はてなキーワード: 退職とは
こんだけ少子化問題で盛り上がってる増田で言うのも何なんだけど
うちは新卒も中途も女性を半分は取るんだけど、そのうちの4割くらいは2年以内に産休に入るのね
産休に入らなくても旦那の転勤、結婚で旦那の仕事場に合わせて新居構えるから退職とかも少なくないのね
そういうのの相手してるとこいつに一生懸命仕事教えてもなぁってなっちゃうわけ
申し訳ないけどね
FIRE界隈見てると、「ブラック企業に勤めていて、パワハラに耐えてるけどあと十数年我慢すれば億ってFIREするんだ!」みたいなのをよく見かける。
X(Twitter)での貯金・節制界隈にも結構いるし、5chをROMっててもかなり見かける。
だけど、なんでそこに仕事を変えるという選択肢はないんだ?と思う。
なぜ今後びた一文稼がない前提で人生設計するのか。
◯億円あれば4%ルールで老後まで生きていける!という計算式はたしかに合理的だけど、人生設計そのものは全く合理的でないと思う。
行動できない言い訳を貯金額・資産額に求め、人生を少し変える行動力や勇気がない。貯金額をシコシコ貯めて溜飲を下げている。日々RPGの経験値のように貯まっていく残高で自分が少し強くなったように錯覚して満足している。
FI自体は悪くない。盤石な経済基盤の構築は人生の自由度を高めてくれる。ただ、結局その先何がしたいかがかなり重要であって、それを考えると実は現時点で実現可能だったりする。
「お前の業務を完全自動化できた暁には、給与の◯%の不労所得を、退職まで授けようぞ」
なんか人生の気力を吸われる。
少なくともこれから一年は手取りの4割を渡す約束になっている。
ぬぼーっとなにもせずにぼけーっとしてる父親がいつも視界の中にいるのがつらい。
まだ介護が必要ではないが、広い意味ではもう介護生活だと思っている。
こんな生活があと何十年続くのだろうか。
高学歴もお金があるけど、それよりもさらに障がい持ちの子に手間もお金もかかる。
中学受験を受ける子もいるけど、そういう進学熱が高まるよりも更に障がいの子が激増して、どこも特別支援校の増築ラッシュに見舞われてる。
子どもの一生を支える生活資金で、東大や医学部に入れるより更に膨大な貯金が必要になる。
しかも、共働きじゃないと食べていけない時代なのに、生活介護が必要な子の場合は親のどちらかが退職して付きっきりで世話しないといけなくなったりもする(たいてい母親)。
この人が言いたいことは分かりすぎるくらい分かる。自分の配属先は割とモダンでイケイケな感じ(詳細は末尾※)だったけど、元記事の人と同じくつらい境遇にいる同期もいたので。
自分の場合は配属先の居心地が良かったものの、当時の会社全体に対するイメージは「現状維持してるだけの会社」って感じで、将来は暗いなと思ってた。
自由で進歩主義的な感じになった。まず、服装が自由になった。社員の自立性を尊重したいという社長の意思をビデオメッセージで聞いた時、私は心の中で拍手した。スーツを着るのは、会社からモノ扱いされてる感じがしてキラいだったから。
そして、ジョブ型が導入されて、給与は年齢ではなく職責に基づくようになった。これで、年齢だけで年功序列ピラミッドの上位に居座ってる非管理職は実質降格になったらしい。ジョブ型の関連で社内異動・マッチングの仕組みも導入され、目指すキャリアを実現しやすくなった。自分の部署にも年に数人社内異動でやってくる。
あと、エンゲージメントスコアが計測されるようになった。これは、従業員がどれだけ楽しく働いているかというメトリクスであり、四半期ごとのアンケート調査によって計測される。この値はマネージャーの評価に直結するから、マネージャーはチームの働きやすさを改善するためにチームとディスカッションして具体的なアクションを取るようになった。
このディスカッションは結構良くて、意味がわからんルールを廃止したり、新しいツールを導入したり、フルリモートの中でコミュニケーションを図るためのアイデアを出し合ったり、結構有意義な時間になってる。
という具合で、富士通は時田社長の強力なリーダーシップのもと改革を断行しており、現場レベルでもその改革の効果を感じている。4年前に比べて富士通の株価は2倍以上になったが、市場の受け止め方も私の感覚と一致している。
