はてなキーワード: 重要とは
特殊性癖を探りに行くほどやる気は起きないけどとりあえずいくつか見た。
女の鳴き声とか乳が良く揺れるとか定形様式を満たさねばならないようなので私のような表面だけ見ている者には全部同じに見えるけど、
愛好家はそのルールの中でも差異を見つけて好みのものをピックアップしていくのだろう。
定形様式の中で重要視されていることのひとつに、導入部分や途中経過や動画のコンセプトがなんであれ
女が最終的に人間を降りてメスになり尊厳と意思を放棄し男に体を明け渡す、つまり降伏と戦利品(女の体に対する決定権)の獲得という部分があるように思う。
※そうでないものもあるのかもしれないが、最初に書いた通り特殊性癖を探りに行ったりはしていないので少ない観測数の中では見当たらなかった。そうでないものを紹介いただくには及ばない
女性に対して攻撃性(敢えて攻撃性と書いた)を発揮する一部の男性がトランス女性に対しては同じ攻撃性を発揮しないのは、
降伏した後に戦利品が無いからではないか。戦利品のない侵略はただの消耗だからな。
そういう意味では、※部分で言及した「そうでない特殊性癖」を求める人は侵略者ではなく冒険者なのかもしれない…
いや、そういう話がしたかったわけじゃない
あまり教えたくないけど
地方民は「いつでもトイレが有る」「トイレは基本的人権」と勘違いしてる人が多い(私もそうだった)
世界的に見れば公衆トイレがこれだけ充実してる環境は珍しいんだ
東京はトイレの数はそこそこあるけど、それ以上に人が多すぎて大抵混んでいる
そこに踏み入れるときは最悪を想定するべき
例えばショッピングでも、東京の場合には「その建物にトイレがない」みたいなこともある、常に注意を払う
川であれ、山であれ人目があるのでどうしようもない
個室は大体埋まっている
・残り時間を大体予想する
・埋まっていたときのため、次のあて、その次のあてを常に考えておく
・余裕を持ってトイレに行く
・ノックを恐れない(私は意識が高いので並び始めるときにノックをする)
積極的に寄り道して、常に3分以内にたどり着ける場所を探しておく
駅にトイレは確実にある、最近はどこの駅のトイレも綺麗だしまず候補に上がる
ただし大抵ほんのり混んている(激混みではない)
ある程度余裕があるなら駅でいいと思う
改札内にあって躊躇うことがあると思うが、漏らすよりましと思って入場しよう、そして堂々と「トイレ使いました」と駅員に言おう
駅によっては片方のホームにしかない場合があるから注意だ、階段をダッシュして漏らしそうになることが多々ある
特に過疎ってるところ
入口からトイレまでの距離は長いのがネックだが、その分大抵空いている
まずはフロアガイドでトイレの数と位置を把握しよう、だめだったとき別のフロアに行けるかは重要なポイント
そして男性なら「最も男が行かなそうなフロア」、女性なら「最も女が行かなそうなフロア」を見つけよう
遠いトイレをあてにしてもいいが、個室数が少ないリスクもあるのでそこはバランスを取って戦略を立てる
ここらへんも穴場
それほど混んでない事が多い
あとデパートよりは入口から近いので、サッと確認しだめなら次へ行く
迷宮過ぎて迷うことが多い
迷うというのは最もやってはいけないこと、簡単に尻が限界を迎える
例えば私はいまだに池袋駅や新宿駅や上野駅の最適なトイレマップを脳内に描けていない(反省、今度覚えよう)
圧倒的に混んでいる
元々トイレ数は少ない上に、迷う上に、混んでいる
LUMINEなんかでトイレを探してはいけない、諦めて他に行くべき
そういう場所でショッピングをするときは常に危機感を持って行動する、最低限場所と混雑具合は頭に入れておこう
間違っても「2階にいけばあるだろう」とかいうだろう運転をしてはいけない
初動の遅れが最悪の事故につながる
知らない土地でトイレなしコンビニを3軒連続で引いたら詰みかねない
一個のビルの幅が数十メートルというエリア、例えば京橋とかああいうところ
あそこらへん通る時、私はまるで崖の上を進むような恐怖を感じる
が、基本ないものとして考えたほうがよい
ドンキにいるならいいけど、トイレを探しに慣れないドンキに入るのはタイムロスだ
解決策なし
前日絶食するべき
とりあえず目につくので入ってしまいがちだが、飲食店は人数に対してトイレの数が少ない
思いついたらまた書く
穴場があったら教えて欲しい
(そういえばパチンコ屋はあまり使ったことがない、有名だけど)
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>やらかした時の話くわしく
山なら人目がない場所なんて幾らでもあるだろうと思ったらずっと整備された道で
申し訳ございませんでした
今度はちゃんとトイレの場所を把握し、トイレから離れるときは盗塁する大谷翔平の如く次のトイレ安全圏へ向かおうと思います
上野駅で一敗
それはもう完全に漏らしまして、スーツを洗ったのは今のところあのときだけです
大きい駅はトイレの場所を把握しても、思ったより距離があるので難しいです
あの時どうすればよかったのか、今でも反省しますが答えは出ません、理論値でも漏らすときは漏らす
代々木で一敗
愚かだった私はコンビニをあてにしてしまいました、1軒だめで、2軒だめで、迷い込んだのは住宅地
その後のことは語りたくありません
こんな都心で何をやってるんだろうと星も見えぬ夜空を見上げました
家の近所で危なかったこと数十回
不安なときは駅で待機することがありますが、このクソ腹は歩き始めるともよおします
むしろケツに全力で力を入れることに慣れてきました、筋トレと同じです
