はてなキーワード: グローバル化とは
ふと思いついたんで増田にでも。
戦中戦後の記憶のある人のブログみたいなの読んでたんですよ。えらいおもしろかった。自分が生まれる以前の記憶を持ってる人の話ってだいたいおもしろい。ああそうか、じゃあ俺が書く自分史みたいなのも意味あんのかなーと思ったんですけど、当年とって40歳なかばくらいの俺ってあんまり書くべきトピックないんすよね。子供時代に飢えるほど腹減った記憶もないし、自動車がなくて隣の町まで歩いたわけでもないし。せいぜいがとこ、子供時代にまだお祭とかに見世物小屋あったよなーとか、子供のころに横浜駅あたりでも傷痍軍人が戦争反対とかいいながら乞食やってたよなーとかそれくらいで。
でもそれってその前の時代からあったことなわけで、いまさら俺の世代が書くべきようなことでもない。
で、この世代のトピックってなんだろって思ったときに、通信手段の変化なんすよな。具体的にはインターネット以前と以後。あとケータイ以前以後、ポケベル以前以後。この変化を如実に経験してきてる層で、全部に関わってきてるのもやっぱこの世代だと思うのですよ。
なるほどなーそれだったら俺にも書く意味あるなーと思ったんですけど、ひとつ問題が。俺、交友関係でポケベルとかケータイとか必要だった記憶まったくない。友だちいなかったので。
個人史的なもので、トピックが通信手段の変遷ってことになると、やっぱりコミュニケーションとの関係が不可欠な視点になると思われるわけです。この流れって要は通信手段のプライベート化だし、それが極まったところからの、個人が直接インフラを通じて全世界につながりうるっつー、なんつーの、そのグローバル化みたいなもんじゃないですか。俺は世代的にはその全部を経験してるはずで、いま現在もインターネットに存在しつつ、んじゃ仕事でバイトとの連絡に使うためにLINEでも始めますわーしゃーないみたいな感じなんですけど、でも実際にはポケベルやらケータイやらはまったく通過してないのですよ。
で、思ったんすけど、このへんのことを「全体的な状況を俯瞰しつつ」「個人的な経験として」書いてくれる人いないかなーと。あったらすごいおもしろいのに。
以前以後みたいなテーマって、俯瞰的に論じる人はけっこういるんだけど、個人史として書いてくれる人って意外に少ないんですよね。たぶん人の生活においてはどんな革新的なツールも「なんとなく発売された新商品」として消費されてしまって、それ以前と以後っていうかたちで明確には意識しないからだと思うけど。
でもはてなならそれ語れる人ってけっこういるんじゃねーかなーと思いまして。というわけで、通信媒体に関する「以前」「以後」について、個人的な経験を通して語ってください。ポケベルでもケータイでもネットでもなんでもいいです。こうしたツールはコミュニケーションに関して一定の影響力があったはずなんですけど、俺からはそれがよく見えんのですよ。だから人の書いたもんを読みたいのです。シロクマせんせ、いっちょどうでしょう。
きしんけん
nago-don
雪乃さん
トップの思想が硬すぎる。ゲームの本質を捨てた任天堂に未来はないだろう。ライトユーザに向けた作品しか作れないのはグローバル化する市場では死あるのみ。
怠け者
ゲームに3D機能つけるのはいい発想だろうけど携帯機の技術がまだ足りてないように思える。家族ゲームは任天堂が一番楽しいから頑張ってほしい。
accelerando
ボタンをカチカチやるのが好きなので、WiiやWiiUよりは64やGCの方が好き。DSのタッチ操作は便利だと思うけど。スマホは論外。
avesi
DS系に頼り過ぎたんだよ。Wiiが失敗した時点で方向転換すべきだった。SONYはPS3での初戦失敗から学習してPS4で成功してる。
びぜん
ハードはスマホ屋が作ってくれるんだから、ゲーム屋はソフトだけ作ればいいんですよ。でも任天堂はハードを作る人材と機材を抱えてるから、スリム化出来ない!
