としたのは2000年12月のことである。以降、2007年の教団の分裂騒動以後は上祐史浩代表率いる「ひかりの輪」の拠点としてオウム真理教の残党はマンションの2階に居座り続け、3階より上の住人や烏山地区の近隣住民から強い警戒心をもって監視されている。
彼らの突然の入居から20年余り、近隣住民によって結成された対策協議会*4による戦いもむなしく追放に至っていないオウム真理教後継団体「ひかりの輪」の現状はどうなっているのか、かつて匿名でネット上に記事を書き散らしていた私の血は密かにたぎり、その足は知らず知らず私の体をこの地にいざなったのだ。
建物の前は、いくつかの鋼鉄製の小さなバリケードと警察の詰所があること以外はただの砂利敷きの駐車場と変わらない。どんよりと曇った平日の昼下がり、監視小屋に人の気配はなく、しかし敷地に足を踏み入れると砂利がかすかに音を立てて緊張感が走る。
エントランスのガラス窓には「関係者以外立入禁止」という、どのマンションにもある注意書きが貼ってある。これを無視してエントランス内に一歩でも立ち入れば、住居侵入罪として罪に問うことができるというものである。実際オウム真理教の信者や左翼団体のメンバーなどがこの微罪で逮捕された例は枚挙にいとまがない。じゃあ不動産屋やらピザ屋の広告のポスティングはどうなのかという疑問は持ってはいけないらしい。
私は開け放たれているドアを通ってエントランス内に足を踏み入れた。マンション内では多くの猫が放し飼いにされているようで、集合ポストの下にはエサ皿が置かれ、猫の尿のにおいが鼻を突く。集合ポストの最上段には、「201 上祐・水野 ひかりの輪」と書かれたボックスがあり、確かにここが「ひかりの輪」の本拠地であることがわかる。2階の他の部屋のボックスは「空室」と書かれたガムテープでふさがれていた。
集合ポストの写真を撮り、長居は無用ときびすを返しかけたその時、黒いシャツを着た短髪の男がエントランスにやってくるのがちらりと見えた。男は無線機のようなものを所持しており、一目で私服の警察官であることが分かった。このマンションの住人でもひかりの輪のメンバーでもない私を訝しんで職務質問をしようと接近してきたのは明白であった。
このとき私はたまたまダイソー千歳烏山クレア店にて500円で購入した水鉄砲「アクアレーザー」(未開封)を所持しており*5、そのことが警察官との喜劇的ひと悶着に発展していく。
商品番号:4549131780017
https://jp.daisonet.com/collections/party0105/products/4549131780017
「何の用ですか?ここの住人じゃないですよね?」
どうしたものかと考えるより早く私服の警察官は話しかけてきた。とりあえずお約束の「任意ですか?」という挨拶をしてみたものの相手が引き下がる気配はみじんもない。「いやその」「とりあえず身分証見せて」「はい」変に事を荒立てても仕方がないと思い、素直に財布から運転免許証を取り出して男に手渡す。男は無線に向かって免許証に書かれた名前を読み上げ、やがて近くの交番からやってきたと思しき警察官たちが集まってくる。これは困ったことになった、今日はこれから仕事の打ち合わせがあるのに、と困惑しつつもなぜか冷静になりあたりを見回してみる。既にパトカーまでやってきており、さながら何か大きな事件の現場の様相を呈しているが、GSハイムの一般住戸はおろか向かいの戸建てからも野次馬の気配は全くない。つまりここではこの程度のことは日常茶飯事なのだと合点しながら警察官からの質問に答える。そのうち彼は私のぶら下げているダイソーのレジ袋に気付いた。
「その袋の中身を見せてください」
しぶしぶ袋の中に入っていた未開封の水鉄砲(500円)を取り出して警察官に見せると、彼の目つきが一変した。「これを何に使うつもりだったの?」「いえ何にも」「そんなわけがないでしょう」「いや本当に何でもないんです」といった不毛な押し問答が始まった。折しも水戸で聖火ランナーに水鉄砲を発射した女性が逮捕された事件があったばかりだ、警察官のテンションが上がるのも無理はないだろう。そのうち「こんなところで水鉄砲持ってて何にも使わないわけがないでしょう!」と、いくらか統を失したような状態になっている警察官を私が必死でなだめるような展開になっていった。
そのうち雨が降り始め、一人の警察官が詰所からビニール傘を持ってきて、職務質問に当たっている警察官に手渡した。私を都会の酸性雨から守ってくれるというのである。素直にしている限り警察官というのは案外親切なものだと思った。やがて聴取の算段が付いたらしく、私は促されてパトカーの後部座席に乗り込んだ。
警察署に着くまでの間が、この事件における私にとって最も苦痛に満ちた時間となった。同乗した警察官にとっては私が他人の住居に侵入を図ったことよりもダイソーの水鉄砲(500円)を所持していたことの方が重大だったらしく、いつまでも「その水鉄砲でひかりの輪を襲撃するつもりだったんだろう」と因縁をつけられ続けた。当然私にそんな意図は露ほどもなく、ただダイソーで見かけた500円のポンプアクション水鉄砲に感心し(トイザらスなら同等品が3000円は下らないはずだ)、自宅に帰ってからその威力を試してみたかっただけだったのだ。頼むから信じてくれ。しかし、降り際に言われた「刑事には嘘をつくんじゃないぞ。嘘はあとで全部わかるからね」という一言は、この難局を切り抜けるための示唆を多く含んでいた。
成城警察署4階の取調室に着いた私は、徹底的に所持品の検査を受けることになった。カバンの中身は言うまでもなくポケットの中身(尻ポケットを裏返せとまで言われた。構造的に無理である)やズボンの裾の裏までひっくり返させつつ、「こちらもケガはしたくないからね」などと物騒なことを言う。靴を脱ぎながら「中敷きがあるので調べてください」と言ってみたが、そこは調べられなかった。くそっ、俺の足の臭いを警察官に嗅がせるチャンスだったのに、と思いながらも無言で靴を履き直して促されるまま椅子に腰掛けた。
