はてなキーワード: 雨後の筍とは
Twitterに書写お題垢というながらあるのはご存知だろうか。
ほか、この朝活書写垢が人気になったあと、雨後の筍状態で数多くの書写お題垢が生まれ、運用が続いてたり、運用が終わったりしている。
さらにいうと、朝活書写から派生したコンテンツを送り出す人もいる。
その書写お題垢からでるお題を楽しみに、書写に勤しむ人は多い。
全員がそういうわけではないが、Twitterで書写をする奴にはどうしてあんなに我が強い多いのか。我が強いから悪目立ちしているのかも知れない。強い奴同士だから、揉め事が絶えない。
誰のものでもないハッシュタグを自分の占有タグのようにしようとするやつ。
それに対して、対抗してくるやつ。
エアリプでキレ散らかすやつ。
お題について感想を呟いてるツイートを発見すると、たちまち書写お題垢信者が「タダでやってくれてるものに文句を言うとは」「嫌ならなら見なきゃいい」そういったエアリプが飛び交うのも茶飯事。
一見、字を書く習慣を持つ人は穏やかな人が多そうなもんだが、Twitterの書写周辺は治安が悪い。
口が悪い奴ほど目立ち、そういう奴ほど字が汚い傾向があるのは不思議だ。汚い字でも平気で出せるメンタルの強さが口の悪さに繋がるのか。
あいつらと同じカテゴリと見られるのが嫌でTwitter書写はやめた。やめたら精神的に平和が訪れた。
鬱屈としながらTwitterで書写をしている人もいると思う。思い切って止めて、別の字を書く習慣を始めたほうがいいかも知れない。
グルメである自覚はないのだが、今年2回そう呼ばれる機会があったのでそうすることにする
私の乏しき給料の使い道は、もっぱら食品関連に費やすことが多い
だいぶ前から知っていて、もっと増えろもっと増えろと思っていたが
雨後の筍の如く増えて嬉しく思っている
そんな私だが今年を振り返り、食の遍歴を振り返ると一層際立つ思い出がある
それはカレーの街神保町の街で行われたカレーグランプリ…で試飲できた「紅茶」である
しかし、それを差し引いても日東紅茶が淹れてくれた紅茶はやたら美味しかった
飲んだ瞬間香りが押し寄せ、いつもなら下に感じりえぐ味のたぐいは一欠片も相見えず
なめらかに喉を通過していった
それぐらいに割りと感動した味でした。
インドネシアのスタジアムでの暴動で多数の死者が出た事件で、NHKがあたかも暴力が主原因で170人以上が死んだと取れるような報道をしているが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20221002/k10013845461000.html
はっきり言って間違いだと思う。素手の暴力でこんなに死者は出ない。
一方、雑踏の事故では簡単にこれだけの死者は出る。だからこれは観客席に催涙弾を打ち込んだ警察が原因と思われる。
日本の警察であればこんな事はまず起きない。だがこれは日本スゴイって話じゃない。ちょいと説明しようと思う。
警察は司法権力機関であるだけでなく、行政としても強い権力を持っている。
だから雑踏に関しても命令する権限があって、人が集まるイベントを届け出なくやったりすると怒られるわけだ。
店の外の行列を放置していれば「ちゃんと店員か警備員雇って整理しなさい」と言われるし「○○という有名人が△△に来てる」っていうデマを流して将棋倒し惹起したら逮捕される。
警備業というのは監督官庁が警察になっていて、更に警察官の天下り先でもある。また社長が警察上がりというケースも多い。
元々警備業はボディガードなどから派生して色々な形態の警備を請け負うようになったのだが、実はその前から同様の警備請負をする人士達が居た。右翼である。