任天堂のハードですら「入れ替えが早い」という意見も出てくるというのは、ゲーマーの方からすると意外に映るのではないだろうか。
少子化が進む中、今の日本は大額が多すぎる。いずれ大規模な大学淘汰が起こることは必至。
「どの大学を生き残らせるべきか?」
http://anond.hatelabo.jp/20141128102439
jsとIPの方の調査がお見事だったので、便乗して自分がテキスト読み込んで気になった点を。
結論から言うとこのテキストは政治家もしくはその身内が書いたものだと8割くらい確信してる。
日本は、技術者、研究者、経営者は世界のトップレベルだと感じますが、政治家はそれらに比べてひどく質が落ちるという感じは否めません。
記者質問の場で人目を憚らず号泣したり、大臣でもあった有名女性2世議員の政治資金をめぐる対応を見ても、その質の低さを痛感いたします。
ここの結び。
これって、書き手が政治家自身じゃないと筋が通らない文章構造なわけ。
あと、「痛感」って自分の身が痛いってこと=反省しているときによく使う言葉、だよね。
つまり
を直訳風に書き直すと
「自分は、身内の質が低いことについて、あなたに対し反省し恥じています」
「政治家である自分は、同族である政治家の質が低いことについて、あるじたる国民のあなたに対し反省し恥じています」
となる文なわけ。
謙譲語って「身分の低いわたし」から「身分の高いあなた」つまり書き手と読者が別集団に属する場合に使用する言葉で、「国民が国民に呼びかける」って文の建付けと、真っ向から対立しちゃう。主語を意図的に省略した文を書いたのに、いつもの「有権者様に対してへりくだる癖」が出たとしか。職業病だね。「政治家カテゴリ」に野々村議員も小渕議員も筆者も含まれる&議員は常に客体である国民より下の身分というタテマエが刷り込まれているため、こういう書き方になる。これも主語サイズ問題の一種。
納得出来ない人は逆のケースを、もうちょっと一般的に考えてみよう。
あなたが同僚に対し、買ってきたケーキがまずかった話をするときどう言うだろう。
「ケーキの質が低いです」または「ケーキの質の低さが際立ちます」くらい?
「ケーキの質の低さを痛感いたします」とはまず言わないでしょ。
じゃあケーキ店オーナーが、実食した自店舗のケーキがまずかったことを客に詫びなければならない時は?
半信半疑だった自分が「あ、これ決定的にあかんやつかも」と判断した最大のポイントはそういうこと。
2カ所目は
誰に入れていいかわからないのは、政治家が政治への関心を持ってもらおうとする努力を怠っているということの表れでもあります。
弱いけど、「痛感いたします」を踏まえた目で見ると傍証として。
「政治家が政治への関心を持ってもらおうとする努力を怠っている」という言い方は、やはりあまりに書き手が政治家側に寄りすぎている。「もらおう」謙譲語、「努力を怠っている」わがこととして反省しすぎ。
一般人が書くなら
「政治家が政治への関心を呼び起こそうとしなかった怠慢の表れ」
くらい?
上記2つの論点以外の+1としては、全体に「てにをは」が滅裂&説明不足の慣用句多すぎという、文章の素人っぷり。
これは、自己主張やアピールによって、政治的リーダーになることが原則の民主主義においては 、「能ある鷹は爪を隠す」「沈黙は金」といった風潮の我が国では 、どうしても優秀な人材が後ろに控えてしまう傾向があります。
↑「は」何回使うねん。
そんな慣用句知らん。カーライルは「この国民にしてこの政府あり」と書いたけど。渡辺美智雄は言い間違えて「この国民にしてこの議員」って言ったんだって?
