はてなキーワード: ねじとは
不眠から職場での居眠りが目立つようになり、注意されては凹む、を繰り返しているうちに驚くほどさっくりと鬱になった。
家からとにかく出られず、家から徒歩三分の場所にある心療内科に行けるまでに一ヶ月もかかった。意を決して家から出ても、病院までの三分の道のりは号泣するくらいに怖かった。
病院に何とかかかったものの、これといった薬は出されなかった。カウンセリングでもなく、こちらから一方的な話をするだけの診療だった。
結局、睡眠導入剤だけを渡された。
薬で何とか眠れるようにした。悪夢と付き合いながら眠れるように努力し、体と心はガタガタのまま、束の間の休職の後になんとか復帰した。
同僚たちは優しかった。ずっとこの会社で働きたいとすら思うほどに暖かかったが、上層部は休職した私を暖かく迎えてはくれなかった。
社長から休職前の限界ギリギリだった頃の行いを掘り起こし、イヤミをネチネチ言われ、人事考課の評価を下げられた。昇給は二度見送られた。
やってられるかよ、と会社を辞めたのが昨年夏。
会社を辞めた日に運悪く伝染病にかかり、重症化を引き起こした。
そこから数ヶ月、後遺症が引くまでは特に何もできずに過ごした。
体調も回復してきた。貯金も無くなってきた。そろそろ就活を再開するか…、と思った年明け。
私のメンタルはなぜかズタボロになった。
一日中ベッドに転がり、トイレ以外にどこにも行けないという程に悪化していた。
頭の中は冷えていて何もなく、空っぽなのにうるさく感じた。
耳鳴りやめまいは止まず、寝返りを打つのにも酷く体力を持っていかれた。
頭皮と頭蓋骨の間が痒くなるような、脳みそをぐにゃぐにゃ触られているような気持ちの悪い感覚が常に付きまとっていた。
家事もできず、風呂や着替えすらままならなかった。会社を辞めた頃に実家へと帰っていたため、家族からの言葉や視線が恐ろしくてたまらなかった。家族は私を咎めるようなことは何一つしなかったというのに。
そのうちに「働いてもいないのにご飯を食べていいわけが無い」と思いこみ、ご飯をほとんど受け付けなくなった。
そんなある日、首を吊った。紐を部屋のドアノブにかけて、座った状態で吊ろうとした。
普通に失敗した。
何も考えていなかった。発作的に死のうとしたため、ドアノブに紐を上手く括ることが出来ないまま体重をかけた。
ドアノブが動き紐は外れ、私は無様に床に落ちた。
あまりに情けなさすぎて死にたさが増した。
こんな簡単なことすら失敗するのかと、誰も見ていないのに恥ずかしくなった。
紐を巻き直す力もなく、布団に潜り込んで泣いてるうちに眠っていた。
貯金は既に数百円だった。
何とか手もみマッサージのバイトに滑り込んだ。歩合制だったので日給で数千円をたまに稼ぐことができた。それだけでどうにか生きる気力が戻ってくるようだった。
新人に客がつくわけもない。リピーターだってコロナで自粛して来なくなった。店に行く交通費だけが出ていくようになった。
私はバイトを辞めた。完全歩合制はクソと言いながら、今度はちゃんと求職者と企業を繋ぐ斡旋会社に世話になり、スーツを着て就活に挑んだ。
全て落ちた。
面接にこぎつけても落とされた。
今は仕方ないと皆が口を揃えたが、仕方がないわけがなかった。
段々と時間をかけて「お前はいらない」「必要ない」と社会全体から否定されている気分になって、夜になると毎日泣いていた。
給付金がなければもう一度死を選んでいたと思う。
再び一日布団に埋もれる生活が戻ってきた。
気がつけば朝、気がつけば夜を繰り返した。
人の視線が恐ろしくてたまらず、家の敷地から出られなくなった。
外に出るとどいつもこいつも私を指さして嘲笑っているように感じた。人と目が合わせられない。落ち着かない。消えたい。車道に飛び込みたくなる。希死念慮が払拭できず、動けなくなった。
スーパーに行けば過呼吸を起こし、電車に乗ることを考えるだけで胃が痛んだ。
そんな生活が続いた長雨のある日、缶が開けられなくなったことに気がついた。プルタブを起こすことが出来ない。ペットボトルの蓋も同じだった。
体にとにかく力が入らない。入れているのに、ものを持てない。フライパンすら片手で持てなくなっていた。
階段を挙がるだけで息が切れた。
開けたばかりの牛乳パックを片手で長く持っていられず、あまりの非力さに自分で引いた。
ゾッとして、腹筋をしてみようと考えた。
1度も出来なかった。体が重くて持ち上がらない。
