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はてなキーワード: 昼ごはんとは

2024-04-21

育休中の夫の過ごし方おしえて

増田(夫側)の育休前までの状況

子供男の子、生後2か月くらい

・在宅勤務で平日もなるべく育児している

・在宅といえど仕事なので、お昼休みや、19時から深夜1時あたりまでしかお世話できていない

オムツ替え、授乳、寝かしつけ(背中スイッチと奮闘中)、沐浴、保湿、着替えなどは生まれから毎日やっている

・妻はあんまり家事マメタイプではなく、お昼ごはん、晩ごはん作り、食器洗い、買い出し、ゴミ出し、洗濯など諸々は昔から自分担当しているので問題なし。

・正直、掃除には手が回せていない

・妻は仕事していないので家にいる

育休期間は一週間。そのあとGWと繋がるので、しばらく頑張るつもり

この状況で、育休に突入した私に、どういう過ごし方を期待します?

育児以外とかの視点でもOK

ちなみに来週水曜日の午前中だけ、リフレッシュのためにスポーツの予定を入れたら嫌な顔をされたのでキャンセルしました。ちょっと悲しい。

粉骨砕身で家のためにね。余す所なく時間使わないとね…。

2024-04-17

僕のおじさんは変な癖を持っている

それは「ここ」を「そこ」って言うことで、「そこ」を「ここ」と言ってしまうこと。

ややこしいことなのだけど、どういうことか分かりやす説明しよう。

例えば僕とおじさんが一緒に歩いていて、昼ごはんをどこかで一緒に食べようという流れになったとする。

するとおじさんは「そこで食べよう」と言うので、僕は10メートぐらい先にある〇クドナルドのことかと思って「ああ、うん」なんて肩を落としながら返事をするとおじさんは体の向きを変えてすぐ横にあるステーキハウスに入っていく。

「え?おじさん、そこの店じゃないの?」

僕が訊くとおじさんはここでこう言うんだ。

「だから言ったろ。そこの店にしようって」

こんなおじさんだからトラブルはつきもので、タクシーを利用するときもそうだ。

だって「ここでおろしてくれ」とおじさんが言ったとしよう。

すると当然タクシーはその場で停まるわけだ。

でもおじさんはそれに怒る。

「なんで停まる!?ここで降ろしてくれと言っているだろ!」と怒鳴り散らすんだ。

運転手さんのほうも負けじと「だから、ここで停まったんでしょうが!?」と反論するもののおじさんは納得しない。

でも正しいのは運転手さんの方かもしれない。

おじさんにとっての「ここ」は運転手さん、いや世間の言うところの「ここ」じゃなくって、「そこ」なんだから

僕たちの感覚で言えば「そこ」っていうのはおそらく「ここ」より先の方で、もしかしたら通り過ぎてしまった「そこ」かもしれない。

おじさんが言葉の使い方を間違えているといってしまえばそれだけのことかもしれない。

でもおじさんは自分の「ここ」と「そこ」の使い方が間違っているとは思っておらず、かといって誤解されようとも直そうとしているのを見たことがない。

これでもう十二分にわかってもらえたと思うけど、とにかくおじさんは変人だ。

でも偏見を持って言えば、研究者にはそういう人が多いって聞く。

からおじさんもそういった人なのかな、と僕は思うようにしている。根はいい人だからね。

2024-04-13

共同親権の導入で夫婦間のパワーバランスが完全に崩れる

父親しろ母親しろ、「子供が何よりも愛おしくて、何よりも大事」ということについてはあまり反論も無いかと思う。

もちろん自分の子供をないがしろにしてネグレクトするような親もいるが、圧倒的多数の家庭では男親にとっても女親にとってもやはり自分の子供が1番可愛いし、特別存在なのである。なんなら「子供が救われるのであれば、自分の命もいらない」みたいな人も沢山いる。

まり

1.男親にとっても女親にとっても1番大事なのは子供

この条件は大多数の家庭で成立するはずだ。

そして次。

2.離婚したら今の日本では特別事情がない限り女親が親権を持つ

これも事実であるネグレクトや何かしらの障害など特別事情がない限りほぼ女親が親権を持つのが今の日本である母親不倫して離婚騒動になったのに、親権まで持っていかれて父親自殺してしまうような事例もある。

この、1.2の条件が組み合わさるとどうなるかと言うと、「どんなにヤバい嫁でも離婚できない」という状況が産まれるのである

増田奥さん結婚と同時に退職しその後専業主婦という名のニートを2年続け妊娠出産

出産後働かないのは良いとしても、朝は低血圧を口実に起きてこず、子供の送り出しを増田が行い、午前中いっぱいは昼寝しているかNetflixを見ているかである自分昼ごはんはウーバーイーツで全部済ませ、家事といえば晩御飯を作るくらいであとは全て増田と近所に住む実母と家事代行任せ。

実家が近いため、増田出張会食その他で夜居ない日にはこれ幸いとばかりに実家子供を預けて友達と飲みに出たり、そこそこの頻度で独身の友人と海外旅行に行くなどし、習い事も送り迎えは全て増田

