はてなキーワード: 恩恵とは
インターネットは便利だ。行きたい場所への道を教えてくれるし、近くにどんなお店があるかもわかる。支払いだってスマホ1つでできるし、遠く離れた友達の近況だって見られる。わからないことを検索バーに打ち込めば、答えのある大体のことがわかる。
インターネットは本当に便利だと思うし、この恩恵を捨てようなんてさらさら思わない。
ただ最近、この大体「なんでも調べられること」に疲れてきた気がする。
私は中学生から携帯電話をもちはじめ、高校生の頃にはスマホももっていた。家にパソコンもあり、デジタルネイティブとは言わなくても、そこそこデジタルに染まってきた年代だと思う。
学校の調べ学習でもインターネットを使うのは当たり前だったし、大学も会社も、インターネットがあることが前提で回っている。なんなら受ける大学はインターネットで調べて決めたし(遠方だったからオープンキャンパスには行かず、学部と偏差値で決めた)、就職活動でも転職活動でもアプリを介してやりとりしていた。
こんなに恩恵を受けておきながら、何が不満なのか、何に疲れたのかといえば、「調べたらわかるかもしれない」という呪縛に、である。
例えば転職先。どこの会社にいったら本当に幸せになれるのかなんて誰にもわからない(そもそも幸せとは何か?の定義が曖昧である)。ただ、インターネットには「それらしい答え」がたくさんある。この業界がいい、この会社がいい、みんなは知らないけどこんな隠れ優良企業が!……調べたら調べるほど、書いた人が良いと信じている答えが出てくる。それが自分にとっての答えかなんてわからないのに、つい読んでしまう。そうして決断した後、会社に不満があったとき、他の人が書いた記事や意見を見て「もっと〇〇を重視すればよりよい会社が見つけられたかもしれない……」と思ってしまう。
恋愛や、人間関係も同様だ。どんな人と結婚したらいいか、みんなに好かれるにはどうしたらいいか……インターネットどころか、世界中の誰も正解なんてわからないのに、ついインターネットに答えを求め、うまく行かなかったときに「もっと調べればよかった」となる。調べてもわからないとわかっていても、心のどこかで「調べないと後悔しそう」と思ってしまうのである。そうして納得して決めたはずなのに、失敗すると調べが足りなかったと、無限にある情報から必要なものを見つけられなかった無能さに後悔してしまう。
明確な答えがあるものは、いくらでも調べたら良い。首相の名前とか、公園への行き方とか。
ただ、本来答えがないことも調べられてしまう現状に疲れてしまった。調べなければ良いだけだが、それだと怠惰だと言われてしまいそうで怖い。
シリーズ物のメジャーバージョンアップでは当たり前になった旧曲の削除。
今回は特にKONAMI曲の一斉削除があり、両者の関係性がどうのだの、パクリ疑惑(疑惑っていうかパクリだわな。これについてはもう少し後述記載したい)で怒られただので半ば一方的にセガが悪者にされてる風潮があったので、視点を変えて反論したい。
・金にならんなら要らん。だから消す。
これはKONAMI曲以外にも当てはまりますね。流行りの曲を収録してコラボイベントとかやって限定アバターなりを貰う事により売り上げが伸びてユーザーは優越感も感じたりする。
流行りものなんだから当然流行りが過ぎればよっぽどの好き物でも無い限りは飽きてプレイ回数も減り、別の流行り、新曲をやり始める。
これは当たり前であり、そうでなきゃバージョンアップする必要性が無くなる。
あのエレクリが移植!すげーw
とか
で盛り上がる話題性が昔ほど無くなったのである。飽きたとも言える。
