はてなキーワード: がっかりとは
将来への不安、死ぬ事への恐怖、結婚できるかどうかとか、そういったものだけを普通の人は「つらいきもち」として認識しているらしいことにここ数年やっと理解が至った。自分の場合はそれとはまた別の正体不明の「つらいきもち」も存在していて、これも含めて一般的な「つらいきもち」だと認識していた。みんなもそうなのかなぁと思っていたけど、違ったっぽい。これじゃ普通の人とは微妙に話が噛み合わない上に誤解されるわけだなぁと。
自分も自分で、なんでそんな斜め下の解釈するんだと腹が立つ事がよくあったけど、その「斜め下」の解釈がむしろ一般的であって、自分が運悪く例外的な経験をしてきた事で認識が違ってしまっていたらしい。
そしてこれまでは、自分のこの「つらい」の正体を正確に把握できた事がなかった。何故かと言うと、気持ちの原因を思い出すことが精神的に非常に苦痛だったため。
原因というのは家庭環境、養育環境のことで、学生時代にもこれについての問題意識はあった。
ふとした切っ掛けでスーザン・フォワードの「毒になる親」と出会って実際に読もうとしたけど、冒頭の数ページ読むだけで精神的に不安定になってしまい、結局その時はそのまま先には進めなかった。大学卒業後も同じことを4年くらい繰り返していた。
でも一人暮らしを始めて2年経ち、転職をしてという直後から半年間立て続けに起きた出来事に対処する一環としての取り組みの結果、最近では「つらい」の比較的ちゃんとした輪郭と、具体的な内容と原因が把握できつつある。「毒になる親」も最後まで目を通すことが出来たし、関連する他の書籍にも手を出せている。
自分の「つらいきもち」の正体は自分の歴史的経緯から来るものだという事が確信できた。ただ、その歴史的経緯を自分に対して現在も無意識に適用しているのは自分自身だという事も段々分かってきた。
一言で表すなら「毒親の影響」ということになるけど、もう少しちゃんと表現するなら次みたいになる。(まだちょっと分析甘い)
今認識できている範囲の話だけど、これらが自分の「つらい」のキモのように思っている。
「毒親」ってワードを使うとすぐケチ付けてくる人間がいるから面倒だし、言葉が暴力的にストレートだから別の表現が必要だと思わなくもないけど、それでもこの単語は凄く的確な表現だと思う。
幼い頃から刷り込みで自己否定などの「毒」を植え付けて、親と同じ空間におらず暴言を吐かれていない瞬間でも、自主的に自己否定を繰り返すよう教育することで、大人になったり独り立ちした頃には苦しみのたうち回り…みたいな。のたうち回るような元気が残ってる人がどれだけいるのかって話だけど。
虐待によるトラウマを除くと、毒親による影響で特に大きなものは親を自分に内在化してしまうことだと思う。これにより何が起こるかというと、自己否定をデフォルトとしてしまうことが挙げられる。
この自己否定はポジション的には超自我とかにあたるもので、本来なら自己否定なんかじゃなくて規範としてどちらかと言うとポジティブな物として機能しなくちゃいけないんだけど、親が精神的に未成熟だったり自分の人生の課題に対して答えを出せていないとかで不安定な場合は、「毒」を規範として植え付けられる結果になってしまうのかなと。
それがどのようにして植え付けられるのか、憶測込みだけど文字に起こしてみると案外悲しい感じになった。
思考するだけだとそんなでもなかったけど、文字に表してみるとやっぱりこう、悲しいというか、しょうもないというか、酷くがっかりする。
休日に少しでも長く寝てたり、病欠したり、平日に休暇を取ったりすると
とか頻繁に怒鳴られてたけど、あれは完全に自己紹介だったなと思う。当時はそう思う余裕は無かったなとも改めて気が付いた。
うちの場合は問題の中心は父親だったんだけど一方の母親は何をしていたかというと、俺をかばうどころか、フォローするどころか、傍観をするどころか、「あの人がおかしな事をするのはお前のせいだ」と罵ってくるタイプの人間だったので、自分の両親は味方ではないという認識だった。問題のある人間は問題のある人間とくっつくんだな、という気持ち。
兄弟は妹がいるけど、妹は味方というよりは共通の敵を持つ他勢力みたいな認識だったな…。
去年会って話をした時には、当時俺に対して「哀れだな…」と思っていたらしい。それは俺を庇って同様の被害を被るよりずっと利口だと思うし、去年妹と会話をして結果的に問題の改善が進んだし、妹が逞しく成長してくれていてむしろとても助かったと思ってる。「こっちに来るんじゃねえぞ、そのままいけ…!」みたいな。ありがとう。
少し前まで、どんな些細なことであっても何か考える度に最終的に「死にたい…」という結論に結びついていた。
去年あたりから「自分の親は毒親だった」と認識でき始めて、更にここ1,2ヶ月は「毒親」と濁すんじゃなくて、自分が経験させられた事を「親からの虐待だった」と自分に対して説明することができるようになってきた。
昔と比べてかなり進歩したと思う。昔ならそんな認識は恐ろしくて出来なかった。自分はそんな酷い目には遭っていないと思いたかったんだと思う。
そして少しずつだけど、自分のことを大事にするという概念が掴めてきているような気がする。