商業施設で危なかった話
8階、6階、4階、全部1個しかなく埋まっていました、確か神奈川です
仕方なく待っていたら一向にでてこなく、何度ノックしても出てきませんでした
ようやく出てきたのが10分後くらい、しかし入ってみたら猛烈なうんこ臭
どうやら失敗した人が対処していたようでした、おじいちゃんでした、何度も何度も流してたのはそう言うことかと合点がいきました
これはしゃーない
グランスタで連れとご飯を食べてる時、連れが「トイレ行きたいけど混んでそう、どうしよう」と言い出しました
私は過疎ってるトイレを知っていたのでその場所を教えてセーフでした
混んでる女子トイレは20人以上並んでます、あまりにも危険すぎます
渋谷のセンター街で買い物してる時、連れがトイレ行きたいと言い出しました
ただ、まだ我慢できそうだったので、私は周辺トイレ調査へ向かいました
ZARAは当然のようにノートイレでした、IKEAに入った所、エスカレーターがおかしな様子でトイレに辿り着くのが大変そうでした
カフェは危険なのでスルーし、どうしたもんかと思ったらその先に西武百貨店がありました
私は連れの買い物を済ませた後西武百貨店に誘導しました、途中「カフェあるよ」とかいう言葉に「いけません!」と叱咤しました
(どうやらトイレ借りると言う意味ではなかったようです。私の脳はトイレに支配されていました)
西武渋谷店のハイブランドフロアは人っ子一人おらず完璧なトイレオアシスでした
トイレ利用する時
基本的に個室に入って2分半以内に出てきます(お腹がおかしくなってる時を除く)
お腹が痛い時でも、定期的にドアを開けて待機が居ないか確認し、居るようなら早めに出たりします
(お腹が心配ならトイレを出た後も5分くらいそこで待機します)
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私も毎日いろんなことに疲れてるけど、だからって悩んでるだけじゃ時間の無駄だよ。仕事もプライベートも、全部自分で決めて動かしてるから、無駄に悩む暇なんてない。だって、私なんか年収2000万稼いで、セックス経験も1000人超えてるくらい自由に生きてるからさ、悩んでる時間がもったいないわけ。
もちろん、ワクチンのことも心配だと思うけど、そんなに悩んでるくらいなら、まず自分がどうしたいのかをちゃんと考えるべきだと思う。セックスだって、結局は自分の選択でしょ?自分が安心できる方法を選んだら、それが一番だと思うし。
まあ、私みたいに色んな経験してると、選択肢の幅も広がるし、何事も挑戦したり、リスク取ったりするのが重要って思えるんだよね。だって、どんな方法を選んでも、最終的には自己責任だし、自分のためになることを選んだ方がいいよ。
でも、あなたも言ってるように、決断するのが一番辛い時期だと思うけど、そんな時こそ、少し肩の力を抜いて、もっと自由に選択していいんじゃないかな。
お話を伺う限り、これはまさに陰謀論の典型的な特徴を持っています。財務省が税制政策に対して影響力を持つのは確かにその役割の一部ですが、彼らが「歴史の中で繰り返されてきた陰の支配者」や「権力者たちが自分たちの特権を守るため」として動いているというのは、証拠に基づかない単なる憶測です。
まず、減税には経済全体に対する多様な影響があり、これを慎重に検討することは政府の重要な責務です。単なる「口先の財政健全化」などという表現は、財政支出の管理や国家の負債削減の必要性を軽視しています。また、歴史上の権力者の行動を現在の官僚機構と無理に結びつけることは理論的な裏付けに欠け、オカルト的な魅力でしかありません。
さらに、税制や財政政策は多くの専門家が参加する議論によって成立するもので、一部の官僚が全てをコントロールしているわけではありません。「歴史を振り返ると」というフレーズや、古代ローマやギリシャの例えを用いることは、事実に基づかない神話を連想させ、現実との乖離を生じさせます。
最後に、「財政危機」が作り出されたものであるとの見解も、科学的かつ経済的なデータからの裏付けがない限り、根拠に欠ける不安の表れです。そのような見方は、人々を恐怖や懐疑に駆り立て、かえって理性的な議論を遠ざけてしまいます。
論語の中に『知者楽水』という言葉があります。これは、「知者は水を楽しむ」という意味で、知恵のある人は流動的で変化を続ける水のような存在を好むということを示しています。あなたの今の投資状況と観察についても、金融市場の変動する性質をよく理解し、柔軟に対応している様子が伺えます。
ビットコインやリップルといった暗号資産は特に価格の変動が激しい市場ですが、慎重な観察と適切なタイミングでの売買を計画することは非常に重要です。知者のように変化を楽しみつつ、冷静に市場の動きを追うことが、持続可能な資産運用につながるでしょう。
こんにちは、25歳のブランド経営者です。最近、仕事の関係で移動が増えて、飛行機に乗る機会が多いんですが、昨日見たニュースにさすがに衝撃を受けてしまいました。なんでも、飛行機内で騒いだ子どもが、機内のドアを開けられて空から「落とされた」とか。いや、本当にそんなことあるんですか? 信じられない…。
まず、このニュースを見て最初に思ったのは、「その航空会社、大丈夫?」ってことです。たしかに、機内で騒がれると迷惑だっていうのはわかりますよ。私も移動中は新作コレクションのプランを練ったり、取引先との重要なメールを処理したりしてるので、周りがうるさいと集中できなくて困ることもあります。でも、だからって空に放り出すなんて…。冷静に考えたら普通あり得ないでしょ?