移植によるインパクトが無くなり、ただただ他社移植による契約手続きなり契約更新料なりで金ばかりかかってインカム増えないんなら、契約切って削除するよね。金にならんのだから。
・パクリだろうがなんだろうが初期費用が安くて金になるなら使う。要らなくなったら捨てる。
怒られるぞwいい加減にしろw
こう反応させてあーだこーだ言って広めた時点でセガの勝ち。なんにもしなくてもユーザーが宣伝してくれてるんだから。
これでどんなもんなんだ、どんだけ似てるんだよでインカム増えれば良し。やり過ぎだなんだで炎上するようなら削除すれば良し。
曲自体もBMSというグレーすぎるグレーな界隈から持ってきたもんだし、アマチュアないしプロ手前の作曲者が作ったもの。契約料もプロに頼むよりは安いと思う。
自社で作る手間が省け、安くあがって話題になってインカム増えれば良し。ダメで叩かれて炎上して、巡り巡ってやっぱりBMS曲はアカン。グレーな界隈だったけどこれをきっかけにKONAMIが本腰入れてBMSに対する扱い方を変える(最終的にはBMSを潰す)となったとしても、その費用、時間、手続きで苦労するのはKONAMIなのだ。
・じゃあBMS無くなったら溢れたコンポーザーはどうすんの?セガも恩恵受けてたじゃん。
BMSが無くなるとなるとまあ行き着くところはここになりますね。某Bから始まるイベントとかの優秀者もここからスタートしてプロになったりしてますからね。
建前上ではイベントはプロになる為の足掛かりではありませんとか将来的に企業製品に収録されるのが目的ではありませんとか綺麗事書いてますが、本音の部分では曲なりMVなり作る人にはプロになりたい、これでメシを食えるようになりたいと考えて動いている方が少なからずいるはず。
なんでそう思うって近年のBMSイベントがただのプロデビュー予選会になってるから。
BMS、それを取り巻く環境が好きだから曲を作ってて、結果的にプロになった。そういう素晴らしい道のりを辿った方もいるでしょう。
それとは逆に、プロになりたい、曲を作りたい、だから宣伝手段としてBMSイベントを使う。曲の話題性が企業の目に止まりオファーが来たら目的達成。
汚いやり方とか不真面目だとか言われるかもしれませんが、これも一つの手段です。なりふり構わずに使えるもん使って勝てれば良いんです。
だからなりふり構わない人はたとえBMSが無くなったとしてもすぐ様別の手段で売り込みを始めるだろう。各種配信手段しかり、元々企業が用意している公募フォームを使うなり。
結局は金になる事、金を稼ぐ事が企業、プロに求められる。一つのやり方に固執する事なく、なんでもやり、汚かろうがなんだろうが使えるもんは使って金にし、失敗したとしても被害は最小限に抑える。
インド太平洋地域において、台湾の占める地政学上の戦略的重要性については、多言を要しないだろう。中国はよく「第一列島線(日本列島、台湾、フィリピン、インドネシア等を結ぶ線)」によって海洋への出口を阻まれている、という。仮にもし中国が、台湾東部の港湾を自由に使用することが出来るようになれば、事前に察知されることなく、中国の核搭載潜水艦は太平洋を遊弋できるようになるだろう。切り立った断崖の続く台湾東部海岸は太平洋の深海につながっており、これら港湾を使用すれば、察知されることなく「第一列島線」を容易に突破できる。
中国共産党にとって、台湾問題は「核心的利益」の筆頭と彼らが呼ぶように、中台統一は習近平政権の最大課題の一つであることに変わりはない。これまで、中国は台湾との経済的・技術的つながりを深めることによって台湾を併呑しようと努めてきたが、台湾の人々の意識は逆に中国から離れ、蔡英文政権下で、その傾向はますます強まっている。その結果、中国としては台湾を軍事的に攻撃するという選択肢を選びつつある