右翼はボディガードだけでなく労働運動潰しなども請負い、暴力の行使や時に殺人も行っていた。更に昔の右翼はヤクザと不可分の所も多かった。
昭和30年代にTVで「ザ・ガードマン」というドラマが放送されると雨後の筍のように警備業者が起業されたのだが、ここに右翼/ヤクザ経営の企業舎弟の会社が大量に入り込んでしまったのである。
警備請負というのは暴力からの防御という仕事が多い。それは即ち対抗するための暴力だ。
一方、警察というのは国家という暴力装置の実行装置だ。暴力装置たる所以は暴力の独占であり、警察をコピーした暴力が世間にあってはならない。
また、道路工事での交通規制でも警備員は必要だが、土建業というのはヤクザの企業舎弟が大変に多い分野だった。つまりヤクザの資金源になってしまう。
という事で警備業法というのが施行され、警備業は警察を監督庁とする許認可事業で、前科がある人間の雇用禁止、警備員は法含む研修必須などが定められ、業務が完全に警察の指揮下に置かれたわけだ。
警察の天下り先って事で、利益誘導の面もあって警備業の派遣先が増える結果にもなった。「これやるなら警備員を何人以上配置せよ。その配置図を出せ」って何かにつけて言われるって訳ね。
因みに以上の経緯から警備員の装備というのは厳しく制限されているよ。例えば警察署の前で長い棒をついた私服警官が立ってる事がよくあるが、あれは実は軍隊と同じ立哨で立ち方も決まっている。持っているのは「警杖」なのだが、あれを警備員が持つことは禁止されてる。警棒の長さや形に制限がある為だ。
日本で雑踏事故が少ないのはこういう戦後の経緯の末に、人が集まる事をせんとする場合は警備員の配置と雑踏警備計画を提出させられるからだ。
雑踏警備での鉄則は「一方通行」と「ボトルネックを無くす」である。これは群衆が流体のような動きをするからだ。
一方通行にしない場合にどうなるというと、「クサビが噛み合った状態」になる。
例えば広いところの間にトンネル通路がある場合で、通路の両側から群衆が押し寄せた場合、通路の入口では「通路の半分からはみ出さない」という動機が働きにくいので通路のほぼいっぱいに広がって進行する。
だがこれは反対側でも同じなので、出口付近では人一人くらいの隙間をぬって通る事になる。
これは上から見ると三角形のクサビが噛み合っているような状態になる。効率的には最小化だ。
後ろから押されているので隊列が狭くなると群衆密度が増す。だが人は一定以下では足の歩みが出来ないので押されてやがて転んでしまう。
後ろの人間は前で起きていることが見えないので前にどんどん進行してくる→それらも更に転倒する、となって、転んだ人とのその手前の人間には数百キロ~数トンの圧力がかかり、皆死んでしまう。
これが通路を対面通行にした時に起きる雑踏事故だ。通路は一方通行が鉄則なのはこういう理由だ。
ボトルネックがあった場合は、細くなる手前で群衆圧力が上がる。
更にボトルネック手前の壁に当たった人間は通路に戻ろうとして横から割り込む→圧力が高いので弾き出される、となってそこでグルグル回って出られなくなったりする。まるで落ち葉だ。
でもそうする事でただでさえ高い群衆密度へ割り込まないとならない人が出て局地的に密度が極度に高くなる→転倒事故、あとは上記の例と同じで死亡事故まっしぐらである。
だから「狭くなる」箇所というのは作ってはいけない。狭い場所があったらそのずっと手前からパイロン等で狭い状態が継続した状態にせねばならない。
「ボトルネックを無くす」の類型に「通路をのばす」というのもある。
立体交差する駅で秋葉原駅は階段一本で山手線と総武線ホームが直接行き来出来るのに、武蔵野線南浦和駅はわざわざ遠回りして通路を歩かされる。不合理だと思った事ないだろうか?