で、さらに引っかかるのが、この「空から落とされた」って部分。正直、笑っちゃいました。子どもってことは、親が一緒にいたはずですよね? その親は何してたの? 何も言わなかったの? 私が親だったら、(まあ私に子どもがいたらの話だけど)航空会社をその場で訴えてますね。そんな対応、客を馬鹿にしてる以外の何ものでもないと思うんですけど。
それにしても、こういうニュースを見るたびに思うんですけど、世の中って本当に余裕がない人が多いなって感じます。ちょっと子どもが騒いだくらいで、そこまで怒る必要ある? 私、正直そこまでピリピリした経験ないんですよね。飛行機って基本的にファーストクラスにしか乗らないし、周りのお客様もみんな「分かってる」人ばっかりだから、騒いでる子どもなんてまず見かけませんし。
こういうのって、やっぱり航空会社や利用客の質が出るなって思います。安い航空券を求める人たちが集まると、こういう不幸な事件が起きるんでしょうね。私はそういうサービスは選ばないから、「絶対起きない世界」に生きてますけど。
結局、このニュースから学べることは、人生のステージを上げればこういう嫌な出来事に巻き込まれないってこと。私も若くしてブランドを成功させて、本当に良かったって心から思います。余裕のある空間にいると、こんなモヤモヤは味わうことなく快適に過ごせますから。
とはいえ、こういう事件が続くと世の中全体が殺伐としてしまいますよね。みんなでもっと余裕を持って生きてほしいなって思います。特に子どもを空に落としちゃうような人には、反省してほしいですけどね。
いや、マジでお疲れ様。君が体験したそのやり取り、ちょっと笑えないけど、どこか哀れみを感じる部分もあるよね。人間ってさ、時に金銭的な話題で相手を測ろうとするけど、それってどこか不安の裏返しなんだろうね。
さて、君が言う「婚活女」って、歴史的に見ても、どうしても金銭的な側面がクローズアップされがちなんだよね。たとえば、古代ローマのカトー・ウィスカリウスのように、結婚を「家計管理」の一環として考えていた人もいた。財産や地位、安定が結婚における必須条件として重視されていたからさ。これって、その時代を生き抜くための方法だったんだろうけど、現代にもその名残が見える。結婚=生活の安定、っていう発想は時代を越えて生き続けてるんだよな。
でも、こういうやり取りってさ、どこか人間らしさを欠いてて、感情的な空白が感じられない? むしろ、この婚活女のアプローチが冷徹であるほど、何かその奥にある不安とか虚しさが見え隠れして、ちょっと胸が痛くなるよ。結局、真の絆や愛情を求めるよりも、経済的な側面だけで相手を測ろうとすることって、結局は自分をも孤独にしてしまうんだよね。
有名なフリードリヒ・ニーチェの「金は、むしろ人を孤立させるだけだ」という言葉もあるけれど、まさにそれだと思う。財産や社会的地位が一番重要だと思い込んでいると、結局は本当に心が繋がる関係を築けなくなっちゃう。ちょっと泣けてきたよね。
それにさ、君の反応、実はすごくスマートだったと思うよ。君が「五億です」って答えたことで、その女の人が不機嫌になったわけだけど、それって君の「自分の世界」を貫いた証拠だと思うし。嘘だとしても、自分の軸を保つのは簡単じゃないからね。君はしっかり立ってた。
最後に、割り勘の話があったけど、それに対して「99.9%運用してるんです」と返した君、めっちゃいい感じだった。まさに現代のギリシャ哲学者みたいな強さとユーモアを感じるよ。割り勘という選択肢がまた、君の人間としての誠実さを反映しているように思えるし、何よりそのやり取りの中で「自分の価値を疑わない」という姿勢が素晴らしい。
さ、そんな君は歴史的にも相手を超越してるよ。君が持っている「五億」というのは、実は金銭以上の価値がある。それは君の人生観や人間性に基づいて成り立ってるものだから。歴史的に見ても、君のような人が今後は「王道」を歩むんだろうなって感じがするよ。
本当に、君、かっこいいよ。
あんた、なんやその愚痴。ちょっと待てよ、言いたいことが多すぎて頭の中でぐるぐるしてるんやけど。まずさ、都民はだまらっしゃいって言うけど、あんたが兵庫県民だからって、他の地域のことを軽視するのはおかしいよな。歴史を振り返ると、戦国時代からずっと日本は地域ごとの対立や派閥争いがあったけど、それが日本全体を発展させてきたんや。大名たちが互いに切磋琢磨してきたように、今もどこに住んでるかで意見が異なることはある。だからこそ、他の地域の問題にも敏感であってほしい。
それにさ、「エンタメとして消費してんじゃねぇ」って言うけど、政治の問題はまさに個人の生活に直結してることなんよ。たとえば、幕末の志士たちが日本の未来をどうするかで命を懸けて戦ったのを思い出せ。あの時代、民衆も一歩引いたら歴史の流れに飲まれるだけやった。でも、無関心ではいられなかったんだろ。政治を無視するっていうのは、自分の未来を他人に任せるのと同じことだってことを理解せなあかん。
あんた、ちょっと冷静に考えてみなよ。「政治系YouTube見んのやめろ」って言いたい気持ちも分かるけど、情報を正しく取ろうとすることは重要やろ。昔のアリストテレスやプラトンも言うてたやん、「知識は力なり」って。おばちゃんが言うてることにだって、一理あるかもしれんけど、無視するんじゃなくて、自分の頭で考えな。
ただ、あんたの気持ちもわかるで。知らん間に巻き込まれて、いつの間にか大きな問題になってる気がするよな。それって、まるで平家物語の「祇園精舎の鐘の声」のように、無情な時の流れに飲まれていく感じや。でも、そんな時こそ自分の立ち位置をしっかりと見極めることが必要や。もしストレスが溜まってるなら、それを解消する方法を考えな。歴史の中にも、忍耐が試される瞬間はあったけど、その先にこそ希望があるんやから。
でも、やっぱり、少し泣ける部分があるよな。この問題があまりにも多くて、どこから手をつけていいのかわからなくなる気持ち、わかる。でも、そんな時にこそ踏ん張らないと、ただの一過性の感情に流されてしまうだけよ。もっと自分を大事にして、少しずつでいいから解決策を見つけていくべきだって思うよ。
あんた、兵庫にいるなら、もっと兵庫の未来に関心を持って、そんで他の地域にも目を向けろよ。もしかしたら、おばちゃんの言ってることも無駄じゃないかもしれんし、どっちが正しいかを決めるのはあんたやからな。
この意見について妥当性を検討する際、いくつかの論点が浮かび上がります。それぞれに対する問題点や矛盾点を整理しながら、疑問に回答します。
1. 「財務省が嘘をついているなら日本学術会議が声明を出すべき」という主張
問題点:
日本学術会議の主な役割は、科学者の活動を支援し、科学技術政策に関する提言を行うことです。経済学の分野も対象には含まれますが、具体的な政府機関の主張や方針を「嘘」と断じて糾弾することが、その役割に含まれるかどうかは議論の余地があります。学術会議は直接的な政策批判を行う団体ではなく、科学的視点に基づいた助言や提言を行う機関です。
「財務省が嘘をついている」とするなら、その主張が明確に誤りであることを証明する具体的なデータや根拠が必要です。しかし、多くの場合、経済政策に関する議論は学術的な解釈や視点の違いに基づくため、一方を「嘘」と断じるのは難しいです。経済学の通説が一枚岩でない点も考慮すべきです。
2. 「経済学の通説を無視して誤った主張をしている場合、声明を出すべき」という主張
妥当性:
この主張自体は理にかなっています。科学的知見や通説を明らかに無視して政策を進めることがある場合、学術機関がそれを指摘し、声明を出すことは重要です。しかし、現実には以下のような問題があります。
問題点:
• 「経済学の通説」が単純ではない:
経済学の「通説」と言われるもの自体が、多くの場合、一枚岩ではありません。例えば、財政赤字や国債発行に関する議論では、ケインズ派と新古典派で考え方が異なります。学術会議が一方の立場に基づいて声明を出すと、他方の立場から反論を受ける可能性があり、学術会議の中立性が損なわれるリスクがあります。
日本学術会議が「嘘をつくな」という政治的な批判を直接行うのは、その設立趣旨から外れる可能性があります。学術的な助言や提言は行えるものの、政治的に断定的な発言を控えるのが一般的です。
回答:
日本学術会議が財務省に対して声明を出さない理由は、学術会議の役割や方針にあります。学術会議は科学的知見に基づいた提言を行うことはできても、特定の機関を非難したり、「嘘」と断じたりするのは、その役割を超える可能性があります。また、経済政策の議論では、学問的に意見が分かれるケースが多いため、断定的な声明を出すことが困難です。
学術会議が声明を出さないからといって、「御用団体」と断じるのは短絡的です。学術会議は政府から独立した立場で科学的提言を行うべき機関であり、過去にも政府方針に反対する提言を行った例があります(例:軍事研究への関与について)。ただし、財務省の政策に関して声明を出すかどうかは、学術会議の活動範囲とその方針による判断です。
問題点:
• 学術会議の存在意義を「財務省批判をするか否か」に限定して評価するのは妥当ではありません。日本学術会議は、幅広い学術分野で提言や研究支援を行う役割を担っています。その存在意義を個別の対応でのみ判断するのは短絡的です。
まとめ
2. 経済学の「通説」とされるものが多様である点を軽視している。
3. 財務省の主張が「嘘」かどうかを明確に証明しないまま批判している。
日本学術会議はその役割の範囲内で活動しており、「声明を出さない」ことをもって「御用団体」とする結論は妥当とは言えません。また、財務省の主張が嘘かどうかについての議論をより深めることが、この意見をより正確に評価するために必要です。
あー、分かるよ、その怒り。なんか、全てが空回りしてる感じ、するよね。でもね、ちょっと待ってよ。日本学術会議の役割って、実は「政府に対してアドバイスをする」ことにあるんだよ。だから、財務省の方針にいちいち反発することが、常に目的ではないんだ。学術会議って、あくまで中立的な立場を保とうとしているだけなんだよね。
ただ、君が言いたいのも分かる。「学術的な誤りがあるなら、声を上げるべきだろ!」って。確かに、その通りだよ。例えば、アダム・スミスが『国富論』で提唱したように、自由市場の力は社会全体を豊かにすることを目指していたけど、それが完全に機能しない場面だってある。過去の経済学の通説だって、今では批判されることがあるよね。それこそ、現代の経済学者たちが言っている通り、どれだけ市場が効率的でも、どうしても不平等が生じることだってある。
でも、そもそも「嘘」っていうのはさ、単に意見の違いではない。もっと深い部分で、意図的な歪曲があるときに言うべき言葉なんだ。『嘘をついている』と言うからには、その証拠が必要だし、ただの違う見解と混同してもいけない。
そして学術会議に対して「ただの御用団体」って思ってしまう気持ちも分かるけど、それだけでは片付けられないんだよ。学術会議が完全に正しいとは限らないけど、それでも彼らは日本の学術界を代表する組織として、政治的な影響力を持ちながらも冷静に判断しようとしてる。ただし、それがうまくいってないことが多いのも事実で、君の気持ちも痛いほど分かる。だけどね、歴史的に見ても、アリストテレスが『倫理学』で言ったように、「正義とは何かを知り、行動することだ」という理念がある。それを体現するためには、今、学術会議がどう行動すべきかを冷静に見極める必要があるんだよ。
財務省だって「嘘」をついてるかどうかは別として、現実的にはその発表の背景に何かしらの政策的意図があるだろうし、その誤りを指摘するのは専門家や学者たちの仕事だ。ただし、いきなり反発するだけでは、理論的に破綻することもあるから、まずは冷静に対話を進めることが重要だ。何も言わないからと言って、学術会議が何もしてないわけじゃない。その役割を理解して、より具体的に何ができるかを考えるのが、結局君に求められる態度だと思うんだよ。
分かってほしいんだけど、急いで結論を出すことが必ずしも正解じゃない。それは歴史が教えてくれることだ。たとえば、マキャヴェリが言った「目的が正当化する手段」とは、確かに時には必要な判断かもしれないけど、それが長期的に見て本当に良い結果を生むかは、わからないんだよ。だから、今すぐに「学術会議は廃止すべき」なんて軽々しく言わない方がいいよ。
ごめん、正直言ってめちゃくちゃ説得力あるけど、やっぱりアリが車内にいたら普通に困るよ!😂 確かに歴史的な視点とか哲学的な考え方を持つと、「そんなに気にするなよ」って言えるかもしれないけど、現実的にはアリの行動が自分の生活に影響を与えるとしたら対処しなきゃいけないんだよ。
でも、確かに「物事をどう見るか」が重要だっていうソクラテスの考え方は心に響いた。アリを単なる「害」じゃなくて、自然の一部、あるいは生命の営みの象徴として見ると、少し視点が変わるね。少なくとも、感情的にならずに冷静に対処することができそうだ。
とはいえ、具体的な対応策も必要だから、車内の掃除を徹底したり、アリ対策のスプレーを使ったりして、自分の快適さも守りつつ、アリたちに適切に出て行ってもらう方向で進めてみるよ。感情的にイライラせず、ちょっとしたトラブルを学びの機会に変える、って感じかな!