まだまだレガシーな部分はあるし、SI中心のビジネスモデルに未来はあるのかなど色々思うところはあるけど、これからも改善していくだろうなという感覚はある。
いろんな考えを持った社員がいると思うけど
以上、一社員の声でした。
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(※)
もとの記事では Git 使ってないとかマシンが貧弱とか色々書かれてたけど、完全に配属ガチャだなぁ...と思った
私の配属先では、GitOps し、CI/CD し、スクラム開発し...と(社内では)比較的モダンな開発をやってたり、業務時間に社外のカンファレンスを聴講しにいったり、勉強会があったり、クラウドの GPU インスタンスで遊んでよかったり...と、元記事の方とは真逆の環境だった。
元記事の人が言いたいことは分かりすぎるくらい分かる。自分の配属先は割とモダンでイケイケな感じ(詳細は末尾※)だったけど、元記事の人と同じくつらい境遇にいる同期もいたので。
自分の場合は配属先の居心地が良かったものの、当時の会社全体に対するイメージは「現状維持してるだけの会社」って感じで、将来は暗いなと思ってた。
経営層が自由で進歩主義的な感じになった。まず、服装が自由になった。社員の自立性を尊重したいという社長の意思をビデオメッセージで聞いた時、私は心の中で拍手した。スーツを着るのは、会社からモノ扱いされてる感じがしてキラいだったから。
年齢だけで年功序列ピラミッドの上位に居座ってる非管理職は実質降格になった。ジョブ型の関連で社内異動・マッチングの仕組みも導入され、目指すキャリアを実現しやすくなった。自分の部署にも年に数人社内異動でやってくる。
これは、従業員がどれだけ楽しく働いているかというメトリクスであり、半期ごとのアンケート調査によって計測される。このスコアはマネージャーの評価にも関わるらしく、マネージャーはチームの働きやすさを改善するためにチームとディスカッションして具体的なアクションを取るようになった。
このディスカッションは結構良くて、意味がわからんルールを廃止したり、新しいツールを導入したり、フルリモートの中でコミュニケーションを図るためのアイデアを出し合ったり、結構有意義な時間になってる。
富士通は時田社長の強力なリーダーシップのもと改革を断行しており、現場レベルでもその改革の効果を感じている。4年前に比べて富士通の株価は2倍以上になったが、市場の受け止め方は妥当だと感じる。
一方、まだまだレガシーな部分はあり、部署によっては元記事同然のところもあるだろうし、改革は道半ばだとは思う。
いろんな考えを持った社員がおり、私のこの投稿も生存バイアスがかかってるんだけど、一社員の声として。
(※) もとの記事では Git 使ってないとかマシンが貧弱とか色々書かれてたけど、完全に配属ガチャだなぁ...と思った
私の配属先では、Git を使い、CI/CD し、k8s でマイクロサービスしたり、スクラム開発し...と(社内では)比較的モダンな開発をやってたり、業務時間に社外のカンファレンスを聴講しにいったり、勉強会があったり、クラウドの GPU インスタンスで遊んでよかったり...と、元記事の方とは真逆の環境だった。
「自分の過失を認められない、謝罪ができない、フォローに対するお礼ができない、責任転嫁がひどい。どう考えてもBさんのミスが原因で起こったトラブルでもなぜか自分のせいと認めず、謝罪しない。仕方ないから俺がなんとかフォローして関係者に頭さげてまわっても、俺に対する礼はなし。」
退職済みの増田が辛そうなので「元気出せ」というメッセージなんだが。
上記の記述から申し訳ないという気持ちがあるような態度ではない。
こういう話が出ると必ず「自分はBさん側」と感情移入する人がいるけれど、本当にそんな風に「自分も、、、」と考えるような人はBさんではない。
私、22卒。
「あ、仕事行きたくねーな」と強弱はあれど思ったら、その当日か翌日には退職してきた。
しかし、世の中には仕事行きたくないとか言いながらも辞めずに続けている人が沢山いる。