これは秋葉原が通勤ラッシュなどを然程考慮してなかった昭和初期の建設、南浦和が痛勤ラッシュ常態後の昭和後期開業である為で雑踏事故対策なのだ。
電車の降車客は波状的なので、長い通路をダラダラ歩かせてそこで客の波を吸収してしまおうという思想だ。
秋葉原では短い階段でホームに直接客が展開してしまい、群衆密度が高い箇所がホームという危険な状態になってしまう。
地下鉄高田馬場駅の改札はホーム端の先にあるが、2004年頃の改築でホーム中ほどから改札への通路を増設した。
出口は一緒だから一見無意味な改造だ。だが長い通路で吸収して階段の手前で滞留する客がホームに溢れるのを軽減する効果があるのだ。
新潟の神社で行きと帰りの初詣客がかちあって滞留状態になった。そこでやがて参道の石垣が崩れて100人以上の死者。
だが石垣だけに問題があったのではなくて、群衆密度が上がりすぎて路肩にせり出し崩壊したものと思われる。
これは一方通行にしていなかったのが主たる原因の例。
列車が遅延し、混雑が激化して日暮里駅の板張り跨線橋の羽目板が客の圧力に負けて崩壊。転落した客13人が電車に轢かれ8人が死亡した事故。
対面クサビ状態とボトルネックの混合と思われる。跨線橋の角に押し込まれた客が流れに戻れず圧力が高くなって壁崩壊。
雑踏事故じゃなくて暴動なのだが、国労動労の順法闘争の為にダイヤが大きく乱れてカチ切れた乗客が駅員をぶん殴る、電車を悉く破壊するなどで収拾が付かなくなって機動隊が動員されて鎮圧。
翌日から他の駅多数で度たび同じ暴動が発生する国電暴動となって東京はカオス状態に。
大混雑と電車がいつ来るか知れないストレスフルな状態の上にアナウンスもせずにいた為に乗客の怒りメーターがレッドゾーン振り切ったの原因。
なのでこれ以降雑踏では拡声器を使ってうるさい程に行列に関する情報を与えろというのが鉄則となった。
数年前に宇崎ちゃん献血ポスター騒動というのがあった。セクハラっぽいポスターを公益性が高い日赤が使うな!という騒動だ。
この騒動は一枚の写真から始まったのだが、このポスターが掲出されていた場所というのは新宿西口のJRと京王の乗り換え通路である。
ここには「新宿駅西口広場イベントコーナー」というのがあり、その対面に「新宿西口献血ルーム」があって、そこに掲出されたポスターだったのだ。
この「新宿駅西口広場イベントコーナー」だが、実はここは1992年頃まで工事用バリケードなどで塞がれた単なる閉鎖区画だった。
照明もなく、ホコリが積もったままで少ない資材が置かれただけの殺伐としたところで、居心地の悪い場所だった。
実はここが封鎖されていたのは「新宿フォークゲリラ」という騒動による。
ここが広くなっているのは1966年竣工の西口立体化時に地下広場として作られたからなのだが1969年に学生中心のベトナム反戦集会、新宿フォークゲリラが開かれ、機動隊が導入されて解散させれらた。この際、広場として整備されたものを東京都は「通路」に変更するという禁じ手も使用(通路=公道の占拠は道交法違反)。
そこに起きたのが国電暴動で、新宿駅でも暴動が発生。「別に反体制学生じゃなくても暴動起こすのかよ!」と頭を抱えた警視庁と東京都は、別にギター持って屯してた連中と暴動は関係なかったが、万一を恐れて乱雑にこの区画を閉鎖してしまった。
時代が下って最早反体制なども流行らなくなり、閉鎖区画のせいで逆に荒んだ状態になっている元地下広場の有効活用として即売会や催事場としての活用をするようになった。
初めはしょぼかったが、やがて政策アピールの掲示や地産フェアなど商売がうまくなり、綺麗な内装もされて有用なイベントスペースとなってきて人の流れも出来てきた。
そこで対面に献血ルームが出来る事になったわけ。
上記のように日本の警察は雑踏事故防止に関しては極めて有能なんだが、その反面「人が集まる事」を嫌いすぎるきらいがある。
広場否定論なんだな。あんまり人が集まるのを封じてしまうと今度は現在のロシアみたいな事になってしまう恐れもある。
で、最近だと東京駅や池袋駅西口、渋谷駅(予定)みたいにロータリーを追い出して広場を作るという方に行政の方がシフトしてきている。
そういう戦後史と行政史の果てに出来たのが「新宿西口献血ルーム」でそこに掲出されたのがあの宇崎ちゃんポスターだったってわけだ。
あの騒動は色々感情的過ぎたが、でも一方でその辺知ってるとアゴラの復活でもあったって訳なんだな。
という訳で、統率されない人間が大量に集合すると雑踏事故が起きるのはデフォルト状態で、警察行政が力を入れて制御してるから日本じゃ事故があまり起きないのだ。
インドネシアのは警察に問題があり、観客席に催涙弾を撃って視界が乏しくなった客がパニックになったらどうやったって雑踏事故になる。観客席は階段状でそこに下り階段があるという構造ゆえ先が見えなくなるから普段でも危険な構造なのだ。インドネシア警察は雑踏警備の監督指導などを普段からしていないのではないか?
1964年にペルーで同じように暴徒に催涙弾を打ち込んで300人以上が死ぬ事故があったので、そういう事例研究をしていないと思われる。
「警察が私らを人間扱いしていない」との被害者のコメントが報じられているが、インドネシア警察は人間扱いと同時に流体扱いをすべきだった。
「BL/TLゾーニングの話になると雨後の筍の様に現れる私の視点ではBL/TLゾーニング容認派は多い」っていう人がいっぱい出てくるの何で?
