はてなキーワード: 雑学とは
大麻解禁してるような国は、もともとギャングが市場を握ってて資金源を与えるくらいなら、国で管理しようってとこばっかだから。
大麻は健康的な嗜好品なんですよなんて議論が始まれば、市場規模が拡大して必ずギャングに相当するような反グレ集団が現れる。治安が荒れる。
タバコやコーヒーと違って、栽培しなきゃ育たないようなもんじゃなく、単なる雑草なんだから。参入障壁は0みたいなもんだ。
そして、当然売る側は大麻販売だけで満足するはずない。これなら大麻以上に効くよと言って、ドラッグをセットで売り始める。犯罪者集団に倫理観なんてないんだから。
そうやって行き着くとこまで行き着いてしまえば、メキシコのようなドラッグ王国になる。
ネットで真実見つけた気になって、大麻は危険じゃないから解禁!なんて言ってる奴は悔い改めろ。大麻の危険性なんて物質的なもんじゃない。社会への影響力を無視して、おかしな雑学披露はやめろ。
15年前くらいの高校普通科で1年次は世界史Bは全員履修で日本史Bと地理Bが選択科目だった
1年次にその選択をしたときは、2年次でも当然日本史を選ぶものだと思ってた
(2年次で、最終選択として世界史B日本史B地理Bからどれかひとつを選ぶというルールだった
テストのたびにひーひーいってた
なんでかというと日本史で肥料の名前まで覚えるってのが出てきてもう限界だと思ったから
肥料とかどーでもえーやろと
各国の様子を広くあさーくやる感じがちょうどよかった
漢字もめっちゃ少ないから、カタカナで覚えたままテストで書けばよかった
そうそうこの程度でいいんだよという感じ
でも教科書は国・地域ごとになってるから同時代の横のリンクを考えるような問題は苦手だった
あと現代史は苦手だった
授業が受験モードに入るくらいのタイミングだったせいで授業自体がかなり飛ばし気味だったし
でもその年はたまたま現代史がまったくでなかったおかげで、まさかの98点だった
(最終的にはその年の国語が自分と相性悪くて点数低かったからトータルだとどっこいどっこいだった
スーパーのセールにいそうな声の甲高い普通のおばちゃんって感じの先生だったんだけど、世界史雑学をたくさん知ってて、授業がめっちゃ楽しかった
その言葉をならったときからずいぶんたった授業で「ずっと前のあれなんだったか答えて」ってあてられて、それを思い出せて答えられた自分がすごく誇らしくてうれしくて楽しかった
みんなを巻き込みつつ、場の雰囲気を盛り上げるものとして最近意識的に使ってるのが二つある。
よく、雑学を一方的に披露してくる奴っているけど、よほど語り方がうまくないorタイミング的に正しい以外の場合は基本的にウザったいだけだけ。
でも、みんなで披露しあう場合は、語り手は、話したい欲が満たせる。
聞き手も自分も話すから、雑学を聞くとき、斜に構えず、ふつうに聞くことができる。そりゃ、知識が得られたらうれしいよな。
だから、この話題にもってくと基本盛り上がるし、かなり時間つぶせる。
ちなみに、俺がよく使ってるのが
橋の入り口出口の話(https://matome.naver.jp/odai/2141990107315620701)
と
(https://news.cookpad.com/articles/12385)
・偏見
偏見って言っても、特定の誰かを意図的に傷つけるようなものじゃない。
もっと害のないようなもの。むしろ、言う自分が少し恥ずかしいくらいのものだ。
例えば、「○○って自分のこと可愛いと思ってるでしょ」とか、「あの人、○○やってそう」みたいな。
前の例みたいなちょっと危ないやつは、俺の偏見なんだけどねって言っといたほうがいいかな。
じゃないと、天然でこいつこんなこと思ってんだと思われると予期せぬ事件が発生する場合があるので。
誰かが偏見を言ったら、それに対して同意や反論が結構巻き起こる。
それが面白いなあ。
これらに対する意見とかほかにこういうのいいよってのがあったら教えてくれ。
恋愛至上主義が何をもたらすかを分析するのに十分な結果が集まりだした近年、
容姿だけで重宝されるレベルの女性は若い段階で容姿を磨き、とにかく結婚を求めるのが良いだろう。
正味な話、大学で無意味な雑学を身につけるより、ひいては就職活動をするよりも優先して婚活するべきだ。
極端な話、受験勉強をしているくらいなら結婚相手を探したほうがいい。
とにかくハイスペックな男性と結婚し、出産をすれば、その瞬間女性としてのプレッシャーから解放される。
早めに解放されれば、残りの人生は好きなことに取り組むことができる。
逆に容姿に恵まれない女性は、とにかく勉強をし、学び、いろいろな経験をするべきだろう。
美人でなければいけない場所に足を運んでみたり、底辺の労働をしてみたり、様々な人間を見るべきだ。
見識を広げれば、学問だけでない部分の知性も養われる。
知性があれば、内面を見る男性とも成就しやすくなるし、重ねてきた経験から得た勇気を使い
おや、これは結婚が幸せの前提なのでは、と思われるかもしれない。
残念ながら、現代の文化という場で育った女性の大多数が結婚や出産という呪いからは逃れられない。
一生使わない江戸時代の将軍の名前を覚えるよりも、とにかく呪いから解放されることのほうがQOLを上げることができるはずだ。
●●監督の××がすごくってさ
こうこうこうで、あーだこーだ
と相手が知らないことを前提に
説明し始める人
と言い出すタイミングも与えずに話し始める人
説明が終わったあとに
「すごいですよね。見たことあります」
とか言うと
なんだ知っていたのかよ
みたいな気まずい空気が流れるので
知らないふりをすることも多数
みんなどうしているの?