苦言を言うとすぐ喧嘩になり、子供を連れて実家に立て篭もることを繰り返している。

でも、こんな状況でも離婚するとなると母親親権を持っていかれてしまうのが日本なのだ。「そんなこと言うなら離婚しよう。親権は渡さないからね」の一言で、父親はもう、何も言い返せなくなるんだよね。だって離婚したら親権を取られちゃうから子供と離れたくないのであれば、どんな母親であろうと我慢して結婚生活を続けるしかないのだ。

増田会社はいわゆる大手企業で平均年収1,000万を越えるような会社なのだけど、同僚は専業主婦奥さんに財布を握られていて、月の小遣いがランチ代込みで3万円である

新入社員が入ってくる今頃の時期は頻繁に飲み会も発生するし、そういう場合は大抵どこの会社でも新入社員から会費を取らないのが普通だと思うが、その同僚は「言っておくけど、俺はお前ら新入社員より貧乏なんだからな。月の小遣い3万円だぞ」と言って笑いを取っている。

そんな風に見かけ上は明るく振る舞っているけど、実際のところは何度も何度も離婚を考えているらしい。ただし話し合いになると相手ヒステリーを起こし、「離婚」と言うカードを見せびらかしてくるのでもう何も言えない関係になってしまったそうだ。「嫁にはもう何の感情もないけど、子供が大きくなるまでは諦めてる。中学生くらいになったら離婚しようかな」と自嘲気味に笑う。

ヤバい旦那」のエピソードSNSに頻繁に流れてくるけど、「ヤバい嫁」のエピソードがそれほど流れてこないのは、単純に「旦那」側は仕事その他で忙しく、発信してる暇すら無いかである可視化されていない「ヤバい嫁」は相当数存在するはずだし、増田のように「離婚したいけど子供人質に取られてて離婚できない」と言う世帯日本には何十万、何百万とあるのではないかと思っているのだけど、共同親権一般化し、「離婚後の親子関係がどうなるかは全て母親のさじ加減」という現状が改善されたら嬉々として離婚選択する家庭が爆増するのではないかと思っているし、早くそうなって欲しいと願っている。

現状では子供人質に取れる母親パワーバランスが偏りすぎてるんだよ。こんなのめちゃくちゃだよ。

追記

「なぜ父親単独親権ではなく共同親権を求めるのか」という部分について。

そりゃあ増田ひとりで育てあげられるなら自分ひとりで育てたいよ。

でも仕事がある。増田会社は書いた通りそれなりの大企業収入も高めとはいえ仕事はそこそこハードだ。

本文中に書いた通り出張夜の会食もある。

時短勤務にしたら収入が激減するだろうし、収入の低下を受け入れて時間の融通がきく仕事転職したとしても子どもに相当な我慢負担が発生するのは目に見えている。

そしてこれも本文に書いた内容で少し読み取れるかもしれないが、奥さん実家が太いのだ。

義理父親経営者で現役で働いており、専業主婦義母甲斐甲斐しく奥さんの世話を焼いている。

増田奥さん喧嘩して実家に転がり込むのを喜んでいるフシもある。

奥さんが気軽に「じゃあ離婚ね」という言葉を口にするのは「離婚しても自分大丈夫」という自信があるからだろうし、それは事実そうなのだ

子どもの面倒は義母が見るし、お金は義父からいくらでも出て来る。都内に、夫婦では持てあますサイズ一戸建てがある。

問題があるとすれば父親のいない家庭で母親は留守がち、義父と義母に育てられるような環境子どもちゃんと育つのか、という部分で、

それが増田離婚に踏み切らせないひとつの大きな問題なのだけど(もうひとつ増田子どもから離れたくないこと)、

共同親権が当たり前の世の中になり、定期的な交流担保され、子ども成育状況を増田が逐一確認出来るようになるのであれば、

離婚に対する大きなふたつの問題が完全とは言えないまでも、少し小さくなるんだよ。

2024-04-08

BBQとは焼くのに時間がかかるものなのだ

庭でBBQした

家族みんなで庭で肉を焼いて昼ごはん

椅子テーブルを広げて買ってきた肉を冷蔵庫から持ってきて皿と箸も用意して全部一人で準備してたら

「火ついた~?」って部屋から子供声かけれてついたと答えたらぞろぞろ家族全員がやってきて

「なんでグリルの半分にしか炭無いの?」「まだ焼けないの?」と不満たらたら

BBQで肉を焼くのは時間がかかるものだしさっさと焼いた肉を食いたいならフライパンで焼いた方が全然早い

火が付くまでずっと部屋にいて食べるとこだけ参加しようというのもなんかおかし

2024-04-01

このサービスができて1年立ちましたね、と社員さん。5人しかいなくて、前の週に発注キャンセルがたくさんあったか発注までに時間がかかりますね、と社員さん。 夫と一緒に昼ごはん。夫の同僚が何年かたって会社を辞める。1年くらい前から、一昨日から、夜は夫とお出かけしたり、カラオケストレス発散したり、夕飯作ったり、ダラダラしすぎて寝落ちしたりしなくなり、それと同時に1人で飲むような飲み会に行かないことも