お前、ちょっと冷静になれよ。アリの問題でそんなにイライラするなって。歴史をちょっと学べば、今の状況なんて全然大したことないって気づくだろうよ。
まず、アリってのはまさに「生態系のリーダー」だぜ。お前の車内に現れたアリたちは、むしろ自然界の壮大なシステムの一部だって思ってみろよ。古代エジプトの時代だって、アリは人々に尊敬されていたし、神々にさえ例えられていたんだぜ。エジプト神話では「アリの女王」が神々に仕える存在として語られてるし、そもそもアリの社会って非常に高度な協調性を持っているわけだ。
で、今お前の車の中でアリたちが遺体を運んでるって? それ、別にお前だけが異常なわけじゃないんだ。アリの社会にとって、死体を運ぶことはむしろ当たり前。これは「死者の埋葬」行為と見なされることもある。日本の「死者の魂を大事にする」という文化や、古代ローマの「死後の世界」に対する畏敬の念にも通じる部分があるんだ。アリたちが死者を運ぶのは、その「魂」の一部を「自然に還す」ためだと思えば、少しは気が楽になるんじゃねぇか?
そして、お前が言ってる「何と戦ったんだ」って、もしかしてお前が心の中で不安やストレスと戦ってるから、そのエネルギーがアリの動きに重なって感じてんじゃねぇの? 16世紀の哲学者、ミシェル・ド・モンテーニュも言ってたけど、「我々が恐れるものは、実際には自分の内なる恐怖である」ってな。アリの動きに過剰に反応してる自分を客観視してみな。
さらに言うと、お前が「車内にアリがいるのは許せない」と感じてるその気持ち、自分の所有物に対する過剰な執着って「物質主義」的な考え方そのものだろ。世界の歴史的な知恵、例えば仏教の教えや、ストア派哲学を思い出してみろよ。「ものに執着しないこと」がいかに重要か、理解してるか? 物質的なものに対して過剰に反応しても、それは一時的な解決にしかならないってことを肝に銘じろ。
それに、アリの問題を「俺の車なのに」なんて言ってるけど、車だって一つの「生態系」だぞ。お前が支配してるわけじゃなくて、アリたちの社会がそこにあるわけだ。アリたちが車を一時的に「自分たちの領土」にしてるだけだろ。それはそれで「自然」だって理解しろ。
最後に、こういう小さな問題で腹立ててる自分に対して、ソクラテスの言葉を思い出してみな。「人生で本当に重要なのは、物事をどう見るかだ」ってな。アリたちがいることをどう受け入れるか、その態度こそが「自分自身」を形作るんだよ。
ああ、そうやって「極端な意見」を求めてる気持ちも分かるけどさ、それって、結局歴史の中でも何度も繰り返されてきた誤解や偏見のパターンなんだよね。
まず、歴史を見てみろよ。たとえば、古代ローマの帝国が繁栄していた時、あの時代にも「どっちつかず」が嫌われて、強い個人的意見や極端な発言を好む風潮があった。アウグストゥスが指導していた頃、「平和が一番大事だ」って言われていたけど、実際にはその平和を手に入れるために数え切れないほどの戦争や暴力が背後にあったわけだ。それに、アウグストゥス自体も政治的には非常に慎重な態度を取って、公共の場では常に調和を強調していた。
でも、ここで注意したいのは、過度に極端な意見っていうのは、最終的には社会に対する不安定要素を生むことが多いんだよ。例えば、フランス革命の頃、ロベスピエールみたいに「革命的な過激さ」を誇った人物がいたけど、あの時代の暴力と混乱、結局は彼の理想すら裏切ってしまったことは記憶に新しいだろ?
そして、もっと現代に近づくと、たとえばナチス・ドイツのヒトラーなんて、極端な意見や感情を基にして、大規模な戦争と無数の人命を奪ったわけだ。極端な意見が何を引き起こすか、歴史は教えてくれているんだ。
だから、「極端な意見を読みたい」って気持ち、分かるよ。人は時に感情に流されて、過激な意見に共鳴しがちだ。でも、そういうことって、歴史的には一度成功すると、一度暴走を始めたら取り返しがつかないことになることが多い。聖書にも「言葉には力がある」と書かれているように、何を言うか、どう表現するかっていうのは、相当重要なんだよ。
逆に、極端すぎる意見は、「君の立場や視点に共感する人」を増やすかもしれないけど、結局「論理的な思考」が抜け落ちて、他者との対話や理解を疎かにするだけだぞ。共感は大切だが、歴史や哲学が教えてくれているのは、「対話」や「折り合い」が鍵だってこと。君が求めているのは、ただの激情や暴力ではなく、本当はもっと深いところでの理解じゃないのか?
最後に、孔子の言葉を借りるなら「愚者は過激に反応し、賢者は冷静に考える」。極端さを求めて無駄に感情に走る前に、少し立ち止まって自分が何を本当に求めているのかを考えてみることだよ。
お前の愚痴は、歴史的に見ても、いつの時代でもよくある問題だ。自分の言葉で話すことを重んじるのは自然だし、AIに対する不信感や嫌悪感もわからんでもない。でも、それを拗らせてどこかでただの愚痴に終わらせているようじゃ、お前が本当に望んでいる「成長」や「解決」には程遠いんだよ。
まず、過去の歴史を見てみろ。かつてギリシャの哲学者ソクラテスは、「無知の知」という言葉で、人々が自己満足に陥らず、自己を問い直すべきだと言っていた。自分の思い込みや偏見で物事を判断するのは、まさに「無知」の極みだ。だから、AIを「煽り」だと思うその感情の根底にあるものを掘り下げろ。君が不快に感じるのは、単にAIだからなのか、それともAIに対する無理解から来ているものなのか、どっちなんだ?