(ブコメに対しての追記)
知っている前提で話すほうが面倒くさい? → なんで知っている前提で話すか知らない前提で話すかの二択になっているんだよ、バカか。最初に確認すりゃいいんだよ、アホ。「夏は暑い、みんなどうしてる?」って質問に「冬は寒いけどどうするの?」って言われた気分。あ?会話になってねえだろ、バカ。
お前がコミュ力ないだけだろって反応 → はあ?会話ってコミュ力を競い合う決闘なわけ?だったら知っているかどうか聞かない相手のコミュ力はどうなんだよ、バカ。お前はそうやって一方的に喋ってコミュ力でも誇ってろよ、アホ。そんな不毛な闘いをしている間に、死という避けられない運命は確実に近づいてきているんだけどな。
私のお母さんは、テレビが好きで芸能人や芸能ニュースに詳しい。
小さい頃はテレビで見た雑学や芸能ニュースを話す母の話を聞いて、お母さんはなんでも知ってるなあと思っていた。
テレビのクイズ番組にも難なく正解するお母さん、なんてすごいんだろうと思っていた。
でも小学生くらいになった時、クイズ番組の回答で私とお母さんの意見が分かれた。
私は絶対にAだよ!と言って実際に正解はAだった。
その時お母さんはものすごく怒って、口のきき方に気をつけろ!みたいなことを言った気がする。
今ではずっとテレビを見てリビングにいる母が鬱陶しいし、芸能人の誰と誰が付き合ってるだとかそんな話は心底どうでもいい。
たぶんこの前私に4ねと言ってきた時も、あの時と同じような気持ちだったのかな。
PV数や収益ばかりひけらかすアフィブロガーをたくさん見てきたが、物を書くというのはそういう数やお金ばかり優先するようなもんじゃないとずっと思ってきた。
内容で人に感動を与えたり笑いを提供したり、ちょっとした雑学を読んでもらって読者が読んで良かったと思えることを書くのが書き手の存在意義だと考えていた。炎上なんてもってのほかである。
そう考えながら自分はずっとブログを書いてきた。何十万アクセスも、ましてや収益なんて一切なかったが、読んでくれた人が読んで良かったと思えるような内容を考えてずっと書いてきた。
そうしてやっと書籍を出せることになった。自分の名前を使ってだ。内容は特定を避けるために公表しないが本当に嬉しかった。書籍化が決まった夜はセブイレブンで少し高級な肉まんとプレミアムモルツを買って、泣きながら肉まんを頬張った。本当に嬉しかった。
正直儲けることを考えてアフィリエイトをやろうかと考えたときもあった。でもそれでは自分が何のために文章を書くのかわからなくなりそうで、金のために文章を書くだけの人間になりそうでなんとか踏みとどまってきた。
アフィブロガーは確かにアクセス数はすごいし収益もすごい。だが数年たてば誰も貴方の様なアフィブロガーの名前は覚えていないだろう。記事の内容だって忘れられるだろう。だって皆でアクセス数が稼げる内容ばかり書いていたのだから、そこに貴方のアイデンティティはない。
書籍化したら絶対言ってやろうと思っていた。文章を書くというのはただ金を稼ぐためにあるわけではない。読者の人生の肥やしになるために書くのだ。それが積み重なって自分の肥やしになる。文章をなめるな。文章を尊ぼう。文章で人を幸せにしたい、そういう人達の文章が世に広まることをずっと願っている。
車について嫁さんに熱く語ったりしてない?