Anond AI作成

2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2024-03-12

疑義照会

薬局処方箋を出して10〜15分くらい待ち、ようやく名前を呼ばれて窓口に向かった。

薬剤師さんから「前回、薬の用量が変わりましたが体調にお変わりなどはありませんでしたか?」といった一般的なことを聞かれたあと、いつものように袋から薬を出してお互いに錠数チェック。

「7日分なので7錠ですね」

「………??」

はい? 次回の受診日は2週間後なので7日分はおかC。

「7日分ですか? 2週間分のはずなんですけど」

と言いながら、処方薬の解説シートを目で追うと全ての薬が7日分で出ている。数年ぶりの処方日数ミスだ。

今日ものすごく患者数が多くて忙しそうだったもんな。そういうときはこういうミスしがちだよね。うん、しゃーない。

処方箋が間違っている以上は薬剤師さんが主治医電話をして疑義照会をしなければならない。

薬剤師さんはカゴを抱えて電話のある2階へと駆け上がっていった。

本来医師全面的に信頼せず、診察室を出たあとすぐに処方内容にミスがないか自分確認するべきなのかもしれないが、土砂降りの中を長時間歩いてきた今日はそんな余裕が自分になかった。

たぶん先生はようやく怒濤外来が終わってお昼ごはんを食べてるタイミングじゃないかなぁ……申し訳ないなぁ……。

私がミスしたわけではないのに罪悪感と妙な居心地の悪さに襲われる。

そこから更に15分から20分くらい待っただろうか。

疑義照会を終えた薬剤師さんが階段から降りてきて、心底申し訳なさそうな顔で「お待たせしました……!」と言われる。こちらこそお手数おかけしました……。

私が行っている薬局だけかもしれないが、疑義照会を行うと、処方箋医師主治医)に確認した内容が赤い文字で書き込まれる。

何気なく処方箋に目をやると、細かい文字でびっしり5行くらいに渡って書き込まれていた。

(えっ、処方日数の変更をするだけなのにそんな書くことある?)

と内心ビビリ散らかしたが、表情には出さないようにした。薬剤師さんから特に変わったことは言われなかった。

そのあとはいつも通り。最後はお礼を言って薬局を後にした。

ねえ、赤い文字でビッシリ細かく何書いてたの?

めちゃくちゃ気になるじゃん。

疑義照会って基本的医師ミスのはずなのに、私はどういうわけか毎回自分のほうが居心地悪く申し訳ない気持ちになる。

診察時間外に医師時間邪魔をなるべくしたくないし手間を取らせたくない。薬剤師さんにも手間と時間をかけさせたくない。申し訳ない。なにより自分も面倒くさい。

疑義照会をこの先の人生でなるべく避けるには。

やはり診察室を出た直後に自分で内容を秒速チェックして、内容に疑問があれば即座にセルフ疑義照会するしかない。

薬剤師さんには、セルフ疑義照会を通り抜けたミスだけを疑義照会してもらおう。そう誓ったのだった。

2024-03-11

〇〇さん来たから帰るね〜と、お昼休憩中のパートさんが席を立った。

帰ってもなにもすることないんだけどね休んでちゃダメだねと笑いながら帰り支度をするパートさんを、

全然良いですよ、無理せず休みましょう、と見送った。

そういえば13年前の今日、父は熱を出していて、昼ごはんを食べに家に帰ったらしい。

普段なら職場で食べているが、その日は母にうどんを作ってもらって、体調を心配されつつ職場に戻った。

そして津波に飲まれて亡くなった。

もしも自分が、ありえないけど、

これから起こることは知らないままで、あのときあの家にいたら、母とともに父の体調を心配しただろう。

会話もする。休んでも全然良いよ、ね、休もうよ。

実際あの日私は学校にいて、父の死に関して出来ることはなかった。

13年前と日付が一緒の今日

お昼に帰ったのはパートさんで、会話したのは私だった。

あの日言えなかった言葉が、遠くの私の口から出た。

パートさんは何事もなく家に帰って、明日も私と職場で顔を合わせるだろう。

2024-02-22

愛と不合理な子育て日常(2歳1ヶ月男と7ヶ月男との生活

https://nejiko.hatenadiary.com/entry/2014/02/22/234204

この記事を読んで、あぁ分かるぅとなったので自分の不合理さ&可愛さも記録しておきたい。

うちは2歳1ヶ月と7ヶ月の息子ーずと自宅保育している。春から保育園入園予定。

不合理なのは2歳1ヶ月のほう。7ヶ月の子は基本パヤパヤしている。

7:00

長男に「おーきーてぇー」と言って起こされる。

目を開けて「起きたよ、おはよう」と言うと、体まで起き上がらないとダメらしく何度も「おーきーてぇー」と言われる

まりにも私が寝てると次男と「いらっしゃいませ〜、えーっと、たこ焼きぃー!」などと適当言葉を話してキャッキャっ笑っている

7:30

オムツはきかえの拒否

Eテレを見てる間にオムツを変える

8:00

朝ごはん提供するもなかなか食べない

ヨーグルトパンの上にかけ、「ケーキ」と言ったり牛乳の中にバナナ沈殿させて遊んだ後、最終的に食べない

最近まりにも朝食を延々と食べてるのでタイマーを導入したら少し改善された

8:30

掃除洗濯など

朝ごはんを食べ終えた息子はプラレールが入った箱を床にぶちまけて遊ぶ

レールは滑るし、車両を踏むとマジで痛い

その他にもブロックやおままごと遊びもやらないのにとりあえずぶちまける

9:30

お出かけの準備

いくら早く支度をしたくても不合理すぎて時間がどんどん溶けていく

パジャマから服へ着替えさせるが、「違ったー!」といって脱ぎ捨て、靴下を履かせると「逆だったー!」と泣き喚く(決して逆などではない)