自分のことを大事にするといえば、最近また新たに気付いた事があって、これは個人的にはかなり収穫だと思ってる。近いうちに効いてくるはず。
初めの方で書いた「その歴史的経緯を自分に対して現在も無意識に適用しているのは自分自身」の事なんだけど、これについての現時点での理解をちょっと整理したいと思う。
大きく2つあって、1つ目は、この記事中で何度か出てきている「自己否定」「毒」という存在の在り方と、これがそもそもどこから来ているかについて。
自己否定が起こるのは自己評価が低いためだと思う。じゃあ、自己評価が低いのはなぜ?という話になってくる。
自分の欲求をちゃんと満たしていないためだというのはあるかもしれないけど、自分の場合はそれよりも重大で根本的な問題として、延々とされ続けた親の否定的な刷り込みの存在が強いと思う。
親から虐待や人格否定を受けることで幼い子供の自己認識は「自分は無力な人間、ダメな人間」となり、それがそのまま人生脚本となり、無意識にそのように振る舞ってしまいそのような人間になる。
それを精神的に未熟な親が自己有効感を得るエサとして利用(虐待、人格否定)し、それにより子供は更に自己無力感に陥り…という、子供にとって悪夢のような悪循環が発生する。このサイクルが「否定的な刷り込み」の実態であり、毒親が子供に植え付ける「自己否定」や「毒」の正体なのだと思う。
この強い自己否定感、自己無力感は、親が自身の無力感や精神的な不安定さをカバーするために押し付けられた親自身の問題であり、こう認識してしまうともう親に対して「ぶっ転がすぞ」という気持ちでいっぱいになる。
以前は親に対してこんな認識を持つどころか「もう人生だめだ…死にたい…」となっていたのでこの気持ちも進歩だと思う。
つまり、自分に対する自分の認識は、無意識に親の自分へのニーズを反映したものであり、自分が自分を正しく認識した上で自分に下している判断ではない。
内面化した親のニーズで自分を見ていたのだ!(強調したい部分)
「毒親を内面化してしまっている」という表現は書籍やブログで何度か見かけていて、ただ実際どういう状況になっているのか全然理解できていなかったけど、この考えに至ってようやく合点がいった。であれば、ひたすらに自己否定をしてしまうのも納得がいく。親の抱える問題を解消できない限り自己否定は続くんだと思う。
親からしたら本来親自身が頑張らない限り親が死ぬまで未達だし、親が死んだ後であっても、内面化した親(のニーズ)から見て未達なので、子供は無限に自己否定し続けることになる。
自己否定の原因を正しく特定して認知を変えないと死ぬまで自分を否定し続ける。
こんなの「毒」じゃなかったら何だっていうんだ。現代の呪いじゃん。洗脳とも呼べるのかもしれない。まぁ「刷り込み」って「洗脳」の呼び方変えたようなもんだし同じようなもんか。
2つ目は、やり場のない感情とその矛先について。
ここひと月ちょっとは、過去に親との間にあった出来事と当時の自分の感情を、出来る限り思い出して言葉として書き出すという事をやっていた。
これによって狙っていた事は、自分の意思だけでは思い出し切れないトラウマ記憶に近い時系列の記憶に迫り、文字に起こして認識することで「過去の出来事、終わった事象」として自身に印象付けようとしたのと、あわよくばトラウマを芋づるで掘り当てて、当時の自分の解釈を現在の自分の解釈で認識を上書きすることでトラウマを軽減、解消する事だった。
精神的な負荷が高いから嫌だったんだけど、EMDR以外では1人で出来るもので現実的っぽそうなのがこれしか無かったので、今の自分であれば精神的に安定している時なら回復にそれほど苦労しないと判断して挑むようにしている。
結果的にはまだ解消に至ってはいないけど、認識できていなかった事を認識することが出来た。
自分で自分の感情を無視していた事に気が付いた。これ文字にすると厨二臭くていやだな。
無視していた感情というのは、具体的にはある期間の横暴を働く親とそれに対抗できない自分に対する強い憤りなんだけど、当時の自分はストレス発散の手段を親に奪われた挙句に愛玩動物の延長みたいな扱いを受けていたので、感情を解消したり発散する機会が無い状況だった。
自分の意思を表現すると「立場を思い知らされる」ので、あまりの怒りと無力感から自分の机に伏してバレないように動物みたいな唸り声を上げたりしていた。趣味も生き甲斐も取り上げられ仲間とも断絶されて、ストレスから肌も顔も荒れ放題、耳は切れて黄色ブドウ球菌に侵されてリンパが垂れ、首筋もあかぎれのように切れてしまい、腕の皮も荒れて剥け落ちてという有様で、生きているのがひたすら苦しかった。
病院には行っていたけど、治癒のスピードよりもストレスによる身体の破壊が早くて当然なかなか治らなかった。鼓動が早くなっていて体温も通常時より高く感じていたので、自律神経失調症にもなっていたなと思う。これまでで一番白髪が多かったのもこの頃。友達からは「お前、なんか覚醒するんじゃねえの」みたいな軽口を言われてちょっと救われた。高2〜3の頃だったと思う。
これを書いていると、今すぐ家を飛び出し実家に乗り込んで、徹底的に仕返しをしてやりたいという衝動を自分の中に確認できる。この期間は同じく家庭環境が複雑な友達が支えてくれていたお陰で、問題を起こさず自分も生き延びる事ができた。その友達との連絡は今はもう取れなくなっている。まだ生きていてくれると嬉しい。