それだけネイルの話も聞いてあげなよ。ついでにその話の中でふと疑問に思ったこととか、知識とか聞いてみたらいいじゃん。
自分の理解をしてもらいたいなら、相手もカテゴリは違えど同じレベルにまで理解してあげたらいいんじゃないの?
うちはたまたま嫁がモタスポ・車に興味あったから一緒に連れてったらドはまり。
今は一緒にGT見に行ったりD1行きたいいうたり、MTの車が2台と嫁は250ccのバイクでぶいーんとか言いながら走ってるよ。かわいいもんだ。
ただ、価値観は別な話。
ただ俺も熱くプレゼンするし、嫁もひたすら痛いところを突いてくることも。
それをみて俺が本当にこれでいいのか?ランク落としてもいけんじゃね?とかもあるしね。
六甲かー。
パワーないと上るのにかったるいよね。
ちょいちょい走るけどあそこで軽NAで上ると後ろマジごめんなさいってなりそう。
まともに日本語も日本の歴史も知らないのに、何故か俺は真実を知っているという自信に満ち満ちている。
ネットで得た真偽不明の豆知識くらいで、どうして本物の教養に勝てると思ってるんだ?
怪しいまめ知識なんて市井のくだらない雑学本にもゴロゴロしてるし、本読みなら「またその手の奴か」で終わるだけのものに免疫ないからコロッといっちゃって。
俺自身は、はっきり言って物心ついた頃から「頭のいいキャラ」だったので、このとんでもない現実になかなか気づけなかった。
しかし今、Twitterのしょせん高卒漫画家が何故か「こんなに真実を知ってる俺。それが分からない馬鹿ども」みたいな振る舞いをしていることに違和感をもって初めて気づいた。
ネットが、ひいてはそんなネットに影響される日本の現代社会がこんなに頭が悪くなったのは、馬鹿が頭が良いふりをしているからなのだ。
もっと正確に言えば、馬鹿が「ネットの振る舞い」として学習してしまった「マナー」が、本来は「本当にリアルでも頭良いキャラ」の奴だけが取っていい行動の猿真似という形に行き着いているということなのだ。
良いか? 俺みたいに、学校の成績も良かった、本を読んで雑学もあった、ガキの頃からこまっしゃくれたディベート小僧として大人に嫌われてきたくらいの奴が、ネットでも同じように知識をひけらかし議論を吹っかけて、俺頭良いんだぞアピールをしまくるのは当然の事だ。
だけどお前は、別に学校の成績も良くなければ、本も読まず雑学クイズなんか全然解けなければ、小難しい哲学の問題なんか考えてると頭が痛くなってすぐゲームでも始めちまうような馬鹿だったはずだ。
いつからお前は「お利口キャラ」として振る舞える立場なんだと錯覚するようになった?
学校教育レベルの歴史年表も一通り抑えてない、ニュースで政治家の名前や外国の地名が出ても殆ど知らない、ソクラテスを読んで「これこそ知だ」なんて中二レベルの初歩的な知的好奇心を刺激された経験すらない、完璧な非インテリ層だろ?
それが悪いわけじゃあない。漫画家やらなんて一芸で生きてるのはそれはそれで偉い事だ。頭が良くても出来る事じゃあない。
でも、馬鹿には変わりないんだ。
なんで、「俺は馬鹿だけど漫画を書く才能があったんだぜ」って身の丈にあったプライドで満足しなかった?
なんで、「俺は馬鹿だけどスポーツの才能があったんだぜ」って昔は誰もが留まれていたはずの領域で留まりきれなかった?
「馬鹿だけどオシャレだぜ、喧嘩が強いぜ、音楽の才能があるぜ、」それで良いじゃないか。
何故ネットに繋がると、TwitterやSNSや掲示板、匿名ダイアリーに投稿し出すと、みんなまるで 俺 み た い な 、元から頭が良くてそれを証明する事実にも事欠かなくて、傲り高ぶってますみたいなキャラになろうとするんだ?