逆だったー論争が本当に大変でお出かけできなくなるレベルに泣くので、最近玄関靴下を履かせその後すぐ靴を履かせている

全ての用意が整ったと思ったら極めつけに💩

💩も中々変えさせてくれないのでしばらく放置

その間にパヤパヤ次男のお出かけ準備をする

いざ外へ出ると電動自転車の鍵を自分が指したいと言い、やらせ

10:30

スーパーに到着

最近カートをひきたがるので、子ども用のカートを使ってる

私がコントロールするとぶちぎれるので、放っておくと人にぶつかったりしててほんと迷惑

アンパンマンお菓子コーナーがあり、自らそこへ赴き永遠に流れてるアンパンマンお菓子紹介動画を見ている

早く帰りたいので、お菓子を一つ入れてアンパンマンバイバイを告げさせるも何回か失敗する

アンパンマンぬいぐるみを持って「ナスを買いに行こう」と言うと喜んでその場を離れてくれる

11:30

帰宅

息子に手洗いうがいをお願いすると必ず服をビシャビシャにするので服交換

うがいをしている間に、自転車しまいに一旦外へ出ると「うがい、飲んじゃった」と家の中から何度も報告してくる声が聞こえる

この後もオムツ拒否などが続く

12:00

昼ごはん

朝ごはん同様ダラダラ食べる

ダラダラ食べてもういらんのかな?と思ったら、ソーセージバナナ!などとデザート要望

13:00

あと片付け

息子は延々とプラレール

13:30

昼寝をしようと言うも拒否してプラレールを延々にしている

次男と寝たふりをしていると、眠くなった息子が突然やってきて布団にダイブ。即昼寝

眠いなら最初から寝ればいいのに

時間ほど束の間の休息が訪れる

15:30

昼寝から起きる

一番に私のところへ駆け寄ってきて抱っこする

かわいい

おやつなどを食べるなどして過ごす

この時間YouTubeを見せてるのだがとんだクレーマー3分おきにYouTubeの内容を「ちがったー!」と言ってくる。

アンパンマン新幹線こまち新幹線はやぶさ新幹線かがやきアンパンマン

要望してくるので最初に戻ってるやんかと思う

17:30

風呂

シャワーが嫌いなのでお風呂拒否する息子

最近冷蔵庫の前でチューペット(めちゃ小さい)をわたし、その場で全裸にさせお風呂場まで突撃シャワーをかけるということをしている

浴槽は好きらしく長時間滞在してしまうので、10.9と数字を数えて上がろうとするが、0のタイミングで違ったー!と言うので何回か10.9に付き合わされている

最後は違ったーと言われても無理やり連れ出して体をふく

インナーアンパンマンじゃないと服を着ないのでアンパンマンインナーを着させる

19:30

明日続きを書く)

2024-02-21

anond:20240221072818

回転しなくて、各席に直接送ってくる方式を「流れ鮨」と称して日本初で始めたと豪語してるのが「沼津魚がし鮨」な。

かつて家族がオレを残してレジャーに出かけてしまい、パパは適当昼ごはん食べてね! ていわれたときに、一度だけ一人で回転寿司行ったことがあるが、自分のペースで好きなもの好きなだけ食えるのはいいけど、あんまり楽しくはないよなw

それ以降は、魚がし鮨で一人用のパック寿司とか買ってきて家で食べる傾向w

2024-02-06

anond:20240202200035

ブログ見た!シナモントースト(実物)のおいしそうさがググったときより真に迫ってきて夜中に見ておなかがすいてしまったよクリームたっぷりすぎじゃん…

これから更新楽しみにしてるね

自分は非公開ブクマカなのでブコメ記事の良さについて言及して貢献できないのが悲しいけれども

この増田の返信も読んでポットリーますます行きたくなっちゃったよ…お腹すいた(昼ごはんがまだ)

2024-01-28

昼ごはんもたべおわってしまった。職場休日出勤してランチまで部屋でたべて、・・おれってなにをしにきたんだろうか。

すっかり晴れもよう。そともよいかんじ。

アレをかかなきゃいけないんだよ!!そうそう。いえにもどろう。

2024-01-26

最近ファミマレタスしか入ってないごまドレのサラダにはまって毎昼食べてる。

気付いたんだけどサラダ最初に食べると夕方まで腹持ちがいい気がする。

サラダ以外は今までと同じ(サンドイッチだったり、揚げ物だったり、肉まんだったりその日の気分による)昼ごはんなんだけどいままでは16時ぐらいにはもうお腹空いてグーグーなってたのがサラダ食べるようになってからなくなった。