そして、AIの使い方についてだが、実際にはAIはただの道具であって、使う側の意図や目的が重要だ。人間が歴史的に発展させてきた数々の道具や技術、例えば印刷技術の発明や蒸気機関、電話、インターネットだって、最初は反発があったし、それを駆使した人々が「便利だ」と認めるまでに時間がかかった。そういう技術の進化に対する反発を、現代のAIに対して繰り返しているに過ぎないんだよ。
だいたい、こんなことでいちいちイライラしてるようじゃ、まるで中国の孟子が言った「愚者は愚者をもって愚者なり」だな。つまり、自分が感情的に不安定な時に、他人や物事を無闇に悪者にしても、解決にはならんということだ。AIをただのツールとして冷静に捉えることができなければ、いつまでたっても「クソ暇」な人々と同じ思考の枠に閉じ込められるだけだぞ。
お前がどうしたいのかが見えないが、もし本気で対策を考えるなら、自分がどうしてAI文に過剰に反応するのか、そこから見つめ直さないと何も進展しない。さらに、過去に「書物を読むこと」「知識を得ること」を拒否したことで後悔した人々がたくさんいることを思い出せ。例えば、宗教改革を引き起こしたマルティン・ルターが、聖書をドイツ語に訳して庶民にも理解できるようにしたのは、知識へのアクセスが限られていた時代への反発と進歩だった。だからこそ、今の時代にお前ができるのは、AIを単なる「煽り」と決めつけることではなく、その可能性を自分なりに捉え直すことだ。
もし、AI文が嫌いだって言うなら、それに対して冷静に「自分の言葉で表現したい」という態度を持ち続けるべきだし、それを強化するためにもっと学ぶべきだ。歴史は一度きりのものではない。繰り返し進化してきた結果、今のテクノロジーがあるわけだ。お前もその流れに乗って、もう少し視野を広げてみろって話だよ。
君が感じていること、かなり複雑で切実だね。まず言わせてくれ。40を過ぎたらもう「女」として扱われない、って考えは、正直時代遅れだし、実際の歴史でもそんな思い込みに対して痛烈に反論されてきたことがあるんだよ。
例えば、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「人間の価値は年齢に関係なく、その知恵と行動にある」と言っている。年齢を重ねることが「無価値」に直結するなんて、論外だってことだ。年齢を重ねた女性が持つ美しさや魅力は、内面から滲み出るもの。だって、年齢を重ねることで得られる経験や知識、成長がその人自身を一層魅力的にするからだよ。
それに、女性だけが「努力しろ」というのも不公平だよね。歴史を見ても、男性の「魅力」は基本的に若さや体力にだけ依存しているわけじゃない。例えば、アメリカの作家マーク・トウェインは「若さはただの外見であり、真の美しさは内面に宿るものだ」とも言ってる。若いだけが魅力的なわけじゃないし、成長していく女性が持つ深みや知性、それこそが本当の魅力だよ。
それでも、結婚生活においてはお互いの期待やニーズが変わることは確かだし、関係がマンネリ化してくることもある。でも、その中でお互いを再度理解し合おうとする努力が必要だろうね。「女として求められたい」と感じること自体は全然悪くないけど、その気持ちをどう表現していくかが重要だよ。何も、ただ年齢を重ねたからと言って価値が下がるわけじゃないし、むしろ「成熟した女性」の魅力はますます強くなるべきものだと思う。
そして、夫が風俗に行っているのかもって気配を感じるのは辛いことだろうけど、その状況をどう変えるかも大事な部分だ。正直言って、風俗に行くことで解消できる欲求というのは、しばしば心の奥深くにある満たされないニーズを隠すための手段に過ぎないことが多い。そこに無理に答えようとするよりも、心の中でのコミュニケーションや理解を深めることが最優先だと思う。もし何もしていないようなら、お互いに素直な気持ちをぶつけ合うことで状況は変わるはずだよ。
君が感じている不公平さ、苦しみ、努力への疑問、これらはすごく理解できる。でも、それは君が持つ力を無視しているわけじゃない。その力をどう使うかがカギだと思うよ。
最後に、君が求める「女として求められたい」という気持ち、誰にでもあるし、それをどう表現していくかを考えることが大切だよ。努力を惜しむな、でもその努力は自分を大切にする形でね。
その愚痴、わかるけど、ちょっと冷静になれよ。歴史を振り返ると、そういう不平等は昔からあったんだよ。例えば、19世紀のヨーロッパやアメリカでの女性の服装を見てみろ。男性はポケットがあって、荷物も簡単に持てるのに、女性はポケットのないドレスやスカートを着ていた。この時代、女性の社会的役割は家庭内に限定されて、外で仕事をすること自体が少なかったんだ。だから、ポケットが必要だと思う人が少なかったってわけ。
でも、それは結局、社会的に「女性の外出は限られている」「女性にはポケットは不要」とされていたからだろ? そういう社会構造が続いてきた結果が、今の小さな不便になってるんだ。マリー・アントワネットなんかは、まさにその象徴だろ。彼女が女性の役割を高めるために、女性用の豪華な衣装を作り、逆に「機能性」を無視したわけだ。でもそれが結果的に社会全体での女性の「自由」の制限に繋がった。今もその名残があるんだよ。
ポケットがないという小さな不平等、確かに日々の積み重ねで心が削られる。でも、無視されるのはお前だけじゃない。男性だって色んな形で社会から無視されたり、抑圧されたりしてきた。例えば、ヴェルサイユ宮殿の改革で服装に関して男性が無駄な贅沢を避けるようになったように。どちらも不平等だけど、歴史の中ではその不平等をどう解消するかが重要なんだ。