その時の私のBMIの数値は20。私は数値だけを見れば決して肥満ではなかった。痩せてもいなかった。しかし、体脂肪が高く、体のほとんどを脂肪が占めており、とにかく筋肉がなくなっていた。
最低限日常を生きてくための筋肉すらないことは恐ろしくて、何よりも情けなかった。
鏡に映った自分は、生きる気力を失っている豚だった。
豚ですら体脂肪率は15%前後だ。そんなものと比べたら私は脂身そのものだ。豚に失礼だった。
筋肉をつけるための筋肉すらないのなら、今の体すらも重すぎると考えて、まずは体脂肪を減らすダイエットをしようと考えた。
結果が出なかったら今度こそ死のうと考えていたので、勉強は割と真面目にやったと思う。
動画サイトを巡回し、ダイエットブログや本を読み、栄養学に手を出した。痩せるためのノウハウを頭に叩き込んだ。
本当に特別なことは何も無いダイエット方法だ。よく動き、必要なものを摂取し、余計なものは食べない。それだけだ。
まずは白米と別れを告げた。
あとはなんてことは無い。ただ動いた。
最初に有酸素運動を始めた。最初はとにかく家から出られなかったので、雑誌を重ねて養生テープでぐるぐる巻きにした台を作り、ひたすらに昇っては降りた。
踏み台昇降はYouTubeやTwitterを見ながら、たまにゲームをしながらだらだらと、しかし確実に成果を積むようにした。
とにかく体を動かす癖をつけることを重視した。
動いている実感が欲しくて、筋トレ動画にも手を出した。高負荷はかけられなかったので、エクササイズレベルの軽いものを、毎日動画1本分はやると決めた。最初は筋肉痛で眠れなくなった。
効率も、筋肉に効いているかすらも無視し、とにかく習慣になることだけを考えた。
YouTuberの丁寧な編集の動画のおかげで、やる気は折れず、どうにか毎日続いた。
一ヶ月になる頃には確信に変わった。
体重も体脂肪は少し落ちただけだ。ダイエットが成功したとは言わない。
まず、朝が怖くなくなった。食べることへの罪悪感もなくなった。ちゃんと腹が減ることに感謝した。
そのうちに筋トレの質も気にし始めた。ジム通いはできなくても、水を入れたペットボトルは用意できたし、チューブは意外にも安価だった。
車庫に放置していたローラー台を駆使して自転車に乗るようになり、しっかりと栄養バランスを考えたご飯を食べた。
筋肉をつけるためにプロテインを飲み、体内の水分の循環のために水を多く取るようになった。
ふと気がつけば自分から進んで家族の使いとして買い物に出るようになり、プロテインやダンベル欲しさにいつの間にか就活も再開していた。
汗をかくことに気持ちよさを感じ、体の軽さと心の軽さに感動する自分がいた。
「出来ることない無能、早く死にたい」から「こんなゴミでも出来ることあったんだ」へ変化し、そのうちに「少しでも頑張れてる。えらい」になっていった。
ダイエットを初めてから1ヶ月で体重3キロと体脂肪率を約3%落とした。
自転車を漕いだ距離はもう少しで北方領土から東京までぐらいの距離に届きそうだ。
運動後にかいた汗を流すシャワーが何よりも気持ちが良く、夜には健全な眠気が訪れるようになった。
ペットボトルも開けられる。外にも出られる。
人はもうそんなに怖くない。
ここから筋肉を育てていく。ダイエットとしては始まったばかりで、正直ここからが本番だ。
私はまだ豚だ。だが、首を吊ろうとして失敗した頃とは180度違った自分が鏡に映っている。
私は君を長年にわたって裏切ってきたのに、君だけは私を裏切らなかった。
それから普通に裏切る関節や内臓はいたわっていく。あいつらは消耗品だ。
アラサーはもう決して若くねーのだ。
でも遅くはなかった。絶対に。
誰かに私のやり方を真似しろとは言わない。この文章も忘れないために書き散らしたものだ。
医者いらずとは言わないし、万人の鬱が筋肉で全てが良くなるとは思っていない。
ただ、私にとって、メンタルの回復のために、筋肉がとても頑張ってくれたという話だ。
筋肉という名の相棒よ、メンタルは君に預けた。これからも一緒にクソ鬱をぶっ飛ばしていこうな。
【追記】
沢山の反応ありがとう。
かなりフェイク入れてたし文下手だからちょっと矛盾もある。読みにくくて申し訳ない。こんなに反応があると思わなかった。
おめでとうって言葉はすごく嬉しかった。自分で結果出して自分で褒めてたけど人からの反応は全く違うね。
本当にありがとう。死ななくてよかったよ。
【補足とかコメントへの反応】
躁鬱じゃね?病院すすめる