この記憶を思い出した事で付随する感情も引きずられて出てきて、この時に気が付いたのがここ数年ほとんど自分の怒りらしい怒りを認識していなかったという事で、なんというか新鮮な気持ちになった。感情が揺れ動くのがなんだか嬉しくて、ちょっとワクワクした。
「怒りを感じていなかった」というのが実は大問題だったと思う。
この怒りの矛先は本来親に向けて抵抗するために利用すべきだったものなんだけど、利用できていなくて、そして最近ありありと思い出せたという事は当時のフラストレーションが解消されず残っているという事になると思う。解消できていないのならそれを感じなくなってしまっていたという認識はおかしくて、じゃあ認識できなくなっていたそれはどこに向かっていたかというと、これはまだ検証中ではあるんだけどどうやら自分自身に向かってしまっていたっぽい。怒りの矛先が自分に向かうことで、自己否定を一層強化してしまっていたんじゃないかと思う。
「しんどいのは親に向かうはずの感情の向き先が自分になってしまっていたため」と考えてみるようにした所、体が以前よりも軽くなり、洗い物が出来ない、風呂に入るのがつらいなどの恐らく精神的な問題が急に改善されだしたのは大変嬉しいんだけど、ネガティブな側面として最近色々な事にすぐイライラするようになってしまって困った……。これは多分……親に向けるべきものが溢れてコントロール出来ていない的なものかな……と思ってる。
でもこれは創作活動に転用できるエネルギーだと期待しているので、自己否定の改善と併せて、またしょっぱいながら活動を再開していけるんじゃないかと自分には期待をしてる。
つまり何が言いたいかというと、動けない、簡単な事ができない、しんどいという状態は何かしらのネガティブな強い感情が無意識に自分に向かうことで強いストレスを生じ、そこから起こる精神的な問題なんじゃないかと思う。と書いたところで気が付いたけど、よく見かけるような文になったし、そんなに発見ではなかったかもしれない。でもこれまでの情報との紐付けができたので、これはこれで知見かもしれない。
最近の取り組みは方向性は間違っていないと思う。例え間違っていても、死ぬまでに目的を達成するためにも引き続き認知の歪みを直す取り組みを続けたい。
「やりたい事をやらないのが苦しい」のは当然だけど、「やりたい事をやるのも同じように苦しい」というのは異常だし、このままじゃ今度こそ気が触れるかもしれないので、出来るだけ早く絶対にこの状況を脱したいです。おしまい。
一人暮らしを始めて転職して、そしてまた引っ越した際には保証会社を使ったので住所を自分からは伝えていない。確認は可能らしいけど。
ゴミ親父は前々から借金していた事が去年発覚して、その際に出向いて縁を切ってきた。俺のこの先10年間と俺の収入を返済に充てたかったらしい。ぶり転がすぞ。
母親は発覚直後もほとぼりが冷めてからも、問題には触れようとしない他力本願ぶり。あんたは昔から自分にとって都合の悪い事はどんな些細なことからでも逃げるよな。いや、借金は父親の独断だからその点だけは間違っちゃいないけど自分が住んでる土地?家?が担保にされてるのにそれは無いでしょう。
みたいな状態なので、実家はもうどうにでもな~れという気持ち。妹ちゃんも脱出がんば。応援してる。
早く人間になりた〜い
ストレスで久々の休みに一日中寝てた。泥酔しているので勢いで書く。
新卒採用はクソ。
社内のジョブローテーションの関係でそうなっただけで、希望したわけではない。
とはいえ唯々諾々と何も考えないでそれを受け入れた。
今では後悔している。
しかし若手なのもあり、社内の評価のために唯々諾々と前の担当者の引継ぎ通りに業務をしている。
クソだ。
結局(全部とは言わない、自分で考える能のない多数の凡庸な)企業は、就活業界のビジネスに概ね踊らされているように見える。
といっても就活業界ビジネスを展開しているナントカナビとかそういうのが悪いかというとそうではないと思う。
何が悪いんだろうな。
たぶん自分の頭で考えて考えたことを実行しない(俺も含めた)全部が悪いんだろう。
まあそんなことはどうでもいい。
書きたかったのは、表題のとおり、就活生は祈られても何も思わないでほしいってことだ。
採用を担当するようになって、大量の学生を審査して、選ぶ作業をするようになった。
最終面接とかはもっと上の人間にやってもらうから、直接落としたり通したりするのは、
書類選考とか、一次面接とか、グループディスカッションとかそういう奴だ。
正直、クソ忙しい中で、書類を見るだけでは、または10分とか20分とか喋る(あるいは喋るのを眺める)だけでは、何も分からない。
書類だったら、もうまとめて学歴(など)で落としていくしか「統一的な基準」として自分と上司を納得させる方法がない。
なんか一生懸命に心を込めて考えたんだろうと感じられる自由記載みたいのを見かけることもあって、心を動かされることがあっても、
真摯に誠実に話せばわかってくる、とか嘯く奴もいるが、
こっちだって本当に誠実に話せているかと聞かれたら、首を縦には振れない。
言えないことだってあるし、落とさないといけない後ろめたさもある。そうだろ?