これを見ると、ジャイアンとスネ夫がまだ出会ってまもないころ、
いきなりジャイアニズムを発揮すると縁を切られるので、
まずはジャイアンと一緒に行動することでさまざまな学校生活上の恩恵があることを覚えさせ、
徐々にスネ夫のおもちゃや遊び部屋を自由に使えるように策を弄したものの、
うん。
あるサービスを民間、公共のいずれが提供するべきか、あるいは適切な比率で混合すべきか、って問題だよね。
で、民間が提供(=基本的に市場原理に任せる)ってことで問題が解決しないのであれば(全てではないにせよ)公共が担うしかないわけだけど、そのためには国民的合意と各種利害調整が必要だよね。
適切な保育サービスの質と規模はどの程度か、それを担う保育士の待遇はどの程度が適切で、それを実現するにはどの程度の財源が必要で、どこから拠出するか。税金で賄う場合はどの種類の税金をどれだけ増やすのか。
それに対して保育サービスが社会にもたらす価値は何であり、どの程度か。
それによって保護者や幼児の生活の質がどれだけ向上し、(家庭内保育負担が軽減されることにより)社会における労働力の供給がどれだけ高まるのか。それは増税に見合うものなのか。
つらい思いしてる人には悪いけど潔癖陰キャコミュ障の俺にとってはコロナ福だよホント
人との接触を最低限にする、という普段なら社会不適合者の行動が全世界的に推奨されている
そこらじゅうに消毒用アルコールが設置されている
そして飲み会行かなくてもいい
サイコーーーーー!
家にいる時間と幸福度が正比例するタイプの人間だから外出自粛は頼まれなくてもしたいくらいなのに、国から十万円のお小遣いまで貰えた
悪いけど俺は「職場の飲み会行かなくてもいいが、世界中に感染したら1〜2%の確率で死ぬウイルスが蔓延するボタン」があったら迷わず押す人間だ
(しかも実際には30代で基礎疾患がない俺が重症化したり死んだりする可能性はコンマ数%以下だ)
医療崩壊?構わんよ?
仮に俺が瀕死の重症を負って、コロナのせいで病院に受け入れてもらえず死ぬリスクが上がる代わりに飲み会サボれるならそのほうがありがたいし
(ちなみに職場の飲み会が嫌いなだけで酒は嫌いじゃない。むしろかなり好きな方。飲み会サボって家で飲む酒は宇宙一美味い)
なので、コロナのリスクを把握したうえで、それ以上に恩恵がデカいと思ってるわけ
ワクチンの普及し始めは
「いやー、副作用が怖くて」
とか言ってればいいけれど、コロナがインフルエンザ並みの扱いになったらどうしよう
ご贔屓、いわゆる推しもいる。
私は地方民なので、観劇の際は兵庫県の大劇場か、若しくは東京日比谷の東京宝塚劇場のいずれか、若しくは別箱、と言われる梅田芸術劇場や東京フォーラムといったホールに「遠征」する。遠征、つまり、宿泊を伴う移動だ。いずれにせよ、新幹線や飛行機を使わずに行ける距離に私の現場はない。
2020年、世界を未曾有の脅威が襲い、私は一切の観劇遠征を諦めざるを得なくなった。もちろんそれは私だけではない、遠征民と呼ばれる地方在住のヅカファンの多く(全部とは言わない)がそれを余儀なくされた。(中止となった公演もあり、それについてはチケットを持っていた者全員が涙を飲んだ。もちろん、それは劇団側もそうだろう)
春ごろには、夏くらい、遅くとも秋くらいには落ち着いてくれるかな?と、コロナのせいで中止になった公演が、劇団の不断の努力で次々とリスケされていく中で、この公演には行けるだろうか、この公演には絶対行きたい…などと、頭の中で叶わぬ予定を立てたりしていた。
