2014-09-26

差別する人

差別良くないのは当たり前なんだけど

それでも気をつけていないと、自分でも気がつかないうちに差別してしまっていることがよくある。

肌の色だけで人間の扱いを変えるのはおかしい。
障害者が住みにくい社会なのは障害者が悪いんじゃなくて社会が悪いのである
女性は家庭にいて男が社会に出るというステレオタイプ強要は間違っている。


これらの事を学んだけども、僕にはどうもこれらのことには相互ほとんど関連がない気がする。

関連というか類型化(?)がしにくいので、これらの差別を学んだからといって、他の未知の差別に気がつくことができるということにはなりにくい。

これらに共通するのは

  1. 「これまで当たり前にやっていた人間の特徴に対する扱いかたの違い(差別ではなく区別だとみなされていた)」
  2. 現在社会常識に照らして、合理性がなく倫理的に間違っている」

ということだけではないか。

現在進行形差別があったとして、それはいま「行われているのだから」①が当てはまるのは当たり前だ。

じゃあ②で判別できないか。

しかし、現在社会常識ってなんだ。

世界が完全にグローバル化されて均等な社会なら良いが、しか世界は均一でないどころか、日本も均一ではない。

そして世の中は常に変化していく。

たとえば、世の中には、国境を越えて自由に移動できないのは差別だとかいう人もいるけども、今は常識じゃないそれらが将来常識になる可能性は存在する。

もしそうなったら「入国審査もせずに勝手日本に入ってくる奴は捕まえるべきだ」と考えている人は差別主義者になるのかもしれない。

いまもこれからも、時代の流れについていけない地域人間によって差別というのは永遠に生み出され続ける。


まり差別はなくならないし、いまは差別に反対している自分も知らないうちに別の差別に加担しているかもしれない。

(このあいだも話のネタに困って興味もないのに相手の血液型とか聞いてしまった)

いやそれとも僕が間違っているだけで、差別は根絶できるんだろうか。

僕には差別は誤差とか摩擦のようなもので、実際にはなくすことは不可能もののような気がする。

自分の行動が差別かどうか気がつくには常に考え続けるしかない。

人間の行動なんて実際はほとんど無意識なのでそんなことは無理だ。

もちろん気がつくことができれば修正はできるけど新しい差別が生まれる以上それが消滅することはない。

だとすると、差別する人というのは自らの地域文化・知識バイアスのかかった高慢と偏見から差別するわけだが、それに対して感情的攻撃をするというのは間違ってるんじゃないか。

うーん、というか、差別人間社会の根源的なものでなくせないのであるならば根絶しようとする態度は間違っていると思う。

しろ差別と付き合っていく方法を考える必要があるんじゃないか。

というようなことを考えている。

どうするべきかよくわからんが。

http://www.pref.osaka.lg.jp/jinken/work/kyozai9_01_02.html

これ読もうとしたけどわからん

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