不思議なんだよね?
もしかして「BL/TLゾーニング容認運動と否認派への対抗運動をしないことを両立したい」っていう考えだったりする?
既にハッキリと「BL/TLゾーニング否認論者の主張は受け入れられない」と表明している人は別として、BL/TLゾーニング容認派を自称しておきながら実際の対抗運動は他人任せにするっていうスタンスなのかな?
BL/TLゾーニングを容認したいなら責任持って態度をハッキリしようよ
ハッキリとBL/TLゾーニング否認論者へ対抗しようとしている人や、男性向けジャンル愛好者たちの動きへフリーライドしているって言われても仕方ないよ
フリーライドじゃない!自分たちは最前線に立つ!って宣言しようぜ
この宣言できるBL/TLゾーニング容認派の人とはマジで手を取り合って一緒にBL/TLゾーニングしようぜ!って主張を共にしたい
キズナアイが引退すると聞いたときに最初に思ったのは「はぁ?」って感じだった
ワンピースでいうなら、グランドライン半ばでルフィが「俺、船降りるわ」っていうようなものだったから。
キズナアイはVTuberの先頭ではなかったと思う。単純に数字で見ても瞬間風速と一番長い活動歴で築いたチャンネル登録者数以外、動画の平均視聴数や配信の同時接続数は他のVTuberに劣るからね。
それでも"バーチャルな存在"としての格は間違いなくトップで、ここにキズナアイの功績があると思ってる。
日本でVTuberが大流行し始めたのは2017年冬。キズナアイの切り抜きがバズると、すぐさま数少ない同様の形態である電脳少女シロやミライアカリ(あとばあちゃるとか)が注目を集めた。その後は雨後の筍のように様々な個性的なVが登場して、毎週のように現れる新人Vを特集する切り抜きが作られ、その中に輝夜月やときのそらがいた。人の言葉を話すバラエティに富んだバーチャルな存在が次々と出てきて、異世界の動物園で見たことない動物を見ていく時のような不思議な感覚で凄くおもしろかった。
年が明けてしばらくすると二次元アバターを利用した生配信中心スタイルのにじさんじが活動を始めた。これは2回目の大流行といってもいいくらい衝撃で、ここでVの進化経路というかスタイルが分化した感じがする。
にじさんじ登場後はVTuberのスタイルが動画勢、配信勢というような区別がされたけど、この区別はあんまり好きじゃない。Vtuberに限らずインターネット上に実名とは違う名前、容姿で活動するものに大きく2通りあると思ってる。
①現実とは一切関係がなく、インターネット上にのみ存在するもの
②インターネット上に存在するために3Dモデルや2Dアバター、ニックネームを利用するもの
①はまさにキズナアイが特に強く推し進めた概念で、徹底的なロールプレイ(※ひたすらキズナアイに徹すること(例:食べ物食べたことない))と何よりも説得力のある柔軟に動く3Dモデルによってもたらされた。
一方で、②はにじさんじを始めとして今現在のVTuberの多くがこちらに分類される。”バーチャルな存在”じゃなきゃいけなかったわけではなくて、ネットで活動するためにこれが適していたからこうした形式を選んでいるというタイプ。
最初の流行直後の無数のVTuberは①が多かったけど、生放送中心のVTuberが登場すると、一気に風向きは①→②へと遷移していき、アイドル部が隆盛を極める頃にはキズナアイやミライアカリといった①のVは相当キツくて、唯一ゲーム部プロジェクトだけが成功していた。
VTuberの人気が増していく一方で低迷が続くキズナアイは、いくつかの炎上もあった後、ただの「インテリジェントなスーパーAI」だけでなく、「VTuberの親分」としての自身を強烈にプッシュする方向に進んだ感じがする。具体的には数字的には劣るものの、「VTuberの親分」としての看板と共に今の大人気VTuber(多くが②に当たる)とのコラボを沢山するようになったのだ。
そうしてある程度「VTuberの親分」に恥じない立場といって良いくらいには人気が回復した矢先の引退発表だった。
俺はキズナアイが生み出したネット上にだけ存在する生物のような、現実と隔絶された存在の仕方に魅力を感じている。今でも銀河アリスだったりおうまゆうのように①のタイプのVTuberは居て、自分が知らないだけで3Dモデルを利用してインターネット上だけの存在として活動(存在)している人はVRchatとかにいると思う。