無理なのに…
俺は元々「頭が良いキャラ」なので、気づいてなかったんだ。
単にみんな、俺みたいに頭が良いキャラとして驕ってるだけの同志だと思ってたんだ。
でもよく見たら、お前ら完全に教育ドロップアウト組じゃねーかみたいな奴が今や何故かいっぱい俺みたいな奴の真似をしている。
どう考えても、ガキの頃からリアルで「俺って頭良いなあ〜」なんて自己陶酔に浸れる経験ばっかだった俺とは違う人生を送って来た奴がいっぱいいる。
いつからこうなった。
いつからお前ら、そんな身の程を完全に勘違いした行動をとるようになったんだ…。
これは実のところ、「高卒のくせに」くらいの、完全に身の程知らずなレベルだけの問題ではない。
昔なら「世間知らずで一般の本とか読まないけど、この分野の知識だけは人生賭けるレベルに究めてるぜ」って自己完結で満足してた理系の研究者なんかが、何故かこれっぽちも知りもしない法律の話題にいっちょ噛みなんかして、酷いでたらめを平気で吹聴したりしている。
そもそも日本人は、「欧米みたいに合理合理言ってない」のが緩くて自慢の民族じゃあなかったのか?
いつから「世界は全て間違っている。日本だけが真理を知り宇宙の真実を見つめている本当に合理的な立場を取れる国なのだ」なんて勘違いで世界に喧嘩を売るほど頭が良い事になった?
長い間「合理的にものを考えるのが苦手」「幅広い知識に欠けている」と当たり前に、ありのままに認識されていた連中が、何故いきなり挙って「実は俺は完璧だった。物知りだし合理的だった」なんて言い出すようになっているのか?
一つは、結局ネットが「言論」の世界になったことで、誰も彼も「言論の徒」として能力を競わなければならなくなったということがあるだろう。
それ自体は悪い事ではない。民主主義の基本にあるのは、民衆がきちんと議論を通して意思決定できるということへの信頼だ。
誰も彼もが「言論」に参加せざるを得なくなったことについては、歓迎すべき面もある。
しかしながら、この国はやはり、「合理主義じゃない、緩い民族」の国だったのだ。
誰も彼もが言論に参加しようと思っても、それを支える教育的基礎がなかった。
きちんと事実を引用した主張をするという文献取り扱いの基礎や、混ぜっ返しや詭弁は許されないという弁論的な基礎は一般国民にまったく叩き込まれていなかった。
結果、誰も彼もが、とりあえず「頭が良い奴みたいに傲慢に振る舞う」という上っ面の真似だけをして、言論と呼ぶことも憚られるような子供の屁理屈をがなり立てる社会が、本当に気づかぬうちに一瞬で、出来上がってしまったのだった。
なんということだろう。
今からでも遅くない。考え直せ。思い出せ。
お前は、もともと、頭が良かったか?
俺たびたび目にするんだけど、何か文学とか映画、各種高尚なエンタメに詳しいだけで
やたらと教養人ぶる人たちって何なの?
いつも思うのは、それって教養じゃなくて 雑学 ていうんだよってこと。
源氏物語のエピソードを引用してみたり、怪獣映画の批判性を指摘したりとか、
まあ好きなら好きにしてって感じだけどそれをもってして、
ほら俺って教養人だろ!一目置けよ!みたいなオーラが気持ち悪すぎ
どんなに濃い思想性があるが、伝統的なものだろうが所詮はエンタメ。エンタメなんだよ。
お前らだって俺が金持ち男&貧乏女の格差恋愛ばっかり描く韓国ドラマをもってして
「これは文豪バルザックの描く極端な上昇婚指向が見られた19世紀フランス的現実そのものである」
「格差婚への渇望は 労働市場の歪みによって貧困に陥る若年女性の韓国社会への絶望を色濃く反映している」
とか批評的に書いたら ウッザー! クッサー! メンドクサー! って拒否反応示すだろ。
さきほどツイッターでとあるツイートを見かけ、大変驚いたと同時にすごくやるせない気持ちになったので少し書かせてください。
そのツイートというのが、
とある向精神薬(検索避けのため薬品名は伏せます)を服用すると副作用として男性でも母乳が出たり、女性のように胸が膨らんだりします!とても現実味のある方法なので腐女子の皆さんはぜひこのネタで受けにミルクを出させてあげてください!Let's母乳☺
といった内容でした。
これをツイートされた方は実際にその薬で治療を行っていてその副作用もご自身で経験されたそうですが、
向精神薬というものがどういう状態の人が服用するのか、『副作用』という言葉の意味、男性の乳汁分泌・女性化乳房がどういう意味を持つのか、この薬を服用していてご自身でその作用を実感されているなら嫌というほどわかっているのではと思うのですがその上でこうしてネタにできるというのは不思議でなりません。
よく創作のための雑学bot~のようなものでも少し医学的な分野に触れた内容は見受けられますが、こういった具体的な疾患や治療、薬剤に関してその作用や症状などを面白おかしく扱うというのはあまりにも倫理観に欠けるのではないでしょうか。