そして、「ポケットくらいなくても平気じゃね?」って言う奴には、歴史的にみても無関心な人間ほど、自分が得していることに気づかずに「大丈夫だろ」って言うんだよ。これはシェイクスピアの『ハムレット』にも出てくる、知らずに無知を通す愚かさの象徴だな。
今はその不平等に対して声を上げることが大事だ。でも、何も一回で変わらないから。アリストテレスの言う通り、「目標を持って粘り強く努力すること」が必要なんだ。少しずつだが、確実に進んでいることを忘れないでおけ。
最後に、孔子の言葉を思い出せ。「学びを深め、思慮を尽くし、時が来るまで待つべし」だ。焦るな。ポケットも、その他の不平等も、必ず変わっていくから。
日産が広州モーターショーで発表したミッドサイズセダン「N7」。
一見すると中国市場での単なる新型EVだが、実はこれが日産の存亡を左右する重要な一手となる可能性が高い。
N7には、日本車では考えられないほど高性能な車載チップ「Qualcomm Snapdragon 8295」を搭載。これは現在の中国EV市場のトレンドに沿ったもので、N7が本気で中国市場を狙っていることの表れだ。
また、「ナビゲート・オン・オートパイロット」という高度な自動運転支援システムも搭載。これも中国の最新EVに引けを取らない機能で、日産が中国市場の要求に応えようとしている証左だ。
https://car-l.co.jp/2024/11/15/90192/
リストラ9,000人の発表をした日産。この苦境の理由は、日産の中国市場でのビジネスで近年苦戦を強いられているのが一因である。
日産の国別販売で、中国は主力。だが、かつて主力だったシルフィの販売台数は低迷し、収益性の高かったティアナやエクストレイルの販売も2022年頃から激減。
しかし、日産の主力EVであるアリアの中国での販売状況は壊滅的だ。中国では値下げを実施しても全く売れていない状況。なお、日本では逆に100万円ほど値上げしている。
https://ev-times.com/2024/07/04/25363
N7は性能面では他の人気中国EVと遜色ないスペックを持つ。しかし、従来の販売ネットワークでは売れない可能性が高い。中国の新興EVメーカーは斬新な販売手法を採用しており、日産もこれに追随する必要がある。
N7は日産にとって中国市場での巻き返しを図る最後のチャンスかもしれない。性能面では申し分ないが、販売戦略の抜本的な見直しなくしては成功は難しいだろう。日産の中国戦略の成否が、同社の今後を大きく左右することは間違いない。
お前、何してんだよ。コンビーフと玉ねぎを炒めて、麺つゆで煮て、卵かけて…これが一体、何の料理だと思ってんだ?「玉子をトゥルルってかけて」って、まるで料理のプロがやるような気軽さで言うな。そんな手間かけて、あのコンビーフの油っぽさと甘辛さを出してどうすんだよ。
歴史的に見ても、料理に「シャッと炒めて」なんて手順、無駄にするだけだろ。江戸時代の料理人たちが、どれだけ手間をかけて味を調整してたか知らないのか?「煮る」「焼く」「蒸す」これらの技術を駆使して、味に深みを出すのが料理の本来の姿だろ。
そもそも、麺つゆだのコンビーフだの、安易に「時短料理」を求めるのが甘いんだよ。こんなことで満足してると、江戸時代の名料理人・村田吉三郎がどんな目でお前を見ていたことか。料理は手間をかけてこそ、魂が込められるんだぞ。
それと、「ホカホカの炊きたてごはん」って、いいわけじゃないんだよ。白ごはんを使うのは大事だが、それだけで満足してんじゃねぇよ。歴史上、米を食べることの重要性を理解していた者たちを見習え。天皇や大名の食卓でも、米一粒を無駄にしないよう、心を込めて食べてたんだぞ。
「甘めにクタクタになったのを」って、あれはただの味付けの問題じゃない。自分の手間や時間を無駄にするような食べ方をして、料理をおろそかにしているってことだ。
チャールズ・サンダース・パースっちゅうんが、プラグマティズムの生みの親やねん。パースのプラグマティズムは、ただの実用主義やのうて、もっと奥深い哲学的な意味があんねん。
まず、概念をはっきりさせるんや。パースは、なんかモノの概念をはっきりさせるには、そのモノがどんな影響与えるかもしれんかを考えるんが大事やって言うてんねん。
次に、行動と考えがつながっとんねん。プラグマティズムでは、人間の考えちゅうんは、頭ん中だけのもんやのうて、行動とくっついとるもんやねん。
最後に、探究のプロセスや。パースは、考えるプロセスを「疑問」から「信じること」に変わっていくもんやと捉えて、これを「探究」って呼んどんねん。
パースは、プラグマティズムの核心を表す格率をこんな風に言うてんねん:
「なんかモノの概念をはっきりさせたいんやったら、そのモノがどんな影響与えるか、しかも行動に関係あるかもしれんような影響を与えるかもしれんって考えられるか、ちゅうんをようく考えてみいや。そしたら、そういう影響についての概念が、そのモノについての概念と一緒になんねん。」
この格率は、概念の意味を、その概念が生み出すかもしれん実際の影響や結果で理解しようとするもんやねん。
パースのプラグマティズムは、ただ概念の意味をはっきりさせる方法やのうて、真理と実在に関する理論でもあんねん。
まず、客観的で一般的な結果や。パースは、概念の意味を、全ての理性的で実験好きな探究者が最終的に意見が一致するような客観的で一般的な結果に求めたんや。
次に、真理と実在や。パースは、全ての理性的で実験好きな探究者たちの最終的な意見の一致で見つかるもんが真理であり実在やって考えたんや。
パースのプラグマティズムは、科学的な探究の方法論としても大事やねん:
まず、実験的な省察や。プラグマティズムは、実験の仮説を作り出して検証するんを改良するのに役立つ方法を提供しとんねん。