→心配ありがとう。当初はあまりの回復の速さに自分でもそう思った。
なんかあった時の頓服として、私にあう病院が見つかればいいんだけどなあ。難しそうだ。
「言うほど捩じ伏せてない」
→そりすぎてソリになったわね……
バルク全く足りないよ。題名負けしてるからこれからつけてしっかり捩じ伏せていくよ。許してくれ。
→それはあなたの運動中のフォームがしっかりとしていて、負荷もきっちりかかってるからだと思う。
踏み台やってた時は携帯いじりながらダラダラ惰性みたいに昇り降りしてた。汗だくにはなったけど負荷は軽かった。
そもそも1時間の有酸素運動は筋肉の分解が進むから余程の脂身を背負ってる人以外にはオススメはしない。
ダイエットやトレーニングも医者とおなじ。自分の今の体型やなりたい体型に合わせて自分で調べて勉強して試行錯誤をしてほしい。
○○は危ないとか色んな意見について
→先にも書いたけどこれが私にあってただけという話。自分でいいと思った方法を信じるのが一番。餅は餅屋。だがセカンドオピニオンも大事。最後に決めるのは自分。
あなたはその話を信じる。私は自分の導き出した話を信じる。そんでよい。
ただ、つらい人たちをトンデモ療法で騙して金むしり取るアホは許さん。
身も蓋もないし題名と矛盾するけど、筋肉そのものが鬱を治したわけじゃない。
しんどさの根源、壊れた自尊心の修復のために、トレーニングをして成功体験を詰んだというのが真理。
あとは家族。ただ単純にものすごく恵まれてた。ギリギリ金を借りるにはいたらなかったがかなり甘えて頼った。恩はこれから返すよ。
これにて終わり。
読んでくれてほんとにありがとう。
だと個人的には思っている。
もし、特定の児童を恋愛対象の異性または同性として意識し、いずれかのタイミング(それが世間的に適切か不適切かはこの際さて置く)で関係を持ち、そして一生添い遂げるような超レアケースがあったとして、それは「性的指向」に基づく愛とそれほど変わることはない。
しかし小児性愛というのは、むしろ「ランドセルを背負った華奢な身体」とかそういうのに欲情してしまう「性質」のことではないか。相手の人格や知性を愛するのではなく、相手の身体的特徴に性衝動を昂らせてしまう、ということ。対象がハイヒールかランドセルか、それとも豊満な胸か第二次性徴前の身体か、ってことだ。
豊満な胸も、第二次性徴前の身体も「無生物」ではない。しかしフェティシズムの消費対象になってしまう。つまり交換可能なのだ。消費され、交換される方はたまったものではない。大人から身を守ることが難しい子供であるならなおさらだ(しかも「子供」は成長し、小児性愛嗜好の「対象外」になる)。
※以下の肝心な部分を書き忘れたので追記〜
「【児童型ラブドール】が、【実際の児童】の似姿をしている」ことへの嫌悪感には、「児童型ラブドールの愛好者は、【実際の児童】を、【児童型ラブドール】のような【消費代替可能なモノ】として扱うことができる存在なのではないか?」という不信感が含まれているのではないだろうか。
〜追記終わり
(考えてみると、髪型や体つきやキャラクター類型で差異をつけただけの同じような顔立ちの中から「嫁」をとっかえひっかえしてるオタクにも親和性の高い概念かもしれない)
ところで、
https://anond.hatelabo.jp/20200901141152
「加害欲求が助長された人」が存在するのを認めるということになるのでしょうか。
そうなると、欲求を抑えられた人が99人で、助長された人が1人だとしても、児童型ラブドールは社会の脅威ということになるね(性犯罪の加害者は、たった一人で多数複数の被害者を傷つけるからね)。
じゃあ、残りの99人の自制できる人にはカウンセリングや薬物療法で対処してもらうことにして、児童型ラブドールを規制したほうがよさそう。そのものがなければ、欲望が助長されることもない。寝た子は起こさない。
って話になると思った。
え? 規制されたら百人が百人とも児童を襲うことになる? まじ? じゃあやっぱりこの人ら社会的脅威じゃん。存在するだけで児童に対して危害を加える可能性があるなら、そういうのに関心を示した時点で予防拘禁とかしたほうがいいのかも……え、差別だって? 将来の子供の被害を心配することが差別? 何言ってるの? じゃあ人を殺したくてたまらないってような奴も差別だから放っておかなきゃいけないの? 怖いじゃん。それでいいの? だめだろ?