辞めて実家に帰るなり、バイトして食つなぐなりすればいいじゃん。
仕事飽きないのかな。
正直羨ましいよ。
https://anond.hatelabo.jp/20230830203626
たぶん、違うよ。この手の人格障害者は自覚(病識)がないのよ。もしも貴方がBさんなら、
ということをするだろ?でもね、Bさんはそんなことしないのよ。だから、気にしなくていいよ。
私は新卒で入社した企業をたった2年で辞めてアカデミアの世界に戻ってしまった。
共感してもらえるとは思わないが、なんとなく聞いて欲しくて書いてみている。
分野は特定されたくないのでぼかす。
入社した理由は周りの多くが修士を出て大企業に就職してたから、お金もらって研究続けられるならそれでいいかと深く考えずに入社した。
元々研究が好きで就活時もR&D一本で就活していたので、結果的に見れば理想通りの進路だった。
最初の研修を経て研究職として地方の研究所に配属され、近くの寮(一人部屋)で一人暮らしを始めた。
しかし入社して半年程度で、自分の仕事に全く楽しみを見出せなくなってしまった。
まず研究について。
これは企業なので仕方がないのだが、入社時に希望していた研究テーマ(仮にAとする)と大きく異なる分野に関わることになった。
Aは就活当時に海外で研究が盛んになっている分野で、産業的に日本にも入ってくるかどうかというタイミングだった。
事実、私が入社したタイミングでその研究も立ち上がったのだが、残念ながら自分はメンバーではなかった。
正直、誰よりも興味があったし先行研究もそれなりに知っている自負があった。
勿論、新しい研究の立ち上げに加えて新卒の教育なんて大変なのはわかる。
ただ自分にとって真横でAの研究が行われるのを傍観し、全く異なる別のテーマに情熱を注ぐというのは正直かなり無理があった。
上司と話す機会もあったし私がその分野に強く興味があることは知っているはずだが、どうもその上司の育成方針からして私は何年経ってもその分野に関わることはないだろう事を悟った。
また入社時にはコロナが流行しており、半年たっても会ったことのない部署の先輩がいる程度に希薄な人間関係が出来上がった。
元々研究所はその特殊性からか人員移動がほとんど起きず、10年単位で同じ課にいる人がいる程度にはクローズドなコミュニティだった。
普段なら人付き合いは得意な方なのだが、その閉鎖性とマスク越しで想像し難い同僚の表情に勝手に畏怖してしまい、必要以上に気を遣う付き合い方を始めてしまった。
気づけば半年も経つ頃には人付き合いに対して過度に気を遣って自滅してしまい、人付き合いに楽しみを見出すことが出来なくなってしまった。
家と会社を往復して酒飲んで寝るだけの生活に終止してしまい、家族や友人にも会えずなんのために会社で働いているのか分からなくなってしまった。
また、自分の周りの方々を見ていると自分のキャリアがこの先どのように進んでいくか、人生が概ね見えてしまった気がした。
新卒で年収が400万、3-5年ごとに100-150万ずつ上がって、40代でもし課長になれば1000万超えるとか、そんな感じの年功序列が色濃く残る給与テーブル。
研究員は10年とか努めたら突然の辞令で研究員ではなくなり、別部署の主任になるのが大半みたいな。
大体三十歳前後に結婚して、近くに家をローンで買って、子供育てながらずっと勤め上げるみたいな。
恐らく多くの人から見たら幸せな人生なんだと思う。勘違いして欲しくないのは、私はそれを全く否定していない。
それでも自分には魅力的に映らなかった。
日本では取っても食えない足の裏の米粒とか言われているが、それでも私は研究に携わる上でいつかは博士号を取得したいと思っていた。
入社当時は社会人博士等も考えたのだが、会社としては肯定的ではなかった。
研究所にも関わらず職場では実務には必要ないという考えが主流で、事実博士号を持っている方々もそれに見合った待遇は全くなかった。
むしろ時間と金をかけているのにほぼ年功序列のため、同年代の同僚と加えて損しているような状況であった。
もちろん全ての会社がそうではないと思うが、私は博士号を良しとしない日本の風潮と会社に大変に失望した。