ここでは名前を伏せましたが実際のツイートには薬剤の名前がハッキリと入っており、検索するとその作用や処方状況、服用している方の相談やブログ等も見ることができます。
その中でこのようなツイートが話題となり、検索結果の上位に上ってきたとしたらどうでしょうか。実際にうつ病等で向精神薬による治療が必要となりこの薬を処方された患者さんが、他に使っている人の感想や副作用を知りたくて検索をかけてこのツイートに行きついたらどう思うでしょうか。または女性化乳房や突然の乳汁分泌に驚いて、病院に行くのも恥ずかしくてネットで調べようと思った男性がこのツイートを見たら。どう思うでしょうか。
自分の病気が、または身体の異常がこのように面白がられてましてや性的なコンテンツとして消費されている現実をどう感じるでしょうか。
「前立腺は歳をとると大きくなるって聞いたから、若い人よりもおじさんの○○(キャラクター名)の方がお尻の感度がいいんだ」
といった発言を見かけたことがありますが、こちらも同じですよね。
前立腺は確かに加齢とともに生理的変化として肥大しますがそのせいで排尿に関する問題を抱えて悩む方もたくさんいらっしゃいます。
ましてや前立腺癌というものも存在します。おしっこの出が悪いなら前立腺癌ではないかと言われて不安になった方が検索してみてこれが目に入ったらどうでしょうか。
少なくとも私なら、自分の病気や不安の種をこんな風に面白おかしく書かれ性的なコンテンツのネタにされていたらいい気分はしません。
今回例として挙げたのはどちらも腐女子が男性の体について触れ、ネタとして扱ったものですが、もちろん逆もあるでしょう。
男性が女性の病気や疾患、体調の変調について興味半分で触れ、性消費のネタとすることも少なくはないと思います。
あくまでも今回私が問題と感じたのは『実在する疾患や障害の症状、その治療行為及び薬剤等を面白おかしくネタとして扱う』ことに関してです。
発信者及び対象となる方の性別や年齢・遍歴・疾患・国籍・人種等は問いません。誰が誰のどんな疾患(症状/治療/薬剤…)に対して行っても等しく問題であると思います。
自分も経験者だから良い、つらさがわかってるから良い、面白がるつもりはなかった…等、どんなことを言っても受け取る患者さんはそうは思いません。
医療者であればこのような発言がいかに不適切で患者の心を傷つけるか、また自身の立場を脅かすものであるかわかると思いますが、そうでない方には自分が発する疾患等についての情報の重大性がわからないのも仕方ないのかもしれません。
ですが、他者の病気、すなわち困難や苦痛をまるで笑い話のように扱うことが良くないことであるのはわかってほしいと思います。
実際に検索をかけてみたところ、当該薬剤の使用経験のある方の「向精神薬飲まなきゃいけないほど精神がまいってる時にこの副作用はつらかった」「かなりうつ病が進行してる状態だから性的な欲求は起こらない、それどころではない」といった苦言が見受けられました。ツイートされてからわずか数時間の間に何件もこういった意見が出されています。
医療者のように法的な責任を負えとは言いません。教育も受けていなければ免許を持つわけでもないのでその必要はありませんが、ともすればうつ病や精神疾患の患者団体等から訴えられたりしてもおかしくはないと思います。
御当人は「(疾患や薬剤の効能について)考え方は人ぞれぞれだから仕方ない、私はそう思わなかったからこういうツイートをしてしまったが、自分がこう考えるから他人もこうだというのは無理がある」「私の考えとあなたたちの考えは違う」「文句を言ったりブロックするのは自由だが考えを押し付けるな」と述べられておりますが、この件、すなわち医療に関してばかりはそうもいかないのが難しいところなのだということを、今回このツイートをした御当人にも、そしてこれを読む人にもわかっていただきたいと思います。
病気に関しては、当事者の受け取ったことが全てなのです。痛みがその本人にしかわからず数値化できないのと同じように、病気や障害のつらさやそれをどう受け取るかも確かに人によって違います。ですが、「人によって違うから面白く扱っても許される」ということではないのです。個別性があるなら、大勢に向けて誰か一人の尺度で発信してはいけない、もしするならそれは責任を負わなければならないということです。医療者の常識を押し付けるような形となるのは心苦しくもありますが、病気で苦しむ人がいる以上知っておいてほしいとも思います。
それがわからないのなら、軽率にこういった医療行為及びそれに関連した物品薬剤企業等に関する発言はしないで頂きたい。責任を取れないのは仕方がないが、だからといって何でも言っていいわけではないということです。
病気は誰でも当事者になる可能性があり、誰にとっても不安や苦痛をもたらします。