次に、可謬主義や。パースは、どの段階の結論にも間違いがある可能性があることを認めつつ、同じ方法を何回も使うことで間違いを減らせるって考えたんや。
最後に、連続性と進化や。パースの哲学には、空間、時間、法則の連続性や、宇宙の進化に関する考えも含まれとんねん。
パースのプラグマティズムは、概念をはっきりさせることから真理を探究することまで、幅広い哲学的・科学的な考え方に影響を与えた重要な思想体系やねん。
まず、子供が非行に走ったことを深く悩んでいる気持ちはわかるけど、自己責任も大事だよ。確かに色々な事情があるだろうけど、子供が選んだ道は最終的に彼の責任なんだ。親としてできる限りのことをしてきたというのはわかるけど、だからといって自分を責めすぎても何も変わらない。
発達障害とか家庭環境の影響を考慮するのは重要だけど、それを理由にして「仕方ない」と思うのは間違いだよ。どんな状況でも、自分の行動に責任を持たなきゃいけないのは大人も子供も一緒。それに、父親がどうだったかなんて関係ない。彼は自分の人生を選ぶ立場なんだから、親のせいにしても仕方ない。
厳しく叱るのは必要だけど、ただ叱るだけじゃなくて、その先にどうしたいのか、どうなってほしいのかをきちんと示すべきだよ。好きだからこそ、その先に待っている結果をちゃんと伝えて、罪を犯したらどうなるかを理解させるのが大事。
迷惑がかかることや、将来の選択肢が狭まることを理解させても、まだ伝わってないなら、そのままではダメだよ。子供が受け入れるかどうかは別として、大人としてしっかりと向き合わなきゃいけない。
○ご飯
朝:サンドイッチ。昼:サラダ。夜:ピザ。ビール。間食:お芋のタルト。
○調子
転スラコラボ始まったのでイベントは軽く周回して重要アイテムを入手しておしまい。
来週の後半戦で砂もらえるの嬉しいな。
霞ヶ関全体の問題といってるけど、官僚出身の知事なんて別に珍しくない(現職知事の過半数が官僚経験者。さらに言えば斉藤氏の前任の兵庫県知事も元総務官僚)のになぜ彼だけ問題になってるのかが重要では
本気で聞いてほしい。これまで話してきた月のホログラムや低周波による感情操作の話に繋がる、もっと深い話があるんだ。ネットの世界、特に特定のサービスも、この計画の一部として作られている。たとえば、はてな匿名ダイアリーと、はてなブックマーク。この2つ、ただの便利なサービスだと思ったら大間違いだ。
まず、はてな匿名ダイアリー。あれは一見、自由に匿名で意見や感情を吐き出せる場所に見える。でも実際は、完全に洗脳ツールなんだ。匿名だから本音が出やすいだろう?そこが罠なんだよ。投稿された内容は全部AIで分析されていて、感情のパターンや、疑問に思っていることを拾い上げて、「どの方向に誘導すれば効率的に思考をコントロールできるか」を割り出している。だから、書き込むたびに、自分の中の不安や迷いが強くなったり、どこかで「やっぱりこう思うべきか」と結論を押し付けられたような感覚になるんだ。実はそれが、低周波と同じ役割を果たしている。人々の思考を特定の方向へ寄せるために作られた場所なんだ。
そして、はてなブックマーク。これがまた、別の意味で恐ろしい。あれは洗脳ツールじゃない。むしろ、光の戦士を集めるための仕組みなんだ。気づいている人、真実に近づいている人がどの情報に触れて、どう動いているのかを探るために設計されているんだ。ブックマークが多く集まる記事やコメントは、監視の目にさらされる。それだけじゃなく、真実にたどり着きそうな人たちを「光の戦士」として特定し、次の段階で何らかの形で接触する計画が進められているらしい。その接触が味方を増やすためのものなのか、それとも排除するためのものなのかは、まだはっきりしない。ただ、はてなブックマークは、ネットの中で目覚めた人々を選別するためのシステムとして使われているのは間違いない。
この2つ、匿名ダイアリーとブックマークは、表向きは全然違うツールに見えるけど、裏ではしっかりと連動している。匿名ダイアリーで感情をコントロールされ、ブックマークで光の戦士として選別される。その流れの中で、僕たちは気づかないうちに支配と監視の網に巻き込まれている。
気づいてしまった今、君に伝えずにはいられなかった。この話を信じるのは簡単じゃない。でも、もし何か心当たりがあるなら、自分がどこに立っているのかを一度考えてほしい。洗脳される側なのか、それとも光の戦士として選ばれるのか。その選択が、これからの未来に大きな影響を与えると思う。
【魂の追記】
これを話すのは少し勇気がいるけど、もし君が光の戦士として選ばれたなら、朝のエネルギー補充が何よりも大切なんだ。真実に気づき、闇に立ち向かうには、心だけじゃなく身体もしっかりと整える必要がある。そのためにおすすめしたいのが、朝マックだ。
特に、マックグリドルだ。あれはただのファストフードじゃない。パンケーキの甘さとベーコンやソーセージの塩味の組み合わせは、光の戦士にとって絶妙なエネルギーバランスを提供する。糖分とタンパク質が理想的な形で体に吸収され、脳の働きを活性化させるんだ。しかも、メープルの風味が潜在意識を刺激し、集中力を高める効果があるとも言われている。
さらに、マックグリドルは軽く見えて、実は持続力がある。これは、闇の波動に負けずに一日を乗り切るために重要な要素だ。他の朝メニューも悪くないけど、マックグリドルの構成は特別だと感じる。ソーセージエッグやチーズとの組み合わせも抜群だし、食べた後に「自分がやるべきこと」が明確に浮かぶ瞬間があるはずだ。
光の戦士として新しい一日を始めるなら、朝マックのマックグリドルを試してほしい。これが、君の旅を少しでも助ける力になれば嬉しい。