状況は決して好転してはいなかったが、なんとか、ぎりぎり、行けるか…?という兆しがあった2020年11月末。私は、年内は我慢しよう、ここまで我慢したのだから、とにかく今年は我慢だ、そうすれば、2月くらいなら、状況ももっと落ち着いて、ご贔屓様の舞台も見られるはず!そう考え、チケットと宿、交通機関の手配に勤しんだ。ワクワクしていた。1年半ぶりの観劇遠征だ。1月ならGOTOとやらいう恩恵(結局私は使えなかったが)があるが、そんなもん関係ない、2月の観劇遠征に向けて、心は既に関西へ飛んでいた。
私は、いわゆるエッセンシャルワーカーの一端であるため、長距離の移動を伴う遠征は避けねばならないと自重していた。私が感染するわけにはいかなし、無症状の感染でウイルスを媒介することなど絶対にあってはならない。もしそうなったら、私の職場は完全アウトだ。だから遠征をあきらめ、日々感染のリスクに怯えながらも出来る限りの予防策をこうじて仕事を続けていた。
友人とも会えない、外食もカラオケも映画も行けない(鬼滅のムビチケは公開前から買っていたけどもう使うことはできないまま公開終了しそうだ)、帰省もできない、ただただ職場とアパートを往復し、休みの日もスーパー以外は一歩も外に出ず、タカラヅカスカイステージという有料のタカラヅカ専門チャンネルを同居人に遠慮しながらも視聴し、オンラインで購入したブルーレイが届いて喜んだのもつかの間、同居人に「それ宝塚からの荷物でしょ、消毒して」と言われ自分でも驚くほどの心の痛手を負ったりしながらも、黙って、ただただ我慢の日々を過ごした。
夏、秋、と徐々に再開されてきた公演を、配信で視聴しながら、それを観劇してそのレポを嬉しそうにテンション高くあげているツイッターのタイムラインを妬ましく思いながら眺めつつ、もう少し、もう少し我慢だ、年内我慢すれば、きっと、と唇を噛んで耐えていた。
のに。
なんでこんなことに。
私、ものすごく我慢した。お医者さんも頑張ってる。看護師さんも保健師さんも、ものすごい数の人たちが、疲弊しながら頑張っている。
なのになんで。
なんでこんなことに。
ものすごい数の人たちが頑張って、私も含めてものすごい数の人たちが我慢を続けている。
のに。ねえなんで?
政治がどうの、ウイルスの性質がどうの、わかる。そこから目を逸らすつもりはない。正常性バイアスに陥らないように、注意深く、今も、感染予防に努めながら歯を食いしばり続けているよ、私は。そしてものすごい数の人が。
なのに。
ツイッターのタイムラインを眺めると、今日も楽しそうに観劇のレポツイしている人たちがたくさんいる。あのシーンのここがよかった、とか、ここのダンスが最高だった、とか、私のご贔屓様のことも、きれいだった、かっこよかった、etc…
私と同じ地方民であり感染拡大地域に住んでいるにも関わらず、「悩んだけどもう無理!行く!気をつけるし大丈夫だと思う」と観劇遠征している友人からも、「観るべき!贔屓ちゃん最高だよ、なんで行かないの?私あと二回観るわ」というメッセージが来る。
それが悪いとは思っていない。なぜなら、エンタメの世界は瀕死の状態だからだ。公演中止が続けば、利益が出ずに「劇団」などすぐに潰れる。現に潰れた劇団は既に枚挙にいとまがない。宝塚歌劇は、バックが大企業だからまだ持ちこたえているというだけで、106年の歴史が終了することも、この状況ではもしかしたらあるやも知れない。そうならないためには、劇団が存続し続けるためには、今、観劇してくれる人たちが必要なのだ。今観劇できない私のような者が、いつか観劇できる日まで、劇団を存続させてくれるのは、今観劇しているファンたちなのだ。
それは、そのことは、痛いほどに、分かりすぎるほどに、理解してる。
でも。
それでも、どうしても、思わないではいられない。