そのことさえ忘れないで頂ければ、このように疾患や障害・治療薬剤やその患者等を面白がって消費するような発言はできないと思います。
また、そのような発言を拡散する方たちに同じことが言えます。誰かがRTや共有などでその発言を広めることによって、これを不快だと思う方のところに届く確率は間違いなく上昇します。
発信しないことと合わせて、こういった疾患・障害・治療に関する不適切な発言は広めないこともお願いしたいです。
どうしても発信したい、そういうのが好きな方に教えたいと思うのであれば、せめてアカウントを非公開にするだとか、DMやその他クローズドな手段にて個人的にやりとりする程度の配慮はあってもよいのではないでしょうか。
自分の発言が誰からもアクセス可能なものであるということをきちんと弁えて頂きたく思います。
長くなってしまった上、ともすれば特定の一個人を攻撃するような形にはなってしまいましたが、今回あまりにも問題があると思ったため書かせていただきました。
これを機に少しでもそういった発言の減ることをいち医療従事者として切に願っています。
いたずらに患者さんの不安を煽ったり、不快にさせるようなことはやめていただきたい。たとえあなたが医療者でなく、その疾患に関係がなかったとしても。
病名や障害名、薬剤や治療法が存在する以上、それに苦しめられている方も必ず存在します。そしてインターネットはその患者さんとそれらに関係のないあなたを一瞬で結びつけることのできるツールなのです。どうか、どうかそのことを忘れないで欲しいと思います。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm23488282
彼は社会学者としての立場から法律や改憲論者と論壇で登って答弁しているわけだが、オレには佐藤氏と古市さんとの間で話がまったくかみ合っていないように思える。
正直、この佐藤という人を含め、古市さんを叩いてる人にはマーケット感覚がないんじゃないか?と思うんだが、具体的にどうやってそれを示したらいいのか見えてこない。
山本みずき氏との論壇でも同様だと思う。山本みずき氏にはマーケット感覚がない。一方で古市氏にはマーケット感覚がある。
議論のレベルがかみ合ってない。山本氏も佐藤氏も、社会の泥臭い面や言葉通りにいかない部分が見えてない。古市氏の方が社会を間接的に知る手段が豊富で信頼できると思うんだが
同じように思ってる人はいないのかな。。。
一応個人的に考えてみた内容をまとめてみたので、知見のある方々の指摘や修正がほしい。
是非論駁してみてくれ。
個人的な思考なんだが、『佐藤氏』と『古市氏』のバックヤードに目を向けてみた。
ソースはwikipediaくらいしか簡単に示せるものはなく、佐藤氏のことはオレはほとんど知らないので、あまり知ったようなことは言えないんだが・・・
『佐藤氏』
『古市氏』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B8%82%E6%86%B2%E5%AF%BF
佐藤氏の両親は政治学者と弁護士。つまり歴史と法に重きを置く典型的な法学部タイプ。日本は法治国家で資本主義として成功した社会主義タイプなので、佐藤氏は典型的な右派で保守的なタイプ。
一方で古市氏は環境情報から社会学へと転向した。つまりバックヤードとなる知識や感性は科学者タイプ。
ゆえに、古市氏の論じる分野には必ず〝マーケット〟がある。お金と結びついて物事を考える発言がきちんと身についている。またそこに時価がある。
ここで勘違いしてはいけないのは〝経済〟や〝金融〟ではない、ということだ。要するに〝政治色〟が薄い。よく言えば庶民的。別の言い方をすると〝資本主義的〟。
また彼は友人に起業家を持っており、堀江貴文を含め、財界との繫がりも多い。ほりえもんちゃんねるなどにもよく登場する。
これを〝強い者に擦り寄る〟と表現するものもいるが、そのあたりの〝評価〟は置いておいて、マーケット感覚を得られる環境にいることは間違いない。
http://blogos.com/article/154867/
例えばここで古市氏は『すき家は企業が社会にもたらした社会福祉のひとつ』と述べたことで叩かれているが、なにが間違っているのだろう?と思う。
マイクロソフトをはじめとする新時代の新興企業の多くは、既存の制度を上手に利用して新しい形の報酬を従業員に還付している。
(※その代わり徹底的に税金を逃れている! ←善し悪しは置いておいて、事実そうである)
どの国に所属しているかよりも、どの会社に所属してその会社が与える福利厚生を受けられるか
ストックオプションを行使できるか、金融資産を持てるかどうかが豊かさへと直結する時代になったのに、いったい何故古市氏の述べていることが的外れなのだろうか?