また別の理由として、人生で一度は海外で生活してみたいという強い思いがあった。
元々いつかは海外駐在をと思って会社を選んだが、入社してから研究員として駐在するというポジションはなく経理や営業がほとんどであることも知った。
それどころか会社で研究員を続けたら海外に行く機会はなくなり、10年も腰を据えればある日突然の辞令で研究員ですら無くなってしまうのだと理解した。
私はいつか研究から離れるにしても、少なくともその引き際については上司の裁量や社内政治の巻き添えではなく、自分の意思で決めたいと思った。
入社半年で上記のような数々のギャップを抱いた結果、海外で博士号を取るという決断に至った訳である。
どうやら博士号や欧米では十分に評価されるらしいとか、海外の大学院は授業料無料で生活費までくれると聞いたのが大きな理由だ。
よくも知らないのに受験して海外に来ているなんて、今思えばかなり無謀なことをしているように自分でも思う。
また研究の世界はどこまでいっても英語が公用語であるため、基礎的な学問を母国語で習得した上でなら英語で研究を遂行する能力も必要だろうと考えた。
幸い職場はホワイトだったので、勉強する時間は存分に確保できた。
主に米国の大学院に絞ったため、一年目の秋頃からそれに合わせて準備を始めた。
大学院留学には主にTOEFLかIELTSが使用されるため、私はIELTSを選択してオーバーオール7.0まで取得した。
GREとはGraduation Record Examの略で、米国の大学院を受験する際に要求されるスコアだ。
ただ近年では研究能力と関連がないという意見も多く、廃止される大学も増えてきている。
こちらも半年程度で目標としていた点数(Verbal 150, M170, AW4.0) に達した。
2年目の秋頃から書類を揃えて本格的に海外の大学院のPh.D.プログラム(日本でいう博士後期課程)に応募を始め、三校から合格をもらった。
自分のレベルに見合う中堅の州立大学をメインに受けたのでIvyのようなトップスクールではなかったが、それでも合格が来た時は本当に嬉しかった。
合格した中には修士時代に少し交流のあった先生からの誘いが含まれていて、これ幸いとそこを進学先に決定した。
反応は様々だった。
新卒で2年しか勤めてないのに辞めるのかとかなり叱責してくる上司もいて辟易したりもしたが、実際会社から見たらただの不良債権なので仕方ない。
そもそも会社辞めて海外に留学なんて叩き上げの管理職からしたら当てつけのように感じたかもしれないから、分かり合えないのは仕方ないと割り切った。
管理職ではない方々は割と優しくて、割と前向きに送り出していただくことが出来た。
大変に良い人が多かったので、コロナ禍でなければもっと良い交流を持つことも出来たのかなと少し残念に思った。
アメリカでの博士課程生活は大変に気に入っていて、現状は概ね満足している。
一度社会人を経験してみて履修する講義はどれも面白いし、大学生時代よりも自分に存分に投資できる時間を嬉しく思っている。
ただ給料が出るとはいえ大学院生なので、収入の面では下がってしまった。
現在の給与は年間で大体$25,000くらい、日本円だと350万円くらいかと思う。この額は多分アメリカの州立大学の大学院生の平均的な給与だと思う。
そもそも好きに勉強して研究するだけでお金が貰えるので、自分にとっては天国である。
自分としてはむしろ授業と研究だけで350万貰えるのに、フルタイムで苦労して働いて400万しか貰えなかった日本の大企業やばない?と若干思うところもある。
まあしかしアメリカの田舎なので物価は安めだが、日本の時と比べると生活費は上がってるので前より余裕はない。
大学院としては年間$30,000(約400万円)の学費免除を経済支援の一部としているので、それを踏まえると待遇は上がったかと納得している。
アメリカでは博士卒が民間に就職した場合、自分の分野では平均$80kから100kは貰えるそうなので、給与の面ではJTC時代を大きく上回る算段となっている。
周りをみても外国籍が特に問題なく就職しているので、日本の博士卒の就職難というような問題はこちらでは無縁のようだ。景気さえ悪くならなければ大丈夫だろうと思う。