キズナアイは「VTuberの親分」としてライブを終え、大勢のVTuberとそのファンがキズナアイを送り出す言葉を書く。その中に「あなたがいなければ今のVTuberは全員いなかった」みたいな書き込みがあった。それは嘘でしょ、と思った。今のVTuberの本流は②のタイプで、これはキズナアイというよりかは月ノ美兎とかのおかげだから。キズナアイがいなきゃありえなかったVTuberっていうのは昔のミソシタや春日部つくしのような存在なんじゃないか。
①の象徴のキズナアイを別にキズナアイの文脈じゃない人たちが多くを占める中で感謝と拍手で送る感じ。これがなんか歪で嫌だった。
上がってたエントリも読んだ。
結構なことでしょ。Vの価値はインターネット上っていう仮想空間だけに”存在”することにあるんだから。Vは既存のIP(漫画、ゲーム、絵、アート、映像、本)の一つなんかじゃなくて、存在の方法が新しかったから衝撃的で魅力的なんだよ。キズナアイが後世に残ろうとも残らなくてもどうでもよくて、ただ存在し続けてくれることが大事だったんだよ。
というかこのエントリはなんか鼻に付くな。なんでVTuberに中の人を見るのか。お前はアニメとかもいちいち声優気にするタイプか。昔アニメの声優がテレビに出ているのを見て物凄く失望した覚えがある。画面の中であれだけ活き活きと生きているキャラクターは私たちが演じてましたよつっておばさんおじさんが出てきて。アニメやゲームのように、人が幻想と分かっていても本気で入り込むものに急に現実を結びつけるのは大嫌いだ。現実に空想・ファンタジーが入り込む余地がどんどん失われて、現実に現実しかなくなるから。そういうものと離されているからこそVは素敵なのに。インターネットの中だけで存在できるから幸せなのに。
話が逸れた。要するにここまで書いたけど幼稚園児の駄々こねみたいなもので、言いたいことは
キズナアイが生み出した”バーチャルな存在”としての存在方法が魅力的で、これが確かな権威をもつ前にその先駆けであるキズナアイ自体が下りてしまうのが悔しいってこと。
人々をVに駆り立てたゴールド・ロジャーであり、自身がVであるルフィみたいな存在が下りられたら困っちゃうってこと。色々な黎明期のVが辞めてったけど、まだキズナアイがいるから、みたいな最後の一枚岩的な期待を勝手にしていた。
つい最近ホロライブで契約解除になったライバーがいた。そのキャラクターは死んだけど、いわゆる中の人はすぐに自分のyoutubeアカウントを作成した。その人にとってはVだろうが自分自身だろうがどっちでもよかったのだ。この瞬間、"バーチャルな存在”だったそのキャラクターは、中の人がインターネットで活動するための道具・手段だったことになってしまった。元々②よりのVTuberなので最初からVのキャラクターは手段だったかもしれないけど、このとき、明確に。
VTuberと密接な関係のある3DモデルにもNFTみたいな少しきな臭い利益を求める思想みたいなものが入ってきてるように思える。さっき挙げたミソシタとかは今はNFTにドップリだ。
俺が"バーチャルな存在”にすごく夢を抱いていた一方で、その文化が少しずつ思ってたものと変わっていく。そうした中で、キズナアイだけは変わらないものの象徴というか柱だった。
だからそんなキズナアイが引退することは”バーチャルな、バーチャルだけに存在する”という概念が潰えてしまうことも結びつくし、それに追従して生まれた幾千もの個人的Virtualな存在にとってなんか絶望的だ。
生活保護、障害年金持ちフリーランス。日銭を稼ぎながら納税できない代わりに余剰にもらう分のお金を国に返してる。
年度初めに取引先全てに契約を切られた。まあ、能力がなかったのだろう。いい機会だしもう元気になったしと言うわけで脱生活保護を目指して就活を始めた。医者ケースワーカーその他もろもろがもう少し休んで!と言うが知るか。5年も休んで来年には三十路。今年が勝負なのだ。
まずはなんの仕事に向いてるのかハロワの職業診断をした。結果、何にも向いてなかった。能力が普通の人よりだいぶ劣るらしい。