(ちなみにこういう言い間違いは、ネット探偵の重要な手がかりだったりする)
グローバル化する世界で 、国家間のせめぎ合いが増してゆくなかで 、国内外において、外交、経済にとどまらずあらゆる分野において優秀な政治家の必要性は、ますます高まってきています。
↑「で」何回使うねん。
あと「国内外において、外交、経済」は「国内外において」が不要だし、「代々の政治家系の世襲議員」とか重複表現が多すぎる。
これテキストをちゃんとしたライターが書いてたら、絶対にリテイク食らうレベル。
つまりそれがないってことは、書いたのはずいぶんと偉いひとっつーかクライアントの直筆なんじゃねーの、という(サイトの社長直筆テキストとかにありがち)。+1のこっちはこじつけ感もあるけど。
お前が朝起きたとき、ブラジルの美少女は既にブリブリウンコをしている。
お前がご飯に納豆、味噌汁という素朴な朝食を食べているとき、ウルグアイに居る農民は凶作を憂いている。
一昨日の晩御飯さえまともに覚えていない我々が、世界の裏側で起こる出来事に思いを馳せることができようか、いやできまい。
グローバルに生きようとしても、できることといえば外国語を学ぶこと、そして均質化していく世界の流れに身を委ねることぐらいのものだ。
均質化……いいキーワードだ。
身体は、皆平等に歪である。美醜の差こそあれ、皆歪な、凸凹とした部分を持つことには変わりはない。
だからこそ、人と共に生きるのはしんどい。歪なものどうしが触れ合うのは根本的に不快なものであるからだ。
歪な凹と凸とを擦りあわせるという行為、すなわちSEXが我々に快感を与えるというのは、非常に示唆的であることのように思える。
しかし、グローバル化は凸凹を埋め合わせようとする動きにほかならない。つまり、歪なものを無くそうとする働きである。
ということは、グローバル化とは、童貞化、処女化とも言い換えられる。草食系男子が増えるのも、童貞が増えるのも、グローバル化と照らし合わせば、容易に理解できる。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11412485.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11412485/
身内に「かなり重篤なギャンブル依存」がいるという「嘘」(と判断する理由は後述)から話を始めて、カジノに理解があるかのように装っています。
――ほう!
「優れたビジネスマンですし、他の面ではいたってノーマルな人物なのですが、ことギャンブルとなると熱くなる。若いころは競馬場へ行って1日でボーナスをすってしまうというようなこともありました。海外出張の時はカジノに通っていました。なぜそんなふうにお金を無駄に使うのか聞いたことがあります。これで負けたら全財産を失うという時のヒリヒリする感じが『たまらない』のだということでした」
この人は「優れたビジネスマン」なんでしょ。エリートで「ボーナス」を擦っても大丈夫なくらい資産に余裕があるだけじゃないの? それとも本当に「全財産」かけてるの? 「ヒリヒリする」たまらない快感にお金を払っているだけなんでしょ? それなりに合理的に生きているんじゃないの? 「かなり重篤なギャンブル依存」のエリート???
――依存症は青少年や地域社会、治安への悪影響と並んで反対派、慎重派が最も懸念する点です。やはりカジノはやめたほうがいい、と。
「僕は別に賭博をやめろというような青臭いことは言いません。ただ、なぜ人は賭博に時に破滅的にまで淫するのか、その人間の本性に対する省察が伴っていなければならないと思います。賭博欲は人間の抑止しがたい本性のひとつです。法的に抑圧すれば地下に潜るだけです。[中略]だったら限定的に容認した方が『まし』だ。公許で賭博をするというのは、計量的な知性がはじき出したクールな結論です」
このあたりは、まだ事実認定としても、主張としても妥当ではないかと思います。
――カジノ法案は、政府内に管理委員会を置いて、不正や犯罪に厳しく対処するよう求めています。推進派の議員らは、十分な依存症対策も取る方針を明確にしています。それなら賛成できますか。
「賛成できません。法案は賭博を『日の当たる場所』に持ち出そうとしている。パチンコが路地裏で景品を換金するのを『欺瞞(ぎまん)だ』という人がいるかもしれませんけれど、あれはあれで必要な儀礼なんです。そうすることで、パチンコで金を稼ぐのは『日の当たる場所』でできることではなく、やむをえず限定的に許容されているのだということを利用者たちにそのつど確認しているのです。
面白い見解だけど、パチプロもいるし、妥当性があるかどうかははっきりしないのではないでしょうか? 実証研究など知っている人がいたら教えてください。
いや、サイコロと違って競馬には不確定な要素が多すぎるからでしょう。確率論の教科書には「パスカルの賭け」の話が載っているのを知らないとは!