「痴漢がいるから電車を廃止しよう」という話にはまずならなくても、「傷つく児童が出てくる可能性がわずかでもあるのなら、児童型ラブドールなんて規制しよう」ということには、容易になりうる。電車の恩恵に浴していない人はいないけど、児童型ラブドールは大多数の関心事ではない。
「普通の人」は、自動車が小学生を何十人と轢き殺している事実より、児童型ラブドール愛好者に小学生が一人傷つけられること(ただの可能性であっても)のほうを恐れる。自動車の暴力性はわかりやすいけど、児童型ラブドール愛好者はまったく理解不明の存在だから。
(成人同士での性的関係も持てる「普通の人」の中には、小中学生に性的な視線を向けたり、あるいは実際に手を出すような人もいるだろうし、一方、実際の児童に決して手を出さない児童型ラブドール愛好者もいるだろうから、そこにはねじれも生じるが、そのあたりのこともさて置く)
自分とは異質の存在が、口を極めて児童型ラブドールという、なんの意味があるのかわからないモノへの執着を叫ぶ。
大多数の良識ある(と自分では思っている)善良な人々からすれば、なんと恐ろしい光景であろうか。
酒に溺れない人間が、酒がなくて暴れるアルコール依存症患者を見て「なんであんなになるかねえ」と思うどころの違和感ではなかろう。
少数派だけが、他者からの視線に無頓着でいることをことさら非難されるというのは、まあそのとおり。
そのとおりなんだけど、じゃあその「不公正」を一体どうすべきかってのは全然わかんないんだなあ。
傍から見ると、どうも声の大きい無能な働き者が、非難される愛好者の立場をどんどん悪くしてるように見える。本件に関しては他の被差別マイノリティと同じやりかたで突破できる問題とは思えないのだが。
戦績
バーサーカー 大人になると単身手負いで技勝負で正面から6回勝てる ※相手はバーサーくしています あれ、単体で沈めるボスキャラちがうよ?チーム戦ってしってる?
※ヒーロー化する前の戦績が大半です。
※物語のポイント。偽者がセイバーに剣で、アーチャーに弓でカツオ話 あのねじゃんけんぽん
話の骨子が骨子をなしていない。(レビュー)
自主的な規制とは、個人や団体が、自主的にその活動に制約を加えること。
俺は萌えポスターはどっちでもいいが、感情で言葉の意味をねじまげようとする表現擁護派はやばいと思った。
全員じゃないと信じたいよ。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%87%AA%E4%B8%BB%E8%A6%8F%E5%88%B6/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E4%B8%BB%E8%A6%8F%E5%88%B6
https://doujin-print.jp/seijin.html
https://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2007/05/21/15765.html
なんだよなんだよ!!みんな揃いも揃って大人の方の噂ばっかりして!!神も大人の絵ばっかり描いて!!!あれは少年だから最高だったのに!!!みんなメガネショタ尊いって言ってたのに!!顔か??顔が全てなのか???結局尖った顎には勝てないのか??子供のままでも十二分に美丈夫だろうに!!!!ショタだから良いキャラだったのに!!大人にしたら何もかも台無しじゃないか!!!身辺の手入れを全ていたいけな少女に丸投げして!!自分の仕事もロクにこなさず!!他人の批評ばかりして!!ただのダメ男じゃないか!!いいかい?お前の名前はマダオだよ!!!マ!ダ!オ!!!!お前なんてただのイケメンで高身長で博識でミステリアスなマダオだよッ!!生意気にも一人称まで変えて!!キィーーーッッッッッ!!!カッコイイーーーーーッッッ!!!くやしーーーッッッ!!!顔の良さとイベントの面白さに免じて許すけど絶対何があってもカルデアには来んなよ!!お前がいくら人気でユーザーに望まれようとそんな世界観をねじ曲げるような事、あの菌糸類が許さんから!!言質取ってんだかんな!!