それは当然だし、化かす能力がある人間なら入社いただいて何の問題もない。
でも入社した後も社内を化かし続けられない人間が入社してしまったときには、
そんなもん判断つくか。つくわけない。
それに、特に嫌いなのがグループディスカッションで、あれは一緒に入るメンバーによって表出する人格に違いが出過ぎる。
しかも、積極的に発言する人を評価すると言いながら、明らかに無理して頑張ってる学生を「協調性がない」と評価したりする。
クソofクソだ。
社内で「わからんから顔の好みで選んでる」と公言してる面接官も知ってる。
公言してないだけでそういう面接官も一定数いるんじゃないかと思う。
当然、どの程度の割合の人間をこのタイミングで落とさないといけないかというのが決まっていたりもするので、
その日面接した中に落としたい学生がいなくても、落とす学生を選ばないといけない。
もちろん一応、こういう人間を落とす、通す、という基準はある。
「こういう基準で採用をしています」というのを社内の上の人間に納得してもらうためにあるだけだ。
ちなみに(就活ノウハウ本とかにもよく書いてあるが)その基準が知りたかったら、
その会社の採用webページに出てる「当社の求める人材」とかそういうのを見ればいい。
まあ大体どこも書いてること似たようなもんだけど。
正直、自分としては、とにかく(少なくとも普通以上に見える奴は)落としたくない。
そうじゃない余裕な奴もいるかもしれないけど、
多数の学生は自分が何したいかって言われても良く分からないまま一生懸命受けに来て、
そういう学生を、「よくわからんな」とか言いつつ、鉛筆を転がすみたいにして選別していく。
もうたくさんだ、と何回も思った。
社内にはそれを楽しそうに、「あの学生はこうだった、ああだった」と言いながら自信満々にやってる奴もいるから、
俺が向いてないだけなのかもしれない。
このストレスに耐えられそうにない。
だからせめて増田で、「祈られても何も思わないでほしい」と学生に懺悔する。
ここまで書いたことはあくまで自分の勤めてる会社の話で、どのくらい普遍性があるのかは分からない。
でも、企業がお祈りを出した場合でも、決してそれは学生個人の能力とか人格を否定してるわけではない、
ということを、上に書いたクソみたいな実情で少しでも実感してもらえたらと思う。
落とす時も「まあ落とすほどではないんだけどな」と思いながら落としている時もあるし(むしろそちらの方が多い)、
「この学生はうちには向いてなさそうだけど○○な会社なら向いてそうだな」と思いながら落とす時だってある
(またこのへんをフィードバックしないのがうちの会社のクソなところだ)。
それが伝わるようなやり方で採用活動ができていないのは、多分ひとえに企業の手落ちで、そんな会社には入らなくて正解なんだと思う。
そう思って、祈られてもなるべくがっかりしないでほしい。
「そうはいっても祈られ続けてサラリーマンになりたいのになれない」って人は、小手先のテクニックを磨いてください。
先日えとみほさん(@etomiho)が栃木SCに入社したツイートとnoteを拝見して、元Jクラブスタッフからのメッセージです。
個人的には、えとみほさんのような発信力を持った人がJクラブ内に入ってくれたことが嬉しいし、
Jクラブの内部から会社を発展・成長させていくことは、非常に大変で難しさも伴うことですが、頑張ってほしいなと思う。
物事をゴリゴリ進めていく推進力のある人が、そのクラブの成長とともにナレッジやノウハウを成功事例としてどんどん発信していくことがこれからの日本サッカー界には必要だと思うから。
実は私自身は、とある2つのJクラブで働いた(約4年と約2年)経験があるのですが、このまま5年〜10年Jクラブで働いたとしても私及びクラブの双方が幸せになる未来が見えず、1年前ほどにサッカー界から離れる決断をしました。
日本サッカー界をビジネスサイドの内側から変えていきたい、発展に貢献したいと志を持っていたとき(いまもその気持ちは捨ててないですが)に感じたことをシェアし、今後の栃木SCの発展に少しでも活かしていただければと思い、匿名ではありますがこの度ブログ記事を書かせていただきました。
(どうか、えとみほさんに届け!)