なぜ「白昼堂々」「市民が」「生業として」なんて極端な想定を持ち出すのかな。それに「生業」にできるんならいいんじゃないですか。
「賭博が分泌する毒性」だって。こういう馬鹿な比喩を使うことについて「あまりに無自覚だと思います」。依存症のメカニズムくらい勉強してよ。 『快感回路』とか。
[中略]
――しかし観光振興の起爆剤になり、自治体財政にも寄与する可能性はある。デメリットを上回るメリットがあるとは考えられませんか。
「安倍政権の経済政策は武器輸出三原則の見直し、原発再稼働などいかに効率的に金を稼ぐかにしか興味がない。でも、当然ながらリスクが高いほど金は儲かる。
「リスク」という言葉をご存知ない? 『リスクにあなたは騙される』なんてことにはなりませんように。あ、それに質問をはぐらかしてますね。・・・・・・というか、仮に内田先生の言うとおり、博打はリスクが高いから儲かるのなら、「デメリットを上回るメリットがあるとは考えられませんか」の答えは、たぶんイエスですね。
安倍政権でも麻薬の合法化はやらんでしょう。論点のすり替えっぽくなってますね。
それに戦争って儲からないよ。アメリカが儲かっているように見える? これについては『戦争の経済学』もある。知らないんだろうなぁ。きっともう頭の中に「金儲けは悪い → 戦争は悪い → ゆえに戦争は儲かる」というバカな公式が成り立っちゃっているんだぜ。
ほら! 思ったとおり。
そのとおり。為政者の大事なお仕事の一つは、内田先生の嫌いなお金儲けの算段、つまり「経(世)済(民)政策」です! まさか「経済」の語源を知らないの・・・・・・。
首相は営利企業の経営者じゃないし、国家は金儲けのためにあるんじゃない。福島の原発事故対策、震災復興、沖縄の基地問題の解決の方がはるかに優先順位の高い国民的課題でしょう。厳しい現実から目を背け、なぜ金儲けの話ばかりするのか」[中略]
なぜ? 原発事故の処理にも震災復興にも基地問題にもお金がいるんだよ!
――理想を高らかにうたうのは大切だと思いますが、現実的な議論をすることが、成熟した大人の態度と言えるんじゃないですか。
「それのどこが『大人の態度』なんです? 人間は理想を掲げ、現実と理想を折り合わせることで集団を統合してきた。到達すべき理想がなければ現実をどう設計したらいいかわかるはずがない。それとも何ですか? あなたはいまここにある現実がすべてであり、いま金を持っている人間、いま権力を持っている人間が『現実的な人間』であり、いま金のない人間、権力のない人間は現実の理解に失敗しているせいでそうなっているのだから、黙って彼らに従うべきだと、そう言うのですか」
現実を見てもいないくせに「現実と理想を折り合わせる」とか偉そうに! 後半、内田先生はインタビュアーがトンデモ発言をしたかのように言いがかりをつけて、自分が正しいかのように見せかけていますね。藁人形論法という詭弁の一種です。気をつけましょう。
――理想を語らず、目先の金。嫌な世の中になりました。
「[中略]有権者は独裁的に物事を決めていく安倍さんを『決断力がある』と見なして好感を持った。合意形成に時間がかかる民主制より、独裁的な方が政策決定の効率はいい。そう思うようになった。
この効率のよさを知らないとは言わせません。チャーチルが独裁的に動かなければ、おそらくイギリスはナチスに占領されたはずです。独裁の問題はその先にある。
それならもう国会なんか要らない。安倍さんがどれほど失政をしようと『劇的に失敗する政治』の方が『決められない政治』よりましだ、そういうニヒリズムが蔓延しています」
そう思っているのは、ニヒリストなのは、世間じゃない、あなたでしょう。誤魔化そうとするんじゃないよ。
――ニヒリズム……。
「米ソ冷戦の1960年代、米ソの外交政策に対して日本人は何の発言権もなかった。国内でどんな政策を行っても、ある日、核ミサイルが発射されれば、すべて終わりだった。そういう時代に取り憑(つ)いていた虚無感を僕はまだ覚えています。いまの日本には、当時の虚無感に近いものを感じます。
