はてなキーワード: 昼ごはんとは
いつも通り昼過ぎに起きる。昼ごはんにカレーメシ(スパイスチキンカレー味)を食べる。スーパーで120円!!で売ってあったので、買い溜めした内のひとつ。たいして期待していなかったが、これが非常に美味しかった。カレーメシではハヤシライス味が一番だと思っていたが、それ以上かもしれない。
それから、パスポート申請をしに立川へ行く。最寄駅で忘れものしたことに気づき、入場記録を消してもらおうとしたら150円かかった。自己嫌悪に苛まれる。家へ戻り、ふて寝。
目が覚めたら、19時近くになっていた。アマプラで仮面の米国を観る。30年代の映画は長くて90分程度で終わるものが多いのでノートパソコンで視聴するにはちょうどいい。ほんとうはtvで観たいが。
内容としては思っていたよりもずっと面白かった。どういうわけか、脱獄映画はどれも外れたことがない。この映画が始まりだけれど、かなり完成度が高い。主演俳優のポール・ムニもアップになればなるほど良い。悔しさを滲ませた演技といい、知性と鋭さを感じる目つきだったり。まぁとにかくハンサムだからね。スカーフェイス(1932年)も観てみたい。うろ覚えだけれど、以前観た米国の受刑者を取り扱ったドキュメンタリーで、囚人を使うとかなり人件費が安くつくからささいな罪でも収監されることを思い出した。しかも世界恐慌真っ只中の時代にできたものだから、生活に困り、軽い罪を犯して捕まった大勢の人をタダ同然で過酷な労働に従事させられたのを批判した映画なのかなぁ。そうだったら、今でも残っているぐらいアメリカのかなり根深い問題の一つなんだろうな。
映画を観終わったら、カレからLINEが来ていた。ハッピーなニュースがあったから、次会った時教えてくれるらしい。よかったね。
三度寝した後、昼ごはんに彼氏にもらったノワールを食べる。それから、図書館へ向かう途中でコンビニに寄り、からあげクンとだしおにぎりを買う。
図書館の前のベンチで買った二つを食べる。からあげクンは、期間限定フレーバーなんて買わずに、素直にホットを買えばよかったな、と後悔するも、だしおにぎりは、値段の割に美味しかった。
軽くお手洗いを済ませて、なんとなく、クリスタルを読む。登場人物の暮らしぶりや、横文字の固有名詞がたくさん出てきて、高度経済成長期直後の70年代後半から80年代の一般市民にも余裕が出てきたイケイケな日本の雰囲気がよく伝わった。特に私が気に入ったのは、生まれてきてから苦労や不安といった暗い感情とは無縁な若者の浅はかさや薄っぺらさがよく現れている点だ。小説を読んでいて、やけに注釈が多く、無視して読んでいたが、思ったよりも早く読み終わったので読む。これがなかなか面白い。例えば、
エルメス …馬具商からスタートしましたのに、今や超高級ブランドになりまして
モデル …大した顔でもないのに、自己顕示欲の塊で、モデルをやっている女子大生もいます
サマセット・モーム…なんたって、由利(主人公)は一応、英文科ですもの
もはや筆者の皮肉混じりの感想となっているものが、ほとんどだった笑 また、最後に暗に少子化時代へと進む事を示しているであろう日本の出生率を示したデータが唐突に現れる。これは、10年後もシャネルを着たモデルをやっていたい主人公の、将来もモノに囲まれた裕福な生活が送れると思っている主人公の行く末でも表しているのかと思った。オシャレで裕福な生活を送っている若者たちの生活→筆者の彼らの暮らしに出てくるモノに込めた皮肉混じりの注釈→日本の出生率からそんなに長くは続かないであろう今の生活、という一連の流れは、実に見事だった。
うちの娘はとっくに成人してるがとにかくネチネチと過去のしょーもない出来事を根に持ってて呆れる。
娘が小学生の頃、家族旅行に行ったときにちょうど昼食を食べようと道の駅に車を停めたときに娘が寝てしまった。
寝ている所を起こすのも悪いかなって思って娘を車に寝かせたまま主人と息子と昼食を食べに行った。
しばらくして昼食を食べ終わりそうな時に娘が車から降りて店に入ってきた。その時の娘は「起きたらみんながいなかったしご飯食べれなかった」って怒った。
その怒りは数年間続いて、あまりにも怒りを引きずるものだから仕方なくあの時の店に行って私達が食べたものと同じものを食べさせてチャラにした。
でも、娘は今でも子供が車に放置されて亡くなったニュースを見ると「あの時私だけ昼ごはんを食べれなかった事に怒ってたんじゃなくて、黙って置いてかれた事に怒ってたんだよ。分かってる?」「もしあの時真夏だったら私も死んでたかもね」ってネチネチ言ってくる。もう10年以上も前の事だし謝ったんだから許して他の事に目を向けてほしい。
それだけじゃない。去年義祖母の一周忌があった時、娘はシフト休でその日が仕事だと思って一周忌の事を伝えずにいたら、たまたま休みで後から一周忌の事を言ったらそれも未だに根に持たれてる。