シリコンバレーでは福利厚生を提供するサービスを行っている会社がYコンビネーター出身者によって起業されている。
ケータリングサービスやタクシーチケット、社宅システムなど、上げればきりがないと思うのだが・・・
http://asread.info/archives/722
日本に自衛権があることを古市氏は知らなかったと述べているが、これもある意味で間違っていないと思う。
実際のところ、実質的に自衛権を行使できなかったことには違いない。
・ミサイルを発射されながらもそれを撃墜できるのは日本に駐在している二機の米軍潜水艦のみであること。
・敵国が領空侵犯をしても命令がなければ撃墜できない。引いては物理的に〝敵飛行機を押す〟という意味不明な対処しかできない
これらの現行法の脆弱さをどれだけ学者やSEALsは理解してるのだろうか?
http://trafficnews.jp/post/46566/3/
自衛権は認められているが、〝実質的に言って認められていない〟ことと一緒。
であるにも関わらず、古市氏が『日本の自衛権って認められてるんだ…』という発言を〝知識がない〟〝教養が無い〟と評価する論調はいかがなものか。
一方で佐藤氏にはマーケット感覚が無いといえる理由はここにある。つまり法律や政治に関する学問を背景にしているところに問題がある。
この手の人間がやっかいなのは、やたらと知識や雑学は多く言葉に言葉を返すのは上手いのだが、思考回路に多くの前提条件や知識条件が抜け落ちていることが多い。
言ってしまえばマリー・アントワネットのタイプだ。
古市氏の発言が法学や政治に強い識者から叩かれやすいのは何故だろうか。
それは叩く者たちが〝歴史の変遷〟が、実は〝市場の変遷〟であること、をよく分かっていないからだ。
市場経済はより自然科学的だ。お金は政治や法律によって生まれたわけではない。自然に発生して、それが整備されて整えられた。実は人類が進化の果てに手に入れた概念だ。
軍事力と経済力のふたつは大国の力を現す両輪と考えられるが、実は歴史を手繰ると三番目の車輪があったことが分かる。その名も〝宗教〟。
鎌倉幕府の台頭に現れているように、歴史的に見ると既にこの頃から宗教の力は徐々に衰えを見せており、政治と軍事力の二つが世界を動かしていたと言える。
表の世界での政治はほとんどが宗教と密接に関わっており、もっぱらここが市民と政治の大きな接点であったと言える。
一方で軍事力は実質的な世界の掌握と統治を行う役割を担っていた。
少なくとも、日本においては明治維新でサムライが不要となるまではそうだったのだ。
しかし第一次世界大戦、第二次世界大戦に代表されるように、軍事政権は失敗を迎えた。
正しい仕方で行使されなかった軍事政権は、共産主義や社会主義を生み出したからだ。
一方で米国のような市場経済を中心として発展した国は一定の成功を収めた。士・農・工・商のうち、最後に勝ったのは商人というわけだ。
マーケットは〝国の力が弱まりつつある〟ことを明らかにしつつある。既に鎌倉幕府の時代から、政府が持つ立法の力は軍事力か経済力のどちらかを担保にしており、宗教はアイドルでありスケープゴートであったに過ぎない。
そして過去〝政(まつりごと)=宗教〟が中心だった国家は、現在政治の中心を〝経済〟へと移している。
軍事政権が実質的な掌握を行っていた政治は、現在では財界が実質的な掌握を行う社会へと変化した。そしてそれは加速していく。
実際、国が提供する福祉よりも企業が従業員に提供する福祉の方が優れている場合が多い。しかもマーケットに従った結果なので、相応の人材を兼ね備えており、無駄が無い。
パナマ文書にも代表されるように、国家の枠組みを超えた企業にとっては国境など存在しないも同然。
スターウォーズの通商連合のように、もはや国とは独立した別の政治形態と言って差し支えない。
戦後70年の間で形成されてきた常識などいくらでも覆る。今後の歴史は大転換を迎えると考えてまず間違いない。
その意味では、いまだに全時代的な歴史の踏襲と繰り返し論議を重ねる、マーケット論の無き法学者や政治学者が出る幕は実質的に言って存在しない。
宗教がその存在を弱めたように、政治もまた本質は思想であり宗教であるから、その実質である軍事力や経済力のいずれかに依存せざるを得ず、結果として時代に取り残される。
軍事力の台頭は世論が許さないだろうし、世界もそれを望んでいない。よって、これから重要になるのは、〝個人がどの市場経済に所属しているか〟である。
世界を牽引してきたのは技術革新と金融だ。宗教を背景にした政治はストーリーを創り出す力があったが、現代ではその力は失われている。
闇雲に政治を追いかけても歴史を追いかけても真実は見えてこない。
必要なのは産業界の歴史を追いかけること。経済史の発展と衰退の繰り返しの中に答えがある。
古市氏がどういう器なのかは知らないが、少なくとも歴史と現状を比較して将来を占う上で非常に恵まれた立場にいることは間違いない。
彼は川上の最新情報にアクセスできることが可能で、新時代のリテラシーも十分持っている。
法学者も歴史学者も、企業の間接部門でしかない。プロフィット部門ではない存在の者たちがとやかく言う論壇や議論に意味はない。
その点は古市氏も同様だが、彼は自分の立場が弱者であることを自覚している分、市場に対する的確な論壇を展開できる下地がある。
叩かれるのがその証拠だ。叩いてる奴らのほとんどはマリーアントワネットばかりなのだから、叩かれている姿を見てむしろ安心すべきだ。
マジでそんな人いるの?