ほらね! あなたは、自分の勝手なニヒリズムを、世間に責任転嫁して、新聞紙上で垂れ流してるのよ。だらしないこと。
グローバル化によって海外で起きる事件が日本の運命を変えてしまう。どこかで株価が暴落したり、国債が投げ売りされたり、テロが起きたり、天変地異があれば、それだけで日々の生活が激変してしまう。自分たちの運命を自分たちで決めることができない。その無力感が深まっています」
「『決められない政治』というのは政治家の個人的資質の問題ではなく、グローバル化によって、ある政策の適否を決定するファクターが増え過ぎて、誰も予測できなくなったので『決められなくなった』というシステムそのものの複雑化の帰結なのです。何が適切であるかは、もうわからない。せいぜい『これだけはやめておいた方がいい』という政策を選(よ)りのけるくらいしかできない」
自分が「決められない」意気地のなさを「システム」のせいにしてさ、恥ずかしくないの? 「もうわからない」「できない」と言う前に、勉強しましょうよ。
[中略]
「民主制のもとでは、失政は誰のせいにもできません。
安倍政権批判を貫徹する勇気もないらしい。というか、民主制を維持しようとする気概もない。つまり、ただただ虚無感に打ちひしがれて、僕、内田樹と一緒に諦めましょう、と。最後まで何のまともな提案もないんですね。新聞に載せることですか?
民主制より金が大事という判断を下して安倍政権を支持した人たちは、その責任をとるほかない。もちろん、どれほど安倍政権が失政を重ねても、支持者は『反政府的な勢力』が安倍さんのめざしていた『正しい政策』の実現を妨害したから、こんなことになった。責任は妨害した連中にあるというような言い訳を用意することでしょう。そんな人たちに理屈を言って聞かせるのはほとんど徒労ですけれど、それでも『金より大切なものがある。それは民の安寧である』ということは、飽きるほど言い続ける必要があります」(聞き手・秋山惣一郎)
たしかに『金より大切なものがある。それは民の安寧である』なんてお題目が、たいそう立派な「理屈」だと思って、それで何かを提案した気でいるんだから、「そんな人たちに理屈を言って聞かせるのはほとんど徒労です」よね。よく分かりました。
(もう正直ね、あまりに腹がたったので、言葉が荒くなってしまったようです。とはいえ、内田樹先生への批判として理屈は書いてあると思いますし、その理屈が本旨です。「あまりの酷さに腹が立った!」ということを伝えるためにも、文章は(概ね)そのままにしておきます。各自で不適切な表現を割り引いてくださいませ。)
差別良くないのは当たり前なんだけど
それでも気をつけていないと、自分でも気がつかないうちに差別してしまっていることがよくある。
これらの事を学んだけども、僕にはどうもこれらのことには相互にほとんど関連がない気がする。
関連というか類型化(?)がしにくいので、これらの差別を学んだからといって、他の未知の差別に気がつくことができるということにはなりにくい。
これらに共通するのは
ということだけではないか。
現在進行形の差別があったとして、それはいま「行われているのだから」①が当てはまるのは当たり前だ。
じゃあ②で判別できないか。
世界が完全にグローバル化されて均等な社会なら良いが、しかし世界は均一でないどころか、日本も均一ではない。
そして世の中は常に変化していく。
たとえば、世の中には、国境を越えて自由に移動できないのは差別だとかいう人もいるけども、今は常識じゃないそれらが将来常識になる可能性は存在する。
もしそうなったら「入国審査もせずに勝手に日本に入ってくる奴は捕まえるべきだ」と考えている人は差別主義者になるのかもしれない。
いまもこれからも、時代の流れについていけない地域と人間によって差別というのは永遠に生み出され続ける。
つまり差別はなくならないし、いまは差別に反対している自分も知らないうちに別の差別に加担しているかもしれない。