こんなに何回も何回も観劇できている人が、現にここに(SNSの中に)存在しているのに、どうして私はただの1回も観劇できないんだろう…、と。
確保した、1年半ぶりの、たった一枚だけのチケットを、手放した。
私は、泣いていいだろうか。
お前は「正しい」存在になりたいんじゃなくて、「美しく優れた」存在になりたいだけだ。
『善悪(正誤)』の評価軸と『優劣』もしくは『美醜』の評価軸をごちゃごちゃにして語るな。
お前は自分の経験から「醜く劣る」存在 ≒ 「悪いこと(誤っている)」だと思い込んでいるようだが、かなり危険な思想に陥りやすい思考の癖がついてるから今すぐ自覚しろ。
話を読む限り想像を絶するブサイクなんだろうが(逞しい思い込み力が産んだ被害妄想のような気もするが)、極めて劣った容姿というカードが配られたというだけだ。
お前は悪ではない。「ただ醜く劣る」だけだ。本質をすり替えて逃げようとするな。
では悪くないのであればなぜこれまで散々苦しい目に遭わされてきたのか。
理由は2つある。
お前を絶対的な弱者たらしめる主な原因は社会の持つ性質だ。そしてこの性質に合わせて人間の持つ本能的な部分が少なからず関係している。
端的にいうと、この世の中が容姿に優れた人間が比較的評価されやすい傾向があり(社会的性質)、それを知ってる我々大衆は容姿の優れた人間こそが経済的恩恵を受けるとともに、社会的に成功しやすいと思い込んで「優れた」存在だと認識し、彼らに迎合することを生存戦略の一つとしているからだ(本能的な部分)。
これらは社会的地位に明確な差異がない学生時代に特に顕著に見られる。
お前は想像を絶するブサイク故に「優れた」存在から最も離れた絶対的な弱者と認識されているからいじめられたのだ。
しかし何度も言う。お前は悪くない。
仕事や勉強で真っ当に結果を残して正当に評価され、家庭でも問題を抱えていない人間は自己肯定感が十分に満たされており、そもそも自分より「劣る」存在を揶揄する必要性がないのだ。(サイコパスなど一部例外はあるが)
お前をいじめていじめてぬいてきた奴らは、お前から見れば他人が苦しむ様を眺め愉悦に浸ってるように見えたかもしれないが、彼らは学校をはじめとするあらゆる場面(家庭、部活、理想の自分像との乖離など)で自分が認められている感覚を得られずと不満を募らせていた。だから手近にいる絶対的弱者であるお前を自分の下に据えることで空いた穴を満たしていたのだ。
(例えばこれはお前がフェミニストなどと安易に一括りにしてる存在の中の一部の奴らにもそれは見られる。そいつらは自分たちを正当化するための活動を通しても一向に獲得することのできない自己肯定感の穴を埋めるために、自分よりも社会的に劣ると決めつけている存在にフォーカスして(目指す活動とは一切関係ないにも関わらず)こき下ろしているのだ。でなければアニメの絵だけをボコボコに叩くなんて非合理的なことはしない。)
もう一度言う。お前は悪くない。
『まだ』誤ってない。
お前は絶対的弱者で、周囲の自己肯定感を埋めるためだけの立場に甘んじていただけだ。
だから「正しい」存在なんて意味不明な造語を作って、ルサンチマン全開にして、これ見よがしにリベラルだのフェミニストだのどっかで聞き齧った言葉クッソ適当に並べてそいつらを下げるようなこと言って自分を正当化し、精神的安定を獲得しようとするなよ。
問題の本質から目を逸らしてレイシストに片足突っ込んでるようじゃ、お前をいじめぬいてきた奴らにも劣る「精神的に醜い」存在に成り下がるぞ。
自分の文章をもう一度読み返してみろ。どれだけ女を侮蔑すれば気が済むんだ? 女に対するその異常なまでの固執の原因は何だ?