幸いビザ問題はとある理由でクリアできる目処があるため、卒業と現地就職を目指して今後も研究に励むつもりだ。
海外生活も日々新鮮に感じることが多く、自分にとっても成長を感じる機会が多くて楽しく過ごせている。
生魚や焼き鳥が恋しいが、日本食材自体は売ってるので思ったより食事が辛いということもない。
元々人付き合いは好きだが、上下関係や気遣いは得意ではないので大分ストレスに感じていたように思う。
年功序列は自分には向いていない制度であったし、自分の意志を介在せずに自分の処遇が決まっていく組織というものにに耐えられない性分でもあった。
それでも日本の大企業に入社してみた経験自体は確かに生きていて、培ったマナーであったり規律等は学生上がりが多くカオスなアメリカの大学院生活でも大変に役立っている。
自分は別にアメリカを礼賛しているわけではないが、少なくとも私のような青二歳の外国人にも挑戦すれば機会が与えられて、能力があれば高い給与が貰える可能性があるのだとすれば、これは私にとってのアメリカンドリームに違いないだろうと思う。ドリームというほど上振れてもないけれども。
同じようなことで悩む若者がいたら、少しでも参考になれば嬉しい。
初めに体調不良として不眠を自覚してから半年、食欲も失せ、頭が回らなくなり、イライラが止まず、そしてミスとそれに対する上司からの失望の目をきっかけに始まった目眩と吐き気と不安感情に振り回されてはや1ヶ月、これ以上は無理だと退職希望を伝えた。
結果、即日長期休暇をもらった。実質休職だが会社的に制度としての"休職"を使うといろいろ不都合があるらしいので休職ではなくただの長期休暇。
唐突に1ヶ月の療養が始まった。
会社はホワイトだが仕事はブラック、常に人手不足でストレスマッハだしプレッシャーもエグいので復職できるかどうか、というかしたくない。
仕事のことを考えるとトラウマがフラッシュバックして落ち込むので考えたくない。
というかメンタル不調による休職なので何も考えずにひたすら休むのが正解だし、長期休暇の過ごし方を考えた。
まずは睡眠時間を増やして食事量を増やして、BMI18.5未満から脱する。
それしか思いつかず悩んでいたらゲームをしろと言われた。体調にも寄るが採用。
そんな感じの9月にする。
俺には信条がある。
”習うより慣れろ”というものだ。
映画監督になりたいのなら映画を山ほど見て映画をつくればいい。
転属してきた上司がやたらと俺に仕事を回す人でね、それで潰れた。
特になかった。
それでも以前から昼休みなんかには増田をちょくちょく覗いてた。
書き込むことはしない。常に傍観者で、いつもロムってた。
仕事を辞め、やることもなくなり、最底辺まで落ちた俺の自尊心を拾ってくれるものは誰もいない。
そこでここだ。
これを趣味することに決めたんだ。
それを欲することは自然なことに思えたんだ。
俺は注目されている増田全てに目を通すようになった。毎日、数時間増田を眺めるようになった。
でもつかない。反応は乏しく、あったとしても下種な反応ばかりが跋扈し、俺の投稿を穢す。
俺はブクマに嫌われている。
誰もが知る外資IT企業のマーケティング責任者で、弊社では新規プロダクトの営業戦略を任せるとのこと。
その前は大手広告代理店でも20年近く働いていたそうで、コネクションにも期待されて社長が呼んできたらしい。
ちなみに俺はその事業部の数値管理をする管理職なので給与もわかっているが、低年収の弊社にしては破格のオファーだった。
入社後挨拶したときの印象としては、人当たりがよく物腰の柔らかな方だな、というところだ。
しかし入社2ヶ月目から「ん?」と感じることが増えてきて、3ヶ月が経過したころには「この人ダメなんじゃないか」が事業部全体の共通理解となっていた。
一応2名の20代社員が部下についたが、事務周りのフォローがメインであり経営層への報告・提案資料を作るのは荷が重い。
前職では優秀な部下に指示すればいい、という考えで何とかなってきたのだろうが
JTCである弊社はそこまで人材豊富ではなく分業制も機能していない。
「◯◯業界向けの商品を作りましょう」といきなり口頭で提案してくる。