好きな相手に負けるのが好き。どうしようもなく好き。
でも私の好きな人は私を打ち負かそうとか絶対してこない。そういうところが好きなんだが、でも打ち負かされたい欲は尽きない。
奇麗に積み上げて塗り固めた自分の正義とか倫理とか信念とか、全部ねじ伏せられて負けたい。
負けたい。全力で抗ってねじ伏せられたい。負けを認めて屈辱の中相手への尊敬の念を噛みしめたい。
誰か私を負かしてほしい。でも普通の人間は人を論破しようとしてこないので戦いの場がない。
私も私で性癖より人間関係を優先し早々に折れてしまうので戦いが成立しない。
でも私は論破されたい。
いや、私の武器は論理がいいが、相手の武器は論理でなくたっていい。
愛でもいい。
むしろ圧倒的な愛の力の前では論理なんてかくも無力なものなのかと論理そのものを肯定できなくなるまでねじ伏せられたい。
手越が何やったか1ミリも知らなかったけど、なんか謝ってる動画見ただけで手越を許した。
この関連の話でよくある論理のねじれをうまく言語化できないでいたんだけど、だいたいわかった。
「ポスターに対して批判があり、ポスターの掲載が中止された」という事象って
少なくとも下記2つの解釈ができるんだけど、外部からどちらの理由で起きたものなのか判断はつかない。
①「あのポスターは規制すべきという主張が正しいのでポスターが掲載中止された」
②「あのポスターは規制すべきではないが企業の保身のためにポスターが掲載中止された」
にも関わらず、ポスターの掲載が中止されたことを持って主張の正しさが証明されたという人が多い。
Vtuberが元生主、配信者、歌い手、声優、アイドルにガワを被せただけで、そうでない人も活動を見ればガワ被って生主やってるだけっていうのはまったくもってその通りなんだけど、ただガワを被せるだけで妙なねじれの構造を生んでいるのは新しい部分だと思うんだよね。
「ドラえもん」の中身が「大山のぶ代」から「水田わさび」に変わったけ「どドラえもん」が「ドラえもん」であることには変わりなかったけど、「キズナアイ」が中の人を増やした時は増えた側は結局「キズナアイ本人」とは認められなかった。
「乱太郎」と「江戸川コナン」の中の人が共通だけど「乱太郎」と「江戸川コナン」を同じ人だと認識する人はいないが、「夜桜たま」は中の人そのままで「楠栞桜」に転生したが「夜桜たま」と「楠栞桜」はまったくの別人だという話にはならないし、完全に同一だという話にもならない。
単なる人間にアニメのガワ被せて設定つけただけなのにフィクションでもリアルでもないクッソ中途半端な謎の存在になってしまったのは素直に面白いと思う。
父は瞬間湯沸かし器みたいな人で、些細なことですぐキレて手が出る。
私も物心ついた頃から殴られたり床に倒されて踏まれたりしていた。
父は人とのいざこざで殴ったり恫喝したりしたことを武勇伝としてずっと話していた。
小中学生のスポーツチームの指導なんかもやっていて、今だったら問題になるレベルの体罰の話も自慢げにしていた。
父の友人達もそれを持ち上げ、「さすがだなあ」「それが正しい」とかっこいいことであるかのように扱っていた。
私は幼少期から父から殴られ、暴力自慢話を聞き、周囲の反応を見ていたので、力で相手をねじ伏せることはかっこいいことで、ためらわないでよいことだと思い込んで育った。
それから色んなマンガで男よりケンカが強い女キャラを見てかっこいいと思い、ごくせんのドラマも流行っていたので「男を殴れて勝てる女はかっこいい」とどんどん思い込んでいった。
漫画やドラマでは「女を殴るなんてありえない」というシーンがあったりするので、女の子に暴力をふるおうとは思わず、男子とよく取っ組み合うようになった。なぜか女である自分が殴られることに抵抗はなかった。
取っ組み合いにきっかけや理由なんてない。小学生男子なんて暴れたい盛りだし、意味もなく突進してくるやつとか、私がすぐ手が出るのをわかっててからかいに来るやつが同級生にたくさんいて、私はいちいち応戦していた。
父は人を殴って相手の歯を折った時の傷が指に残っており、それを勲章のごとく自慢していたので、私は男がケンカで体や顔に傷をつけることはかっこいいことだと本気で思っており、男子と取っ組み合うと顔面にも容赦なく蹴りを入れたりしていた。