ベジファーストがどうとか血糖値がどうとか関係あるんだろうか。

2023-12-25

クリスマスイブ24日。 自分は今、治験入院中。

クリスマスイブ24日。

自分は今、治験入院中。

ここに来て、15日が経過。

早く、外の空気が吸いたい。

消灯は夜11時。大部屋だから、右から知らないお兄さん・自分・知らないおじさんの並び。

毎日同じ部屋で寝て同じ時間に起きる。おじさんのいびきdBデシベル)が凄い。

今日昼ごはんすき焼き弁当。豪華。早速あっためるぜと思ったら側面に「電子レンジ不可」の文字

結果、冷たいすき焼き弁当を食す。すき焼きの嬉しさを、冷たさによる悲しみが上回る。すき焼きって1番冷たくしちゃダメ料理じゃないですか。

夜、白身魚シュウマイの弁当電子レンジ不可じゃなくてよかった。クリスマス、あったかご飯が食べれてよかった。飲み物は水のみ。それ以外は飲めない。

味のついた飲み物、2週間飲んでない。入院してから10日間、常温水しか飲めなかった。だから冷たい水、飲めた時は嬉しい。風呂上がりに飲む冷たい水、ゴクゴクうんまっ。冷たいっていいですね。

入院して15日経過。この間甘いもの、一切食べられない。

普段甘いものを頻繁に食べるわけではないけれど、

甘いものが食べられる状態自主的に糖を摂取しない事と、甘いものが食べられない状態強制的に糖が摂取できない事は同じようで全然違う。

甘いもの、食べたくて仕方がない。

刑務所に入ると、甘いもん好きじゃない人も、しばらくするとみんな甘味を求めるるようになるらしい。

食事ゼリーが出ると、歓喜し、中にはご飯ゼリーぶっかける奴まで現れると聞いた。ほんとかは知らない。ドラえもんゼリー食べたい。

病院の洗面台、当たり外れが激しい。明確にハズレ台がある。水の勢いが鼻くそ。その上センサー全然反応しない。

当たり台は勢いめっちゃエグい。それはそれで困るというくらいの勢い。狙い目は右から2つ目。ちょうどいいバランス型。人生もそうでありたい。

ベッドにも当たり外れはある。みんなのベッド、電動でL字に起き上がる。ベッドをL字にして体起こしてベッド上の机でパソコンとかやってる。普通はそう。そうやってベッドを背もたれにして日中過ごす。

自分のベッド、電動でW字になる。なんで?

何回やってもLじゃなくてWになる。なんで?

からなんか、ベッドを起き上がらせると、自分消防士に抱えられて救出された人みたいな体勢になる。LじゃなくてWの字状態。ベッドクネクネ自分ももクネクネ。なんで?

ベッド背もたれにしたいのに、普通にL字じゃなくてW字って。

マジ全然笑えない。W字ベッドの上で1日中過ごすのはしんどすぎる。

あれは介護ベットから抱えてもらう時のスタイルじゃないのか。少なくともベッド上の机でPC作業するのには全然向いてない。

あと恥ずい。意味わかんなくて恥ずい。みんなLなのに自分だけWの字になって真顔でPC弄るの恥ずい。体勢、ひっくり返ったニャッキー。

スタッフさんに聞いてみた。

介護する際に抱きかかえやすいようになってるのよねー」だって

僕、それは知ってます

この形状に対する解説ではなく、L字にする方法無いんですかと聞いてみる。

「ベッドによってねー、できるのとできないのがあったりしてねー、うーんと、とにかくこれはこうなるやつだから、ね?」だって

とにかくこれはこーなるやつなのか。なんで?

隣のおっさんのと全く同じベッドなのに? 見た目のデザインブランドも一緒なのに? 「かっこいいな~」のCMでおなじみフランスベッドなのに?

ベッドの変形モード、Wだけな事ある? あるか。普通にあるかも。でも、他のみんなはLなのに? 俺だけW……? やっぱりなんで?

風呂もね、当たり外れあるね。完全にある。浴槽のね、水が全然抜けないことあるね。手前側の「浴槽B」ね。

前に入った人のお湯が浴槽から抜けきらない。お湯がくるぶしくらいの深さになると、そこから水位が全然下がらない。なんで?

前の人の残り湯をお湯割りして風呂入れってこと? なんかベビースターみたいな形の毛が浮いてるけど? そこにお湯足せってこと?

あと、ラジオ体操毎日やりますラジオ体操第一終わったらラジオ体操第二もやります。第二も。みんな知ってる第二?