1. 残念ながら現在のJクラブの労働環境はスーパービジネスパーソンでない限りJクラブスタッフとしてビジネスサイドの発展に貢献することはまだ難しい状況であると私は考えているということ
2. そのような状況を打破するためにも、えとみほさん含む現在Jクラブで働いている人たちには頑張ってほしいということ
私は(これは私がサッカー界を離れた理由でもありますが、自身のビジネススキル不足もさることながら)現在のJクラブの労働環境がスーパービジネスパーソンでない限りJクラブスタッフとして、ビジネスサイドの発展に貢献することは、チャレンジングな仕事であるがまだまだ難しい状況にあると考えています。
私は、新卒入社から約6年間Jクラブで働きました。日本サッカー界をビジネスサイドの内側から変えていきたい、発展に貢献したいと志を持っていました。しかし、このまま5年〜10年Jクラブで働いたとしても、私及びクラブの双方が幸せになる未来が見えず、サッカー界から離れる決断をしました。
それが1年前。
サッカークラブで働き、内側から改革していくにはまだ難しい状況にある。そう思った理由としては、以下の2点からです。
(ⅰ)Jクラブは熱を持った優秀なビジネスパーソンが圧倒的に足りないため
(ⅱ)優秀なビジネスパーソンを受け入れる環境が整っていないため
※それぞれ(ⅰ)、(ⅱ)について中島涼輔さん(@nakaryo716)というSHC4?期生がブログに書かれていたことと重なるので、こちらもご参照ください。実際私は新卒としてJクラブに入社しましたが、中島さんが言う「新卒でJクラブに入るのはおすすめしない」に同意見です。
Jリーグができて25年が経ち、全国各地にJクラブやJリーグ百年構想クラブが誕生し、普及の意味では世界的に見ても大成功の歴史を作ってきたと思います。
ただし、普及ではなくJリーグ及びJクラブの事業と強化としては、これからが本番だと私は思っています。
J1のクラブであれば、これから本気で事業規模100億円を目指すクラブも出てくるでしょうし、プレーオフ圏内を目指すJ2のクラブであれば事業規模18億円から22億円かつ平均観客動員数1万人〜1万2千人、J3クラブであれば、J2ライセンス取得と事業規模10億円前後かつ平均観客動員数6千人がむこう5年の目標レンジでしょうか。
クラブによって現在の立ち位置や地域経済圏のことなどもあり、目標はそれぞれだと思いますが、Jクラブの事業サイドは基本的に「どうやって協賛金(スポンサー料)引っ張ってくるか」と「どうやって観客動員数増やしてチケット収入増やすか」の2つが最重要ポイントです。
(もちろんチームの成績やスター選手がいる等でもこれらの数字は変わってきますし、もっともっとJリーグ全体の事業規模が大きくなり魅力的なリーグになれば欧州リーグのように放映権もより大きな収益の柱となります)
その最重要ポイント収入2つを伸ばすためにより人材は必要になってくると思いますが、私の経験からするとJクラブに熱を持った優秀なビジネスパーソンが圧倒的に足りないと感じています。
まず私が実際に入社してから在職中に社内の状況でびっくりしたことを以下箇条書きしてみます。
※フォローしておくと、社員一人ひとりは本当にいい人ばかりですし、やっぱりクラブのことが好きなんだなと感じることも多々あります。ただ、それならクラブのファンでいればいいことですし、クラブの発展のために働く社員としてはどうなの!?ということでびっくりしたことを箇条書きさせていただきました。
もちろん、全てのクラブがこのような状況ではないと思いますし、有名な大企業でも上記のような状況は多々あると思います。
しかし、Jクラブはどこも中小企業であり、社員数も50人以下のクラブがほとんどです。
そのような中小企業で生産性のない人ばかりでがっかりした思いがいまでも蘇りますし、いつの間にか自分の中にあった「このクラブをよりよくしたい」という想いもしおれて、知らないうちに自身のビジネスパーソンとしての成長も阻害されてる状況になってる気がして泣けてきます。
なお、Jリーグも人材不足問題を認識しており、SHCというスポーツエグゼクティブ育成プログラムを2014?年からスタートさせ(それ以前にはJFA主催のSMC講座もあった)、Jクラブに優秀なビジネスパーソンを送り込むような動きも見せていますが、依然としてJクラブ現場に優秀なビジネスパーソンは極端に少ない印象です。
逆に優秀なビジネスパーソンがトップ層にいる(いた)クラブは着実にチーム成績も含めて事業規模を拡大しているイメージです。
具体的にクラブ名を出すと、札幌(野々村さん)、いわき(大倉さん)、鹿島(W鈴木さん)、川崎(天野さん)、湘南(眞壁さん)、岡山(木村さん、小川さん)、今治(岡田さん、矢野さん、中島さん)、長崎(髙田さん)などなど。