休み時間や放課後にはだいたい男子たちと暴れ、殴ったり殴られたりする毎日で、これが普通だった。ドッチボールとかサッカーとかで遊ぶのと同じ感覚でケンカして遊んでいた。
ある日の休み時間、いつも通りに男子たちと取っ組み合う中で1人の男子の頬に回し蹴りを入れた。結構なクリーンヒットだった気がする。
特に気にせず他の男子とさらに取っ組み合っていたら、数分後「何やってんの!!!」という担任の金切り声が響いた。
いつも「危ないよ!」くらいの注意しかしなかった担任だけどその日は様子が違った。
担任の横にさっき私が回し蹴りをくらわした子がいて、泣いているので「え、何?何?」と手を止めて近寄ると
「何じゃないよーーー!!もういやーーー!!!」と担任が泣き叫び、膝から崩れ落ちた。
それから校長室に呼ばれ校長に事情を話し、それぞれの保護者を待ち、帰った。
翌日登校したら担任に呼ばれ相談室のようなところで「これを読みなさい」と手紙のようなものを渡された。
私が回し蹴りした男子のお母さんが担任に宛てたもののようで、口内を切ったのと歯茎への衝撃?で出血が多かったがとりあえずは大けがではないこと、
大けがではなくてもどうしてうちの息子がこんな目に遭わなければならないのかということ、男の子相手ならやんちゃ同士で許せるかもしれなかったが女の子にやられたなんて信じられないということ、
担任は私が手紙を読んでいる間ずっと泣いており、その後数日学校に来た後は長期の休みに入ってしまった。
手紙に書かれていた通り、私の父親は件の当日に私を迎えに来たけど、担任から事の顛末を聞いたくらいで後は私に何も言ってこなかった。
怒るでもなく慰めるでもなく事情を聞くでもなく。ガストで夕飯を食べて帰った。その日も帰宅してから別件でキレられ、殴られた。
数日後、男女数人で公園で鬼ごっこか缶蹴りかをして遊んでたと思う。
1人の女子を後ろから手で目隠しし数を数えていたら、知らない女の人がすごい剣幕でやってきて「やめなさい!」と怒られた。
危ない遊びはやめて!こないだの〇〇くんの時もだけどあなたの暴力性は信じられない!あなたはおかしい!女の子にも乱暴する気!?
みたいなことを言われ、めちゃくちゃ怒られた。
私は知らない人だったけどたぶん同級生の母親とかだったんだと思う。私がクラスメイトにケガをさせたことを知っているようだった。
取っ組み合いのような遊び方よりははるかに優しい遊び方をしていたと思うんだけど、自分が少し相手に触れるような遊び方をしているだけで大人はこんなに取り乱すんだ、と少しショックだった。
危険人物である、悪である、と人に思われていることを急に自覚して、なんだかとんでもない気持ちになった。
今考えたら子どもを育てている親からすれば暴力的な子が自分の子の近くにいれば怖いし叱るべきなのはわかる。
どう考えてもあの頃の私はおかしかった。
それから私は取っ組み合いや殴り合いをやめて、普通の子どもになったと思う。(体育や休み時間にやるスポーツは派手にやっていたけど、普段の生活では大人しくなった)
腹が立つことや納得いかないことも話し合いでなるべく穏便に解決することを学んで、大声を出して主張する人や嫌なことがあると物にあたる人、手が出る人を見ると嫌だなあと思うようになった。
子どもながらに自分のしてきたことを棚に上げたり棚から下ろして飲み込んで吐きそうになったり、ぐるぐる悩みながら中学生になった。
小学校には私以外にも男勝りをアイデンティティーにしているような女子が数人いたけど、中学校にはボーイッシュな子はいてもそんな暴力的な子はいなかった。
制服のスカートのままで毎日男子とのケンカを楽しんでいる豪快な女子なんてマンガの世界にしかいなかった。
中学校までは同じ小学校出身も多かったが、高校はなるべく遠く、同じ小学校の人があまり受験しない学校を選んだ。
穏やかでにこやかに、口の悪いこともなるべく言わないように過ごし、友人も文化部や帰宅部の和やかな雰囲気の子が多かった。
父は相変わらずスポーツチームの指導に勤しみ、家にはたびたび非通知で電話がくるようになった。