(このあいだも話のネタに困って興味もないのに相手の血液型とか聞いてしまった)
いやそれとも僕が間違っているだけで、差別は根絶できるんだろうか。
僕には差別は誤差とか摩擦のようなもので、実際にはなくすことは不可能なもののような気がする。
自分の行動が差別かどうか気がつくには常に考え続けるしかない。
人間の行動なんて実際はほとんど無意識なのでそんなことは無理だ。
もちろん気がつくことができれば修正はできるけど新しい差別が生まれる以上それが消滅することはない。
だとすると、差別する人というのは自らの地域・文化・知識バイアスのかかった高慢と偏見から差別するわけだが、それに対して感情的な攻撃をするというのは間違ってるんじゃないか。
うーん、というか、差別が人間社会の根源的なものでなくせないのであるならば根絶しようとする態度は間違っていると思う。
むしろ差別と付き合っていく方法を考える必要があるんじゃないか。
というようなことを考えている。
どうするべきかよくわからんが。
http://www.pref.osaka.lg.jp/jinken/work/kyozai9_01_02.html
これ読もうとしたけどわからん。
ブラック企業が淘汰されて起こることは、
物価は増
となるからだ。過当競争が解消されて何が起こるかと言えば、安価で提供されていたサービスが消失することでその需要が行き場を失い、経済がその分失速する。
既存企業は別に現状維持で問題ないので賃金も雇用のパイも増えない。
新しく参入する企業は既存企業と同じ立場で競争するか、それとも脱法的に競争するかの二択になり、結局は変わらないので、
ブラックを潰すのではなく、ブラックを糺すことによる経済活性を狙うしかない。
しかしそれも結局ブラック企業を潰したことと大差ないのでどのみち経済は縮小する。
最近、務めている会社が親会社を含めてこれに夢中になっている。
腐れたインフラを導入するのはどうにもムシが好かない。
つーか、開発したやつしか理解できない不安定な仕組みなんて捨ててしまえ。
将来を見据えているとか説明されたけど、前回の導入時にもそんな話聞いたし、
今回も構成要素を意味不明な法則で再分解(置き換え)しただけじゃねえか。
そんな仕組みのうま味なんてエンドユーザは求めてねえし伝わらねえよ。
腐れたソースでしか情報発信できない仕組みなんて使いたくないし覚えたくもない。
どうせ数年したらすたれるだけだよ。そうなったらまた覚え直しか?
つーか、コンプライアンスやらWCAG 2.0の話はどこにいった?
クソが!
電機大手の中で周りを見てみた。中小はわからない。身近な例だけ見てるから例外もあるはず
結論としては、理系で東大や東工大のエリート童貞なら、電機大手に入ればなんとか可愛い奥さんもらえそう。
文系のエリート童貞は電機大手に見当たらないけど、きっと他の分野にいて幸せになっていると思う。
リア充かどうかは童貞臭いかとかコミュ障かとかの雰囲気を考慮。
大手だからか理系大学よりもリア充も女性も多い。採用の時に調整されてる。
これを割合順で並べるとこうなった。
このパターンに当てはまらない人もたくさんいます。あくまで自分の周りの例を見てまとめました。
全体的に年収が高め(30代前半で800万オーバー)なので、結婚しようと思えばできるのでは。
・社内結婚が半分くらい。同期や数年違い入社同士の出会いが多くなるよう、研修などがあるのでそこで出会ってお付き合い、というパターン。
奥さんは産休育休時短取って社内パートのように働き、子供が大きくなったら普通に働く。世帯年収高い。
・お見合いで結婚する人が実は結構いる。婚活で勝てる。奥さんがきれいな人が多い。本人はお察し。
コミュ障気味で、大丈夫かな…という人も、割と結婚している感じ。
旧態依然とした社会なので上司の紹介とかもあるし、趣味ももたず、結婚もしないで24時間仕事バリバリやっていると昇進もできるのが救いなのかも。