どうしましょう…と言ったら詳しい職業診断を受けるために障害職業なんたらとか言う施設に行けと言われた。行ったら医者の意見書持ってきてくださいねーと言われた。お金は立て替えますと言われたが立て替える金がないので利用することはないだろう。あと今からだと支援受けれるのは4月からですねってなめてんのか。
どうやら職業適正を受ける権利もないらしい。友人に愚痴ったら生活保護って働かなくていいな〜と言われた。
生活保護を抜け出そうとすると役所医者家族からまた警察と病院のお世話になる気か!頼むから大人しくしてくれ!と言われ、生活保護のままでいると生活保護は楽でいいねと言われる。どうしろと。
失うものは何もない。なんなら今住処も無い。障害者施設のトラブルに巻き込まれて従姉妹宅に居候している。
書いててイライラしてきた。私は障害者が嫌いだ。施設にいる時、障害者の男から怖い思いをするような事をされたからだ。その施設はやめたけれど、今度は別の障害者の女から怖い思いを受けることになった。だから障害者専用の職場には行けない。行きたくない。
失うものが何もない無敵の人になってしまった。最近色々な無敵の人が雨後の筍の様にわいてきているけれど、私もその中に入るかもしれない。電車やバスに乗るたびに周りにイライラする。私は生活保護を脱して普通になりたいだけなのにどうしてみんな邪魔したりするんだろう。
同じく生活保護の親に至っては子供産めば母子手当がもらえる!と婚活している。ああはなりたくないと毎日毎日頑張っているのに誰も認めてくれない。
私に少しの勇気があれば今すれ違った人をぶん殴ることができたかもしれない。私に少しの勇気があれば毎日うるさい下の階のジジイを殴れたかもしれない。でも勇気がないから自分を見て!と世間にアピールすることもできない。
無力だ。死んだ方がいい。
"「勉強になりました」→仕事で「勉強になりました」は言うな"
これなんですが、
「勉強の場じゃねえ(学生気分の言葉)。学生の遊びじゃないんだから。仕事をやってるんだ」
という意味なのだろう。ある種のプロ意識としては正しいのかもしれない。
ティーチングケースで、学びながら給料をもらい、経験を積むケースというのは世の中で山ほどある。
自分の居た、十年一昔どころか、一年一昔(半年一昔かも)という業界世界に生きていたころは、仕事も遊びも全て勉強に結び付けないと、生き残れれない業界だった。
そういう業界や世代の人間にとっては、「仕事で勉強になりましたは言うな。仕事はお前の勉強じゃない。仕事に集中しろ」と言われると、
「なに言ってるんだ? 老害か?」
と反応してしまう。
知らない情報が毎日雨後の筍のようにでてくるのが現在の世界である。そこに追いつくためには、仕事中にも遊び中にも、勉強をし続けなければもう追いつけない世界に生きてしまっている。
ただし、いまの若い人は、特に、遊びも仕事も、全て結びつけて勉強しないと生き残れない世代なので、その辺は加味してほしい。
「勉強になりました」→ありがとうございます、ぐらいの意味だと思う。
しかし、とある集団においては「勉強→仕事ではない。学生気分の甘ったれ」という意味に取られるんだろう。
「勉強しに来てるんだったら帰って」vs「勉強しないやつは。仕事ができない。仕事中も遊びも全て勉強しろ」
「勉強って言葉は学生時代のセリフ。自分の仕事に集中しろ。お前を鍛えるために仕事があるんじゃねえんだ」
「勉強しろ馬鹿野郎。仕事もすべて勉強だ。進歩しなければ生き延びられねえんだ。お前がカスなのは勉強が足りねえんだ」
若い世代は、どちらかと言うと後者の世界に生きているので、「勉強になります」という言葉は、そういう生き方を強いられてる世代だということを考えてみるといいのかもしれない。
そりゃそうよ。
例えば原神というゲーム作品は、音楽ひとつとっても、モンド(中世ヨーロッパ風地域)ではロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、璃月(中国風地域)では上海交響楽団、稲妻(日本風地域)では東京フィルハーモニー交響楽団と著名な伝統楽器奏者を多数登用してBGMを録っている。
そうやってパーツにお金をかけて本気で良いものを作りたいんだってことを行動で示していくと、他のパーツ制作にもそれに見合うように優秀な人材が集まり、映像表現にしてもゲーム性についても洗練されていく、そういうモチベーションと好循環が生まれるわけよ。それを可能にしているのはやっぱりお金なわけで、もちろん企業風土とかもあるんだろうけど、ケチらんことは重要なんだろう。
