2020-08-21

負けたいという性癖

好きな相手に負けるのが好き。どうしようもなく好き。

でも私の好きな人は私を打ち負かそうとか絶対してこない。そういうところが好きなんだが、でも打ち負かされたい欲は尽きない。

奇麗に積み上げて塗り固めた自分正義とか倫理とか信念とか、全部ねじ伏せられて負けたい。

自己同一性破壊され打ちひしがれたい。

負けたい。全力で抗ってねじ伏せられたい。負けを認めて屈辱の中相手への尊敬の念を噛みしめたい。

誰か私を負かしてほしい。でも普通人間は人を論破しようとしてこないので戦いの場がない。

私も私で性癖より人間関係を優先し早々に折れてしまうので戦いが成立しない。

でも私は論破されたい。

いや、私の武器論理がいいが、相手武器論理でなくたっていい。

愛でもいい。

しろ圧倒的な愛の力の前では論理なんてかくも無力なものなのかと論理のもの肯定できなくなるまでねじ伏せられたい。

そういう意味では手越の会見動画は最高だった。

手越が何やったか1ミリも知らなかったけど、なんか謝ってる動画見ただけで手越を許した。

で、動画消して手越顔面が視界から消えた瞬間、クソ動画時間を注いだ敗北感にイライラしてきた。

私の論理手越顔面に敗北したことを痛感した瞬間だった。

論理の敗北、不条理で大好き。

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