もちろん「正しい女性像」なんてこの世のどこにも無いぞ。
いい加減気づけよ。
想像を絶するブサイクで、絶対的弱者で、かつレイシストで女性蔑視の傾向が強いとか、いよいよ終わりが見えてるぞ。
お前は今のところマジで性犯罪者の素質しかねぇから、ちゃんと自制心をもって行動しろよ。
そのマジ危険な癖が治らないうちは生活保護もらってでも自分に無期限外出制限をかけろ。
想像を絶するブサイクなら心の診断書持って役所で『働げな゛い゛よ゛ぉ゛〜〜!』って泣き喚き続ければたぶん通るから。
何度でも言う。お前は悪くない。
「正しい」存在なんて無い。
しっかりと全部を読み込むだけの時間も取れず、この文章を推敲するだけの時間が取れないことをご容赦いただき、まとまりのない文章ですが書かせてください。
まず私自身も忙しい中、リスポンスを起こそうと思ったのは、発信者の方への敬意からです。
これだけしっかりと自分の考えをまとめていること、素晴しいと思います。
私もそれ程は年は変わりませんが、私自身が漠然と自粛(=医療に協力)に協力している動機について説明させてください。
ただ我々は日々、目に見えない数々の恩恵を様々な人から受けています。
日常生活で誰とも会わずに一人で生活している人ですら、コンビニで自分自身の欲しいものが買えるのは、コンビニの運営会社や商品の製造会社だけでなく、物流を支えている人達がいるからです。
またこの世の中、若者と高齢者が別々に分かれて生活しているわけではなく、そのような影で社会を支えている構成員には高齢者も多いです。
そして、そのような恩恵はなくなって初めて気が付くものがあまりに多いです。
また別の観点からですが、仮に今日本中で感染が拡大してほぼ全員が感染するような事態になったとしましょう。
その場合、例えば、今の高度な医療を担っている医師は、経験のある比較的高齢であることが多いと思いますが、そのような医師が次世代の若い医師に技術を継承することなく死亡した場合、今の若者が高齢者になる数十年後の医療の質はどうなるでしょうか。
また、感染が拡大した場合、田舎にも当然広がるわけであり、自分自身が帰省をしなかったからといって故郷にいる両親が感染しないことはなく、感染が蔓延した状態では近所のスーパーのカートから感染する可能性が飛躍的に高まります。
恐らく、このようなことが私が思い付かないだけで、本当は数えきれない程あるんだと思います。
ただ、このような想像したものを言及することは、政治家は立場上難しいと思います。
それ故に一律の給付金が精一杯なのでしょう。
それも現状では一度しか行われていないのは理由は分かりませんが、こんな事態が想定されていない中、新規の国家予算を組むにも色々と制約があるのかもしれません。
それから、一点だけ内容に直接的なコメントをさせていただきますと、民間病院は協力的でないのかの理由についての言及の部分です。
病院が赤字を回避しようとしていることと、個人的な利益を追求することは、次元が違う問題であり、同じには議論できません。
病院が赤字になってしまうと、従業員の給料が払えなくなってしまう、また経営破綻してそれ以上医療を継続してしまえなくなる可能性があります。
(このあたり、医療法人故にうんぬんという細かい補足がありそうな気はしますが、大枠は違わないと思います)
少なくても医療法人の場合、大幅な赤字にならずに安定した経営によって医療を提供し続けることは世の中のためであり、一個人の利益追求とは性質が異なります。
またそれは営利企業にもあてはまり、よりよいサービス・商品を提供することによって世の中をよくしようという企業理念があるはずです。
消費者を騙して利益を巻き上げ、社員をこきつかって一部の経営陣が贅沢し放題、なんて企業は漫画の中では多いですが、現実には極少数のはずです。
それから、倫理観を使って責めてくる輩はいますが、それは放置でいいと思います。
常識、倫理を相手に押し付けてくる輩はあまりいい人はおりません。
相手の利益のために、都合のいい価値観を使って、従わせようとしている場合が多いですから。
自分自身の利益を度外視して他人に尽せ、というのは間違っていると思います。