やってきた刑事は眼光鋭く「どうしてこんなことをしたんだ」と切り出してきた。そんなことを言われても単に興味本位だったとしか答えようがないのでその通りに答えるが全く納得してくれる気配はない。次第に調子に乗って「我々は地域住民に委任されて地域の平和を守る義務があるんだ、外部の者が不穏を与えることは許さない、わかるか」などということを演説し始める。(テロ組織の残党と20年以上も慣れ合ってきてその体たらくは何だ)と喉元まで出そうになるがぐっとこらえつつ、話せることだけ話してあとは黙り込む。後になって気付いたが、彼らは私のことを極左テロ集団と関係のある何者かと思っていたらしい。こちらには検挙歴も何もないものだから彼らが私について知っていることは当然何もなく、必死になって思想的背景を聞き出そうとしていたのだ。
やがて私が極左でもオウム真理教関係者でも何でもなく、ただ興味本位でGSハイムを覗きに来たことが明らかになってくると、急に刑事たちのテンションが下がってくるのを感じた。取り調べの前に預けた所持品の返却願いを次々と書かされ、左の人差し指で拇印を押し、返却された品々をカバンやポケットに詰め込むと、まるで放り出されるように成城警察署を後にした。
事件後しばらくして、オウム真理教ウォッチャーの友人のもとにひかりの輪広報のツイッターアカウントからダイレクトメッセージが届いた。そのメッセージには、上述の侵入事件に対する不満とともに、警察署での事情聴取の際に明かした私の本名が、名字だけではあったが記されていた。
これは一体どういうことだ。
当然、私はGSハイムに立ち入ることを誰にも予告していないし、事件後にも一切そのことは話さなかった。それにこの事件に関して私は厳重注意を受けただけで、逮捕もされていないし、この事件があったこと自体マスコミに公表されてもいない。にもかかわらずひかりの輪の広報が私の名前を知っているというのだ。
私がGSハイムのエントランスに立ち入ったことを知っているのは、成城警察署の警察官や刑事、それにそこから連絡が行っているであろう公安調査庁だけだ。
つまり、「犯罪を犯したわけでもない一般人である私の氏名(もしかしたら住所も)を、警察がひかりの輪にリークした」以外の可能性が考えられないのである。
上述の通り、宗教団体「ひかりの輪」は、かつて一般人に対する殺人やテロ行為を繰り返してきたオウム真理教の元幹部である上祐史浩を代表とする、「テロ組織オウム真理教の後継団体」である。その規模はかつての全盛期に比べれば見る影もないとはいえ、その強い反社会性を懸念して公安調査庁の監視対象ともなっているわけである。
かつてオウム真理教は、TBSテレビ「3時にあいましょう」のスタッフから「オウム真理教被害者の会」の代表を務めていた坂本堤弁護士に関する情報を提供され、同弁護士を家族もろとも殺害し山中に埋めた*6前科を持つ。今回のリーク事件に関して、そのような組織の後継団体に教団に批判的な行動を行った一個人の個人情報を与えることがどのような危険をもたらすかを、警察は全く理解していないと言わざるを得ない。
もし、現在でもひかりの輪に殺人などの実行部隊が存在し、彼らが私を拉致し、あるいは殺害して山中に埋めるようなことがあったとして、日本国警察は一体どうやってその責任が取れるというのだろうか。そういったことが皆無であると、彼らを長年監視してきた警察は断言することができるのだろうか。
警察と公安のひかりの輪への監視活動も近年はマンネリ化し、ひかりの輪スタッフと警察官の間での立ち話も見られるという。そういったたるんだ状況の中、「警察によるテロ組織の後継団体への個人情報のリーク」という一大不祥事が発生した。警察には事態の重大さを認識するとともに猛省を促したい。
*1 国際テロリズム要覧2020 http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ES_E-asia_oce/aum.html
*2 日本経済新聞2019年2月28日付 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41879540Y9A220C1CR8000/
*3 産経新聞2021年5月19日付 https://www.sankei.com/affairs/news/210519/afr2105190020-n1.html
*4 烏山地域オウム真理教対策住民協議会 http://www.kyogikai.jp/
*5 この事件の少し前に聖火ランナー水鉄砲襲撃事件が発生していることとは全く無関係である。
*6 TBSビデオ問題 https://ja.wikipedia.org/wiki/TBS%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA%E5%95%8F%E9%A1%8C
小売り店でアルバイト初日に初めて「お店の店員さんも人間だったんだ!」という大発見をしたのがもう何年前か?
その時に感じた衝撃と、店員さんも人間なんだったら優しく親切にしてあげないと・・・という感情を最近忘れかけてしまっている。
最近コロナの影響もあって洋服を買っても着てくところがないので適当に通販で買って済ませたり、さらに東京にも遊びに行けないので通販で買い物したりするので日常生活で接する「お店の店員さん」がコンビニかスーパー、あとはドラッグストアの店員さんくらいしかいなくなってしまった。
スーパー、コンビニ、ドラッグストアの店員さんは忙しいのでいちいち客と雑談なんかしてる暇ないから、人間であることを忘れかけている。
いらっしゃいませ~ポイントカードお持ちですか。
袋はご入用ですか、ありがとうございました。
TSUTAYAとかファミマは完全にセルフレジで店員さんと一言も口を利かずにお会計できるし、セブンもスーパーも最近お金を自分で入れる半分セルフみたいになってるので店員さんがさらにロボットになっていく。