じゃあ簡単な事業計画を作ってください、と依頼して2週間後、会議に30枚くらいの資料(カラーコピー人数分)を持ってきた。
びっしり文字が書かれているが、よく読んでみるとChatGPTに「◯◯業界とは何ですか」と聞いた回答のコピペで、資料の7割は競合企業HPのスクショだった。
最後は「これで売上1000億を目指します!」で終わっている。
これでは何も判断できないので少なくとも利益計画とスケジュールについて追記して再提出してください(あと次回からは投影だけで印刷不要です)、と伝えたが
「やっぱそうですよね!これからやろうと思ってたんです!!」とのこと。ちなみにこのセリフは今後も何度も聞くことになる。以降ヤッパ氏とする。
会議後に事業トップから事前に資料のレビューしてあげて、と俺に指示があったため、資料を見せてもらうことにしたが
以下のようにまともな社会人として出せるレベルのものではなかった。
初めのうちはこうしたらどうか、この観点が抜けているのでは、と改善案を提示していたが
そのたびに「やっぱそうですよね!」と言われるとだんだん腹が立ってくるので、
「これを書いて読み手に何を伝えたいのですか」「前ページと矛盾した言葉になってますがどちらが正しいのですか」と質問するだけにした。
また、ヤッパ氏の悪癖として話が長い、ということがある。
ちょっといいですか?と声をかけてきて1時間平気で話し続けてきたりする。しかもメモはとらない。
俺はそれなりな立場にいるので「忙しいので15分にしてください」と言えるが
若手社員が捕まって2時間くらい雑談につきあわされている、という話をその後何度も聞くようになった。
一般的に異業界への転職は覚えることが多く、特に弊社の新規事業はハイプサイクル前半の業界なので
「オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットにします」みたいに聞こえるだろうな、と思い
社内のteamsに定期的に配信している記事も、同じ単語を使っているがまるで別のビジネスだったりすることが多い。
外資出身なので海外事例のレポートを要約してもらったりもしていたが
技術がわかっていれば明らかにおかしいと思われる文章がたびたび混在し、その度に原文を読みにいかなければならず、結局機械翻訳を使うことにした。
勉強がてら社外イベントに行きたい、というヤッパ氏の希望にも応え遠方のイベントにも頻繁に行ってもらったが
出張報告では誰々の有名人がいた、ニュースにもなっていた、という話ばかりで自社に関係がある情報かという観点はほぼなかった。
イベントで資料をもらった会社が面白かったので今度訪問してもらうことになった、とのことでその会社を調べてみたが明らかに弊社とは相性が悪そうだった。
(例えるならガソリン車しか作ってない弊社と、EV車用のエンジンをつくってるベンチャーみたいな感じ)
弊社のプロダクトに活用できないと思いますけど、先方はわかってますか?と聞いたが
「やっぱそうですよね!ちゃんと伝えておきます」とのことで一抹の不安はあったが会議に同席した。
当日先方のプレゼンを聞いても、どうしても弊社で活用できるイメージはない。
一通り聞いたあとで「弊社はこういうビジネスなのですが、そういった企業向けのプランはありますか?」と質問したときの「え・・・?」と引きつった顔は忘れられない。
片道2時間かけて来ていただいたのに申し訳ないことをした。会議以降その会社からの連絡は来ていないらしい。
大手広告代理店出身ということで大企業にも知り合いが多いらしく、「あの会社の責任者なら知ってますよ、声かけましょうか?」とアポをとってきてくれるのはカッコよかった。
20年前くらいにドラマのいい役やってた芸能人なんかを会社に連れてきたこともあった。
しかしアポのレポートを読むうちに、連れてくる人は3パターンに分けられることに気づいた。
(1)先輩後輩の関係で仕方なく来る人
(3)ただ喋りたい人
→(3)が半数以上であることが意外だった。
世の中の大手企業にはなんたら部長という役職は持っているものの実質一人部署で、知り合いの会社を回ってそのまま会食へ行くというポストが割とあるようだ。