「仕事かもって思っても普通とりあえず声かけとくもんでしょ?ひいばあちゃんの一周忌出たかったのに酷過ぎる。」って。
息子も県外にいて呼んでないし葬式には出れたんだから別にそこまで重要なことじゃないのにこれもネチネチ言って、しかも義母にチクったみたいで少し気まずくなった。
最近帰ってこなくなったし連絡も無いからすごい快適だけど、あのネチネチっぷりを職場やお友達に発揮して迷惑かけてないかが心配。子供の頃から苛められてて学校の先生に迷惑かけて謝りに行ったこともあるから似たようにならないか心配で。
2023-09-05
専攻医とは、専門医取得前、初期研修医修了後から医師5年目までを指す。
今回過労死が報道された彼らと立場を近くする当事者として、今臨床現場に何が起きているか記載したい。
そもそも「働き方改革」で医師がほぼ度外視の扱いを受けているように、長年医者の働き方は異常な上にそれを黙認する空気がある。
私は入局1年目のとき、月の半分が当直だった。
当直とは夜勤とは異なり、朝から働いた後に、夜間の緊急対応も請け負う。2時間以上連続で寝られる事は少ない。もちろん、当直の次の日はまた日中の勤務に追われる訳だ。
その上通常業務は朝7時から夜は22時までにも及ぶ。つまり殆ど太陽を拝むことはない。
入局してから昼ごはんを食べた事など、初期研修医の接待以外では数回しかない。
当直でなくとも、異常。
これで給料が年収1億なら歯も食い縛れるだろうか。実際は無給医だった。つまり大学病院からの給料はゼロ。本当に零。(後に問題視され、県の最低賃金が出るようになる。人の命を預かるのに、最低賃金)
病院からは労働者としてみなされていないので健康保険にも入ってもらえない。国民保険に入り年金も自分で払うため、マイナス出費。
生活ができないので、休日や平日の夜間は外勤(いわゆるバイト)にいかなくてはならない。身体を休めたりリフレッシュに使うはずの時間が、生活費のための出稼ぎに消える。
医局の中はこういった働き方で人格を破壊された上司しか残っていない。(それともあの性格は元々なのだろうか)
少しのミスで出身地、性別、出身大学に関する罵詈雑言が飛び交う。
人のために生きたいと志高く医師になったのに、大学病院へ進めばこのような待遇が待ち受けている。
学生時代に一生懸命勉強してやっと医師になれたのにこんな所で辞めたら親に合わせる顔がないという葛藤、
同期達は同じ状況でもどんどん優秀になるのに、自分だけ取り残されていく葛藤、
患者さんや医学に一つも関係のない事象で追い込まれていく自分との葛藤、
「逃げればいい」と人は簡単に言うけれど、どっぷりと医局の中にいると視野は狭まり、まるで医局を辞めることが殺人に匹敵する大罪のように錯覚する。
忙しい日々の中、どこかへ相談しようにも一般的な相談窓口は仕事が終わると閉まっている。
どこへ逃げれば良いのか。
逃げようとした先輩同期達は、重罪者のように祭り上げられ2度と大学病院や外の関連病院に顔を出すことはない。
大学病院であれば、たくさんの症例を経験でき、早く一人前の医者になれると思ったのに。ただそれだけを想ってここまで来たのに、どうしてこんな思いをしなければならないのだろうか。
これを書いている私自身も、精神的な危機を感じている。だが、精神科に行く時間がない。
私の自殺がニュースになるのも明日かも知れない。いや、もしかして、私の大学病院なら揉み消しかねない。
医者は聖人でも鉄人でもない。ただの労働者だ。労働者としての権利が欲しい。
どうか、今回の報道をSNSの力で大きな問題にしていただきたい。
医者の労働環境が崩壊して、最終的に困るのは患者さんなのだから。
同じような労働環境が話題になって、私の現状を世に伝えるには今しかないと意を決して当直の合間に書いたのですが、ここまで心無いコメントが付くと思ってませんでした。
「私の努力が足りない」と言われているようで、根性論を掲げてなかなか現場が改善されない理由の一端を垣間見た気がして、もう人間にも人生にも絶望しました。
専攻医とは、専門医取得前、初期研修医修了後から医師5年目までを指す。
今回過労死が報道された彼らと立場を近くする当事者として、今臨床現場に何が起きているか記載したい。
そもそも「働き方改革」で医師がほぼ度外視の扱いを受けているように、長年医者の働き方は異常な上にそれを黙認する空気がある。
私は入局1年目のとき、月の半分が当直だった。
当直とは夜勤とは異なり、朝から働いた後に、夜間の緊急対応も請け負う。2時間以上連続で寝られる事は少ない。もちろん、当直の次の日はまた日中の勤務に追われる訳だ。
その上通常業務は朝7時から夜は22時までにも及ぶ。つまり殆ど太陽を拝むことはない。
入局してから昼ごはんを食べた事など、初期研修医の接待以外では数回しかない。
当直でなくとも、異常。