「うちの子がそちらのコーチに殴られて倒れた後蹴られたそうですが」「1人だけグラウンドを20周以上走らされ吐いたと聞いた。家に帰って来ても体調が戻らず、もうクラブの練習に行きたくないと言っている」
知らずに電話を取ってしまった時は人の憤りと恨みを直に感じてしまい1人で泣いた。
母がそういう電話を取った時は「名乗りもせず言いたいことだけ言って失礼じゃないですか?」と応戦していた。
父はそもそも電話が鳴っても取らない。家主は家では自分の席から動かず、家族は家主が動かないでいいように働くべきだそうだ。
鳴る電話は父が暇で電話の一番近くにいても必ず誰かが取らされ、電話が取れなかった時ややむを得ず父が取った時などは殴られた。
偶然小学校の同級生の男子と会社で同期となったので、2人で飲みに行った。
当時殴り合いをしていたうちの1人だったので、お互いに「お前落ち着いたなあ」と言いながら飲んだ。
私が男子を流血させて担任を取り乱させたことも覚えていたし、今でもその男子と交流があるという。傷は残っていないし、私の話が悪い意味で出ることもないらしい。
それでも「あの時はごめん」と謝った。涙が出た。
何と言っても私がしたことやあの時の自分の考えが変わるわけじゃないのに、女の私が泣くのはずるいと我ながら思った。
「俺も暴れる問題児だったからお互い様だ」と言われた。今度は件の男子も連れて飲もうと言ってくれた。
同期は父の教えていたスポーツチームにも所属しシバかれていたので、「父は理不尽に怒るし体罰もするし嫌いだったでしょう」と聞くと、苦そうな顔で「ま、あの頃は子どもだから……」と言われた。
私も父を好ましく思っていないはずなのに、そう言われて少し胸が痛かった。
かっこよくない。自分の気分だけで人を大声や暴力で威圧することなんて何もかっこよくない。
父は父母の署名により数年前にスポーツチームの指導者を辞めさせられた。
誰に言うということでもないので、増田に書き捨てておく。
あらかじめ書き添えておくが、当記事はいわゆる「◯◯デビュー」といわれる“新たな環境における心理変化”の話であり、オタクによる二次創作界隈の話でもある。
我々には何かしら再デビューの機会が与えられている。進学、就職、転職転勤。別れと出会い。結婚離婚出産育児引っ越しなどなど、人生の節目というやつは言い換えればリセットであり、それまでの生活からの心機一転だ。黒歴史を封印し、面倒な人間関係を精算するにはうってつけのタイミングである。(ま、周りはそう手放したり忘れたりはしてくれないが)
それら「人生の転換期」ともいえるデカい状況は、自己都合でおいそれとは引き寄せられない。数が増えるとリスクも大きいし、単純に疲れる。それに引き換え、趣味はわりあい手軽な転換が可能だ。飽きたら変えればいい。やらかしたら離ればいい。(ま、周りはそう簡単に許してくれないかもしれないが)
簡単に言えば“逃げられる”世の中になった。
私は高校時代から25歳くらいまで、オタク活動を至上の趣味としていた。漫画かアニメか何かしらのメディアにのめり込み、たぎる妄想を武器に、同人誌を作ったり売ったり買ったりしていたのである。絵も描いたし文章も書いた。同志とつながり、内輪受け企画をしたりオンリーイベントを主催したりして、それなりに楽しく仲間内での交流をしていたと思う。
そのうち、やりたいことがねじ曲がっていった。
原作(ネタ元)が好きで、妄想の行き場を求めて創作に打ち込むのではなく、本を出して感想をもらったり企画をほめられたり、讃えられ、感謝される自分に酔いしれるようになったのである。よくある「承認欲求」というやつだ。
満たされているうちはいい。しかし、よほどの神作家でないかぎり、チヤホヤ曲線は必ず下降する。それに、ネタ元作品への愛が薄れていることは、たぶんバレてる。
私は最初の一作が評価されやすく、ジャンルの大御所の目にとまっていきなり浮上する。
新たなコラボやイベントなど、注目を浴びるような企画を打ち上げることも多い。
自分の中に残っているのは、それらをプロデュースする私、というコンテンツだけ。
知名度があるのに売れない。必要とされない。プライドが許さない。もう戻れない。