無能な味方という枠組みを制作するに当たり、もっとも分かりやすく、かつ納得がいく枠組みが宗教と呼ばれるジャンルの中に大量にあったりする。中でもユダヤ人の十戒は、いかにして無能な味方を見分けるかという視点で見るならば、笑っちまうほど的確で分かりやすい形でそれぞれの戒律が定められている。あわせて、キリスト教における七つの大罪についても、同じことが言える。
せっかくなので、双方の戒律から見る無能な味方の判別法についてを簡単に述べる。
基本中の基本。一つの集団を形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。
また、無能な味方を排除する際にも、一言「背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である。
これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。
ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。
恐ろしいことに、ユダヤ人の祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。
休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。
家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。
当たり前。でも、別に生存競争を否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民の虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争で圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在が集団内にいていいわけがない。
昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。
これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。
同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである。
宗教が集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である。
やけに生活観のあふれるユダヤの十戒と比べて、キリスト教の七つの大罪は、完璧に戦時中、もしくは争乱に特化したつくりになっており、飢饉や疫病、戦争といった中世暗黒時代のかほりあふれる、無能な味方の割り出し方法となっている。
主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位。自分が世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦の遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。
これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。
喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実。
これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力が必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。
これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉の場合、集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉の場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。
これは、完璧に飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ、飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。
上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須の技術となる。
忠義、希望、勇気、純潔、慈愛、純愛、友情、誠実、知識、正義、分別、節制、貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品
・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去に七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望や純潔、上品といった要素が含まれるのも仕方がない。
無能な味方という枠組みを制作するに当たり、もっとも分かりやすく、かつ納得がいく枠組みが宗教と呼ばれるジャンルの中に大量にあったりする。中でもユダヤ人の十戒は、いかにして無能な味方を見分けるかという視点で見るならば、笑っちまうほど的確で分かりやすい形でそれぞれの戒律が定められている。あわせて、キリスト教における七つの大罪についても、同じことが言える。
せっかくなので、双方の戒律から見る無能な味方の判別法についてを簡単に述べる。
基本中の基本。一つの集団を形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。
また、無能な味方を排除する際にも、一言「背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である。
これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。
ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。
恐ろしいことに、ユダヤ人の祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。
休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。
家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。
当たり前。でも、別に生存競争を否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民の虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争で圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在が集団内にいていいわけがない。
昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。
これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。
同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである。
宗教が集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である。
主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位。自分が世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦の遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。
これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。
喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実。
これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力が必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。
これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉の場合、集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉の場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。
これは、完璧に飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ、飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。
上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須の技術となる。
忠義、希望、勇気、純潔、慈愛、純愛、友情、誠実、知識、正義、分別、節制、貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品
・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去に七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望や純潔、上品といった要素が含まれるのも仕方がない。
私の祖母が亡くなった時に、葬式に出るので実家に帰ると言ったら義母と夫から、
とかその他色々、実家帰ると言っただけで香典くれとか一言も言ってないのに詰られたので、今回の夫のお祖母さんの訃報には。
「あらそう、私は盆でも普通に仕事だし、私のばあちゃんの葬式の時にお前らに言われたこと忘れないから葬式はパスするわ」
と答えた。
絶句した
呆れてものが言えなかったのではない
まとめサイトやTwitterなどでDaiGoのホームレスへの差別的な発言を知り、
そのあまりにもひどい物言いに怒りを覚えつつ、彼の動画を見て回っていたときだ
彼が詭弁めいた自説を饒舌に並べる中で放ったその一言に、私は答えを出すことができなかったのだ
野良猫へ餌付けすると野良猫が繁殖して結果的に殺処分される猫の数が増えてしまうからだ
野良猫に餌を与えるという行為は一見すると猫をかわいがっているように見えるが、その実は殺処分される猫を増やす残酷な行為と言える
愛猫家の野良猫への無責任な餌付けは遠回りな猫の虐待行為になり得るのだ
他にも野良猫が増えると排泄物で街が汚れたり、ゴミが荒らされてしまうこともあるだろう
野良猫を保護したいのであれば、自宅で飼ったり不妊手術をして地域猫として生活させるべきである
一方、DaiGoが野良猫と並べたホームレスへの炊き出しはどうだろうか
ホームレスへ炊き出しを行うとホームレスが炊き出しに依存してしまいホームレスから抜け出せなくなる可能性が考えられる
さらに、まだホームレスになっていない人が「ホームレスになっても炊き出しで生きていける」と思って実際にホームレスになってしまうかもしれない
ホームレス支援者の炊き出しはホームレスのためにはならないのではないだろうか
他にもホームレスの存在が街の治安悪化や衛生環境の悪化に繋がってしまうこともあるだろう