これで給料が年収1億なら歯も食い縛れるだろうか。実際は無給医だった。つまり大学病院からの給料はゼロ。本当に零。(後に問題視され、県の最低賃金が出るようになる。人の命を預かるのに、最低賃金)
病院からは労働者としてみなされていないので健康保険にも入ってもらえない。国民保険に入り年金も自分で払うため、マイナス出費。
生活ができないので、休日や平日の夜間は外勤(いわゆるバイト)にいかなくてはならない。身体を休めたりリフレッシュに使うはずの時間が、生活費のための出稼ぎに消える。
医局の中はこういった働き方で人格を破壊された上司しか残っていない。(それともあの性格は元々なのだろうか)
少しのミスで出身地、性別、出身大学に関する罵詈雑言が飛び交う。
人のために生きたいと志高く医師になったのに、大学病院へ進めばこのような待遇が待ち受けている。
学生時代に一生懸命勉強してやっと医師になれたのにこんな所で辞めたら親に合わせる顔がないという葛藤、
同期達は同じ状況でもどんどん優秀になるのに、自分だけ取り残されていく葛藤、
患者さんや医学に一つも関係のない事象で追い込まれていく自分との葛藤、
「逃げればいい」と人は簡単に言うけれど、どっぷりと医局の中にいると視野は狭まり、まるで医局を辞めることが殺人に匹敵する大罪のように錯覚する。
忙しい日々の中、どこかへ相談しようにも一般的な相談窓口は仕事が終わると閉まっている。
どこへ逃げれば良いのか。
逃げようとした先輩同期達は、重罪者のように祭り上げられ2度と大学病院や外の関連病院に顔を出すことはない。
大学病院であれば、たくさんの症例を経験でき、早く一人前の医者になれると思ったのに。ただそれだけを想ってここまで来たのに、どうしてこんな思いをしなければならないのだろうか。
これを書いている私自身も、精神的な危機を感じている。だが、精神科に行く時間がない。
私の自殺がニュースになるのも明日かも知れない。いや、もしかして、私の大学病院なら揉み消しかねない。
医者は聖人でも鉄人でもない。ただの労働者だ。労働者としての権利が欲しい。
どうか、今回の報道をSNSの力で大きな問題にしていただきたい。
医者の労働環境が崩壊して、最終的に困るのは患者さんなのだから。
同じような労働環境が話題になって、私の現状を世に伝えるには今しかないと意を決して当直の合間に書いたのですが、ここまで心無いコメントが付くと思ってませんでした。
「私の努力が足りない」と言われているようで、根性論を掲げてなかなか現場が改善されない理由の一端を垣間見た気がして、もう人間にも人生にも絶望しました。
きょうの昼ごはん、なに食べるの?
すでに他界している祖父母宅があったあたりってそういう感じなのかなーとふと思いながら読んだ。
医療が遠く、不便なのはそうで、子供のころは夜や祝盆暮れ正月に病気すると病院が開いていないんだぞって脅されたものだった。
多分、今もその状況は変わらないんだろうな。
両親の家を相続して移住した老夫婦がいたが、ほどなくして音を上げて出て行き、空き家になっていた。
庭はめちゃくちゃ広かったので、子供のころはそこで遊ぶだけで一日潰せた。
元増田のいう小学校の運動場サイズの庭ってやつだ。正確には都内の小学校の運動場サイズと言っておくべきだろう。[*1]
祖父が庭でいろんな野菜を育てていたし、夏休みの間に自分たちの為にスイカを育ててくれたこともあった。
基本、ナス、キュウリ、トマトくらいは全部自家製で、毎日新鮮な野菜を食べていた気がする。
その他、ミカン、ザボン、びわくらいは庭の木のをむしって食べてた。自宅の梅で作った、自家製の梅干しもあった。
祖父母は定期的に庭師に入ってもらって、消毒もしてもらっていたようだけど、木登りもいつもやる遊びの一つだったな。
自分の親が住んでいるのはそこから離れた地方中核都市で、都内の自分の家よりずっと広いけれど、祖父母宅ほどではないな。庭は都内の小さい公園サイズ。
兄弟の子供を夏休みの間に預かっていた親が子供が時間を持て余していると困っていたけれど、単純に庭のサイズの差と暑さの差だろうな。
運動場サイズの庭では植物育て放題だったし、謎日曜大工をして作品作り放題だったし、それを全部取っていても困らないほどの大きさの倉庫があった。
あと、あの頃は今よりも過ごしやすい程度の暑さだったので、子供は外で遊ぶというのでも別に問題にはならなかった。
[*1] 地方中核都市で育った小中学校のころ、親が学校行事に車で来るのが当たり前で、それを受け入れられるだけのだだっ広い運動場があったが、そこまでは広くないなと。
小中学校のころ、運動会は朝から晩まで親が観覧していて、昼ごはんも各自親と食べていたけれど、都内だと小中学校は校庭が狭いので親とご飯食べないらしい。
子供のころ、幼稚園の運動会も幼稚園の校庭でやっていた気がするんだが、都内だと近隣の学校などの校庭を借りてやるのもちょっと驚きだったな。