結果として、逃亡した。離れるよ、ジャンル移動するよ、と堂々と宣言するのではなく、さっと姿を眩ませた。オタクはもうこりごりだと砂をかけるようにして。
そして、かなりの年月が過ぎた今。
また、同じことを繰り返そうとしている。
そろそろいいだろう。ほとぼりは覚めたと。
個人サイトからSNSに交流の場が移り、オンラインだけでもオタク活動が可能になった。
同人誌頒布イベントに出なければいい。オン専文字書きになろう。交流もさして必要ない。誰か見知らぬ人に読んでもらえるだけでいい。
ジャンル内で知らない人はいないだろうという絵師の目に止まった。
ツイッターでシェアされたのを知った。そこで箍が外れた。すぐにツイッターを始めて、その絵師とのコラボを開始した。
何を上げても反応はもらえない。
彼女が他の作家と楽しくやりとりしているのを悔しげに見つめるだけだ。
自分の中に残っているのは、それらをプロデュースする私、というコンテンツだけ。
あくまでも二次創作だ。世の中の素敵な作品はネタ元なんかじゃない。原作へのリスペクトなしに認められる活動ではない。
でも、どうしようもないのだ。世の中の素敵な作品を“私が誰かに認められる表現のための素材”としか考えられない自分を変えるのは難しい。
潮時なのかもしれないと思いつつ、今の場所にしがみつきたい思いも捨てきれない。
辛い、虚しい。ちやほやされた自分の過去を全部忘れて、すっぱりと切り捨ててしまいたい。
いっそ忘れてほしい。そして何食わぬ顔をして新規参入したい。
また私は、デビュー先を探すのだろうか。
講師が陽性になるのは、いつ起こってもショウガナイくらいに思ってた。保健所の介入がなされるも、講師も子供もマスクしてたから、子供に濃厚接触者ナシの判定。マジかよ。マスク万能だな。
塾が保健所にねじ込んだらしく、しばらくしてから、子供を対象にした大規模検査になった。我が家の子供もPCR検査をした。夏期講習中だし、いくつもの学年が対象だから、「塾とは関係なく、1人か2人くらい出るんじゃねぇの?」的には思ってた。蓋を開けたら7人陽性。立派なクラスターじゃん。
塾のサイト見たら、感染拡大防止の取り組みに、「スタッフのマスク・シールドの使用、机や椅子のアルコール除菌、検温、生徒用フェイスシールドの用意」とある。なるほどわかった換気してねえなコレ。
保健所の判断は、スタッフは感染経路不明。子供は濃厚接触に当たらず。そんで大手新聞社やらがこぞって「塾講師から感染か」のタイトルで「濃厚接触者 約70人」のニュース配信。子供から講師に移った可能性は否定できないのに、マスコミってのは保健所以上に事態に詳しいらしい。すげぇな。引き続き信用しない方向で行こうと、思いを新たにした。
今のところ講師を責める気はない。振替授業で別の講師になったが、前に見た(多分)陽性者の講師の授業のが巧いなと思ったし。講師が歌舞伎町に出入りしてたとかなら別だが。
塾には言いたいことがいくつかある。1点目、換気してくれ。とにかく換気だ。これからも誰かがコロナを持ち込むのは止められないだろう。少しでも広がらないようにしてくれれば良い。
3点目、子供や家族がこれからコロナにかかっても「実はあの塾に子供が通ってた」と言える。職場でも学校でも幼稚園でも、ガチの1号にならなくて済む。正直助かった。
ちなみに、幸い我が家の子供は陰性だったようだが、自分はここ2、3日くらい、7度5分に満たないレベルの微熱が続いている。ハハッ、まさかな。
ナウい技術を嗅ぎつけたアーリーアダプター達が続々と上陸してきた頃の空気どこ行った?
あの頃の最前線にはインターネット中から天才たちが集まっていた……。
今ではどうだ?
生主活動の頃に磨いた金を無心する技術をふるう魂のない魂ばかり。
そんな連中を裏から操るのはボディ代とショバ代を回収するためにみっともないブックを書く金の亡者共。
なんだ?
会いに行かなくてもいいアイドルか?
10000人同席可能になった近未来の歌舞伎町を舞台に脂汗を垂らした助平共がバーチャル谷間にバーチャルチップをバーチャルねじ込みする行為にスーパーなんて大層な形容詞をつけやがる。
今のお前らにはただただ繰り返されてきた歴史の焼き直ししか感じねえ。
未来を見せてくれよ?