でも、実は慣れ親しんだはずの第一鬼門。ほんとにむずい。みんな改めてやってみて欲しい、第一

これ、絶対出来ない。うん。実は出来たと思ったつもりで出来てないから。ビデオ?うん、そら見ながらよ。ラジオ体操第一動画見ながらやった上で実は出来てないから。

途中、4合目あたりのやつ。「タッタッタッターン」ってやつ。あれ、一見出来てるようで出来てないから。

なんか途中で左右のモーションが切り替わるの。でも分かんない。何となくやってるとその繋ぎ目のやり方が分かんない。切り替わりのスイッチングのトリックがわかんないの。

ムズイというより、さりげなさ過ぎて気がつかない。「ラジオ体操第一」、実は気づきゲームです。

私は7日目くらいで「あああっ!!」ってなった。カイジが閃いた時と一緒の稲妻でした。切り替えのさりげない動作存在、7日目で気がつきました。それまではマジでわかんない。気づいた時、アドレナリン、ドバドバ。アハ体感を7日越しに発見した感じ。みんな騙されてるから

いや、もしかしたら出来てなかったの自分だけかも。なんか自信無くなってきた。やっぱりみんなは普通に出来てるかも。なんかゴメン。

あと、「第一ラジオ体操」じゃなくて「ラジオ体操第一」なの、なんで?

第一発電所」とはいっても「発電所第一」とは言わなくない? 「ラジオ体操第一」なのなんで?

10日超えたあたりからラジオ体操、もうみんなキレッキレ。ビデオ、ノールックでキレッキレ。上達するって嬉しい。

外人さんも入院する事がある。だからラジオ体操イタリア語ロシア語とか用意してるんだってスタッフさん言ってた。

あと外人膀胱がでかいだってスタッフさん言ってた。なんで?

12月24日談話室。知らないおじさん・お兄さん達が一緒にM-1見てる。パブリックビューイングみたいで楽しそう。

メリークリスマス

2023-12-24

まれていると気づいたら、そっと黙るしかない

黙るしかないと言いつつ、私がこの問題に対して黙らなかったことで失った大きなものを思い出して、反省を残すために書く。




大体X(Twitter)の世論では、実家の太さ細さというのは定期的に話題になる。しかし、これはあまりにもピンからキリまで幅広く、個人感覚寄与する。だからこそ、この話題では「十分恵まれているのに自分が裕福だと気づかないタイプ」が大抵槍玉に挙げられる。その無自覚でいること自体が、暴力的からだ。


そして私は自分が恵まれていると「気づき」、「無自覚でいることが今の世の中では暴力的なのだ」と思って寄り添う姿勢を見せたら、それこそがブルジョワ仕草だと痛感したという出来事があった。

自分が恵まれていると公言するのは、あまりいい美徳ではないだろう。そもそも家にお金あるかないか、人と話すこと自体上品かというとそうではない。


そして生まれ育った地域環境は、大いに自分金銭感覚に影響を与えるため、周りと感覚が似通っていればわざわざ話すことでもない。そうして恵まれている場合は中々気づかない。また、大いに時代の影響もある。かつては夜職は「影の職業」という感覚があったが、今では本当に生活のためにその選択をせざるを得ないという状況は、中々理解できないだろう。


そして個人的なお金持ちの感覚は、例えば松濤に家がある、インターナショナルスクールに通う、などが指標だった。しかし、このようにわかやす金持ちよりも、日常に出るお金の使い方で色濃く個人感覚は出てしまうのだなと大学に入ってから思った。



私は1000円くらいのランチは量にもよるが、安いと感じる。高いと感じ始めるのは1400円からで、1300円くらいまでならまあいいかと思う。

一方で違う友達は、2500円のランチ普通に誘ってくる。何十万もするバッグを普通に下げてニコニコ集合してくる。でもいい子だし、大好きな友達だ。これも彼女世界で、彼女感覚だ。でもその時点で私は世界が違うな、と感じた。彼女幸せそうに、何度でも海外に行っている。そこに嫌味はなくて、ただ単に「世界が違う」。



そしてまた違う友達は、数百円でも昼ごはんには高いという。500円でもダメしかった。そういう彼女から見れば私のお金の使い方は、あり得ないほど豪快なんだろうと思う。こちらがこのくらいかなと思って出した500円でも、彼女には受け入れられない。



親が学費を出してくれること。本が欲しくて言ったら別途それは必要お金だと出してくれること。外食に行ったら好きなものを食べなさいと言ってくれること。私の日常は、とても贅沢なんだとある時気づいた。これは日常ではないんだって




自分でもこれは使いすぎだと自分で買う。でもその感覚ですら甘やかされて育った様子が滲み出てしまって、自分に対する厳しさになっていない。うちの家庭の必要経費の感覚は、他では必要経費ではない。そんなギャップは友人間ではとても根深くて、日常的に出てしまう癖が酷く友人を傷つけてるなんて分からなかった。



某有名作家スタンスを見ると、自分の父を思い出す。似たような年代で、同じように無自覚ブルジョワだ。友達の前で一言寒い上着持ってくればよかった」と話した世間話が、「じゃあユニクロがあるから上着を買ってこい」と飛躍した話になる。本当に現代マリアントワネットみたいで一切の悪気なく放つ言葉が、根深社会的階層を示す。友人には苦笑いして言われた、「お金持ちだね」と。





流石に否定しまくって、厳しく父に伝えても、別の場面でこの父の子なんだと露呈する感覚がある。一生本当の意味で分からないんだと思う。分かろうとする努力をした、自覚的であれと思った。でもそんな態度でさえ、人に示しても無駄だし、どんなに金持ちではないと必死に弁明しても、言動からSNSから分かってしまうんだ。