いま名前が出たある人と少しお話をさせていただいたこともありましたが、その人は「上に立つ人間の仕事は組織が自走するような雰囲気作りが全てだ」と話しており、やっぱり上に立つ人間でクラブも変わってくるのかなとそのとき思いました。
ズバリ言うとおカネのことです。Jクラブスタッフの給与水準はやりがい搾取レベルで低いです。
新卒のJクラブスタッフ給与について中島涼輔さんのブログにも記載されていますが、まず間違っていないと思います。大きな責任企業を持つクラブは、少し違うかもしれませんが、責任企業を持たない地方クラブの場合は、新卒の年収は200万〜250万くらい。5年から10年働いている35歳前後の人の年収が300万円に満たないことも多々あると思います。
※このことはFC今治の経営企画室長 中島啓太さん(@keitanakajiman)もTwitterで言及し、危惧していました。
選手に当てはめてもいえますが、いい人材には、高い給料がついてくるものです。
しかし、ことクラブスタッフに関しては、欠員が出たら募集は掛けるが、いい人材を自ら探して引っ張ってくるということはほぼないのではないでしょうか。
(役員以下の役職あるJクラブスタッフに800万〜1000万円級の給与を払っているクラブはまずないはずです。逆に800万〜1000万級の人材をガンガン入れたからこそ横浜DeNAベイスターズは急成長したのかなと。池田純さんは経歴見ただけでこの人すごい感あるし、東北楽天ゴールデンイーグルス立ち上げには小澤隆生さんがいた)
中途で入社してくる人も前職より給与アップして入社したというのはほぼないと思います。
例え給与が下がったとしてもクラブで働いてみたい人は多いので、会社のスタンスも人材におカネをかける意識が低いですし、人が辞めても安月給で働きたい人はたくさんいるから育てる意識がそもそもない。
このような意識になった要因としては、クラブスタッフは忙しく(担当部署にもよりますが)業務内容も生産性が求められるものより週次の試合に向けた日々のオペレーション業務がほとんどだったからではないかなと思います。
しかし、ここ数年はSNSも普及しましたし、スタジアムを中心としたまちづくりを目指すクラブも出てくるなど、仕事内容的にもより優秀な人材が求められてきていると思いますが、クラブスタッフが本気でそのことに気づいていない。もしくは業務に追われて人材(組織)強化まで手が回らないんだと思います。
事実、クラブの事業側のトップである社長の半数以上が在任3年未満となっており、現場チームのトップである監督が変わることが多々あるにも関わらず、その現場を支える事業側のトップもすぐ変わって、事業戦略がコロコロ変わることも残念ながら現状としてあります。クラブスタッフがスムーズに仕事が回るよう努力しても事業と現場のトップが変わることが何度も続いて、その度に事業方針や強化方針が変わるとせっかくやってきた業務効率化が役に立たなくなり、忙しさのループから抜け出せないクラブが少なくないと思います。
※なお、事業規模が成長したとしてもすぐにクラブスタッフの給与への反映はあまりされません。その分、チームの強化費や強化運営におカネがまわります。チームの強化費と成績はある程度の相関関係にあるからです。魅力的なチームを作り→成績が上がり→観客動員数が増え→売上を伸ばしまたいい選手を獲得して→魅力的なチームを作る好循環を狙いますが、強化費を上げた結果チームの成績が上がるとは限らないのがサッカークラブを経営していくうえでの難点(かつおもしろいところ)です。
また、クラブスタッフは日々忙しいあまり、他のことに手を出す余裕がありません。(私が在職中にきつかったことは、まさにこのことです)
J2/J3のクラブの場合は、担当部署を複数兼務することはごくごく普通にあります。
忙しいあまりに本を読む時間も取れませんし、(給与が低いため)本を買うこともほとんどなくなりました。代わりに月に1度図書館に行ったり一番大きい本屋で立ち読みできれば上出来なぐらいです。都市圏のクラブであれば違うかもしれませんが、地方クラブだとほとんど金銭的・時間的・地理的理由で他のことに手を出す余裕がありません。他スポーツを勉強として観戦することはもちろんできず、地方と都市では開催されるイベントの質と量ともに比べものにならないですし(これも担当部署にもよりますが)基本まとまった休みも取れないので家族旅行も難しいでしょう。
このようにおカネもない、休みもない環境だと、いくらやりがいを感じていても辞める人(もしくはより事業規模の大きく給与も高い他クラブにステップアップ移籍)が続くのも納得できると思います。
以上、ざーっと書かせていただきましたが、
Jクラブは熱を持った優秀なビジネスパーソンが圧倒的に足りないことと優秀なビジネスパーソンを受け入れる環境が整っていないため組織として弱い会社(クラブ)が多く、内部からの改革はめちゃめちゃ難しい状況にあると私は思います。