一方で、自分自身の利益は、自分の周りにいる人が幸せであることにより生まれてくることが多いです。
自分の周りのいる人、というのは、家族や友人に限定した話ではなく、普段会う近所の人であったり、職場の人であったりするわけです。
そのような人を不幸にしないため、つまりその方々の身近にいる高齢者の方を失わせないためにも、自分自身の少しくらいの不利益であれば受け入れてもいいのではないでしょうか。
文章を読む限り、本当に真面目な人なのではないでしょうか。
高齢者を代表するような立場にはありませんが、仮にそのような立場であれば感謝したいくらいです。
「もっと自粛する理由が欲しいから、誰かに答えてほしい。」なんて言うような人からは想像もできないような、むちゃくちゃな行動をする人が若者にも、恐らく高齢者にもいます。
そして感染を広げているのはそのような方が多いのでしょう。
それ故、もう自粛はやめたと言っても、それでも無駄に感染を広げるような行動は取らないと思います。
長期戦になりそうなので、これまでのような徹底的な自粛ではなく、多少の不利益と納得できるくらいに息抜きも必要でしょう。
今の状況では、どこが安全とかなさそうなので、できるだけ接触する人数が少なく、幸せを感じられるものを選んでみてはいかがでしょうか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1649741
ここのブコメ
感情を説明できないというTogetterの被まとめ者に対して
「感情を説明できない」という人は「感情がない」というわけじゃないし、思考力がないから説明できないわけじゃないんだ
むしろ被まとめ者は内省して行動を直しているので思考力はかなりある方だ
では何が困難で説明できないのか
ブコメのシチュエーションを例に取らせてもらうと(あくまで例なので他意はないです)
ご飯を作ってあげたときに「美味しいよ」とか「ありがとう」の前に「鶏肉をもも肉からむね肉にしたんだね、さっぱりとした味になっているね」とか言われたらそりゃモヤモヤするよ
ご飯食べてる時は他に色々考えているはず。
こういった様々な脳内の情報処理の中で、(※)で示した部分だけが今、言及すべき感情とされていて
他はそもそも感情ではないか、感情と言っても今言及すべきではないものであり
反応を返しても相手の満足を得れない
俺はこの(※)を満足な速度で抽出するのが苦手だし、被まとめ者もおそらくここが苦手なんだと思う
上の列挙でわかるとおり、感情と呼べそうな情報処理は脳内でちゃんと行なわれているので感情がないわけではない。
論理性が低いのか?と言われるとそこは自信がないだけど
どっちかと言うと話し相手が情報として必要としている感情が即座に判断できないことに困難を感じている
快/不快はとても的確に判断できるんで、癇癪も起こせるんだけど
単に快/不快だけを表現してと言われると上のリストの中の「寒い」とかが出てしまう
ただしこのシチュエーションで求められているのは「おいしい」と「ありがとう」だ
正直自分の感覚で言うと「ありがとう」は快/不快でもないし感情でもない気がする
ただし、十分な時間を与えてくれたら今相手は自分の提供した食事について価値判断してほしいと言っていることがわかる
ただこれがシチュエーションが違うと「美味しいかどうかはいいから昨日の食事との違いを答えてほしい」とかが要求になるんで
ここもまた即座に判断できない
長年人間関係や空気読みというのをやってきて、多くのシチュエーションでは能力が足りなくても十全な努力をしていれば許されることがわかってきた
今回の場合、「自分はこんなに困難を抱えていて最大限努力している」ということが伝われば
受け入れられることも多いことがわかった
ただそれにも多くの時間を必要とするので、普通の人のように人間関係は広くはできないんだけど
どうしたもんだろう、ねえ
色々反応くれてありがとう(一言目にありがとうを言う程度にはコミュニケーションはできる)
thacaChasma 「ご飯を作ってもらったときには、余程マズい時以外、美味しい・ありがとうと最初に言う」というコミュ障ライフハックがある。何も言わない/毎回正確な分析を語るより、100倍良い結果になる。