この話題、きっとあなたも見てることでしょう。私は、金銭感覚について踏み入れるべきではない領域まで荒らして、傷つけました。私も傷ついた面もあったけど、弁明する立場ではない。

あなたと話したことで、私は恵まれていることに気づいても、ただその立場自覚して、ひっそりと黙るべきなのだと分かりました。20代のうちに気づけてよかった。あなたを傷つけてしまって、ごめんなさい。でも、これから先の人生で傷つける人を減らせたと思う。




もう話せない友人へ、本当にありがとう。そして、ごめんなさい。幸ある未来を望みます






追記:このような話題は友人と話すべきではないというのは最もですが、生活の中で出てくる金銭感覚のズレによって、例えばどんなご飯を食べるかなどによって、その人の感覚や家の背景が見えてくるというのが私の考え方です。そしてこれはデカ主語申し訳ないのですが、昔に比べて家のお金について結構開けっぴろげに言う傾向があると思います。でなければ実家の細さ、太さなんてSNS話題にはならないでしょうから

2023-12-20

anond:20231220155413

だいぶ前テレビラップ包みの爆弾おにぎり子供の顔ぐらいある)におかず詰め込んでそれ昼ごはんにしてるって人見て

アレいいなあとは思った

2023-11-28

会社増田友達が居る

彼女は同僚で、一緒に昼ごはんを食べる仲だ。彼女増田のことを知っているに気づいたのは

お昼頃。レンジでお弁当を温めている間は暇なので増田を眺めていると「なにそれ?」と横から彼女が覗き込んできた。

非常に焦ったものの見られた手前、誤魔化すのは無理だなと思って素直に話した。

すると「私も知ってるよ、それ」と彼女が言った。

えっ?と驚きながらも話を聞くと、なんでもちょくちょく見たりしているらしい。

しかし書き込んだことはないらしく、「増田は?」と聞かれて正直に告白した。

ちょくちょく何度か投稿していることを。

でも全然反応はつかなくてさ、たまに自分ブクマつけてる。

そう言うと彼女は笑い、寂しすぎでしょと突っ込むように言う。

「どんなこと書いてるの?」と聞かれ、自分投稿を見せた。

それはご飯が美味しかった感想なんかで、なんでもないようなこと。ブクマは一つだけ。

もしかして自分で?」そう言われて、恥ずかしながら頷いた。

それからはいものように和気あいあい昼ごはんを食べ、いつも通りにお昼休みが終わった。

翌日。

またお弁当を温めている間、増田を眺めていた。

…あっ。ブクマがついてる。

テーブル席に戻ってそのことを彼女に伝えると「私だよ、それ」と笑って答えた。

どうして?と聞いても「別に。なんとなく」だそうだ。

それでも、なんだかとても嬉しかった。

自分投稿には今まで最高で100ブクマほどついたことがあった。

それでも、この2ブクマはそれ以上に嬉しかった。

翌日、翌々日にもそれ以上のブクマはつかず、けれどそれでも幸せで、それだから幸せだった。

2023-11-26

今日さつまいも掘りをした

11月26日、晴れ。

初霜が過ぎたのでイモ掘りをした。

太りすぎたサツマイモがたくさんあった。

渡り鳥を見ながらお昼ごはんを食べた。

大学芋にして冬の間のおやつにしようと思った。

2023-11-17

パワハラババアと同じことをしそうになった日

忘れもしない去年の今日

俺は適応障害を患った。

新人だったのでトレーニング間中のことだった。いつものように出勤するといつものトレーナー休み代理の人がトレーナーだった。そして、その日は同期も休みで俺とそいつマンツーマンだった。

なんか朝から調子狂ってうまくいかん日ってあるやん?まさにそれだったんだよ。いつもより調子がくるっている+初対面のどんな人かも分からないババアとのマンツーマンレッスン。

嫌な予感が就業からした。

予感は的中した。

日中「なんでそんなこともできないの?」「入社してから何してたの?」「これすらできないってやばいよ」と言われ続けた。

昼前から通常のことができなくなった。まず体と口が動かなくなった。頭ではやれ!と分かってるのに動かせられなかった。そんな調子から昼ごはんも食べられず朝から同じ位置でずっとぼーっと座っていた。トイレすら行けなかった。そんな状態をみてババアは更に攻撃してきた。

上記に加え「マルチタスクすらできないのか」「今までどう生きてきたんだ」と連発してきた。

もう昼から退勤までの記憶はない。ずっと頭がぼーっとしていた。誰かに鈍器で殴られてきたようなそんな気分だった。

やっと退勤になって突然ブワッっときしまい日付が変わるまで泣き続けた。そして自分を責め続けた。

寝ようと思っても寝れない。トイレも相変わらず行く気力すらない。もちろんご飯も水も口に含めなかった。

翌日から出勤直前に動悸と涙が止まらなくなってしまった。あたまがずっとぼーっとしていた。そんな感じだったので、仕事を休んだ。

その日も家についてから何もできなくて寝たきりになっていた。その次の日も、また次の日も休んだ。

きっとうつ病だと思い精神科検索したが、直近で予約をとれるのが6か月後だった。絶望した。

からそのあと退職届を書いて上司に提出した。

その退職届は取り消しされ、辞めずに頑張れと言われたため、数日ぶりに出勤をしたが、その日にトレーナーでもないババアがわざわざ顔を出してきて、「数日間も休んだくせにまだ何もできないの?」と言ってきた。もう無理だった。このモンスターがいる限り、俺は無理だと悟ってその一週間後に再度退職届を提出して受理された。