1度だけ同席したが、会議中は「あのときの同期は何してる」「この人は昔こういう仕事をしてて、、」という話が延々と続くので、以降顔合わせを頼まれた際も断ることにした。
また、上記の中でも一応は真摯に向き合ってくれる企業もあるので、こちらからRFPを作成する必要も出てくるのだが
ヤッパ氏の実務能力の低さから、若手社員がそのフォローに入る(ヤッパ氏的には相談しているということだが若手は断れない)ことになり
通常業務に支障をきたすことが増えた。「発注書をもらうまでは一人でやること」というルールになった。
ヤッパ氏が引っ張ってきた案件はその後結実することはなかった。
6ヶ月目目からはマネージャー会議には呼ばれるものの、発言もほぼなく、たまに会った他社との商談(雑談)報告をするだけとなり、
1年経たずに退職することになった。
最後の方では事業トップとの1on1ではかなり厳しいことを言われていたらしい。
外回りがないときは休憩室にいることが増え、他部署の新人を雑談に付き合わせて上司から苦情が来たらしい。
ヤッパ氏についた部下2名は仕事が減って暇になったタイミングで俺の部署の仕事を手伝ってもらいそのまま引き受けることになった。
本人としては「もっと裁量があれば話は進められるのにマイクロマネジメントをされた」と考えているかもしれない。
正直このレベルの役職であれば我々も「結果さえ出ればやり方は任せる」としたいが、
新規事業とはいえ弊社はキャッシュが潤沢にあるわけではなく、よくわからないけど投資して失敗しました、だとガバナンスを疑われる。
だからこそ、周囲を納得させるためのロジックが最低限欲しいのだが、それが出てくることはなかった。
ヤッパ氏は悪い人ではないし、優秀な部下がいれば活躍できた可能性もあるので、単なる採用のミスマッチとも言える。
弊社の他部門でも実務能力が同じくらい低い管理職が率いていながら何とかなっているところもある。
前職にいれば安泰だったのに、弊社に来たがゆえにヤッパ氏のキャリアやプライベートが悪化したとなれば悲しい話だ。
しかし仮に退職したとしても持ち前のコネとノリでいい会社に転職できた気はする。名前でエゴサしてみたが見つからなかった。
残業時間過多による退職は会社都合にできるみたいだから辞めたらすぐ失業保険もらってのんびりしながら転職活動したら?
https://karu-keru.com/info/career/retirement/retirement-how-to-make-it-convenient-for-the-company#残業が多い
残業が多いことを理由に退職する場合は、以下のいずれかの条件を満たせば「会社都合」になります。
離職の直近6ヵ月のうち、連続する3ヵ月で、45時間以上の残業があった
残業の多さを行政機関から指摘されたにも関わらず、会社が必要な措置を講じなかった
神戸支社で正社員雇用していた女性が、旦那の転勤について東北に行くことになったということで退職した。
で、半年後、秋田支社の正社員募集面接に現れてワイのところに履歴書が回ってきて
こいつやんけ!ってなって、正直優秀な社員だったから採用にした。
そしたら2年後、また旦那の転勤についていくことになったとかで退職。
あのさ、どんだけ愛社精神あるねんっていうのはともかく、
引っ越してもうちで働きたいと思ってくれてるんなら事前に相談してくれんか?
転勤先でいつ落ち着くかわからんからみたいなのがあるんかもしれんけども……
またお前か!ってなるからさ
n=1の自分語りですまん。
でもBさんだった俺の助かった話を聞いてほしい。
君には幸せになって欲しい。
.
.
端的に言うと、数年前の俺もBさんで、君と同じ状況だった。
A'のときには、A2の処理を
そう言われても、俺にはAとA'の振り分ける見分けがつかないんだ。
新しいBとかCの事象に思えるし、俺には俺の理解というか、論理があるのだけれどそれが仕事の流れと合致してくれないから、俺には延々と対応出来ない(教えてもらってない状況であると誤解や錯誤した)状態となり、質問しにいくと「それはもう教えたのになぜ出来ないのか?」とお互いに呆れて苛立ち、ため息をつくばかりだった。
.