公言しないけど婚活してる人はいるのかもしれない。可愛い奥さんがほしい、と言い続ければ誰かが可愛いかはともかく女性を紹介してくれるだろう。
大学時代の彼女とそのまま数年付き合いを続けて、仕事もわかってきたし、お金もたまったので結婚する、というパターン。
もし彼女と別れても社内や友達の紹介、合コンとかでなんとかなる人たち
昇進していくと様々な人とコミュニケーションを取らなくてはならないので、そこまで生き残れば強い。
途中で非リアの課長とかに当たると、同じ非リアで仕事バリバリやる同僚の方が評価されることもある。
意外と普通の奥さん。
外国人と付き合ってる人が多い。文系で電機大手に入るには超有名大学であることと、少なくとも英語ができる必要があり、海外留学経験者がほとんど。
グローバル化の名の下海外から就職してきてる人もいる。社内結婚する人は多くない。社内より良い人と結婚するケースが多い。
結婚するとほとんどが会社からいなくなる。美人。結婚しても残る人は日経DUALとかに載りそうな雰囲気。
結婚しない人は遊びまわったり、自分磨きをしていたり、楽しそう。
仕事命で結婚せず男並みにバリバリやってる人もわずかながらいる。男社会の壁にぶつかると転職して辞める。
一方で圧倒的語学力とコミュ力、有名大学を出るだけあって仕事ができる、という強みで精鋭エリート化できる。
社内に手を出してみたり、学生時代の彼女がいたり、いろいろ。奥さんはもれなく美人。
育成される人は会社が費用を出して高額研修に行かせ、5年以内に辞めると費用を返さなくてはいけないという縛りをかけられる。
育成されなかった人は外へ出て行く。
結婚できない人はほぼいない。社内で選び放題。
社内で結婚できる。男ばかりの職場に配属されるので、姫扱いか腫れ物か。
いない
もうちょっと詳しく言うと、旧帝大クラス以下のレベルの大学で文系学部って必要なの?
安倍政権の大学改革で、文系不要論が台頭してるので、文系の皆さんが大騒ぎしてるんだけど、理系の自分としては、複雑な心境になるんだよね。それって自業自得ってところもあるんじゃないの?っていうか。
旧帝大クラスの文系でも,ぬるま湯につかりすぎだろって、理系の人間なら誰でも思ってるんじゃないかな。毎年毎年授業は変わり映えもせず、試験もレポートも楽勝、学生も教員もそういったぬるま湯に浸りきってる感じ。じゃあ、文系教員が研究してるかというと、文系で、コンスタントに海外の論文誌に発表してる教員って、「割合として」そんなに多いのかな?
理系だと、論文は普通英語で書くし、海外で研究発表してなんぼで、もちろん業績というのは査読つきで初めて評価される。社会や経済方面でグローバル化が云々されて久しいけど、理系だと昔から戦場は世界であって、日本語で論文なんか書いたって何の評価もされません。ところが文系の研究者って、業績リストを見るとほとんど日本語文献ばっかだよね。しかも、ほとんどが査読なしで、学会論文どころか、新聞とか雑誌の原稿までも立派な業績扱い。こういうのってほんと理解に苦しむわ。
要は、日本という非常に狭い箱庭の中で、内輪で馴れ合ってきたのが文系の現状じゃないの?だったら昨今の厳しい財政状況の中では厳しい評価を受けるのも当たり前だよね。
念のため言っておくけど、文系分野で世界的に評価されている研究者がいないと言ってるわけじゃありません。あくまでも全体的な傾向の話。
なので、旧帝大クラス以下のレベルの大学で、文系なんていらないじゃんっていうのは、それほど暴論じゃないと思うんだけどなあ。でも、そういう論調は主流じゃないんだよね。
ポイントは、競争する組織として、離職率が高い方がよいかどうかってことだな。
つまり、成長産業や変化の激しい先端産業ほど、知識の陳腐化、ノウハウの陳腐化が激しいから、
もちろん全員ではないけど、離職率は高い方が組織の柔軟性は保てる。
一部の普遍的なノウハウの継承に必要な人材って1割いれば再生産できるから、極論5年で9割が入れ替わっても問題がなかったりする。