ホームレスを保護したいのであれば、生活保護を受給させてアパートに住まわせたり、シェルターなどで生活させるべきなのではないか
──────────────────
DaiGoはその差別的とも取れる発言から徹底的に叩かれている
しかしDaiGoを叩くその流れの中に、本来考えるべき問題が飲み込まれてしまっているのではないだろうか
DaiGoを叩くことで本来向き合うべき問題から目をそらしてしまっているのではないだろうか
「野良猫への餌付けは許されていないのに、なぜホームレスへの炊き出しが許されているのか」
しかし昨今の感染状況を鑑みると、娯楽のために地方から東京へでる気にはならなかった。
ワクチンは2回接種済だが、だからといって感染しないわけではない。正直いまの東京にいくのは怖い。
舞台と客席の間隔をあけて全員がマスクをして一言も喋らずに座っているだけならそうだろう。
でも実際はそれだけじゃない。
現場にいくまでに公共交通機関をつかって移動しなくてはならない。
食事も水分補給も必要だし感染リスクのある公共のトイレを利用する瞬間もある。外にでる以上人との接触は避けられない。
それに現場が感染対策の徹底した安全な空間だとも思えなかった。
現場には全国各地からオタクが集まってくる。狭い界隈だから、全員が全くの他人というわけではない。
この半年間にいった現場はいつも賑やかにざわついていた。久しぶりに会った友人知人に声をかけたくなる気持ちもわかる。
劇場側から注意されても無視して喋る・食べる客を何度もみた。劇場が会話を注意しないこともあった。
現場のたびにヒヤヒヤしていたが、同じ現場にいたオタク仲間が現場後に感染した話は聞いたことがないので、あの環境でも問題はないのだろう。
でも万が一ってこともある。
幸い観劇予定だった公演は自粛によるチケットの払い戻しを受け付けていたので、主催者の寛大な対応に甘えさせてもらうことにした。
自分の身を守るために取った行動とはいえ、この行動がまわりまわって誰かのためになるかもしれない。
今の状況を乗り越えるためには一人一人の行動が大切なはず。
まずは自分の行動を見直す。今は我慢の時。これが正しい判断。そういい聞かせてチケットを返送した。
でも、コロナ禍における正しさと、オタクとしての正しさは違うんだよな。
地震だろうが台風だろうが、公演がある限りはなんとしてでも行く。私もそうだった。
感染爆発だろうがなんだろうが、この世の全てを振り切って推しをみる。
それがオタクとして正しい姿だと思う。困ったことに今もそう思ってる。
ツイッターでは保健所や医療現場の悲惨な状況を伝えるツイートが拡散される一方で
チケットの交換募集や週末の公演を楽しみにしているオタクの様子も流れてくる。
公演が始まれば毎日舞台の感想や仲間たちとの集まりを匂わせるツイートが溢れるだろう。
現場を楽しんでいる人たちをみると、なんで私だけ自粛してるんだろうとバカバカしくなってしまう。
そのあとやっぱり東京にいけばよかったと思う。
軽率な行動で感染したくない。感染拡大に加担するべきではない。でも推しの現場には入りたい。
社会の構成員である私の正義とオタクである私の正義。理性と欲望がせめぎあう。
悩んだところでもう手元にチケットはない。
私の判断は間違ってないと思う。でも悲しい。推しの舞台を観に行けないことが悲しい……。
悲しみを癒したくて推しのブログを開くと、医療従事者に向けた文章をあげていた。
「医療従事者の皆さんの頑張りが報われるよう、自分も気をつけます。」というような内容だった。
感染爆発中の東京に人を集めていながら、なにをいってるんだろう。
どこからきたかもわからない人間を2時間以上劇場にぎゅうぎゅう詰めにしながら、なにをいってるんだろう。
推しが舞台に立つことで余計に苦しめられる医療従事者がいるかもしれないのに、どの面下げていってるんだろう。
まぁただの一出演者である推しにこんなことを思っても仕方ない。推しに罪はない。
チケット販売時に緊急事態宣言下でなければ制限なく売れることをいいことに満席にしてしまう主催者も
エンタメといってもただの商売なんだから、それでご飯を食べているんだから、やめろといえるはずがない。
そういうものだし仕方がないとわかっているけれど、
自分たちに都合が悪いことは無視して自己陶酔する推しに腹が立つ。
実家帰省すら控えるように言われている中で平気で遠征するオタクの正気を疑う。
なによりこんな状況になっても休業要請・補償をださない政府はなんなの?
なんか、疲れたな……。
なぜ素直に非を認められないのだろう。
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xgn***** | 1時間前
どういう風にフォローしたら、「ああ、そういう意味だったのか!」と納得できるんだろう。本人の口から説明を聞いてみたい。
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bla***** | 1時間前
言葉が足りなかったんじゃなくて、一言二言多かったのが問題なんだと思うんですが。
なんか最近のいろいろな謝罪を見てると素直にしっかりと非を認めて謝ってることが少ないですね。どうしても言い訳がましくなるというか。
自分も気をつけなければいけないなと思いました。
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mgl***** | 1時間前
言葉足らずとかじゃないだろう。発言の内容そのものに問題があるんだよ。
この爺さん、言葉足らずじゃなく、余計な事を言い過ぎ。こんな番組、もう要らないだろう。
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zak***** | 1時間前
記事の下記部分
しかしながら、張本氏の発言の中には、ご指摘のように『女性及びボクシング競技を蔑視した』と受け取られかねない部分があり、
受け取られかねないとはなんですか?