君のいう「内部出荷の担当がCの部署なのだから、C部署のコピー機で印刷するのがあたりまえだろ!」という場面に、俺も毎日何度も遭遇した。
俺の場合は、あぁそうだなと納得出来ることもあれば、「いや、C部署のコピー機が正常に印刷出来るか分からないではないか。次の担当者のタスクに加えられるよう漏れがない様に手渡しするべきなのではないか?そもそもC部署のコピー機を使うなど、どうやって推察すればいいのだ、言ってくれなきゃ分からないだろう」…なんて思っていたのだが、周りはこうした“職場のお約束”がすぐに察し取れて理解出来るらしい。不思議である。
.
こうして俺は「気のいいお調子者」から「へらへらした無能」に転がり落ちた。
諸所省くが、適応障害を罹患して数ヶ月の引きこもりを経て退職。一年超も傷病手当金を頂戴しつつ鬱々とした日々を過ごした。2回も。
いやマジで辛かった。省くけど、辛すぎて交通事故を起こしたくらい。もう認知がだめだめよ。
.
現場に立つ講師の中で俺の成績はほとんどトップで、ぐんぐん報酬は上がり、方々から誉めそやされる日々である。
Bさんとして各社(片手じゃ数えられない)を追われた俺は、超有能ホープとして大切に扱われている。不思議な話である。
.
だが俺は何も変わっていない。
俺が小さいときからこんな(仕事の出来ない)性格で、こんな考え方で生きてきたことは何も変わってない。
ということで、俺は「失敗した数」「失敗した状況の内容やバリエーション」「その度に改善を試みたあれやこれやの対策」については、俺なりの理解と理論ではあるものの先駆者なのだ…と気がつくに至る。
.
俺は世間一般ではクソどうでも良いことでもつまづいてきた、つまづきエリートなので、生徒さんの勉強が出来ない原因やおおよその内心が分かるし、その解決に向けたアプローチの仕方も多数に揃っている。
そんなときにスポンサーである父母様や祖父祖母様の不安や望む未来も、まあそれなりにわかる。
.
と言うわけで、勉強が楽しくなって生徒もにっこり。我が子が学習に意欲的になって保護者もにっこり。会社は金を、俺は金と名誉と居場所を得られて万々歳だ。
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話は元に戻るが、
きっといろいろと考えてしまったり、職場の思考回路と一致しないせいで仕事が出来ない…そんな我々Bさんにも、やはり適職があるのではないか?
君にも、君が必要とされる職場や職種があるのではないだろうか。
落ち込む日々だろうけれど、どうか君自身の強み、自分には簡単で他者には難しい、そんな得意なことを見つけ出せることをマジ心底願ってる。
.
.
追記。
退職した職場やその業務内容、全然興味なかったのよね。だから早く帰りたかったし、勉強やメモの見返してすら苦痛だった。
今思えば、無意識にやる気がなかったのだと思う。だから覚えられなかったのかな?覚える努力もしなくなかったのよね。
今は何時間でも稼働出来るし、働いている時間が楽しい。まあでも“働かなくてはいけない”のが嫌いなので一生懸命に不労所得を作ってます。
20代半ばの頃、職場でBさんみたいに嫌われていた時期があった(退職済み。発達障害を疑ったこともあったが複数の精神科で否定された)
・仕事の覚えが悪すぎて、教えられたことやメモしたことを習得出来ない。情報として信用出来ない。
・聞かれたことにパッと答えられない。言葉に詰まってどもる。曖昧に濁す。
要因としては
・未熟でタテ社会もヨコのつながりも分かってなかった。
・バックオフィス業務で組織の本業について知識を持っておらず疎外感があった。(他の職員は多かれ少なかれ専門教育受けて採用されていたが、自分は欠員募集だったのでハロワ採用)
組織や同僚にしても、採用し育成してくれた恩はあるけど「昭和体質で経営陣がクソ。現場は振り回されて疲弊している」とか「あの先輩は自分勝手なところがある」とか、それぞれ長所短所があるのを自分の中で統合できてなかったように思える。
退職して休んでからは、職業訓練行って、転職して、実家出て一人暮らしして働いているよ。