しか受理から2ヶ月は働かないといけない決まりがあった。そのときのことはよく覚えていないが、一度適応障害を患ってしまっていたため常に頭がぼーっとしていた。

そんな感じなので会社孤立した。仕事も1日きて3日休むような人間だったので当たり前だった。

退職日も誰からも何も言われず静かに去った。

退職してから1ヶ月はずっと鈍器で殴られたような感覚が続いて何もできなかった。しかし、ババアSNS発見してしまいのぞいてみるとタラタラと俺の悪口が書かれていた。

そしたら急に頭のしこりが取れ、体が燃えるような感覚になった。そう、通常の俺に戻ったのだ。

そこからは早かった。次の転職先を見つけ、辞めた会社と同じ内容の業務に就いた。当時のことがフラッシュバックしてしんどいこともあったが、ババアツイートを思いだし火をともしているうちに成績連続トップになった。そのため、新人教育を任されるようになったのだ。去年の今頃寝たきりだったのに人生何が起こるか分からないなと思いつつ、教育をしていたが、

1人何度言っても同じ間違いを繰り返す人がいた。そのため心の中で「なんで一回でわかんないんだ」「なんで何もせず固まってるんだ」と悪い考えばかりふつふつと浮かんだ。

数回は唾をのんで丁寧に説明したが、再度同じミスをしたので頭に血が昇り怒鳴りそうになった。

その瞬間去年の光景が目に浮かんだのだ。もしかたらこの人も適応障害うつ病を抱えているから何度説明しても頭に入ってこないのかもしれないと。

そうじゃなかったとしても、マイナスなことを言うのはよくないと過去自分が止めてくれたのだ。

俺の怒鳴りは未遂で終わったが、あのババアと同じことをしようとしていた自分に青ざめてしまった。

自分だっていつその状況になるか分からない、いつ再発するか分からないのに何をしてるんだと自分が嫌になった。

うつ病適応障害は実際に患わないと、当事者気持ちが分からないものだ。こんなに苦しいのにまわりから見ると元気そうに見える分、厄介な病気だと思う。

からこそ、当事者として救える人間になりたかったのに回復から1年もしないで攻撃する側に立とうとしてしまった自分が恐ろしくなった。

もう適応障害を患っていたころの記憶は全て消し去りたいと思っていたが、教育者になって忘れてはいけないものだと知った。

そうするとトラウマがよみがえってきて再発しそうになるのがなかなかつらいのだが、それも人生なんだな。

全て回ってるんだな

2023-11-02

しかった

20代男 童貞

会社で仲良くしてもらってる女性がいる

普通に昼ごはん食べたり、一緒にたばこ吸いに行ったり。

彼氏いるけど、彼女は男を誘うのが上手なタイプだと思う。だからまあ浮気とかもしてんだろーなーって感じ

そしておれは妄想が大の得意だ

彼女に対してイケメンムーブをする自分妄想するのだ

今回は終業後の喫煙所舞台だった、なんか盛り上がって、そして俺が焦らすようなことをする。そういうやつ


キメエ…けど妄想なんや、許してくれ





そんで今日、まさにそういう状況が想像通りに進んだ



おれは喫煙所自販機缶コーヒー買っていたら、その子が近くを通り過ぎるのを見た

彼女は気づいていない

暗く、澄んだ涼しいとも寒いとも言えない気温の中で、妄想通りにはいかなくても、ちょっと話して三連休をもう少し楽しくなるように、少しコーヒーを飲んで落ち着いてから步を進めようとしたとき









囲いのある喫煙所の隙間から誰かとキスしているのを






離れよう

既に胃は縮み、目の前には靄がかかる




次に写った景色電車を待つ多くの人の列だった

どうやって階段を登り改札を抜けたかからない

未だ脳は、本来必要のない信号を胃に送っていた







最寄駅から40分くらい歩いて少し大きな駅の喫煙所を3ヶ所ほど回った









なんて苦しいんだ、驚いた

キスした相手はわかっていた

しか彼女との雰囲気から「あーなんかヤってそう笑」と思っていた方だった

勝手妄想して勝手に落ち込んで

すごく苦しかった



これが…NTR……

いや、ちゃうな、ごめん全然違うな

けど、なんかNTRを過度に嫌悪する方がいることをようやく理解した気がした

恋愛できる人たちはこんなの日常茶飯事らしいな

すごいわ






はあ……男の娘で抜いてさっさと寝るに限る

昼ごはん→眠くなる 晩ごはん→眠くならない

いったいなぜ?

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