そう考えた時に、現在インターネットやグローバル化の波が強くなり変化が早まっているのだから、
すると、離職率は自然に高まっていく状態をどの企業も許容できるようになる。
「時事ドットコム:EU、日本に「人権条項」要求=侵害なら経済連携協定停止」
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.jiji.com/jc/zc?k=201405/2014050500353&g=pol
を見て、「ヨーロッパの人権基準を振りかざすのか」「内政干渉だ」「人権を経済に絡める違和感」…といった感想が多く見られるが、そういう人は、「人権」に関する国際的な規定の一つの形が既に成立していることを余りご存じないのだろう。
ISOを御存知か。というか、多くの人は御存知だろう。ネジ1本から工場のシステム全体まで、その国際的な規格だ。ISOの規格に沿わないネジを作っても外国に輸出が難しいように、ISOの規格を取らないと、たとえば海外企業との取引でハンデがある。まあ、せいぜい「ハンデ」なんだけども。日本はことにISO好きすぎる位だしね。そんなに大げさに考えることも無いんだけど。ただ、自分が今後会社の中で海外に製品を発注する際、そういう規格で注文したり、そういう規格の認証を受けている会社に注文するというのは、いろいろと安心感があったり、便利なことはよく分かるだろう。そのための規格だ。
そのISOの中でもISO26000というのは、企業の「社会的責任(CSR)」を定めた規格で、かなり適用範囲が広い。その中に、企業の労働慣行、環境への配慮などと並び、『人権への配慮』についても細かい規格が定められているんだ。たとえば従業員が子どもを預けるための施設が近くにあるか、とか。ブラック企業と取引してないか、とか。ちなみに、その調査は、その会社の子請け・孫請けにも及ぶ、ということも規定されている。
分かるとおり、これは今後予想される途上国との取引に、一定の型をはめるために作られたもので、見ようによっては相当政治的なシロモノでもある。だが、正論でもある。ダンピングを行う会社は市場経済の敵なのだから、不当な環境で従業員を酷使することで利益を得ている会社は労働市場におけるダンピングを強いているわけで、やはり市場経済の敵だ。従業員を酷使することで、つまりダンピングから利益を得ている会社と取引する会社は、当然市場経済の敵だ。筋が通っている。また、人権に配慮しない社会の中にある会社は、当然ながら人権に配慮する社会の会社より、社会的責任を果たしていないことは明白であり、これもダンピングから不当な利益を得ているということになる。企業の社会的責任に関する規格、というのは、極論すればそこまで及ぶ。
大げさな話をしているように思うかもしれないが、興味のある人はISO26000で調べてみてほしい。すでに、この規格は完成して、数年前に発行された。
今回の件もその一端であり、いくら「日本が猛反発」しても全く覆る余地のない話なんだ。ハッキリ言って、反発するタイミングが一手も二手も遅い。つーか、完全にズレており、今回の問題についてのポイントを捉え損ねている。いくらゴネたところで、「時代遅れの国」と見なされ市場から排除されるだけであり、さっさと対応を考えるしかないのは明白なんだよね。これを飲むためには、何についてどれだけの議論を進めることが必要か、どんな準備をすべきか。少なくとも、「反対」などという悪手を打って、正当な対応が遅れれば遅れるほど、ビジネスチャンスもまたどんどんと失われていくということくらいは理解しておくべき。
「うちの会社、国内取引だけですしwwwヨーロッパ関係ないしwwww」と笑ってるブラック企業の皆さん、子請け孫請けにも適用されるということは、おたくの取引先、さらにその先に、ヨーロッパと取引してる会社があればアウトだってことを理解しておく方がいいよ。この話に全く関わりのない日本の会社は、多分ないんじゃないかな?