ただ、(無茶言うなと言われるかもしれませんが)難しい状況だからこそ、えほみほさんはじめ現在Jクラブスタッフとして一生懸命働いている人たちにはどうか頑張ってほしい。そしてこの状況を変えていってほしいです。
つらつらと在職中に感じていたことを書かせていただきましたが、仕事としては非常にチャレンジングでやりがいは間違いなくあります。
私も自身の金銭的余裕ができてビジネスパーソンとして「いまならお役に立てるかも」と思えたら再度挑戦したい気持ちはあります。
私自身は、引き続きサッカー界にアンテナを立て続ける予定ですので、「イニエスタがJリーグにくるかも!?」を超すような事業側のニュースが出てくることを楽しみにしています。今後のJリーグの成長を考えると村井さんや木村さんなら「外資オーナーOK!」ぐらいのことはやると思ってますし、アジアで一番のサッカーリーグになっておらが町のクラブとしてたくさんのクラブが町の誇りであり続けることを祈っています。
注意
たぶんものすごく長文になるとおもうから暇すぎてどうしようもないひとだけ読んでください。
語彙力文章力なんてないです。深夜のテンションで書いてます。ご了承を。
そのせいか、最近俺のTwitterのタイムラインにしょっちゅうガンダムの話題が出てくる。それは嬉しい。やっぱガンダム愛されてるんだなぁとか思う訳だけど、いるんだ。一定数。火種を撒き散らすやつが。
偏見もあるかもしれないけど、だいたい発端は(ガンダム以外の)アニメアイコンのやつ。そのひとの投稿を遡ってみるとまぁわかる。アナザー系のSEED、00、鉄血あたりから入った若い世代だなって。
新作発表されるたびに批判するやついるけどそういうやつらがガンダムの発展を妨害してる的なこと言ったり
最後のやつは流石にキレそうだった。いや、こんなことでキレるガノタキッモwと思うなら思っとけ。俺はそんくらい愛してるんだよ。
かくいうワタクシは新作ガンダムウェルカムではない派です。理由についてはのちほど…
話を戻して、アナザー特に平成ガンダムから入った世代がよく喧嘩の原因になってるんだよ。
んで、最近思ったのが、ファースト世代と平成世代でガンダムに対する思い入れが圧倒的に違うんじゃないかと。
もちろん平成世代にもファースト世代に劣らず大好きって人も少なくないだろうね。俺もまだ二十代だし。
俺は親の影響で物心ついたときからずーっとマジンガーZとかザンボットとか80年代前後のスーパーロボットものしかみてなかったんだ。リアルタイムのアニメは一切見てなかった。今思うとすごい生活してたんだなって笑
んで、5歳くらいだったと思う、ガンダム初めてみたのは。もう衝撃だったよ。
今までのロボットとは違ったんだよ。
当時どのくらい話を理解してたかは覚えてないけど、もうその時からガンダムの虜だった。俺にとってガンダムは特別だったんだよ。それからもうガンダムしか目に写らなかったね。
月日流れて中学、ガンダムの話をやっと理解できるようになってきた。理解したら理解したでまた衝撃。ガンダムには善悪がなかったんだよ。正義と正義の戦いだったんだよ。はぁ~すごい。これを勧善懲悪がメインでアニメましてやロボット物なんて子供むけと言われてた時代にここまで大人向けに作られたガンダムはすごいってまた虜になるわけですよ。
ここまで取り付かれると壁が出てくるんだ。ガンダムファンなら気づくと思うけど、そう。Gガン。
ガンダム…なのかぁ?ガンダムゥ?って当時は思ってたけど話自体はよかったし今は割りきってガンダムかどうかは疑問だけど、スパロボとしては大好きってことにしてる。
俺みたいに最初の大人向けアニメがガンダムだったらまぁ同じような反応になって特別視されると思う。
ずっと米をあたりまえのものだと思って食べてたところに突然パンを差し出された明治時代の人みたいな気持ち。
ただ、平成世代。ガンダムの影響かヤマトかエヴァかは知らないけど、大人向けディープなアニメは珍しくなくなったわけで。普段からその類いのアニメを見ていた世代には目新しくもなんともないただのかっこいいロボットなわけだ。だからFGOとコラボしてほしいなんてワケわからんこと言えるんだ。
普段からパン食べてる人に新種のパンを持っていっても美味しいけどパンだねって流されるような感じ。
彼らにとっても特別なものになるにはなるんだろうけど、所詮かっこいいロボットだからリアリティに欠けていても、かっこいいロボットであればそれがガンダムとして受け入れられ、新作が発表されるとふつうに喜ぶ。
ガンダムは一世を風靡したリアルロボットアニメという称号で特別視しているので、リアリティに欠けた作品や、ほぼスーパーロボットのような作品が受け入れられない。
前にも書いたけど俺が新作好まない理由のひとつとして、書いた通りの平成世代が増えるのが嫌というのがある。