多くの視聴者どころかボクシング協会ご本人が受け取っているのですが
どんな謝罪だよ
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arr***** | 1時間前
言葉足らずではなく、常日頃から女性蔑視の考えがあるから、あういう発言になるのでは。
だから私の考え方がおかしかったのです、これからは女性を差別しません、と謝るのが正しい謝り方なのですがね。
もう年齢的にそういう柔軟な考え方が出来ないのでしょうけど、それでもテレビにコメントを出す方なら発言は十分に注意すべきでしょう。
今は張本さんが現役の時代とは桁違いなぐらい、差別的な発言には煩いですからね。
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dia***** | 1時間前
〉今回の私の発言は言葉が足りませんでした。入江選手の快挙を称えると共に、自分も金メダルを取れるのではと思って、ボクシングをやる女性が増えてほしいということを本当は言いたかったのです。言葉足らずで反省しています
言葉が足りなかったって…
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ali***** | 1時間前
「女性でも殴り合いが好きな人がいるんだね。見ててどうするのかな。嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合ってね。こんな競技好きな人がいるんだ」→「入江選手の快挙を称えると共に、自分も金メダルを取れるのではと思って、ボクシングをやる女性が増えてほしいということを本当は言いたかったのです。」
張本氏を弁護して行間を埋めてくれる猛者を求む
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thj***** | 1時間前
「言葉足らず」とはただの説明不足のことで、真意を聞くと納得がいく発言の事を言うのではなかったか。
切り取られているとはいえコメントを見る限り、「言葉足らず」なんて一言で済ますことができない、女性及び競技そのものに対しても蔑視しているようにしか聞こえない。
スポーツの世界に身をおいたことがあるなら、もっと違う言葉でリスペクトを表現できるはず。できないのであれば、ただのバラエティとはいえ他人を評価するべきではない。
○ご飯
朝:なし。昼:カロリーメイト。夜:マクド。(自炊サボったのも自己嫌悪)
○調子
むきゅーはややー。お仕事は…… 久々に議論がヒートアップして熱くしまった、申し訳ない。
事実ベースにおいて、論としては僕の方が正しかったのだけど、うまく伝えられなかった。
結局別に相手の人もそこまで深く考えて発言したわけじゃないし、言葉の表層は違えど本意としては僕と同じ意見だった。
なのに議論のための議論みたいなところが白熱してしまって、あまり良くなかった。
いや別に論を戦わせること自体は良いことだと思うのだけど、ポロッと言った一言に固執してしまったり、会話の流れなのに過剰に論理を求めてしまっていて反省。
よくないなあ、よくない。
暴言を吐いたとしたわけじゃなく、本当にただただ議論に熱くなっただけなのけど、すごい自己嫌悪。あそこでああ言ってればもっと早くすれ違えに気づけたとか、すごいぐるぐる回っちゃうし、なんか一挙手一投足全部が変だった気がして落ち着かない。
ごめんなさい。(議論の相手にも謝ったのだけど、謝ったらいいってもんでもないしなあ……)
うう、なんならもうこうやってウジウジしてることが気持ち悪いように思えてきて、堂々巡りだ。
本当良くない、変わろう。
どうせ嘘だろうが一応突っ込んどくが、元増田は別に結婚したいとすら一言も言ってないぞ
なんのコンプ刺激されたのか知らんが木曜の夜に共働きの嫁と子どもほっといて増田とか馬鹿みたいな設定自分で言ってて悲しくならんのか
「ロリポにログインできないそうです。IDとパスワードを教えて下さい」
誰に作業させているのか知りませんが、ロリポのアカウントは貴方が作ったものです。なぜ私が教えるのでしょうか。
「修正済みのステージングを確認しましたが全体的にあまり変わっていませんね」
貴方の指示はトップページのデザイン変更でした。バッチリ変わっていると思うのですが、どこの何を確認したのでしょうか。
なぜ貴方が難易度を判断できるのでしょうか。また私の予定は無視ですか?
「私だってこんなことで連絡したくないんです。でも、ロリポにログインできないんです」
もっと追加の情報をいただけないですか?その一言だけ送られても何をどう直せばいいのかサッパリです。