結果として開発費に110億かけてもそれをリリース2週間で回収するヒット作を生み出し、年間の運営開発費に220億を追加でかけていても年間売上で2200億を超える作品となっているわけよ。
小さくまとまろうとしてはいい作品はできないし、ムーブメントを牽引するほどの力は生まれない。
例えばキズナアイだってそうだ。2016年、新しいスタイルで彼女がYouTubeに初登場した時点で、すでにかなり洗練された先端技術と企業をバックにして動いていた。その後雨後の筍のように生えてきた模倣者たちは、素人の趣味レベルのフルトラッキングや、Live2Dのような劣化技術で小さく狭い内輪向けのファンを獲得する方向に行ってしまったが、こうした流れ自体も最初の彼女がしょぼい作りで登場していたのなら、そして貪欲に日本の芸能界や世界の有名人に切り込みをかけていかなかったら、生まれなかった。Vtuberというスタイルは流行も定着もしなかったかもしれない。これも自身をスケールさせるためにカネに糸目をつけなかったからこそ得られた成果といえるだろう。
しらんけど。
ぬるい。
人気商売っていうのはな、例え本人に責のない何かに由来する評価だったとしても『人気が落ちたらアウト』なんだよ。
それはもうジェンダー論がどうこうの話じゃない。
結果が全ての世界の話なんだ。
そういう意味では、逆に人気さえ維持できるなら、たとえこれが本人に問題がある不貞行為でのスキャンダルだった場合でも、俺は役を継続して良いと思っている。
彼女が降板させられることが不当だと思うなら、お前が本当にするべきことは「わたしのりそうのしゃかい」を実現するための都合の良い戦士になってくれと彼女に対して他力本願することではなく、離れていったオタクの分、お前とそのお仲間が彼女を買い支え、彼女の人気維持に貢献してやることだ。
そうすれば、お前の言うところの「自由を象徴する女神」にも需要があることが証明され、そうしたスタイルの声優も雨後の筍のようにドンドンデビューしていくことだろう。
人気とかけた真剣勝負の芸の道に薄っぺらで一方的なジェンダー論が介在する余地はないが、需要と供給の理屈の中でならお前の望みが叶う可能性はある。
ロボ系 | 「動いた!」とかパーツに既視感がありすぎ。 やりようは全然あるとは思うんだが今は相当元気がない |
魔法少女系 | パイオニアと言っていいスタジオぴえろの元気がなくなってしまった。 王道はもう擦りすぎて味がしないガム。 亜流はまどマギみたいにジャンル混ぜることでまだ活路ありそう |
鎧モノ | 聖闘士星矢、テッカマンブレード、シュラト、バブルガムクライシス。 わざわざ鎧モノをやる意味がもう無いか? |
ファンタジー | いくらでもやりようはある。自力が求められる。 最近だとこのすばは厳密には異世界転生ものだけど、内容はファンタジーコメディと言ってもいいと思う。 今年の無職転生もなろう異世界転生だけど中身はいい意味でファンタジーしてて掘り出し物だった。 |
セカイ系ヒーロー物 | エヴァに続いた00年代初期あたりの雨後の筍。 これこそ一過性だけど、そのうちどーんと大物が出そうでもある |
ハーレムモノ | 天地無用とかの古き良きものではなく、ネギまとかセングラ、シスプリみたいな爛熟期のやつ。 このジャンルは今は変質してきららにシフトした感あり。 |
ラノベ学園モノ | ハルヒ(セカイ系)もそうだけど、有名ヒット作は複数のヒット要素を内包してると思う。 直近の学園ラノベアニメってなんだっけ…? |
日常系 | 癒やし系に煩悩を加えたもの。純粋な日常系は最近は少ない…? |
美少女動物園 | ここでは「男キャラが特段描写されない、可愛い女の子がキャッキャウフフするだけのアニメ」と定義。 きららがネタ切れ起こした時点で流石にもう下火感あり。 |
趣味萌え系 | 今名付けた。ググってないから、もしかしたらもうなにか名前が付いてるのかも知れない。 可愛い女の子がなにか特定のホビーに興じる作品。 日常系であり美少女動物園だったけいおん!の亜流から派生したと思う。 |
あとなんかあったっけ