もちろん、そこからガンダムに興味をもって熱狂的なファンになってくれればそんなに嬉しいことはないけど、そうじゃない人が極端に多いと思うんだ。
最近で言うと鉄血のオルフェンズ。鉄血と全く関係ないyoutubeのガンダムの動画を見に行くと高確率でコメント欄に鉄血の話をしてるひとがいる。何事も鉄血基準。三日月だったら~とかバルバトスのほうがかっこいいとか。
Twitterでも出てくる。鉄血を基準にして他の作品を貶すやつ。
そういうやつらが変なこと言ってまた論争がはじまる。
それが嫌なんだ。
新作を好まないもう一つの理由はガンダムのブランドを汚してほしくないから。
これまた平成世代に老害だ癌だなんだって総攻撃くらいそうなんだけど。
まず、アナザー。ガンダムって兵器だったはずなのにいつのまにか一機二機で軍隊と戦えるスーパーロボットになってません?SEED、00、鉄血。AGEなんてもろ英雄言ってますし。
スーパーロボットとは違うぞってところが評価されたのに、いつのまにかスーパーロボットに逆戻りしてる。アナザーが発表される度にがっかりするんだ。あぁまたガンダムブランドが堕ちるって。
次に宇宙世紀。
せっかく逆シャアで人の可能性を示して綺麗に終わったのにユニコーンでまた懲りずに戦争して、っていうところが逆シャアのラストの意味を問いたくなる。
まぁ人間はどんな状況でも戦争するって最大限のリアルなのかもしれないけど笑
新作発表の度に拒絶反応起こす人の気持ちはたぶんだいたい一緒です。
長くなったけど、俺はガンダムを愛してる。キモいとかめんどくさいとか言われても気にしないレベルで愛してる。
なんだかんだでガンダムだいすきなんです。
ここまで読んでくれた人、ありがとう!
某大手アパレルの系列の所謂SC系ブランドの店に久しぶりに行ってがっかりした。質悪すぎ。
別に生地だの仕立てだのに見る目がある方だとは思っちゃいないが、そんな自分でも一目でわかるくらい酷過ぎた。
売ってる時点で服に変な皺出来てる(皺が味になるような生地でもない)し、
安い服だと一度洗ったら型崩れ、ってのはよくあるけど
売ってる新品の時点で型崩れしてるってどうなのよ。
昔はこんなに酷くなかったと思うんだけど、売れなくなったせいなのか。
売れる数の違いなんだろうけど。上記のブランドより遥かに売れてるだろうしな。
ルームシェアメイトとの日々の料理の写真をあげていたフォロワーがとても多いインスタグラムのあの人が、ルームシェア解消後、写真投稿数が減り、ついにはインスタグラマーになってしまい、広告をはじめてしまった。そういうところが全くなくクールで清潔なところが好きだったのに。彼女には彼女の美学があるように思ってたし、全く媚びない感じが好きだった。あの投稿も広告か?と勘ぐってしまい、なんか見るたびもやもやするようになった。
ルームシェア解消イベントっていうのも、なんなんだと思っていたが、インスタグラムに載せる動機や目的みたいなのを失ってしまったのかな、インスタグラムは、テーマが一貫しているほうがコンテンツ力が強いんだろうし。ルームシェア解消後の彼女の写真は迷走しているように思う。以前は彼女の好きなものや生活を投稿していくものだったけど、今や見栄えやフォロワーのリアクションを気にした投稿や、以前のルームメイトや友人たちを撮って、リアクションがある写真に、固執しているようにさえ思えてくる。食卓はわざわざ椅子に登って上から撮ってるのかなーとか考えてしまう。フォロワーが多すぎるとそういうふうに反応が気になってしまうものなんだろうね、彼女もとうとうインスタグラマーになってしまったのが悲しいよ。
追記
インスタグラマーっていうのは、企業から広告依頼が来てそれをインスタグラムでさり気なく日常の一部っぽく商品なんか載せて広告したりしてその収益でかなり稼いでる、フォロワー数の多いひとのこと。
フォロワー数だとか気にしない彼女の生活をみるのが好きだったが、収益のため広告するようになり、がっかりした、ってはなしさ。
アップルがIR情報として、自社株買い10.9兆円相当の計画を発表した。
「新たに1,000億ドルの自社株買いについて取締役会承認が得られた旨報告できることを幸せに思います」(2018.5.2)と公表したわけだが、その額で何株買い戻す計画なのかが明らかにされていない。
それが知りたくてあちらこちらを探したのだがどこにも見つけられずにいる。
こちらが知りたいのは一株当たりいくらで買い戻すことを妥当と考えているかという経営陣の判断なのに。何を考えているのか。
ただの株価対策なのか(増配+16%を同時に公表、株価はその日のうちに4%上昇した)。
ちょっとがっかりである。今の利益と財務の状況を見るに、取り合立てて割安とも思えない。安くもない株価で自社株買いを行っても会社の価値を高めることにはならない。だから今、アップル株を買おうとは思わない。