hakusai_chan 「相手に何かしてもらったらまずは喜びと感謝を表明」この原則はいついかなる時でも通用すると思います
付き合いが浅いうちはこれで対応できるんだよね。ネットのつきあいも同じだ
問題は元まとめにあったようにかなり深い付き合いになった時
ezmi4 女性間は共感が求められ男性間はそうでもなくても、男性が結婚や恋をする場合得てして女性のそういう面の恩恵を受ける(惹かれる)訳で、それを口開けて享受するだけなのは如何なものかと。お互い与え合わないとね ブコメみての感想
増田じゃなくブコメへの反応らしいんで回答ずれてるのかもしれないけど
たぶん俺と同じ困難は男女関係なく持ってる。で、得てして男は男と、女は女との付き合いの時間が長いので
女の方がケアしあう関係が強いなら俺みたいに共感力が低い女は俺以上に日常で困難を抱えているはず。厳しそうだ(共感)
pikopikopan 発達障害あるある。私も感情抽出が苦手だし、文字に書き出してようやく表現出来る感じ。時間かかるんだよね。頭で思っても、感謝や共感を伝えるのを忘れがち。同時進行で別のこと考えてたりするし。
まあね。もう少し時間をかけても反応していいって言う人が増えたら楽になるんだけど
nmcli 列挙されてる脳内感情が自分のことばっかりなのでモヤモヤした。「便利だ」「ありがたい」の解像度を高めて「自分のために時間を費やして作ってくれたんだな」とかがあれば、心無く感じることはないのだけ
kwsktr すげえ違和感なんだよな。「寒い」と「美味しい」が同列で並べられていたり「自分で準備しなくても食事が食べれる」の下に「ありがとう」があることとか。足りないのは思考だけじゃなくて、共感と視野じゃないかな。
kotetsu306 自分の快/不快は考慮してるのに、相手の快/不快については全く判断材料にしてない(登場すらしない)のリアル。列挙した選択肢のうち、もし自分が言われたら快なのはどれ?って思考はできるだろうか
そう、共感力の高い「普通」ができる人間は、「自分の思いを伝えろ」と言われたとき反射的に「相手への共感を踏まえろ」って発想に至るんだよ
ここに至るまで人生だいぶ時間を使ったんだけど、普通の人間はモヤモヤとか違和感とかそういう直感でショートカットして判断できるらしいんだよな
ちなみに自分が言われた時快に思うのは「ありがとう」だけど、共感が得られることを快と判断するなら「おいしい」「寒い」でも共感はできる
さっきの引用に被せて言うと、
「ありがとう」「おいしい」「寒い」以外の選択肢を選んで喋ると不快に思う人が一定数いて、
これが自分の中で不快でも何でもない、あえて言うと中立なので判断に時間がかかる
cleome088 これの問題は、できないからこれやらなくていいという能力ではないことなんだよね。情操の言語化は出力が遅いなりにやれないとまずい。ウンコしないのと一緒で自分も病むよ?やたら軽く見てる人が多くて怖いけど。
まずいのはわかる
ただどちらかというとできないこと自体より「普通簡単にできること」と世間に思われていることのが脅威を感じる
haluhiko うれしい、おいしい、たのしい、すごい、素晴らしい、すてき…など耳ざわりよい言葉は挨拶の2軍。要求される前に自発的に出さないと効力が薄い。少しでも感じたら声に出すトレーニングしたら良さそう。独り言でも。
今回はその先の話だな
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他ブコメ反応見て。
俺が共感力低いのはわかっていて、擬態できるようトレーニングは一通り積んできたつもりだ。
ただ、ここで伝えたかったのは
「あなたの考えを教えてほしい」と言われた時
その背後に「相手への共感や関係性に関わる考えのみを抽出して伝えてほしい」という要望があることを想像できなかった
そこから実際会話のスピードでそれができるトレーニングを積む時間がまだ足りていない
ということ
自分と同じ悩みを持つ人間は、早めにここに気づいてトレーニングすることを薦めるし
自分のような人間と付き合っている立場の人間でそこに悩みをもっているなら