俺も男だけど生理がどういうものかそこそこわかってるのに、こんな無知な人もいるのかと驚いた。
まあ世の中には信じられないほど知識が抜け落ちてる人もいるし、そういう人ほど声が大きかったりするからありえない話でもないのかもしれない。
しかし考えてみると、そういえば俺はどこで生理について知識を得たのだろう?
でも生理について知ってる。
なぜだろう。
そういえば小中学校の時、テスト勉強のために保健体育の教科書をかなり真剣に読んでいた。
単純に保健体育の教科書の内容に興味があったというスケベ心もあったかもしれないけど。
(しかしああいう色々な雑学的な情報が載った教科書は単純に読んでて面白い)
あとはネットとか小説とか漫画とかそういうところから、徐々に知識をつけていったのだろうか。
この前母が、友達から「子供の国語力を上げるにはどうしたら良いか」という相談を受けたと話してきた。詳しく聞くと、母のその友達は某英数国教室の先生で、小学生の国語の教え方について悩んでいるらしい。母は本を読ませることを勧めたが、友達曰く「子供は中々読んでくれない」とのこと。
まぁ母との会話は結局ここで終わったのだが。
その後、私はふと「読書が億劫ならその前段階として漫画を読みまくれば、少しは読書のハードルが下がるのでは?」と思った。
何故なら漫画で「描かれてない部分」を想像することに慣れれば、本の文章を元に1から物語を想像することも出来るようになるかもしれないからだ。
何言ってるか我ながら分かりにくいので詳しく説明する。本は全て文章で構成されているのに対し(挿絵などの僅かな絵はあるが)、漫画は絵とセリフ(文章)で構成されている。しかし漫画の絵は全てを説明しない。例えば『「俺のせいで負けたんだ…」という台詞』と「キャラクターの握り拳だけが描かれている」コマの場合、読者はセリフと拳の絵を元に、読者はキャラクターの苦悩の表情や感情を想像する。また、スポーツ漫画にも想像力は必要だ。漫画はアニメみたいに動かない。そのため試合場面も静止画と効果音で表現される。それをあたかも実際に躍動感ある場面(球技のパスの攻防とか)として読めるのは、読者に「スポーツの知識」と「静止画から動きを想像する力」があるからである。読者にどちらかが欠けていると、その人にとっては「ただ人がいっぱいわちゃわちゃしてるだけのよく分からない漫画」となってしまうだろう。その辺は作家の表現力にも左右されるが。
書いてて思い出したが、2005年くらいのジャンプでハンターハンターのキメラアント編を読んでいた時も、ほぼ下書き状態の絵とコマに散りばめられた文章から物語や情景を想像していた。コミックスで美麗な絵になっていた時は感動した。
まとめると漫画を読む時、読者は自然に書かれていない部分を想像しているということである。
実写ドラマやアニメなどの映像作品だと、漫画と違い文章は読まない。漫画の方が本を読むことには近いため、読書の前段階には相応しいやうに思う。しかも漫画なら読むことに抵抗のない子供も多いのではないか。0から読書に興味を持たせるのは難しいが、漫画から読書に興味を持たせるのはまだマシな難易度だと思う。漫画のノベライズとかあるし。そうして徐々に小説の名作にも触れていってくれるのが理想だ。日本には漫画も小説も面白いものがいっぱいある。
特にジャンプなんかは今なら遊戯王もハンターも載るし良いと思うぞ!
後漫画って雑学や普段使わない言葉が覚えられるからその点でも子供の時読むのいいと思う。
小学校の頃、図書館にあったこち亀で初めてGIジョーとかベーゴマとかGショックとかときメモとか酒の密造方法とかの存在知ったなぁ懐かしい。